はてなキーワード: 偏向報道とは
「みんながカメラマン」を使った結果、別に被害が起きなきゃ搾取される投稿者がいるだけで、別に問題ない。
具体的に言えば以下の感じ。
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
「テレビ朝日は、一切の責任を負わない」「第三者からの請求には、投稿者の責任と費用で解決」「違反していた場合の損害は、投稿者が賠償」
「自分の息子が隣の家の子供の面白ビデオを勝手に投稿、テレビ朝日に止めてくれるように頼んだが、ゴールデンで放映、隣家から苦情」
表示されるのは氏名だが、「生放送中に、街の名前をうっかり放映」「放映を止めるのが間に合わない」という放送局側のミスでも、責任は投稿者にある。
結構ソフトな表現にしたが、うっかりライブ映像を投稿した場合、矢面に立つのは迂闊な子供を持つ保護者だ。
「一切の責任を負わなくて良い素材テープ」が有ったときに、「責任を負う可能性のある素材テープ」との使い方に差が出るのは、当然だろう。
「市民活動家の許可を得て撮影し投稿、変な擬音や落書きで珍ニュース扱いのバラエティ利用。訴訟へ」
同一性保持権は著作者人格権の一種なので、「著作者人格権を行使しません」とは「好きに使って良いよ」という事になる。
なので、ある市民団体や活動家に取材を申し込んで、ニュースで取り扱って貰うように投稿した結果、
番組内で「疑似科学乙ww」とか画面に書き込まれてバラエティでお笑い芸人に散々弄られても、文句は言えない。
地域・期間・回数・利用目的・利用方法・利用態様を問わず許可してしまっているので、
「大学生の時に、ブスから美人へのメイク講座としてうっかり投稿→就職後もことある毎に再放送され出版へ」となっても止められない。
「ハリケーンで巻き上げられる自宅を観る度に精神的な被害が、と訴えられる」
ハリケーン映像とか台風の被害投稿とか、結構ありがちな素材だろう。
「店の看板が一瞬写る、風評被害だ」とか「自宅が吹っ飛ぶ映像が何度も映る、苦痛だ」とか。たぶん問題ない。
たぶん問題ないんだが、訴訟になったときに、テレビ朝日が強力な弁護団を組んで、普通に勝訴したとする。
示談にした方が安く付くとか、そもそも再放送しなきゃ良いとか、テレビ朝日には関係無い。
一番判りやすいのは「「FNNビデオPost」利用規約」だが、使用権を貸与したものとして扱うことになってる。
期間や利用形態の定めがなく著作者人格権を行使しないともなっていないので、FNNは無制限に使うことが出来るが、利用者が止めてと言ったら止める必要がある。
若気の至りを止められるし、市民団体から抗議がある可能性がある編集は、FNN側が当然責任を負う事になる。
裁判になれば、無茶苦茶な利用規約は無効になるから実はあんまり関係無い。
また「ホテル従業員が芸能人の利用をTwitterに投稿」とか炎上するにしても今と変わらないこともある。
今までのビデオ投稿系と何が違うかと言えば、「著作者人格権を行使しない」ので「こんな使い方されるとは思わなかった」を許容しろって事。
WBSのトレたまに投稿した社員一同頑張ってます動画を、面白おかしく加工して銀魂でネタにされるとは思わないだろう。
幼稚園の娘がプリキュア踊ってるのを投稿したら、将来3D化された上で「ギルガメッシュナイト〜今夜はロリパーティー〜」でイジリー岡田になめ回されるとか。
著作者人格権を行使せずに、テレビ朝日が指定する第三者に利用させることが出来るって「契約」は、つまりはそういうこと。
テレビ朝日は投稿データを、地域・期間・回数・利用目的・利用方法(放送、モバイルを含むインターネット配信、出版、ビデオグラム化、その他現存し、または将来開発されるあらゆる媒体による利用)・利用態様を問わず、自由に利用し、またテレビ朝日が指定する第三者に利用させることができるものとします。当該利用にかかる対価は無償とします。
正直、テレ朝が偏向報道した結果、893のフロント企業から抗議が来て、動画投稿者の個人情報を渡して責任取ってねって振ったら、大炎上するだろう。
まず間違いなく心あるテレビマンなら止めるし、まともな上場企業の法務がチェックしてれば、そう言うことにはならない。
