はてなキーワード: 几帳面とは
は、絶対に胸がある。
ほんとにふくらみかけって感じの。
乳首がこすれて痛い感じのふくらみかたね。
乳首が男に比べると大きめなのが、みうらを改めて女だと感じさせる。
そんでもって肋骨が浮き出てる。
あの年頃にしては珍しくぽっこりお腹ではない。
改めて言うまでもないが小ぶりなお尻。引き締まっていることによるすらっとしたカーブを描く曲線をなぞる。
若干筋肉質で筋張っているような触り心地がする太股。
くすぐったいのを懸命にこらえて平然と振る舞おうとしているのがいじらしい。
棒きれのような手足。肉が付く前の貴重な時期。
髪が短いのにシャンプーのいいにおいがする。
おしっこが出ることしかしらない秘裂は、まだぴったりと閉じている。
すん…鼻先をかすかにくすぐるアンモニア臭。
せっかくの機会だからすべての肺胞に行き渡らせるが如く深呼吸をする。
閑話休題。
アクティブでスポーティなビジュアルにおける最大のセックスアピールだ。
時間だ。ここらへんにしておこう。
女性の壁ってこういうのなんだ・・・とようやく身をもって実感してる。
今の会社、本当に2014年の現在かと疑ってしまうほどの男社会で。
入社何年か目くらいまでの若手社員の頃はいい。何もできない若手社員へ指導する対象としては、男性上司も、男性部下、女性部下隔たりなく扱う。
問題は30歳過ぎて、だいたい一通りのことはできるようになって、プロジェクトリーダーくらいの立ち位置になってきた頃。
男性管理職陣からなんとなく煙たがられるようになり、大規模なプロジェクトや新規のちょっと面白そうな仕事はひたすら男性社員にまわされていく。。
某男性管理職が女性社員のことを言うには「AさんとかBさんとかCさんとか(皆私より一回り上世代でそれなりに活躍してがんばっている女性社員)
すごいよな~、きっちりしてて。俺はあういう人たちとは仕事できないわ~」。その男性管理職は、女性がきっちりしてて怒られそうで怖い、という
ような印象をもっていうようだ。A、B、Cさんはそれぞれ仕事もできるが、決して一昔前のキャリアウーマン像(怖い顔をしてずっとあくせく仕事
をして笑顔を見せることもないというような・・・?)のようではなく、ユーモアがあって人を笑わせることが上手で一緒に働きやすい人たちだ。
きっちりして管理を厳しくして息苦しくなるような人は、男性社員でもいるのですが、、
ある種の男性は、女性社員が堂々と意見を述べたり、物事をしきっていると、どうも、小学校で女子に「ちょっと男子~、ちゃんと掃除してよね~」
といわれている男子のような、萎縮して居心地が悪い状態になるようだ。そういう男性に限って、「女性は庇護すべきもの」という意識が強く、変なところで優しい。
以前、NHKの「スーパープレゼンテーション」という番組(TEDの紹介)での、シェリル・サンドバークのプレゼンで、同じことを男性が言った
場合と女性が言った場合で、女性の方が印象が悪くなったという研究結果が発表されていた。実際、そういうことなんだと思う。
実は数年前まで、今の時代に、そんな、男女の扱いの違いがあるなんて思っていなかった。
今思えば、女性先輩社員ががんばって築いた土台がある、会社の中で珍しい部署だったのだ。
そのときは、女性先輩社員たちが、「私、こまかいことは、ホント、苦手で~。」、「そうそう、彼女は猛突進タイプだから~」など、必要以上に
「自分、または他の女性社員は几帳面タイプではなく、豪快・おおざっぱ・勢いがいいタイプです」というような内容を雑談の中でアピールするのを
奇異に感じていたが、それは本当に必要なアピールだったのだ、と今、わかる。(女性というだけで「几帳面できっちりしていて近寄りがたい、器が
小さい」というような固定したイメージにみられがちなのをプラスマイナスで戻す、ということね)
数年前、部署再編で会社全体を覆う男社会の中に入ってわかったよ。
今日、以前の部署で活躍していた一回り上の年代の女性社員Aさんの上司に、Aさんの同期の男性社員Wさんがなっていることを知った。
なんだか「あ~」と思った。同期だからどちらが上になってもおかしくないわけだけど、その分野はAさんの方がずっと実績があったし、
その部署の上の人とのつきあいもAさんの方が長かった。なんとなくAさんが男だったら、Aさんの方が上司になってたんじゃないかなあ
という気がした。
ふと思って会社の役員をみたら十数人全員男だった。そりゃそうだろうな~。
同居を初めてすぐに面食らった。
出かける前、寝る前、必ず窓の鍵やガスの元栓、コンセントが抜けてるかを大きな声とともに指差し確認をする。 まるで駅員のように。
そして、それを私にも強要する。全く同じ手順であることが大事らしい。
夫に食事が出来たと呼ぶと、作業を中断し食卓に着くまで30分以上かかる。
部屋でなにか確認作業に手間取り、かつ、手洗いに時間がかかるからだ。
作ったものが冷めるのもイヤなので、完成予定時間を伝えても、たいてい5分はずれ込む。
それでもずいぶんマシなので、これで行こうと思った矢先。
たまたま、食事の完成と夫の着席が同時だった。
私が食器棚から取り出した皿におかずをよそいテーブルに置いた。
それが、彼の導火線に火を付けてしまった。
なんてことをするんだよ!絶叫し、頭をかきむしる。
ゴミ、入ってないよね?汚れてないよね??あぁ、最悪だ !皿が汚れてないか確認してないじゃないか!!!
