ただ、他人とは違うことだけは分かる。
先日アルバムを見る機会があり、私の小学生の頃の顔写真を見た。
そういえば、飲食店でスタッフにお嬢ちゃんと呼ばれたこともあったっけ。
学校が終わると、男友達と一緒に公園へ遊びに行ったり、家でゲームをしていたりしていた。
家の中には、どちらかといえば男の子っぽいおもちゃが転がっていた。
女の子と話をすることもあったけど、男の子のそれに比べれは口数は少なかった。
私が性について違和感を覚えるようになったのは中学生の時だった。
何がきっかけでそうなったのかは覚えていないけど、あの頃は第二次性徴の自分の身体への変化に不安とも恐怖とも言えない感覚に襲われていた。
ただ、性自認が女性なのかと問われればそうとも言えず、中途半端といえば中途半端ではあった。
親は息子を理系(理工系)に進めたがっていたし、息子も理系を望んでいたと思っていた。
あの頃文学部を目指そうとしていた理由としては、学問への関心も当然あったけど、男らしいイメージのあった理工系をきらっていたことも大きかった。
しかし、私の性に対する違和感――性自認と性的指向――で苦悩することには変わりなかった。
それどころか、大学生になり将来のこと――結婚のこと家庭のことなど――を考えざるをえなくなって、不安感はますます募るばかりであった。
ちなみにこの頃、主にストレスについて大学のカウンセリングにお世話になる。
告白がなされる前からその兆しはあったものだから、今後どうその人と接していいのか分からない時期もあった。
それまで、他の人と付き合ったことはなかった。
そもそも、他の人と付き合いたいとは感じなかった。
しかし、それはチャンスだと思った。
彼女ができれば自分の性の諸問題が解決されるのではないかと思った。
つまり、性自認は男へ、性的指向は女へと確立されていくのではないかと。
そしてこれは付随的なことではあるけど、相手の名前が私が女の子に生まれたときにつけようとした名前と同じだったのだ。
そんなわけで、私は彼女と付き合うことを決めた。
それどころか、女性の身体を知っていくにつれて溜息を漏らす日々。
恋愛にアンテナを張るようになり、男と女の違いを散々見聞きする日々。
私ってなんなのだろう――考えれば考えるほど分からなくなっていく。
つい先日のこと、私が県外に行く重要な用事があり、何日も県内にいない時を過ごした。
ずっと会えない(といっても一週間程度)彼女は、寂しい、浮気してやるとブログに書いた。
そんなことを書くものだから、ああ私の身体が目当てだったのね、と私は珍しくも怒った。
自分の身体が好きじゃないから、その自分の身体が目当てならば、もう知らないと。
電話でそのことを話したら、泣きじゃくって、だって寂しかったんだもんの返事。
彼女と付き合ったことは、経験という意味では価値があったのけもしれない。
ただ、彼女には悪いことをしたと思う。
私はこれからどうしていけばいいんだろう。
アセクシャルってやつ?
どうも、ADHDです。 それどころか、女性の身体を知っていくにつれて溜息を漏らす日々。 文学部だけあって表現が詩的すぎる。 全体的にわからない文章だがここだけは想像すらでき...
ADHDCOに何か意味あったのかこの言及
そこが多動
なるほど、納得した。