はてなキーワード: 選民思想とは
私は医者じゃないです。
何人かの医者の内情を知っている者です
●東京で発熱外来をコロナ初期からやっている先生は所得は1億円に到達した。
もともと人気の内科の先生なので、グーグルで見るとこの先生じゃないとって書いてる人がちらほら。
ただこの先生は過労死するんじゃないかってくらい働いてるので、所得1億円でも納得できる。
お金はすごく余ってて毎年車を買い替えてる。ひとり息子は私立大学生で、医学部ではなかった。ゴルフ部に入ってる。医者の息子ゴルフ部に入りがち
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。こっちはそこまでじゃなくて所得5000万円くらい。
まあ1億円の先生と比べると所得5000万円くらいの働き方って感じがします。
この先生も若くて親しみやすくてグーグル評価も良いです。私も好きです
息子は二人いるけどそんなに近況を知らないです。私立中高ではあった
●同じくコロナ初期から発熱外来やってる先生。グーグル評価は良いけど話すと選民思想が見え隠れしている。(稼いでるやつが偉い的な)
この人は医療法人なので役員報酬で3000万円もらってるけど、法人を私物化してて法人のお金を引き出してしまう。
●横浜でやってる年配の先生。売上はそこそこ、そんなに忙しくなさそう。所得は2000万円くらい。
まあ60超えてるからゆるーくやってるのかも。
売上どんどん落ちてる。去年所得1000万円を割った。先生は悪くないんだけど受付の人が怖い。
受付で追い返してるのか?やる気がないのか?わかりません。
去年の夏にコロナにかかってしまったけど復活したので良かった。
所得は3500万円くらい。
奥さんは元キャビンアテンダントという話は聞きました
息子何浪かしたあと医学部に入ったが、医師国家試験に落ちてしまったらしい…
だんだん適当になってしまったが、ひとくちに内科医といっても所得に差がありますということをお伝えしたかった。
フェイクはないです。
やる気がなくても所得2000万円はかたいです
例えば”名誉男性”
フェミニズムを名乗る人たちがこれらの言葉を使う事はこれまで多々あったし
そもそもサイレントマジョリティ側からすればいきなり発狂して攻撃しているようにすら見える事はそう珍しくはない
彼女ら、もしくは彼らは「そんなことはない、これは性差別が可視化されて」と自らの行為や言動の正当性を訴えかける
しかし如何に正当性を訴えかけられたところでマジョリティにとっては”ただの怖い人達”になりつつあるのだ
そして正直、彼らには近づきたくもないし寄ってきてほしくもない
自らの考えを反省する前に、そもそもそんな過激な人間とは距離を置こうと思ってしまう
ぶっちゃけ、関わり合いになりたくないから避けるという現象がオタクだけではなく若い世代を中心に広まりつつあるのだ
ちょっとずつ、少なくとも私の回りではジェンダーだとかフェミニズムだとかそんな言葉を口にするだけで出来うる限り関わり合いにならないというところまで来ている
反フェミニズムではない。反発するのではなく、遠ざけようとするスタンスが徐々に出来上がりつつある
https://institute.dentsu.com/articles/2234/
ここでカルトの定義を明らかにしよう。オウム真理教のような集団では定義が狭すぎる。
これらを満たすとされている
正直②や③については個別で考えなければならず、そもそもツイフェミと別な気はするし、⑤についてはフェミニズムというくくりだけでは定義に添えない部分が多い
これらすべてがガッチリと当てはまるかといえば当てはまらない所もある
しかし過激派、主にツイッターで目立つツイフェミと呼ばれる方々に関して言えば「当てはまるのではないか」と思わされるような言動、発言を多く感じられる
これについては論を俟たない。名誉男性という言葉が全てを物語っている
この言葉を攻撃として用いている場面は多々見てきたはずだし、なんならツイッターでざっくり探っても簡単に見つかるだろう
事実、ツイフェミに反対的、無関心な人間がこのような蔑称を投げかけられる。なんならツイフェミから離れた人間や即座に従わない人間にも使われている
ツイフェミに反対的な人間を叩く人間はツイッターを見回せば掃いて捨てるほどいるのだ(これは④にも関わってくるが後に語る)
……本来個人主義ならば、「どんな人間が居てもよい」と発言するはずだ
要するに「フェミニズムの遂行のために、世の中の女性は反フェミに反対するべきなのだ」という発言、思想がそもそも全体主義に片足を突っ込んでいる
無論、これが悪いわけではない。私は関わり合いになりたくないだけで
ここについては個別な気はするけどツイッターバトルとかはてブロでレスバするところはかなりエッセンスが含まれているのではないだろうか?
