はてなキーワード: まどかマギカとは
この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメをめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。
その時点で厄介オタクだわ。
とりあえず先に一覧。次に解説
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。
千と千尋だけはストーリーラインがちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。
他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。
パロディに使われることも多いし。
1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。
Wはガンダムシリーズが派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。
イケメンがバンバン出てくるアニメながら、戦争の時代の中で新時代の感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。
∀は多様に膨らんだガンダムシリーズの集大成としての、いわばガンダムを四季になぞらえたときの冬、人間に例えたときの壮年期を描くような作品であり、シリーズの生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
ひとまずコナン、ドラえもん、ドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。
たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。
デジモンなんだけど、たしかにぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。
あとウォーゲームとサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。
時かけ~エヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。
特にパーフェクトブルーは突破力のヤバさにおいてパプリカや千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。
エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星やガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。
ギアスは中二病アニメの最高峰、宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベル、ガルパンはいいぞ。
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン
下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。
lainは不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。
マクロス7もこれこそまさに不世出のオンリーワンとしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。
電脳コイルはマイルドな攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいからデジタル技術やITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い。
スクライド・GUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。
ギャラクシーエンジェル・ぱにぽにだっしゅはどちらもパロディやコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代を意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。
リヴァイアスはロボットアニメと見せかけて宇宙空間で少年少女が蠅の王をやることで普通のロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品。
まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。
ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。
お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。
でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。
「白蛇伝や巨人の星見ようぜ!アニメの歴史学ぶために!」とか言われてもね……
あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。
アオイホノオのドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法がオタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから。
それは、「女性を性的に見る」という間違ったことの推進になるから。
「なぜ女性を性的な視線で見てはいけないのか?」それは、女性は誰かの目を楽しませるために存在するのではないから。
性的な目で見る、という言い方が曖昧なので分かりにくいんだけど、「誰かのことを見て性的な満足感を得ること」とする。
「おっぱいの大きな女がいたらどうしても目で追ってしまう。それは本能だ。どうしようもない。そういう生き物だから。それを禁止されたら、恋愛だって始まらないし、子どもも作れない、人間は滅びてしまうじゃないか」
と言う人がいるかもしれないが、それは違う。
・女性の体を見て楽しむことは”禁じられていない”。
