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はてなキーワード: 高度経済成長とは

2021-04-04

anond:20210404115346

女をあてがえ論が批判されているのがよくわからんのだけども、

実際問題、女があてがわれた結果生まれてきたのが現代人の現役世代なわけじゃないですか、高度経済成長期の皆婚時代事実

から自分の親やその親の人生否定することになるわけだけど、その否定されてる側ってなんか原罪意識を持ったりするんだろうか、そういうの見たことないけど。

最新の社会規範で、過去の行いを断罪する。

でもその結果、自分が生まれたこ自体否定されることになるんだけど・・・親殺しのパラドックスみたいに。

2021-04-02

anond:20210402110630

うちもじいちゃん高度経済成長期に1000万台で買った土地が今1億以上だわ。

賃貸暮らしの人たちの子供ってかわいそうだなっていつも思ってる。

2021-03-31

anond:20210330045538

知り合いに頼めるなら安心だと思った

安心安全教は人を必ず不幸にする邪教だぞ。

かつては環境破壊投機地上げも楽しんでいた山師気質日本人高度経済成長とそれに続くバブルに気を良くしすぎてこの邪教に染まってからというもの日本は衰退する一方だ。

2021-03-28

「東アジア反日武装戦線」の初心と過ち

韓国発の映画『狼をさがして』は何を描いているか

太田昌国 評論家編集者

 韓国発のドキュメンタリー映画『狼をさがして』が間もなく日本で公開される。金美禮(キム・ミレ)監督2020年作品で、原題は『東アジア反日武装戦線』という。映画が描くのは、1974年から75年にかけての出来事――「東アジア反日武装戦線」(以後、「反日」と略す)を名乗る人びとが「連続企業爆破」を行ったこと――とその背景である

歴史像と世界像が一新されてゆく時代のただ中で

 描かれる時代は、アジア太平洋戦争日本帝国敗戦してから30年近く経った時期に当たる。活動を担ったのは、敗戦から3~5年経った頃に生を享けた、当時は20代半ばの若者たちだった。いわゆる「団塊の世代」に属する。その彼ら/かの女らは、敗戦以前に日本がなした植民地支配および侵略戦争責任を問うた。同時に、戦後過程はすでに30年近い長さに及んでいるにもかかわらず、日本がその過去清算することもないままに、改めて他民族に対する加害国と化している現実に警告を発した。手段として使ったのは爆弾だった。

 その標的はまず、戦前絶対無謬の存在として日本帝国を率い、戦後は「平和」の象徴となった昭和天皇に向けられた。だが、「お召列車」の爆破計画が実現できなくなった後は、戦前戦後を貫いて繁栄する大企業に的を絞った。

 戦後日本象徴する言葉は、長いこと、「平和民主主義」だった。それは新憲法を貫く精神でもあると多くの人びとが考えていた。

 天皇戦争責任が問われることも裁かれることもなく始まった戦後は、「一億総無責任体制」となった。この体制の下では、日清戦争以降、断続的にではあっても半世紀もの間(1894年1945年アジア太平洋地域戦争を続けた近代日本実像を覆い隠し、この戦争全体像を、最後わずか3年半の「日米戦争」に凝縮して象徴させることが可能だった。広島長崎の「悲劇」を前面に押し出し米軍占領下の沖縄辺境ゆえに無視して、日本全体があたか戦争の「被害国」であるかのようにふるまった。「反戦平和勢力」の大勢も、そのことに疑いを持たなかった。

 1960年安保闘争の時にも、1965年日韓条約反対闘争の時にも、戦前日本帝国がなした対外政策と関連づけて現在分析する言動ほとんど見当たらなかった。すなわち、日本社会総体として、近代日本が持つ「植民地帝国」としての過去をすっぽり忘れ果てていたと言える。

 1960年代後半、この社会思想状況はゆっくりとではあっても変化し始める。日本は、高度経済成長過程で目に見える形での貧困は消え失せ、急速に豊かになった。この経済成長最初の基盤となったのは、1950~53年の朝鮮戦争による「特需景気」だとする捉え方が常識となりつつあった。

