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はてなキーワード: ベランダとは

2018-06-24

これ 露天風呂? しょっぼい露天風呂ランキング上位確実

せっまいベランダに 体育座りじゃないと入れないバスタブ置いただけみたいなのでも露天風呂だって

しかも、そのせっまいベランダには目隠しの壁がドーン!で、景色なんか見えないし。

しかに屋内ではないけどさー

これを露天風呂と言い張る神経…

このマイナスを補って余りある他の…なんてことがあるわけはなく…

元々がしょっぼいとこなら期待もしないか

「こんなのでも露天風呂」みたいなのでも

どうってこともないんだけど。

露天風呂目当てで取ったとこではないから、

ガッカリはしたけれど…と 他に期待したのに…

露天風呂を見てよぎった嫌な予感がことごとく的中…という最悪。

想像するに

かなりの規模だし

昔は団体客向けのとこで、

大浴場はやたらデカくて、

庭なんてもんじゃなく、申し訳程度の植え込みが見える大浴場で…

そのうち、団体客なんて存在は激減してしまって…

個人客にウケるようにと考えたら露天風呂!と…

カタログかに露天風呂』という言葉あるかないか全然違ってくると…

大浴場脇の申し訳程度の植え込みに無理矢理みたいな湯船作って…置いて?

露天風呂だと言い張る…みたいな…

そんな露天風呂

そんな露天風呂で こんなことをうだうだ考えるのもまた楽し…とでも思っておくか…

ただただいやーーーーーーーーーーな気分で終わりたくはないから。


そんな しょっぼい露天風呂ランキングってないのかな?

2018-06-23

カブトムシベランダに居た

なんだか元気なさそう

とりあえずトマトをあげた

外出し帰宅した

カブトムシはまだ食事中だった

力強さが出てきた

そっか空腹だったのか

2018-06-20

被災地より

吹田市民です。

おとといの地震がどうだったか、現地レポート

私のスペック。30代男性大阪市内会社に勤務。妻、30代、専業主婦

私は、小学生の時、西宮市阪神大震災震度7経験済み。

自宅。築40年のマンション。古い。6階。

朝、いつもアラームは8時20分に設定している。(始業は10時なので、ゆっくりめ起床)

アラームがなる前に、揺れに気づき飛び起きる。

妻も既に起きていて、本能的に体を寄せ合う。

阪神大震災の時の感覚に近かった。

阪神大震災の時は、目覚めた時、既に揺れており、部屋が平行四辺形にグラグラ揺れていたのを覚えている。

違ったのは、振動の長さ。阪神大震災の時は1分ぐらい続いたと思うが、今回は15秒ぐらいで済んだ記憶がある。

震源に近かったせいか緊急地震速報は、揺れの最中から鳴り出した。

揺れが収まってからテレビをつける。

玄関にいき、下履きを持ってきて、泥を払った上で、室内用として使用する。(ガラス陶器割れて散乱しているので)

妻は、浴室用のゴムスリッパを履いた。

続いて、自宅内の被害確認

ダイニングの食器棚が倒壊し、食器は約半分が使い物にならない。

書斎PCモニター24インチ液晶)が机から落ちていた。正常に動作するかどうかは、未検証

書斎本棚が倒壊し、再起不能なほどに壊れた。当然、中の本はすべて書斎内に散乱。

寝室は、引き出し式のクローゼットが私の寝床に倒れていた。すぐに飛び起きていなければ、頭直撃コースだったに違いない。

それ以外は深刻な被害はなかった。

続いて、風呂に水を貯める。ガスの元栓を閉じる。ベランダなど、すべての扉が開くかどうかをチェック→正常に開いたので、問題なし。

電気確認問題なく供給されている。

ネット回線確認問題なく通信ができた。

自分と妻のワイモバイル回線音声通話は不可だったが、4Gは通信できた。

我が家は、基本的必要ものしかストックしないという妻の方針のため、非常食になるようなものがない。

会社上司に連絡。電車がいつ動くかわからないこと、部屋の中に割れ食器家財道具が散乱していることを伝えると、出社しなくて良いとの連絡。

(家の惨状写真に撮って送ったら、たいそう驚かれた。上司京都に住んでいるので、ここまでひどくなかったのかもしれない)

確認したところ、こういうとき必要ものとしては、2リットルミネラルウォーターが2本と、昨晩沸かしたお茶約1リットルしかない。

そこで、コンビニへ買い出しに行くことにした。

買ったものは、昼食の弁当×2、非常食相当のカップラーメン×2、朝食相当のカロリーメイト×1、紙パックのお茶1リットル とりあえず、夕方まではしのげる量の食料を確保。

自宅に戻り、午前中の間はテレビネット情報収集しつつ、下手に動いて余震にやられないよう、寝室で待機。

正午過ぎにお昼を食べて、そこから部屋の片付けを開始。

下履きを履きながら、室内の割れ物を回収していく。みかんダンボール箱相当で、3箱分ぐらいの、ガラス陶器割れ物が発生。

かい割れ物は新聞に包んで、特に営利凶器になってしまいそうなものは、ガムテープラップ養生してからマンションゴミ捨て場に捨てに行く。

同じような割れ物が、たくさん捨てられていた。

片付け作業中、1時間に1回ぐらいの割合で、テレビをつけて情報収集。私はずっとつけっぱなしにしたかったが、妻はこういう状況で災害放送をずっとつけていると、精神的にもよくないと反対。

