はてなキーワード: 右から左とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/360714
ぶっちゃけ一般人が裁判官に否定の意思を示せるというところに気持ちよさを感じてしまっているのではないか?
裁判員制度でやたら重たい刑が軽率に求刑されるという話と近いものを感じる。
裁判員だって結論に対して右から左で答え出してるわけじゃないし、結論が同じだとしても一かゼロかではなくて、現行法ではこうだが今後議論されることが望ましいみたいな判決だって珍しくないでしょ。
それに対してそんなノータイムで×つけてるやつらの軽率な意思で罷免なんかされたらたまったもんじゃないだろ
id:hapilaki “何も書かなければ信任したとみなされる。”そもそもこの仕組みがおかしいので、何をしたのか分からなければ✕を書く方がいい。何者か分からんやつを信任するのはおかしいでしょうよ。
id:ChillOut あとで納得いかない判決を出されたり、思想家・活動家だったことが分かっても挽回する手段がない。よって詳細が分からない場合は、基本❌️にしておくと後悔が少ない
id:camellow どの裁判官がまともな活動をしているという情報がないので全員×にしてる。政治家は一生懸命自分の実績なり主張をアピールするのに裁判官は何もせず信任される仕組みへの抵抗。
id:santo わからなかったら全部バツにしておくと司法が緊張していい政治になるって神保のおっちゃんが言ってたで。
id:shira0211tama 分からないと考えたくない場合は全員バツだよ!どうせ割と素通りするってなら尚のこと何も考えずに全員バツだよ!
id:oktnzm 基本、全部バツでいいよ。現状、全然罷免ラインに届いてないし、熟考した人の底上げになるので。
id:hatehenseifu 三権分立など画に描いた餅であるワガクニの裁判官はとりあえず、全員✖でOKです。
id:theta ダメな裁判官を罷免できる制度だが、今までこの制度が機能したことはない。機能させたいなら、機能するまで×を積み上げる必要がある。機能させたい人は全員に×をつけるべき。
この人に至ってはそもそも審査のやり方をわかってなくてアホをさらしている(〇付けたら無効)。
id:warulaw 基本的なスタンスとして人は定期的に入れ替わったほうが良いので、よくわからない場合は「×」。その上で非常に素晴らしい判断した裁判官は「○」にしている。
いや、マジで臭えんすよ。
作品⇔健全な受け手 間で成立する健康的な空気が台無しになっていくわけですよ。
たとえば映画やLIVEに行って隣でワキガプンプンさせてるデブオタがぴょんぴょん跳ねて臭い撒き散らしてたらこっちの集中力に制限がかかるでしょ?
そういうの本当に迷惑なんですよね。
それって別に屋外か屋内かだけじゃなく、リアルかネットかですらなく、たとえそれが雑誌の投稿の中だろうともいい迷惑なんですわ。
別に個人が陰でコッソリ消費してそれに対して個人的な妄想「〇〇ちゃんと俺が同じ部活だったら絶対仲良くなれたわ。俺達めっちゃ話し合いそう」とかクセー妄想するのは別にいいんすよ。
でもそれを他人の目に付く場所で垂れ流すのは辞めてほしいんすよね。
「ボクは◯◯って映画が好きで50回見てます!」みたいなのも辞めて欲しい。
まあ別にキモくも何ともない人がやるのは気にならないんすけど、キモい奴は一切合切そういうのしないで欲しいんですよ。
だってその作品に対しての印象にどうしても混ざってくるじゃないですか、「あっ、これあのサブカルオタク気取り中身空っぽ老害ジジイがめっちゃ好きだと言ってた作品じゃん。かぁ~~~っいい歳こいて何が好きかで自分を騙るのは辞めてほしいわ~~~」ってなるじゃないですか。
いやマジで思うんすけど「何が好き。何が嫌い」で自分を騙るのって学生時代までにするべきだと思うんですよ。
ある程度成長したら好き嫌いについてと自分語りは分けなきゃいけないと思うんですよ。
別に俺だって作品と自分をちゃんと切り離せる人の「これめっちゃ良かった」は批判しませんよ。
でもインターネットにいるような連中ってなにかの好き嫌いを口にする時に絶対にそれを自分語りに絡めてくるじゃないですか。
こないだだって「疲れている時にまんがタイムきらら原作のアニメが楽しかったけど、今見ると全然面白くない」みたいなツイートがありましたよね。
あれって「(意訳:虚無美少女水族館が楽しめちゃうぐらい疲れていた可哀想だった俺ちゃん。不断の努力により人生をV字回復させて離乳食アニメから卒業)」でしかなくて結局自分語りでしょ?