この2つは矛盾しない。
男も女も、ホームレスも総理大臣も、誰にでも持っている権利がある。
これを人権という。
人権は、人に、その人の身体を、その人のためだけのものとすることを認める。
だから不当に拘束されたり、傷つけられたりすることは、人権を損なうことであり、認められない。
その人権の中には、
や、
や、
などが含まれる。
「女性を性的な目で見る」行為は、女性のこのへんの権利を侵害している。
女性を、尊重されるべきひとりの人間として扱っていないことになる。
というわけで、
「おっぱいの大きい女をどうしても目で追ってしまう」→してはいけない。してしまったら、してはいけなかったな、これ以上見るのをやめよう、と思うべき。
「恋愛も始まらない」→女性を触ったりじろじろ見たりしてはいけないのは『許可なく』そうしたとき。女性は、そうされて構わないと思えばそれを許す。あなたがそれをしても人権侵害にならない。嫌だと思ったら断る。あなたがそれをすると人権侵害になる。
大切なのは『それを女性が良しとしているかどうか』。それを決める権利はすべて女性本人にあり、女性は誰にもおもねることなくそれを決められる。
これを踏まえた上で、たわわの広告の話をする。
「実在の女性を性的に見て楽しむこと」と「性的なイメージを見て楽しむこと」は違う。
「①日本経済新聞が」「②新聞広告という皆に見せることを意図した場所で」「③女性を性的に描いてきた歴史のあるアニメ漫画的イメージを使って」「④新社会人全体向けのプロモーションをした」から、問題になっている。
①誰が言うか
メッセージというのは、誰が言うかでその意味が変わってくる。隣の家のおばちゃんが言うのと、小泉進次郎氏が言うのとでは、その重みや社会への影響力が異なる。だから、何かが発言されるとき、それが誰のものかということは重要である。
②どこで言うか
同じ小泉進次郎氏の発言でも、どこで言うかで、意味や影響が異なる。小泉進次郎氏は、たとえば「石油でトイレ流したいな〜」とテレビの前で言うとヤバイが、クリステルだけにそっと打ち明けるぶんには問題ない。誰に届けようとしているか。発言された場所を見ればそれが分かる。
③何を使って言うか
メッセージを伝える手段はいろいろある。いろいろあるので、伝えたい内容を効果的に伝えるのはとても難しい。ときには、意図しないメッセージが伝わってしまうことがある。見る人が多く、発言者に社会的な責任が多くあるほど、その内容は慎重にならなくてはいけない。たくさんの人が見るほど、その解釈も多様になってくるからだ。
④何を言うか
一見、これがもっとも大切であり、①②③はそこまで重要ではないように思われるが、それは誤りだ。何かを伝えようとするとき、これらの事項は絶対にセット商品として扱われるべきだ。たとえば、何を言っているかだけを見て、その行為を判断することはできない。誰が言っているか、どこで言われているか、どのように言われているか、それらをひっくるめて考える必要がある。
「萌え絵」とは、エロゲーをルーツに持ち、人間の身体的な特徴をディフォルメし、大げさに描くことで、独特の雰囲気を持つイラスト、とここでは定義する。
そして、そのディフォルメの目的は明らかに、身体を魅力的に描くことであり、さらには、それを見る人の目を楽しませ、性的な興奮を呼び起こさせることである。
「萌え絵」は禁じられていない。
「萌え絵」を見て楽しむことも、禁じられていない。
「萌え絵」を買ったり所持することも、禁じられていない。
理由はいろいろあるが、ひとつは確実に、児童ポルノなどと異なり、「そうすることで、誰の人権も侵害されていないから」だ。
しかし、その、③「身体をディフォルメして魅力的に描いて」、「人の目を性的に楽しませる」という趣旨のイラストを使って、
①日本経済新聞が
したら、どうだろうか?
その行為そのものは、禁じられてはいない。現に日本経済新聞は広告を撤回してもないし、謝罪もない。そして、する”義務”もない。
しかし、この4つの要素があわさったとき、そこから発せられるメッセージは本当に、
「新社会人のみなさん、『月曜日のたわわ』の新刊が出ましたよ!」
ということだけだろうか?
もちろん発信者はそのつもりだったに違いない。
ここまで読んでくださったみなさんには、きっと分かってくださることと思うが、メッセージはときに、発信者の意図しない隠れたメッセージを伝えてしまう。
そして、そのメッセージによって、傷ついたり、安全を脅かされたりする人がいることを、発信者は常に意識する必要がある。
つまり、ここで伝わってしまう恐れのある、発信者の意図しない、隠れたメッセージとは、
「女性の体は、目で見て楽しむためのものである」というメッセージである。
そのメッセージが、誰の目にも触れる可能性のある、広告の場で、日本経済新聞によって、発信されている。
これがアニメイトなら、アニメ好きだけが見るので、まだ良かった。
Twitterだけのキャンペーンなら、アニメクラスタの間だけで拡散されるので、まだ良かった。
やってるのが、社会人の必読紙と言われ、軽減税率を受けている日本経済新聞ではなく、講談社の雑誌や個人なら、また意味が違ってきた。
揃うと、どうなるか。
そのメッセージがある空間、そしてそのメッセージが許される社会で、「すべての人には人権があり、その人の体は、その人だけのものである」という意識を、みんなに持ってもらうのが難しくなる。
自分の体を、許可なく性的な目で見られたくない人は、その社会では安心して生活できなくなる。
ポスターによって、直接傷つけられたり、悲しい思いをしたり、個人として尊重されないような事態は、発生しない。
しかし、そういう社会づくり、人権の守られない、安心して暮らせない社会づくりに、確実に貢献してしまっているのである。
目に見えて血を流す人がいないから、その表現には問題がないと考えるのは、あまりに短絡的だ。
数字として出ない、影響がわかりやすく見えないことだからこそ、慎重になる必要がある。
「アイちゃんがセクシャルな意味合いを含む萌え絵で、日本経済新聞にふさわしくないことは、甘んじて認めよう。では、同じまどかマギカでも、マミさんはダメで杏子なら良いのか?」
これは本当に難しい。胸がこのくらいくっきり描かれていたらアウト、とか、このくらい頬が染まって困り眉をしていたらアウト、などと線引きをすることはできない。
では、どうしたらいいんだろう?
