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2011-03-22

ACCM を見ると悲しい気持ちになる現象について

東北地方大地震からまる10日。

うちは震源から遠い神奈川県民で被害もほぼゼロ、強いて言えばお店での買い物に個数制限が出来てしまったのが少し不便なぐらいで

パソコンをしながらテレビを見て「原発の話ばっかり飽きたなー」と鼻をほじる余裕があるくらい、何不自由ない日常生活を送れている。

そんな大地震の影響で、テレビ CMAC のものばかり。

子宮頸がんと乳がんCM。(関係ないけど子宮頸がんって女性の二人に一人はなるんだけど多くの人は発症しないで済むものなんだとか)

オシムが出てる脳卒中CM。(男に子宮はないから男がなりやすい脳卒中の啓発ってことなのかな)

子どもに手当てを、の CM。(セリフの順番覚えてしまった。お花作ったの、え、何、幼稚園でお花作ったの、キャーおててー……)

遊ぼうっていうとでっていう CM

思いは見えないけど思いやりは見える高校生CM

極めつけはポポポポ~ン。(これに至ってはドラッグダメゼッタイ。にしか見えない)

ACCMバンバン流れるようになってから2、3日は「しつこいなー」とイラつく程度だったんだけど、ここ2、3日はどうも俺の様子がおかしい

何というか、情緒不安定というか、CM を見ると悲しくなって、胸がキリキリと痛む。

男だけど子宮頸がんか何かにでもなったんじゃないか不安になって、同様の症状がないか家族や友達にも少し聞いてみたら、けっこう多くの人が同じ感覚になっているらしい

「なんか元気が出ない」「(震災の影響もあるのかもしれないけど) どことなく生活に閉鎖感がある」「ACCM を見ると涙が溢れそうになる」などなど。

中でも、「悲しくなる」症状は多くの人の間で共通している。

この悲しさを例えるなら、道端にいるサンドイッチマンやティッシュ配りの人を見て、「皆からティッシュ無視されて、誰からも相手にされてないのに、あの人はめげずに頑張っているなぁ…」と思うとき感覚に近い。

もしくは、電車の中で疲れた顔をしたハゲ中年サラリーマンを見て「家族のためにヘトヘトになるまで働いてるんだろうなぁ…でも家では娘にハゲキモイとか言われて報われてないのかもなぁ…」と悲しく思うときに近い。

そしてそこから「そういえば俺も両親に面倒臭がってそっけなくしたりして、ロクに親孝行もしないで迷惑かけてるなぁ…今日帰ったら、せめて優しく話しかけよう…」と切なく思うとき感覚にも似ている。

CM を見ているときに感じるのも、これらに似た、悲しさ、切なさと同時に、わずかに愛おしさも含まれた、妙な感覚である。懐かしさにも近いものがあるかも。

CM の中でも特にその悲しさを感じるのがポポポポ~ンの CM で、あの「無難子供ウケしそうなキャラクター」が笑顔で出てくる感じ、

キャラクターたちがランラランとスキップしているようなカットの「死後の世界っぽい」「この世とは思えない」「無機質な」感じ、

動物を使ったキャッチーな歌、そして長いバージョンで「おはよう」の部分だけやたら優しく歌う感じ、

それら全てが、最初はしつこさでイライラしていたのに、最近はなんだか切なく感じてしまい、

胸が (正確には喉から胃にかけての食道あたりが) キュ~ッとなるような悲しい感覚になる。

悲しくなる理由については、俺個人的には

子どもたちに挨拶のことを伝えるために、可愛らしいアニメキャラクターを使った CM にしよう!」と考えた企画者たちが、

それなりに汗水流して大変な思いをして作り上げたあの CM を「しつこい」「ウザイ」と酷評されてしまっているという事実を思うと

その企画者たちとこの作品のことを思って悲しくなる、という、先ほどの例えに近い悲しさがあるが、どうもそれだけの感覚はないようだ。

また、「遊ぼうっていうとでっていう」の BGM に流れる寂しげなピアノと、「思いやりは見える」で流れる儚げなヴァイオリンの音、

そしてそれらの CMナレーションの口調、声の音程などからも、同じような悲しい感覚が起こる。

基本的に CM の内容が明るいものはないので、全体の雰囲気が楽しげにはならないことは分かるんだけど、

この CM のしつこさのせいか、はたまた何かサブリミナルメッセージでも刻まれているのか、

意図しない部分・要素で悲しい気持ちを引き起こししまっている。

別に無理にこの感覚を共有して欲しいわけでもないし、どう言って欲しいとかも思ってないし

AC に対して文句を言うのは筋違いなのも分かってるのでそもそも何が言いたいのか分からないんだけど、

どうもなんか悲しくなって、情緒不安定になっているのある。はやく ACCM が減りますように…。

追記:(実は匿名ダイアリー投稿初めてで使い方よく分かってないので、追記でちょっと書かせてもらいます)

「しつこいと嫌だよね」

かに、「バイバーイ」って幼稚園子供がやるリサイクルCM は頻度が少ないからか嫌な感じはしてないなぁ (ロリコンではありません)。オシム子宮頸がんはま自分も「イライラレベル。思いやりとポポポポーンは完全にもうダメだ…。

寂しくなるというか、悲しくなるというか、という感覚については、サザエさん症候群で感じる不安感に近いことにも気付いた。学生生活のことや将来の就職に関する不安など、人並みな不安はあるものの、これといって深刻な悩みもないのに、何らかの不安に駆られて落ち着かなくなる感覚

CMになったら、テレビ消すとか チャンネル変えるとか。そういうスキルを身につけたほうがいいんじゃない?」

「見かけたらチャンネルを変える」という手間は現実的じゃない。あなたが実際に毎回そうしてるのだったら大変几帳面な人なんだなとは思うけど。

それと俺の場合、この症状は CM を見るたびに感じて、1分後には元通りになる、といったものではなくて、たとえ CM になってチャンネルを変えて見ずに済んだとしても、その CM がやっているという事実だけでも同じ症状を引き起こすことを、さっき発見したCM を見ること自体を回避しても、あの CM回避した、という経験が積み重なると、同じように不安感も蓄積されていく感じなんだよね。

からどうしろとかそういうつもりはないし、この感覚が分からなかったらそれで別にいいんだけど、この泣きそうになる気持ちをどこかに吐かずにはいられなかったので、友人、家族、そして匿名ダイアリーに吐き出してみた次第です

2010-12-23

校風とか企業カラーとか

大学の出身講座の教授群が全部他学科出身者に変わって3年。名前と場所は同じだが、中身は別物になってしまった。とはいえ、大学自体のカラーは未だに同じようなイメージで残っている。伝統風物詩も残ってる。

もっと凄いのは高校で、親父も同じ高校なのだが俺の時と校風は変わってないらしいいま、従兄弟が同じ高校に通っているが、やはり同じ校風だそうだ。戦前からある古い高校とはいえ、公立校である以上は校長だって定期的に変わるものだし、先生だって異動するだろう。そもそも、その校風自体教師から見れば好ましいものじゃない。こういうものはどうやって受け継がれているのだろう?地域性とかも関係するのだろうか?

さて、最近企業海外学生をとるという。別にそれに反対はしないが、いわゆる企業カラーというのは、そういった場合にも受け継がれるのだろうか?海外における日本企業の優位性は(特に工業製品のおいて)、日本人のやたら几帳面とか不必要にマニアックという特徴から生み出される実績とイメージに依るものが多かったのではないか

日本人が優れているという気はさらさら無いが、そういう特徴が有利に働いていたのは事実はないだろう。非日本人会社の中で主体となったときに、そのイメージは維持できるのか?もしくはそんなものがなくても互角に戦える、もしくは戦う覚悟がある企業がどれだけあるのだろうか。

