はてなキーワード: アルバムとは
新宿コワッ!て思ったね。
彼女との出会いは小学2年生の時。僕の立場は転校生だった。彼女への好意を自覚したのは小4くらいからか。あんまり細かく書くと僕の来歴が一般的な人と比べてちょっとだけ特殊なので万が一の身バレの恐れがあって書けないのだけど。
彼女は僕からしたら抜群に利口な少女で小学生の時に実施された学力テストの結果が全国1位タイで、同じく中学生の時に実施された学力テストの結果も全国1位タイだった。
僕と彼女の関係性は出会いから中学卒業に伴う別れの際まで一貫して「たまに話す同級生」の域を出なかったと思う。
僕と彼女には家庭環境に共通性があったり同一の放課後児童クラブに通っていたりする共通点こそあったが、特別それ故に親密だったりすることはなかった、と思う。
彼女を好きになった理由は僕と比較して圧倒的な彼女の知性にあった、と今では思う。僕の親族にはあまり知的な人物が存在しなかったので余計に彼女に惹かれたのだと思う。
放課後児童クラブでは僕はボール遊びをしたり漫画を読んだりすることが多かったけど、彼女は課題を片付けたりクロスワードを解いたりしていて、当時の僕にとっては彼女のそういう静謐な佇まいも気を引かれる原因になったのだと思う。
中学に進学すると彼女と僕の学外の接点は皆無になり、学内でもクラスも部活動も違う彼女とは次第に疎遠になった。
中学2年の時だったか。PCルームで他クラスの彼女がクラスメイトの女子生徒と談笑しているのをたまたま見かけた。
彼女の容姿は僕のよく知る小学生の頃よりずっと成長して大人びていた。成熟した女性のラインを形成しつつある彼女を見て気圧された様な複雑な気持ちになったのを強く覚えている。
中学を卒業した後、彼女は都内でも指折りの進学校に進学し、僕は僕で凡人らしく凡百の都立校へ進学した。
僕は中学の同級生の包括的なコミュニティには接続しておらず親しい数人の友達だけとその後の付き合いを続けていたので高校進学後の彼女の動向は全く分からない。
物質的な彼女の痕跡として小中学校の卒業アルバムがあったが、彼女の姿を確かめる為にアルバムのページを捲る行為に後ろ暗さを感じたので大学進学と殆ど同時期に処分してしまった。些かの後悔はあるけど人生は不可逆なので仕方ないと諦めはついてる。
以降今日に至るまで僕と彼女の間には何らの接点も生じないまま時間だけが過ぎ去った。
これまで僕は彼女以外の女性に恋したことは一度もなく、眠れない夜などに稀に彼女のことを思い出し思わず強く寝返りを打ったりしている。
今も新聞を読んでたら急に彼女のことを思い出してしまい、深夜テンションと思い付きでこの文章を書いてる。
一つ気がかりなのは僕の記憶の中の彼女は中学生の姿のまま歳をとらないのでその彼女に恋心を抱いている僕は俗に言うロリコンということになるのか、ということだ。
現在の彼女を知ることができれば僕の心象の彼女もアップデートされるとは思うけど、なんだかこのままずっと記憶の中の彼女に恋したままでいたい様な気もしている。
増田に嫌われる語りたがりの女オタクだからめちゃくちゃ長くてごめんな。
私が中学生、高校生のころは今ほどSNSは発展していなかった。
当時はmixi全盛期で、一応アカウントを持っていないではなかったが、当時好きだった映画と俳優のコミュニティに入っていた程度で、そんなに使っていなかった。
ということは、基本的に周りにいるのは同じ世代の子たちだけということになる。
私の高校はバイト禁止だったし、高校生はバイトしないのが当たり前で、するひとは特殊な事情があるか、学校まじめに行く気のない人、というのが学校の常識だった。
みんなそれが当然だと思っていたので隠れてバイトするような人もおらず、使えるお金はお年玉とお小遣いだけ。携帯の有料会員みたいなのもせいぜい「二つまで」とか決められてる。