だから、心霊写真を投稿したつもりの女子高生の顔だけ切り出して、「いっぱいだしてね!」と入れた上でAV専門店の看板素材として提供されたりはしないだろう。
ただ、この契約というか規約上は、そう言う使い方を許容せよと書いてある。
裁判に持ってくまでは担当者の良心に依るしかない規約って、マズイと思うわけだよ。
削除は入るかどうかってところだが、正直無期限無制限に使用させろっていう割に、削除に未対応とかすごいことになってる。
バラエティに使って将来DVD化する時に許可得たくないってことなんだろうけど、そう書かないとこれ駄目だよなあ。
公共性があると思って近所の火事投稿したら、週刊誌に「天誅だ!(写真はイメージです)」とか使われる可能性があるとか、フリーダムすぎる。
右派団体による抗議した件への裁判を偏向報道じゃないか?と思っていたら
なんで裁判でストレートで有罪が確定した判決について批判するのに、背後の細かい事情まで出さなきゃいけないの?まああって欲しかったという要望なら分かるけど、それが無いからと言って変更報道だ!と主張するのは無理がありすぎるよね。
該当事件において参加していた在特会メンバーは威力業務妨害罪、侮辱罪、器物損害罪で逮捕され起訴され有罪判決を受け控訴を棄却され上告も棄却され有罪判決が確定しております。そんな基本的なことも知らずにコメントしてたんですか?あとこちらが示した資料をまったく、読んでいないことも確定しましたね?
というか「民事事件だから有罪じゃ無い!」って、日本では民事と刑事で同時に裁判が進行して行くことも知らないのか、それはいくらなんでも。
こんな基本的な情報も知らずに批判する人に「偏向報道」とか言われたく無いよね、メディアも。そしてそんな最低限の知識も調べる気がない人にまでいちいち配慮などしてられないよね、時間は有限なんだから。
それにしてもすごい、2012年2月時点で上告棄却で刑事裁判にて有罪が確定した犯罪行為に対して「社会現象」「係争中の事件」なんて矮小化も甚だしい表現を使えるなんて。その上で「偏向報道だ!印象操作だ!」と主張しているんだから、本当に恥知らずとしか言えないですなあ。
その程度で支持率が下がるのであれば、ただ単に政府与党の説明が不十分だったからという評価が
支持に表れたというのはどうだろうか。
また、報道が偏向的であったというが、一方でアベノミクスの経済効果についてもかなり政府寄りの印象操作が行われていた印象があるがどうか。
そこは正しい報道だと言って、その深層にある過剰な偏向報道には目を瞑っているではないか。
今回の集団的自衛権の行使にしたって、説明不足であったと菅義偉官房長官も反省した場面があった。
国民に十分に説明せず勝手に閣議決定して、更にどことは言わないが常任理事国やアジア近隣国からも反対声明が出される事は異常であるし、
またそれに対して過剰なネガキャンだと断じて批判するネット住人(ネトウヨなど)の姿勢も問題だ。
ところでネット住人とは、本当に一般的なネット住人なのだろうか。
つい先日には、大手匿名掲示板2ちゃんねるの契約者一覧が流出した時、自民党が名を連ねていた。
自民党がちゃんねるやそのまとめサイト(アフィブログ)を通じて印象操作として素晴らしいと言い続けた結果が、この支持率低下に繋がったのではないか。
今回の支持率低下は、実は報道の過剰なネガキャンのせいではなくネット上の印象操作に嫌気が差した少なくない人が反対表明に回ったためではあるまいか。
というアインシュタインの言葉が好き。彼は「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションである」とも言っている。
偏見から自由であることは、切り替えの良さとも換言できる。切り替えの良さの根底には、一種の集中力が大きく関係している。感情を揺さぶる出来事があってもブレずに思いのままに注意をコントロールできる、そういう集中力だ。
世の中には嫌なことがあったら延々と引きずる人がいる。1つのことを1つのところでグルグル考えている。切り替えが悪い人とはそんな人だ。切り替えの悪い人は頭が悪くなる。
