はてなキーワード: 文科省とは
2位じゃダメなんですかで話題だったころ研究室で教授が愚痴ってた話をする。
その教授曰く、要は大きな研究が重視される事が本当の問題だと。
話題になりそうな研究、日本すげーができそうな研究、ノーベル賞取れそうな研究
「問題はなにに金出してるかって話」
「結局、ビッグサイエンスなんだよ。ビッグサイエンス傾倒問題」
「でもだれも文句言わない。いつか俺たちも(甘い汁すいたい)って思ってるから」
「それに科学者って世間知らずで研究しか能がない連中が多いから、世の中のことわかってないんだよ」
いつだったか河野さんが申請書類のフォーマットを文部科学省に改善求めてた件で
大学のローカルルールを国が決めてるって勘違いして文科省に文句いってた人いたじゃん
文科省からそれは大学に言えよって返された件で思ったんだけど、大学教授って結構馬鹿なんだなって
だから書いてみた。
足の引っ張り合いをしろってんじゃないけど
ただ、最近、これから先、この仕事のなり手がいるのか不安です。
私は朝5時に起きて7時には出勤しています。
定時は8時から17時ですが、始業前の準備や時間外設定の会議を考えると
それでも遅くまで残業している職種の方に比べれば大したことはありません。
定休日も2日はありますが、部活などで休日出勤が続くと30連勤くらいは普通です。
部活や合宿の引率、夏期講習などを差し引くとお盆休みがあるだけなので
その他の待遇は普通の業種と同じかそれ以下といったところです。
その都度、カリキュラムの改変や専門外科目の勉強を迫られます。
昔は一発のゲンコツで済んでいたのかもしれませんが、
根気強く諭すしかありません。
それでも事と次第によっては、声を張り上げて叱ることもあります。
しかし、最近ではそうした行為も恫喝やパワハラだと批判されることもあります。
と、叱ったこともあり、これも不適切な指導になるのかと悩みます。
もちろん大多数の保護者は協力的で理解してくださっていますが、
問題児の保護者ほどいわゆるモンスターペアレントの傾向は強く、
一番、ショックだったのは宿題を忘れたことを怒鳴るわけでもなく叱ったら、
こういう状況でも大多数の生徒や保護者が支持してくれ、
生徒が志望校に合格したり、卒業生が遊びに来てくれると嬉しく、
仕事に就く意味はなく、「奇特な人」がやる仕事になっていくように感じます。
教育市場は縮小していくので、定年まで雇用があるかも心配するでしょう。
業務量の整理や待遇改善、モンスターペアレントから守ることなど、
これを読んで少しでも教育について考えてくださったら嬉しいです。
https://anond.hatelabo.jp/20171016005522
理研「スパコンで世界一になる!それが国民の夢!だから予算ください!」
蓮舫「その夢は否定しないけど目的はそれだけ?中国やアメリカに抜かれる可能性もあるけど、1位じゃないと意味ないの?2位じゃダメなの?」
文科省「うちの試算だけどマクロで3.4兆円の経済効果があります」
蓮舫「それ1位じゃなくなったらどうなるの?」
文科省「1位になるようがんばる」
蓮舫「1位じゃなくなったら投下した予算とか人とかは無駄になるの?」
文科省「1位になるようがんばる」
蓮舫「評価者の先生方に聞きますが、1位じゃなくてもいろんな効果や使いみちはありますよね?」
評価者「そもそも1位だからいいなんていう単純な話じゃないですよ」
進行役「しゅーりょー」
蓮舫と文科省&理研のやりとりを中心にまとめるとこんな感じです。ほんとこんな感じ。
議事録全体で見ると、評価者として呼ばれた松井&金田両氏が非常に厳しい評価をしており、蓮舫は中立的な立場からなんとか文科省&理研に説得力のある説明をさせようとするものの、文科省&理研側がその意図をまったく汲めずまたまともに準備もしてないので延々同じ説明を繰り返す、というのが基本的な流れです。
これで「専門家に難癖つけてプロジェクトを潰した」とか言われるのはたまったものではないと思います。
議事録や前提情報、資料等を一通り確認したい人こちらを参照→http://blog.wktk.co.jp/ja/entry/2015/06/08/renho-super-computer-siwake
第10表 在学者・国民一人当たり及び一学級当たり経費 を参照
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?bid=000001091064&cycode=0
島根県は 139万6369円
神奈川県は 75万2433円
と、1.86倍の差が出ている
しかし、これをもって、島根県→教育にお金をかけていて素晴らしい というのは早合点である。
島根県は過疎なので、小学生の人数に対する教師の人数が多いというのが原因だろう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/280329168264626179
なので、単に教育にかけたお金だけをもって教育の質を云々という議論は意味がないと思う。
狂っている。
そもそも、有期契約は専門職のためのものだった。雇い止めの問題は、その原則を無視して派遣労働を拡大させた政治の問題である。大学教員、研究員ははなから高度な専門性が求められるので、雇い止めの問題というのは定義からして存在し得ない。これ以上万年助教を増やしてどうするのか。
これに関連してポスドク問題というのもよく叫ばれるが、これは地方大学や高専等でのポスト拡充や、企業による受け入れなどで解決すべき問題であり、東大や東北大の雇い止めとは一切関係ない。厳しいことを言うようだが、東大や東北大クラスの大学ならばそれに見合った能力の研究者を置くべきであり、能力の閾値を下げるのは間違っている。
事務職員に関しては、そもそも彼らの仕事の多くは無意味だと思ってよい。科研費絡みのクソ業務をなくすだけで、半分以上は首を切れるはずだ。もちろん今はまだクソ業務ばかりであるが、大学を責めるよりは文科省やJSPSに責任がある。
そういう話をする人が沢山いるけど、素朴な疑問、教育って国なんかに任せるべきなの????
国に任せて、国に統制されるにまかせて、お役所が決めたことを教え込まれて……
