はてなキーワード: 反抗期とは
シングルマザーで、子供二人。女の子。(当時小6と小3ぐらいだったかな。でも見かけは年頃より小さい)
「女の子だったらそんなにうるさくはないね」と母と話していた。
んだが。
そんなことはなかった…。全く。
毎日毎日毎日学校の友達が遊びに来るらしく、ドアはバッタンバッタン開閉がすごく、
友達も本人も大声で叫ぶように会話をする。そして気づいた頃には子供のたまり場になっていた。
団地なのが物珍しいのか階段でも遊んでいるらしく、楽しげな声も聞こえる。
ここまではまだいい。「微笑ましい」で片付けてもいいかもしれない。
団地は集合住宅なので、ポストが階段ごと1階部分に設置されている。
普通そういうポストには住人負担で鍵(南京錠とか)をつけるものらしいのだが、
ウチの棟の階段の住人は、ちょっとそこら辺が甘くて鍵をつける人は殆どいなかった。
鍵をつけたり郵便局の人にわざわざ部屋のドアまで持ってきてもらう人は「神経質な人」と見られていた。
そのポストの郵便物が抜かれるという事が起きて、ちょっと問題になった。
隣人宅の階下の人が割りと怖めのオッサンで、現行犯で捕まえたそうだ。2回も。
その時は「お互い鍵をつけて気をつけよう」で事は終わった。
だがしかし。話はまだ始まっていない。
財布から金を抜いた抜かないと言い合いをし、毎日のように親子喧嘩をし、毎日のように互いを部屋から叩き出したりしていた。
何故私がそれを知っているかというと、それを全部を外でやっていたからだ、
階段部分は何かと物音が響く。皆それがわかっているからドアの開け閉めや、階段の登り降りは静かに音を立てないようにしている。
まず、周囲と上手くいかないひきこもり本人がいて、両親がいる。
親の方が、ひきこもり本人よりも後ろ向きな考えをしている。
問題は、息子が働かないのは親の責任だと本気で思っていることである。
息子が働く年齢なら責任を本人に取らせるだけでいい。
甘やかすのも良くないし、怒るのも良くない。
冷静に優しく家を出て行ってもらえばいいだけである。
なぜ、息子を家から追い出すのに怒るのか?
家を追い出せばいいだけである。
これが出来ない親は早く子離れすべきである。
「出ていけ!」と言ってくれる親がいるだけでありがたいと思っているのに、
自分が子供育て始めたのもそれから結構過ぎてからだけどまだまだ人間的に未熟でさ、その時に子供にしたことが今結構自分に帰ってきて後悔してるよ。
あの頃自分がまだまだ未熟で職場の人間関係とかだけでてんてこ舞いなのに育児や家事の分担もあっていっつもテンパっててさ、それで結構ヒスってたのよ。
夫もそれに釣られたのかよくテンパってた。
2人だけなら似た者同士のちょっぴりメンヘラ夫婦で済んでたけど間に子供挟まってると本当可哀想になるね。
そんでその頃荒れてたのがいつの間にか子供に伝染してたらしくて子供が小学校入った辺りからよくヒス起こすようになってそれが未だに治らない。
今の自分が育ててたらそんなことないとまでは言えないけどもっとマシだったろうなと思うよ。
ゲーム好きが多そうなインターネット関連の仕事をしているが、社会人になってからは自分ではほとんどテレビゲームには触れていない。今となっては、子供たちがたまに遊んでいるのを眺める程度のものだ。
そんな俺だけど、最近、ひどいソシャゲ課金問題がニュースになったり、実況動画のユーチューバーに扇動されるキッズたちがそんなゲームにハマっていたり、息子の3DSを発狂して叩き割るヴァイオリニストがいたり、そういうニュースを見て大人が眉を顰めていたりするのを見て、そういうのはものづくりとしてなんか残念だなぁって思い、ふと思い立ってこれを書いている。
俺は本当は元々ゲームが大好きだった。どうしようもなく好きだった。たぶんここでマニアを名乗れるほどでは無いけれど、ファミコン世代ど真ん中で、小学生時代は任天堂に憧れ、ファミコンとディスクシステムに埋もれて育った。反抗期はメガドライブで道を踏み外し、幾多の良ゲークソゲーにまみれてサターンで遊んだ(結局スーファミもプレステも持ってたけど)。この世代によくいるエンジニアの例に漏れず、ゲーム好きをこじらせた結果、IT関連の仕事に進んだ。
