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はてなキーワード: SFとは

2023-10-16

anond:20231015235029

古くはヨーロッパ小説が出始めてアメリカ世界宇宙開発をはじめたこ

そこからアメリカではテーマとして一大メジャーになってリアル(それこそアポロ計画やら)と創作物が増える

日本でもその影響を大きくうけてアニメで言えば最初アトムからそこから初期の巨匠モチーフはほぼSF

流行としてはヤマトガンダム999が人気出たからあとはその流れ

2023-10-15

anond:20231015231039

日本サメ映画は「湯鮫に気をつけてな」という、フラストレーションのたまった中年が幼き頃に祖母に言われた言葉を反芻し、湯冷めと湯鮫を混同していたという語り口から回想が始まり、最終的に湯鮫は実在するというSFオチ

ものになるとおもいますか?

anond:20231015151001

国会図書館サイトなんかでSFの有名本が日本でいつ出版されたかとか、出版社のSFレーベルがいつ作られたかとかも調べて表にしてみれば?

anond:20231015151001

さんち宇宙もの流行った昔、どうしても教えておったのSFか・

どうしておったてたえっちSFも、昔の宇宙教かがんもの流行さ・

おっさんたち、昔どうしてSFもの宇宙もの流行たか教えて

僕は30代でまあまあおっさんだけど、それでもイマイチ昔の流行りがわからん

ちなみに僕が子供のころは異世界主人公が「落とされる」系の【ファンタジー】が全盛期だったと思う。レイアースとかエスカフローネとかその辺。そのちょっと前は、スレイヤーズとかロードス島とか。

で、明らかにその少し前に、【前世もの】や【超能力もの】が流行った形跡があって(僕の地球を守ってとか)、【SF】とか【宇宙もの】はさらに前な気がするんだけど、あってる?

僕の雑な理解では、「ロボットもの流行ってたところに、青年向けに戦争宇宙ものの要素を加えて、当時新しかったのが、ガンダムだった」って感じなんだけど、これは正解?

で、本題としては、なんで流行たかっていうのは、やっぱ60年代アポロ計画成功とか、大阪万博の月の石とか、あるいは、「かがくのちからってすげー」みたいな時代の空気が影響しているってこと?

個人的には、「かがくのちからってすげー」っていうのはいまいちよくわからなくて、「リニアだってあれほど騒がれてたのに実現するまですごく時間がかかったじゃん」とか思ってしまうけど、昔は違ったのだろうか。

まあ、僕には、あんまり科学の発達が社会の発展・生活改善につながったという実感がないからかもしれない。それと、科学全般というよりは、パソコンインターネットに夢を見た、というところはある。

以下参考。

1965年サンダーバード

1966年ウルトラマン

1968年アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

1969年月面着陸

1970年大阪万博

1977年スターウォーズ

1979年機動戦士ガンダム

1982年銀河英雄伝説

1986年僕の地球を守って

1986年ロードス島戦記

1988年ドラゴンクエスト

1989年スレイヤーズ

追記

ちょっとずつ伸びてて嬉しい。

なるほど、松本零士1974年宇宙戦艦ヤマトなど)の影響が大きいのか。大変勉強になりました。

(今、ガンダムSEEDの総集編の映画やってるんだけど、ヤマトリマスター映画予告編流れてたな、そう言えば。)

あと、当時の宇宙開発はスピード感がすごかったんだね。これだと数十年後にはきっと、みたいな期待もあったんだね。

それと、

今、深夜アニメとかコアなゲームとかやってる人たちがみんなSFにハマってたと思えばよい。

この説明理由のものとはズレるのかもしれないけど、当時の状況としてめっちゃわかりやすかった。

追記

「昔はこういうワクワクがあったんだよ」っていう語りがいろいろあって、少し楽しい気持ちになれました。

wikipediaSFのページ、めちゃくちゃ充実してるね。教えてくれてありがとう。あと、『不死テクノロジー』読んでみます

その他もろもろ、数日後にブコメトラバを読み返して、参考にさせてもらいます

anond:20231015112109

それもSFに含めたら一般的SFに埋もれて見つけにくくなるからちゃんと別のジャンル名にした方が良いのでは?