議論をしたらいい。公共の場は、どうしたらみんなが安心して過ごせる場所になるか。萌え絵が好きなオタクは、どこに行けば誰の尊厳も傷つけず、自由に萌えを叫べるのか。ボランティアによってなされる献血の尊さや、明日にはあなたが献血に救われるかもしれないことを、まっすぐに伝える広告とはどのようなものか。
声をあげよう。間違っていてもいい。いっしょに考えよう。自分と違う意見の人を、クソなんとかとか、バカなんとかと貶めるのをやめて、同じ社会に暮らす自分と違った考え方のひとりの人間と認めよう。相手の顔が見えないインターネットでは難しいかもしれない。それでもインターネットだからこそ時と空間を超えたフラットな対話が可能なはずだ。
話し合おう。萌え絵が好きな人にも、ロリコンにもショタコンにも腐女子にも進次郎にも、あなたにも人権がある。人権の概念は、まだこの社会に浸透しているとは言えない。あなたにもきっとあるはずだ。こんなことをされたくないとか、自分を大切にしたいとか、悔しく思ったことが。そんな思いをしなくてもいい社会を、次の世代にプレゼントしよう。
https://togetter.com/li/1863157
このまとめで引用されている美奈子の台詞、原作のセーラームーンで言うならばうさぎと衛の年齢差なんぞよりもずっと不快で最悪だと思った点だわ
「あたし達にはもうとっくに命を捧げたたった一人の人がいる」「だからあたし達男なんかお呼びじゃないのよ」
って、そのプリンセスは普通に男といちゃいちゃして、やがて結婚し子供も設けるのに?
カードキャプターさくらとか、最近話題になった進撃の巨人とか、あるいはまどかマギカか何かもそうだけど
「異性愛者の女に一方的に尽くす女がいて、尽くされる方の女は男に夢中」的なシチュエーションって昔から割と定番で
しかもそれがいわゆる「百合」として美しいものとされ消費される傾向があるけれど
私はそれって最悪だと思うんですけどね?片方は普通にヘテロ女性としての人生を満喫しているのにもう片方の女はそれに尽くすって非対称性に違和感しかない
セーラームーンの美奈子やレイは違うでしょ…普通に男が好きな異性愛者の女で、そう描かれていた筈なんだが?
普通に彼女達にも男と恋愛させてやってくれよ…いや結果的に相手がいないだけならいいにしても恋愛自体を最初から否定しているのは違う
当時、オタク層はごぞって絶賛してたし
ロトスコープを要所要所で使っていたんだけど、
それを大絶賛する空気?みたいな
すごい本当に人が動いているみたいな作画を
すごい手間ひまかけてやってるんだろうから
すごいすごい、ってことを言い出す人らが大半だったときに
いや、それはアニメーターとしての仕事を放棄してることになるんじゃなかったっけ?
という古い価値観が浮かんできてうまく乗り切れなかったときだ。
このへんの違和感があらわれだしたあたりで
その証拠ではないのかもしれないが
フル稼働させてた2台のHDDレコーダーと三菱のSVHSは徐々に稼働することがなくなっていくことになる。
リアルタイムで見れていないこととか、まどかマギカを見てないこととか
アニメオタクだった時代の自分だったら歯ぎしりして悔しがるだろうことに
こだわりがない。
オタク文化の源流を辿る議論が始まってしまってるけど、シベールとかの話は「美少女」の発明の話で「萌え絵」の話とは違うよなと思った
そもそも萌え絵ってなんだよ、誰が定義したんだよという話なのだが(「美少女」のほうは議論がたくさんあるから今さら新規の説は立てようがない)
まず現代、萌え絵ってなんだろうというと、人目につくとこに掲示される絵で判断するのが一番で、「コンビニで売ってる雑誌の表紙」と「パチンコ屋の店頭看板やのぼり旗」がもっとも判断に適している気がする。これらはオタクもオタクじゃない人も誰もが目にするからだ。
・パチンコ海物語……昔に比べるとだいぶ寄せてる気はするが、まだ萌え絵には至ってない
・せがわまさき……これは人によって判断が分かれる気がする。劇画認定する人がおそらく多数派だろうが、石川賢の記憶がある人からすれば萌え絵認定されそう
・まどかマギカ……萌え絵認定に異論を唱える人はあまりいないと思われる。が、よくネット炎上の槍玉に挙げられるタイプの「萌え絵」とはまるきり別系統でもある
・エウレカ……たぶん萌え絵認定なんだろう。なんだろうけど吉田健一の系統って萌え絵なのか?