 時代はあたか米国ベトナム侵略戦争の渦中で、沖縄を軸に多数の米軍基地があり、インドシナ半島輸送される米軍物資調達地でもある日本は、再度の「特需景気」に沸いていた。近くに住むアジア民衆が苦しんでいる戦争によって自分たちの国が総体として豊かになっていく――この際立った対照性が、とりわけ若い人びとの胸に突き刺さるようになった。

 加えて、米国でのベトナム反戦運動は、黒人先住民族インディアン)の権利回復の動きと連動していた。植民地主義支配人類史に残した禍根――それが世界じゅうで噴出する民族問題の原因だとする意識が、高まっていった。

 「東アジア反日武装戦線」に所属した若い人びとは、それまでの歴史像と世界像が一新されゆくこのような時代のただ中にいた。彼ら/かの女らは、日本近代史と現在が孕む問題群に、「民族植民地問題」の観点から気づいたという意味では先駆的な人びとだった。

「重大な過ち」の根拠を探り続けた歩み

 「反日」はこうして獲得した新たな認識を、すぐ実践に移そうとした。当時刊行された「反日」の冊子『腹腹時計から鮮明に読み取れるのは、次の立場だ。「そこにある悪を撃て! 悪に加担している自らの加害性を撃て! やるかやらないか、それだけが問題だ」。政治性も展望も欠いた、自他に対する倫理的な突き付けが、行動の指針だった。「反日」が行った、1974年8月30日東京丸の内三菱重工ビル爆破は、8名の死者と385名の重軽傷者を生み出す惨事となった。

 「反日」にはひとを殺傷する意図はなかった。事前に電話をかけて、直ちに現場を離れるよう警告した。だがそれは間に合わなかった。しかも、なぜか「反日」は三菱爆破の結果を正当化し、死者は「無関係一般市民」ではなく「植民地人民の血で肥え太る植民者だ」と断言した声明文を公表した。映画の前半部で、この声明文がナレーション流れる

 多くの人びとはそこで「引く」だろう。半世紀前の当時もそうだった。それゆえに、彼ら/かの女らは、日本では「テロリスト」や「血も涙もない爆弾魔」の一言で片づけられてきた。

 その責任の一端が、「反日」そのもの言動にあったことは否定し得ないだろう。だが、実はそこにどのような内面の思いが秘められていたのかということは、路傍の小石のように無視されてきた。そんな渦中にあって、獄中の彼ら/彼女らは初心を語ると同時に、自らが犯してしまった重大な過ちの根拠を探り続けた。獄外には、その試行錯誤を〈批判的に〉支え続ける多様な人びとの存在があった。映画『狼をさがして』は、これらの獄中・獄外の人びとの歩みを74分間の時間幅の中に刻みつけている。

過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない

 画面には登場しない「主人公」のひとりは、「反日」狼部隊大道将司である。彼は2017年5月、長らく患っていた多発性骨髄腫で獄死したが、死刑が確定してのち、彼はふとした契機で俳句に親しむようになった。生前4冊の句集にまとめられたその作品は、人間関係自然とのふれあいも極端に狭められた3畳間ほどの独房にあっても、人間はどれほどの想像力をもって、ひとが生きる広大な世界を、時間的にも空間的にも謳うことができるものかを証していて、胸を打つ。それは、ひとを殺めたという「加害の記憶悔悟」を謳う句において、とりわけ際立つ。

 映画でも紹介される「危めたる吾が背に掛かる痛みかな」もそうだが、他にも「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」「春雷に死者たちの声重なれり」「死は罪の償ひなるや金亀子」「ゆく秋の死者に請はれぬ許しかな」「いなびかりせんなき悔いのまた溢る」「加害せる吾花冷えなかにあり」「秋風の立ち悔恨の溢れけり」などの秀句がある。