(実際擁護すると怒られる所については片足つっこんでると思う。何もしてなくて怒られるって段階じゃないだけかもだけど)
強制までは行ってない(やらなかったら村八分されて生活がままならないとか)から多分ここに当てはまる所は少ないのではないだろうか?
[はじめに]大切な人が変わってしまった!-ありがちな対応の結末
さて、 これ を 踏まえ て、 先 ほどの 対応 を もう一度 見 て み ましょ う。
「あなた が 言っ て た ○ ○( 組織 名) って とこ、 何 か 怪しい ん じゃ ない の?」
〝君 は 何 も 知ら ない から、 怪しい って 思う ん だ よ。 僕たち が 学ん だ 真理 を 知れ ば、 君 だって 本当 の こと を 理解 できる さ〟
「○ ○ って、 こんな ひどい こと を し てる って、 週刊誌 に 書い て あっ た わよ」
〝週刊誌 の 記事 を 信じる なんて 最低! ○ ○ は 核心 を つい た 組織 だ から こそ、 世間 から 言わ れ なき 非難 を 浴びせかけ られる の。 私 みたい に ちゃんと 勉強 し て いれ ば、 そんな たわごと に 踊ら さ れ ず に 済む のに〟
「そんな こと を 信じ てる なんて 馬鹿らしい! なんで、 それ が おかしい って わから ない ん だ」
〝おかしい って 思いこん でる だけ だろ!? わかっ て ない のは、 お前 の 方 だ よ〟
「これ を よく 読め ば、 お前 が 信じ て いる こと が 間違い だ と わかる よ」
〝これ って、 反対 派 が 書い た 本 じゃ ない か。 こんな 間違っ た もの なんか、 読む わけ ない だろ。 それ より、 自分 の 方 が 間違っ て いる こと に 気づく 方 が 先 だ よ!〟
「○ ○ の □ □ という 考え方 は おかしい。 なぜ なら ば……」
〝何 も 知ら ない 人 が 屁理屈 を こね た って 無駄 だ よ。 僕たち の 知っ て いる 真理 は、 これ までの 理論 を はるか に 超え て いる ん だ から〟
日本脱カルト協会. カルトからの脱会と回復のための手引き《改訂版》 〈必ず光が見えてくる〉本人・家族・相談者が対話を続けるために (Kindle の位置No.131-142). 遠見書房. Kindle 版.
……どうだろうか?
見てこなかっただろうか?
”君は何も知らないから”、”自分達が学んだ真理を知れば”、”○○は核心をついた組織だからこそ”、”ちゃんと勉強していれば”
”わかってないのは、お前の方だよ”
……これを書いてる間、ずぅっとデジャビュを感じていた。
ここなのだ。まさにこの部分が、ツイフェミがカルトに一歩足を突っ込んでるところなのだ
全部どこかで見たことがある。少なくとも勉強不足となじって対話を拒否するあたりなんか特にそうだ
そして一番厄介なのは、これが実際にある学問であるということだ
だから規制するべきだなんて言わない。言うつもりもないしそんな事を言う人間を信用もできないが、少なくとも私は近寄りたくないし学びたいと思わない
学んだ結果、このような会話になるのだからフェミニズムという学問が恐ろしくて堪らない
ただの知らない人が学ぶのなら止めないが、知り合いや友人なら殴ってでも止めるだろう
正直私にとってフェミニズムはオウムとの間違い探しのレベルになってる
ここまで書いてきたが、とくに②、③については当てはまる部分がかなりあやしい、むしろ当てはまらない部分があると思う
⑤についても正直微妙なところで、ぶっちゃけ反ツイフェミについては死ぬほど叩くだろうけど
ただそもそも組織が細分化していることやリーダーと呼べる人間がどのくらいいるかにもよる
ここまで書いたけれども筆者は別にカルト研究をしている人間というわけではない。ただの一般人だ
こんなものを書いてみようと思ったきっかけも知人がフェミニズムを学んでかなり過激なフェミニストになった事がきっかけだったりする
(そして家にあるジャンプやゲームや漫画を捨てられそうになった。3万円くらいの被害)
正直な話、フェミニストは怖いのだ。近寄ってほしくない。近寄りたくもない。どこか遠くの場所で野垂れ死んで消え失せてほしい
あの人が、この人がフェミニストだったらと思うと怖くて堪らないし、母親、知人、友人の誰かがフェミニストになってしまったらもはやカルトと同じように扱う