要するに、みんながだいたい同じくらいお金持ってなかった。
当時はあるバンドが好きだったのだが、みんなFCの年会費払って、頑張ってお金ためて年に2回くらいライブに行くのでいっぱいいっぱいだった。
10000円もする初回限定版のアルバムが買えなくて泣く泣く3000円の通常版を買ったけど、周りの子も買ったのは3000円だった。みんなお金がないから。
欲しかったものはみんな持ってなかったし、行きたかったところに行けなかった。
だから誰もその『持っていないもの』の話をすることがなかったので、私の世界では『私の買えなかったもの』は『存在しなかったもの』にできた。
もしこのとき、自分だけお金がなくて全然買えなくて、でも周りの友達はみんな好きなものを買っていた、なんてことがあったとしたら、正直私は相当ひねくれ拗ねていただろうなと思う。
私も限定盤ほしい。私もリリイベ行きたかった、そういう感じで。
面白かったよとか言われたらなお妬んでいたに違いない。
学校という狭く似たような立場・環境の人間ばかりが集まるところなら気にしないでいられた。みんな持ってないのは同じだから。
でも、SNSに年齢と財布、在住地は関係ない。高校生とアラフォーが話すこともあるし、社長の嫁と知り合う奨学生だっているし、都民と離島住まいも仲良くなれる。
「ほしいけどこんなの買えるのお金持ちだけだなー」って思っていたものをバンバカ片っ端から買いまくる社会人のお姉さまの投稿を毎日見ることになる。
社会人になった今は趣味のために10000くらい平気で出せるけど、3000円で必死になっていた当時の私にはそんな感覚分かりゃしない。
自分が一回しか行けなかったツアーで全通する人がいる。何万もするコラボ商品を持ってるひとがいる。
大人になった今だから、働いて稼いでるんだしそんなのは当たり前のことで、羨んだりしたって仕方ない。東京に住んでないのが悪い、って思えるけど、高校生だった自分にそんな割り切り方ができるかっていうと、絶対無理だと思う。
「そりゃそうだろうけどでも悔しい」って思う。
推しが「バースデーイベやります!」とか告知してやったー絶対行く行く!たのしみ!って思ってツイート詳細見ると「また東京ばっかりでずるい」というリプライがついているのを見る。
ときどき地方でイベントをやったら「いつも東京のひとはたくさん行ってるんだから地方勢に譲れ自重しろ」みたいなのが拡散希望とかいってツイートされる。
好きなもの欲しいものにお金を払えるようになって、好きなところへ行けるようになった社会人の身では地獄のような民度だなと思う。
でも、ふと自分の過去を考えてみると、確かに「金を出さない奴が悪い」んだけど、それはそうって分かってても「私も行きたいのにずるい」って思っちゃうだろうなと。さすがに公式には言わないけど。
だからたぶん、そういうリプライを送っているひとたちは、「みんなは持ってるのに私だけ買えなかった」IFの高校生の私みたいなもんなのだと思う。
高校生のころの私の世界は小さかったから「みんな」はせいぜい同学年くらいのもんだったけど、今の高校生の「みんな」はたぶんファン全員なんだろう。
実際は「みんなが持ってる」わけじゃないだろうけど、欲しかった人間からしたらどうしても持ってるひとのほうが目に付く。
このSNS時代、努力が伴っているいないに関わらず、自分より良い環境にいる人間を簡単に見ることができてしまう。それって結構しんどいと思う。
私もそういう風に思われているんだろう。東京に住んでるのでイベントとか行きやすいし。
よく関東民が言う「〇〇(地名)が来い」みたいな冗談が地方民にはすごい腹立つみたいな、そういうのもこれだよね。