2010-09-10

  • 1 -主文原判決及び第1審判決を破棄する。本件を大阪地方裁判所に差し戻す。理由弁護人中道武美の上告趣意のうち,第1点ないし第3点は,憲法37条違反,判例違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認の主張であり,被告人本人の上告趣意は,事実誤認の主張であって,いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。しかしながら,所論にかんがみ,職権をもって調査すると,原判決及び第1審判決は,刑訴法411条1号,3号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。1本件公訴事実及び争点本件公訴事実の要旨は,被告人は,(1)平成14年4月14日午後3時30分ころから同日午後9時40分ころまでの間に,大阪市平野区所在のマンション(以下「本件マンション」という。)の306号室のB(以下「B」という。)方において,その妻C(当時28歳。以下「C」という。)に対し,殺意をもって,同所にあったナイロン製ひもでその頸部を絞め付けるなどし,よって,そのころ,同所において,同女を頸部圧迫により窒息死させて殺害し,(2)(1)記載の日時場所において,B及びC夫婦長男であるD(当時1歳。以下「D」という。)に対し,殺意をもって,同所浴室の浴槽内の水中にその身体を溺没させるなどし,よって,そのころ,同所において,同児を溺死させて殺害し,(3)本件マンション放火しようと考え,同日午後9時40分ころ,本件マンション306号室のB方6畳間- 2 -において,同所にあった新聞紙,衣類等にライターで火をつけ,その火を同室の壁面,天井等に燃え移らせ,よって,Bらが現に住居として使用する本件マンションのうち上記306号室B方の壁面,天井等を焼損し,もって,同マンションを焼損した,というものである。被告人は,Bが子供のころにその実母E(以下「E」という。)と婚姻し,養父としてBを育て,かつては,同居するEと共に,B家族との交流があったが,Bの借金問題,女性問題等をきっかけに,本件事件当時はB家族と必ずしも良好な関係にあったとはいえず,B家族平成14年2月末に本件マンションに転居した際には,その住所を知らされなかったものである。上記(1)ないし(3)の公訴事実となっている事件は,Bの留守中に発生したもので,火災の消火活動に際してCとDの遺体が発見されたことから発覚し,捜査が進められた結果,同年11月16日に被告人逮捕され,同年12月7日に上記(1),(2)の各事実が,同月29日に上記(3)の事実が起訴された。上記公訴事実につき,検察官は,その指摘する多くの間接事実を総合すれば被告人の犯人性は優に認定できる旨主張し,被告人は,本件事件当日まで,事件現場である本件マンションの場所を知らず,事件当日及びそれ以前を含めて,その敷地内にも立ち入ったことはない,被告人は犯人ではなく無罪である旨主張した。争点は,被告人の犯人性である。2第1審判決第1審判決は,被告人の犯人性を推認させる幾つかの間接事実が証拠上認定できるとした上,これらの各事実が,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めているとして,結局,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な- 3 -疑いをいれない程度に証明がなされているとし,ほぼ上記公訴事実と同じ事実を認定し,被告人無期懲役に処した(検察官求刑死刑)。この間接事実からの推認の過程は,以下のようなものである。(1)被告人は,本件事件当日である平成14年4月14日,仕事休みであり,午後2時過ぎころに自宅を出て,自動車に乗って大阪市平野区方面へ向かい,同日午後10時ころまで同区内ないしその周辺で行動していたことが認められるが,さらに,以下のアないしオを併せ考えると,被告人が,同日に現場である本件マンションに赴いたことを認定することができる。ア本件マンション道路側にある西側階段の1階から2階に至る踊り場の灰皿(以下「本件灰皿」という。)内から,本件事件の翌日にたばこの吸い殻72本が採取されたが,その中に被告人が好んで吸っていた銘柄(ラークスーパーライト)の吸い殻が1本(以下「本件吸い殻」という。)あり,これに付着していた唾液中の細胞DNA型が,被告人の血液のDNA型と一致していること,このDNA型一致の出現頻度は1000万人に2人という極めて低いものであること,本件事件の火災発生後,程なく警察官による現場保存が行われたことなどから,被告人が,本件事件当日あるいはそれまでの間に事件現場である本件マンションに立ち入り,本件灰皿に本件吸い殻を投棄したことが動かし難い事実として認められる。イ本件事件当日午後3時40分ころから午後8時ころまでの間,被告人が当時使用していた自動車と同種・同色の自動車が,本件マンションから北方約100mの地点に駐車されていたと認められる。ウ被告人自身が,捜査段階において,本件事件当日に自己の運転する自動車を同地点に駐車したことを認めていた。- 4 -エ本件事件当日午後3時過ぎないし午後3時半ころまでの間に,本件マンションから北北東約80mに位置するバッティングセンターにおいて,被告人によく似た人物が目撃されたと認められる。オ被告人自身,本件事件当日はBないしB宅を探して平野区内ないしその周辺に自動車で赴いたことを自認しており,これは信用できる。(2)他方,動機面についても,以下のアないしウの点などから,被告人は,本件事件当時,背信的な行為をとり続けるBに対して,怒りを募らせる一方,後記のような自分からの誘いを拒絶した上で,Bと行動を共にし,被告人の立場から見ればBに追随するかのような態度を見せていたCに対しても,同様に憤りの気持ちを抱くようになったことが推認できる。そうすると,Cとの間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったということができる。そのような事情を有していた被告人が,本件事件当日,犯行現場に赴いたことは,被告人の犯人性を強く推認させるものである。ア平成13年10月1日から同月24日まで,C及びDは,被告人宅で同居生活を送ったが,そのころ,被告人は,Cに対し,恋慕の情を抱いており,性交渉を迫る,抱き付く,キスをするなどの行為に及んだことがあった。イしかし,Cは,被告人からの誘いを拒絶し,被告人宅から被告人に告げることなくBの下へ戻った上,Bと行動を共にするようになり,被告人との接触を避けてきた。ウ被告人は,Bの養父ないし保証人として,Bの借金への対応に追われていたが,Bは,被告人に協力したり,感謝したりすることをせず,無責任かつ不誠実な- 5 -態度をとり続けていた。(3)被告人は,本件事件当日の夕方,朝から仕事に出ていたEを迎えに行く約束をしていたにもかかわらず,特段の事情がないのにその約束をたがえ,C及びDが死亡した可能性が高い時刻ころに自らの携帯電話の電源を切っており,Eに迎えに行けないことをメールで伝えた後,出火時刻の約20分後に至るまでの間同女に連絡をとっていないなど,著しく不自然な点があるが,これらについては,被告人が犯人であると考えれば,合理的な説明が可能であり,得心し得るものである。(4)このほか,被告人の本件事件当日の自身の行動に関する供述は,あいまいで漠然としたものであり,不自然な点が散見される上,不合理な変遷もみられ,全体として信用性が乏しいものであって,被告人は,特段の事情がないのに,同日の行動について合理的説明ができていない点がある。また,Cは,生前,在宅時も施錠し,限られた人間が訪れた際にしかドアを開けようとしなかったこと,本件の犯人が2歳にもならないDを殺害しているのは口封じの可能性が高いこと,犯人が現場放火して徹底的な罪証隠滅工作をしていることなどから,本件犯行は被害者と近しい関係にある者が敢行した可能性が認められる。これらの各事実も,被告人の犯人性を推認させるものである。(5)以上の事実を全体として考察すれば,被告人が本件犯行を犯したことについて合理的な疑いをいれない程度に証明がなされているというべきである。(6)なお,被告人は,本件事件当日に本件マンション敷地内に入って階段を上ったことがある旨認める供述をした被告人平成14年8月17日付け司法警察員に対する供述調書(乙14)について,警察官から激しい暴行を受けたために内容もよく分からないまま署名したと主張するが,同供述調書の供述内容には任意性及- 6 -び信用性が認められ,これによっても,被告人の犯人性が肯定されるという上記判断が更に補強されることになる。3原判決この第1審判決に対し,被告人は,訴訟手続の法令違反,事実誤認を理由に控訴し,検察官は,量刑不当を理由に控訴した。原判決は,被告人控訴趣意のうち,前記司法警察員に対する供述調書(乙14)には任意性がなく,これを採用した第1審の措置が刑訴法322条1項に反しているという訴訟手続の法令違反の主張について,そのような訴訟手続の法令違反があることは認めつつ,事実誤認の主張については,第1審判決の判断がおおむね正当であり,同供述調書を排除しても,被告人が各犯行の犯人であると認めた第1審判決が異なったものになった蓋然性はないのであるから,この訴訟手続の法令違反が判決に影響を及ぼすことの明らかなものとはいえないとした。その上で,検察官の主張する量刑不当の控訴趣意に理由があるとして,第1審判決を破棄し,第1審判決が認定した罪となるべき事実を前提に,被告人死刑に処した。4当裁判所の判断しかしながら,第1審の事実認定に関する判断及びその事実認定を維持した原審の判断は,いずれも是認することができない。すなわち,刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要であるところ,情況証拠によって事実認定をすべき場合であっても,直接証拠によって事実認定をする場合と比べて立証の程度に差があるわけではないが(最高裁平成19年(あ)第398号同年10月16日第一小法廷決定・刑集61巻7号677頁参照),直接証拠がないのであるから,情況証拠によって認められる間接事実中に,- 7 -被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。ところが,本件において認定された間接事実は,以下のとおり,この点を満たすものとは認められず,第1審及び原審において十分な審理が尽くされたとはいい難い。(1)第1審判決による間接事実からの推認は,被告人が,本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実を最も大きな根拠とするものである。そして,その事実が認定できるとする理由の中心は,本件灰皿内に遺留されていたたばこの吸い殻に付着した唾液中の細胞DNA型が被告人の血液のそれと一致したという証拠上も是認できる事実からの推認である。このDNA型の一致から,被告人が本件事件当日に本件マンションを訪れたと推認する点について,被告人は,第1審から,自分がC夫婦に対し,自らが使用していた携帯灰皿を渡したことがあり,Cがその携帯灰皿の中に入っていた本件吸い殻を本件灰皿内に捨てた可能性がある旨の反論をしており,控訴趣意においても同様の主張がされていた。原判決は,B方から発見された黒色の金属製の携帯灰皿の中からEが吸ったとみられるショートホープライトの吸い殻が発見されていること,それはCなどが被告人方からその携帯灰皿を持ち出したためと認められること,上記金属製の携帯灰皿のほかにもビニール製の携帯灰皿をCなどが同様に持ち出すなどした可能性があること,本件吸い殻は茶色く変色して汚れていることなどといった,上記被告人の主張を裏付けるような事実関係も認められるとしながら,上記金属携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,Eの吸い殻を残して被告人の吸い殻だけが捨て- 8 -られることは考えられないからその可能性はないとした。また,ビニール携帯灰皿を経由して捨てられた可能性については,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻は通常押しつぶされた上で灰がまんべんなく付着して汚れるのであるが,本件吸い殻は押しつぶされた形跡もなければ灰がまんべんなく付着しているわけでもないのであり,むしろ,その形状に照らせば,もみ消さないで火のついたまま灰皿などに捨てられてフィルターの部分で自然に消火したものと認められること,茶色く変色している点は,フィルターに唾液が付着して濡れた状態で灰皿の中に落ち込んだ吸い殻であれば,翌日採取されてもこのような状態となるのは自然というべきであることから,その可能性もないとした。しかし,ビニール携帯灰皿に入れられた吸い殻が,常に原判決の説示するような形状になるといえるのか疑問がある上,そもそも本件吸い殻が経由する可能性があった携帯灰皿がビニール製のものであったと限定できる証拠状況でもない(関係証拠によれば,B方からは,箱形で白と青のツートーンの携帯灰皿も発見されており,これはE又は被告人のものであって,Cが持ち帰ったものと認められるところ,所論は,この携帯灰皿から本件吸い殻が捨てられた可能性があると主張している。)。また,変色の点は,本件事件から1か月半余が経過してなされた唾液鑑定の際の写真によれば,本件吸い殻のフィルター部全体が変色しているのであり,これが唾液によるものと考えるのは極めて不自然といわざるを得ない。本件吸い殻は,前記のとおり本件事件の翌日に採取されたものであり,当時撮影された写真において既に茶色っぽく変色していることがうかがわれ,水に濡れるなどの状況がなければ短期間でこのような変色は生じないと考えられるところ,本件灰皿内から本件吸い殻を採取した警察官Fは,本件灰皿内が濡れていたかどうかについて記憶は- 9 -ないが,写真を見る限り湿っているようには見えない旨証言しているから,この変色は,本件吸い殻が捨てられた時期が本件事件当日よりもかなり以前のことであった可能性を示すものとさえいえるところである。この問題点について,原判決の上記説明は採用できず,その他,本件吸い殻の変色を合理的に説明できる根拠は,記録上見当たらない。したがって,上記のような理由で本件吸い殻が携帯灰皿を経由して捨てられたものであるとの可能性を否定した原審の判断は,不合理であるといわざるを得ない(なお,第1審判決が上記可能性を排斥する理由は,原判決も説示するように,やはり採用できないものである。)。そうすると,前記2(1)イ以下の事実の評価いかんにかかわらず,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いたという事実は,これを認定することができない。(2)ところで,本件吸い殻が捨てられていた本件灰皿には前記のとおり多数の吸い殻が存在し,その中にはCが吸っていたたばこと同一の銘柄(マルボロライト金色文字〕)のもの4個も存在した。これらの吸い殻に付着する唾液等からCのDNA型に一致するものが検出されれば,Cが携帯灰皿の中身を本件灰皿内に捨てたことがあった可能性が極めて高くなる。しかし,この点について鑑定等を行ったような証拠は存在しない。また,本件灰皿内での本件吸い殻の位置等の状況も重要であるところ,吸い殻を採取した前記の警察官にもその記憶はないなど,その証拠は十分ではない。検証の際に本件灰皿を撮影した数枚の写真のうち,内容が見えるのは,上ぶたを取り外したところを上から撮った写真1枚のみであるが,これによって本件吸い殻は確認できないし,内容物をすべて取り出して並べた写真も,本件吸い殻であることの確認ができるかどうかという程度の小さなものである。さら- 10 -に,本件吸い殻の変色は上記のとおり大きな問題であり,これに関しては,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を捨てたとすれば,そのときから採取までの間に水に濡れる可能性があったかどうかの検討が必要であるところ,これに関してはそもそも捜査自体が十分になされていないことがうかがわれる。前記のとおり,本件吸い殻が被告人によって本件事件当日に捨てられたものであるかどうかは,被告人の犯人性が推認できるかどうかについての最も重要な事実であり,DNA型の一致からの推認について,前記被告人の主張のように具体的に疑問が提起されているのに,第1審及び原審において,審理が尽くされているとはいい難いところである。(3)その上,仮に,被告人が本件事件当日に本件マンションに赴いた事実が認められたとしても,認定されている他の間接事実を加えることによって,被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明できない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が存在するとまでいえるかどうかにも疑問がある。すなわち,第1審判決は,被告人が犯人であることを推認させる間接事実として,上記の吸い殻に関する事実のほか,前記2(2)ないし(4)の事実を掲げているが,例えば,Cを殺害する動機については,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったというにすぎないものであり,これは殺人の犯行動機として積極的に用いることのできるようなものではない。また,被告人が本件事件当日携帯電話の電源を切っていたことも,他方で本件殺害行為が突発的な犯行であるとされていることに照らせば,それがなぜ被告人の犯行を推認することのできる事情となるのか十分納得できる説明がされているとはいい難い。その他の点を含め,第1審判決が掲げる間接事実のみで被告人を有罪と認定することは,著しく困難であるといわざるを得ない。- 11 -そもそも,このような第1審判決及び原判決がなされたのは,第1審が限られた間接事実のみによって被告人の有罪を認定することが可能と判断し,原審もこれを是認したことによると考えられるのであり,前記の「被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは,少なくとも説明が極めて困難である)事実関係」が存在するか否かという観点からの審理が尽くされたとはいい難い。本件事案の重大性からすれば,そのような観点に立った上で,第1審が有罪認定に用いなかったものを含め,他の間接事実についても更に検察官の立証を許し,これらを総合的に検討することが必要である。5結論以上のとおり,本件灰皿内に存在した本件吸い殻が携帯灰皿を経由してCによって捨てられたものであるとの可能性を否定して,被告人が本件事件当日に本件吸い殻を本件灰皿に捨てたとの事実を認定した上で,これを被告人の犯人性推認の中心的事実とし,他の間接事実も加えれば被告人が本件犯行の犯人であることが認定できるとした第1審判決及び同判決に審理不尽も事実誤認もないとしてこれを是認した原判決は,本件吸い殻に関して存在する疑問点を解明せず,かつ,間接事実に関して十分な審理を尽くさずに判断したものといわざるを得ず,その結果事実を誤認した疑いがあり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであって,第1審判決及び原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。よって,弁護人中道武美の上告趣意第4点について判断するまでもなく,刑訴法411条1号,3号により原判決及び第1審判決を破棄し,同法413条本文に従い,更に審理を尽くさせるため,本件を第1審である大阪地方裁判所に差し戻すこととし,裁判官堀籠幸男の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文の- 12 -とおり判決する。なお,裁判官藤田宙靖,同田原睦夫,同近藤崇晴の各補足意見,裁判官那須弘平の意見がある。裁判官藤田宙靖の補足意見は,次のとおりである。私は,多数意見に賛成するものであるが,本件において被告人を犯人であるとする第一審判決及びこれを支持する原判決の事実認定の方法には,刑事司法の基本を成すとされる推定無罪の原則に照らし重大な疑念を払拭し得ないことについて,以下補足して説明することとしたい。1第一審判決及び原判決が,被告人を本件の犯人であると認定した根拠は,基本的には,以下のような点である。(1)被告人が当日現場マンションに立ち入ったことを証する幾つかの間接証拠が存在すること。(2)被告人被害者らを殺害する動機があったとまでは認定できないが,被害者Cとのやり取りやそのささいな言動をきっかけとして,同人に対し怒りを爆発させてもおかしくはない状況があったこと。(3)第三者の犯行を疑わせる状況は見当たらないこと。(4)被害者らの推定死亡時刻頃における被告人アリバイはなく,また,この点についての被告人供述あいまいであり,不自然な変転等が見られること。(5)これらの事実は,それ自体が直接に被告人が犯人であることを証するものではないが,これらを総合して評価すると,相互に関連し合ってその信用性を補強し合い,推認力を高めていること。しかし,これらの根拠は,以下に見るとおり,いずれも,被告人が犯人であることが合理的な疑いを容れることなく立証されたというには不十分であるというほか- 13 -ないように思われる。2(1)被告人が当日現場マンションに赴いた事実を証するとされる間接事実は,仮にこれらの事実の存在が証明されたとしても,そのいずれもが,公訴事実自体とはかなり距離のある事実であり,いわば間接事実のまた間接事実といった性質のものであるに過ぎない。例えばまず,被告人が当時使用していた車(白色のホンダストリーム)と同種・同色の車が事件発生時刻を挟んだ数時間現場の近くの商店前の路上に長時間にわたって駐車されていたという事実は,必ずしも,被告人が使用していた車そのものが駐車されていたという事実を証するものではない。また,近所のバッティングセンターにおいて被告人ないし被告人とよく似た男が目撃されたという事実についても,そのこと自体は,あくまでも,被告人現場マンションの近くにいたという事実を証するものであるに過ぎない(被告人は,具体的な場所については特定できないものの,当日現場マンションの近くに赴いたこと自体は,必ずしも否定してはいないのである)。このような状況にある以上,上記二つの事実は,当日被告人が犯行現場に赴いたということをより積極的に推測させる証拠がある場合にそれを補強する機能しか持ち得ない筈のものと思われるが,そのような積極的証拠としての役割を持たされているのは,唯一,現場マンションの犯行現場に通じる階段の踊り場の灰皿内から発見されたたばこの吸い殻から,鑑定により被告人のものと一致するDNA型が発見されたという事実である。しかし,多数意見も詳細に指摘するとおり,問題のたばこの吸い殻が,発見された際の状況等に照らして,間違いなく被告人が当日当該灰皿の中に投棄したものと推認できるか否か(被告人の吸い殻が入った携帯灰皿をCが過日同マンションに持ち帰り,本件当日以前にCが当該灰皿に投棄した可能性が- 14 -あるという論旨に対し,そのようなことはおよそあり得ないとまで言えるか)については,少なくともそのように断言することはできないように思われる。以上要するに,上記の各間接事実の存在によって,被告人事件当日現場マンションを訪れたという事実については,その可能性が相当の蓋然性を以て認められること自体は否定できないが,その事実自体を証拠上否定できないとまでいうことはできない。更に,仮にこの事実の存在が認定されたとしても,公訴事実との関係では,(被告人がこの点に関し虚偽の供述をしていることが判明したという事実をも含め)それ自体が一つの間接事実に過ぎないのであって,被告人の有罪認定の根拠としては,未だ強力な証明力を有する事実とまでいうことはできない。(2)犯行の動機につき,第一審判決及び原判決においては,被告人にCを殺害する動機があったとまでいうことはできないにしても,同女との間のやり取りや同女のささいな言動など,何らかの事情をきっかけとして,Cに対して怒りを爆発させてもおかしくない状況があったという事実が,単独ではその推認力には限界はあるものの,被告人の犯人性に関する積極方向の間接事実であると指摘されている。しかし,このように一般的抽象的な状況のみで,当日被告人とCとの間にどのような具体的事実があったのかについておよそ認定されることなく,これを被告人有罪の積極的根拠として用いることについては,疑問を禁じ得ない。すなわち,動機についても,原判決認定に係る事実のみでは,せいぜい,本件犯行の一般的な可能性があることを否定できない(動機があり得ないとは言えない),という程度の証明力しか無いように思われるのである。また,仮にCに対する犯行の動機を,上記のようにその場における突発的な激情ないし憤激(の可能性)に見出すとしても,そこから更に進んで,証拠隠滅目的のために被告人が日頃可愛がっていた(わずか- 15 -1歳10か月に過ぎない)被害者Dの殺害にまで至ったという説明についても,十分な説得力があるものとは言えない。(3)第三者の犯行可能性について第一審判決がこれを否定する根拠は,いずれも,例えば宅配便郵便配達を装った通り魔殺人の可能性を排除するものとして,必ずしも説得的であるとは言えない。なお,本件における捜査のあり方に関しては,本件マンションに立ち入ったことを自供した被告人平成14年8月17日付の供述調書(乙14号証)につき,原判決もまたその任意性を否定せざるを得なかったことに示唆されているとおり,その適法性につき疑念を抱かせる点が無いとは言えないのであって,捜査陣が,捜査の早い段階から被告人が犯人であると決め付けて,その裏付けとなりそうな事実のみを集め,それ以外の事実については関心を持たなかった(切り捨てた)のではないかという上告論旨の指摘も,全く無視することはできないというべきである。(4)被告人の当日の行動についての説明には,極めてあいまいなものがあり,とりわけ,当日立ち寄った場所に関し,一つとして確定的なことを述べていないという点は,大いに不審を抱かせる事実であると言わざるを得ない。しかし,であるからといって,そのこと自体が被告人を犯人と推認させる決定的な事実となるわけではなく,やはり可能性を否定し得ないというだけのことでしかない。また,原判決が重視する,被告人が犯行時刻頃に携帯電話の電源を切っていたという点については,もしこの事実が被告人の本件犯行を裏付ける事実というのであれば,被告人の犯行は計画的なものであり,それが故にこそ前以て電源を切っていた,ということになる筈であると思われるが,本件の犯行が(未必の故意をも含め)予め計画されたものであるとは全く認定されていないのであって,むしろ,上記のように,現- 16 -場におけるCとの接触の中での突発的・偶発的な殺意によるものであると推測されているのである。果たして,そのような犯行状況の下で携帯電話の電源を切るというような冷静な行動に出ることが,容易に想定され得るであろうか。なお,仮にこの事実が,必ずしも被告人の本件犯行そのものではなく,被告人被害者宅を訪れること自体を秘する目的であったことを裏付けるものとして引き合いに出されているのであるとしても,バッテリーの消費をセーブするために携帯電話の電源を一時切るという行為自体は必ずしも奇異な行動とは言えない上,そもそも当日被告人被害者宅を探すために行動していたこと自体は,当初から,特に秘されていたわけではないのであって,それにも拘らず急遽携帯電話の電源を切ることとなったのは何故かについては,第一審及び原審において,なんら明確な認定がされておらず,全ては,被告人が犯人であることを前提とした上での推測に基づくものでしかない。のみならず,仮にそうした事実が認められるとしても,被告人被害者宅を訪れたという事実自体,本件犯行との関係では一つの間接事実としての位置付けを与えられるものでしかないことは,先に見たとおりである。(5)第一審判決及び原判決は,上記の各間接事実について,その一つ一つについては,それだけで被告人有罪の根拠とすることはできないものの,これらを「総合評価」すれば合理的疑いを容れる余地なく被告人有罪が立証されているとする。私もまた,このような推論が一応可能であること自体を否定するものではない。ただ,本件における各間接事実は,その一つ一つを取って見る限り,上記に見たように,さほど強力な根拠として評価し得るものではなく,たばこの吸い殻のDNA型を除いては,むしろ有罪の根拠としては薄弱なものであるとすら言えるのではないかと思われる。本件において認定されている各事実は,上記に見たように,いずれ- 17 -も,被告人が犯人である可能性があることを示すものであって,仮に被告人が犯人であると想定すれば,その多くが矛盾無く説明されるという関係にあることは否定できない。しかし一般に,一定の原因事実を想定すれば様々の事実が矛盾無く説明できるという理由のみによりその原因事実が存在したと断定することが,極めて危険であるということは,改めて指摘するまでもないところであって,そこで得られるのは,本来,その原因事実の存在が仮説として成立し得るというだけのことに過