彼の中での正解は、食器棚にある皿であっても、使う前に洗い直すだった。
それから、私がやってきたことはまるでそれが全て間違っていると思わされることだらけになる。
例えば、リビングの床に落ちたゴミ。夫がゴミ箱に投げて入らなかったものだ。
それを私が手で拾ってゴミ箱に捨てる。
床や床に落ちたものは触ってはいけない。触ってしまった場合は速やかに手をハンドソープで洗い、新しいタオルで拭かなければならない。
もし床に落ちたものを拾う場合の正解は、ティッシュペーパーを3枚上にかぶせて、物だけに触るようにものを掴む。
ゴミならゴミ箱へ。但しゴミ箱に触ってしまったら丹念に手洗いする。
ゴミではないものは水洗いできるものは洗い、そうでないものはティッシュで丹念に拭く。もちろん、拾うために使ったティッシュは捨てて、だ。
このような行動は全て私がとった不注意な行動を見た夫から、快適に生活するための正解として教え込まれた。
私はド田舎のいわゆる片親DQN汚実家、彼は都会のキチンと片付いて両親の愛情の溢れた清潔な家庭の出だった。
自分の生い立ちが酷いから、考えがズレているんだ。世間の、都会のレベルはこうなんだ。
そう、思っていた。
ある日テレビを観ていたら、あるタレントが出てきた。彼の言動、行動。全て夫に重なる。
あぁ、これビョーキなんだ。
夫に、これを伝えた。
あなたと同じ行動をするタレントさんがいてね、その人皆からビョーキって突っ込まれてたよ?
夫曰く。
うん、知ってる。俺キョーハクシンケイショーなんだ。結婚前からずっと。
だから、なにもかも気になって頭がいつも痛くなって辛いんだ。
外に居るときは人目につくと恥ずかしいから我慢している分、家に居るときはどどっと気になることだらけになり、確認や汚いものに触りたくない思いに流されてしまうそうだ。
病院には行ってないとのこと。
なんだよ、ビョーキだって分かってたのかよ。
じゃあなんで今までお前の行動はおかしいと言わんばかりの絶叫や、それを回避するための沢山の変なルールはなんなんだよ。
お前の癖に付き合わされて、お前の行動に振り回されて、私の今までの人生否定されまくって、それで、俺辛いんだよって酷くないか?
しかし昨年7月、電波の出力が強く、ペースメーカーの誤作動を招く恐れがあった「第2世代」(2G)と呼ばれる携帯電話のサービスが終了。ペースメーカーも改良され、現在は電波の影響を受けにくくなっている。
ただ、3GとかLTEは対策が施されているというのが正解。
わかりやすいところでいえば ペースメーカー対策済みマークでも作るかって所だね。
天下り団体にはなっちゃうけど・・・包括して医療機器と微細電子機器の安全性に対して責任を取るというポジションは必要といえば必要だろうし。
高給取りにはなれないけど、生涯安泰というポジションが欲しくて几帳面で、本当に1個1個検査したかどうかを確認してくれる。いわゆる 目立たない職業が好きという人にはいいんじゃないかね。
外食するとき僕が最も恐れている事、それはそのお店が混んでて入れないとか初めて行ったお店が残飯レベルに不味いものを出してきてしまったとかではなく、自分の真横にクチャラーが座らないかどうかだ。
店の味なら食べログでも見ればいい。混み具合も食べログなり口コミなどで知れるだろう。ただ、自分の行ったタイミングで隣にどんな奴が座るかどうかは天下の食べログだろうとさすがに分かり得ない。
完全に運まかせだ。
食べる事が嫌いというやつはそう多くないだろう。僕だってそうだ。食べることは好きだ。その至福の時間をどこの馬の骨かも分からないようなマナーのなってない輩に台無しにされるわけである。本当に最悪だ。ぜひともノーベルぶっ殺したいで賞を授与してやりたい。
今日も新宿ナンバーワン人気のラーメン屋に数十分並んでやっとの事で美味そうなつけ麺とご対面したところで、隣のハゲ散らかした中年のおっさんにその至福の時間を邪魔された。なんで金払ってこんだけ長い時間待ったのに、一刻も早く店を出たいなんて気分になってしまうんだろうか。意味がわからない。これだからハゲはダメなんだ。クソが。何でそんなに咀嚼の回数多いんだよ。そんで何でそんなに食うの遅いんだよ。なんで一噛み一噛み几帳面に音を立てるんだ。死ね。ハゲ。
イライラしながら脅威のスピードで麺をかっこみ、味の評価もままならぬまま足早に店を出る。さあ、今日のノーベルぶっ殺したいで賞授与式会場は将門の首塚あたりにしようかしら?と思いながらターゲットのハゲの顔を思い出す。うーん、殺してくださいとでも言わんばかりの憎たらしいあの顔立ち。というかなんでクチャラーってハゲ率というか中年のおっさん率があんなに高いんだろう。これまでに出会ったクチャラーどもの顔を思い出す。どいつもこいつも中年ハゲばかりだ。死ね。ハゲ。