社会人になってからは大好きなゲームで遊ぶ機会は徐々に減り、いつしかまったく触れることも無くなった。
興味が無かったわけじゃないけれど、ネットとWebとコミュニティ関連の仕事をしていたら、やたら忙しくて使える時間は限られたものになり、そのうち自分の家庭を持つようになり、結果として一見何も生産されない(ように感じる)ゲームにひとりで貴重な時間を費やすのは勿体無いと割りきって考えるようになったのだ。
仕事でもプライベートでも、どうせディスプレイに向かうのなら何か成果物を残せるか、実際に人との繋がりを作れる仕組みに力を入れようと考えるようになった。それはクラシックなホームページだったりECサイトだったり、ブログだったりSNSだったりしたのだけれど、いずれにしても「俺たちのインターネット」は今までと違う新しい世界を作るんだ、という気概のようなものを勝手に持っていたような気がする。つまり、ゲームを作る側でも無い普通の人間にとって、「ゲームで遊ぶ」という行為はクリエイティブな行動とは考えなかったのだと思う。
そのうち自分の子も大きくなり、人並みにDSやWiiで遊ぶようになった。
でも、うちの子たちがそこまでゲームに熱中しているほうでもなく、妻がゲーム嫌いなこともあって、それほど家庭の中でゲームが話題になることはなかった。俺自身もWiiを見たときに、すごいユーザフレンドリーで簡単に遊べて任天堂はすごいなーって思ったり、子供たちとちょっと遊んだスマブラが面白いなーと感じたりしたことはあったけれど、基本的には世代を超えてマリオに親しむ子供たちの姿を見て微笑ましく思ったり、良い物は良いねって言ってみたり、つまりは親として、第三者的な感想を述べるという以上に自分自身がのめり込むような体験が再来するようなことはなく、ああ、やっぱり自分が少年の頃感じたあの感動や興奮は、あの時期特有のものだったんだろうなあ、子供たちが今のゲームに同じように感じることはあったとしても、自分自身がもう一度あの感覚を体験することは無いんだろうなあ、などと悟ったようなことをちょっと寂しく勝手に考えていた。
我が家はそんな、ゲームにそれほど熱くなっていない一家なので、最新のゲーム機やゲームがすぐ家にやってくるというようなこともなく、WiiUも発売から3年経ってようやく我が家にやってきた。息子のクリスマスプレゼントということで、義母が買って送ってくれたのだ。正直随分とリッチなクリスマスプレゼントだと思う。
その半年ほど前、なんかイカがインクを塗るゲームが発売されて話題になっているということは知っていた。俺はホッテントリにそのゲームがしばしば上がるのを面白そうだなーと思いながら眺めていたし、息子もそれが欲しかったのだろうということはなんとなくわかった。
かくして、流行から半年ちょっと遅れて我が家にもWiiUとイカのゲームがやってきたのである。
すっかりゲームに興味が薄れてしまったおやじである俺は、息子が喜び勇んでイカのゲームで遊ぶのを温かい目で後で眺めていた。とても面白そうだった。
一台のWiiUでは基本的にはひとりずつしか遊べないので、パパにやらせろよと言うでもなく、オシャレでいいなこれ、っていう程度のことを思っていた。
その穏やかな認識が一変するのは、その一週間後の大晦日のことだった。
12月31日、仕事やら親戚の都合やらなんやらで予定が合わず、年越しは妻と子供たちだけが実家に帰り、俺はひとり寂しく自宅に帰って新年を迎えることになった。やり残した掃除を済ませて一息つき、ひとりで年末番組を見る気にもならずビールを飲んでだらだらしていたが、すぐ退屈になってしまった。そこで、なんとなく一週間前にやってきたWiiUの電源を入れ、自分のIDを登録して息子が遊んでいるイカのゲームをやってみたのだ。
ほうほうどれどれ、操作は複雑そうだが簡単に覚えられそうだ、とりあえずバトルに参加してみるか、しかしこれ音楽カッケーな、と……