2010-07-12

文化食文化というわかりやすさ

仕事の関係で海外で暮らしている。現地では数少ない日本人駐在員という立場で、社員の数は日本人より現地人のほうが多い。当然、現地で暮らすわけだから現地の文化を受け入れてやっていくしかないということはわかっている。腹が立つこともたくさんあるけれど、日本人几帳面すぎるんだと思ってある程度は我慢している。そんな中でただ一つ納得いかないことがある。

それは、ご飯をよく食べるかどうかで現地の文化を受け入れられているかを判断されること。俺は基本的に日本食以外のご飯が好きじゃない。そりゃあ接待とかだったら「美味しいです」なんてにっこり笑顔で言えるぐらいの常識は備わっているが、こっちに来てそこそこ経つのに同僚の前でまで我慢して現地食を食べたいとは思わない。できれば飯抜きでいいくらいだ。俺がちょっとでもご飯を残すと、現地の社員は「またおまえは食えないのか?いい加減慣れろよ」なんて言ってくる。

俺と反対にもう一人の日本人駐在員はなんでも食べる。ばくばく食べる。だから現地社員も俺とそいつを比べて「ほら、こいつはちゃんと食べてるだろ」って言う。しるか。まあ、納得いかないにしろそいつがご飯をしっかり食べてるのはすごいと思う。でも俺は食べたくてもダメなんだよ。別に努力しなかったわけじゃない。

いや、ここまではいいんだよ。俺はご飯が食べれない。あいつはご飯が食べられる。どっちが現地の文化を受け入れているかって、この時点ではそりゃあ俺じゃない。だが、そいつはご飯以外の文化を受け入れているとは言い難い。だから俺は納得いかない訳だ。具体的に例を出すと、交通機関の使い方。俺はなんでも使う。電車でもバスでもタクシーでも、経費と相談して効率のいい乗り物を選択している。ところが飯はばくばく食べるそいつは通勤にすらタクシーを使ってる。しかも経費でだ。理由を聞くと「地下鉄は混んでるし、バスは乗り方がわからん」と言う。他にもたくさんある。

とまあ、ここでどれだけ言おうが、文化といえば一番わかりやすいのが食文化だ。それに順応しているかどうかで判断されるのは仕方無いのかもしれない。これからも俺は文化を受け入れられていない人間で、あいつは文化を受け入れている人間という評価になるのだろう。本当にくだらない悩みだ。でも、ただ悲しかったから書いた。

2010-03-19

長い夜を越えて、びっこを引き引き歩くということ。

振り返ってみると、私の父と母はあまり折り合いが良くなかった。だいたい顔を合わせると罵り合っていたように思う。共産党の専従だった父は実に「野党精神」旺盛な人で、家庭のことで何か気に食わないことがあると(家庭を顧みない自分差し置いて)いつも母を詰った。共産党員らしい几帳面さで問題点を洗い出して問い詰める父に、血の滲むような努力仕事家事を両立し、暮らしを支えてきた母は激昂し、時には皿が飛び交うような諍いを繰り返した。それに自分がどう反応していたのかはよく思い出せない。子供なりの頓珍漢なやり方で、父や母に何か気を使っていたような気がする。(帰ってくると笑顔でお帰りを言いに行く、積極的に肩揉みをする等)ともあれ、そういう諍いに巻き込まれるのは恐ろしいことで、彼らのご機嫌をとることが生活の指針になっていたことは覚えている。概ね幼少の頃は良い子であろうとした(客観的にはともかく、主観的には)。

父はおよそ仕事に熱中する人であったが、家庭内のことに無関心というわけではなく、むしろほんの些細な出来事にまで拘り、様々な形で命令を発し、物事を支配しようとした。家庭は彼の王国だったと言ってよい(いや、人民共和国と言うべきなのか)。彼の築いてきた学歴と自信に比して、彼の党内での立場というのは実に弱々しいものであったようで、それを埋め合わせようという願望もあったのかもしれない。家庭内のどんなものにも彼は権力を振るいたがったし、自由にさせていることであっても、不満が感じられたときにはいくらでも介入し、彼の満足行くように改めさせた。彼はまさしく闘士だった。向かう方向はまるで見当違いだったが。それでも、彼が母や子供暴力を振るうことが(記憶にある限り)さしてなかったことは、彼の美徳と言っても良いかなとは思う。しかし、彼が子供自分自我を分離できなかったことは、子供の成長に大きな悪影響を与えたと私は確信している。子供が何をやりたいか、ではなく、父が何をやらせたいか、子供が何に不満を感じているか、ではなく、父が何に不満を感じているか、それだけが問題になった。そこから子供が外れようとすれば、恐ろしい査問が始まることになる。今でも、そうやって査問を受けたときに感じた恐怖と屈辱の念は忘れられない(ただ、彼がそのように振舞わざるを得なかった背景について整理して考えると、彼を非難する気持ちはどんどんしぼんでいってしまう。結局、彼もまともな家庭で育っていないのだ)。私よりも数段優秀だった上の兄弟が某国立大学受験に失敗して、それでも某有名大学に入ったときの騒ぎなど、見ているこちらまで頭がどうかしてしまうぐらいだった。優秀であっても、努力をしても、結果は真っ黒に塗り潰されている――彼との生活から、私はそういうメッセージを受け取った。