とはいえ今の私の立場からしたら「また東京かよ…」とか言ってる奴には当たり前だろじゃあ地方で埋まんのかよって思うし、「また有料かよ」とか言ってるの見たら「慈善事業じゃねえんだよ」って思うから、そういう文句つけてるのが見えちゃうのも結構嫌なものがある。
私は推し活のために東京に引っ越したし、行けるものは行くし買えるものは買う。全部自分がそうしたいから頑張ってる。
どうあがいたって変えようのないことなので解決したいとかそういうことは全く思ってない。
ただ、私が子供だった時代にこういう世界が広がるツールがなくてよかったなと本当に思う。しかもインスタ入れてるのが当たり前、みたいな感じで何もしないわけにもいかないし。私なら絶対心穏やかにいられなかった。嫌な意見だって見ること絶対増えてると思うし。
今なら「給料が低いから転職しよう」「地方だと不便だから首都圏に引っ越そう」っていう選択肢が大変とはいえとれる。それをやらないで文句を言うのは格好悪い。
数年前、好きだったアイドルが脱退を発表した。
それはSNSを騒がせ、友人たちからは心配のラインが続々と届いた。
アニメオタクの私だが、三次元のアイドルを推す事になった時は驚いたし、
奨学金を借りながらの苦学生という身分もあり茶の間から応援するようになっていった。
元々同担を探して交流をしていなかったのもあって茶の間になるのは容易だった。
音楽番組に出れば観ていたし、
ドラマに出れば録画して観ていた。
しかし、ある時脱退を発表した。
でも脱退したんだよ。
茶の間でもショックだったよ。
今一番応援してるかと言ったら、正直めちゃくちゃ応援しているアニメの方に財産を全フリしてる。
けれど、最初で最後の三次元のアイドルがアイドルを辞めるということが
どうしてもショックで、悲しくて、悔しくて、しばらくロスが続いた。
しかし、ある程度の沈黙期間を破って、芸能界に復帰するという報が入った。
もう後悔するまいと、茶の間じゃいられないと、
リリイベではそれはもう近くで見られた。
これ以上ないぐらい推しを間近で見た。
でも、ココロが遠かった。
なんとなくこっちのジャンルが好きなのかなぁとは脱退頃には思っていたが、
私が落ちた頃の推しとは表現するものもレベルも世界観も違っていた。
「もう推せない」とリリイベの会場を出た瞬間に痛感した。
私の場合はグループの中のアイドルとしての推しにココロ惹かれていたのだと。
嫌いになったわけではないとはっきり言える。
だけど、「音楽性の不一致」なんてありふれた陳腐な言葉の重みを知ってしまった。
物をすぐに処分できる質なら良かったのに、
そこに思い出が乗るとアルバムのように思えて手が伸びない。
29歳の女性です。
お陰様で大病もなく、入院も一度もしたこともない。しかしここ最近、私は妙に周りの人達よりも常に眠たい、常に身体がだるい感じがあるのでは、と思うようになった。
0歳の頃の思い出話を母に聞くと、いつもこう返ってくる。「夜泣きは最初の一ヶ月くらい。泣かず一日20時間くらい寝てくれたから育てやすかった。寝すぎて怖かったからよく呼吸を確認しに行ってたし、ミルク量を確保するため起こさないといけなくて辛かった」。
3才頃でもまだ「寝る子」で、アルバムに残っている集合写真に殆ど私の姿は残っていない。いつも部屋の隅、レジャーシートの上、車の中で昼寝を始め、解散まで起きなかったらしい。お友達と遊んでいる途中でもウトウトし始め、複数人の子供が走り回って騒がしい部屋の真ん中でうずくまって寝ていることもあったという。
朝の幼稚園バスでもいつも寝ていたらしい。これは今でもそうだが、ボーッとした子だねとよく言われていた。普通幼稚園から帰ってきたら家で遊んだりするものだが、私の場合は昼寝していた。あまり遊んだ記憶はない。休日遊びに連れて行ってもらっても車の中では常に寝ていたそうだし、事実疲れるから、あまり外をウロウロするのは好きでは無かった。(遊園地でも乗り物に乗るより、ベンチでアイスクリームを舐めながらボーっとするのが好きな子供だった)。