私も納得して、必要以上に情報に接しないよう心がけた。単純に、片付けにも集中できるという意味で、効果は高かったと思う。(私はテレビ見ながらの作業は、ついつい手がお留守になりがちなので)

5時になり、ライフラインの疑問が解決しないかと思い、マンション管理室に行ってみる。

水道水がにごっていること、ガスを使っていいのか、この2点を尋ねに行った。

詳しい人はいなかったらしく、水は自己判断で、と言われた。

ガスは、一定震度に達すると自動的ストップするので、再始動の手順がガスメーター記載されていることを教えてもらった。

それ以上のことは、管理室ではわからなかった。

帰りに近所のスーパーに寄り、夕飯を買う。惣菜と水を買った。

昨晩の残り物、白ごはんねぎ焼きが残っていたのでそれを電子レンジで温めて、惣菜といっしょに食べた。

室内の掃除はあらかた終わり、あとは細かい破片を取るために粘着ローラーをかけるだけとなった。

夜は、寝室とは別の、一番家具の少ない部屋で寝ることにした。

念の為、天吊の灯具は外した。寝るにしか使わない部屋なので、当面困ることもない。

翌日は普通に出勤するも、一部でJRが動いていないため、阪急で出社。30分の遅刻

妻は、最後の片付けをしていたようだ。

一部の交通機関を除き、平常運転だったようだが、街の中には様々な傷跡がのこっていた。

マンションや駅のエレベーターは、軒並みストップ。点検して安全確認されるまで封鎖。

公共施設の多くで、天井や壁に亀裂(クラック)が入っており、これも点検修理が終わるまでは近づかないよう、カラーコーンなどで規制線がはられている。

街ゆく車の中には、工事関係の車が目立った。かんでん○○とか、ガスサービスセンター○○といった、インフラ関連会社や、

○○ビルテクノサービスといった、ビル管理系の車がよく目につく。

自分会社の自席は奇跡的になにも倒壊していなかったが、いくつかのモニターは倒れていたようだ。

あと、うちの会社の部屋だけエアコンがついておらず、昨日今日暑い中、汗をふきふき仕事をしている。

マスコミ報道内容とか、ヤフーニューストピックを見ていると、地震の扱いは過去地震と比べて小さいように思う。

死者の数は1桁、翌日から通常営業できるようになったせいか、さほど深刻に受け止められていないように思うが、

実際に震源の近くで暮らしているものからすると、余震に怯えたり、想定外の後片づけに悩まされたりと、色々苦労をしている。

ただ、これだけの震度でありながら、犠牲者の数が少なく済んだのは、阪神大震災経験が大きいと思う。

私は小学生の時に自宅で震度7経験したが、揺れ方だけ見れば、あの時の悪夢と全く同じだった。

違いは、揺れた時間の長さでしかない。

それにもかかわらず、倒壊損壊した建物火災になった建物わずかばかりであったのは、過去の教訓が行きていると思う。

高架橋の倒壊や鉄道脱線がなかったのも素晴らしい。

阪神大震災では、出席番号1つ前のクラスメイトを亡くした。

当時幼いながらも、そのことで、人の生死なんて、いつどうなるかわかったもんじゃない、と感じた。

改めて今回思うのは、儚さだ。人の命もそうだし、割れ食器たちを拾い集めている時も、同じ気持ちを抱いた。

しかし、22年前と比べると、確実に社会は変わったと思う。もちろん、前向きな意味で。

マグニチュード震度だけ見れば、当時より少し小規模だが、被害の規模は明らかに小さい。

建築物は、確実にあの時よりも丈夫になっている。

情報インフラも発達し、被害状況がほぼリアルタイムで分かるようになった。

色んな課題を抱えているこの社会だけど、耐震性というか、カウンターディザスタネスとでも言えばいいのか、

そういった社会の対抗力というのは、確実に進化している。

亡くなったクラスメイトの命も含め、過去震災災害で命を落とした人々の尊い犠牲の上で、私達は日々暮らしているのだと実感した出来事だった。

2018-06-17

今日も隣のベランダから柔軟剤の強烈な匂いが漂ってきた

いつも黙って窓を締めるんだが、

寝起きで「臭いんだよな~」とボヤいてしまった・・・

たぶん聞こえた・・・

臭いからつい臭いと言ってしまっただけで私は悪くないよな~

二度寝しよ

2018-06-13

虫が死なないからもう私が死ぬしかない

今家の台所にあれが出ました。あれです、頭文字がGのやつ。正直この呼び方ですら嫌悪を抱くし体が痒くなるので、某小説で呼ばれていた「せせらぎ」呼びを採用します。せせらぎが出ました。どうやらお風呂場の排水から来たようです。母が発見しましたが取り逃してしまったらしく、今も部屋のどこかにせせらぎがいます。寝室にしている部屋と台所が地続きの場所にある為、今夜は安心して眠ることは出来なさそうです。

私は虫が嫌いです。種類によりますが、虫が部屋に侵入したらもうこの部屋を捨てて家を出たいと思うくらいには嫌いです。今は両親とともに暮らしているのでどうにかしてもらえますが、一人暮らしなんて気が遠くなります