それって危険なことだよね。
国の教育って、なんだかんだいっても効率が悪いし、いろんな意味で失敗してるよね。
教育内容にも無理があるし、
だからといって要求を全部押し込んでいって、、、先生たちの生活も破たんしてる。
学校だけじゃ足りないからと、塾にいくのが当たり前になってしまってる。
失敗してると分かってても、そこから離れることができない。一方的に税金をとられて、国が教えてやると言ってダメな教育を押し付ける。
どこを見ても、とってもおかしな話だよね。
本来なら、私たちは自分で教育を選べるべきだし、ダメな話があったらそれを避ける権利があるべきだよね。
文科省の予算なんて廃止して、その分は納税者に返すべきだよね。
いじめられていてもその学校にいなければならないなんてのは変だし、
いじめを放置してる学校の経営が成り立つなんてのも不思議だよね。
教育って、本当に国に任せるべきなの?
違うくない!?
ここでは学校教育の問題に限定して体罰の問題について述べるので、特定の話題について触れることはしない。
まず、体罰は法的にどう扱われているのか
文部省が文部科学省に再編成されたさい、文部大臣が文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。
つまり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。
この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。
よくある誤解に過ぎないのだ。
このような見解を披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。
喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。
ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。
職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。
実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である。
それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである。
今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ。
問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。
同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から「体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である。
たとえば以下のようなガイドラインが示されている。
文科省 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
いずれにしろ、文科省が体罰を認めていないことだけは明確である。
教室で質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。
ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒の範囲内だ」という議論は当然あり得る。
しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。
効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為の正当性まで議論の範囲は広がらざるを得ない。
あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正で対応するほかあるまい。
ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。
何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。
それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。
ここでの話はあくまでも学校教育に限定しているので、学校外での出来事に適用できるものでないことは最初に断った通りだ。
補足
最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。
たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨の発言がされたと仄聞するが、
発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校を卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである。
今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。
中学の知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。
いやいやいやいや、24だろ?文科省の定義によると研究者は39歳まで若手だぞ。最近ルールが変わって博士取得後8年までは若手になったから、お前は若者どころか、胎児か受精卵だぞ。
博士課程で病んで2年間ノー進捗だったけど、今では一応国立大の准教授だ。まあ今後世界の潮流を作れるかどうかはわからんが、それを目指し続ける環境にはいれるよ。
だいたい博士行くやつはどっかで病むから安心しろよ。あと逆に研究者だけが道じゃないしな。FXで巨万の富を稼いだら、財団か基金を作って先見性のある研究に投資したらいい。bビル・ゲイツだっていまガンやエイズの研究に投資して、どんな天才よりも研究を推進させる力を持ってる。それは極端だけど、企業の中で何かの潮流を作っていくことも可能なんじゃないか?