この世界を好きなものと嫌いなものと無関心なものの3つに分けると、無関心なものは殆ど認識されない。当人にとっての「世界」とは好きなものと嫌いなもので殆ど構成される。
切り替えの悪い人は、好きなものと嫌いなものに遭遇するたびに、思考がそっちに引きずられ堂堂回りに陥ってしまう。また別の好きなもの・嫌いなものに出会うと別の堂堂回りに巻き込まれる。そんなことを繰り返している。
そんなループを転々としているから設定した思考テーマに腰を据えて向かい合うことができない。だから頭が悪くなるんだ。
カントは毎朝30分窓から見える樅の木を見つめて集中力を高めた。テーマを固定する重要性をよく分かっていたのだろう。いくら天賦の才を持っていても、集中力がダメになると一気に頭が悪くなる。
ネットで対立争いしている人がバカに見えるのは、どうでもいいことに必死になってるからでも、自分に都合の悪い主張を言っているからでもなく、ものすごく切り替えが悪いように見えるから。
実際のところ中の人は1人でもなければ固定したメンバーでもないのに、あたかも1つの人格として見てしまうし、実際にそう扱われているから。
言っておくけど、世の中不毛な争いやくだらない主張してる人でも賢い人はいるよ。
切り替えが人に比べたら良いという人は沢山いるけど、少し切り替えが良いくらいでは偏見をなくすのは難しい。
偏見は切り替えの悪さの時間積分だから。そして偏見は偏見を呼ぶから。どんどん蓄積していくから。だから偏見をなくすことはとてつもなく難しい。
例えば偏向報道に関してしばしば、そもそもフラットな報道などありえない、だいたい何をもって公平とするんだ、偏見と言うのも偏見だ、などと言われるが、大切なのは拘りのなさである。
全知全能などありえないのだから、情報や知識に偏りはあって当たり前。しかし、人間は学習する生き物だから、これまでの考えに反する知識を新たに得れば、考えを改めることができるポテンシャルがある。
それが出来るかどうかである。それができないほど自分の考えに傾倒している状態を私たちは偏見と呼んでいるんだ、実際のところ。
自論に反する情報には反発的になるのが人情だけど、切り替えの良さがあれば不快な感情を切り離して、その情報自身の意味するところを落ち着いて理解し、歪んだ解釈を加えることなく取り入れることができるからね。
軽く日常的な会話をしていても、落ち着いて普通に話のできる人とそうでない人は簡単に見分けがつくだろう。
感情をすぐ混入させてしまう人は、危ういなと思うし、建設的な意見を聞けそうにないなと思われてしまう。そんな人はまず集中力からだね。
都合の悪い話になると話が聞けない人、これが一番危ないけど決して少なくないタイプだ。次に誤魔化してしまう人が危ない。人格者とされる人でも誤魔化す人はほんとに多い。
常々思うのは人の評価なんて欲望まみれであてにならない。高評価だからと安心せず、頑固な印象を与えていることを自覚したほうがよい。誤魔化してもバレバレ。
その次が都合悪くなると言葉に詰まる人。ここまでくれば割と安全だがやっぱり潜在的に危ない。カウンセリングでも言葉の詰まりは重要な手がかりになる。
都合の悪いときによく言葉に詰まる人は、フラットな精神状態を保てていない証拠であり、それが偏見増殖の原因となっていることを自覚したほうがよい。
田母神氏は都知事選を終えて会見を開いた。田母神氏は「保守運動をこれからも盛り上げていきたいと思っている」と締めくくっていた。それを承けて、記者から「それはどのような保守政党になるのですか」と問われて、次のように答えている。
「日本の政治家はね親中派、中国派の政治家がいっぱいいますよね。それに対して保守派と言われる政治家がいる。でも、この保守派の大半というのはアメリカ派なんですね。アメリカの言う通りにしなきゃいかん、と。だから日本の政治状況は中国派とアメリカ派が喧嘩しているような政治状況なんですよね。で、日本には日本派の政治家なんてほとんどいないんですよ。で、よその国を見ればね、アメリカの政治家ってみんなアメリカ派なんですよ。イギリスはイギリス派、フランスはフランス派です。つまり、日本だけ日本派の政治家が大変少ない、という状況だと私は思うんですね。だから、日本派のたくさん集まった政党が出来ないと、日本を取り戻すことは出来ないと私は思いますね。」(http://www.youtube.com/watch?v=LwEMM349-SQ 45:00付近の発言)