小学校に上がると体育がある。体育そのものよりも次の授業が苦痛だった。身体が重くて、よく眠くなった。また家に帰ると身体がぐったりすることもよくあって、帰るとよく昼寝していた。この昼寝の習慣は中学でも続いた。
高校では授業中によく寝た。部活には入らず、帰りの電車の中でよく眠った。この頃から私は虚弱体質なのでは?と思うようになった。が、疲れるとかそういうのは気合の問題だけな気もするなとも思い直した。
大学は進学したものの、朝起きられず(普通に23時くらいに寝てたと思う)、出た授業も眠気が強くてまともに聞かず、半年留年してしまった。一年休学し、半年分の学費を稼いで復学しなんとか卒業した。
就職先は近所の小さな企業の事務職。9時5時勤務の比較的ゆるい仕事だったと思うが、それでも眠気はついて回った。毎日のようにエスタロンモカなどを2回飲み、エナジードリンクでごまかしながら仕事をし、家に帰ったら夕飯も忘れ、朝の7時まで泥のように眠った。それでも眠気は続いた。
あれから転職して別の企業で働いているが、相変わらず眠気や身体のだるさをごまかす生活を続けている。
寝ても寝ても、寝た気がしない。これまで一度もぐっすり寝たという感覚がない。金晩に寝始めて、土日月と寝ても翌火曜日の朝まだだるくて、これ以上寝てももう改善しないなと諦めて仕事に行く、そういう感じだ。今朝は、土日月ひたすら寝続けたのにまだ身体が重すぎてベッドから出れず、仮病を使って休んでしまった。
気合が足りないと思う。でも、眠気と気合というのは本当に関係してるんだろうか?みんなこんな感じの身体の辛さを抱えながら気合で、深夜まで働いているのだろうか?
30年近く前にフレディマーキュリィは死んでるけど、アルバムだけでなく比較的演奏の動画とか色々残っているし、他のメンバーだって生きてるし、別に物語で消費しなくてもいいような気がするんだけど、なんでヒットしたんだろう?
いまから約15年ほど前、自分が17,8歳頃のことだったかとと思う。
件のサイトでは5~10分程度のAVサンプル動画が毎日のようにアップされていた。
自宅がISDNだったので、外付けHDD(20GB)をネカフェに持ち込んで、動画を収集するのが楽しみだった。
さて、そのサイトには、メインのエロコンテンツの他に、管理人が一押しする洋楽・邦楽アルバムレビューがあった。
記憶を頼りに列挙すると、
Ok Computer、Nevermindといったロックの名盤や、その頃に流行っていたLet go (Avril Lavigne)、
それから、Deathrace King (The Crown)、狂気(ピンク・フロイド)、危機(Yes)なんかもレビューされてた。
あ、Dizzy Mizz Lizzyなんかもあったな(←いちばん好き)
レビューの内容までは覚えてないけど、とにかく影響されまくって聞きまくった。
気持ちよかったな。
お初天神をぶらぶら。
行きつけのバーが閉まっていたので、なんとなく目に止まったバーに入る。
木のいい匂いがするので、マスターにいつからやっているかと聞くと、去年の8月からとのこと。
どおりでこの匂いがするんだな。
マスターがオススメするスコッチを飲みつつ他愛もない話をつらつらと。
飲食業に似つかわしくない、なんとなくぎこちない感じがあったので、お年を聞いてみると35歳!若い!
IT関係の仕事を退職し、元々興味があったバーを開業したとのこと。
凄い!僕にはこんな度胸はない!
今話題だし、やっぱりQueenですかねぇ、なんて話しつつ、ふとマスターが「Angra」というバンド名を。
懐かしい!