ハゲ共の顔が走馬灯のように頭の中を駆け巡り、さっき勢い良くかっこんだつけ麺を戻しそうになりながらも、その走馬灯の中にいつも見ている顔があるのにふと気づく。そうだ、そういえばこないだの会社の飲み会の時、先輩もクチャラーだったことが判明したんだった。
先輩はいつも厳しいことを言いながらも僕のことを助けてくれる。会社の中で一番たよりにしている人。ハゲてもいない。
今日の僕なら、人がくちゃくちゃ音を立て始めるのを聞いた途端に眉間にしわを寄せ相手を睨みながら小野田坂道顔負けのハイケイデンス貧乏揺すりをし始めるのに、その時はそんなことは一切なかった。あ、先輩クチャラーなんすね、と、それだけで終わっていたのを思い出した。
何故だろう?咄嗟に拒否反応を示すべきクチャラーが目の前にいたのにかかわらず、僕はいつもの反応を示さなかったのは。
考えてみたけど、僕が先輩に心を開いている。その1点しか理由が見つからなかった。
初対面のやつに馴れ馴れしく肩組まれて話しかけられたりしたら、誰だってムッとしたり物理的に距離をおくなどのそれなりの警戒反応をするだろう。
それと同じで見知らぬハゲが隣で不快な音を出しはじめたら僕は不快感を表す。けど、それが見知らぬハゲでなく見知った頼れる人間であれば許容が出来る。
親しき中にも礼儀あり、確かにどれだけ僕が彼に心を開いていて、また彼も僕に対してプラスの感情を持っていたとしても超えてはいけない一線だってある。
しかし、僕の中で「咀嚼時に音を立てる」行為はその一線を超えていなかったようだ。
僕の中ではどうやら音を立てるというのは僕自身の精神的なテリトリーに踏み込むという行為に等しいらしいということが色々考えているうちに分かった。
満員電車の中で隣にいる奴がイヤホンから音漏れしてるとイヤホンをぶっこぬいて耳を引きちぎってやりたくなる衝動に駆られるが、会社で隣の席に座ってる同僚がイヤホンから音を漏らしていても特に気に留めない。
昔住んでいたアパートは壁が薄く、日中に隣からぼそぼそと声にならない声が聞こえてくると、無性に腹が立ってAVやお経を大音量でかけて謎の仕返しをしたりなんかしていたが、今思い出せば実家もそんな感じで声にならない声は聞こえていたはずなのに、気にならなかった。
自分と相手との精神的な距離感によって、僕の騒音許容量は増減する。音の大小だけでなくその性質も加味されるのであろう。
祖母の葬式はよく晴れていた。
祖母とは言ってもほとんど会ったことはない。一度だけ、父の葬式で会ったきりだった。
そのとき祖母は口を開かず、目も合わせようとはしなかったので、遺影で初めて顔を見たようなものだ。
それなりに多い弔問客の中で、僕が浮いているのは、僕が私生児だったからだが、馴れたもので特に何も思わない。ただ、手持ちぶさただったので家の外に出てみると、広い庭があった。
父はそれなりに名士だったとのことだが、それも会ったことがないのでよく知らない。ただ、母に養育費の振り込みは欠かさずしていたらしいので、几帳面だったか、トラブルを恐れていたのかが邪推できるくらいだ。
:
名前を呼ばれたので振り返ると、兄がいた。
多分、兄だ。数人いる兄弟は皆、顔が似ている。
「君も中で飯を食いなさい」
「いえ、もうお暇しますので」
僕は事務的に答えた。なんというか、父の親族にデリカシーというものはないのか、僕を見てひそひそと話す声が消えないのだ。
お妾さんの、とか、図々しい、等々。どうも全体的には歓迎されていないようで、とても愛想を振る舞える空気ではない。
義理事は終わった。
僕を引き留める兄に、それでも帰る旨を伝えると、封筒を差し出された。
「ああ、どうも。ありがたくいただきます」
くれるなら貰う。
縁側沿いの障子戸を少しあけ、こちらを伺っている老婆達にも軽く会釈をし、僕は帰ることにした。
自分の家まで車で二時間だが、くるときよりはいくらか清々しい気持ちで車に乗り込み、早速封筒を開けると五万円入っていた。
儲けたな。
僕は鼻歌など歌いつつ、ゴキゲンで家路についた。
両親と夕食を囲んでいて、隣のお宅の話題になった。
そのときの話を書こうと思う。
いつの間にか沖縄の梅雨が明けたというけれど、私の住む西日本の県はこのところめちゃめちゃ渇いている。
梅雨だというのに2週間も降らない。
庭の木を見れば、ただでさえ薄い葉の端々が、潤いが足りないと言わんばかりに茶色くなってしまった。近所の山の松なんかも、もともと生育が良くないのに加えてますます立ち枯れてきた。
やっと降ったと思った翌日にはもう、忘れたかのようにカンカン照りだ。
もー、夏ってことでいいですかね?