もちろんこの記者会見の場は、「日本派」とは具体的にどのようなものであるのか、を打ち出す場所ではないので、こんな大雑把な説明になっているのは致し方ないとして、それでもなお「日本派」が一体何を指し示すのかサッパリ分からなかった。いや、感覚的に言わんとしていることは分かるんですよ。でもでもね、右翼にせよ左翼にせよ、「日本という国がよくなってほしい、日本国民が幸せになってほしい」という動機から行動しているんじゃないのか、って思うんですよ。そういう意味では政治家には基本的に日本派しかいないし、その日本派がどのようなものであるのかを解釈する点において異なっているんじゃないの、ってね。「あいつは親中派で日本のことを考えていない」なんて意見を聞くことは往々にしてあるけど「おまえが考える"日本"のことはかんがえてねーよ」っていう話に過ぎない。例えばですけど、アメリカと融和的である政治家はたしかにいますけど、それって段階論でしょ? つまり、究極的な理念においては肯定できなくとも、現時点においては仕方ない、と容認するような、ね。米軍基地を保守派が認めているのもそうじゃないか! もし田母神が親米じゃなくて「日本派」であるならば、米軍基地を日本から全て追い払わなければならない。「普天間基地移設問題」について石破がよくやるような偽善的態度、つまり「沖縄の皆様には本当に申し訳ないと思っているけれど…」なんていう、気色悪い芝居は一切やめて米軍基地を一掃してほしいね。三島由紀夫だって自決する際の檄文で「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」と言ってるよ。もし原理主義的な日本派が存在するならば、喫緊の課題である米軍基地問題を対処せよ、と私は声を大にして言いたい。(http://www.youtube.com/watch?v=ZgyRYLkGFVU こういう"親米派"と独善的人間がいる限りはね。この動画で話している人物は、「戦後レジームの脱却」をあらわすどころか、沖縄返還前への逆戻りを進んでいるぞ、と怒りを込めて言おう。 http://www.youtube.com/watch?v=7bi5ZZrG62g こっちの動画では「選挙に民意が反映されていない」等と言っている。投票率77%だよ、なに言ってんの、こいつ。沖縄を馬鹿にするんじゃない。 http://www.youtube.com/watch?v=4lwpRSMvL6Y ここでは水島氏が一人の漁師から話を聞いて、彼にあたかも名護市民の”ホンネ”を代表させようと、プロパガンダを企んでいるけれども、実際の選挙結果を見ると、いかに”偏向報道”であるのかがうかがえる。「日本派」はこういう不逞な輩を一掃するところから始めなければならない)
☆
それからもう一つ。「戦後レジーム」を脱却して、「真の日本」を取り戻そうという試みはじつによろしい。じゃあ、「真の日本」って何? そもそも「日本」が「真の日本」であった時代ってあるの? 具体的に何時代? あのね、そういったことを言うためにはやっぱり歴史を勉強しなければいけない。竹田ナントカみたいなトンデモはやめてくれよ。神武天皇が実在したかどうかなんていうバカみたいなハナシは聞きたくないんだよ。それは純粋に歴史的学問としては興味深いが(竹田が興味深いわけじゃないよ。念のため。)、今の日本を考える上では少なくとも参考になるものは少ないね。歴史を論じるならば、むしろ江戸時代とは何であったのか、明治と江戸の間にいかなる断絶/連続があったのか、っていうのを「日本派」の人びとには考えていただきたい。「日本派」の人びとは、日中戦争や第二次世界大戦を(陰謀論的に)語ることは大好きだ。で、それを説明するために、だいたい明治以降の歴史を考察するのはだいたい常道といってもよかろう(http://www.ganbare-nippon.net/official.html 例えば、この綱領を見ても明らかである)。