ベランダに虫がいると怖いので、洗濯物を取り込めないこともあるし、今も、せせらぎが風呂排水から侵入したと聞いてお風呂に入ることができません。不潔ですがいっそこのまま寝てしまおうかとも考えています。多分しばらく台所にも立ち入れません。

怖くて怖くて気がどうにかなりそうです。ほかの人はどうして大丈夫なんだろう。我慢すればいいとか慣れればいいっていうけど、どうしたら慣れるんだろう。

造形が似ているはずのコクワガタは何故か大丈夫です。むしろ可愛らしいと思うくらいなので、この違いってなんだろうと疑問に思います。恐らくは、移動速度の違いかなあ。奴らものすごく足が速いので。ちまちま動くイメージのあるコクワガタは可愛らしいけど、せせらぎの素早さにはどうにも、慣れません。

虫で可愛いと思えるのはコクワガタだけです。あとは蟻もハエもみんなだめです。アシナガグモだけは、せせらぎを食べてくれるのでありがたいなと思います

母も父も私の怖がり方は大げさだと言ってあまり取り合ってはくれません。2人とも別に虫が好きな訳ではありませんが、触らないほど苦手な訳でもないです。頑張れば克服できるだろうくらいには思われているんだろうなと思います。体の大きさはこちらの方がずっと上なのに、命を狙われているみたいな恐怖は両親にわからないんだと思いますしょうがないです、私だって普通に虫を触ることが出来る両親の気持ちがわからないんですから

私もできることなら克服したいです。胡散臭いけど、催眠術で虫嫌いとか治せないかなって最近本気で考えています

私以外の虫嫌いの方のお話を調べていたら、「虫が滅んで欲しいわけではない、むしろここまでくると虫嫌いな私の方が死ぬべきなんだと思う」と書いている方がいて、なるほどな、と思いました。

虫が全て悪だとは思いません。先程も書いたように、コクワガタ可愛いし、アシナガグモは益虫だと思っています。そうでなくとも、色々な生命バランスの上で出来上がっている世界なのだから、彼らに滅んで欲しいというのは本当に、お門違いなわけです。きっと受け入れられない私の方が死ぬべきなんだろうなと納得しています

本当に怖いんです。

助けて欲しい。

2018-06-10

産後鬱→虐待になりそうになった話

虐待ニュースが後をたたない昨今。

私も子どもを持つ前は「虐待なんてあり得ない!!」と思ってたし、不妊治療中は「そんな親ではなく私のところに産まれてくれば良かったのに…」と泣いたこともあった。

数年の不妊治療を経て念願の第一子を授かり出産したあと、精神的に不安定になり(今思えば産後鬱)、子ども危害を加えようとする寸前までいった話を載せます

虐待はもちろん親が悪いけれど、でも、母親一方的に攻めるだけでは、虐待根本解決できないんじゃないかな、という提言


前述した通り、望みに望んだ子ども出産した私。

でも、初めての育児想像以上に大変で、出産後数ヶ月は泣きまくっていた。

マニュアル人間な私は、妊娠から育児書を読み漁り育児に備えていたが、まあ育児書通りに育児が進むわけではない…と、今なら普通に思えるけど、当時の私は、ずっと努力優等生人生を送っていたのもあり、何でこんなに育児書通りにやってるのにその通りにならないの!?パニック連続だった。

どんなに頑張っても母乳が出ない!

どんなに頑張っても泣き止ませられない!寝させられない!

そして、旦那と同居の義両親によって更に追い詰められることに。

同居の義両親には「母乳が出ないのは栄養が足りない、餅を食え」←母乳神話に更にプレッシャー、「そんなにすぐ抱いたらダメよー」←今は亡き抱き癖論に更に追い込まれ

唯一の味方であるはずの旦那は、当時仕事の繁忙期もありイライラMAX夜泣きすると「うるさいから部屋を出てけ!」と言われる←今ならバカ旦那に言い返せるけど、その時は(泣かせる私が悪いんだ、迷惑かけないようにしなきゃ)と更に自分自身を責めた

想像していた"子どものいる生活"とは真逆で、毎日がとにかく辛かった。

そんなある晩のこと。

昨夜も夜通し夜泣きでほぼ一睡も寝られず、翌朝には義母に「昨日も良く泣いてたわね~、抱き癖が(以下略母乳ミルクじゃあやっぱり母乳の方が(以下略)」と言われたその夜も夜泣きが酷く、横で寝ている旦那が舌打ちする中、私はこれ以上泣かせまいと必死に抱っこしていた。

抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが入りギャン泣き→抱っこすると泣き止む→下ろすと背中スイッチが(以下略

せめてもと、壁に寄りかかり座っての抱っこを試みるも、あえなく撃沈。

抱っこゆらゆらしか通用しない状態が続き、昼間の義母の話、イライラする旦那の顔が浮かんで数時間

ふと、ある考えが頭をよぎった。

ベランダから落とせば泣き止むんじゃない?」

ベランダから落とせばどうなるかとか、そこまでは考えられなかった。

パンが無ければケーキを食べればいいじゃない、的なノリでそう思った。

ただ、泣き止ませられる!という一点での解決方法が思いつき、目の前がパァッと明るくなった感覚は今でも覚えている。

この状況を打開する、たった唯一の解決法が見つかったと。希望の光だと。

数秒後、(いやいやいや、死んじゃうよ!!ダメダメ!!)と我に返り自分思考回路のヤバさに気付き、このあとめちゃくちゃ旦那を叩き起こした。ストレスや抱えてたものを泣きわめきながら吐き出したった。