 「反日」のメンバーの初心と、結果としての重大な過ちを冷静に振り返るこの映画制作したのは、韓国映画監督キム・ミレとその協力者たちである。ふとした機会に「反日」の思想と行動を知ったキム・ミレ監督がこの映画制作したのは、「人間に対する愛情、その人間を信じること」からだったという(「『狼をさがして』――金美禮監督に訊く」、東アジア反日武装戦線に対する死刑・重刑攻撃とたたか支援連絡会議=編『支援ニュース』420号、2021年3月6日)。社会正義のために、加害国=日本搾取され殺された東アジア民衆の恨みと怒りを胸に行動した結果、数多くの人びとを死傷させてしまった、つまり自らが加害者になったという事実に向き合ってきた「反日メンバーに対する思いを、かの女はそう語る。

 だが、その裏面には、次の思いもある。彼らは「長い期間にわたって、自らのために犠牲になった人々の死に向き合って生きねばなりませんでした。苦痛だったかもしれませんが、幸いにも『加害事実』に向き合う時間を持つことができたのです。8名の死と負傷者たち。それがこの作品制作過程の間じゅう私の背にのしかかってきました。しかし、彼らと出会うことができて本当に良かったと思います。この作品は、私に多くのことを質問するようにしてくれたからです。どう生きれば良いのか、今も考えています。」(キム・ミレ「プロダクション・ノ-ト」、『狼をさがして』劇場パンフレット所収)。

 74~75年当時の「東アジア反日武装戦線」のメンバーからすれば、韓国の人びととの共同作業は「見果てぬ夢」だった。日本自分たち戦後の「平和民主主義」を謳歌している彼方で、韓国および北の共和国の人びとは、日本植民地支配を一因とする南北分断と内戦、その後の独裁政権の下で呻吟していたからだ。

 そんな時代が40年近く続いた後で、少なくとも韓国では大きな体制変革が起こった。表現言論の自由を獲得した韓国新世代のなかから、こんな映画をつくる人びとが現われた。キム・ミレ監督は、この映画日韓関係の構図の中で見られたり語られたりすることを望まないと語る。過去を振り返ることをしない社会は、前へ進むことができない。日本韓国も、どの国でも同じことだ、と(前出『支援ニュース』および2021年3月18日付「東京新聞」)。

脈打つフェミニズム視線

 最後に、もうひとつ、肝心なことに触れたい。この映画を際立たせているのは、女性存在だと思われる。

 刑期を終えたふたりの女性が、生き生きとしたその素顔を見せながら、獄の外から窓辺に寄ってきた猫との交友を楽し気に回想したり、かつて自分たち闘争に大きく欠けていたものを率直に語ったりする。前者の年老いて元気な母親は、娘が獄に囚われてから、娘と自分たちを気遣う若い友だちがたくさんできたと笑顔で語る。二人は自宅の庭を眺めながら、「アリラン」を歌ったりもする。

 キム・ミレ監督らが撮影する現場に付き添う姿が随所に見える女性も、長年「反日」の救援活動を担ってきた。撮影すべき風景、会うべきひとについて、的確な助言がなされただろう。

 死刑囚の獄中書簡集を読んで、あん事件引き起こしたひとが自分と変わらぬ、どこにでもいるふつう青年だと知って、縁組をして義妹となったひとの語り口もごく自然だ。女たちの運動を経てきたと語るかの女の言葉を聞いていると、獄中の死刑である義兄とは、媚びへつらいのない、上下関係でもない、水平的なものだったろうと想像できる。

 そして、もちろん、韓国人のキム・ミレ監督女性だ。弱い立場にある労働者現実を描いてきたかの女は、男性の姿ばかりが目立ち、男性優位の価値観が貫いている韓国労働運動の在り方に疑問を持ち、スーパーで働く非正規女性労働者が大量解雇に抗議してストライキでたたかう姿を『外泊』(2009年)で描いた。日本でも自主上映されたこ作品に脈打っていたフェミニズム視線が、『狼をさがして』でも息づいていることを、観る私たちは感じ取るだろう。