一方、母は「みんな我慢している。楽な生活なんてない」と子供たちを叱った(今でもたまに口にする)。私は恐ろしかった。超人努力で家庭を支え、苦しみに堪え、そして報われずに生きる母の姿には、まるで生きる希望も喜びも見出せなかったからだ。正直、その言葉は、子供を教え導くためというより、家庭内で一番我慢を強いられてきた彼女自我を守るためのものだったように思う。(「私はあなたのようには生きられない」と訴えたときの母の怒りたるや、凄まじいものだった。状況に押し潰されて、意味を考える暇もなく「我慢」の結婚生活を強いられてきた彼女には、「我慢したくない」「我慢に何の意味があるのか」という主張は自分人生の否定にしか映らなかったのだろう。)そういう潜在意識の透けて見える姿で、子供たちに「我慢」をさせようとする母は、とてもとても恐ろしかった。今でも、我慢するしかない、という言葉を聞くと、自分の中で、明日へ希望が全く消え失せていくのが分かる。「明けない夜はない」でなく「明けない夜を生きていけ」という教えには、人から長期的展望を奪い、刹那的生き方へと誘導する力があるのではないかと思う。私は何か希望が欲しかった。結局縋る先は間違えた訳だけれども。

奇行が目立つ子供だった私は友達も少なく、専ら空想の世界に親しんで暮らした。願望を実現するために計画を立てて行動する、という発想もなく、誰かがいつか自分を拾い上げて夢の国に連れて行ってくれることを待ち望んでいた(当然、そんなものは実現しない)。現実に対して何か求めても無駄、何かやってみようとするだけ無駄、という無力感と、両親の叱責に対する強い恐怖感に私の思考も行動も拘束されきっていたのだと思う(流行玩具を持っていない私を不憫がって、友人が「余りをあげる」と申し出てくれたときも「両親が怒るかもしれないから」と断ってしまうぐらいには)。もちろんそのような抑圧の下にあっても、子供らしく欲しい物を求めることはあったし、客観的に見れば我侭としか言いようのない要求もしてきたと思う。だが、そうした要求を口に出すことにハードルがあったし、また、そうした要求が聞き入れられることにもまた、高いハードルがあったし、要求が聞き入れられても、「聞き入れてやったこと」の恩に応えるよう求められ続ける、というさらに高いハードルがあった。無論、共働きにも関わらず決して豊かとは言えなかった我が家の台所事情を考えれば、何でも子供の求めたものを買う、なんてことはできっこなかった。だから、ことあるごとにカネ・カネ・カネと言われたのも止むを得ないところはある。ただ、父や母の不和と、それが生み出す強い緊張感、暗黙の強い要求と支配は、子供自分自身の財産(小遣いやらお年玉やら)をどう使うか、という計画性や、正常な欲求の発達までも妨げたと思っている。どんなものに、どんな風にお金を使うのか。どう資産運用するか。どう節約するか。何に使うか。そのことについて子供の頃に落ち着いて考え、学ぶことができた人のことを、私は羨望している。もちろん、必要を感じたなら今からでもやるしかないことではある。ただ、願望や欲求の正常な発達なしに、必要性だけでそれを手に入れようとすることはとても難しい。

私は小学校から中学校に至るまで、勉強だけはよく出来た。きちんとした学習の習慣があったわけではなく、単純にそういう方面に適性があったのだろう。テストの点数以外のあらゆる要素において、私はほとんど完全な劣等生と言ってよかった(宿題は全くやらない。ノートも全くとらない。授業中に騒ぎ出す、他の生徒と流血沙汰を起こす、等々)。行動・努力することに対する無力感と、テストの高い点数が自分自身の可能性を証明しているかのような小児的全能感とのせめぎあいが、私を同級生達と比べて圧倒的に情緒不安定で幼い人間としていた。私には何の目的も方向性もなかった。自分がどんなことをやりたいと思うか、そのためにどう努力するべきか、そういう意識は全くなく、ただ目の前にある面白いことに飛びついていただけだった。中学・高校以降はさらに反抗精神が加わり、叱責されたことに対する敵意と憎悪と、命令に対するボイコットがそれに加わる。私は自分の意思が奪われることに強い憎しみを持ち、それに抵抗した。実際に論理立てて主張をするなどの一部の行動は、それなりにまともな態度だったと評価することもできるが、「私の現在未来は、彼らが自由にできる物ではない」と訴えるために、私自身の現在未来の可能性を自ら破壊したことは、実に実りのない行為だったとしか言いようがない。結果は当然惨憺たるものに終わった(せめて前者の比較的穏健な訴えが当時もう少し受け入れられていれば、と思うときもあるが、それはこういう結果を招いた私自身の責任を軽くしようという、下種な欲望の表れなのだろう。私がそのような道を選んだことの責任は免れ得ない)。

本当は、両親に何かを期待するのではなく、正確に現状を認識し、自分自身の能力でそういう状況を切り拓き、逃れ、先へ進むための方策を考えるべきだったのだと思う。しかし、私には出来なかった。自分の願望を達成するために、自らの意志で計画を練り、主体的に行動していくこと、そこからフィードバックを得て、自分自身を変革し、成長していくこと、こうしたやり方から遠く離れた生き方を選んでしまった。そのことが、今も自分人生に大きな影を落としている。そうできる可能性がなかったわけじゃない。高校時代にはそれを達成することが出来たかもしれない出来事や、出会いがあった。多分、妄想や空想でない希望があった。しかし私はそれを生かすことが出来なかった、それどころか、気付いてすらいなかった。そして、その失敗を乗り越えることなく無駄人生を続けてきた。今更そう理解することで、私は過去から復讐を受けているような気持ちに苛まれる。今からでもあの希望に立ち返って、取り戻すことが出来たなら。それがもうとっくに手遅れで、今や子供の頃に散々お世話になった妄想とほとんど変わらないしろものだと分かっていても、そういう蜃気楼みたいな希望に縋らなければ、今は前に進む気力すら保つことが困難なのだ。

だが、そうやって、取り戻せない過去に縋りつく自分の姿はあまりにも亡霊じみていて、客観的に自分省みる度に、鋭い痛みが走る。幻を支えにする自分の耳元で、お前はもっと建設的に、現実的に生きなければならない、と理性が囁く。多分それは正しい判断なのだけれども、私には、その囁きがおぞましいものにしか聞こえない。その声が、かつて両親が私を縛り付けた言葉を思い起こさせるからだ。親が私を支配し、縛るために使った言葉と、私自身が自分自身の意思と判断で下すその言葉は同じ手段を示していようと、同じものではない、理屈ではそう分かっていても、どうしようもない無力感に、呑みこまれそうになる。私は、どこにも逃れることができず、多分このまま檻の中で一生を終えるのだという確信

もちろん、わざわざ自己憐憫めいた口を利くまでもなく、こんなことは世間にありふれているということはよく知っている。私はその中の、ごくつまらない例の一つにすぎない。もっと建設的に、もっと現実的に、もっと合理的に生きなければならない。さもなければ、明確な意思と主張をもって戦い抜くか、死ぬか。私には後者をやるほどの強さがない。よりよく生きなければならない。嗚咽はどこかに押し込めて。古傷はどこかに包み隠して。自己憐憫はどこかに放り捨てて。そして如何にも楽しげに。人生を満喫しているような素振りで。きっとうまく騙せるはず。

不具合を抱えながら、私は私を騙し騙し動かしている。オーバーホールできる場所まで走り続けられるのか。途中でエンコしてのたれ死ぬことになるのか。死ぬまで騙し騙し動かし続けることになるのか。恐らくは三つ目を選ぶことになろう。多分、世間に一番多いのもそれだ。そういう人生にも、そういう人生を送る人物にも、私は価値を見出すことが出来ないが、そういう人生も、そういう人生を送る人物も、痛ましいなとは思う。恐らく、もっと苦しい状況を生き延び、自己実現を果たした人々にとっては鼻で笑うような話だろう。いや、是非鼻で笑っていただきたい。勝利はあなたたちのものだ。心から、それを祝福したい。私はその隣を、びっこを引きながらとぼとぼ歩く。時折、同じ道を歩く者同士が石を投げ合うのを見る。「不幸な自分をそんなに哀れんでもらいたいか、乞食め」と。何もかもがひどく虚しいが、そう思うことさえも、ごくありふれた、つまらなく、くだらなく、何の意味もないことだと感じる。勝者の説諭も敗者の同族嫌悪も首をすくめてやり過ごし、びっこを隠してとぼとぼ歩こう。何も無い道を歩きながら願いを呟く。私と同じ道を歩む者が今後少なくありますように。同じ道を歩む者たちにささやかでも幸せがありますように。いつか全ての人々の夜が明けますように。

2010-03-17

引きこもり気味の大学1年春休み

サークル部活バイトどれもやっておらず。

Fラン大学なので周りにも馴染めず、一人ダラダラした生活を送っている。

一ヶ月に二万円の昼食代を含めたお小遣い携帯代、定期代、学費は親持ち。

原付はお爺さんのお下がりガソリン最近自腹になった。

交遊にお金をほとんど使わないので、お金が足りなくて困る事態にはなったこと無いかもしれない。

毎月Amazon普通本屋で買えない本を人目に触れずに買うのが唯三の楽しみ

この生活もそんな嫌いじゃないんだ。あんまり周りを気にしない?タイプだし。

ただ自分の存在が周りには悩みの種だ、ストレスだと、はっきり親に言われてしまってちょっとショックを受けた、今日この頃

両親A型だし、俺O型だし、ちょっと合わないとこはあるさ、几帳面すぎで大らかさが足りねぇよ。

なんて本人の目の前では言えないし、言いたくても仲が荒れると思うと我慢せざるを得ない。

言いたい事があるならなんか言いなさいよ、とか言われてもね。

そんなこんな、高校の旧友に連れられてパチンコパチスロ屋に連れて行かれたのが2月の20位だったか。

いつもはその手の店の前を通るたびに「ここはダメ人間が行くところなんだな、隕石でも落ちてきて建物ごと消えりゃいいのに」とか思ってた。

それがどうさ、1パチから始めて、あれよあれよと言う間に嵌り2日に1回のペース。すぐにタバコの臭いが服に付き親に感づかれた。

7回ほど行って+7kくらいだったと思う。

収入源の無い俺には1パチで満足だったのだが…ある日お気に入りの「エヴァ5」が満員で打てない。

どうしても打ちたかった俺はいつもと違う4パチに足を踏み入れてしまった。

初めてで14kが水泡に帰した。

2日後

24kが消えた。


俺は自分がアホなんだと思った。

元々商売人家系で財布の紐は相当硬いつもりだったのがこのザマだ。

もう同じ過ちはするまいと、ケータイパソコンからパチンコ関連のページを消した。









それから2日後、パチンコ屋には俺の姿があった。














16kを投資し、58kのリターン。

俺は勝った、このまま勝ち逃げすれば、俺はギャンブルに勝ったまま終われる。













2日後15kの投資、115kのリターン。

嬉しいっちゃあ、嬉しい。でもなんか素直には喜べない俺が居た。

でもパチンコはやってたら恥ずかしいものだから人に自慢も出来ない。

あともうエヴァ5の観たい演出は6割くらい見たし、ラウンド中の音楽も聞き飽きた。

しばらくはホールに行かなくても平穏に過ごせるかもしれない。


明日バイトを始めて、夜は友人と遊ぶ予定を立ます。

2009-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20091020080343

「しなくてもいい、もしくは誰かがやってくれると分かったら一切しない。」

そんなのは、誰だってしない。

几帳面なやつか見栄っ張りなやつがやることになる。そしてたぶん元増田はそういう奴なんだろう。

2009-10-05

http://anond.hatelabo.jp/20091005191833

http://www.j-cast.com/2009/03/16037728.html

笹川総務会長トンデモ発言 「国会議員うつ病にならない」

2009/3/16 20:31

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自民党笹川尭総務会長2009年3月14日大分市内で行われた党大分県連の大会で、「国会議員は気が弱くては務まらず、うつ病になる人は一人もいない」と発言し、波紋が広がっている。厚生労働省などによると、誰でもかかる可能性があり、しかも、過去自殺した国会議員にはうつ病と見られるケースもあるからだ。