ノーベル賞に届かない人たちへ
大学生の時、講義で「どうやら文科省の方で道徳が教科化される動きが出ている」っていうのを聞いた
国語も数学も道徳も同じ「学校で受ける授業の時間」だが、道徳は「教科」ではないので点数や成績をつけないし教科書も別に必要じゃない、何年生に何を教えるかも決まっていない、国語や数学よりホームルームなんかに近い存在、みたいな説明を受けた(数年前なのでだいぶうろ覚えだが)
もし道徳が教科化されたら、国語や数学のようにテストを行い、点数をつけ、通信簿に成績をつけ、他の教科みたいに内申にも影響したりするし、教える内容も自由じゃなくなる、というのも聞いた
それはまずいんじゃないか?と思っていた時、ヤフーニュースか何かで道徳の教科化の話が取り上げられ、まとめ等でも少しだけ話題になりコメントもついていたが
この「教科化」という言葉がネックだった
昔からずーっとどの学校でも道徳の授業は行われているのだが、「教科」じゃなかったものを「教科化」しようという話なのに、道徳の授業を「やらない」から「やる」ことにしよう、という意味ととらえている人が多かった
「え、今時の小中学校って道徳の授業がなくなっちゃったの!?道徳の授業ってやるかどうか義務付けられてなかったの?これだからゆとりは!道徳の授業はやるべきだ!道徳の教科化、さんせーい!!」
こんなコメントばかりで、大変だー、このままじゃ道徳の授業でテストをして点数をつけることになるらしいぞー!みたいな声はほとんど挙がらなかった
しばらくして、大して炎上もしないままつつがなく道徳の教科化が決定され、それからようやく「なんか道徳で成績をつけるらしいぞ!?」という声が挙がり始めた
増田が国会で話題にされるような時代だし、まだ話し合いの段階でネットで大大大炎上してたら道徳の教科化はポシャってたかもしれないなーと時々思う
毎年夏になると読書感想文の書き方の話題が暑いですね。ほとんどの人間の共通体験として言及しやすいということもあり、だいたい
1.書き方をちゃんと指導しないのが悪い。
2.書き方の指導をするべきだ、しないほうがいい。
3.おれはこう書いてた。いつも褒められてた(ドヤリング)
4.書き方講座→アフィ
ぐらいのカテゴリになる。
で、読書感想文の目的を「文章を書く能力の向上のための課題」と決めつけ「なのに指導しないのは怠慢」という1.の文脈が気になる。あれ本来は「長い夏休み、少なくとも1冊ぐらい本を読んで欲しい」ってダケだよなあ。
どうやって本を読んだかどうかを確認するか、って方法として「読書感想文」という課題が設定されているだけなんじゃないかと。義務教育と共に歴史が長くなりすぎてもはや先生ですら本来の目的がなんだったのかわからなくなっている気がする。
まあついでの効能として「文章を書く能力にもつながる」「書ける才があるやつがわかる」ぐらいなので、それを積極的に指導することが本来の目的じゃないからちっとも指導されないのだと思う。
「読書感想文」を「文章を書く能力のための課題」と位置づけたほうがいいのかどうかは文科省にでも聞いてもらうとして、なぜ指導されないのかという理由については「本題じゃないから」ではなかろうか。だいたい本をよく読んでるやつはそれなりになにかしら書いてくるからな。
「読書感想文の書き方を指導すべき」という一辺倒ではなく、「どうすれば本をよく読むようになるか」「また効率的にチェック可能か?」の問題解決ができれば、また別の方向性が見えるのじゃないかと思う。
前川喜平氏が登場する議事録を発掘したエントリーが人気を博しています。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に
http://nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/agenda.html
読んでいただければ分かりますが、前川氏はWGの民間議員からの質問に全く答えず堂々巡りをする香ばしい議事録となっています。
〇福井秀夫(政策研究大学院大学教授)専門委員「我々は日本の教育制度を議論しているわけだが、その養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。それは文科省の責任できちんと調べていただくべきものだと思う。」