でも、「明治」っていう時世自体そもそも薩長という田舎者にでっち上げられた「捏造品」だったことを忘れはいまいか? それに、江戸生まれの知識人達の身につけていた教養のたいていは、和文よりも、唐山仕立ての「漢籍」なわけですよ。ようは、きみたちの嫌いなシナこそが絶対的だったわけ。田母神氏がフランスの話を引き合いにだしていたから、ちょっとフランス語の事情から言ってみると、「歴史histoire」という言葉は同時に「物語histoire」でもある。お察しの通り、「ストーリーstory」という言葉も歴史historyからきている。「真の日本」っていう歴史的問題は、つまりストーリーの問題でもあるわけ。「天皇」だってストーリーの問題でしょ? で、ストーリーっていうのは、小説家や歴史家なら当然知っているように、始点と終点がすごく重要なんですよ。例えばフランス革命だってロベルピエール処刑を終点とした一定のストーリーをもとに語られることが多いけど、ナポレオンの時世までをフランス革命の物語として考えたら、少なくとも、ロベスピエールの立ち位置っていうのは少ならず変化する。「真のフランス革命」を探究しようとしたって、じつはそう簡単に出てくるものじゃないし、歴史をストーリー抜きに語ることの困難さっていうことは歴史家が身に染みて分かっていることだ。私は「真の日本」にも同じ問題を感じるよ。もしね、もしだよ? 「日本派」の人びとが、自分たちの語るストーリーだけが真実だって言い出したら? うん、それはカルトと呼ばれるもののはじまりです。だからね、私はカルトになんてなってほしくないわけですよ。「真の日本」なんてそう簡単に見つかるものではないんですよ。それは江戸時代の複雑な歴史をちょっと知っていれば分かるはずなんですよ。だから、戦後レジームとか、そういうカルト的言動は慎んで、とりあえず江戸時代に沈静して、マトモな日本人になってほしいな、と思うわけです。
☆
追記。ちなみに、「日本派」の原理性をここでは言いたかったのだけれども、そうした右派原理主義をおしすすめると結局左派原理主義ともつながってくる、ということを確認しておく必要がある。どっちも現実を見ずに理想に邁進してしまうから当然だよね。だから、アナーキズムとファシズムには融和性もあるのだし、石原莞爾みたいな人を一人考えてもそれは分かるでしょう。あるいは、三島だってそう。でもこの話は長くなるのでまた今度。
追記その2。「中国派とアメリカ派」っていうのは、行動原理の奥底に、「中国に利するように」等の陰謀をその人が持っている、と田母神氏は考えている、ということだろう。いわゆる「田母神論文」もそうだったけれども、思考法が基本的に「陰謀」に帰着するという単細胞ぶりには、思想が右であれ左であれ、注意しなければいけないと思う。「陰謀」で全て片づけてしまうと事象の繊細なニュアンスを捉え損ねるからだ。「チャンネル桜」では、サヨクという言葉で全ての悪を表象しているわけだけれども、こういうマニ教的二元論によって自らが思考停止しているということに気がつかなくては、ネトウヨ=新右翼のコミュニティを脱して「民意」を掴むまでにはほど遠いと言わざるを得ない。これは戦術上そうなのだ。
タイトルだけだと語弊がありそうだけど、
ツイッターで「デモはデモクラシーのデモであり、それを抑えつけることはデモクラシーの危機だ」
みたいな文章があった。(その人への特定攻撃がこわいので文は若干改変)
そもそも「デモ行進」「デモ活動」みたいな言葉の「デモ」って「デモンストレーション(示す、証明する)」だよね?「デモクラシー(民主制)」ではないよね。雰囲気で類推解釈して叫んでる人が疑問。
たしかに、デモクラシーは国民の声によって政治を機能させる制度だし、「デモ活動」は政府の方針に反対する人の「民意」なわけだけども、、「間接民主制」じゃん。
選挙によって(「民意」によって)選んだ政党、議員がその方針を示してるわけだから、過剰なデモを抑圧する分にはいいんじゃないカナ。
だって、今回の法案反対デモに参加してる人って選挙の時に自民を選択した人もきっと大勢いるんでしょう?なのにあんなにムキになっちゃって変じゃない?