「誰でもかかる可能性がある」

笹川氏は以下のように発言したという。

「今、うつ病で休業している先生(教師)がたくさんいらっしゃる。国会議員には1人もいない。そんな気が弱かったら務まりませんから」

厚生労働省の調査によると、うつ病などの気分障害にかかる割合は5~6人に1人。また、患者の4分の3は治療を受けていない。かかりやすいのは、「几帳面で真面目、責任感が強い」「考え方に柔軟性が乏しい」「開き直りができない」という人だが、「特別な人がかかる病気ではなく、誰でもかかる可能性がある」と報告されている。心配や過労、ストレスが続いたり、孤独孤立感が強くなったり、将来への希望が見出せないと感じた時に、かかりやすくなるそうだ。

主な症状は、何事にも興味がわかず楽しくない、寝つきが悪くて朝早く目覚める、食欲がなくなるなど。仕事の能率が低下し、ミスが増えたり、飲酒量が増えたり、外出をしなくなる、といった周囲が気づくサインもある。最悪の場合、自殺をすることもあり、疑いがあれば早期に治療を受ける必要がある。

うつ病は身近で深刻な問題で、多くの人がかかっているにもかかわらず、笹川氏のように誤解している人が多い。

自殺した議員も、直前にうつ病うつ状態の可能性

国会議員も例外ではない。

中川財務大臣の父・中川一郎氏は1983年札幌パークホテルバスルームで自殺した。安倍内閣農林水産大臣を務めた松岡利勝氏は在任中の2007年5月28日衆議院議員宿舎で首つり自殺を図った。元民主党衆院議員永田寿康氏は09年1月3日北九州市内のマンションから飛び降り、搬送先の病院で死亡。家族あての遺書のようなノートと空になった焼酎の紙パックが残されており、自殺を図ったとみられる。市内の病院入院中のことだった。3氏とも自殺前の様子から、うつ病うつ状態だった可能性は強いとみられている。

精神科医の和田秀樹さんは自身のブログで、「中川さん(中川昭一氏)がうつの可能性があるのではないか」「安倍前総理がやめるような状態になったのはうつ病のせいだ」などと発言している。また、「首相就任時から5キロ近くも痩せた」「最近、よく眠れないらしい」などと体調面が心配されている麻生首相についても、「週刊新潮」09年2月26日号で、「鬱によく見られる症状」が出ていると指摘している。いずれも、うつ病かどうか断定はできないが、現職の議員でも無縁とはいえないのは間違いない。

一方、笹川氏の発言を受けて、日本生物学精神医学会の倉知正佳理事長らは3月15日、「うつ病と気の強さ弱さとの関係は指摘されていない。誰でもなりうる病気だ」というコメントを出した、と各紙が報じている。自殺者の多くが直前にうつ病うつ状態であることも指摘し、患者の苦しみを理解するよう訴えている。

2009-08-14

血液型性格診断の信憑性

血液型性格診断科学的根拠が無い

本当にそうだろうか

そんなことはない

なにかしら影響しているはずだ

そんな風に思っている子って多いと思います

あたしもそうです

血液型別『自分説明書』という本が合計500万部以上売れた

と言うことがそれを物語っていると思います

あたしはこの本は買っていないのだけど

血液型って実際結構当たってるんじゃ…とよく思います

B型っぽい性格だとよく自分でも思うし

気づいたら周りがみんなB型だった

ということが良くあります

これは何も前知識として知っていたわけではなく後で聞いてみたら一緒だった

というパターンです

こういう経験自分でしてしまうとどうしても科学的根拠がないといわれていても

何かまだ解明されて無いメカニズムがあって…みたいな気持ちになってきちゃいます

これは神秘体験をしてしまってカルト宗教にはまる人と同じ感じなのかな

血液型性格診断1971年能見正比古先生が出した

血液型でわかる相性』と言う本で爆発的に流行したと言われています(wikipedia参照)

この本は、能見先生

人間の良い部分は、その人の努力の結果。欠点血液型のせいという事にすればよい』

という思いで書かれた本だそうです(又聞きなので信憑性はありませんが…)

つまり一種の処世術みたいなものです

それが一人歩きして今日に至ったというわけです

このことを知ったらより血液型性格診断に疑問を抱くと思います

あたしもこの話を聞いたら科学的な根拠はないんだなとキッパリ思えました

しかし、それでも、結構当たる…という体験がある

初対面ですぐB型だってわかる子がいたりする

だから血液型性格診断科学的根拠が無いから信じるなんて馬鹿げている

なんて説得させられても、それでもな~という気がしてしまう

そこであたしは当たる原因として

ある仮説というか、これぐらいしか無いんじゃないかな~

ということを感じ始めました

それは「思い込み」です←ジャーン(効果音)

以前思い込みの力がいかに凄いかという日記を書いたんだけど

http://anond.hatelabo.jp/20090720165732

やっぱりこの問題も思い込みなんじゃないかな~と思えてきました

あたしが生まれたときから漠然

A型几帳面・真面目

B型適当優柔不断

O型…大雑把

AB型二重人格

のようにそれぞれに漠然血液型レッテルが貼られていました

あたしの場合はよく親から「あなたはB型だから部屋が汚い」などと言われた方なので

余計にそういうレッテルを気にしていたと思います(笑)

また家族に言われなくても学校などで一度は話題にはなったと思います

このような環境の中で育ち、自分血液型性格レッテル意識していると

思い込みでそのレッテル側に寄っていってしまうのではないかと

そう思いました

これはある意味能見先生の考えたポジティヴな捕らえ方ではなく

どちらかというと「あたしは●型だから~」といった開き直りのような気持ちの方が

強いんじゃないかなあ、と思います

人間は何かの型にはまりたいと思いがちな気がします

最近の「草食系男子」とか「森ガール」とかはまさにその典型ではないかと思います

その考えが無意識的に血液型性格診断レッテル自分からはまりにいっている

そう考えることもできなくは無いんじゃない

この考えで行くと血液型診断を信じている人はドップリ型にはまっているんじゃないかな

「俺B型だから適当なんだよな~」って男、周りにいませんか??

そういうタイプが一番危険です

むしろ血液型性格診断の一番の被害者なのかもしれません(笑)

500万の読者のうちのこのような考えの人がいないとは言い切れないんじゃないか

↑決め付け(笑)

とここまで完全に憶測でしゃべってきたけど

そんな考えもあるんじゃないかな~って思ったので書いてみました

この仮説が通るなら、科学的根拠はある意味「ある」と言えるんじゃないかな

2009-07-14

「経理萌え」というジャンルはなぜ流行らないのか?

包み隠さず言うとぼくは「経理萌え」だ。経理の女の子は個人的にかなりポイントが高い。これは長い間隠していたんだけれど、最近、意外と「経理萌え」に共感していただける方が多数いることが判明した。すばらしい。しかし、検索しても「経理萌え」が全然ヒットしない。ぼくは声を荒げて言いたい。みんな、経理萌えカミングアウトするべきだ、と!

共感してくれる人はどれだけいるのか分からないけど、共感していただけたら、はてブしてほしい。

「経理萌え」とは何か?

要するに経理女性に対する萌えだ。特筆すべき点を以下に述べたいと思う。必ず「経理萌え」を理解してくれる人はいると思う。大事なことだからもう一度言うけど、実は「経理萌え」という方、以下のことに共感できる方がいれば、ぜひ、はてブして欲しい。

清楚で地味でデフォルト設定:

経理の女の子は営業みたいに外回りも無ければ、来客で打ち合わせに出ることもない。せいぜい、お茶汲みぐらいだ。キーボード電卓を叩くので、ネイルデフォルト設定のままだ。だから服装が清楚で地味だ。だから、それがいい。最近はやりのage嬢と完全に対角をなす。

それは、素材の味をそのまま出している。age嬢カレールーの中で煮込まれたニンジンみたいなもので、盛った髪とネイルと化粧で元のテイストが一切分からない。対して、経理は生野菜サラダのようなものだ。女性としての美しさがそのままにじみ出ている。そう、「デフォルト設定」。それが経理女性の最も特筆すべき点だ。

数字と論理的思考に対する理解がある:

経理の女性簿記を理解している。そのため、数字に対して抵抗感が無いし、社内の手続きを熟知しているので、ある程度の順序だった論理的思考も理解できる。これこれこうだから、こうという順序を追って、説明しても理解してもらえる。むしろ、これこれこうだから、こうなんですから、いついつまでに、これを提出してください!と、逆に順を追って説明されることも多い。理詰めで注意されると理系M男性はもうメロメロだ。

理系女ほど男社会に生きていない:

論理的思考ができる女性で近くて遠いのが理系女だ。しかし、理系女と経理女性の違いは「女の子度」の高さだ。理系女は大学4年間、男性と過ごし、仕事でも男性の中でやってきているが、経理女性は、高卒だったり、短大出だったり、文系大学だったりで、理系女ほど男の中でもまれていない。女性らしさは理系女より多く含有しているように思われる。


きっちりして、まじめなところがないと経理は難しいから:

経理というルールだらけの仕事をしているので、(私生活はどうあれ)ある程度、まじめで几帳面なところがゼロではできない仕事だ。馬鹿ではできないし、勢いだけでもできない。まじめで清楚。これ以上、萌えるものがあるか!?

「経理萌え」はロスジェネ世代にヒットするべきジャンルだ:

今後、ロスジェネ世代から上の年代に経理萌えは確実に拡大すると思う。経理萌えはもっと声を荒げるべきだ。なぜか?ロスジェネより上は、もう女子高生女子中学生萌えるには年齢的につらいし、現実的に彼女たちと分かり合いづらい年齢だからだ。さらに、いつまでも女子高生女子中学生萌えていると犯罪になってしまう年齢になりつつある。考えてみて欲しい、32歳ロスジェネ男性高校1年生の2倍生きていることになる。一方、経理女性会社の中だし、共通点も多いし、服が地味で清楚っぽいし、まじめだし、論理もわかるし、理解し会える部分がある。リアル萌えるべきは断然、経理だ!違うか?

どういう人に「経理萌え」が多いか?

独自調査のサンプリングの結果、以下のような共通点に2点以上あてはまる男性に経理萌えが多いことが判明している。

高学歴か頭がいい人かどちらか。

理系出身やエンジニアが比較的多い。

・ほぼ全員、年収が平均より高い。

だから、高年収の人と付き合いたい人はネイルサロンお金を払うよりも簿記検定を受けて、経理の仕事に就いたほうがいいかもしれない。

「経理萌え」として、生きていくことは難しい:

「経理萌え」はすごく萌えにくい。ぼくは毎日が不完全燃焼だ。なぜか?普通、経理の人は会社の外に出ない。つまり、自分会社の経理担当しか「素材」がない。よその会社の経理担当に会う機会はそんなにない。弥生会計の営業でもやれば経理担当女性に会う機会が増えるのかもしれないが、普通に生活していると経理担当に会うことは難しい。女子高生萌えは、電車の中でも、街中でも、いくらでも「素材」を発見することができるが、経理萌えは「素材」の収集が非常に難しい。だいたい、街で経理っぽい女性を見かけても、それが本当に経理なのかどうかは聞かないとわからないし、聞いたらあきらかにおかしい人だ。

誰か「経理ばっかりの写真集」とか出してくれないだろうか?できれば、月刊とかで出して欲しい。

さらに言えば「経理喫茶」なんかが出店されるとうれしいけれど、経理のウェイトレスという時点でもう経理ではない気がする。なんにせよ、本当に素材が無くて困っています。

経理萌えをはやらせるのは難しい?

経理萌え需要があったとしても世間のムーブメントにするには難しい。なぜか?経理ファッションの真髄は「デフォルト設定と地味な服装」だ。それが、ファッション業界からすれば全く何も潤わない。つまり、経理萌えがブームになったところで、経済効果は薄い。あるとすれば、簿記検定を運営している日商が儲かるくらいだ。つまり、経理萌えは、プレイヤーマーケットも出てこないジャンルだ。経理萌え流行らせるトリガーは何かないのだろうか?

しかし、「経理萌え」の存在くらいは認められたい

経理萌えの知名度があまりに低すぎる。ぼくは、「経理萌え」は足フェチよりランクは上だと思っている。せめて、地デジに切り替わるまでにその存在を世間で知られるようになって欲しいと思う。

2009-06-13

地方公務員お仕事を聞いた

友達が地方公務員してるの。

仕事なにやってるの?って聞いたら書類の監査とか言うわけ。

医療機関や農協が国に補助金を申請するときの書類に不備がないか調べてるとか。

国の補助金に関わる書類なら国が監査するんじゃね?