次の質問ですが。
〇前川企画室長 ちょっとお待ちください。もし今の教員免許制度に意味がないとか、必要がないとおっしゃるのであれば、そちらの理由を挙げていただきたいと思います。
中略
このあと延々と堂々巡りをするのですが、まあ酷いものです。典型的なダメな議論です。誰が悪いって?もちろんWGメンバーです。
これ、WGメンバーがやっているのは藁人形論法です。詭弁の一つです。「免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。」一見正しいことを言っているように見えますが、「免許制度の効果測定」という藁人形を持ち出しています。これは「免許制度における教育実習の回数について、多い場合と少ないで優位な差はあるのか?」などであれば妥当ですが、余りにも漠然としすぎていて妥当ではありません。
この手の要求は良くシステム開発で、「このシステムではこの数字が見れればいいよ」「この数字をだすなら帳票形式なのは当たり前だろ?」「帳票だすならグラフが見れるのは当然じゃないか」等と、要件定義の段階で「この数字が見れればいいよ」を詰めないせいでデスマーチするあれと一緒です。
明確に定義をしない「免許制度の効果測定」について永遠と要求を出し続けるわけです。「エビデンス」「エビデンス」と連呼するわけですが、明確に定義されていない効果測定のエビデンスなど出せるわけがないです。
いません?明確なゴールを決めずに新人に資料を作らせて、「これは思っているのと違うな」とか言って作り直しを連発してマウントとる上司。やり口が全く一緒です。
前川氏の蒟蒻問答を笑いどころですが、議論を重ねるのではなく、詭弁を弄してマウントを取りに行っているWGの腐臭も笑いどころの議事録です。
問題ある派
└圧力あった派:総理がお友達を優遇とか駄目に決まってるだろパククネかよ。
└黒派:文科省職員のメモが複数ある時点で明らかに黒だよ。でなけりゃ全員で嘘の文書を作ったとでも言うのか。
└グレー派:黒とは言い切れないけど面会の記録とか状況証拠は怪しいよ。刑事裁判じゃないし政治家として信用できるかの問題だよ。
└嘘つき派:口利き自体は問題ないよ。ただ知らぬ存ぜぬと嘘ついてるのが駄目だよ。
└真相究明派:どっちかは分からないからこそ逃げ回って真相究明に消極的に見えるのが駄目だよ。
└加計孝太郎嫌い派:逃げ回ってるし豪遊してるし印象悪いよ。政商の臭いがプンプンするよ。
問題ない派
└圧力なかった派
└白派:前川は性人だし文科省メモは怪しいしそっちこそ信用できないよ。
└疑わしきは罰せず派:白とは言い切れないけど叩いてる側が明確な証拠を出せない以上は無罪だよ。
└あったとしても無問題派
└合法派:別に違法じゃないよ。口利きは政治家として普通だよ。
└規制改革派:岩盤規制を突破するためやったんだから正しいことだよ。
└どっちもどっち派:民主党も今治で進めてたし玉井は獣医師会から献金もらってるよ。あと蓮舫。
└どうでもいい派:もっと重要な問題を議論すべきだよ。政治の停滞だよ。
└野党嫌い派:とにかく野党とマスコミが嫌いだから擁護するよ。
└諦念派:ぶっちゃけ怪しいけど経済や外交のために目をつぶるよ。
派生して、加計学園が今治に開校することが適格かどうかでも争ってる。
適格派:獣医師が足りてないよ。今治市の長年の悲願だよ。獣医師会が岩盤規制で邪魔してただけだよ。
不適格派:獣医師は足りてるよ。Fランの加計より京産大だよ。クソ大学を防ぐためにある程度の規制は必要だよ。銚子は加計のせいで大赤字だよ。
関係ない派:それと圧力とは別問題だよ。「結果的に適格だけど圧力は許されない」「不適格だけど圧力はなかったorあったけど問題ない」どちらもあり得るよ。
というつもりはない。
結局学校の制度自体が余裕のない状態だから昔の学級崩壊が名物になるわけだしそれに対しても教員が頑張れとしか文科省も言わない。
県や市の教育委員会も体質が変わろうにも変わることが出来ないので50年位経たないと次のステージに教育は発展しないんだろうな。
「テレビが連日騒ぎまくってるから何か悪い事したんだな」って思い込んじゃう系かな。
手ずから圧力かけたならそういう証拠や証言が出るはずで、それがせいぜい忖度文書だろ?