かくしてイカを操作し始めた俺は、すぐにとんでもない衝撃を受けることになる。なんせ、俺はゲーム体験の歴史が軽く15年は飛んでいる老帰還兵なのだ。
操作に慣れるまでのタイムは僅か0.05秒にすぎない、とまではイカないが、少なくとも開始30秒後には俺はなんかすごいものに触っているぞという気になりはじめ、思った方向に画面が動き、自分が向いた方に画面が回り、目の前の画面に映るイカが自分と一体化した気分になり、それを気持ちいいと感じるまでに実に1分もかからなかった。大げさでなく、これはすごいことだ。ものすごいUIだ。
正直、まるでダイナモローラーで全力でぶん殴られたかのような衝撃を受けた。
なんだこれは。
気持ち良すぎる。楽しすぎる。
気が付くと、がむしゃらにわけもわからずインクを塗っているだけであっという間に1ゲーム終わっていた。
一体、なんなんだこれは……!!
3戦、4戦と繰り返しあっという間に30分くらい過ぎてしまった。
なんだか涙が出てきた。ていうか、恥ずかしいことにおっさんの俺はひとりでゲームをやりながらボロボロと涙が止まらなくなってしまった。
別に、大晦日にひとりでゲームをやっていたのが虚しくて涙が出てきたわけじゃなかった。自由に軽快に動くイカのキャラを見て、夢中で空間を走り回っていたら、子供の頃、家にやってきたファミコンで初めてスーパーマリオを動かしてまるで自分の思いのままにマリオが走ったときの感動や、自分のお年玉を貯めて買った発売されたてのメガドラで似非3Dのスペハリ2がぬるぬる動くところを見たときのことや、ゲーセンで「自分の思うままに3D対戦できるゲームが現実になるなんて!」とバーチャロンに100円玉を積んだ思い出なんかが次々蘇ってきた。
とんでもないものを作る人がいる。
そうだ、楽しいゲームをプレイしたときの体験と感動っていうのはこういうものだ。ありがとう、それを思い出したし、世界は過去より進化している。
かつて夢に見た未来がここにある、そんなことを思った。
だって、フィールドを思い通りに走り回り、リアルな人間同士がスポーツのように対戦でき、公平で、平等で、みんなが活躍できる。
去年の5月から遊んでいる人達にとっては超今さらな話なんだと思うけど、これってとんでもないデザインじゃなイカ。
良かった、どうやら俺が枯れてしまったわけではなかったようだ。だって、ゲームで遊んで猛烈に感動したもの。良い物は良い、ていうのはこういうことを言うんだろう。
気が付くと、外は元旦の日が昇っていた。
信じられないことに、どハマりしすぎて正月になってしまったのだ。その時にはその日フク屋にあったギアは全部買い、その時持っていたギアの中で一番イカす組み合わせをコーディネートする程度にはインクの沼に溺れきっていた。ちょっと妻と子供たちには言えないが、ひどい年明けだけどどうしてなかなか気持ち良かった。
すさまじいゲームバランスと運営で成り立っている世界だ。幾多の戦場をくぐり抜けてきた歴戦のスナイパーみたいなマニアと、たかしくん5歳(推定)やさくらちゃん4歳(推定)が同じ世界の上で楽しくワイワイとインクを塗って遊んでいるのだ。よくできたレベルごとのマッチングもあるにせよ、殺イカ鬼みたいなプレーヤーが前線で戦っている後方で、たかしくん5歳(推定)がコロコロとローラーでインクを塗って喜んでいるフィールド。みんなそれぞれ楽しい世界だ。任天堂だからできるっていうことはあるにせよ、ゲームで楽しませるんだ、新しい世界を見せるんだという思いがビシバシと伝わってくる。ガチャですり減るばかりのソシャゲのようなものとは本質的に違う。すごいゲームを作るものだと感心しながら家族の待つ実家に向かった。1月1日、俺の頭の中はカラフルなインクでいっぱいで、なぜだか不思議とクリエイティブな気分だった。
ところで、上の方にインターネットに関わる仕事をしていると書いたけど、もはや「俺たちのインターネット」的なコミュニケーションに特別な思いを抱く時代では無いんだなあ、っていうことを改めてしみじみと思った。