僕も好きでした!と伝えると、Angel's cryをかけてくれました。
フロー・ライダー(本名:Tramar Dillard 1979年9月16日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州キャロルシティ出身のラッパー。
芸名のフロー・ライダーは、Flo Rida(フロリダ/フロー・リダ)と書いてフロー・ライダーと読ませている。
2011年8月にリリースしたシングル"今夜もグッド☆フィーリング(Good Feeling)"が米ビルボード総合3位を記録。
同曲はエタ・ジェイムズ(Etta James)の1962年の楽曲、"Something's Got a Hold on Me"のボーカルがサンプリングされている。
また、同曲は2012年7月リリースの4枚目となるアルバム『俺たちワイルド・ワンズ(Wild Ones)』にも収録された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Flo_Rida
https://en.wikipedia.org/wiki/Good_Feeling_(song)
Flo Rida - Good Feeling
ただ、他人とは違うことだけは分かる。
先日アルバムを見る機会があり、私の小学生の頃の顔写真を見た。
そういえば、飲食店でスタッフにお嬢ちゃんと呼ばれたこともあったっけ。
学校が終わると、男友達と一緒に公園へ遊びに行ったり、家でゲームをしていたりしていた。
家の中には、どちらかといえば男の子っぽいおもちゃが転がっていた。
女の子と話をすることもあったけど、男の子のそれに比べれは口数は少なかった。
私が性について違和感を覚えるようになったのは中学生の時だった。
何がきっかけでそうなったのかは覚えていないけど、あの頃は第二次性徴の自分の身体への変化に不安とも恐怖とも言えない感覚に襲われていた。
ただ、性自認が女性なのかと問われればそうとも言えず、中途半端といえば中途半端ではあった。
親は息子を理系(理工系)に進めたがっていたし、息子も理系を望んでいたと思っていた。
あの頃文学部を目指そうとしていた理由としては、学問への関心も当然あったけど、男らしいイメージのあった理工系をきらっていたことも大きかった。
しかし、私の性に対する違和感――性自認と性的指向――で苦悩することには変わりなかった。
それどころか、大学生になり将来のこと――結婚のこと家庭のことなど――を考えざるをえなくなって、不安感はますます募るばかりであった。
ちなみにこの頃、主にストレスについて大学のカウンセリングにお世話になる。
告白がなされる前からその兆しはあったものだから、今後どうその人と接していいのか分からない時期もあった。
それまで、他の人と付き合ったことはなかった。
そもそも、他の人と付き合いたいとは感じなかった。
しかし、それはチャンスだと思った。
彼女ができれば自分の性の諸問題が解決されるのではないかと思った。
つまり、性自認は男へ、性的指向は女へと確立されていくのではないかと。
そしてこれは付随的なことではあるけど、相手の名前が私が女の子に生まれたときにつけようとした名前と同じだったのだ。
そんなわけで、私は彼女と付き合うことを決めた。
それどころか、女性の身体を知っていくにつれて溜息を漏らす日々。
恋愛にアンテナを張るようになり、男と女の違いを散々見聞きする日々。
私ってなんなのだろう――考えれば考えるほど分からなくなっていく。
つい先日のこと、私が県外に行く重要な用事があり、何日も県内にいない時を過ごした。
ずっと会えない(といっても一週間程度)彼女は、寂しい、浮気してやるとブログに書いた。
そんなことを書くものだから、ああ私の身体が目当てだったのね、と私は珍しくも怒った。
自分の身体が好きじゃないから、その自分の身体が目当てならば、もう知らないと。
電話でそのことを話したら、泣きじゃくって、だって寂しかったんだもんの返事。
彼女と付き合ったことは、経験という意味では価値があったのけもしれない。
ただ、彼女には悪いことをしたと思う。
私はこれからどうしていけばいいんだろう。
お互いの高校時代のアルバム一緒に見てたら、嫁が突然「この頃Aちゃんと付き合ってたんだよね」と言い出した。思わず「えっマジで?」と聞いたら「女子高だし普通だよ?」だそうな。マジかよ。
Aとはまだ付き合いがあって(多分恋愛的な意味はない、と思いたい)、家に来たこともあるし、俺を含め何人かで出掛けたこともあるし、嫁とAの二人で出掛けてることもある。
なんか気になって、何で別れたの?って聞いたら、大学のころセックスしたらなんか違うなと思ったかららしい。ヤっちゃってるのか。というか、高校から大学まで付き合ってたのか、場合によっちゃ俺より長くない?
元カレとの付き合いはまったくない癖に元カノとは十五年来の交遊深めてますか、マジですか。
嫁がバイだったのは置いといて、パートナーが元恋人と深夜までLINEしてたり二人きりで会ってたりするのって、離婚事由にならないかな?