西日もあんまり強いしで、父に頼んで、「すだれ」を買ってきてもらった。
窓に吊るして日差しを遮るアレだ。父の部屋も二階でめちゃめちゃ暑いので、自分の所にも付けたという。
それで午前中に作業をしていたら、隣家のMさん(主婦)がその様子を見かけ、父に声を掛けてきたそうだ。
「うちにも付けられたらなぁー」
父は「すだれを付ける作業は難しいことじゃないし、忙しいのかいな」くらいに思って、軽く受け流したそうなのだが、話を聞いた母が、食卓のかつおのたたきをつつきながら言った。
「あの家はどうにもならんじゃろうねー」
そういえば今日、父が私の部屋の窓を開けてホイホイと引っ掛けていたのを思い出す。
うちの家は祖父が建てた日本家屋だが、土木屋をやっていた祖父がかなり手を掛けて基礎から作り、家屋はこだわりの材木・土なんかで出来ている。
床が桜の木で出来ていて、塗りの知識がなかった祖父はリビングをペンキ塗りしてしまい、大失敗したのだけど、キッチンの床は色は塗らずにニスみたいなつや仕上げがうまく出来ていて、素足が気持ち良い。
建って35年経つが、水場の壁に几帳面に埋め込まれた四角いタイルは、一枚もひび割れずに整然と壁を飾っている。
風呂などは当初ソーラーパネルで沸かせるように作ったが、作って10年くらいでパネルが壊れてしまい、今は灯油のタンクを入れて、ボイラーで沸かしている。
屋根瓦はときどき割れるが、日本瓦なので、吹きつけなどのメンテナンスをしなくて良い。割れたら、予備と交換するだけだ。
細かいところをいろいろ言えば不便もあるが、なにせ神経質な祖父がすみずみまで目を光らせて作った家なので、やっぱり良くできている気がする。
祖父が死んでから、わたし達家族は祖母の一人住むこの家に移り住んだ。しばらくして、庭の一部を潰して増築した。
増築した別棟はあまりお金をかけずに作ったので、母屋よりは少しグレードの低い感じに仕上がった。
具体的に何で安かったのかは、当時中学生だったのでよくわからない。
母屋に比べて、というだけで、十分にいい建物だと思っていたし、都内のマンションやアパートを数件移り住んで大人になった今も、ひどく安い建物だとは思わない。
ただし、なぜか床下が白アリに食われてメンテが必要になったこともあるし、
帰省した時にいつの間にか一階の内壁に洒落た木材が貼られていたので、北欧気分で内装を変えただけかと思っていたら、カビが生えたのだということだった。
建って4年目の夏のことだ。
このとき初めて、裸の木材が湿度を調節することを知った。靴箱に活性炭を置くのと同じ要領だ。
別棟をお願いした土建屋さんは祖父の古い知り合いなのだが、仕事は毎度きっちりやっていたと思うし、手を抜いたからトラブルが起きた、というわけでもないと思う。
ただ、白アリ対策を施したはずの木材に運悪く入り込むスキがあったのだろうし、締め切った部屋の角にカビが生えるほど、断熱材やサッシの性能が良すぎたのだろうし、風通しの問題でもある、という風に家族はその件を受け止めている。
そういえば、母屋はめちゃくちゃ窓が多い。ほとんど四方にあるか、ない面は、どことなく気が遣われていて意外と通気が良い。
一軒家は窓が多くて戸締りが大変だ、なんて言うけれど、だからといって窓を少なくしないのは、やはり理由があるということかしら。
わたしの部屋はその増築したほうの二階にある。夏は当然暑いのだが、西日の入る窓に軒(のき)があるので、そこに、どうにかしてうまいこと掛けてもらった。
父は梯子も使わずに窓の外に乗り出して、手を伸ばしてフックを掛けたりしていたので、まだ若いもんだと思った。
さて、Mさんのお宅は某有名ハウスメーカーで作られた注文住宅だ。
数年前に越してくると同時に建てられ、2人の可愛らしいおにゃのこが砂場や自転車でよく遊んでいる。
道路に面した一階に大きなリビングがあり、ときどき食器の音や、子どもの無邪気な声が聞こえてきたりする。
庭というか、地面はコンクリートでまっさらに固められており、道路に向かってゆるやかなカーブを描く駐車場になっている。
パーキングブロックも置くつもりはないようで、あまりにいさぎよい面っぷりに、竹を割ったような感じ?と住人の性格を勝手に想像してしまったりしていた。
夏は照り返しが暑そうだな、と思ったこともある。
そのリビングがとても暑いのだそうで、窓を開け放すとリビングが丸見えになってしまうこともあり、毎年毎年、何とかしたいと思いつつ、実際何もできないのだそうだ。
母が言うにはどうも、リビングの窓にはすだれをかける軒がないので、よしず(縦に立てかけるすだれのようなもの)を考えるだろうけど、よしずを立てかけると風が吹いた時などに地面のカーブで倒れる具合になってしまうし、たぶん無理だと。
グリーンカーテンを作るには、やはり上方にネットを留めるところがない。
サッシに付ける金具とかで何とかなればよし、無理なら家の内側に屏風的なものを立てるか、ブラインドを付けるか…。
物干し台みたいなセットを建てるのも、安くあがるかもしれない。
毎年のことだから、きちんとやるなら外のコンクリートに穴を開けて、柱を刺し、棒を渡すしかないのでは、といった意見に落ち着いた。
家の壁に穴をあけると不都合を招きまくるので、壁改造はやはり話題にも上がらない。
もちろん、これはぜんぶ他人の勝手な意見であって、Mさんを交えた会話ではない。
昔、システム屋に勤めていた時、会社の上司が自宅を新築するということで、確かその某ハウスメーカーに発注していて、既製のユニットを組み合わせて半注文住宅に出来るんだ、それがSIerの提案のやりかたと似ていてとても参考になるんだ、と言っていたのを思い出した。
何か出来るように機能を考慮すると、料金も持ち上がる、積み木のようなシステムだと言っていた。
これはこれでコストダウンとのバランスを取った、とても革新的なビジネスアイデアだと思う。
メタボリズムって考え方は好きだし、建築の側から考えると、とてもワクワクするものを持ってるとも思う。
ただし、閉じやすい、完成された(建築家側にだけ開けた)性格を持っているので、居住者(ふぜい)がどうにかできる隙がまったくないケースもあるということだろう。
注文住宅に比べて日本家屋がとても優れている、なんてつまらないことを言いたいわけではないけれど、ハウスメーカーの提案するユニット式は、気を遣って作らなければいけないんだな、みたいなことを思った。
映画→食事とか、ディズニーランドとか。また、デート前から行動パターンが見える人もつまらない。
打ち込んでいる趣味があるとか、少しは意外性を見せてほしい。
「批評が癖になってる」も含めて、結局は「オレこんなにすごいんだよ」と言いたい気持ちが透けて見えるのでシラけます。
イケメンでも金持ちでも、チヤホヤされても彼女ができないのはこのタイプ。
「自分大好きで、私のことは大切にしてくれない人」なので、当たり障りなくご飯友達扱いにする。
顔色ばかりをうかがって、何がしたいかよくわからない人が一番厄介。
食事した程度で勘違いしたくないし、おセンチになるのも面倒くさいので、ハッキリしてほしい。
好きだったら好きとはっきり言え!男らしいところを見せやがれ!