追い込み切れないんだから本当になかったか無理筋かのどっちかだと思ってるし、下らん事で騒ぐの止めて変な忖度の再発防止の方法を考えるべきだと思うね。
建てるにあたっては教員人数やら面積やら満たすべき条件がいっぱいあってそれはそれで事務レベルで検証されるだろう。
補助金も際限なく学校建てて無限に貰えるわけじゃないから他の専門学部と同じように適当に市場原理のバランスが取れるところで落ち着くもんだ。
現状の日本の獣医学は官僚と既得権益者(獣医学会)によって歪められてるから、常に異常倍率かつ定員オーバーが常態化してて大学のほうも獣医学部に設備投資して学生にアピールしなくても金づる学生がギュウギュウ詰めに入ってくるし、教員一人当たりの生徒数も可能な限り多くして運用しても文科省に黙認してもらってるしで蜜月じゃん。
そっちのほうがよほど日本男児の風上にも置けん奴らだと思ってるよ。
https://www.j-cast.com/2017/06/08300108.html?p=all
http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/kake-academy-issue_b_17447858.html
(1)告示
そもそも国民には学問の自由があって、何らかの学問を修めるのを国が妨げてはならない。
仮に何らかの学部に学生が大挙して押し寄せ、その資格を持つ人材が世に溢れてもそれは市場原理であり国が介入すべきではない。というのが今の政府の大筋の方向性。
しかし大学への補助金も財源が有限であり既得権益層も競争相手が増えることを望まない為か、文科省が「歯学部・獣医学部・船舶職員養成学部の新設申請を受け付けない」という告示を出している。(告示とは一般名詞だが、この件の議事録で登場する「告示」は暗黙のうちにこの新設却下の告示の事を指している場合が割とある)
ここで暗に問題となっているのは、日本の教育の管轄を任されている立場であるに過ぎない文科省が獣医師市場の需給バランス調整弁という市場介入をするのは越権行為であるという点だ。
(2)挙証責任その1
上で挙げた対立の内容に対して政府から文科省に対して「その新設却下告示に合理的理由がないなら取り下げよ」と命じた。
これがよく言われる「挙証責任」であり、文科省はこの告示に付いてまさか「私が獣医師市場の需給バランスを調整したいという合理的理由があります」などと答えるわけにはいかない。
2015年6月8日国家戦略特区ワーキンググループ議事録によると
文科省の牧野課長補佐は「関係者も納得するような、これは新しい構想だというようなものを具体的な需要の数までも示した上でお示しいただければ、こちらとしても一緒に検討していきたい(=獣医学科を新設する必要があるとあなたが立証できるなら検討する)」と言っている。
これに対しWGの原委員が「挙証責任がひっくり返っている」と評した
整理すると、文科省がそもそも「新設を認めない正当性を立証せよ」と命じられている状態で「新設する正当性を立証してくれたら検討します」と反論した形になっているので「挙証責任がひっくり返っている」という表現がされた。
ここの問答が論点であり
・文科省は結局「新設を認めない正当性」を立証できなかったので、そもそも条件を付けれる立場にない。よって「新設する正当性の立証」を求める事はできない。
・文科省は「新設する正当性の立証」を求める事ができるので後続の閣議決定内容で立証に関わる条件を詰める必要がある。
(3)閣議決定
1. 現在の提案主体による既存の獣医師養成でない構想が具体化し
2. ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになり
3. かつ、既存の大学・学部では対応が困難な場合には、近年の獣医師の需要の動向も考慮しつつ
という旨の閣議決定がなされた。これは(2)での「新設する正当性を立証」を求める際にその正当性の根拠として何を求めるかという定義を行った形になっている。
これが世に言う「石破4条件」であり、獣医師会が石破さんに頼んで作らせたものであるというのは獣医師会が公開している資料からも分かる。
http://nichiju.lin.gr.jp/mag/06809/a2.pdf
『石破担当大臣と相談をした結果,最終的に,「既存の大学・学部で対応が困難な場合」という文言を入れていただきました』
これは獣医師会が行政を歪めていると言えなくもないが、そこの論点はさておくとしてここに続いて興味深い記述がある。