そしてこの考えが徐々に増えている事に安心しているし、同時に葛藤もしている。実際に私は一人の友人と縁を切ったし
恐ろしかった。とてもとても恐ろしかった。恐ろしくて仕方がないから遠ざけたくて仕方がない
近寄ってほしくない。近寄りたくもない。なんなら国会にフェミニストと自称する議員が出ることがそもそも吐き気がする
そういう段階になりつつある。そういう段階を踏みつつある
参政党やNHK党に投票するのをためらうくせに、多分彼らがフェミニズムの根絶を訴えたら投票してしまうかもしれないくらい怖くて堪らない
そもそもお寿司猫ロスの絵文字だって怖い。雄○ね○すと言ってはばからない人間がそこらじゅうにいるかもしれない
カルトを思い起こさせる程度には恐ろしいのだ
出来うることならツイッターでレスバするんじゃなくて、議員さんに手紙を書こう
実はこれものすごく効果がある。ツイッターでリプ送るよりよっぽど効果があるし、基本的にあまり無視できない
(実際ただのフリーターでも国籍が日本なら無視はしないし彼らと喋る機会もままある)
よっぽどフェミニストとして有名でない限りは自分の地区の議員さんに手紙を書いて送ればいい
メールじゃないぞ。手紙だ。あと国会議員さんを中心にやるとよい
左派はこういう活動を通じて勢力を伸ばした。同じことをすればいい
https://anond.hatelabo.jp/20230109012839
まさにこれ。これ④で見たよな。そういうことだ。
マジでこんな感じなんだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230109025104
https://anond.hatelabo.jp/20230109030346
④でみたやつだよなこれも。
正直、フェミニストで「理解してもらおうとするような態度」に出会った事がない
勉強不足だなんだといいながらセクシストのレッテルを貼ってくる
彼女らは自らが優れている事を証明したくて仕方がないと同時に、他者との違いがとんでもなく苦手だ
基本的にカルト・メンバーは普段の会話や組織の理念に専門用語を使う。
これは「自分達は一般社会よりも高等で高尚な考えを持っている」と感じさせると共に、「社会では通じない言葉であるから結果として社会から隔離される」という結果を生み出す
”仲間意識を強くさせながら社会から切り離させる”って事をするんだ。話通じないやつと関わりたくないだろう?
普通に考えてみてくれ。どこかの理系の研究者や、文系の教授でもいい
「わからないから教えて」って言うと専門用語を一般化して伝えようとしてくれるだろう?
しかしカルトではそもそも「社会のための一般化」って概念がない。当人が社会から隔離されてた方が嬉しいからだ。
結果として、もう見えてるよな?
やつらが専門用語を使い始めたとき、定義を聞いたら薄っぺらかっただろう?端々に現れてるんだよ。
https://anond.hatelabo.jp/20230109025436
まさにその通り。
https://anond.hatelabo.jp/20230109030119
ぶっちゃけ全体主義的で批判の封鎖を行ってる時点でもはやカルトにしか見えないってだけの話だし、やべーやつだから近づきたくないってだけだよ
そして示し合わせたわけでもないのにそういうのが増えてることをもう少し考えてくれ。考えた上でどっかいってくれ
https://anond.hatelabo.jp/20230109030007
正直ミサンドリーもミソジニーもアンフェもツイフェも思想は自由だけど過激派には近寄ってほしくない。
どこかで野垂れ死んでくれ。頼むから。
人に勧められてチェンソーマンを読みました。たしかに面白い。でもその面白さは、ある程度情緒を育んできた大人が、登場人物たちや作者の意図しているのかしていないのかわからない精神的浅さをスリリングに楽しむ、みたいな方向に昇華して生まれるものでしょう。
デンジの動機も、マキマの心理描写のなさも、他キャラクターたちの全く一面的な性質も、突然出てくる詰めの甘い設定も、すべて浅いししょうもないけど、それがなんやかんやうまいこと噛み合って生まれる浮世離れした感じにヒヤヒヤニヤニヤして楽しめる。藤本タツキはどこまでそれを自覚してこれを描いてるのかなあ。ぜんぶわかっててやってるならすご〜く良いよね。他のも読んでみたい。
なのに、終盤愛に関する描写が出てきました。嘘でしょ?