2021-03-15

anond:20210315132117

30〜40代だと2割切ってる。

どんな結婚でも上昇婚に出来た高度経済成長期につがったカップルと、これから結婚するカップルを同じように語られても。

2021-03-10

anond:20210310215523

今後上がる見込みのない国の経済に対する閉塞感が違うだろ。今からもう一度高度経済成長来てみろ、みんなバンバン産むぞ。

2021-02-23

anond:20210223001509

1964年東京オリンピック所得倍増計画とセットだった。今回はそういった未来生活向上が夢見れる副産物があまりないんだよな。

インフラ整備にしても、最低限、国家公式電子マネーとか旅行者がすぐに使える公共WiFiとかはあってほしいし、できればこの機会に交通渋滞満員電車、乗り換えのわかりづらさを解消するような抜本的な交通改革をしてほしかった。さらにはそれがリニアだったりドローン技術を使った未来象徴するものであってほしかった。

前回のオリンピック時期に整備された東海道新幹線東京モノレール首都高速カラーテレビみたいなインパクト全然ない。高度経済成長とは時代が違うのはわかっているが、もう少し秘策があるのかと思っていた。今思うと国立競技場ザハ案はまだいい線いってたのかも。

まり、そういったスポーツに興味がない人も受けられる圧倒的な恩恵が見えず、むしろそこを削ったことで低予算オリンピックを実現しようとしている印象でどんどん興醒めしていった。

2021-02-18

anond:20210218203634

でも明治以降はだいたい授業時間足りなくてさらっと流されるよな。

明治維新日清日露太平洋戦争原爆2発・高度経済成長、とか

今の教科書だと「失われた30年」とかも教えるのだろうか。

2021-02-15

実体経済ガーってよく聞くけど、昔から、儲かる人は儲かるし、貧乏人は貧乏人なんだよね。実際、日経新聞に「3社に1社が今期上方修正 上場企業回復早まる」なんて記事も出てるし。

朝鮮戦争特需でも高度経済成長期でも日雇いホームレス (乞食ルンペン) はいたし、バブル期も、ITバブル期も、それを実感できない人はたくさんいたわけで。「みんな」の家計好転するなんてことは、これまでもなかったと思うよ。

「私が実感できないか実体経済乖離している!」というのはちょっとねぇ。昔は、それを「ヨソはヨソ」で受容できていたのが、今は日本お金持ちとも、世界の首脳ともSNSで対等に会話できちゃう (少なくとも一方的言及できる) 時代から我慢できないのかな。

2021-02-09

anond:20210209105939

貯金が無価値」はちょっと違うような。。

かにインフレになれば貨幣価値が下がる、つまり物価が上がるから1万円で買えるものが変わってくる。

ただ、同時にみんなの所得も上がる。なぜなら、インフレということは経済成長しているということだから

所得が上がれば、貯金額も増やせるし、一概に損するってことにはならないよ。


60〜70年代あたりの高度経済成長期と今を比べるとわかりやすいと思うけど、

その頃に比べて日本経済成長しているか物価所得も上がったけど、損したって思ってる人はいないでしょ。

あと経済成長時代に家や土地を買った人は、経済成長すれば支払いが楽になるって利点もあると思う。昔の人が家買えてたのもそういうことだよ。

今は家どころか車すら買えない人が多いのは、初任給を見るとわかるけど、この20年まったく所得が上がっていないから。。経済が停滞しているってこと。

それでいて増税されるもんだから貧乏になる人と金持ちになる人との差がどんどん広がり続けている。


からインフレを起こすためには政府国債発行して民間お金を流す必要があって、

国債発行は無限にできるけど、今度はインフレが行き過ぎてお金価値が下がりすぎる(ハイパーインフレ)のも良くないから、

ある程度まできたら、増税したり財政を縮小させることによって民間流れるお金を回収するってだけ。

ま、今の日本経済成長すらできてないかハイパーインフレ心配する必要はないと思う。

2021-02-07

anond:20210207113609

そんな対比、元増田に対する反論にはまったくなってないと思うよ。

現代少子化対立概念としていきなり戦前の6人とか7人とかの多子家庭を持ち出してくるの、ほんま謎だし。何から何まで条件違いすぎでしょ。

しか高度経済成長期まで長時間労働地獄だとdisっててむちゃくちゃだよ。

あの頃の人々は明るい未来への希望があったからこそそれを地獄とも感じずにやりがいをもって働いていたし、進んで子供を2人3人もうけていたわけよ。実際にそこで生まれ世代ちゃんバブル経済恩恵を受けているでしょ?