俺は言及した増田なんかいちいち見に来ないから、見るやついないと思うけど書いとく。
なんか冗談半分って言ってるやついるけど、性別逆にして考えてみてよ。夫が元カレとちょくちょく会ってるって状況だぞ。歓迎するのは腐女子だけだ。
今の配偶者に向かってそんなこというやつはデリカシーないし、俺は冗談だとしても嫌だ。
嫁にとってはただの友達で悪気なく言ったのはわかってるんだけど、遠い過去にでも恋愛対象になってたやつと二人きりで出掛けてるのは7割くらい浮気だと思ってしまったんだよ。
年末にこの文章をまとめている私は、デビュー組しか詳しく知らなかった数か月前に、SixTONESそしてなにわ男子を知った。
めちゃくちゃ最近、関西ジャニーズJr.の大橋和也くんを知った。デビュー組のファンだったのだけど数年ぶりに熱量高く「この子のファンだ私は!!!!」という気持ちで雑誌を買っている。アンケートなんてものも初めて出している。
もっと大橋くんが歌って踊って演技している姿を見たい。とにかく雑誌ラッシュを逃さないよう買ってはがきを書いて送っている。
大橋くんに関しては、関西ジャニーズJr.に4年ぶりに結成されたユニット・なにわ男子のメンバーになってからきちんと知った。大西畑とるたこじ、高橋・道枝・長尾が「信号トリオ」と呼ばれているのは知ってたけど、藤原丈一郎くんのことは知らなかった。
色んなことを知りたくて、ネットで検索した。ツイッターの検索でもネット検索でヒットするブログ内容でも、以下の言葉がたくさん見られた。
「丈橋」「ダンス」「歌声」「声」「るたこじ」「funky8」「メイン4人」「三列目の逆襲」
ここ1ヵ月ほどは睡眠時間もそこそこに、動画も含めて色々見たり読んだりした。大橋くんはやはりダンスが素晴らしく好みで歌も特徴的な声で目立つし、なによりかわいくて抜群にアイドルだった。丈橋という沼シンメはそれこそほんとやばくて、1日が24時間じゃ足りな過ぎて日々寝不足のまま年末を迎えるわけである。
ただ、他のキーワードで綴られた色々な話題の中で、疑問に思うことがある。
彼らは、ユニットとして曲を貰え、衣装を貰え、メンバーカラーが決まった。ジャニーズJr.、関西ジャニーズJr.という枠の、さらにもう一つの「ユニット」という枠に選抜されたことを、メンバーそれぞれきちんと受け止めているように思う。
私は本当に詳しく知らなかったが、東京のJr.がYoutubeチャンネルを配信しテレビ局のイベントサポーターなどを任されている中で、関西ジャニーズJr.には長らくユニットが存在しなかったことは、めちゃくちゃ焦りがあっただろうなと思う。その中で組まれたユニットは、私には「デビューを見据えたメンバー」にちゃんと見えた。
いやこれ、知らないくせに、とか関ジュちゃんと見ろとか言われるだろうけどさ、やっぱそうだよなって思う選抜メンバーですよ。とくに、トリオと呼ばれる3人組み(髙橋・道枝・長尾)が入っていることが、めちゃくちゃリアルで具体的だと思っている。
ジャニーズってとっても面白い事務所で、歴の長さとか実力の高さとか顔面力とかだけでデビューが決まるわけじゃない。運とかタイミングとかがとても作用されていると思う。誰と誰が組むかも、いつデビューするのかもすべて決まりなんてない。もしかしたらあるかもしれなくても、デビュー時のグループの完成度なんてバラバラだ。すごく完成されたグループもあれば、年齢差がありすぎてしゃべるのが初めてなメンバーがいる場合だってある。
実力があって選ばれて報われた人もいるし、右も左も分からないままデビューして様々なことが起こった後に誰が聞いても顔が浮かぶぐらいに有名になった人だっている。そしてもちろん、大前提として「ビジネス」だ。エンターテイメントという売り物で成り立っている職業。売れなければいけないし求め続けられなければいけない。
なにわ男子結成にあたって色んなツイートを見た。メンバーは誰がよかったとか、いまのグループは成り立ってないとか。その中でも意見としてそれはなと思ったのはデビューに関するツイートだった。