プラカードの中にはものすごくエゴイスティックな言葉が書かれてたりするし、そういう人ってまず法案に目を通したのだろうか。選挙のときマニフェストをしっかり確認して投票したのだろうか。
メディアを作っているのは人だし、その個人には思想があるわけで偏向報道するのはもはや前提条件だと思うけど、あきらかにそれに流されて自分自身の意見を持たずにメディアから受けた言葉を「民意」だと思い込んでる人が多い気がする。
法案にしっかり目を通す、わからない文言があったら辞書を引く、それでもわからなかったら賛成派、反対派の意見(感情的な論調のものを除いて)両方に目を通して自分なりのロジックを組み立てる。そうやってはじめてデモクラシーが達成されるんじゃないのかな。
「民意」が届かない!最低だ!って叫んでる人はさ、民意が直接届いた1933年のドイツを振り返ってみてよ。ツイッターでも感情的に賛否の議論をして白熱してるのをよく見かけるけど、そういう意見の多数者によって物事がどんどん決まっていったらそれこそ衆愚政治になってしまう。
選挙によってフィルターを通し、与党野党がさらにそこで議論を行って慎重に決めている現在の日本(確実にそうかと言われると疑問だけど)は、直接「民意」が届かないからそれなりの生活ができてるんじゃないかな。
民主制なんて国のリーダーが全部きめるわけじゃないんだから、確実なベストはありえないし国民が冷静に落ち着いて議論しつづければ「そこそこイケてる」国でありつづけると思う。条件反射的に「それはだめだ!あぶない!死ぬ!」とかやめようよ。
政府筋によると、政府は有識者と報道機関の誤報について近く研究会を設立する意向を明らかにした。研究会の名称は「虚偽報道および偏向報道に関する報道機関の責任と税のあり方」。
かねてから報道機関の恣意的な報道や虚偽報道、所属職員の給与が著しく高い点が一部国民の間で問題視されていた。将来消費税を増税した場合、現状では国民の理解が得られない可能性が高く、増税に対する批判をかわす狙いもあると見られる。
具体的な課税対象と課税方法については今後研究会で検討するが、報道機関の規模および所属メディア、報道の質に応じて区分を設け、課税金額を決定する方式が有力と見られる。また、政府が強力に推進したい法案を積極的に啓蒙した場合には、その割合に応じて課税額を減免する制度も盛り込む方針だ。仮に導入された場合、税収は「20兆円から30兆円ほどアップする」という。
国民の間からは「社会の木鐸たる報道機関の意義を報道機関自らが問うべきだ」といった意見や、「マスゴミざまあww」といった声が上がった。
報道関係者からは「報道の質を更にあげる良い機会だ」という声が上がる一方、「これまで間違ったことのない者が石を投げなさい」「まちがったっていいじゃないか にんげんだもの」と開き直る者もいた。また、この報道に関してある報道機関の社筆は「懲罰的課税であり大変問題だ。偏向報道をすることが唯一の楽しみなので年寄りから楽しみを奪わないでほしい。導入されたとすれば倍返しする。やられてなくてもやり返す」とコメントした。
板本偽太夫(亰都大学教授 公共シイッター学)の話「報道の自由を損なう可能性が極めて高く、現行憲法では違憲になる可能性があるだろう。もっとも、政府はうわなにをするやめくぁwせdrftgyふじこlp」
物心がついたときから、俺はずっと絵や漫画を描き続けてきた。俺にとって絵や漫画を描くというのは、
何かにインスピレーションを得てストーリーを書いたり、遊びの一環としてやる程度のもので、
何か特別なことでもなく、ましてや高尚なわけではなかった。
ただ、自分がいわゆる「オタク」かと言われてみれば、オタクとみなされれば利益を害する状況であるかどうかは
関係のない状況だとしても、そうです、とは言い切れないだろう。なぜなら、俺はいわゆる「オタク」の行動が、
全く理解できないからだ。
描く絵柄もかわいいし萌え絵を取り込んだ部分もあるから、世間一般からすれば俺はオタクかもしれないけれど、俺は
オタクの行動、思想というのが全くといって理解できない。というかオタクに対しては忌み嫌っている側面さえある。