最近の若者大人しすぎない?

未来がない上に多額の負債若者押し付けようとしてる国に住んでいてよく大人しくしてられるよな。脳みそなくて行動力だけで政治家殺そうする奴が出てきても何も驚かない段階まで来てると思うんだが。どんな政党選ぼうがウンコ味のカレーカレー味のウンコって言うけど実際そうじゃねえからな。少なくとも共産党投票してから同じこと言えよ。若者寄りのウンコ既得権益寄りのウンコかは選べるもんだがな。大人しく生きていられるのは思考を捨てた賜物なのか?精神的な持病もある俺には耐えられねえから貯金使い込んでタイコネクション作ってから生活保護受けちまったよ。今は日本だがお陰で毎日13時間眠って幸せに過ごしてるわ。何かの経緯で打ち止めになったり生活保護が使い物にならなくなったらタイ沈没する予定。俺みたいな奴のせいで日本は衰退していくだって馬鹿言うなよ、俺みたいな奴がいるだけで沈む船ならもうそれは沈みかけてんだよ。甲板まで沈んでるぞそれ。足元に気をつけてくれ。気づけてよかったな。何、礼にはおよばん。お互い助け合わんとな。高度経済成長期の恩恵による蒸気機関石炭だけで進んでる日本というタイタニック号は救命ボートに老人と既得権益しか乗せないみたいだぞ。ジジイ達が逃げ切る前に先に逃げちまおうって奴は俺以外にも水面下には結構いるみたいだ。もちろん胡散臭い連中も多いけどな。その反面、表面化でプベル馬鹿にしてる奴も労働感プベってる奴多くて、なんか地獄みあるよな。そんなもんなのか?うんざりするぜ。

いつか真面目に働いてる奴が、まともに評価されて、まともに還元されて、正直ものけが得をする、人情噺みたいな世界になるといいよな。皮肉じゃなくて、心の底から真剣にいつもそう思ってるよ。

俺の同期だったお前を死ぬまで追い詰めた上司。忘れるわけねえよな?昨日の夜、五反田で見かけたよ。3度見しちまった。あの斜めに曲がって半開きの口と気色悪い眼瞼下垂のナメクジみたいな目。銀のメガネフレームも当時のままだったよ。当時より前髪が後退してたけどな。路地裏に連れ込んでやろうと思ったけど、すげえ疲れた顔してた。魂入ってないんじゃねえかな。叩いたら空の音がしそうだ。俺はお前が死んだ後に仕事辞めたよ。その後も転職するまで時間かかったけどな。今はご覧の有様だ。思えばどうせ辞めるなるならアイツの顔に飛び膝蹴りでもいれてやれば良かったと思うんだが、あの時はお前も俺も酷く疲弊してたもんな。お前が死ぬのわかってれば、一緒に辞めようと手を引っ張るぐらいの余力ならあったんだがな。察しの悪い俺を許してくれ。お前の嫁さん未だに独身だぞ。新しい男1人も作ってないぞ。あんな良い女置いて何してんだよお前。馬鹿が。死ね。死んでんのか。幸せになって欲しいよな。ダラダラとのんびりお前の分まで生きるのが、お前への供養だと思ってるよ。

2021-01-22

一律給付なんてどうせ後で「特別復興税増税」とか言って貰った分以上に巻き上げられるんだからやらない方がいい

高齢者だらけのこの国で

高度経済成長バブルで溜め込んだ老人に金撒いて意味ないだろ。

そもそも老人なんて給与所得ないんだしコロナ収入影響ないし

2021-01-21

anond:20210121094903

高度経済成長期の日本の男が海外の女漁りまくってた時期にメディアが「日本の女にも目を向けてよ!」みたいな論調で作り出されたのがこの「日本の女は世界モテモテ説」なんだよな