私の個人的な意見として強く思っているのはひとつ。「デビューに早すぎるはない」ということ。大橋くんにだけ関していえば、デビューしちゃえばこっちのもんだと乱暴だけど思っている。それぞれがちゃんとアイドルとして頑張ってくれれば、いつの日か素敵な歴史を振り返るアニバーサリーイヤーが訪れるよ、と勝手に思ってる。トリオの子たちの実力が、とか意識が、とかいう意見については言いたくなる気持ちも分かけどそれも別に気にしていない。
甘いかな。いやでも、デビュー組のアニバーサリーイヤーを、それも15周年とか20周年とかを見ていると、本当にそう思うんだよ。嵐なんて、5人中3人が「辞めたい」と思っていたメンバーだった。
とにかく大橋くん藤原くん西畑くんファンの人が「デビューは早い」といっているのはものすごくよく分からない。
え、だってデビューって誰でもできるもんじゃないんだよ????今のジュニアの成熟度や年齢層、展開しているコンテンツの領域なんかを見ていると、デビュー組とJr.の境界線が引きづらくなっているぐらいに色々なことをやってて、それでも全員、見方を変えちゃえば「デビューしていないJr.」なんだよ。
私は、大橋くんの歌声が収録されたCDが欲しいし、Mステに新曲のたびに出てほしいし、年末歌番組当たり前にメドレーに参加してほしいし、公式サイトがオープンしてほしい。アルバムが出たらそれに伴ったツアーが発表されて、公演が終わったら円盤化される。そんなデビュー組が毎年楽しみにしているルーティーンを、大橋くんが加入しているグループで楽しみたい。
だから、とにかくデビューしてほしい。現場にたくさんいけない環境だからかもしれないけど、「近くてたくさん会える数の公演をしてくれるJr.のユニット」じゃなくて「アルバム発売した後に単独コンサートをやって特典つけて円盤を発売してくれる」デビュー組になってほしい。
会えるアイドルとか、握手会を頻繁にやるとか、そういうので顧客層を増やしていったり、特色をつけてアイドル時代を生きていくっていう形もあるとは思う。ただ、彼らが所属しているのがジャニーズ事務所であり、大橋くんが目指しているのが「スーパーアイドルになること」なのであれば、やっぱり確実にデビューして手の届かないアイドルになってほしい。本人の口から「CDデビューがスタート地点」という発言が出たのはめちゃくちゃ素直だなと思う。
なにより私は、長くアイドルとして活動してほしいから、デビュー組の枠を勝ち取ってほしい。
カウコン前の今日、なにわ男子の東京ドーム付近での目情があり、音漏れで持ち歌が聴こえた、というツイートが拡散されている。それに対して「デビューは早い」というつぶやきが多くて、しかもそれが該当担だったりしてめちゃくちゃ驚いている。東京Jr.担じゃなくて該当担。「2~3年後にして」って、その2,3年後にデビューできる確約ないじゃん。west以降、あれだけたくさんのユニットが活躍して、デビューできたのはキンプリ6名だけ。狭き門すぎるのに「今はしないで」って、どれだけデビューが難しくて貴重か分からないのかな。
デビューを(今は)望まない、の意味がわからないのは私がジュニア担になったことないからかな。でもさ、あれだけアイドルな大橋くんが関西ジャニーズJr.として関西ローカルで人気で席によっては触れられる現場で公演数を重ねることより、「なにわ男子なにそれ??顔は西畑って子ぐらいしか知らないな、大丈夫なの?」と言われまくったとしてもカウコンでデビュー発表されるほうが私は嬉しい。大橋くんにデビューする実力なくないかと言われてもそれはアイドルファンとしては気にしてない。大橋くんには「大橋くんファンを幸せにできる実力」は十分に備わっていると思うし、新規獲得チャンスもあるはずだって思ってる。そう、なにわ男子メンバー全員に思うのは、「知らない新規層を勝ち取ってきそうな部分がある」ってところ。そこがすごくデビューを見据えた人選ぽくてわくわくしている。