もちろん、俺のオタクのセルフイメージ自体、マスメディアの偏向報道によって事実とは違うものも多分に
含まれているという可能性も否定できないと思う。でも、それでも所詮二次元の、自分が描いたわけでもないような
美少女に(いい歳してるかとか容姿の良い悪いかは別にしても)たくさんの愛情を注いで、愛でるようなことをする、
二次元の美少女を「嫁」と称したりするような、そういう入れ込むような行為は、(口は悪いけど)はっきり言ってキモいと思う。
どうしてキモいのか?と聞かれても、俺ははっきりは答えられない。ただただ、キモい、と感じるだけだ。
ましてや(程度の差はあれども)グッズを買ったりアニメイベントに参加するために生活費を切り詰めたりするような連中となると
それこそ本当に理解ができない。アニメで漫画が原作なら漫画やBD、DVDを買うために生活費を切り捨てる、というのなら
まだ理解できる。でもグッズを買ったりイベントに参加するためだけに生活費を切り詰めたりするという話になると、全くといって
その価値観が理解できないものとなる。たかだかそんな物、事のためにお金や時間を消費するという事は、本当に理解できない。
だから俺はそういうオタクの価値観は持ち合わせてはいない。はっきり言ってそんな物より服の方が大事だ。
興味もないし理解もできない。
理解できないといえば面白いアニメを見終えれば、すぐに二期を作れ、続きを作れという作品性そのものを
無視したような、おかわりをねだるような行為も理解できない。確かに面白ければ続きをずっと見ていたくなる気持ちも
わかる。だからといって(続きがあったり続かせる気があったなら別だろうけど)すぐにおかわりをねだるような行為。
これも本当に理解できない。下品だ、作品を単なる消費物としかみていないんだ、とそういう意見は忌み嫌ってしまう。
というか書いてて思ったんだけど、食べ物を食べるだけのようにただ消費だけをする、という連中が本当に
理解できない。
というか、ただ消費をするだけと書いたのはおねだりをするように続きをねだったり絵や作品をかけといってくるような
といっても全てが理解できないわけではないと思う。二次創作をやるのは俺がインスピレーションを得たから
何かを描くのと大して変わりはないし、今後の作品作りに活かすためにアニメや漫画を細分にわけて分析したり、なぜ
面白いのか、魅力的なのかだとかの考察を加えてみたりするような事もある。だからそういう行為は理解できる。
話はそれたかもしれないけど。だから、俺は上に書いたような理由で、(あくまでセルフイメージではあるけれど)
オタクは理解できないし、精神的にさえ「オタク」には成りきれないと思うし、成りきれない。
ものすごく大雑把に要約して書くと、俺はオタク的行動が理解できない、だから精神的にさえオタクには成りきれない。
成りきれないし、忌み嫌う節さえある。
だから結局のところ俺のそういう感情を理解してくれる人は、俺と同じようなかく側、作る側の人間でしかないわけだし、
オタクの世界じゃ俺の居場所なんてない。一時期はサブカルや芸術に身を置く側の人間のように振る舞おうともしたものの、
俺は自分の描く絵や漫画はサブカルや芸術を志向したものでもないわけだし、あくまで漫画や絵は娯楽としかとらえていないし
そうとらえた物以外を作る事には興味すらないわけだから、だから俺は結局サブカルや芸術に身を置く側の人間にも
なれなかった。
そんなんだから、絵は萌え絵を取り込んでいるような絵柄にも関わらず、精神的にさえ「オタク」にもなれない、
麻生さんが憲法改正を進めるためにナチスを参考にしたらいいというような主旨の発言をしたとマスコミは報道しましたが、マスコミ的にはこれは使えると思ったのでもちろん記事にしました。
すると、それをいいことにネットの左翼たちは歴史についてわかっていないとか危険な全体主義思想的な発言だと批判し始めた。
実におもしろいwww
政治家の言葉がマスコミから正確に情報として伝わるのはそもそも稀である。
大概は記者や新聞社やテレビ局の恣意的な意向に沿った捏造が伝達される。
その話を全て聞いたうえでの発言なんでしょうか?