・エヴァ……たぶん全員一致で萌え絵認定されるのはこれだけではってぐらい共通認識。ただ貞本義行の顔ってかなり古典的な部類であり、「量産される深夜アニメ」「量産されるエロ同人誌」とはまるきり別系統
・ツインエンジェル……シンフォギアとは別系統で萌え絵分類の代表例か。いわゆる「アニメ絵=美少女絵=萌え絵」という認識にピッタリとはまりそう
・攻殻機動隊……押井守アニメの印象が強すぎてハードなイメージがあるが、少佐は劇画じゃなく萌え絵分類だと思う
……こんな感じだろうか。並べただけである
で。並べてて思ったのだが、初代マクロスの美樹本絵は「萌え絵」になるのだろうか
美樹本晴彦というと「美少女」の代名詞だが萌え絵と言われると違和感が強い。似たような例だと、あだち充も「美少女」の代名詞だが萌え絵とは言いづらい。
おそらく、美樹本・あだち系美少女が入ってこないのが、自分の認定する萌え絵を、往年の美少女絵につながるものと考えにくい大きな理由だ。
じゃあ他には?
わからなかった。
ということで別アプローチを考えてみる
日本国内で「萌え絵」が一般に認知されたのは圧倒的にパチンコパワー(およびソシャゲのTVCM)だと思うが、マンガでいうと、ガンガンが分水嶺という気がする
ガンガン以前は、すこしづつ勢力を増していても、表にでてくる量としては意図的に抑えられていた感じがある。ジャンプでいうと本誌の「そういう枠」はウイングマンやバスタードや黒岩よしひろあたりという認識。なおオレンジロードは「美少女」ではあっても現代の萌え絵系統とは別枠だと思う
週刊誌と月刊誌でなんとなく棲み分けされてもいて、月刊誌枠は「そういう絵柄」が多少は許容されてるイメージ。増刊サンデーが当時のオタク少年御用達といった
で、「オタク少年向け」枠に少年キャプテンやコミックコンプが参入して少しづつ売り場面積が増えていったが、「そっち系の絵柄」でメジャー制覇したのはガンガンだろう
ではガンガンは「美少女」で成功したのか? というと、それは違う感じがある
それまでロリコンブーム以降の同人誌の盛り上がりやマイナー誌での蓄積を整理、洗練された上で、「黒岩よしひろとかああいう感じの絵ばっかりの雑誌」が美少女じゃない路線で成功したということだと思う
そうすると、「ガンガン」の時点で、いったん「美少女」は途切れてしまっている。実際、年齢層的にも、それまでのキャプテンや増刊サンデーの世代より下の世代向けで成功したのだろうし
「萌え絵」といって、世間的に「なんかオタクっぽい絵」というとき、ガンガンに代表される絵でしょ、というイメージが、自分の中にはある
そうなるとそれは「美少女」とはちょっと違う。世代がある程度まで一新した上で、改めて、既にある美少女概念が借り物として再導入されたと見るべきじゃないのか
その際には当然、以前からの「美少女」も参照にされているが、そこは一直線で見るべきではない気がする。たとえば、あだち充的な美少女はそこにはいなかったように
同人作家が既に年商で千万とか億とかいわしてたのを背景に、そこから作家を連れてきて成立してたわけだし
だいぶ迷走してきた
うーん
///
反応ありがとう。ちょこちょこ読んでるけど消化しきれてないので返事はごめん
読めばわかると思うけど、「萌え絵はいまひとつ曖昧な使い方にしかならない気がするんだけど、しかし自分でも漠然とはイメージがあるし、とりあえず自分内の定義を探してみっか」という話です
ひとつだけ反応すると
>ガンガンの具体的にどれ?
特定のどれかって感じじゃないですね
いかにもそれです、って探すというと夜麻みゆきとかがいかにもそれっぽいんだけど、そこに限った話でなく
それまでの少年マンガ誌ぽくなさの一方でやっぱ少年マンガ誌ぽさはある、という感覚
諏訪姫とかいうキャラクタが、キモヲタから「これはいいんですかー?」とか言われてて
それに対して「これは萌え絵じゃなくてアニメ絵」と反論していたフェミニストの人がいたけれど
https://www.pmoa.co.jp/suwahime/
いやこれはどう見ても萌え絵でしょー?