SFって言うときサイエンスって

100%自然科学だよね、物理学とかそのへんの

俺は人文科学系のサイエンスをハックする作品もっと摂取したいんだよ

たとえば「自殺法」を題材にしたバビロンなんかは、社会科学的なサイエンス・フィクションと言えなくないか

たとえばミダスマネーが蔓延社会を描いたCなんかは、経済学的なサイエンス・フィクションと言えなくないか

anond:20231015094815

科学技術を扱ったフィクションじゃなくて「科学技術の部分」がフィクションなのがSFなのでは?

現実にある技術で月に行って現実にある物質を持って帰ってきてもそれはもはや飛行機ニューヨークにいって商談するのと変わらんだろう

anond:20231015100114

サイエンス・フィクションと言われるジャンル自体そもそもエンジニアリングを多く扱っているくせにサイエンスを名乗っているのだから、「SF定義におけるサイエンスにはエンジニアリングも含まれしまっている」と考えるべきでは?

そもそもの話の前提を考えずに単語だけに反応する虫けらレベル脊髄反射はやめてよね

anond:20231015095107

知識体系が使われていない」をどう定義するかで答えが変わるじゃん。

命題 『宇宙人不思議惑星不思議暮らしをする作品。ただし、登場するのは宇宙人の子供なので自分たちがやっていることがどういう原理に基づいているのかは一切理解していないで日常生活を送っている』はSFとして扱うべきか?

模範解答A SFである宇宙人の生態について、作者が科学的に予測を立てているだろうから

模範解答B SFではない。宇宙人の生態ついて、作者自身も良くわからないまま適当に描いているだけだろうから


この場合のA・Bの切り分けはもう「作者に聞いてみるしかない」ってことなんだけど、そうなると「出力された結果が同じでも、その過程で作者が行った工程によってSFかどうかが定義される」という限りなく意味不明なことになる。

それで本当に良いのか?

逆に「サイエンスしないフィクション」ってどういうのがあるの?

ワープありの時代劇とか?

医学考証無視の倒れ方や蘇り方をする恋愛モノとか?

愛の力でパワーアップするスーパーロボットとか?

俺は逆に知りたいんだよね。

「なんでもSFになりうる」という与太話に対して「いや、これはSFとは絶対に言えないのでなんでもはありえない」と言い返せる銀の弾丸を。

ラノベSFはない

ハルヒのひとはSFって明言しそうではあるが、SFがめんどくさいってのは現役のひとでも結構同一認識なのと、あとSFファンだけじゃ無くて業界にいるひとでも同じってのがなあ。

https://twitter.com/arikawahiro0609/status/1713346527043993898

2023-10-14

百合豚は嫌いだが、水星魔女百合以外の何があったのか分からない

https://anond.hatelabo.jp/20231010034423

中国百合厨(中国水星魔女は視聴できないので違法視聴している)が、

グエル役の声優やミオリネ役の声優SNS誹謗中傷しているので、百合豚への印象が最悪になってしまったが、

では水星魔女シナリオスレミオ百合以外の新規性特筆事項があったのかというと、何もなかったと思う。

 

キャラクターデザインメカニックデザイン衣装デザイン声優、YOASOBIについては非常に良い仕事をされていたと思う。

チェンソーマンアニメを見て、「アニメ本編よりも米津玄師のほうが良い仕事をしている」と感じたのに近い。

表現で支える側が頑張っているのに、物語自体に芯が無かったと感じられるのが非常に残念だ。

スペーシアンとアーシアン格差についての掘り下げも着地も中途半端。(こっちのラスボスシャディクだったのだろうか?ミオリネへの片思いをイジられてばっかだったな)

GUND技術軍事利用と医療利用についての掘り下げも着地も中途半端。(こっちのラスボスデリングとプロペラだったのだろうか?デリングは後半ずっと寝ていたが)

スレッタ・ミオリネ・グエルの親が毒親であることについての掘り下げも着地も中途半端

 