旦那はこの時初めて私が悩んでいたことを知ったようだ(おせーよ)。

そのときの子もも、今ではすっかりお兄ちゃんになり、もうすぐ小学生になる。

当たり前だけど、あのとき閃いた名案(その瞬間はそう思っていた)を実行にうつしていたら、今の幸せはなかったと思うとゾッとする。

親を非難するのは簡単だけど、そうなる前に親へ手を差し伸べることが出来ればいいな、してあげて欲しいな、という話でした。

もちろん、虐待ダメ絶対

anond:20180609214605

今作って食ってるけど、うまいのでここにぶら下げる。この程度でも「自炊」でいいんじゃないの?

これを軽く煮て、火を止める間際に以下を加える。

ドライトマトと水煮に含まれ塩分うまみで味付け不要

ささみ水煮はマヨネーズであえればパンにも合うし、サラダトッピングしても良いし、常備してる。山ごはん非常食としても優秀に思える。

バジルとかコーレーグースは「おまけ」だけど、満足度が増す。

料理の基本ができていて応用が利くことが前提だけど、自炊お勧め本は

"野外料理簡単レシピ555" http://amzn.asia/akLMOfB

たまたまある材料で何を作るかのヒントになる(今見たら、廃刊のようで残念)。

缶詰料理の本もいろいろ出ているので、そういうのも楽で良い(毎食缶詰はさすがに飽きるし、健康に悪いが)。

2018-06-08

過去の母が憎い

最近子供の頃の、母親との辛い思い出がフラッシュバックする。

事前情報として。

私は三人姉妹の長女で、割と大人には気に入られやす子供だった。いわゆる「いい子」。先生からも信頼され、友達の親からも行儀の良さを褒められることが多かった。友達は多くもなく、少なくもなく。父は仕事で忙しいながらも休日はしっかり子供にかまい、平日母に負担をかけてるからと、家にいる日には率先して家事もこなしていた。専業主婦の母は優しくてきれいなお母さんと評判だった。妹たちは年が近いせいで喧嘩も多かったけど、仲良くしていた方だと思う。成人した今でも、一緒に出かけたりする。普通に大学卒業して、普通に就職して、普通に結婚した。

本題に入る。

一年半前に子供が産まれた。

日々子供と接する時間の中で度々自分の子供の頃の辛い思い出が蘇る。

その一部が以下の通り。

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幼稚園

・毎昼のお弁当冷凍食品だらけだった。友達のお弁当が美味しそうで羨ましかった。その事を母に話すと、母は「妹たちの世話でこんなにも忙しいのに」と不機嫌になるので、まずい冷凍食品我慢して、息を止めて食べていた。(昔の冷凍食品はまずかった)

真冬寒い日、ストーブ1つを母と子供達で使って過ごしていたが、母がど真ん中に陣取って、昼寝をしていた。母に触れて起こしてしまわないよう、端の方からそっとストーブに手を当てて暖をとった。

・妹がテレビを観ながらご飯を食べていたので、椅子から突き落とされ、外に追い出された。妹を助けることはできなかった。

・母が怒ると謝っても許してもらえないし、無視される。なぜ怒られているのか分からない時も、ひたすら謝り続けるしかなかった。「なんで怒られているのかわかってる?」と聞かれるのが怖かった。その点妹は賢く、母を笑わせる事で事なきを得ていて、羨ましかった。

小学校中学校

・体調が悪くて小学校休みたいと訴えると、母は不機嫌になった。ある日「やっぱり今日給食が美味しそうだから学校行こうかな」と言ってみると母が喜んだ。それからは体調が悪い日には母から「でも、今日給食美味しそうだよ」と振ってきて、そう言われた日には頑張って学校へ行った。(38度くらい熱が出たら流石に休めたし、優しくしてもらえた。高熱が出るのが嬉しかった)

小学校高学年で転校して、なかなか学校に馴染めず、誰もいない部屋の隅でぬいぐるみを抱えて泣いた。その泣き声を聞いた母が部屋に入ってきて、「泣いたって何にも解決しないんだからね!」と叱られた。メソメソしているのが、鬱陶しいのだなと思ったが、泣き止めなかった。

友達と遊ぶ約束がないと、ため息をつかれた。友達が少ない自分は母の理想の子供ではないと、頑張って友達を作り、約束を入れた。

他人から私や妹たちが勉強について褒められると、「勉強しなさいなんて言ったことないんですよ」と言っていた。確かに勉強しなさい」とは言われなかった。でも「勉強しなかったら、将来苦労するよ」等、明らかに勉強する事を望む言葉を聞かされていた。他人から「優しいお母さんでいいね」と言われると心がざわついた。

・私を恥ずかしがらせることが好きだった。好きな人や小さな失敗を囃し立てて、顔が赤くなるのを見ては「かわいい」と喜んでいた。

男性芸能人偉人に憧れると、その人の悪い面を教えたり、「面食いなんだねぇ、私はイケメンって苦手」と肯定することはなかった。憧れるという気持ちがかなり希薄になった。(最近ようやくイケメンに対するあこがれを罪悪感なく持てるようになった。楽しい。)