お前それ結局主体は自分語りで作品はマクガフィン扱いじゃねーか作品に対して失礼だと思わねーのかって感じませんか?
つまりですね「三国志おもしろいよね!曹操の生き様がカッコイイんだ!」はいいけど、「主人公扱いされている劉備ではなく曹操を推す俺、物語をただ右から左に読み流すアホとは一味違うだろ?」はマジキメーって話ですわ。
いや本当に「何が好きかで自分を語れよ」みたいなのをインターネットは持て囃しますけど、ハッキリ言って「自分を語るのに何が好きかを使うなよ」なんですわ。
好き嫌いを通してお前を語るんじゃねえよなんですわ。
🐕️「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐈️「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐘「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐎「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐫「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐑「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
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🐍「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐅「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐇「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
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🦅「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
🐧「こう見ると「バカ」がここ数年で右から左・フェミ・ポリコレ全体主義に流れて行った感がある」
推敲してないので途中で口調が変わるけれど許して。ブームが去る前に公開しておきたい。
2000~2001年の話です。そのとき生まれた娘は健康に育ち独立して離れた場所で生活。私は当時の夫とは娘が1際の時に離婚し、その後、娘の高校卒業と同時に別の相手と再婚しました。
前情報だけでおわかりの通り、産後の恨みが原因で離婚しました。そして産前から出産の時も含めて広い期間ダメダメだったので、『産後の恨み』どころか『出産前後およびその他諸々の恨み』が正しいかも。今はもう相手のことを恨んでいることはありませんが、それはスッパリと関係を断ち切ったからであり、今でも共同生活を送っていたなら、頭の中でグチグチと恨みを反芻させ骨髄に入るまで温存させていたでしょう。
当時の夫とはデキ婚でした。この時点で当時の自分を説教したいのですが二十歳そこそこの世間知らずの恋愛脳だった自分には、説教したところで、どんな言葉も右から左に貫通していったこと間違いなし。ほんとにしょうもない。体験して失敗しないと脳に染み込まない。本当のうえで理解したのは全部が終わって数年たったころだったと思う。相手もまた1歳年上の二十歳過ぎたばかりのペーペーです。
この時点でアカンと思うでしょ。私も書いてて「こりゃ、アカンわ」と思ってる。
とにかく妊娠をきっかけに結婚し、新居として安アパートを借り新生活開始。妊娠による体調不良であれよあれよと働けなくなり退職。
田舎だったこともあり『育休産休』という制度はあっても実際に取っている人が周りに居なかったため、辞める以外の選択肢があるなんてその時の自分には思いもよらなかった。男性だって明らかな労災でも自己負担で病院に行ったりしていたのが普通だったため、そういうものだと思ってました。