そりゃ普段しょうもない人間のしょうもなさを悪く言うなんてことはしません。しょうもないってのはそもそもそんなに悪いことじゃないし、しょうもある(笑)側の人間が自分はしょうもありますよみたいな顔して気持ち悪い選民思想を抱くほうが異常。恥づべき行為なのは間違いない。
でもここで愛についてまでしょうもなさで侵すのはやめてほしかった。愛に対してだけは誠実に表現してほしかった。ずっと幼いうちに解決したはずのしょうもなさへの嫌悪、嫌疑が沸き立つ。愛についての描写はあれだけだけど、じゃああれが愛の全貌だなんて藤本タツキは思ってるんだろうか。愛を正しく理解したいと願う人間が、愛についてまでいい加減なことを書くだろうか。どっちにしろ藤本タツキがわからない。チェンソーマンを勧めてくれた女の子になんて感想を言えばいいかなあ?その点でずっとモヤモヤが消えない。
『北斗の拳』が大ヒットした当時、学校の見学旅行でプラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座・北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。
『北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特に、プラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的な正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。
この北斗七星の柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士の視力を検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧の星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニアや古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者の意見を知りたいものである。
死兆星の元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗的名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称を個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女の天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家・野尻抱影(SF作家・野尻抱介のペンネームの元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。
この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それから遠からず一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである。海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。
つまり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。
これ以外に、北斗七星が人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国は東晋の時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。
原典の漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である。
「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士の言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。
方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。
二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。
家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。
『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗から生まれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗に祈りを捧げねばならないのである』と」
現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。
天空の天体、太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間の運命その他の動向が、星など天空の現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。
しかし、私が『捜神記』の物語を面白いと思うのは、最終的に北斗七星と南斗六星のように夜空で目立つ星座が重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別に対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である。
古代ギリシアには、現代の民主主義政治の源流があったけれども、無名の市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話の登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語のユニークさを分かってもらえることと思う。
北斗七星・おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものだから、古今東西の人類の記録に残されている。金星・火星・木星などの惑星もそうである。太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置に存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名も位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである。科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである。現代の文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから。現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。
こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆も確認しようが無く、比較的簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象が現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。
ただし、庶民が自分個人の運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分の意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである。王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである。自分の人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的な思索の出発点となる。
この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか。将棋やチェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯の起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間の運命を変えようと働き掛けるような、呪術的儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。
もっとも、これはあくまでも個人の勝手な空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。
それに、南斗と北斗の囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問的専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである。
農夫が酒と干し肉を提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。
インターを出られるボンボン生まれでありながら「一流大学」なんてわざわざ表記するような大学(アメリカのアイビーリーグやUC系なんかではなく東大でもないおそらく慶応あたりじゃないとそういう表記はしないだろう)に入ってて、しかも「最大手企業」などという表記をするような会社に就職した(日本企業であってマッキンゼーとかゴールドマンとかの「そういう系」の人間御用達企業ではなく、おそらく大手金融か場合によってはリクルートとかその辺の可能性すらある)経歴で、結局そこも辞めて「外資系ゴリゴリベンチャー」と表記するような会社(どこだ?想像しづらい。)に行き、酔った勢いだろうとコテコテの選民思想を拗らせているというのは、そいつ自身も大したことない人間としか思えないな。
まあ優秀というのは嘘ではないと思うけど、生まれ育ちの文化資本でゴリ押ししてるだけでそいつ自身の資質や努力によるものはそんなに無いんじゃないかという風に見えるね。
それは分析として違うし、お前の選民思想の現れだし、左右関係ないしで
かつて、一部の人が外書もなんでも読んでいて、そうしていたエリートだけが言論空間という場所に参入できた。
エリートではない奴は、保守だろうがリベラルだろうが、存在自体無視され、発言権はなかった。
そこでインターネットの登場だよ。いまやエリート以外も発言権がある。
エリート以外もいるから、本を読んでないやつもいる。読んでない奴の方が多い。エリートは少ないからな。
お前の誤りの第一は、この現象を「劣化」と呼んだことで、良いものが無くなったとか、そういうことは全然ない。品質の良いものと悪いものはちゃんとかつてと同じように存在する。
誤りの第二は、お前がエリート以外の発言を愚かで聞く価値がなく悪しきものだ、と思っていることで、お前は世間の真実の声から目を背けて、整理された心地よい架空の論理に安住したいと思っている。
嫌々信者のひとりです。
先に回答されている方のおっしゃるとおり、30年ほど前に出来た新興宗教です。
開祖はサイコロ占いで訴訟を起こされた福井真尚(久世太郎)という人物です。
この教団の一番の特徴は金がかかることとその選民思想。
済度(いわゆる入会儀式)を受けるときで40万近くかかります。
その後は、会員代が月2000円、布施の月が年2回で1回最低1万円。
ですが、これはあくまで建前です。
数年で家一軒分くらい支払わされているところもありますよ。
万札以外は金じゃないと言わんばかりの対応です。
あと選民思想ですが、この教団との縁に会った人間しか救われないとしています(一応本尊が阿弥陀仏のくせに)。
他宗派の開祖(最澄やら日蓮)を持ち出してきて、実はこの人たちもこれを信じてたんだ、その証拠に云々と言った話をしょっちゅうしています。
まあ、今は自分のとこにしか本物はないと言ってるので他宗派を否定しているも同然なんですが。
ただ、東本願寺の大谷派を目の敵にしているようです(2chなんかで否定的なレスには大谷派の坊主が妬んで云々書き込まれます)。
ID:QL5MArTi(1/4)
0101 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:20:42
ターゲットは金持ちばかりです(彼氏さんの所も自営業ではないですか?)。
勧誘方法がえげつなく、京都に行けば言い話が聞けるからとか仏教の真髄が聞けるとか言って直前まで名前は名乗りません。
一応その面接に受からないと京都で済度を受けれないことになっていますが、早い話洗脳しやすい人間か、肩書、家族構成等を見ているだけと考えていいと思います(最近はノルマが厳しいのか誰でもいいとなりつつあるようです)。
これは次の済度ターゲットを確認する意味あいも有ると思います。
あと取引先からや上司(社長)が勧誘してきてなかなか断れないというパターンも多いようです。
日程は2泊3日。
内容は仏教についてとやらの話(ようは自分とこの教団がいかに正当かを語る)と夜にかけて行われる儀式です。
関係者の手前抜けるわけにもいきませんから、かなりきついですよ。
仏になった証として「太陽が直視できる」「空中に仏が見える」「遺体が金色になる、腐らない」等が言われます。