・色気があると褒められたと伝えると、「全然ないよ」と否定される。これは何度もあった。私は、自分には魅力がないと理解するようになり、異性から誘われても、自分のどこに価値を感じているのだろうと邪推するようになった。

(父は単身赴任の多い仕事で、長いと年単位で他県や国外に赴任し、家族と離れている時間が多かった。そのため母と子供達だけの期間がかなりあったのだが、その期間は特に母のアタリが強かったように思う。父が家に帰ってくる日は母が優しいし、怒っても父が宥めてくれるので本当に嬉しかった。)

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私は、私は母の望むような自分でないと価値がないと思うようになり、自分自身への自信をなくしていった。そして、子供が産まれるまで母は普通の親だと思っていた。むしろ、難しい子供だった自分を育ててくれてありがとうと、感謝の念でいっぱいだった。

でも子供を育てている今、必ずしもそうではないと思い始めた。

ニュース報道なんかを見ていると、自分全然まれている方だと思うし、母も1人で3人の子供を育てるのは大変だったと思う。私の経験は、誰でも経験する、小さな出来事なのかもしれない。でも、私にとっては辛い経験で、小学校高学年〜高校あたりまではうつ病の気があったのではと思う。毎日家のベランダ学校テラスに出て、飛び降りたら死ねるかな、楽になるかな、と考えていた。

昔の思い出を伝えて、母を責め立てたい。

しかし、現在の母を責めることは私にとって難しい。

数年前妹が摂食障害発症し、親子共々カウンセリングを受けた結果、母は変わったからだ。

摂食障害は親子間の問題から発症することがあるらしく、その問題を追及していった結果、母は自らが間違っていたと、自分を変える努力をし、その結果かなり寛容な人間になった。今の母のことは好きだ。

でも、子供と過ごしているとふとあの頃の辛い思い出が蘇る。もっと優しくして欲しかった。私のことどういう気持ちで育てたのと、ひたすら辛い。

子供のことは好きだ。だから私と同じような経験はさせたくなくて、子育て本を読み漁っている。すると、私の知る子育てとは真逆のあたたか子育てを知り、またあの頃の辛い思い出にフラッシュバックする。

夫には話を聞いてもらっているし、親身になってくれる。その瞬間は気持ちが楽になるし、本当に感謝している。

ただフラッシュバックは日々起こり、その度に気持ちが落ち込むし、母を憎く思ってしまう。

子どもが産まれから過去の母が憎くてたまらない。

児相保護されて生き残った

とある地方都市、母と兄との三人家族物心がついた時には既に、母から厳しい「躾」という名の暴力日常的に受けていた。

私には何かしらの、検査に引っかからない程度の発達の遅れがあったのだと思う。小学校入学する頃になっても、母が私に要求していることを理解できていなかった。自分がなぜ怒られているのか、私の何が悪いのかもわかっていなかった。

怒鳴られれば謝る。殴られれば謝る。ただそれだけ。反省なんてなかった。「母は正しく、私は間違っている。」それが私の、理解の全てだった。

年が離れた兄は、私に優しかったと記憶している。受験ストレスからか、一度だけ八つ当たりのように殴られたことはあるけど、それ以外に私を虐めたりすることはなかった。友達と遊ぶ時間を削って、私を家の外へ連れ出してくれることもあった。私は兄のことが好きだった。

同時に、私は心のどこかで「兄は私の味方ではない。」と思っていたかもしれない。兄は、少なくとも私の前では、母に殴られることがなかった。そして、母の暴力から私を助けようとしなかった。兄は甘やかされているように見えた。母に贔屓されているように感じていた。

私は家出を繰り返すようになった。その度に警察保護され、家に帰され、そして折檻を受けた。家出が「悪いこと」だとは暗記していた。ただ、理解はしていなかった。だから繰り返した。家に帰るのがとにかく嫌だった。

やがて私は、家の一室に軟禁されるようになった。それでも私は外に出たかった。外から鍵をかけられた部屋の中で一人、じっとしていることができなかった。

他に外へつながる場所を見つけられなかった私は、ベランダから飛び降りた。動けなくなる程度の怪我を負って入院し、数週間の後に退院し、待っていたのは引っ越し先の見知らぬ家と、以前と変わらぬ軟禁生活だった。

一時保護は9歳の時。ほとんど学校に行けなかった私を案じて、教師同級生が動いてくれたのだと後になってから知った。

私はただ、運がよかった。もし誰も声を上げてくれなかったなら、私は今ここにいないだろう。エスカレートしていく母の暴力は、しばしば生命危険を孕むものだったから。

施設を出て、もう10年以上が経つ。母は死に、兄とはもう連絡さえ取っていない。

母の望みはきっと、ささやかものだったのだろうと思う。「家族三人で仲良く、穏やかに過ごしていけたら。」少し贅沢かもしれない、でも当然の願い。私を持て余し、余裕を失い、叶えられることのなかった願い。