というより育休とる以前に、安定期入る前に何度も貧血を繰り返し、ホルモンバランスが崩れて顔・体全体にアトピーが出てしかも赤ちゃんのために薬も飲めず、肌がグルート(ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーにでてくる木のやつ)みたいな見た目になって人前に出るのがまず精神的に無理になった。膿んで乾いたカサブタが、振り向くたび、お弁当を食べて大きく口を開くたびにこぼれてデスクの周りが汚れた。客前に出ることはおろか、お茶を淹れることも、書類仕事にも支障が出た。上司(女性)からはその都度迷惑そうに「もうお茶淹れなくていいから」「書類汚れてるので、長袖かつ手袋できないだろうか」「また貧血? もう帰ったら?」と言われた。
「働きたかったけれど、働けなくなった」という気持ちは微塵もなく、逃げ出すように退職して、もう人前に出なくて済むと思ったのが当時の心境。自分視点で書いてるから被害者っぽい書き方になっちゃうけれど、上司視点から見て私は困った対象だったと思う。ギリギリの人員で回している仕事を私の都合で滞らせていたので、迷惑だっただろうなと。当時は優しい言葉をかけて欲しかったけれど、求め過ぎな気がする。今、自分は同じ立場になって、昔の自分のために当事者に気遣いの言葉をかけるようにしている。
ホルモンバランスが不安定で誰にも会いたくない状態で病院通いだけしていたころ、夫の友人がお祝い持って当日にアポ無しで現れた。
こんな顔で人になんて会いたくなかった。しかし部屋が汚かったので、リビングに座ってもらいながら大急ぎで片付け、その周りの掃除機をかけた。すごく迷惑そうな顔をしていたと思う。夫友人が少しだけ話しをして申し訳無さそうにお祝いを置いて帰ったあと、夫には「せっかくお祝い持ってきてくれたのに」と小言を言われた。自分自身も申し訳ない気持ちになって落ち込み、具合が悪いからと部屋で休んだ。
8時過ぎに目が覚め、夕飯を用意してなかったことを思い出して、「ごめん、夕飯用意してなかった」とキッチンへ行った。夫は優しい気遣う声で「気にしなくていいよ。もう食べたから」と。シンクにはカレーヌードルの汁だけ入った箸の刺さった容器と、お湯を沸かしただけなのに、そこら中にお湯が飛び跳ねている状態になっていた。もちろん外装フィルムもそこに横たわっている。なんならストックしてないはずのパックご飯のカラもあったし、ゲームしてる夫の脇にはポテチもあった。コンビニで買ってきたのだ。そして私の夕飯はもちろん買ってきておらず。
その光景だけ見て、私は脱力し再び寝室に戻った。夫から「〇〇(私)の分どうする?」という言葉もなく、朝起きたら、ゴミはゴミのままそこにあった。私のことを気遣ってほしかったし、自分で出したゴミは自分で捨てて欲しかった。けれども、当時は言葉にするのも面倒で、ただ黙ってゴミを捨て、キッチンをキレイにしてから朝ご飯を作った。
夜の生活も続いていた。妊娠のある期間は中出しOKのボーナスタイムという知識はあったらしい。
それで妊娠はしないものの、出されたものがそのまま留まってくれるでもなく、しばらくして排出されたものをトイレで流す必要があって億劫だった。ゴムをしているときより滑りが良いと判断したのか、回を重ねるごとに前工程が雑になっていって辟易した。ついにはキス、胸、即挿入になってビックリした。今、書いてて不思議に思うけれどグルート肌の女を良く抱けたな。
そして臨月。お腹が大きくなって寝返りもうてなくなった。腰も痛いし、便秘になるし、車に乗れば車酔いするし、妊娠期間中は種類の違うあらゆる不調が手を変え品を変え一身に降り掛かった。体型が変わって服も替えなければならなかったが、幸いなことにホルモンも安定期に入ったらしくこの頃には、「ちょっと肌荒れが酷い人」くらいまで回復した。買い物している時、重い荷物など明らかに大変なものは持ってくれたが、かがむ必要がある軽いダンボールなどは放置され、お願いすると「これくらいでも?」と言われ、「これくらいでも」と返した。夫のぺったんこのお腹が恨めしかった。