って聞いたら、補助金が降りてくる窓口が市だから、その関係上しかたなくとか。

なにが仕方なくなんだかわからないが、本人も無駄仕事だと思ってるらしい。

で、それはそれは几帳面無駄仕事をさせられてるらしい。

領収書を貼り付けたノートコピーして、コピーする際にできる黒いラインを修正テープで消してもう一回コピーしたり、それをスキャンしたり、コピー元もコピーしなおしたやつも全部別ファイルファイリングしたり。

で、その仕事させられてるのその友達含めて獣医とか医者かばかりなの。

2億とか3億とかの補助金の申請書類もたまにあるけど、60万とか80万とかの書類がほとんどだとかでね。

それで9時10時まで残業させられてるそうでね。

で、鬱病になって公務災害申請するやつがたまにいるそうでね。

突っ込みどころ満載すぎてなにも言えなかった。

すげーな地方自治体って。

2009-04-09

http://anond.hatelabo.jp/20090408121545

今も昔も芸大とそれ以外しかないんだね。建築だけは違うんだろうけど。

美大なんて職人になれる几帳面な奴か、あとそれ以外の脳内芸術家かいないんだし。芸大以外の出身者だからなんとなく雰囲気はわかるんだけど。まったく生活力とかとは直結しないのがこういう学校関係者たちのムーブメントだよね。大学入試程度のスキルならさ、結局のところ訓練でしかないわけなのに、そこにアーティスティック幻想が抱かれていたりするわけだから始末が悪いよね。美大に行ったところで芸術家として世間が認めてくれるわけじゃないからね。芸大に入れる才能アートで生活できる才能は別物なんだから ...もし才能があるとか時代にフィットしたアート感覚があるっていうならば、美大は履歴書に書くためだけに行けばいい訳だし。

もうなんていうかイラストレーション系の公募とか出しまくって賞とって名前だけ売っておけるなら高校ぐらいから活動しててもいいんじゃないかな的なところだと思うけどな。

○上さんのアートプロジェクトとか単なるハーレムだから就職先には厳しいでしょう。なんか一味に入ってしまえば成功しそうな雰囲気は昔からあったけどね。一夫多妻制的なけん制がダメ精神的にまいっちゃって自分探しに旅立つとかノイローゼとか多いし。っていう

ことを考えるなら、進路としてはあんまり勧められないかもなあ。言ってしまえば、世界で認められるトップバレリーナになりたいみたいなモンとあんまり変らないと思うんだよね。あとプロ野球選手になりたいとかJリーガーになるっていうのと同じ意識でいいんじゃないの?

2009-02-08

大陸臭は動物

 ~動物臭ことってどんなこと? 他人を気にしないこと~

 動物はそこらに糞尿を垂れる。なぜならば,「他人」という概念がないからだ。

 当たり前のことを書くけど,「人間は何故服を着るの?」ということは大切に問題だ。

 全裸であれば,他人に不快感を与える可能性があるからだ。肉体は,よほど清潔にしていなければ匂いもするし,不潔感もある。

 現代のように毎日シャワーにあびれる環境ではなく,昔のようにこまめにフロに入れない時代であれば,皮膚病もあるし,とにかく清潔ではなく,相手に不快感を与える。それが「清潔にされた特別な美女」でない限り。

 このため,人は衣類を着用する。

 衣類を必要とする理由は,自分のためではなく他人のためだ。

 あなただって,もしも無人島に一人しかいなくて,助けに来る気配もないとする。まわりには動物かいない。気候が温暖であり,岩場やとげのある植物もないようなところだったら,それでも衣類を着るだろうか?

 自分の汗なくすため,こまめに洗濯をするだろうか?

 いま貴方はどんな部屋にすんでいる?

 頻繁に友達や恋人が訪れる部屋ならば,掃除が行き届いてるいることだろう。部屋が不潔であることは,来客に対して失礼であるからだ。

 しかし,誰もこなければ部屋は汚くなる。

 「他人のため」という意識が,人の自律をうながす。

 他人という存在知覚し,理解するからこそ,つまり「社会」という概念があるからこそ,言葉遣いも正確になって誤解のない表現をつかい,几帳面になり,物事にたいして正確になる。

 他人を意識するからこそ,他人に共感するからこそ,他人の権利や心情を理解し,他人の権利を侵害しない。つまり,違法な行為をしない。

 すべて人間だけが持つ能力だ。

 動物には「他の者」という概念がない。世界には自分一体だけだ。だから,誰にも関心を示さないし誰からも関心をもたれないと思っている。

 従って,他人の権利という意識もないから,女が欲しいとおもったら犯すし,空腹になれば盗むし,感情的になれば殴るし,違法な行為をする。

 能動的にしなくても,自分の義務を全うしない。法律に何がかいてあっても,「ただの紙」と思う。

 人間であれば,常に他人の目を意識する。だから,感情的になるような不愉快なことがあっても,社会秩序と自分の権利義務の範囲で行動する。

 動物人間の違いは,「他人の目がある」という意識があるかないか,ということにある。

 だから,私たちは,不潔な格好をしていたり,いつも「へらへら」とわらっている気色の悪い表情の者や,円滑に会話することすらできないほどの無知,その他の「反社会的行為」が起きる。

 結論をいうと,人間犯罪をしないし,動物は「躾」や「鎖」がない限り,必ず犯罪違法行為)をする。

 動物は「ルール」を理解できない。

 自分がそのとき考えたことが「ルール」である。

 動物には意思がない。だから,いきなり性行為を強要したとしても,「嫌だ」という意思がないのだから強姦にならない。

 従って,動物同士には,窃盗強姦もない。「とられたら嫌だ」とか「おかされたら嫌だ」という意思がないからだ。

 しかし,これを人間相手にしたとき深刻な被害が生じる。

 他人の心(犯されたくない,殺されたくない,傷つけられたくない,盗まれたくない等)は,そもそもそこに心があるからこそ,「読みと力」が発達する。

 誰も意思がなければ,共感能力を発達させる必要性がない。

 相手の意思を確認する能力,それが共感能力であり,これは人間前頭葉にあるミラーニューロンによって機能する。

 この前頭葉には,ブロカ野といって言語を司る機能がある。

 言葉とは,相手の表情や筋肉の動きからではなく,より的確に「相手の心」を把握する手段だ。だから,人間だけが言語を発達させた。

 「他人と連携するため」に。

 動物は,一体でいきている。そこに「他人」という概念がない。

 だから,法律も守らないし,法律という意識がそもそも存在しない。他人の所有権という概念を理解できない。そして,たいてい,言葉がろくに話せない。

 単語を発することが出来るが,オウムのように何かを模倣して繰り返すか,コピーのみできる。どれも「不適切」な用法で。

 だから,人間社会言葉を話せない者,聞けない者を人間として認めない。

 (ただし,その人が幼児または動物にかこまれて半生を生きたため言語能力が発達していない場合除く)

 動物世界では,反対に言語を自由にあやつる者を「動物として認めない」。

 さて,以上までは社会科学の立場から論じた。

 自然科学の立場から,「動物」を論じることが今,世界中で起きている。

 事の発端は,「恐怖の大魔王」が世界を滅ぼすという予言のあった1999年,人類起源そのものをかえてしまう発見ポルトガルであったことだ。

 人間サピエンス)と,旧人ネアンデルタール)の混血化石発見されたことだ。

 2002年,米ワシントン大のアラン・テンプルト博士が,人類の常染色体の10座標から,原人旧人の血統を発見した。

 2008年,この研究発表に対して様々な反論がくわえられたが,ついに断念,人類の「混血」が確定した事実となった。

 混血の頻度は,西欧がもっとも低く,ついで東欧中央アジア東アジア,の順となっている。

 ネアンデルタールは,人間に似た形をしているが人間ではない。共食いが大好きだし,空腹になればまず子ども妊婦を殺して食べる。

 感情的になればすぐ相手を殺すし,つまるところ他の動物となんら違いはない。

 ボスの座をめぐって,殺し合いをするチンパンジーの習性と全く違わないし,子どもの脳(栄養価の高い)を食べて空腹を満たすチンパンジー母親となんらかわることはない習性を持つ。

 言語ははなせないが,石器などから人間の真似をすることはできる。勿論,劣化コピーとなる。

 旧人はお互いに交流しないと連携しない。だから,交易はない。たいてい,近親相姦によって子孫を増やす。

 遺伝的に等しいので,近親相姦をしても問題がないのだ。

 進化の速度がはやい人類は,劣性遺伝があるので,近親相関は奇形児の生む確率が高い。しかし,旧人進化の速度が遅くて均一しているので問題ない。

 勿論,「旧人との混血なんて無いはずだ」と感情的にただ叫ぶ者もまだ世界には多い。

 だが,考えてもみてほしい。

 人間であるあなたは,「全て人間だ」つまり自分と同じだと思えるだろうか。「全て」に対して。

 エドマンド・バーク偏見の大切さを論じた。

 人間の「裸の理性」(思いつき)によって為されたことは失敗し,長い歴史時間の積み重ねによって得た英知が,「偏見」にあると論じた。

 確かに,一つや二つ異常をみたところで,人は先入観を抱かない。

 歴史的に連続した「異常」によって,偏見が形成される。偏見は,すぐにはつくられない。

 もちろん,偏見の中にも,時代の変化によって不適切なものが含まれてくる。その場合は,再び時間の経過によってその事象が偏見の中から削除される。

 あなたは,今までの人生の中で,明らかに「人間ではない存在」を多く見たり,或いは新聞ニュースの伝聞で聞いているはずだ。

 犬は犬に対して異常とはおもわない。しかし,人間が犬の行動をもし「人間がしていたら」と思うと,「異常だ」と思う。吠える,噛む,糞尿をたれる。

 しかし,「あれは犬だから」と認識することで自然だと考える。だが,もし犬が形態的に人間とあまりかわらない形をしていて,かつコピーされうような人間言葉をある程度再生できる能力を有した状態で,「犬の行動」をしたらどうなるか。

 「異常」とあなたは感じるだろう。

 なぜならば,人間の中には,吠えたり噛んだりする者はいないからだ。

 しかし,人間の形をしていることに違和感をおぼえる。

 あなたは「視覚」と「偏見」どちらが正しいと思うだろうか?

 あなたの偏見は,人間価値基準での偏見だ。

 参考までに,一つの「事実」を示そう。

 「プレ・ネアンデルタール」というのがいる。これは人間とそっくりだ。何故ならば,人間から分離して別の進化(まはた退化と呼ぶべきか)を遂げてから間がないからだ。

 そして,旧人には渡航能力がない。まだ島と大陸が同じだったとき,または氷河期に海面が凍結していたときに徒歩で移動した。

 従って,原則,アフリカユーラシア大陸にしか旧人はいなかった。

 イギリス日本にも徒歩で移動できるが,島であればそこにいるだけの旧人を殺してしまえば,後から「次は来ない」。

 旧人に接した人間は,どう変化するのだろうか?

 以前まではの内容は,いままで散々日記に書いてきた。過去4年間にわたって書いてきた。

 ここからが,「旧人と接しつづけた人間は,どうなったか?」という新しい考察だ。

 いや,そもそも「なぜ,旧人人間から離れてしまったのか」。

 進化論インテリジェンスデザイン論も,根拠がない。

 人間は猿から進化したといっても,その「進化した様子の化石」がいまだ発見されず,「失われた輪」であり,想像の産物に過ぎない。

 一方で,神などの知的存在人間デザインしたという説も,具体的な根拠がない。進化論ID論も物証がない。

 しかし,私はアラブ人,シナ人,朝鮮人などをみて思うのだ。

 「彼らが,次の旧人ではないか」と。

 次の,というのは現時点で彼らの中にホモサピエンスがいることに違いはない。しかし,明らかに彼らは島嶼部の人類形態的にも試行的にも異なる。

 専門的なことをかくが,島嶼部の人類および「アダム」の時代とされる初期のホモサピエンスの頭示数は81以上-86未満であるのに対して,大陸人類は頭示数が86以上であり,サピエンス形態的に変化しているのだ。学術的には「過短頭」と呼ばれる。

 もはや,目でみて「大陸人間だ」とわかるようになるまで形態的な差が生じてきている。

 ここで私は考えた。

 もし,生まれたときから旧人と共に生活し,それが何世代にもわたってしまえばどうなるのか。

 恐らく,心を持つこと自体不毛であり,精神的につかれてしまう。他人をおもいやる気持ちをもっていても相手は自分を尊重しない。

 愛しても愛されない。守っても守られない。盗まなくても盗まれる。犯さなくても犯される。傷つけられなくても傷つけられる。殺さなくても殺される。

 この時,「他人を思いやる気持ち」(共感能力)を持つ人間は,精神的に疲弊して,やがて死んでしまうのではないか。死ななくても,子孫をつくる気力さえなくなってしまうのではないか。