兄もきっと、嵐が吹き荒れる家の中で、家族を守ることができない自分の無力に苦しんでいたのだろうと思う。

悲しい事件があるたびに、生まれた家のことを思い出す。私を守ろうとしてくれた人たちのことを思い出す。身を切られるような痛みの中で、自分に与えられた運を思い知る。

私が今、この世界をどうにか信じて生きていられるのは、家出を繰り返す私の言葉を信じ、受け止めてくれた人たちのおかげだ。「そんなにひどい親はいないだろう。」「親が子供を殴って躾けるのは普通のことだ。」そんな人にしか出会えなかったとしたら、きっと私はここにいない。

最近、ある児童相談所責任ばかり追及する声を多く見るから書いてみた。

今までどれほどの子供が救われたのか、救われなかったのかはわからないけど、私は確かに児相に救われたと思っている。

同じように救われる子供が一人でも多くなりますように。つらい思いをする子供が一人でも少なくなりますように。

子供たちのために何ができるのか、みんなで一緒に考えていけますように。

2018-06-05

anond:20180605185831

発生源を辿って駆逐しないと無理。

高圧洗浄機が良いらしいよ。

たぶん、ベランダにある室外機とかに卵産み付けられてる。

対応しないと年々増えるよ。

2018-06-02

anond:20180602151234

バブル期に立ってるアパートモルタル5F鉄骨)に住んでたけど(外観はレンガ造り)

雨戸も無かったけど、ガラスベランダの下半分網入りガラスだった気がする。

ガラスの鳴りはなかったなぁ。3F角地だったからかなぁ天井はうるさかった。

部屋に音が響くのって、どこから鳴ってるのは特定しにくいと建築士の先輩(女性)が言ってた。

2018-05-16

親の前で自殺未遂した話

親の前でマンションベランダから飛び降りようとした。

軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。

三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂未遂くらいで終わってしまった。

希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズ新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。

リストカットしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。

高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラ中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日明日ハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。

正直17歳くらいで自分死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。

大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。

それも居酒屋ホテルバイト疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。

まりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。

その後いろいろあって至る現在就職活動ストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。

ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。

親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。

自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。

飛び出すように家を出て、半日考えた。

私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。

親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。

事実借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値から目をそらしたかった。

でも逃げさせてくれなかった。大学自主休講したこと就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。

私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。

カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。

これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。

無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。

葬式に来て欲しい人のリストアップをする。遺書を書く。

それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。

1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。

簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。

考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。

せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。

お父さんお母さん、お金時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。

ももうすこしで、マイナス100をプラスにはできないけど、マイナス50くらいにはできるように頑張ってバイトするからね。

私の生涯最後一年くらい、苦労や心配をかけないで済むように、私頑張るから

2018-05-14

植物が育たない

ベランダ植物を育ててるんだけど目が出て少し伸びたあたりで枯れてしまう。

何が原因で、どうしたら良いのだろう。

土壌を改良するためにミミズとかダンゴムシとか雑草を植えてみようかなと思っている。

anond:20180513195125

一人暮らしから結婚してもずっと1階角部屋を移り住んでる者(男)です。

1階のメリット

  • とにかく、荷物の持運びが楽。重い物も余裕。
  • 物件によっては2階よりベランダが広かったりする。
  • 下の階を気にしなくて良い。音はともかく振動を気にしなくて良い。
  • 床下収納があったりする
  • 洗濯物が落ちても大丈夫

1階のデメリット

  • 虫が元気に入ってくる。Gは特に
  • 垣根の有無で陽の当たらない部屋になる。
  • 不審者はやはり気になる。
  • 冬は底冷えする
  • 湿気が溜まる

私の場合、垣根が高かったり、ベランダ歩道側じゃなかったりして、窓の外は通りで人が窓のすぐ横歩くみたいなシチュエーションは無かった

また、ベランダ駐車場道路公園という物件だったら、人通りもそこまで気にならなかった(夏祭りの時くらいはうるさかったが、それも風情)

日当たりも外から見えないレースカーテンで日中は快適。

ただ、女性場合は外が見えない垣根=中に入ったらバレない。なので、防犯上危険かも。通り魔的な泥棒は階数関係ないけど、ストーカー的な計画たてた変態には危険。ちなみに、窓や雨戸ちゃんと閉めていれば、泥棒には入られたことは無い。

2018-05-12

他人セックスを目撃した(のかもしれない)話

2年前のことなのだが、あれは夢だったのだろうか…と未だに考え続けている。

確かその日は6月7月くらいで、就活説明会を終えて帰宅する途中だった。時間夕方だけどまだ明るい頃、17時くらい?

疲れたからアイスでも買って帰ろうと思い、帰り道の途中にあるコンビニに寄ろうとしたとき女性の泣くような声が頭上から聞こえてきた。

そのコンビニ10階建てくらいのマンションの1階にあったので、なんだろう?と思いながら視線を上げると、2階のベランダこちらに背を向けた男がテンポ良く腰を振っていた。女性の泣くような声、というか多分喘ぎ声も、その動きに合わせて聞こえていた。

瞬間、とにかく気が動転してしまって、慌ててその場を後にした、ような気がする。

あれはセックスだったのだろうか。その時周り(コンビニ駐車場)には2〜3人くらい客が居て、自分と一緒にベランダを見上げていたことは覚えている。

でも、あの男性下半身に衣類をつけていたのかどうか、その男性の前に女性が居たのかどうか、それすらも曖昧だ。というか、記憶の中では見えていない。今思えば、そのくらい普通に見えたはずなのだけれど…。

たった2年前のことなのに、あれが現実出来事だったのかどうか自信が持てない。

他人セックスって、普通に生きていたら1回くらい目撃するものなんでしょうか? よくあること?