ビーフストロガノフなど、手の込んだ料理を見せられたら引きます。
「こいつ、女いらねーな」と。
潔癖症は言わずもがなですが、若干だらしないくらいが母性本能をくすぐります。
→これはある。
例えば、部屋のインテリアを無視して、ホームセンターで安物のミニストーブ買ってきたりする人。
ありがた迷惑だ。先回りしてあれこれやられたら「馬鹿にしてんのか?」と思えてくる。
女性は現実的なので「トラブルに遭遇した時、頼りになるかどうか」を見ています。
良い評価をすれば、母親思いの良い人ではあるんですが、これ言われたら結婚後が思いやられる。
「結婚できれば誰でもいいの?」と女性に思わせてしまうNGワード。
「私のこと何にもわかってないのに、なに結婚とか抜かしてやがるんだ。夢見てんじゃねーよ」と、心の中で毒ツイ。
「アボカド好きだったよね?美味しい店があるから、今度一緒に行こうよ」と誘える人は高ポイントです。
良いところを見せようとして、店の店員に文句言ったり無理な注文をつける姿はスマートじゃないので敬遠されますが
選択肢を持っていて、女性の好みに合わせてお店をチョイスできる人は普通にモテます。
血液型占いみたいなのを真に受けて、やたらB型を貶すクズ。人をB型認定してくるクズ。
馬鹿じゃねーの
A型だろうがB型だろうがO型だろうがAB型だろうが、まともな奴はまともだし、屑な奴は屑だ。
わかってる。別にそんなこと本気にしてる奴はいないっていうんだろう。
本気にしているとかいないとか、俺が問題にしているのはそういう話ではない。
問題なのは、そういう訳の分からないものを根拠に、人を貶めたり、不快にさせたりするのを厭わない腐った根性だ。
あと、Twitterでよく見るこの手のものにまともに取り合うやつ。
RT @10000RT: 【クズあるある】
・好きなことにはとことん詳しくなる
・「お腹すいた」「ねむい」が口癖
・「まぁいいや」も
・一人の時間がないとだめ
・寂しくてもだめ
・変なところで几帳面
・変なことを覚えている
・キレると怖い
・めんどくさい
・自由奔放
#クズの人RT
https://twitter.com/10000RT/status/316528954267815936
こんなゴミみたいなツイートが6000回以上もリツートされているのが俺には理解できない。
「自分がクズなこと認めちゃう俺カッケーw」とでも思っているんだろうか。
占いもそうだけど、こういう誰にでも当てはまる項目を列挙して適当なことを吹いて回るやり口が不愉快で仕方ない。
ただのオフザケならまだ良いだろう。それで、人が幸せな気分になれるようなものなら文句は言わない。
うちの会社の場合、一番新卒採用が多いのは学士、で修士と高卒とが同じくらいという比率。
学士が一番多いわけだが、傾向で言うと学士の比率は減って、修士採用が徐々に増えてる。
職種はメーカー。
機械化で現場に人員がいらないようになってきているんだが、人間の目が必要になるような作業が廃せず、現場に高卒を毎年数人雇い続けてる。
景気や季節によって出荷量に変動があるような商品をつくってたりすると、そういう部署には派遣を使うのだろうが、幸いなことにうちの会社の製品は景気変動や季節の影響をうけないので。
あとは、事務。
紙じゃないといけない書類をチェックして、ファイリングし続ける几帳面さは要求されるが脳味噌が必要ないお仕事。
お茶を汲んだり、掃除とか(廊下とかは業者が掃除するのだが、機密書類があるようなところは業者を入れられない)の雑用屋さん。
現場の少人数化が進んではいるのだが、それ以上に生産管理や品質管理に人員がいらなくなってきてる。
IT機器の進歩で大量データを扱うのがやさしくなり、測定機器の高性能化もあり、そんなわけでホワイトカラーの少人数化が進んでる。
学士をとらなくなってきたのはたぶんそのため。
それから、でかい工場を立てるといろいろと市長や知事にいろいろ便宜をはかってもらわないとならないことがあるようで、地元の雇用に貢献ってことで高卒を雇ってるという面もあるらしい。
高卒が正社員で入社してくるのに、現場の大卒の派遣が何年経っても正社員になれないのをみてると、ちょっとかわいそうに思ったりする。
やはり可哀想に思う。
高卒でそこそこ大きな会社に潜り込むチャンスがあるなら、それはそれでアリだと思う。
でも、「大卒が就職できない=高卒なら就職できる」というわけじゃない。
母親がアムウェイでものを買ってた時期があって、そのときの印象について語ってみる。
うちの母親は普段しまり屋な割に、いきなり大きな金額の買い物をするときがある。ま、許容範囲だからあんま気にしてないんだけど。そのときも大きなミキサーがいきなり台所に登場してたんでびびった。買った理由を聞くと、そのミキサーで作ってもらったかぼちゃスープがおいしかったから、自分も野菜分補給のため作って飲もうと思った、とのこと。そのお友達が今度ミキサーの使い方を教えに家に来てくれるらしい。ミキサーのメーカーをみたらアムウェイでびびった。アムウェイだからといきなり否定するのも何かと思ったので、母親に高額のものを買わせないためわたしもその場に同席することにした。アムウェイの商法に興味があったのもある(というかそれメイン)。