 こうして,人類の中にも,旧人と共に暮らしてきた者は,「共感能力をなくす」つまり,退化するということで,旧人に対応したのではないか。

 動物に対応する方法は二つあって,動物を殺して統制して飼い慣らすか,或いは自分自身も動物になってしまうことだ。

 能力の高い人間動物を統制して対応し,能力の低い人間は同化したのではないか。その際に,全てを捨ててしまったのではないか。

 つまり「人間性」を。

 朝鮮人,シナ人への偏見は,「非人間性」を持つ。それは今更説明しなくても報道をみればわかる。

 そして,旧人ユーラシア大陸に分布していた。原人も同様だ。

 彼には明らかに退化している。人間としての機能が退化している。「他人を思いやる心」が無い。共感能力が無い。法がない。

 退化することで,自然淘汰を免れ,旧人と共に暮らす進化ベクトルおせんだのではないか。

 ここで一つの答えがある。

 どうして,プレ・ネアンデルタール人間から分離してしまったのか。後期型ネアンデルタールは明らかに人間と違う形態をしているが,初期型ネアンデルタール,つまりプレネアンデルタール人間と極めて似通っている。まだ分離して間がないからだ。

 このため,「進化している」と当初勘違いされた。実際,ネアンデルタールは80万年前に人類から分離して「退化」したのだ。

 なぜ退化したのか。

 そこには「原人」がいた。原人にふれた人間が,「他人を思う心」をなくすことで適応し,それが旧人へと「退化」したのではないか。

 ならば,大陸に住む人類の末路でなはないか。

 彼らは知能の問題から,人間動物を見極める能力を有さない。だから信じては裏切られ,ということを繰り返し,そのうち考えることも信じることもやめて,機能そのものを遺伝から削除した。

 退化した。

 それが生きる術だった。

 島嶼部の人間は,旧人を殺せば次はこないため,人間同士で生活し,人間特有の機能をそのまま進化させた。

 協力すること,信じること,愛すること,理解すること,尊重すること。

 アルフレッド・セイヤー・マハンによれば,シーパワーランドパワーはあきらかに区分することが出来るとする。

 それは地政学上の問題では論じることの出来ない,思想・思考の違いがある。

 ホモサピエンス,つまりアダムの子孫が住む地域は,日本イギリス台湾,およびこれらのイギリス人の子孫が入植した地域に限られる。

 その日本でさえ「人間が混じっている」という状態だ。

 なにしろ,1万年前まで日本大陸は陸続きだったのだから。

 人間人間でいることは,孤独の場合つらいことだ。

 自分が信じても相手は信じてくれない。自分が誠実にしても相手は適当。与えた分だけ相手に着服される。

 そんなことを繰り返していては,自分が死ぬ。だから,死ぬ前に彼らを殺すか,或いは自分自身が「彼らと同じになる」しかない。選択肢は二つしかない。

 私は,旧人を殺すことが正しいと思う。

 それは私の生育環境人間が多かったことが原因していると思う。

 私のこの意思は,ここに矮小ながら発信している。

 あにたは私の意思に共感するだろうか?

 もし共感したならば,もっと私を知って欲しい。私の考えや発想を暗記するほどに知って欲しい。そして私の目的をより理解してほしい。

 それがあなたの利益になるのだから。

 一体だれが,愛のない世界,他人の協力のない世界に生きたいのだろうか?

 この文明は,一人ではできない仕事だ。

 「他人を信じ合い,協力すること」でビルがたつ。製品が出来る。

 人間社会幸福を私たちはしっている。

 これを壊すことなく,維持発展させるには,旧人原人を皆殺しにすることだ。

 その方法は,唯一,私たちが共感能力をもちいてお互いに共感しあうことになる。

 共感すること。それが人間の力だ。

最近は「DISりたい奴の文章を勝手増田転載してブックマーカーに叩かせる」という手法がはやってるらしいので、某所で見かけた電波文を載せてみました。

2009-01-30

もずく兄弟VSお歯黒兄弟

「ごめーん、待った? え、一時間遅れちゃってる? ごめんねー。電車がさ、もう行っちゃっててね、ひどいのよ。今日湿気がすごいでしょ、湿気。髪が巻いちゃって巻いちゃってセットしてても全然まとまんなくて、もうホントどうしようかと思っちゃってたけどすんごい急いで家を出たらもう電車待っててくれてもいいのに、いっちゃってるし。最悪ぅって感じよねー。それでさ、この前ね、合コン行ったじゃない、合コン。あの時に東大オタクみたいな人いたでしょ。ちょっとブサイク入った感じの。アイツからメールが来てさ、チケットが余ったから一緒にいきませんかとかメールしてくるわけよ。そりゃやっぱあの時の合コンでは一番アタシが目立ってちゃったっていうのは仕方ないけど、それでもいきなり誘って来るかなー。でもさー、そのチケットっていうのがなんか変なプロレスみたいな試合なのよねー、兄弟統一トーナメントとかいう聞いたこともないようなの。もう少しロマンチック映画とか、コンサートとか普通は最初誘うでしょ、最初のデートって雰囲気が大事じゃない? やっぱり、オタクっぽいからそこまで気が回んないのはしょうがないのかなー。ブサイクだけど、東大だからまあ許してあげよっかなーって思って、OKしたのね。 日東駒専あたりだったらたぶん断ってたけど。慶応だったら悩んだかな、悩むよね、普通。それで会場の前で待ち合わせしたんだけど、アイツって、もうそれは山にでも登るんですか? みたいなオタファッションで来るわけよ。うわ、これでおしゃれなの? と思ってちょっと目の前が暗くなったんだけど、まあ、教えてあげればファッション改善できるからそこは目をつぶってあげる事にして、会場に入ったわけ。なんか闘牛でもするような会場で、真ん中にロープの張ってないリングみたいのがあってね、そこで兄弟が対決する試合なんだとか解説してくるのよ。ああ、もうこれは本当にオタクなんだな、マニアなんだな、って思いながら試合が始まったんだけど、これがもうひどいの。どっちかの人がどっちかの人をボコボコに蹴るの、もう容赦なしに。アタシその時、思ったわ、いきなり最初のデート女の子にこんなの見せる? コイツってオタクはまだしも絶対血液型B型だなって。B型ってマイペース過ぎるのよね。ねえ、ねえ、アタシって血液型何型だと思う? え? B型? 冗談ばっかり。アタシいつもはA型ってよく言われるんだけど、実はO型なの。やっぱり几帳面に見えちゃうんでしょうね。でね、そのボッコボコに蹴られてた人が蹴ってた人の足を捕まえて、いきなりこう、ばーんっ!ってそのままリングに投げたの。もうすごい迫力。そしたらさ、アイツが言うわけ。『出た、カウパースープレックス』って。カウパーだよ、カウパー! たぶん、語源から言うと我慢して我慢して出す、みたいな技だと思うんだけど、私その時思ったの、たぶん、これを言いたいからアタシをこの試合に連れてきたんじゃないかって。ちょっと下ネタっぽい言葉を言ってその気にさせといて、そのままの勢いで最後まで行っちゃおうみたいな下心で誘ったんだって。よく見ると、顔はそりゃ確かにブサイクオタクっぽいけど、体は大きくてがっしりしてるっていうか。たぶん、脱いだらすごいんですみたいな。腹筋割れてますよみたいな。想像してたら、だんだん恥ずかしくなってきちゃって。まあ、ブサイクは慣れるって言うし、東大だし、オタでもいいかなー、でも最初から許しちゃったら軽く見られそうだけど、まあ、いいかなーとか思ってたのよ。そしたらアイツったら試合が終わったら、『いやー、すごかったねー、じゃあ!』とか言ってそのまま帰りだすのよ。どう思う? え? どっちが勝ったかって? 確か・・・もずく兄弟? いや、それはどうでも良いのよ。その気にさせといて、失礼にもほどがあるでしょ、そのまま帰るとか。ありえないわよ、ホント。絶対後悔するんだから。え、キャプチャード・スープレックス? 何それ?」

http://anond.hatelabo.jp/20090130003129

http://throw.g.hatena.ne.jp/sasuke8/20090128/p1

2009-01-27

「女脳」か「男脳」か、診断してみた

No.1 地図や市街図を見るとき

なかなか理解できなくて、結局は誰かに聞いてしまう。

そのようなものは見ないで、自分の行きたい道を行く。

地図も市街図も、苦もなく読むことができる。


No.2 ラジオの鳴っている台所で、手のこんだ料理を作っている。そこに友人から電話がかかってきた。

友人と電話で話しながら、料理を続ける。もちろんラジオもそのまま。

料理が終わったらかけ直すからと言って電話を切る。

ラジオを消して、友人と話しながら料理を続ける。

※投稿者のコメントプライオリティを考える。この場合は料理だと思ったが、友人がピンチに陥っているときは、料理を止めて友人と電話をする。


No.3 あなたの家を初めて訪れる友人に、行き方を聞かれたら

行き方を言葉で説明する。「高速に乗って、ニューキャッスルで降りたら左に曲がり、二番目の信号を、。。。」

●分かりやすい地図を描いて送るか、誰か他の人に説明してもらう。

そこから何が見えるかを尋ねて、それを手がかりにして道順を説明する。


No.4 考えや概念を説明するとき、あなたがよく行う説明方法は

●身振り手振りを交えながら、言葉で説明する。

明快で分かりやすい言葉を使って説明する。

ペンと紙を使って、身振りを交えて説明する。


No.5 映画を見てすごく感動した。家に帰ったあなたは、

その映画の評判をもっぱら引用する。

●その映画の場面を思い浮かべる。

感動した場面やせりふについて語る。

※投稿者のコメント※誰かに映画の説明や感想を求められると、口頭でうまく伝えることができない。というか、よほど面白い(興味深い)映画でなければ、どんな内容だったか忘れている。


No.6 映画館で着席する場所は、

スクリーンに向かって右側。

どこでも構わない

スクリーンに向かって左側。

※投稿者のコメント※真ん中がいい。


No.7 友人の持っている機械がうまく動かない。あなたは、

同情して友人がどんな気持ちかということを話題にする。

●仕組みを探り、自分で直そうとする。

直すことができそうな人を教える。

※投稿者のコメント機械は誰にも渡したくない。


No.8 初めての場所で、北の方角はどちらですかと尋ねられた。あなたは、

●分かりませんと正直に言う。

ちょっと考えて、適当に答える。

確信を持って北の方角を指す。


No.9 駐車スペースが見つかったのはいいが、バックでないと入りそうにない。あなたは、

●苦もなく車を入れる。

他の場所を探す。

慎重に車を入れる。

※投稿者のコメント※例えば、店の出入り口しかスペースがない・障がい者用スペースしかない場合、他にスペースがどうしても見つからないときは、そこに入れる。用事が終われば、もちろんなるべく早く車を出す。バック駐車は苦手ではない。


No.10 テレビを見ているとき、電話が鳴った。あなたは、

テレビを消し、他の者に静かにするように言ってから電話に出る。

テレビの音量を下げて電話に出る。

テレビはそのままにして電話に出る。

※投稿者のコメント※他に誰かいてもいなくても変わらない。


No.11 好きなアーティストの新曲を初めて聞いた。あなたは、

●難しい曲でなければ、一部分を思い出して歌うことができる。

メロディはなかなか覚えられないが、歌詞の一部なら思い出せる。

どんな曲でも、全部または一部分を思い出して歌うことができる。

※投稿者のコメント※何も覚えられないが、メロディーなら、かすかに記憶できているかもしれない。


No.12 予想が当たるのは、もっぱら

直感に頼ったとき

手に入る情報と、「本能的」な感覚に基づいて判断したとき。

事実統計データを参考にしたとき。

※投稿者のコメント※把握している事実が間違いな場合も多い。


No.13 鍵をどこに置いたか分からなくなった。そのときあなたは、

自然に思い出すまで別のことをする。

●別のことをしているが、その間も懸命に思い出そうとする。

自分の足取りを思い起こして、どこに置いたかを突き止めようとする。

※投稿者のコメントプライオリティにもよるが(鍵がないと他に何もできないのか、そうではないのか)、鍵だけ必死に探すのは、時間が勿体ない。


No.14 ホテルの部屋で、遠くからサイレンが聞こえてきた。

神経を集中させて聞けば、だいたいの方角が分かる。

音がどの方向から聞こえるか即座に分かる。

●音がどっちから聞こえるか全く分からない。

No.15 ある集まりで、初対面の人を7~8人紹介された。翌日あなたは、

何人かは思い出せる。

全員の顔をはっきり思い出せる。

●顔より名前の方をよく覚えている。

※投稿者のコメント※顔も名前も覚えているか怪しい。


No.16 休日。あなたは高原に行きたいが、パートナー海辺リゾート地を希望している。高原の方が断然いいと相手に納得してもらうためにはどうするか?