別に特定思想を全肯定して、もう片方を全否定しろと言っているわけではない。

キャラクター経験を積んで考えて変化するところが見えれば、大局が何も解決しないエンディングでも全く問題なかった。

しかスレッタ・ミオリネ・グエルの全員が何を考えているかよくわからないまま親を肯定して終わったし、

差別技術についても「作品として何が言いたいかからない」に加えて、

「各キャラクターがどのような姿勢を取っているかもわからない」「大きな空白を設けましたのであとは解釈にお任せします」というものになっていた。

特にシャディガールズの浅さは何なんだ。サビーナがニカに個人的興味を持っていたこと以外、すべてが浅いまま終わった。

地球寮も描写が少なすぎる。ティルなど、何の印象もなく終わってしまった。

 

水星キットの出来は良かった、形部デザインモビルスーツも評判が良かった、

モグデザインキャラクターや、学園・グループ社員制服等のデザインも評判が良かった。

そうした絵的な面は過去アナザーガンダムと比べても非常に良い仕事で、好評だったわけだが、

物語としての中身や、キャラクターの深堀りについては「空虚であった」と感じざるをえなかった。

ティルやメイジーをもっと描けというよりも、スレッタ・ミオリネ・グエル・シャディクの描写があれで終わるのはおかしいだろう。

エランについては「ペイル社」がどうなったのかすら分からず、強化人士殺人犯が逃げおおせているのは何なんだ?

 

社会問題ビュッフェ」といった雰囲気風呂敷を広げては中途半端に終わらせた水星魔女だが、

他の作品と比べて特筆事項があるとすれば、「百合アニメ」という枠組みではない一般作品で、

最終回スレッタとミオリネが結婚指輪をしていたことくらいだが、

発売されたばかりの文春でスレッタとミオリネの声優が「いつスレッタがミオリネを好きになったのか分からない」と発言しており、

自分も見ていてスレッタがいつエランからミオリネに乗り換えたのか感情の動きが分からなかったが、

声優監督脚本からディレクションを受けず、「分からない」まま演じていたのかと大変に呆れた。

演出意図はあるが、それをどう受け取るかは観客次第」というのと、「演者が分かっていない」のは全くの別問題なのでは。

 

死別に終わったスレッタと4号、5号とノレア

スレッタが告白を断ったうえに強力なビーム兵器でグエルを殺しかたことにより終わったグエルとスレッタ、

シャディクが最後まで勝手に決めて引き受ける姿勢を変えずに逮捕エンドとなったシャディクとミオリネ、

最終的にそばにいられない組み合わせのほうが関係説明がなされていた。

恋愛ではないがジェターク兄弟についても、

グエルのビジネスパートナーであるオリジナルエランとの関係唐突に出現し、

フェルシーやカミルといった信頼置ける仲間との3年後時点での繋がりについても説明がなく、

ラウダとペトラについても双方の声優が、いつくっついたか全く分からないといった、スレミオ声優と似たような回答をしていた。

結論として、兄弟宇宙地球に分かれて別の道を歩むようだが、兄弟のほうが「兄が毒父毒母の代わりに弟の存在承認した」と関係説明できていた。

最終的に共に歩む組み合わせの描写声優にすら説明せずぶん投げて、

「別れこそ尊い」という、感傷マゾのような趣味でもお持ちなのだろうか。

 

格差差別技術功罪・親による支配といったテーマ風呂敷だけ広げて畳み切れず、

キャラクター人気と関係描写だけで牽引するのかと思いきや、

そちらも「別れさせるほうをやたら丁寧に描き、共に歩むほうは声優すらよくわかってない」という変な趣味を出す。

しかも「分からない」と思いながら演じた声優を表に出してイベント雑誌で語らせながら、

物語を作った側が全く制作意図等を語らないのはどうなんだ。声優を弾除けに使っていないか

また、SF考証には「雑だった」か、「設定はあるのに本編に出てこなかった」のか分からないが、大変失望した。

リプリチャイルドやらオルガノイドアーカイブやらガンダム消滅やら、何の説明もなく次々展開させるのは雑にも程があった。

個人的にはガンダムのような種類のアニメには恋愛描写よりもSFのほうを期待しているが、

「別れこそ尊い」という感傷マゾばかり見せられてSFを放り出されたようで大変に不快だった。

anond:20231013221723

止まるんじゃねえぞは鉄血のオルフェンズ、1期は面白かったけど、2期終盤の展開が微妙で人を選ぶ作品からおすすめしづらい

ビルドファイターズ、肩が丸いガンダムは分からないけど、くまみたいなアッガイはいる(ベアッガイIII)