本当にこの件に関しては日本一人相撲もいいとこだわ

今の日本高度経済成長から何も変わってない

特に二階や安倍などの自民党を見ていると

学校で習った高度経済成長後のまま

日本後進国というのが良くわかる

高度経済成長とは,経済成長率がとても高いことをいいます日本では戦後1955〜73年の約20年にわたり経済成長率(実質)年平均10前後の高い水準で成長を続けました。

2021-01-15

anond:20210115190936

昔って戦後のこと言ってるんだろうけど、高度経済成長仕事が溢れてたからどんな人にもそれなりに自分に合った仕事が見つかってその結果尖った人が頭角を表せただけやぞ

平均スペックは基本学歴に比例するし、学歴なしで成功する人は学歴あったらもっと楽に成功しとる

anond:20210115000441

結局日本人って正義を信じすぎるようになったから衰退したんだよ。

今では何があっても暴動を起こさないと言われる日本人高度経済成長期の頃は火炎瓶投げたりしてたんだから

暴力を思いだせば日本は復活する。

2021-01-14

結局今元気な60−70代の老人たちって戦争体験してない世代なんだよね

上の世代自分たち世代戦争日本ボロボロにしてしまったって思ってたか老害風吹かすのも控えめで

その上戦争結構死んでて少ないから好き勝手できて

金の卵と持て囃されて増長して

高度経済成長期は先輩について行っただけなのに自分の手柄のように思っていて

実権を持つ頃になると景気後退させて次の世代不景気残したくせに被害者ヅラ

こんな奴ばかりな気がする

2021-01-12

東京大阪間が新幹線5時間出張が泊まりスマホもなかった、高度経済成長期って

仕事しかったろうなぁ

週5.5日勤務だろうけど

それ以上になんか緩い空気だったんじゃないかと思う。

2020-12-20

YouTubeレトロCM見まくってるんだけど、昔の日本人、めちゃくちゃ顔が濃いし、毛髪の量が多いな

正確に言うと、めちゃくちゃ顔が濃くて毛髪の量が多い人間美男美女とされてテレビCMに引っ張りだこだったんだな

まだ日本高度経済成長期の時代だったからか、無意識アメリカ的なものを求めていたんだろうなあ

ネプチューン名倉が「顔が濃いか田舎に行くとおばちゃんからハンサム扱いされる」ってネタにしてたのは、もう20年くらい前だったかな。そう考えると塩顔が好まれる風潮ってなにもここ数年のことじゃなくて、数十年という長いスパンでの傾向なんだな

2020-12-11

anond:20201211131114

もともとは雑用だけでなく部活予算管理や対外交渉までこなす主務」の英訳としてマネージャーという呼称が使われていて主に男子が務めていたんだけど高度経済成長期に女子進学率が向上するにしたがって女子マネージャーが増加していきまた「監督」の権限が強まって予算管理や対外交渉が任されるようになったことで女子マネージャーには雑用しか残らないようになったらしいよ。

2020-12-06

日本競馬史上の重要事件並びに記憶されるべき事件(画期となる出来事) 1854-1980

https://anond.hatelabo.jp/20201219095651

出来事

1854 日米和親条約締結、下田函館開港

1856 日米修好通商条約締結

1859 函館横浜長崎開港

1860 横浜外国人居留地において、競馬が行われる(居留地競馬

1867 大政奉還王政復古

1868 明治改元戊辰戦争開始

1869 戊辰戦争終了

1870 東京招魂社(現・靖国神社)において、初めて洋式競馬が行われる(招魂社競馬1898年まで)

1874 台湾出兵

1877 西南戦争開始~終了

1894 日清戦争開始

1895 日清戦争終了/馬匹調査会設置

1904 日露戦争開始/臨時馬制調査委員会設置

1905 日露戦争終了

 桂太郎内閣による馬券発売の公認(黙許)(公認競馬中央競馬ルーツ

 馬政第一計画の制定(第一期:1906年1923年、第二期:1924年1935年

 帝室御賞典(横浜)創設(当初の名称皇帝陛下御賞盃)