猫なで声で自分の心情を訴える。高原にいけば自分子供たちも楽しく過ごせて、家族みんなが満足する、と言う。

今回は高原にしてくれたら恩に着る、次は絶対海にするからと言う。

●有利な事実を持ち出す。高原の方が近いし、安いし、スポーツレジャーを楽しむ設備も整っていると主張する。


No.17 今日何をするか考えるとき、あなたは、

片づけなければならない用事が一目で分かるように、一覧にする。

●やるべきことについて考える。

今日会う人、行く場所、やることを思い描く。

※投稿者のコメント※常にやるべき事が多い。

No.18 友人が悩みを相談しにやってきた。あなたは、

悩みというものは本人が思っているほど深刻ではない、なぜなら...と説明する。

同情と理解を示す。

●問題解決のための合理的な提案とアドバイスをする。

No.19 友人同士がひそかに不倫をしているようである。あなたは、

途中で気づく。

●たぶん知らないままだろう。

かなり早い段階で気づく。


No.20 あなたにとって人生とは結局どういうものか?

友達をたくさん作って、みんなと仲良くやっていくこと。

●周囲の人たちとうまくやりながら、個人としての自立は守ること。

有意義な目標を実現し、周囲の尊敬を勝ち取り、名声を手にして出世すること。

※投稿者のコメント※今までは3番目の回答だったが、2番目のほうが世の中に適応できるのかなと思った。


No.21 あなたにとって望ましい仕事の仕方は、

みんなと同じ場所で、ただし自分だけのスペースは確保して仕事すること。

●ひとりでやること。

メンバーが適宜入れ替わるチームで働くこと。

※投稿者のコメント※みんなとやるのが最善だと思うが、そうすると精神的に負担がかかる。


No.22 好きな本のジャンル

新聞雑誌

自伝などのノンフィクション

小説などのフィクション

※投稿者のコメント情報は新しく、多くの意見が反映されたものを尊重する。


No.23 あなたの買い物の仕方は

●表示を念入りに読み、値段を比較する。

だいたいの計画は立てるが、後は成り行きに任せる。

衝動のおもむくままで、とりわけ「お買い得」という言葉に弱い。


No.24 寝起きや食事は

毎日ほぼ決まった時間である。

好きな時間にする。

●だいたいの時間は決まっているが、ずれることも多い。

※投稿者のコメント※寝起きや食事に興味があまりない。特に食事を採ることを忘れがち。


No.25 転職して間もないとき、新しい同僚の一人から自宅へと電話がかかってきた。あなたは、

しばらく話していると誰だか分かる。

相手がすぐに分かる。

●声だけでは誰だか分からない。


No.26 口論しているとき、一番むかつく態度は?

挑戦的な、あるいは鋭い質問やコメント

あなたの考え方を理解してもらえないこと。

●相手の沈黙、あるいは無反応。


No.27 学校漢字テストや作文の課題は、

楽々とこなしていた。

どちらかだけ点がよかった。

●どちらも苦手だった。

※投稿者のコメントペーパーテストの成績は良いほうだったが、基本的に学校勉強が嫌いだった。


No.28 ダンスジャズダンスをするとき、

ステップを覚えないと音楽に乗れない。

●体を動かすことはできるが、周囲の人とは合わない。

リズムについて行けない。

※投稿者のコメント創作ダンスは得意(リズムが一定で早いものを好みます)。周囲が自分についていけない。


No.29 動物の声や音を聞き分けたり、まねたりするのは、

●結構できる。

あまり得意でない。

得意である。

※投稿者のコメント※聞き分けるのは苦手だが、まねはできる。


No.30 散々な目にあった日には、どうしたくなるか?

他の人がどんな日を過ごしたか聞く。

友人や家族にその日のことをぶちまける。

新聞を読んだりテレビを見る。話はしない。


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結論

あなたの脳は、

やや男脳的 1~150点 (70点)

です。

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解説

男のほとんどは、0~180点、女は150~300点の範囲に入る。

得点が0点に近づくほど、「男脳」に近くなり、論理的で分析力に優れ、言葉を厳密に捉え、几帳面で、ものごとを整然と処理する。感情にまどわされず、統計データをもとにコストや結果を正確に予測することができる。得点がマイナスになると、男脳度が極めて高くなる。女性で得点が低い人は、レズビアンになる傾向が強い。

得点が180点を超えると、「女脳」に近くなり、直感や感覚でものごとを判断し、わずかなデータから問題を鋭く認識することができる。洞察力を働かせ、思ってもみない方法で課題を解決できる。得点が300点になると、女脳度が極めて高くなる。男性で得点が高い人は、ホモになる傾向が強い。

得点が150~180点の人は、男と女の両方に片足ずつ踏み込んでいる。極端に男っぽい、あるいは女っぽい考え方をせず、融通が利くので、問題解決のときにとても役に立つ。異性・同性を問わずに友達ができる。

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ソース

ttp://iwao-otsuka.com/fm/test/patbr/testbrentv1.pl

2009-01-17

掃除ができない

 やろう、やらなきゃって思ってるけどできない。

 彼氏が部屋に来るって知ってても掃除できない、動けない。

 掃除しないでパン作ってるケーキ作ってる。

 彼氏が呆れながら私の部屋を片付ける。クイックルワイパー掃除機雑巾を駆使して……

 そのうち愛想尽かされるんだろうなあ、嫌われるだろうなあ。

 でも掃除できない……汚部屋とまでは行かないけど、散漫とした部屋。うっかりしてると、埃が四隅にたまってる。

 彼は几帳面

 絶対二人で暮らしたらダメになりそう……

 彼は私の作ったパンとお菓子はとても嬉しそうにして食べてくれる。

 パンとお菓子ならいつでも作るのに。

2008-12-23

http://anond.hatelabo.jp/20081223213101

なるほど、強迫神経症(っぽいもの)なのかもしれないね。Wikipediaを見たら、凄い勢いで当てはまってて笑った。

まぁ、過剰に几帳面にならずに適当に考えるのが肝要ってことなのかもしれないね。

2008-12-15

ヒゲは千差万別

『最強のシェーバー』なんて無い。強いて言えば電池はリチウムイオンが良いし、非接触型で電源供給できると便利だし、なんのかんの言って古くからの専門メーカーのシェーバーは良い。

だけどヒゲは千差万別だし人も千差万別だ。二乗すれば百万の『最強』があるわけだ。

ヒゲならば、濃いか薄いか、広いか狭いか、柔らかいか固いか、伸びが早いか遅いか、肌は弱いか強いか、形を整えたいのかさっぱりしたいのか、あごの形は単純か複雑か、顔全体は大きいか小さいか……

人ならば、一日何回剃るのか、いつ剃るのか、どのくらいの時間をかけるのか、仕事は営業や受付かそれ以外か、性格は物ぐさかマメか、鈍感か几帳面か、手先は器用か不器用か……

そういう諸々の事情を踏まえれば、最強などというのは幻想でそれぞれの『個人的な最強』しかこの世には無い。格闘技における『最強』議論が結局ルール問題に終わるように、シェーバー界の最強議論も所詮むなしいものになるしかないのだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20081215111156

まあそれはそれとして「3 次元密着機構トリプルトラックヘッドジェットクリーンシステム」を備えたフィリップスの8200シリーズは最強だから買え。

いやホント「肌が弱くて・広範囲剃りたくて・しょっちゅう剃りたい・けど性格は物ぐさ・なのに細かいことを気にする」タイプには最強だ。店頭で試して、即買え。

2008-11-26

http://anond.hatelabo.jp/20081126232801

普通かどうかは知らんが(君がどういう答えを期待してるのかわからんが)、俺からすれば異常に几帳面に見えるよ。

俺ならグラフとかめんどくさすぎてやってらんない。わざわざノート作るのもめんどくさい。目次作るのもめんどくさい。

http://anond.hatelabo.jp/20081126222351

俺も似たようなことやってたけど、ていうかこういうことって普通の事だと思ってた。勉強ってこういうことじゃないの?

これで「几帳面」で「システマティック」って言われてるのにも驚いた。几帳面な奴はもっと几帳面だよな。(まあグラフとかは俺はやらなかったけど…)システマティックってほどのことでもないっつーか普通勉強だし。

俺なんかむしろすげえ面倒くさがりやだよ。面倒くさいから、なるべく勉強やりたくないから、量を減らせるように効率よくしようとするわけで……

http://anond.hatelabo.jp/20081126222351

すげえな。ここまで几帳面システマティックにやれるのもある意味才能だなあ。

それに比べて俺はもっといい加減に超適当勉強してたなあ。お陰様でしょぼい旧帝大に行ったもんだ。

2008-11-13

友達と喧嘩した理由が「恋愛価値観」って人いますか?

現在彼女がいるんですが別れようとしててそのことから友達と喧嘩してしまいました。

原因は何であれ喧嘩することはあると思うのですが、仲直りの方法というか言葉が見つからなくて落ち込み気味です。

彼女とは喧嘩した友達とは別の友達を経て知り合ったんですが、好み容姿だったので僕のほうから声をかけて付き合い始めました。

最初の1??2ヵ月はお互い少し緊張していることもあってよく見せようとしていた部分もあったのですが、

特に最近ではそういう変な遠慮というものもなくなりある程度お互いの本来の性格を出してます。

そこで度々彼女から「貴方のそういうところが嫌いorおかしい」「そうじゃなくてもっと私にあわせて」とか言われるようになって、

僕の基本的な考え方だからそれをおかしいとか彼女に合わせろと言われても窮屈なだけだから別れようと思い、

一昨日ちょうど友達4人で飲む機会があったのでみんなに話したんです。

僕「基本的に考え方っていうか価値観が合いそうにないって感じてきたから別れようかと思って」

友「どんな感じなん?」

僕「例えば・・・」

年末調整前に送ってくる保険会社からの証明書は失くしやすいしダイレクトメールなんかと間違って捨てやすいよね→僕の場合は届いたら大事な手紙を入れておく引き出しにいれるよ→几帳面に保管する人は少ないよ→いや大事なものだよ?→貴方のそういうところが嫌い

・(秋葉原ヨドバシカメラへ行くときに)秋葉原歩きタバコ違反で捕まるからね?→タバコ吸ったら駄目な範囲は?→そもそも歩きタバコはやめてほしいよ→私の自由だし。タバコ吸って文句つけるなんておかしいよ。せめて私にあわせてタバコくらい吸ってほしいな

など例を挙げて話しました。

すると、友達の1人が、

友「彼女がそうしてほしいって言ってるんだから男なら合わせてやるべきじゃね?」

と言ったので

僕「個人の趣向や思考まで合わせるのはおかしくないか?」

と反論したところ相手がキレて言い合いの喧嘩に。

友達は途中で帰ってしまったのですが、どうやって仲直りをしたらいいものやら悩み中です。

ここは素直に「僕が悪かった。言われたことを踏まえて彼女とどうするかもう少し考えてみるよ」と頭を下げれば収まるものなのでしょうか。

2008-11-09

後出しOKだから

http://anond.hatelabo.jp/20081109195737

増田敬語を崩さないとこみれば、元増田がどんな性格だかわかるわけよ。

よく言えば几帳面で自分をきっちり持ってるタイプ

悪く言えば融通がきかず頑固に言い張るタイプ

これ、同じ現象を違う断面から見て言ってるだけのこと。

「父」「兄」という単語が出るだけで、ダメだろと思う。

なぜなら、通常範囲なら、父とか兄とか言わないので。

が、心理学やってるんじゃないんで、そこは認識違いで失礼ということでスルーしていいかな?

で、元増田の書き込みは、つまり「未練が断ち切れがたく切ない夜を過ごしている」とそう読んだんだけど。

それでOK?

じゃあ、その未練を断ち切る方法としては、今さらだろうと迷惑だろうと相手のとこ行ってぶつかるしかないんでない?

粘るかどうかと、恋愛の情の深さは関係ないよ。

相手の気持ちが何より優先ならば、相手にとって、自分が側に居ることがためにならないと思った時点で粘らない。

むしろ、急いで立ち去る。

毎晩毎晩枕が濡れる。何ヶ月経っても思いは消えない。ただ、ひたすら「あの人が幸せでいてくれますように」と祈る。

情があるからこそ、粘れないときもある。

でも、元増田は、そんなつもりじゃないわけだろ?

「彼が毎日笑って過ごせますように」「彼が幸せになりますように」そう祈りながら暮らせないわけだ。

毎日、捨てられた自分を憐れんでいるんじゃないの?

なぜ、彼がいないと苦しいの?

自分が寂しいから?

彼が幸せだから?

2008-11-02

セブンイレブン弁当を封しているテープが気に食わない

几帳面な俺は、テープを綺麗に取り除いてから弁当を食べたいのに、セロテープよりも弱いテープ使ってるから、取り除く途中でテープが切れちゃって綺麗に取り除けなくてイライラする。

2008-09-24

http://anond.hatelabo.jp/20080923190850

血液型性格占いによると、A型几帳面なのだそうだ。私はA型だから几帳面なのだろう」と考えて本当に几帳面になる人もいそうな気がするんだよなー

それもある種の「血液型によって性格が決まる」例になったりしない?

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