そして出産。予定日になっても生まれず、あらかじめ病院に入院して陣痛促進剤を打って臨む運びとなった。前もって出産日がわかるというのはありがたい。夫は有給をとって分娩直前まで一緒に居てくれることとなった。(立ち会い出産は断られていた。このころ周囲でもテレビでも今のように「立ち会いがむしろデフォルト」のような時代でもなかったので、そういうものかと受け入れていた)
朝一番から付き添ってくれるハズが夫は来なかった。夫が居なくても処置は進む。促進剤を入れ、やがてジワジワと兆しらしい変化が現れ、そして昼過ぎには痛みは最高潮。それが夕方まで続いた。
夫が現れたのは14時過ぎ。あとで聞いたところ朝方までゲームしていて寝過ごしたそう。出産までの陣痛マックスの時も夫は病室の隅っこの椅子にちょこんと座り、手を握ることもしてくれなかった。原因不明で子どもの心音がとまり、慌ただしく右往左往する先生や助産師さんの邪魔にならないようにしたかったのかも。メチャメチャ苦しがってる私に何をすればいいのかわからなかったのかもしれない。夫は部屋の隅で怯えていた。
原因不明の心停止は、あるとき突然原因不明のまま復活。そして分娩。生まれた。
いざ、産み落とす!となった瞬間から急に助産師さんが鬼軍曹になって叱咤してきて、まじでビビった。命に関わることなので、それくらい追い立てなきゃスムーズにことが運ばないんだと思う。それは出産後の入院時期にも続き。いろんな助産師さんがいる中で、比較的若い人は穏やかに、経験値の高そうな人ほど厳しくビシビシと授乳や寝かしつけ、沐浴などの指導がされた。(そして点滴やらおっぱいマッサージやらは、そういう厳しい人ほど巧い) 結婚する以前までは、自分の目指すべきところは『プリンセス』にぼんやり置いていたけれど、出産した直後からは『ソルジャー』になることを求められた。そうしないと子供が死んでしまう。強く賢く逞しくならないといけない。生まれたての弱々しい我が子を抱いて、自分の目がカッと見開いたような気持ちになった。
入院中、夫はあまり見舞いに来なかった。義両親が来た時に案内して少し話してすぐ帰宅。2~3週間の入院期間の内、来たのは3回くらい。夫が毎日会社帰りに寄って、面会時間ギリギリまで一緒にいる同室の夫婦たちを眺めていたので羨ましかった。
退院の数日前、夫に「◯日の◯時に、車で迎えてにきて欲しい」とお願いしたら、「出産日に休んだので、会社に申し訳なくてもう休めない」と言われた。は? 真冬に、新生児を抱えて、2週間分の入院の荷物と、これからのためにと持たされたオムツやら何やらを一人で家に持ち帰れと???? 私、ついこの間、股が裂けて縫っているので、重い荷物とか持って踏ん張れないんですけど?
退院日なんて入院する前から決まってた。しかも出産日に休みをとったって、お前現れたの午後じゃん! ゲームして寝坊してきて、来たあとも全っっっっ然、役に立たなかったじゃん! 実際の処置は医療者じゃなきゃ無理にしても、励ましの言葉もかけてくれなかったじゃん。さすがにキレて怒った。そしたらキレ返された。「お前に俺の何がわかる!」
全然わからない。苗字も体調も体型も仕事も生活も変わらず、私がこれまで持っていて失ったものをほとんど失わず、健康体で子供のことを気にせず働けて、余った時間でゲームを楽しめる人の気持なんて何一つ。
結局、退院日は母にバスで来てもらい、帰りはタクシーを使った。
帰宅後、愕然とした。部屋が寒かった。お互い地元で結婚し、新居を構えたのでそれぞれの実家が近い。私の入院中、夫は実家に帰ってご飯を食べそのまま寝泊まりをキメていた。人の住まない北国の部屋はひときわ寒い。そしてうっすらとそこら中に積もった埃。休日は家でゲームを過ごしていたらしい場所だけ埃はなく、人型にそこだけ綺麗だった。ゲームもドライヤーもコップも出しっぱなし。何かあればうっかり死んでしまう新生児が私の腕の中に居た。「赤ん坊をウィルスから守って」と言われた退院していた。ストーブを焚き、母に子供をみてもらいながらそこら中を掃除をした。この件に関しては怒ったら素直に反省してくれた。キレ返さないだけでも嬉しかったのを覚えている。