あぁ本当に、どうなるんだろうなにわ男子。デビュー発表じゃなくてもいいんだけど、いつかデビューは絶対してほしいしなにわ男子でデビューするならとにかくトリオが若くて経験値が浅いうちだと思っている。未熟でいいじゃん。ジャニーズの醍醐味じゃん。色々言われるだろうけど、もしデビューが決まったら全力で応援するから、たなぼたでもいいからしちゃいなよって、年越しそばの準備もせずに考えている年末です。
自宅のガラクタ整理の際、10数枚音楽CDが出てきた。なんだかんだで捨てずに取っておいたやつだと思う。そのうちの3枚についてと聴いていた頃の思い出を書く。
要は音楽をダシにした自分語りであり、しかも結構クズいのですが最近いろいろあってどうしても書きたくなったので。
By The Way レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
中途で入った会社で結婚二年目の派遣の子を寝取ってしまったことがある。最初のアプローチは向こう側からだったことは記憶しているがどんな感じだったかはあまり覚えていない。芦ノ湖に行き、帰りにホテルに寄ったことは覚えている。背徳感半端なくヤバかった。その後半年くらいは色んな所に行ったが、些細なことで喧嘩して終わった。その半年後くらいに昔の上司に引っ張られる感じで俺は転職した。その後その子からは子供が生まれたといって写真付きでメールが送られてきた。因みに俺の子ではない。
言わずと知れたモンスターバンドで何枚もアルバムを出しているが、俺はこのアルバムしか聴かない。ファンク要素がめっきり減っているが、そのかわりよりメロディックになった曲達をアンソニーがよく歌い上げていると思う。彼の歌声が好きなのだ。この時期は本当によく聴いていた。
daiya-monde 矢井田瞳
新卒で入った会社が所謂ブラックで、よく耐えたのだが、身体を壊してしまい、数年で辞めることになってしまった。
これから有休消化するかという数週間前の土曜日、関連していた部署でそれなりに会話をしていた営業の女の子の事を思い出し、何も言わずサヨナラというのもアレなので、携帯に電話して辞める旨を伝えたところ、電話口で号泣され、嗚咽され、収拾つかなくなってしまい、何故か次の日に二人で八景島に行くことになった。
八景島の帰り、その子の家まで送って行くつもりだったのだが、結局その途中にある俺のアパートでトイレに寄ったのちそのまま泊めてしまった。
次の日の出社は時差出勤してなんとか人目をごまかしたけど、その日はさすがにうまく会話出来なかった。
デビュー前にbayfmがやたらプッシュしていた。My Sweet Darlin' は衝撃的だったが、I like なんかもよくて、何度も繰り返して聴いていた記憶があるが、その子には不評だったな。
DANDYISM DOPING PANDA
結婚披露宴前後にフロアBGMとして会場にかけていたアルバム。当時やたらハマっていて繰り返し聴いていたような気がする。バンド最期の頃は側から見てなんだか迷走していたようにも見えるが、もう一度組んで俺たちを踊らせて欲しいなって思う。
結婚を決めた当時のこと、最近よく考えるのだけど、やはりあの時期はシラフじゃなかったんだなと。あの時冷静な判断ができなかったのは、既に相手に盛られていたということだ。
フランク・オーシャン (英: Frank Ocean)とは、アメリカ合衆国、ルイジアナ州出身のR&Bシンガーである。
2010年に、タイラー・ザ・クリエイター率いるアーティスト集団OFWGKTAに加入した事で注目を集める。
2011年には、ミックステープ『Nostalgia, Ultra』をリリースし、その退廃的な独特の世界観を持った楽曲は、各方面から
非常に高い評価を受けた。
2012年7月10日には、公式デビューアルバム『Channel Orange』がリリースされ、初週に13万枚近くを売り上げ、Billboard 200にて
初登場2位を記録している。
2013年にはグラミー賞にて、『ベスト・アーバン・コンテンポラリー・アルバム』と『ベスト・ラップ・サング・コラボレーション』
を受賞した。
Frank Ocean - Novacane