靴下

靴下普段靴下用の洗濯バサミいっぱいついてるやつに干してる

最近そこに片方だけの靴下が続出してる


乾いてもそのまま洗濯バサミにつけておいて使うときにそこから取る感じ

基本は室内でたまにベランダに干す

から途中でどこかに行くことは考えにくい

ベランダにも落ちてなかったし


履くときに間違ったペアというのもありえるけど、さすがに同じタイプちょっとした色違いくらい

残ってるのは全部明らかに別の柄で長さも違ってこれらで間違ったペアを履くなんていくら急いでいてもないと思う


いったいどこにいったんだろう




猫の鳴き声がすると思ったら

ベランダの方から猫の鳴き声がしたのよ。

窓(?)あけてベランダに出て

声のする方見たらビックリ

つるぴかのおっちゃん。

猫の鳴き真似うますぎー!!

でも、声でかいのでボリューム下げてほしいなぁ

離婚したら

もう再婚はいいかな。付き合ったりもめんどくさいし。

6月は仕事セーブしよう。4・5月はやり過ぎた。もっと稼いで来いと言われることもないし、一人で生きるには十分。今月はガッツだ。

まずはDIYやろう。ベランダパワーアップさせたい。野球もまたやろう。どっかチームに入るかな。

と金貯めて車買おう。欲しかった車があるんだよ。自分の金だし趣味に没頭するのだ。

またベトナム行こう。自分の好きな国に行くんだ。ヨーロッパは遠いし金かかるし。アジアの方が楽しい

家事は大変かもしれないけど一人暮らしもしてたし代行サービスもあるし。

これから自分のやりたいように生きるのだ。楽しみ過ぎる。

2018-05-10

隣人が不満

今の家は鉄筋コンクリートだが片方の隣人が不満。

こちら側の壁で乾燥機を使っている、夜中

ベランダタバコを吸って臭いが漂ってくる

タバコを吸うときのサッシ窓の開閉がガサツでうるさい

挨拶しても完全無視

もう片方はいい人なんだけどな。

賃貸からよかったものの、ストレスで気になったら耳栓をしている

時々、ぶっ殺したくなる

本当に殺すかもしれない

2018-05-09

パンティーが見たいっていうのは何もどんなパンティならいいってわけじゃねーんだ

ええか。

お前らはまだ若いからどんなパンティーにも興奮してしまうだろうがな。

例えば洗濯物のパンティーだ。

これはな、本来見てはいけないんだ。

マンションに1階に住むOLは下着だけは室内に干す。ベランダにデーンとほしてあるのは大抵の場合、おばさんだ。

そうなると目を向けるべきは2階なんだ。

2階なら下から見にくいだろうとOLベランダに干すケースがある。

でも、目隠しの柵の隙間から見えたものならそれはもうカナンと言っても差し支えない。そういう物に興奮を覚えるべきなんだ。

 

俺がお前らと同じぐらいの頃な、やっすいワンルーム7階建ての最上階に住んでた。

隣にはまるでワンルーム馬鹿にするかのようなでっかいマンションが立っててな、俺はなんというか、ベランダに出て左手から差す日光浴びながら歯磨きをするのが好きだったから朝はぼけーっと外を眺めながら歯磨きをしていたわけだ。

そこでな、気づいたんだ。真向かいってほどでもないんだけど、確かにでっかいマンションの少し下の方の階、多分5階だ。

パンティーがあるって。しかも俺好みのライトグリーン

眠気がぶっ飛んだ。

それまでは見えてなかったというより、探そうとすらしなかった。むしろかいマンションを見ずに左手にある大きな道路を行き交う車を眺めて朝の活気を楽しんでた。

びっくりしすぎて即部屋に引っ込んだ。

間違いない、あそこには俺好みのライトグリーン色の下着をつける若いOLがいる。ライトグリーン色って時点で若いOL意外ありえない。しかも、ワンルームに住む俺何かと違って結構エリートだ。これは、凄まじいぞ。

なぜライトグリーンが好きなのか?ど田舎から都会に出てきた俺にとって「緑」とは周りにあって当然のものって認識があった。社会人になって緑が恋しくなったんだと思う。だからライトグリーンが好きなのだ

そこからかいマンションの5階住みのOLに恋をするわけだ。

でな、もしかしたら早起きしてればOLの姿を拝めるかもしれない。幸い俺の職場10時始業だったので、多分、5時ぐらいから9時まで張ってれば早朝洗濯物を干す人がわかるだろうと。

それからいつも2時に寝て8時に起きていたのを11時に寝て5時に起きた。

流石に4時間も張るわけにもいかないし、逆に4時間ベランダにいたら向かいマンションから「変な男がこちらのマンションをずっと見ている」と通報されかねない。なのでベランダにいてもおかしくない趣味を始める。それがガーデニングだった。

早速ホームセンターまで自転車飛ばして小さいプランターや、防虫剤やプランターに被せるビニールや、花の苗を買う。選んだ花はパンジーだ。パンジーなら難しくない、小学校中学校園芸おっちゃんと仲良くなっては手伝いをしていた自分にはカンタンものだ。乾燥した土でもすくすく育つから水やりを忘れても問題ない。

そこで朝5時に起きて、いそいそとガーデニングを始める。まぁ、小さいプランターなので2時間もかからないうちに終わるが、そこから土をいじってるふりをして待つが、現れない。

その日はもしかしたら選択の日じゃないのかもしれないと思い、出社する。

 

翌日だ。

朝5時に起きてパッと確認すると、なんともうその部屋に洗濯物がほしてあった。

戦慄した。5時でもだめなのか?