普段、仕事でわりと年配の方も使うWebサービスに関わっているんだけど、残念ながら2016年現在の今なお、インターネットを特別なもの、得体の知れない不穏なものと敬遠する層があり、そういう世界がある。世代間ギャップだけの問題だけではなく、サービスの内容にもよって向き不向きもある。流通業なんかだと、いまだに「リアル対ネットの戦い」だとか、「紙媒体とWebメディアの二項対立」なんていうものがあり、「オムニチャネル」なんていう言葉が持て囃されたりする。
仕方ないんだけど相変わらず、クラシックな層に対して「インターネットの普及」を懸命にやらなければならなかったりする(だいたいインフラの話とアプリケーションの話がごっちゃになっている)。正直ウンザリすることもあるけれど、それが現実だと受け止めている。
しかし一方で、イカのゲームで遊ぶ子供たちを見てつくづく考えさせられるのは、もはやこの世界で成長して大人になっていく今の子供たちにとってはインターネットがそこにあるかどうかなんてことは考えることすら無いし、我々が90年代後半から00年台にかけて見てきたような「俺たちのインターネット」としてネットの場を特別視するようなことも無いのだ。彼らにとって、ネットは電気や水道と同じようにあたりまえにそこにあって、ゲームをやろうとスイッチを入れれば、仲間や対戦相手が生身の人間であることがあたりまえなのだ。
既に、テレビゲームで遊んでいてそれがリアルかバーチャルかなんていう議論ももうあまり意味が無いんだろうなあ。それはバーチャルな場を使用したリアルであって、線引き自体がよくわからない。近い将来親になる世代に対してはネットは「普及」するものですらなく、このコミュニケーションがスタート地点ですらある世界がいよいよ本当にやってくるのだ。
思うがままに書いたけど、たぶん、ずっとゲームをやり続けてきた人から見たら何年も前から当然のようなことなのかもしれないね。
対人で対戦できるFPSやTPSだって、オンラインのRPGだって20年くらい前にはあったし、上に書いたようなネットゲーム体験はそれからずっと培われてきた技術によって成り立っているんだろうなって思った。
でも、そうやって新しい物好きやマニアの層が開拓してきた技術や経験がいよいよ一般層にまで展開されて、子供たちが何も考えずにその世界の上で育っていくという現実に、なんだかもううかうかしてられない危機感と楽しみみたいなものを感じずにはいられない今日この頃。
大勢の人の助けをかりたのに、
その地獄は、ただひたすら道を歩くこと。
鞭でたたかれるわけでもなく、
目玉を抉り出されるわけでもなく、
ただひたすら、道を歩く。
この道は乳白色でやや温かみをおびた道で、
歩くぐらいどうってことない、そう思うだろう。
地獄はそんな甘くない。
この道を歩いていると、
俺の今まで生きてきた20年間で
人に与えられた優しさ、ぬくもり、愛情を
たった今目の前にあるように思い出してしまうのだ。
生まれたての俺を抱きしめるばあちゃんのぬくもり
いつも俺の身を案じて、
全部、全部、思い出してしまうんだ。
俺の身体に、その瞬間の感動がよみがえってしまうんだ。
なんで
なんで
なんで
なんで
なんで俺はみんなの優しさに気づかなかったんだろう
優しさを、裏切ってしまったんだろう。
けど
どれだけ生きたいと、生き返りたいと、願ってももう返れない。
俺は死んでしまった。
いつまで歩けば終わるんだろうか。
いつまで歩けばこの悔しと後悔をぬぐえるんだろうか。
その先に、何があるんだろうか。
果てしない、
果てしない、
道が続いてゆく。
母親になると毎日、朝から晩まで否定的な言葉ばかりを浴びせられる。
「この服やだ」
「ご飯、おいしくない」
「あれは、できない」
「これは、やりたくない」
次男を産んでからは、それが2倍になった。
こうしようよ! という提案は、ことごとく否決される。
ならば、これならどう? という代替案も蹴られる。
どうしたい?
