毎年夏になると読書感想文の書き方の話題が暑いですね。ほとんどの人間の共通体験として言及しやすいということもあり、だいたい
1.書き方をちゃんと指導しないのが悪い。
2.書き方の指導をするべきだ、しないほうがいい。
3.おれはこう書いてた。いつも褒められてた(ドヤリング)
4.書き方講座→アフィ
ぐらいのカテゴリになる。
で、読書感想文の目的を「文章を書く能力の向上のための課題」と決めつけ「なのに指導しないのは怠慢」という1.の文脈が気になる。あれ本来は「長い夏休み、少なくとも1冊ぐらい本を読んで欲しい」ってダケだよなあ。
どうやって本を読んだかどうかを確認するか、って方法として「読書感想文」という課題が設定されているだけなんじゃないかと。義務教育と共に歴史が長くなりすぎてもはや先生ですら本来の目的がなんだったのかわからなくなっている気がする。
まあついでの効能として「文章を書く能力にもつながる」「書ける才があるやつがわかる」ぐらいなので、それを積極的に指導することが本来の目的じゃないからちっとも指導されないのだと思う。
「読書感想文」を「文章を書く能力のための課題」と位置づけたほうがいいのかどうかは文科省にでも聞いてもらうとして、なぜ指導されないのかという理由については「本題じゃないから」ではなかろうか。だいたい本をよく読んでるやつはそれなりになにかしら書いてくるからな。
「読書感想文の書き方を指導すべき」という一辺倒ではなく、「どうすれば本をよく読むようになるか」「また効率的にチェック可能か?」の問題解決ができれば、また別の方向性が見えるのじゃないかと思う。