ミキサーを買わせたお友達Aと一緒に、アムウェイからミキサーを買ったことはあるがディストリビューター(要はアムウェイの商品売る人)ではないお友達Bが家に来て、みんなでミキサーを使って料理した。AさんとBさんはケーキを作る会のつながりで、Bさんが母親の前からの友達。Bさんはアムウェイからミキサー以外の商品(洗剤とか)も買ってはいるけど、別に取り込まれてはいない感じ。いい商品らしいので買ってるけど、ディストリビューターとかめんどくさいし程度の感覚っぽい。Aさんはバリバリ信者っぽくって、アムウェイの商品のすばらしさとか語られた。
アムウェイの鍋やミキサーで作ることのできるレシピがあって、Aさんが必要な用具を持ってくる。作ってもらった料理を自分でも作りたいなら、自分でも買いなさいっていうロジック。鍋は馬鹿高かったし、通販によくある「冷静に考えるとそんなに便利じゃないかも?」というやつだったので、わたしが引き止めるまでもなく母親は買う気がないという感じだったから、安心してみてた。
それから2回ぐらい家で料理会があったかな。母親はただで料理が習える!というのにうきうきしてたけど、だんだん乗り気じゃなくなってきた。Aさんはアムウェイのレシピはみんなおいしいっていうけど、いうほどおいしくなくない?というのがあったみたい。最後に、わたしの姉がアムウェイがマルチだというのを指摘したので、完全に手を切ったという感じかな。退会のときはBさんも一緒だったみたい。特にBさんはアムウェイ信者じゃなかったので、さっくり抜けた。
けっきょく、高額だったけどいまいち使えてないミキサーを除いては、特に金銭的な被害も精神的な被害もなかった感じ。ミキサーに関しても、それ自体はけっこういい品物なので、几帳面な人なら値段分使えると思う。通販で衝動的に変な買い物しちゃった、レベルかな。
ついでに、紹介された商品に関して、ちょっと批評してみる。ミキサーはお値段が張ったけど確かによくできてた。使いやすいしパワーもある。たださ、これってどのミキサーにもいえることなんだけど、構造が複雑だから洗うの面倒くさいんだよね。鍋は確かに高機能のようだったけど、値段に見合うかっていわれるとうーん。同機能のものがもっと安く売っている気がする。鍋はいろんな種類があって、買い始めるとぜんぶそろえたくなりそうなので、結構危険だと思う。洗剤とか油はまぁ普通に使える品だったとおもうけど、よしあしはよくわからない。アムウェイは手が荒れないのによく落ちるという宣伝文句で洗剤一押ししてるらしいんだけど、もともと母親もわたしも市販の洗剤に不満がないしな~よくわからんす。
まとめ
・そんなにあからさまで真っ黒なマルチという感じではなかった。だからこそ長く続いてるんだろうなぁ。
・商品自体の質はそこそこいいと思う。値段相応かどうかはよくわかんない。鍋は手を出さないほうがいいと思う。コレクター精神が発動すると危険。
・信者は「アムウェイのものはすべていい!」みたいになっててきもかった。
・アムウェイがマルチまがいとわかって付き合う分なら、適度な距離を保ちつつ値段に見合った気にいった商品だけを買う、というやり方もできると思う。Bさんもそんな感じだったし(彼女はマルチとは知らなかったみたいだけど、そもそもマルチにひっかかるほどまじめなタイプじゃなかった)。ただ、この手の商法にひっかかりやすい人は避けておいたほうがいいし、似たようなスペックの商品は世の中探せばあると思うので、わざわざそんなめんどくさいことする必要もないと思う。
面倒くさがり屋はいつも何かを「ウザいなー」と思っている。もっと○○だったらと思いつつ面倒くさいから手を付けない。だからそれをウザいなーと思っている。その中でも特に部屋が荒れててウザいなー、と思っているあなたに贈る、部屋の片付け方。
よく部屋の片付け方とかでモノにラベルを貼ろうとかモノをリストにして使わないものを把握しようとかそんな方法を紹介しているものがあるけれど、そんな几帳面なことが出来るんだったら元々部屋が荒れたりせんわ!と心の底から思います。そんな面倒くさがり屋な私なりの片付け方です。ヤル気があるときにやるやり方で数年かけてゴミ部屋から脱出しました。
基本は、ゴミ捨て→分類→収納です。収納は一番最後に持ってくるのがコツです。ゴミ捨て→分類のサイクルを繰り返して、必要なモノが残り置きたい場所が決まってから収納を考えましょう。最初から綺麗な収納に憧れて手をつけるのは面倒のモトです。で、モノの置き場所がちゃんと決まると、『散らからない部屋』が出来上がります。最終目標はそこです。
面倒くさい時には片付けしなくていいです。でも逆に、今日は片付けしようと思ったら時間があろうとなかろうと片付けしましょう。思い出してください。我々は面倒くさがり屋なのです。次にヤル気が起こるのはいつかはわかりません。だから、思いついたときにちょっとでもやる。短時間でもやる。それが半年に1度でもいいです。全部片付かなくてもいいです。やらないよりは前進します。さらに言えば、ちょっとでも面倒になったらすぐにやめてもいいんです。○○しなきゃ、と思ってできるのは几帳面な人。でも我々は面倒くさがり屋だからやりたいときにしかやらなくていいんです。
整理整頓とか面倒くさいです。だからまずゴミを捨てるところからはじめましょう。取っ付き易いし、お手軽に達成感も得られます。種類分類整理整頓してからゴミを捨てるのは手間の無駄です。結局ゴミを捨てたあとにまた残ったものを整頓しなければならないんですから。まずいらないものをゴミ袋に突っ込んで、口を縛って玄関に置く。明日はごみの日だから今日やって明日朝に出さなきゃ、とか几帳面なこと考えなくていいです。いつでもいいから、少しでもいいからゴミ袋に詰めて玄関に置く。そしてごみの日になったら出かけるついでにゴミ捨て場へ。