どうすればいい?
いつも子ども顔色を伺って、先回りしてご機嫌をとって。
なんか、もう、バカみたいだ。
味方であるはずの家族に、自分のやることなす事、片っ端から否定される。
子どもの言うことだから…とか、反抗期は普通の成長だから…なんていう一般常識で、ザラつく心を抑えつけようと頑張ってきた。
それでも、たまに、子どもの悪気ない否定に気持ちを揺らして、とても落ち込んでしまう。
私を傷つけたと分かった子どもは、暗い目をして、ポロポロと泣く。
「お母さん、ごめんなさい」
そして、そのあとは 一回だけ、素直に言うことを聞いてくれる。
そんな毎日が、とても寂しくて悲しい。
私の思う、育児の大変さはこういうところだ。
http://anond.hatelabo.jp/20160107125638
それは確か小学6年生だった。
母親のジュエリーボックスという女児にとって魅惑的なとこに、サンタへの純情な私の手紙を入れていたのが母親の間違いである。
それがサンタを信じなくなった日だと思っていたが、思い出してみればそれを見たのは、確か小学校低学年ごろだった。
いつからサンタを信じてなかったんだろう…と考えれば、小学校に上がる前の時点で「やったー!来年から小学生だから筆箱もらったんだ!」と演技をしたときには確かにサンタを信じていなかった。
そう、演技をし続けたのだ。少なくとも6年。
保育所のサンタも、私は誰がサンタになるのか一生懸命覗き見ようとしていた覚えがある。もしくは7年。
7年の演技が、たった一言「サンタなんか居ない」で打ち砕かれた。
小学6年生のクリスマスの日、母親の文字でプレゼントと手紙が届いた。
「サンタを信じない子には、もうサンタは来ません」みたなことが書いてあった。一度しか読んでないが覚えている。
一度しか読んでいないのには理由があって、最初から最後まで見た瞬間、私は手紙を破りさりゴミ箱に捨てたからだ。
今思えば、誕生日とクリスマス以外に母親から何かを与えてもらえることは少なかった。
だから、必死で演技してたんだと思う。それをたった一言で、無情な手紙が終了を知らせたのが、悔しかったんだと思う。
ああ、なんだろう。書いてて今でも涙が出てくる。よっぽど悔しかったのだ。
その日の朝、私は母に言った。「見てお母さん!サンタからプレゼントが来たよ!」
また演技をした。手紙をスルーした私を、母はどう思ったんだろう。
ずっと気になっている。24日の4時までこんな文章を書いてしまった。
母と二人で某ドラマを見ていた。
もし、お腹の中にいる子供に、障害があると分かったら?という内容だった。
もし自分が母親だとして、自分のお腹の中にいる子に知的障害がある、と宣告されたら、私はその子を産むのをためらってしまうと思う。
と、呟いたら、母からこんな返答が。
「私だったら…この子のそばにずっといれるんだ、って思うかな。私が死ぬまでずっと、この子の面倒を見れるんだなぁって」
正直、ぞっとした。
なにそれ。えっなにそれ…気持ち悪い、えっ本気で言ってるのかなこの人……
怖い、すごく怖い。
どうなんだろう。私がまだ反抗期を抜け出せていないからこう感じるのだろうか。
それとも、出産経験のある人は同感できる事柄なんだろうか。分からない。とりあえず誰でもいいからどう思うか聞かせてもらいたい…