実際に「太陽直視」と「空中の仏」は儀式の次の日に実践させられます。
「太陽直視」はお勧めしませんが、「空中の仏」は晴れた日の青空をポーっとみてると光の粒がたくさん動いているのが見えます(どこが仏?と言いたくなりますが)。
ID:QL5MArTi(2/4)
0102 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:13
それと儀式のことは家族であっても他言無用、話せば救われなくなると言っています。
夜の時間帯に狭い部屋で行われるだけでも普通は不安になるものなのに、更にですからね。
意志が強い私でさえも妙な不安感に襲われましたから、意志の弱い人間なら間違いなくやられるでしょうね。
詳しいことはwikiや2chで「念仏宗」か「無量寿寺」で検索されるといいと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/9581/#1
本ですと関西に蠢く懲りない面々(講談社α文庫)が詳しいかと思います。
よほど都合が悪いのかネットは嘘ばかりなので見るなと言われます。
ID:QL5MArTi(3/4)
0103 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:41
彼氏さんも大学生なら金銭的にもまだ自立は厳しいでしょうし、相当ストレスを感じていらっしゃるでしょうね。
お二人ともまだ若いようですし、先のことはわかりませんが、この教団とは関わりにならないことを勧めます。
表向きはダライラマをはじめとした海外の仏教関係者を持ち出したり、本山完成で新聞広告を大々的に宣伝したりと、一見華やかですが、その影では数十万単位の寄進をさせられたりとかなり泣かされている人がいます。
入れあげている本人だけなら勝手にどうぞと言いますが、そのご家族や社員のことを考えると胸が痛みます。
それと確たる証拠はありませんが、どうも後ろ暗い面々とのかかわりも噂されてますし、近づかない方が無難かと思います。
追加:信者は念仏宗に関わることでなければ、普通の人、感じが良い人は結構多いと思います。
嫌々信者のひとりです。
先に回答されている方のおっしゃるとおり、30年ほど前に出来た新興宗教です。
開祖はサイコロ占いで訴訟を起こされた福井真尚(久世太郎)という人物です。
この教団の一番の特徴は金がかかることとその選民思想。
済度(いわゆる入会儀式)を受けるときで40万近くかかります。
その後は、会員代が月2000円、布施の月が年2回で1回最低1万円。
ですが、これはあくまで建前です。
数年で家一軒分くらい支払わされているところもありますよ。
万札以外は金じゃないと言わんばかりの対応です。
あと選民思想ですが、この教団との縁に会った人間しか救われないとしています(一応本尊が阿弥陀仏のくせに)。
他宗派の開祖(最澄やら日蓮)を持ち出してきて、実はこの人たちもこれを信じてたんだ、その証拠に云々と言った話をしょっちゅうしています。
まあ、今は自分のとこにしか本物はないと言ってるので他宗派を否定しているも同然なんですが。
ただ、東本願寺の大谷派を目の敵にしているようです(2chなんかで否定的なレスには大谷派の坊主が妬んで云々書き込まれます)。
ID:QL5MArTi(1/4)
0101 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:20:42
ターゲットは金持ちばかりです(彼氏さんの所も自営業ではないですか?)。
勧誘方法がえげつなく、京都に行けば言い話が聞けるからとか仏教の真髄が聞けるとか言って直前まで名前は名乗りません。
一応その面接に受からないと京都で済度を受けれないことになっていますが、早い話洗脳しやすい人間か、肩書、家族構成等を見ているだけと考えていいと思います(最近はノルマが厳しいのか誰でもいいとなりつつあるようです)。
これは次の済度ターゲットを確認する意味あいも有ると思います。
あと取引先からや上司(社長)が勧誘してきてなかなか断れないというパターンも多いようです。
日程は2泊3日。
内容は仏教についてとやらの話(ようは自分とこの教団がいかに正当かを語る)と夜にかけて行われる儀式です。
関係者の手前抜けるわけにもいきませんから、かなりきついですよ。
仏になった証として「太陽が直視できる」「空中に仏が見える」「遺体が金色になる、腐らない」等が言われます。
実際に「太陽直視」と「空中の仏」は儀式の次の日に実践させられます。
「太陽直視」はお勧めしませんが、「空中の仏」は晴れた日の青空をポーっとみてると光の粒がたくさん動いているのが見えます(どこが仏?と言いたくなりますが)。
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0102 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:13
それと儀式のことは家族であっても他言無用、話せば救われなくなると言っています。
夜の時間帯に狭い部屋で行われるだけでも普通は不安になるものなのに、更にですからね。
意志が強い私でさえも妙な不安感に襲われましたから、意志の弱い人間なら間違いなくやられるでしょうね。
詳しいことはwikiや2chで「念仏宗」か「無量寿寺」で検索されるといいと思います。
http://jbbs.livedoor.jp/study/9581/#1
本ですと関西に蠢く懲りない面々(講談社α文庫)が詳しいかと思います。
よほど都合が悪いのかネットは嘘ばかりなので見るなと言われます。
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0103 名無し@チャチャチャ 2016/08/13 14:21:41
彼氏さんも大学生なら金銭的にもまだ自立は厳しいでしょうし、相当ストレスを感じていらっしゃるでしょうね。
お二人ともまだ若いようですし、先のことはわかりませんが、この教団とは関わりにならないことを勧めます。
表向きはダライラマをはじめとした海外の仏教関係者を持ち出したり、本山完成で新聞広告を大々的に宣伝したりと、一見華やかですが、その影では数十万単位の寄進をさせられたりとかなり泣かされている人がいます。
入れあげている本人だけなら勝手にどうぞと言いますが、そのご家族や社員のことを考えると胸が痛みます。
それと確たる証拠はありませんが、どうも後ろ暗い面々とのかかわりも噂されてますし、近づかない方が無難かと思います。
追加:信者は念仏宗に関わることでなければ、普通の人、感じが良い人は結構多いと思います。