1906 内閣総理大臣直轄の機関として馬政局が設置される

 帝室御賞典(東京)創設

1907 小岩井農場種牡馬インタグリオーと20頭の繁殖牝馬小岩井農場の基礎輸入牝馬)をイギリスより輸入する

1908 馬券発売の禁止馬券禁止時代の始まり

1909 ウラジオストックにおいて日露競馬会が行われる

1910 韓国併合

 馬政局陸軍省外局となる

 改正競馬規程(閣令)を根拠として、産牛馬組合による競馬が開催されるようになる(地方競馬ルーツ

 主要競走に騸馬(せん馬)が出走不可に。芦毛、月毛、河原毛が出走不可に(毛色の制限1928年まで)

 帝室御賞典(阪神)創設

1911 優勝内国産馬連合競走(連合二哩)創設(ラングトンが第1回の勝馬となる)

1912 大正改元

 宮崎競馬場において、商品券付き勝馬投票実施される(事実上馬券)。1914年までに全ての競馬倶楽部実施するようになる

1914 第一次世界大戦開始

1918 第一次世界大戦終了/シベリア出兵1922年まで)

1922 帝室御賞典(札幌)創設(1937年秋まで。1922年1924年は春のみ。1925年1937年は秋のみ)

 帝室御賞典(福島)創設(春のみ。1922年春~1937年春)。帝室御賞典(函館)創設(秋のみ。1922年秋~1936年秋)

1923 関東大震災/旧競馬法制定(馬券発売再開)/馬政局廃止

 帝室御賞典(函館)創設(春のみ。1923年春~1937年春)。特殊ハンデキャップ競走創設

1925 濠抽混合創設(当初の名称は各内国抽籤濠州産馬混合競走。1932年より目黒記念

1926 昭和改元

 下総御料牧場が2頭の繁殖牝馬(種正・稙道)をアメリカより輸入する

1928 横浜特別創設(1943年秋まで)/連合二哩(牝馬)創設(1928春~1941秋)

1931 満州事変

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星旗・星若・星友)をアメリカより輸入する

1932 東京優駿創設(1950年より「日本ダービー」の副称が付く。ワカタカが第1回の勝馬となる)

 下総御料牧場が3頭の繁殖牝馬(星濱・星谷・星富)をアメリカより輸入する

1934 中山大障害創設

1936 二・二六事件

 旧競馬改正

 馬政局再設置/馬政第二次計画実施1945年まで)

 各地の競馬倶楽部統合し、日本競馬会発足

1937 日中戦争開始

 天皇賞(帝室御賞典)創設(連合二哩並びに各競馬倶楽部で行われていた帝室御賞典を統合。当初秋2600m、春2700mで施行され、第3回から春秋共に3200mで施行ハツピーマイト(ハッピーマイト)が第1回(1937年秋・東京)、ハセパークが第2回(1938年春・阪神)の勝馬となる)

 連合二哩はこの年限りで廃止。各地の帝室御賞典はこの年春限りで廃止

 ヒサトモ牝馬として初の東京優駿制覇

1938 軍馬資源保護法制

 菊花賞京都農林省賞典四歳呼馬)、優駿牝馬オークス)(阪神優駿牝馬)創設

 ヒサトモ牝馬として初の天皇賞(帝室御賞典)制覇

1939 皐月賞横浜農林省賞典四歳呼馬)、桜花賞中山四歳牝馬特別)創設(五大クラシック競走が成立)

1941 太平洋戦争開始/セントライトが初のクラシック三冠を達成

1943 クリフジクラシック三冠(変則)を達成

1944 競馬開催の一時停止。この年の競馬能力検定競走として施行される(戦前競馬はこの年限りで終了)