『ただし,今後もこの問題は尾を引いてくると思います.つまり,日本の最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組みになっておりますので,こういう文言を無視して作ることは可能です.内閣がもしこれを行うのであれば私たちは現在の内閣に対して敵に回らざるを得ないのですが,獣医師会としては抵抗勢力にはなりたくない.抵抗勢力としてマスメディア等々で取り上げられ,獣医師会は抵抗勢力である,訳の分からないことを言っている団体だということになりますと,世論の風当たりは強いものになります.』
つまり獣医師会はこの4条件に関する危うさを初めから認知しており、下手に抵抗すると世間を敵に回すものであると自覚している。
(4)挙証責任その2
加計学園は獣医学部新設の提案の資料を提出(挙証)し、結果として認可が通ったので今治市での建設工事に着工して現在に至る。
ここにも論点があり
・加計学園は4条件を正しく満たしている(感染症や化学兵器などは既存の大学で対応できない)為、認可が通って当然である
・加計学園は4条件を満たせていないので通らなかったが安倍が行政を歪めたから認可が通った
後者に関していうと、7/10の閉会中審査において前川喜平氏は「文部科学省として、そのワーキンググループで満たしていないという主張はしていることは、お読みになれば分かります」と主張しているが、ワーキンググループの議事録の残る資料を探っても
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/h28/shouchou/160916_gijiyoushi_2.pdf
ぐらいしか見当たらず、この議事録の中には前川氏の主張を裏付けるような記述は見当たらない。
実際に文科省が丁寧に4条件に基づいて却下したかどうかの真偽は別にして、医師会も認めるように特区は『日本の最高権力者である内閣総理大臣が作れと言えばできてしまう仕組み』であるため4条件はそもそも無視する事が可能である。
もちろん総理大臣としては穏便に済ませるため4条件に合致している上で認可を出すのが理想だろうが、わざわざ行政を歪めなくても仕組み上無視可能であるので何か別の要因で急かされてパスするという事はありうる。
民進党などは主にここを争点にして特区制度そのものを批判するに至っている。
「総理大臣が合法的に閣議決定を無視して決定してしまえるならこの制度自体が政府のオモチャじゃないか」という論法であり、一定の理はあるように見える。
文科省内の対立等もあり、認可すべきだと考えた文科省内の人が例の「総理の意向」文書の中で「我々が抵抗しても総理がGoサインを出したら仕組み上通るし、多分Goサイン出す(忖度)んだから大人しく従おう」と説得しておりそれが行政を歪めたとする主張に関しては当たっているところもある。総理が自分の責任で反対を押し切ってGoサインを出すか、文科省がそもそも反対しないで進めるかで結果としては同じでも過程が異なるからだ。
実際安倍首相は国民のご機嫌取りに必死なので「学ぶ権利」の最大化の方向へ進めようとするだろう事は「お友達」云々関係なくわかりきっている。
だがそもそも(2)にあるように『文科省が「新設を認めない正当性」を立証できない時点で、「新設の正当性が立証できるなら認める」という文科省側の反論は無効であり(3)(4)はまるっと無意味である』という主張もそれなりに理はある。
「国民の学ぶ権利」vs「獣医師会の抵抗」という構図で前者に正義がある以上は、決着は国民のリテラシにかかっている。
「国民の学ぶ権利」という題目を大上段に構えるなら、この対立はいずれ前者(政府)が勝って然るべきである。
本来は需給バランスに国が介入するべきではないし、どうしても獣医師の需給バランスを調整したいなら学部入学ではなく国家試験合格のハードルを上げる事で獣医師の質も上がるし国民の学ぶ権利も阻害しないため合理的だからだ。
今回の一件がどう決着するにせよ、仮に政権交代が起きようと「国民の権利を広げる」という方向で同じ議論が繰り返されるだろう事は想像に難くない(市場原理に任せる原則は小泉政権の頃から変わらない)。
├─立証できないから加計学園の獣医学部新設を認めるべき ← 安倍内閣の落ち度なし
└─(3)立証する義務はなく、逆に4条件に照らし合わせて認めるか否かを判断する権利があり、加計学園は4条件を満たして…
├─いるから現在開学に向けて建設中である ← 安倍内閣の落ち度なし
└─いないにも関わらず認可が通ってしまった。安倍内閣は直接何もしていないがどのみち安倍内閣は認可を押し通すだろうという忖度によって文科省は認可を通してしまった ← 安倍内閣によって行政が歪められた(?)
となる。