さて、ここから季節が変わるまで記憶が定かじゃない。どうやって新生児期を乗り越えたのかとんと思い出せない。若くして子供を産んだこともあり、体力があった。「母親になった。子供を死なせちゃいけない」という、これまでにないプレッシャーにアドレナリンみたいなものがドバドバ出ていたと思う。夜泣きも平気だったし、数時間おきの授乳も辛いとは思いながらも、病院で指示されたとおりにやれた。私は助産師さんからの指導の甲斐あって『ソルジャー』にクラスチェンジしてたのだ。ある時、友人に誘われコートを着て買い物に出たら、「え、なんで暑いの? 空気が張り詰めてなくて穏やかなんですけど!!?」となって春の訪れを知った。
夫は沐浴とか『これは父親の役割』という分かりやすいことはやってくれた。混合で育てていたので、哺乳瓶での授乳もお願いすれば嫌な顔せずやってくれたし。夜泣き対応も、私の腕が限界になればやってくれた。当時はありがたいと思っていたけれど、今の価値観だと足りてないですね。
ある時、子供に急な発熱があって、でも保険証は夫のカバンに入っていたため、職場に行って受け取り、その足で病院に行こうとした。夫の職場で子供を抱えながら自己紹介し、夫を呼び出すようお願いしたら「この一週間、無断欠勤してます」と。
夫には結婚前から借金があった。遊ぶ金欲しさにどうするアイフルしていたのが発端。会社に返済催促の電話がかかってきて、そこから居づらくなって行ってないと言う。どうして黙っていたのかと問いただしたら「◯◯(私)や、生まれてくる子供のことを考えたら言えなかった。二人を幸せにしないと……と思って、隠し通さなきゃと頑張ってた」と。当時、ニュースで取り上げられてた多重債務の地獄に落ちていた。闇金だ。
それから義両親も巻き込んで話し合い、アパートは引き払って夫の実家で暮らすことになった。生まれて半年くらいの子供は私の実家に預けて私もパートに出た。
この時、社会問題化していたものの、今のように銀行は個人ローンはお断り(家や車を買うのや学資はOK。債務の一本化などは受け付けられませんと審査すらしてもらえなかった)、弁護士が『債務整理承ります!』と宣伝打つようになるのも、もっと何年も先の話。家族ぐるみでひたすらその月、その月の返済に追われた。
正直、アパートでのほぼ子供と二人きりのような暮らしに飽き始めていたので社会に出られることはありがたかった。新生児がいては気軽に出かけられず、夫は帰宅して夕飯を食べたら即ゲーム。こちらから話しかけないと会話が始まらないことがストレスだった。今のようにスマホがあったわけでもなく、重いデスクトップPCを起動して、ピーヒャラーと電子音ならしてネットに繋いでいた時代。世間とのつながりはほぼテレビで感じていた。『ダサいダンナ改造計画』とか、今となっては炎上しそうな内容ですら、貴重な娯楽となっていた。もともとソロ活が得意な方だったものの、自分から一人で過ごすのと、強制的に社会から断絶させられるのとは違う。いつの間にか「外で働きたい人」になっていた。もちろん、子どもは可愛かったけれど、ほとんど寝るか泣くかご飯を食べるかの暮らしで、コミュニケーションが取れるようになるのはもう少し先だった。
それと専業主婦の立場に居心地悪さも感じていた。自分のお金で稼いだものじゃないので、ちょっとしたおやつや趣味の雑誌を買うのも躊躇していたのだ。
自分の稼いだお金で子供の服を買ったときにちょっと感動すらしてしまった。結婚前は当たり前だったのに、自分の稼ぎで必要なものを買うことの『当たり前』に『誇らしさ』がオマケでついてきた。とはいえ、結局稼ぎの殆どは夫の借金返済に充てられていたのだが。
あと外に働きに出て、ある程度自分の裁量で物事を決め、今後の見通しが立てやすい作業は子育てに比べてとてもやりやすかった。
そして夫実家で近居の義兄からこっぴどく叱られたことがあった。義兄もまた夫の作った借金のため金策に励み、会社をクビになった夫の働き口を探してくれていたのだ。それを知らず、夫婦で食材の買い物に行き、やってきた義兄に対して、義父が『二人で遊びに出かけてる』と伝え、激怒された。
こっちが苦労して東奔西走している間に、遊びに行くとは何事だと。家庭を持つことに対する自覚がなさ過ぎると。