1945 太平洋戦争日中戦争終了/日本占領/馬政局廃止

1946 競馬再開/地方競馬法制

1947 天皇賞再開(この年春は「平和賞」の名称施行

1948 新競馬法制定。日本競馬解散国営競馬時代の開始

 2歳(旧3歳)競走が競走体系に加わる

1949 朝日杯3歳ステークス1991年から牡馬及び騸馬(せん馬限定レースとなる。現・朝日杯フューチュリティステークス)創設

 阪神3歳ステークス(1991年から阪神3歳牝馬ステークスとして牝馬限定レースとなる。現・阪神ジュベナイルフィリーズ)創設

1951 中央競馬における重勝馬券の発売(1961年廃止

 トキノミノルが無敗で二冠を達成

1952 日本独立占領時代の終了)

1954 高度経済成長の開始(1973年まで)

 日本中央競馬会(略称1986年までNCK。1987年からJRA)発足(国営競馬時代の終了)

 啓衆社(競馬予想紙を発行)が啓衆賞を設け、各年に活躍した競走馬表彰することを始める(1972年から優駿』(日本中央競馬会の機関紙)の主催による優駿賞、1987年から日本中央競馬会の主催によるJRA賞となる。最初年度代表馬ハクリヨウ(ハクリョウ))

1955 日本中央競馬会が英国ジョッキークラブとの間に騎手に対する制裁相互実施協定を締結する(国際交流の始まり

 東京大賞典(秋の鞍)創設

1958 ハクチカラ戦後日本調教馬として、初めて海外遠征する

1956 有馬記念中山グランプリ)創設(メイヂヒカリが第1回の勝馬となる。八大競走成立)

1962 日本中央競馬会が優駿誌上でフリーハンデ公表

1963 中央競馬において8枠制が導入される

 メイズイとリユウフオーレル(リュウフォーレル)の2頭が年度代表馬に選出される

1964 東京オリンピック。東海道新幹線開業

 シンザン戦後初のクラシック三冠を達成

1965 シンザン天皇賞秋・有馬記念を制覇し、五冠を達成(当時牡馬が出走できる大レースを全て制覇)

 シンザンが2年連続年度代表馬に選出される

1967 栗東トレーニングセンター開場

1968 中央競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

1969 競走馬輸入自由化

1970 大阪万博

 スピードシンボリが初めて有馬記念を連覇し、1967年以来2度目の年度代表馬に選出される

 競馬ブックより「合同フリーハンデ」が発表される

1971 ニクソン・ショック

 地方競馬における繋駕速歩競走はこの年限りで廃止される

 貿易自由化に伴い国内生産者への保護政策実施されたことにより、持込馬有馬記念を除く八大競走への出走権を失う

 トウメイ天皇賞秋・有馬記念と連勝し、牝馬として初の年度代表馬に選出される

1972 沖縄返還

 地方競馬における騎乗速歩競走はこの年限りで廃止される(中央競馬では戦前限り廃止

1973 第1次オイルショック高度経済成長の終了)

 ハイセイコー中央競馬移籍し、好成績を挙げ、国民的人気を集める(1974年有馬記念2着(勝馬タニノチカラ)を最後引退

1974 単枠指定制度の導入(1991年10月5日廃止最初指定馬は同年の皐月賞におけるキタノカチドキ最後指定馬は1991年セントライト記念におけるレオダーバン

1977 テンポイント有馬記念トウショウボーイとのマッチレースを制し、年度代表馬に選出される(3着はグリーングラス

1978 美浦トレーニングセンター開場

2020-12-04

東京都と言っても広うござんすで

多摩周辺とか異常に坂が多かったり生活不便さハンパない気がするんだ

高度経済成長期に作られた団地老朽化してたり、駅から遠ければ裕福な戸建ての住宅街があるけど駅周辺まで行かないとまともなスーパーがない

から住民はみんな最低でも電動アシスト自転車を持ってないと死ぬ

東京都なのにクルマを所有していないと生活が不便

老人はバスに乗って駅まで行かないと食料が調達できない、ここ東京都?って感じ

東京都だろうが田舎だろうが、生活する場所によって意外と落差あるんだよなあ

八王子だって駅の近くと遠くでは別世界だし

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