ガンダムOKなら是非見て、元ネタからなくても面白

ヨルムンガンド漫画原作武器商人少年兵の話、戦争というか、紛争が近いかな?SFじゃなくて、現代

バーディウィングはゴルフであってる。女子ゴルフスクライドと思ってもらうと良い。絵面はまあまあ派手だからその辺は安心。ただ序盤がクライマックスかも。終盤もつまらないわけではないんだけれどちょっとパワーが落ちる感じ

カウボーイビバップSFアニメ人類宇宙進出した後の賞金稼ぎの話。音楽菅野よう子でめちゃくちゃ良いよ

2023-10-13

anond:20231013214856

リヴァイアス懐かしいなあ。でも何にも覚えてないんだよね。もう一回みたい。イカみたいなやつが宇宙を泳いでるのがかわいい

ガンダム00俺がガンダムだ!のやつだね。止まるんじゃねえぞもそれ?

ビルドファイターズプラモ狂四郎遊戯王の合わさったみたいなやつだね。おもちゃ屋さんですごい見た覚えあり。なんか肩が丸いガンダムとかくまちゃんみたいなアッガイとか出てた?

ヨルムンガンドってこないだシン仮面ライダー音楽の人の経歴に出てきたやつだな。どんなのか全然知らなかった。SF系?戦争系?なのか?

バーディウィングって検索したらゴルフのやつが出てきたけどこれであってる?ゴルフアニメって動きすくなそうだな??

カウボーイビバップはいつか見るリストに入ってますけどもまだ見てないっすねえ!!この機会に見るか……西部劇じゃないんだよね、確か

2023-10-12

anond:20231012101643

ちょい外伝的なエピソードが多いけど今でも面白さは保ってるよ

6巻くらいまでは主人公の挑戦の話だったけど

そこから主人公ラスボス側に回ってその周囲の群像劇になってるよね

いまは将棋AIが行き着く先の話をやっててSFみたいでおもろい

作者のTwitterは見なければよし

[] プランク時間トレード

俺の架空SF世界ではニュートリノ通信または類する技術を用いてプランク時間トレードが行われており、

人間には認識できない膨大な数の株価暴落が起こっているが、認識している部分はなめらかに見えるので正常運転ということになっている

2023-10-11

水星魔女毒親経済格差をバズネタとして使った

スレッタとグエルの毒親受容

スレッタはプロペラにとって、ナディムとの間にできた第一である大事エリクトの世界を作るための鍵・道具となる

リプリチャイルド(つまりエリクトのクローンオルガノイドアーカイブだの、SF設定の説明省くのやめろ)だったわけだが、

スレッタはプロペラ所業積極的肯定して同居エンディングだった。何もツッコミを入れず全肯定したわけだ。

また、グエルもヴィムに結婚相手勝手に決められ、決闘に勝てなければ平手打ちされ、

指示に従わなければ住むところを奪われ退学させられるという経済虐待を受けていたわけだが、

事故父親を殺した自分を責め、父親との対話から逃げた自分を責め(対話を拒絶していたのは父親のほうだが…)、

ヴィムの短所について事実陳列したシャディクに怒り、父親の遺した会社を守るエンディングだった。

プロペラとヴィムの問題についてツッコミが入らず、毒親重力から離れるキャラクターが不在のまま終わったのには、悪い意味で非常に驚いた。

正直、バズりやす毒親ネタを、視聴者の興味を引くフックとして利用したようにしか思えない。

毒親をどう受容するか」という物語にしたって、被虐待の落ち込み状態から肯定状態ワープしており、間の説明がないのである

そして比較的良い養親をしていた(シャディクに対してもっと子供らしくしても良いと言っていた)サリウスは、

シャディクに利用されて裏切られ煽られる。血縁を賛美して養子を貶したかったのだろうか。

 

ウテナ要素の中途半端サンプリング

ミオリネはデリングに文句を言っていたので、ホルダー結婚制度トロフィー扱いを否定するのかと思っていた。

しかしホルダーになるための戦いに挑まないシャディクに対して不満を抱き、

2期では「意味不明なフェンシングによりホルダーの白制服に戻ったスレッタ」をミオリネは受け入れた。

これはシャディクが決闘しなかったから振られた、決闘に負けたから振られた、というホルダー制度追認なのか?