捨てるかどうか判断がつかないものは、部屋の入口近くに適当に積みましょう。で、気が向いたときに捨てればいいです。面倒くさがり屋がちょっとでも捨てようかなと思う=内心ウザいと思ってるものは捨てていいですよ。買い直しても大金にならなければ特に。ここで部屋の隅に置くのはNG。面倒くさがり屋だとそのまま数年放置になりかねません。通りがかるところに放置。部屋を出入りする度に嫌でも目に入ります。同じ放置するならこっちで。
部屋のゴミが減ってきたら自分が何を持ってるのかとかわかってきます。それをウザいと思わないように片付けるにはどうしたら良いか妄想しましょう。ウザいか否か、これが大事です。この視点を忘れて見た目の綺麗さにだけこだわると使いたいものがすぐ手に取れないウザい部屋になり、またゴミが溜まる生活に一直線です。そのモノを使うときにどうするか、それを考えたらPCの周りにはPC用品が、ゲーム機の周りには充電器とゲームソフトが、食卓の周りには食器や調味料が集まるようになります。使う場所にあるんだからテキトーに積んでるだけでもいいんです。
ここで、今は置き場がないから使うところとは離れたところにおいておこう、と思うのはNG。使うときにウザいから結局使わなくなる悪循環が待ってます。整頓や見た目は後で考えるとして、とりあえず使いやすいようにものを配置しましょう。
ここまで出来ればあらかた片付いてるはずです。また、やるならゴミを捨てるのが先と書きましたが、全てのゴミを捨て切ってから次へとか考えなくていいです。ヤル気が出た時に目についたところをちょっとでもやる、それの繰り返しでもいいですし、ヤル気があるときに一気に片付ける方法でもいいです。面倒くさがり屋といってもいろんなタイプがありますから、自分がやりやすいようにやればそれで十分です。
で、自分でいらないものは大体捨てて、使うものの置き場も大体決まったら、もうウザいとはあまり感じないはず。そうすると気持ちがすっきりします。そう感じるかどうかをひとつの目安としましょう。これで片付けは90%は終了です。そして仕上げは、見た目や使いやすさを考えた収納です。自分の予算や部屋の作り、希望にあわせて収納用品を用意して、使いやすい机周りとか綺麗な食卓とかになるようにしましょう。
また、収納用品は本当に最期まで買わないことをオススメします。片付けているうちに使えそうな収納用品が発掘されることもありますし、残すものが決まってからじゃないと適切な収納用品を用意するのは難しいと思います。
ここまで読んで、でも片付けても散らかるから一緒じゃん、と思った方もいらっしゃるでしょう。しかし、本当に片付いている部屋というのは『散らからない部屋』なのです。使うものは使う所にあるからどっかに行ったりしない。使う所に置いてあるからしまうのもすぐ。さらにこの方法だとモノの動線が出来る限り短くなるから動線が通らない場所が部屋にできる。そこは理論上散らからない場所になるのです。
それになにより、必要なモノがすぐ近くにある生活というのは面倒くさくない!
片付けができていることの利点っていうのはいろんな人が語ってますし自分の体験もそれと特に変わったところはないので割愛。まぁ使うものが使う所に置いてあるっていうのは狭い部屋でも捗りますよ、ってことで。
でも書いてみる。
几帳面なわたしは、いつも同じ電車の同じ車両の同じ位置に立っていたのですが、
しばらくすると「電車って、いつも同じ人が同じ場所に乗っているものなんだな」ということが分かりました。
そんなこんなで2週間ぐらいが過ぎたころ、いつもの車両メンバーの一人。
メガネで真面目そうなおじさんがわたしに触れてきました。
「えっ、えっと痴漢?でも、まさかね・・・・・・勘違い?」と思ったのですが、
その日は、「ああ、こういう人もいるのか・・・・・・」と驚きで、あまり勉強が手につきませんでした。
翌日、また同じおじさんがいました。
昨日はなにかの勘違いで、たまたま手があたったのかな?とも思ったのですが、
この日はハッキリとおしりの特にアナル付近をぎゅっぎゅっと押してくるようになりました。
そういったこと=性 に疎かったわたしはあまり重大なことととらえず、
恥ずかしくはありましたが、ぎゅっぎゅっと圧力を感じながら予備校へ向かう
・・・・・・そんな日々が夏の間続きました。
いつものように駅で降りると、おじさんも降りてきました。
そして話しかけられました。曰く、
・痴漢をして申し訳なかったということ。
・でも毎日痴漢をすることでスッキリして仕事に臨めたということ。
・キミが夏期講習に通っているのは分かっていたから、今日であえるのが最後と思ったということ。
・キミのようないいコはいないから、最後に思い出をつくりたい。
とまぁ、勝手なことばかりだったのですが、わたしは何をとち狂ったのか、
おじさんとはじめてのホテルへ行きました。
写真撮ってもらったりするようになったなーと、
長野の豊凶手術をした男の死体発見のニュースを見て、ちょっと昔を思い出したのでした。
という事を大抵の男は分かってくれない
4.応接間(箒→掃除機→拭き掃除X2、余計な飾り物は物置へ)
7.食器にひび、カケが無いか確認
8.グラス(もしくは湯呑み)を綺麗にする
9.台所(箒→掃除機→拭き掃除X2、水周り、棚、冷蔵庫清掃)
13.障子の破れを取り替える
14.窓を拭く
仕事明けに7時間続けて清掃して疲れた。家族が普段から片付けない人ばかりだと疲れる
ここまでしないと先代が几帳面な人だっただけに、比べられるのは必定。