目が大きく黒目がちで鼻が点のように小さく、顔の輪郭が丸く首や手足が細く…ってのが大体の萌え絵の特徴だと思うけれど
萌え絵でないアニメ絵っていうのは例えばジブリみたいに目が小さめであっさりしてるやつとか
カウボーイビバップみたいに鼻もしっかり描いて彫りが深いやつとか
王様ランキングみたいに思いっきりデフォルメが効いたやつとか勿論色々あるけれど
でもそれと違って「萌え絵かつアニメ絵」な絵だって沢山あるよ。まどかマギカとかきらら系とか。
フェミニストって全員じゃないけれど「萌え」を全部否定しようとしているタイプの人もいるにはいるよね。
温泉むすめが問題になったのは「エロ」の部分であって「萌え」の部分ではないと言えばいいものを
まどかマギカ復活するよ!おめでとう!
わかり手さんの予想がだいたい当たっていてすごかった。
やはり日ごろからメンヘラを人間観察しているので詳しいのだろうか。むしろわかり手氏にエヴァ作ってみてほしい。
監督はTV~旧劇場版は非リア充マインドで作ったが、新劇場版はリア充マインドで作った。オーディエンスは何を見せられているのだろう。監督の心情を、人生を見せられているのかな。一言でいえば旧劇場版から新劇場版にかけて非モテがモテになれました。というサクセスストーリーだった。某キャラと某キャラが子づくりしてその子供が出てくる所もリア充感を加速させる。グッズ販売にぬり絵とか自由帳といった子供向けアイテムがあるのもそれに油を注ぐ(親子でエヴァを見に来る人がおるんやろか?)
そもそも破の時点でシンジくんが成長してしまってウジウジしておらず男らしくて置いてかれてしまった感してたがその路線の延長だった。「そうだよな!非リア充だよな!」つって拗らせたやつらが共感してファンを集めたTV~旧劇場版だったが。新劇場版では作品がわりとリア充になったのでリア充になれないオーディエンスは置いていかれたことになる。
これはつまり、ぼっち・コミュ障・非リア充芸でガチ恋営業してファンを集めた地下アイドルやVTuberが、急に恋人できて結婚して引退してファンを捨て去り置いけぼりにするような構図と重なって見える。そう、声優の「ご報告」でCDを割るやつと同じで。表では恋人いませーんムーブしておきながら水面下でちゃっかり人生を進捗させていてある日突然手のひら返しするのだ。アイドルもVTuberも声優も監督もみんな置いていくんだ。結婚したのか俺以外のヤツと・・・
今後の後世に語り継がれるエヴァンゲリオン像は、非リア充こじらせ系と、リア充系に二極化して語られていくだろう。
昔のインターネットは非リア充のすくつだったが、いまはもうリア充に占拠されてしまい、いつまでもリア充になれずに拗れている者の居場所は狭まるばかりなのか・・・。
これ、少しのネタバレを説明したうえで「こういったような(ろくろ回す)イメージのエヴァを信じて期待していた人は、こういうネタバレがあるんで、ショック受けるので見ないことを推奨する」という熱気溢れる記事を書く人が現れるだろうね。予言。キャラ愛が強すぎる人とか、二次創作するうえでのイメージ崩したくない人向けとか。
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前半、ポカポカムードが長く続いて(どうすんだこれ..)ってなった。でもなぁ。庵野監督のことだから上げて落とすの繰り返しだしなぁ虚淵みたいに。そんでまぁまぁ期待を裏切らない感ある展開であったが、なんだかあっさりとスルーされた感があり、というかそこでシンジくんが急に大人になったターニングポイントでもあるのだがもうちょっと拗れてほしかった。
途中、ここ笑うとこ?真剣なとこ??って気持ちの緩急が激しく揺さぶられてどうしたらいいのか良くわからなかった。あと戦闘シーンでBGMが急に劇画チックな特撮みたいになるのも庵野監督ぽかった。親子喧嘩シーンまるっきりウルトラマンやね。良い。
テーマのひとつに「犠牲」があるのかもしれない。色んなものが犠牲になっているし、自らを犠牲にして誰かになにか託す者もいれば、家族が犠牲になった恨みもある。非リア充にはできない、リア充の肝が据わった男らしい覚悟。明日世界が滅ぶとしてもすいかの種を植える。覚悟と達観と1日1日を大切に暮らす話。そのへんはシンゴジラからの地震や台風とか災害のイメージなのかな仮設住宅が立ち並ぶところなんかまさに。無人在来線爆弾のようなものも登場する。