遊びに行ってたわけではないのだが、自覚がないというのは最もだ。もっと『夫を』怒ってくれ……と思っていたら、私も一緒に叱られた。夫が私に黙ってこさえた借金は、親子三人の生活費にも使われていたため、周囲から見れば私も同罪だったのだ。今となっては「それはそう」と思うけれど、その当時の自分にとっては「そうなの?」という気持ちでいっぱいだった。私は自覚のないまま、分をわきまえない借金をこさえた大馬鹿者になっていたことにこのときようやく気付いた。一緒に買物に行って、私のカバンに商品を入れて万引きした絶縁した友達を思い出した。夫は私が叱られている間、ずっと「カミナリがこちらに降りかかりませんように」と空気になっていた。義兄の帰宅後もフォローはまったくなかった。この時、夫の中では「お前のせいで借金が膨らんだ」と思われていたのだ。
その後も夫は新しい職場でもうまくいかず、家出もした。もうこの頃には「怒って詰めたら、話し合いまで発展しない」と分かっていたので、諭すようにこれからのことを話した。……が、「もう無理。人間はそんな簡単に変わらない」と弱音しか吐かなくなり、ついには「お前、変わったよな」と言われた。私は出産をキッカケに『ソルジャー』になった。しかし夫はまだ私に『プリンセス』を求めていた。
家出中に何をしていたのか、今後のために携帯のチェックをさせてもらったら、出会い系に登録していた。この頃は『メル友募集』とかそういうヤツだ。実際に出会うところまではいってなかったけれど、出会おうとしているところまでは確認した。夫は自分を慰めてくれる『プリンセス』を探していた。
そこからは自分の実家を頼り、出戻ってお互いの両親を交えて話し合い。養育費が払えるとは到底思えなかったので、最初から請求せず。代わりに面会もさせない運びとなった。夫はその頃にはもうとにかく「自分だけがかわいそう。この世のすべてが自分を傷つけにくる敵」みたいな状態に陥っていたので、子供に執着もなく揉めることはなかった。生活の中で新しく二人で買った家電や生活雑貨はすべてこちらで引き取ることとなった。ほとんどは私の独身時代の貯金から出していたので異論はでなかった。しかしプレステ2だけは譲ってくれなかった。それくらいの執着を私と娘にも向けてほしかったと思う。
若気の至りで周囲の人に迷惑をかけた。その恩返しではないけれどやがて訪れた実父の闘病生活はできる限り付き添い、実父が亡くなり一人暮らしになった実母にも、今も頻繁に実家を訪れ日常の買い物や困り事を解決したりしている。(義父除く)義実家は一緒に暮らしている間によくしてくれたので、今でも申し訳ないと思っている。孫の成長も見せたかったが、連絡を取らない取り決めに巻き込んで会わせていない。
いろいろ私視点から書いたので夫の言い分もあると思う。振り返ると二十歳過ぎたばかりのアンチャンには荷が重すぎたとも思う。
夫には良いところももちろんあったし、私にも至らない点が多々あった。さらに離婚することで借金から逃げたとも言えるし、今の価値観で判断すると、子どものために養育費は請求するべきだったかもしれない。
長々と書き綴ったアレコレもそれぞれが離婚の原因にはなったものの今となっては大方許せる。時が経てば大抵のことはどうでも良くなるし、人を恨み続けるほどの胆力は、その後のシングルマザー人生で別のところで必要になったため雲散霧消した。
でもそれでも出産日に寝坊して遅刻してきて退院の時に迎えに来てくれなかったうえ逆ギレしてきたことと、借金を隠して、さらにその理由に「私と娘のため」と発言したことは、今でも絶対許さないと思っている。
会社で扱っている機器のメンテナンスを担当しており、機器を設置してある客先に車で訪問することがある。
そのとき、初めて訪問した客先で担当者と雑談をしたが、何を話したかマジで何も覚えてなかった。帰社後その客先の担当者と顔見知りの上司に「担当の〇〇さん面白い人でしょ?俺のことなんか言ってた?笑」と聞かれたが、仕事の契約でこうこうすることになったという結果は覚えているが、雑談で何を話したか全く覚えておらず具体的なエピソードが何も出てこなかった。