汚れの見落としがあれば後でこそこそ言われるのは嫌。
15人も招いた張本人は手伝いもねぎらいの言葉もかけずに、散らかして片付けもしないし
ケーキ屋に連れて行かれかれこれ30分間、同じことの繰り替えしという拷問を耐えていた僕にとってこの言葉は完全に寝耳に水だった。待ってくれ。じゃあなぜケーキ屋に来たのか、そしてなぜその甘そうなモンブランを注文したのか、なぜそれを食べているのにそんなことを言えるのか、ぼくには全く分からなかった。
ぼくは甘いものが苦手だ。特に生クリーム系とチョコレート系は胸焼けがしてしまう。だから洋菓子を食べることは滅多にない。付き合いでそういうところに連れて行かれるのも嫌いだから、そうはっきり公言している。
「甘いものが苦手」と言うとみなが「人生損している」という。しかし、好き嫌いによって人生が損するかどうかということについては、全くの謎である。あなたの人生にとってはそうかもしれないが、ぼくの人生にとってはそうではない。むしろ、甘いものを避けて生きていけるのならばそれは幸せだろう。
しかし、彼女は言った。その言動には矛盾しかない。モバゲーが無料ですという方がまだ信用できる。苦手なものを食べに連れて行くとはどういうことなんだ、何がしたかったのか。お互いが苦手なものを克服しに行くということならばごめんだった。少なくともぼくは、彼女は甘いものが好きだと思っていたから黙ってついて行ったのだし、ケーキ屋で珈琲だけを頼むという店員からしたら首を傾げる行為を取ったのもそのためだ。
しかし、一定数で信用しない人間もいるのはまた事実だ。甘いものが苦手というのは信じられないことらしく、食わず嫌いだろ、とか、はいはいかっこつけるなって、とか言われたい放題の時もあるくらいだ。想像力の欠如はもはや害である。ややもすればこちら側がマジョリティではないばかりに不当な扱いを受けるだろうし、それに対する対応策をこちらは持たない。
同性愛者や性同一性障害者への偏見も同じことに起因する。根底は同じく根続きの感情は常に場を支配する。俺の辞書にそれは載っていない、と。男が男を愛すること、また女が女を愛すること。自分がそうではないからという理由で非難し貶し異端とみなすことは暴力性を纏った正義であるらしい。だが、そんな馬鹿げた正義がどこに存在するのだろう。
論理的必然性を持たない行為は全て愚かなのだろうか。またはそれは容認されえないのだろうか。
彼女はフォークを几帳面に置き、紅茶を一口啜ると、ゆっくりと口をひらいた。
「何で何も言わないの?」
少し意識を形而上で遊ばせていたのがなんだかよくわからなかったが、時間は過ぎていたようでその顔は少し不安とか心配みたいなものがにじみ出ているような気もしたけれど、無表情だった。どうやら甘かったのは僕のようだった。
童貞が何を語るのかという論理にもまた同様の甘さを感じる。常に優位性をもたらすとされるその考え方の背後には、女性を人間としてではなくてむしろ、女性器として見るような奇妙さを見受けられる。そしてそれは恋愛市場における需要と供給の均衡を妨げるものだと言っても過言はないと思う。童貞のどこが悪いと論を始めることは既に非童貞へのルサンチマンを排除できていない、陳腐なものに成り下がっている。(けしてちんこなものではない。)さらにいえば、風俗業への偏見の付与と排除性がないという点で 素人童貞 という言葉もできていて、これも嘲笑の的になっているのが現状だ。ここにも違和感しかない。
現実ではある子と10,000円で寝れるイケメンもいれば、いくら積んでもATMとして利用されて終わりの人もいる。しかし、風俗ではそこの境界線がない。だが、それが何をもたらすのだろう。
と聞くことは野暮なのかもしれない。けれど、これが核心をつく尤もな質問なのだと思う。ただ、この言葉を使ってしまうにはまだ早いとかそういうレベルでもない。核心をつく質問を中々口に出せないのはなぜなんだろう。
たとえば、タイプの子が目の前にいてその子と寝る手っ取り早い方法は ○○円で俺と寝ない? だろう。この○○に入れる数字は現実的であればいくらでもいい。そうだなぁ、200万とか。そして頷いたら金額交渉に入ればいい。この女は金出せば寝る女だからだ。条件次第で寝るなら金額交渉ができるから値切ることも可能かもしれない。
まだたまに勘違いをしているのは、なぜ彼女と寝るのは無料なのに風俗へ行くのかということなのかもしれないという。はて、どういうことなんだろう。彼女と寝るのには風俗に行くよりも多くの金もかかっている上に、それ以上の時間も失っている。 性行為をする ということに限っていえば、彼女は割に合わない。だから、身体目的の男はよりその価格を値切ろうとする。よりその時間を削ろうとする。
僕はカップを持ち上げ半分くらい残っていた珈琲を一気に飲み干し、その顔でついにあの言葉を言った。
「」
彼女はごちそうさまといい店から出ていった。甘さとは何を指すのだろう。珈琲にミルクと砂糖を入れて苦味を消すことが甘さを生み出すことなのだろうか。それとも甘いものそのものは毒にも薬にもならないのか。人生そのものが無駄な繰り返しの中の一部分だとしたら、その中で起こる全ての事象が無駄であり、意味を付加することの方が滑稽なのかもしれない。
そのケーキ屋に1,360円を払い一人でその足で帰路につく。どこにでもある何も言わない信号機が今日はその目に灯りをともしていなかった。
彼女の言った言葉を聞くことはもう二度とないだろう。しかし、モンブランを食べる女を見る度に、思い出すことになるのは間違いないのかもしれない。