そんなことを思いながら水をやり、二度寝をして遅刻をする。

 

なんどかそんなことを繰り返し、3時に起きたこともあったが、結局暗すぎてわからず。

自分推理が正しければ、夜干しタイプなのかもしれない。

もしそうであるならばこれ以上残酷なことがあるか。夜にガーデニングをして張るやつは明らかに変質者だ。せっかくパンティーの主を見るためにガーデニングを始めたのに無意味だっていうのかい

そうやって、心の中にあのライトグリーンパンティーをしまい込んで、ガーデニングは続けてるうちにきれいなパンジーが咲いた。

今思ったけど、パンジーパンティーって音が似てるな。

 

そして月日が経った。

俺がいつものようにお花の世話をしていると、例の部屋から女性がでてきた。

慌ててこちらのマンションの目隠しと柵の間から覗き込む。

スラッとした長身女性だ。多分自分より少し年上。きれいな人だった。

自分心臓バクバクした。あのライトグリーンパンティーをあんなにきれいな人が穿いている。

奇跡と思った。

奇跡すぎて、勃起はしていなかった。興奮すらしてなかった。びっくりするぐらい。

ただ感じたのは「触れてはいけない何かを見た」ことだ。

 

それから自分はその隣のマンションの5階の例の部屋の呪縛に縛られることになる。見てはいけないのだ。

自分は黙々とガーデニングをするだけなのだ

意識的に目をそむけ、そのこころライトグリーンパンティーなんてもはや存在しなかった。

心の中から消してしまった。

知らなければよかった。

知らなければ俺の心にはライトグリーンパンティーがあったのに。

 

しばらくして、転職をすることになり、くそったれなワンルームから少しはマシな1LDKの1階に引っ越した。

今でもガーデニングは続けている。それどころかベランダがかなり広い部屋を選んだ。今年は自分が育てたカーネションを母親プレゼントできそうだ。

こうやって毎日緑色の葉を見ていると思い出すんだ。

ライトグリーンパンティーを。

2018-05-07

anond:20180504223556

ももクロサボテンリボン

参考になるか分からないが、両手を腕を組むようにして交差して、左手右側に右手左側に指先が向くようにパー(針の表現)にする振り付けです。

なので葉っぱ?みたいに出っ張ってる様な特徴は多分なくて、胴体だけの形状をしているのではないかと。

あとテラコッタの鉢は、リボンをつけてプレゼントしたり出来る程度の大きさ。

ベランダに置くにしても、落としているので、下に置くよりは棚に置けるくらいの大きさなのではないかと。

もし貰ったのもが手乗りサイズくらいだと、部屋の中に置く気がします。

でもお土産プレゼント勝手にあげるくらいのものなので、あまり大きいと迷惑から手乗りサイズくらいの可能性もあるかもしれません。

あと「奇跡のような花が咲く」とありますが、これは手掛かりにはならずでしょうか?

サボテン詳しくないですが、こんな情報じゃまだぜんぜん絞れませんよねきっと。

2018-05-05

GW中の主婦業の戒め

洗濯物が乾かなかった。

7時間半の浴室乾燥では、不十分だった。うちはベランダがなく、洗濯物を乾かすときは浴室乾燥使用している。そもそも乾燥時間12時間にでも設定しておけばよかったのだ。

夫のニット靴下あんなに乾きにくいものだったとは。私の洗濯物は全部乾いていたのに。厚手のニット、おそるべし。

急速乾燥してるし、洗濯物の量にしてもいつもと同じくらいだし、きっと大丈夫、と思っていた(乾いてなかったら再度乾燥機をセットすればいいやと思っていた)。

そしたら、それが失敗だった。乾いてないと知るやいなや、夫が癇癪を起こした。乾くって言ったのに、何で乾いてないんだ!と怒られた。朝確認してセットし直したのも遅く、完全に私の失敗だった。謝るも、聞き入れてはくれなかった。洗濯物をドライヤーで乾かしながら泣いた。今日着る分は、間に合った。

ゴールデンウィーク中、離れて住んでいる夫が会いに来るので、機嫌を損ねないように、彼が喜ぶようなことを考えて、完璧計画を作ったつもりだった。昨日までは、完璧だったのに、私は彼が出発する日の朝に限って失敗するのだった。

つの失敗で全部が駄目になる。夫に対して、例え失敗しても許してもらえるだろう、という甘い考えは捨てるべきだと思った。約束したことは確実に。

カップ焼きそば空箱腐葉土入れて乾燥させてたんだが、

今日は風が強かったのか、排水溝(?)に沿ってとなりの部屋のベランダ側に滑って行ってしまった。

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