タイトルだけだと語弊がありそうだけど、
ツイッターで「デモはデモクラシーのデモであり、それを抑えつけることはデモクラシーの危機だ」
みたいな文章があった。(その人への特定攻撃がこわいので文は若干改変)
そもそも「デモ行進」「デモ活動」みたいな言葉の「デモ」って「デモンストレーション(示す、証明する)」だよね?「デモクラシー(民主制)」ではないよね。雰囲気で類推解釈して叫んでる人が疑問。
たしかに、デモクラシーは国民の声によって政治を機能させる制度だし、「デモ活動」は政府の方針に反対する人の「民意」なわけだけども、、「間接民主制」じゃん。
選挙によって(「民意」によって)選んだ政党、議員がその方針を示してるわけだから、過剰なデモを抑圧する分にはいいんじゃないカナ。
だって、今回の法案反対デモに参加してる人って選挙の時に自民を選択した人もきっと大勢いるんでしょう?なのにあんなにムキになっちゃって変じゃない?
プラカードの中にはものすごくエゴイスティックな言葉が書かれてたりするし、そういう人ってまず法案に目を通したのだろうか。選挙のときマニフェストをしっかり確認して投票したのだろうか。
メディアを作っているのは人だし、その個人には思想があるわけで偏向報道するのはもはや前提条件だと思うけど、あきらかにそれに流されて自分自身の意見を持たずにメディアから受けた言葉を「民意」だと思い込んでる人が多い気がする。
法案にしっかり目を通す、わからない文言があったら辞書を引く、それでもわからなかったら賛成派、反対派の意見(感情的な論調のものを除いて)両方に目を通して自分なりのロジックを組み立てる。そうやってはじめてデモクラシーが達成されるんじゃないのかな。
「民意」が届かない!最低だ!って叫んでる人はさ、民意が直接届いた1933年のドイツを振り返ってみてよ。ツイッターでも感情的に賛否の議論をして白熱してるのをよく見かけるけど、そういう意見の多数者によって物事がどんどん決まっていったらそれこそ衆愚政治になってしまう。
選挙によってフィルターを通し、与党野党がさらにそこで議論を行って慎重に決めている現在の日本(確実にそうかと言われると疑問だけど)は、直接「民意」が届かないからそれなりの生活ができてるんじゃないかな。
民主制なんて国のリーダーが全部きめるわけじゃないんだから、確実なベストはありえないし国民が冷静に落ち着いて議論しつづければ「そこそこイケてる」国でありつづけると思う。条件反射的に「それはだめだ!あぶない!死ぬ!」とかやめようよ。