まぁ、別に左翼共が麻生さんを批判するのはいつものことなので別にいいですがw
最近でも消費税を上げるとはひとことも言っていない。財政健全化をすると言っているだけ。それが消費税と報道する日本のマスコミはそもそもおかしい。
今回の件に限らず麻生さんに関しては大半がマスコミの偏向報道や捏造しかないのである。
マスコミは左翼や大衆に政治家を批判させるためにワンフレーズを切り貼りして報道する仕事をする人達である。
まぁ、そしてマスコミに煽られて大衆は今日も暴走するんですな。
それが全体主義に繋がることも知らないでね。
('ー') フフ
wikipediaのおかげで長年の疑問が解けた気がする。
思いつくままに書いたので、ちょっとひどい文章です。
何か殺人事件のような凶悪な事件があったとき、テレビでコメンテーターなんかが自分勝手だどうだと言い立てるのに、疑問を感じていた。
もちろん、そのような事件に怒りを覚えるが、その犯人の生い立ちや環境に向かい、当然偏光報道の小さな情報しかないから、わからず、ただ怒りを覚えるだけだった。
もし殺人を犯した本人として、同じ遺伝子で、同じ親から生まれ、まったく同じ環境で生まれ育ったら、必ずその凶悪犯罪を犯すことになる。
俺は違うというのは成り立たない。意思で何とかするというのも成り立たない。その人として生まれ、まったく同じ経験をしていけば、同じ精神構造になり、同じ行動を起こす。
正常な人たち、というか、大多数のメジャーグループが少数派の異常なものを殺す。
ラッキーにも普通の家に普通に生まれ、普通に成長し普通に生活しているものの群れが、不幸にも異常な家か異常にか、異常な環境で成長したものが異常な行動を起こした1人の者を殺す。
国・社会というシステムを正常運転するために、見せしめであって、それが死刑か終身刑かというプロセスであって、
これに自分勝手だどうだと感情を入れ出した瞬間、プロセスから殺人に変わるんじゃないかと疑問に思っていた。しかもたちの悪い大義名分を持った正義と言い張る集団殺人。
それとも、見せしめを自認して、見せしめ効果を拡大させるのがコメンテーターの仕事なのだろうか?
昔、殺人などの凶悪犯罪への処罰、特に死刑について考えたとき、そういった人だけの世界を作って別々に生活できれば、それが理想じゃないかと考えた。
普通な人は普通な世界で、普通な人から見た異常な人(少数派な人)は異常な世界で。
(文章が長くなるので、以降あえて異常という言葉を使う)
刑務所はそういう場所のようにも見えるけど、普通な人が管理・支配し罰を与える狭い場所だからちょっと違う。
実際には犯罪の凶悪性、タイプも違うから、というか他にも多々問題ありそうだから、不可能だけれども。
と昔そんなことを考えてたんだけれども、ふとさっき刑罰についてwikipedeaで調べてみた。
冒頭を引用すると
刑罰(けいばつ、英: Penalty,独: Strafe)とは、形式的には、犯罪に対する法的効果として、国家および地方自治体によって犯罪をおかした者に科せられる一定の法益の剥奪をいい、その実質的意義は犯罪に対する国家的応報であるとともに、一般予防と特別予防をも目的とする[1] 。広い意味では犯罪行為に科されるもの[2]。刑ないしは刑事罰ともいう。
と書かれている。
気になったのは以下の意義の部分
システム上の見せしめプロセスという事で、一般予防と特別予防は、やっぱそうだよなと思った。
気になったのは国家的応報の部分。
なるほど。
まったくの個人的な納得ではあるけれど、殺人者には殺人者の世界を、凶悪犯には凶悪犯の世界を普通な人の世界と重なり合った形で仮想的に実現されてるのかなと思った。
凶悪犯罪を犯してからの後追いではあるけれど、犯人に対して相当する罰が与えられるという事は、その犯人の取った行為が通常である世界にいるという事なのかもしれない。
殺人には殺人で答える仮想的な世界が、殺人を犯した者に対して、後追いではあるけれど、用意されている。
適当な刑罰は、少数派の異常と呼ばれる人に対して、自分が自分でいられる、もしかすれば楽園かもしれない仮想的世界を用意しているのかもしれない。
法律ってよくできてんなと思う。
ただ、殺人(罪)に対してに対して国が殺人(罪)を負う事で少数派・多数派両面に理想的な仮想世界を適用しているとしたら、国でもないマスコミなんかが凶悪犯に勝手なコメントを加え、適当な刑罰以上の罰(=罪)を加えている罪は償わなくてもいいのだろうか。
誤報、偏向報道で必要のない罰(=罪)を加える事は大罪じゃないのか?
最後に。。。
文章酷かったり、無駄に長かったりで、なんか申し訳ないです。