結局、ミオリネにとってグエルはタイプではなく、シャディクかスレッタなら好みであり、

「好みの人間が勝てばOK」という、父親のホルダー制度追認と個人的好き嫌いの良いところ取りをしたように見える。

これが初期のウテナオマージュに対する中途半端なアンサーになっており、

ミオリネを同性をエンパワメントする女性キャラとして描き切れず、強い言葉でむやみに他人非難するだけの半端者にしてしまった。

 

まれが貧しいほうが泣き寝入り

プロペラによるクインハーバーアーシアン大量虐殺について、

地球まれ戦災孤児シャディクが罪を被るという謎のエンディングを迎えた。

また、スレッタの初恋は4号だったはずだが、4号がペイル社CEO消耗品扱いされて死んでいったことについて

5号から聞かされて知ったあとも、スレッタは主体的アクションを全く起こさないまま終わった。

強化人士を研究のための消耗品扱いして死なせていくのはアド・ステラ世界では罪にならないのだろうか?

5号もスレッタも4号の末路を知りながら「何もしなかった」ためにCEOらはシャバに放流されていると考えるのが自然だろう。

連絡係として使われたニカが自首して服役、地球寮を殺しかけたラウダは無罪

シャディクがプロペラの罪まで被って服役、強化人士を殺していたペイル社CEOは呑気にお茶しており無罪

未来に進むための清算適当すぎやしないか

 

シャディクとラウダが視聴者に叩かれ、御曹司が持ち上げられるグロテスク

シャディクとシャディガールズの過去編はストーリー絶対必要だったと思うが、やらなかったことが不思議で仕方ない。

シャディクのような子供たちを犠牲にした金で育ったグエル(もっとも本人はそれを知らされていなかったのだが)が褒めそやされ、シャディクが批判されるというグロテスク光景が生まれしまった。

現実を知らなかったグエルやミオリネに罪はあるか否かという議論が生まれることにこそ作品の意義があると思うのだが…

「グエルは最高、それに比べてシャディクやラウダは最低」というような感想に対して反論する材料が本編内に不足しているのは、作品として深みがなく失敗ではないか?と思う。

https://anond.hatelabo.jp/20231010204339

この投稿に完全に同意する。

 

水星脚本批判者が「同性愛差別者」と叩かれるノリ

水星魔女について納得できない点をツイートすると「同性婚に反対している差別主義者」「保守右翼」「日本会議」と断定されたり、

エラスレ・グエスレ・シャディミオなどのカップリング二次創作を作ったり読んだりしていたのに

そうした性愛関係妄想が本編に否定されてアンチ化したのだろうと断定され、引用RTスクショ集団攻撃を受ける状態になっていた。

実際、支離滅裂な本編批判ツイートを見かけてbioを見るとやれグエスレだのラウグエだのと書かれていたから、

水星魔女批判者の一定数は「ただ本編が思ったとおりのカップリングにならずにキレている恋愛依存症のカプ厨である」というのは事実だろう。

しか批判者の全員がカプ厨であるというのは、まったくもって事実ではない。

最近になってようやく「カプ厨目線ではない批判」が可能になった。

それくらい水星魔女視聴者界隈はスレミオだの、グエスレだの、ラウグエだのによって荒らされていた。

毒親トロフィー扱いされた女性の自立、経済格差・一方的搾取構造差別といったテーマが、

「バズネタ」として表面的に取り扱われ、着地についてはろくな説明もなく放り投げられた作品から

居着いたのは結局、絵に性欲を抱いているカップリング厨ばかりだった。

 

https://anond.hatelabo.jp/20231010034423

量子波動器って知ってる?

から量子波動器が凄い良い!と興奮気味で電話がかかってきた。

SF映画でも見たのか?

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

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