虛淵をイメージしているのだろうか、セリフに「円環」って何度か出てくるのまどかマギカ意識している?オマージュ?2回目を見てあらためて終盤のシンジ君のセリフよく聴いたらまるっきりまどかだった。シンジくんはアルティメットまどか。いや逆なのかな、旧劇をオマージュしたまどマギ、それををオマージュした新劇、っていうこと?そのへんの関係よくわかんないや。
xxxもyyyも大人になったのは、つまりはエヴァの呪縛が解けたという意味だ。"人間"の"大人"になったということだ。非リア充のガキが、リア充の大人になった話だ。たとえ金太郎飴みたいにそっくりな量産型であっても、自我を持ち、成長できるのだという希望の話。就活や大学生のファッションや髪型なんかがしばしば"量産型"と揶揄されることへのオマージュ、エールかも知れない。
見ながら思ってたけどゲンドウくん喋りすぎじゃない?説明しすぎ感はあるなー。Qの反動のAなのかな。それ以外にも答え合わせ、ネタバレ、種明かしがたくさんあり、スッキリはしたけど謎が減りすぎてミステリアスさや考察や二次創作の余地やが減った気もする。そんな考察なんてしてないでエヴァの呪縛(ダブルミーニング)から解かれておまえらもリア充になれ。やめやめ。解散。おしまーいみたいなメッセージなのだろうか。そんな印象も覚えた。
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(↓以下は自分の語彙力が不足していて、なぜダメなのかがうまく明文化できていない。より語彙力の高い人がうまいこと説明してくれるのを期待)
毎度恒例の精神世界電車のゲンドウが下車した以降の早足に一人ずつ問題解決していくパートは、なんだか雑な感じを受けてしまう。 駆け足に答え合わせ、辻褄合わせされたような...
全体の映像を通して言えるのは、ミックスが未熟な音楽を聞いているような印象を受けてしまう。シーンによって映像の解像度の差が気になるというか、質感の統一感が低い箇所があるというかうまくいえない。あのリアル綾波フェイスがとくに浮いている印象がしてしまうんですが・・、斗和キセキの1000万円かけて作った生首みたいでシュールなんだ。
すごくエヴァらしい!と感動するシーンもたくさんあるんだよ、例えば前半の村でアスカがシンジにカロリーメイト(2400kcal)を無理やり食わせるシーンのカメラワークがすごい。フレーミング、ロール、レンズズームをグリグリ動かしているような映像的にすごいし、構図もエヴァらしいと思った。
ピンク髪の人、北上だっけ?全体的にあの人のセリフが空気を悪くしてズレた感じにしてしまっているのが残念だった。でも親の仇でキレるシーンは良かった。けど、納得して脱力しての引き下がる理由とか心情の変化が良くわからんかった。
あれだ、昔の人間なら電子メールでビジネス文章を書くが、ナウなヤングは仕事の連絡すらLINEだったりするのでチャラくて薄くて軽い文章しか書けない、そういうTPO違いの文章のような嫌悪感なのかも知れない。最近では仕事の会議や講演なんかもライブ映像配信なので、YouTubeのノリで「わくおつ~」とか新人がコメントしちゃうやつだ。もう俺も老害だと思うとつらい。
それ以外にも、なんだか薄ら寒いメタをちょくちょく差し込んで来るのでその度に調子が狂うというか、音ゲーでタイミング外してうまく演奏されなかった小節みたいな印象を受けてしまうま🦓。
先述のとおりシーン毎に気持ちの切り替えが追い付かないというか、いま笑うところ?シリアスなところ?という空気読みに苦労してしまう。これってアニメ艦これでもそうだったよね・・・。
わからん。睡眠不足状態で見てしまったので脳が働いてない可能性はある。
後から見なおしたり、誰かの解釈を参考にしたりすると、また違った見え方もする。
あと、ゲンドウがにゃるらさんの提唱する理想郷、twitter2のコンセプトみたいな話を早口気味でするのおもしろかった。差別も貧富の差もイジメもなんたらもかんたらもない世界みたいな。
にゃるら絵日記10話「Twitter2(だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS)」|にゃるら|note
にゃるらさんありがとう。