上司を助手席に乗せて客先へ車で向かった時、自分は以前訪問したことがあったのだが、カーナビに出てこない分岐の道があり、どちらかが正解でその分岐を進まないと客先へ辿り着けないのだが、どちらが正解か全く覚えておらず、不正解の道は進んでしまい、「お前来たことあるんだよな??」と上司を呆れさせた。
普通の人間は雑談の内容や、初めて訪れた場所で通った道とかある程度覚えてると聞いて驚いた。発達障害者の自分は、雑談の内容を記憶しようとするなら、「雑談の内容を記憶して上司に報告しなきゃ」とスイッチをオンにし集中モードに入り、メモを取らないと記憶できない。こうでもしない限り、右から左へ話の内容が抜けていき、何も記憶に残らない。車を運転する時もそう。この分岐はこっちが正解!!とメモを残さない限り絶対忘れる。
そうだよ アホだよ
わかってるねえ
でもアホのことを「アホ」としか言えないのはおんなじアホなんよね
ゴミの事を資源と呼べずに「ゴミ」としかいえない人間や社会はゴミなのとおんなじ
地面から湧き出る油とか動物の死骸なんかを転売できないくらいにまで値段を下げないと買わないのに
自分たちが転売できる差額がないことについては「原価が」っていうのはアホだよね
そういうアホって名前の消費者がほとんどを占めてくれてるおかげですこしの生産が助かってる
ありがたいね
ほとんどの人間がそれを右から左へ渡す作業を仕事って呼んで金銭を得ては
そういうアホしか育たない環境で儲かる立場が存在してて、それがルールを作ったり維持する公務員なので
アホ製造機でアホ推奨なんだよね
アホでいられるわが国は最高ですよみたいな
いつものように昼飯を食べながらスマホでニュースを読んでいたら視界がおかしいことに気付いた。
文章を読むとき、大体4~6文字くらいを同時に認識して文章を読むと思うんだけど、その中の後半1~2文字くらいが盲点になっているようになって読めない。
視線を数文字横にズラせば文字は読めるが、やっぱり一度に認知できる文字は3~4文字くらい。
視野の98%くらいは普通に見えているのに、ちょうど、文章を読むときのちょっと先が見えない。
このストレスは思ったよりもすごい。
試しに横書きの文章を右から左に読むと、一応読むことは出来る。当たり前か。でもものすごく疲れるし、一文が長いと無理だ。
片目をつむったりしても盲点はなくならないが、気持ち読みやすい気がする。おそらく片目を瞑った状態の肉体的な刺激と視界が一部奪われるのは似ているから?そんな気がする。
新鮮な経験だったので色々と試してみたけど徐々に盲点が大きくなってきた。
今日は運転をする予定は無いけど、資料を読みながら電話で打合せをしなければならない。
仕方なく前もって資料を読んでおくことで何とかなった。
視野が欠けるのはたまにある。梅雨のこの季節が圧倒的に多くて、この症状は1時間程度で治まり、そのあとでとんでもない頭痛が来る。
初めては中学生のころで、部活でへとへとに疲れて家に帰ったら徐々に視界が狭まって、最終的に4割くらいが見えなくなった。
視界は戻ったが、それと引き換えのように地獄のような頭痛に襲われ、次の日は微動だに出来なかった。
太陽光の眩しさが頭痛を悪化させるので、貴重な休日を一日中窓のないトイレの暗闇で過ごしたこともある。
今ではすっかり慣れて、むしろ頭痛を予告してくれる症状としてありがたいとさえ思う。
いつものパターンでは視界の端が見えなくなることが多いのだけど、今回は珍しく視界の中心に近い場所、それもよりによって滅茶苦茶邪魔な位置に視界の欠けが発生した。
珍しいパターンだったので記録しておく。
あ~~~~~~~~~~~~ちょうど頭が痛くなってきたいててててててて
とりたてて高給取りでもない会社員や、キャリアではない公務員がこのご時世に億超えのタワマンor土地から注文住宅+アルファードとサブカー買って子供3人いて…みたいなの、周りにゴロゴロいてびびる。というか自分の知ってる子育て世帯、8割方そう。なぜそんなに右から左に金を動かせるのか。順当に考えたら実家が太いのかなって思うけど、それにしたって実家太い人多すぎない?
いや自分も定義上は金持ち側というかギリギリで超富裕層なんだけど、統計上の話と実感が全然リンクしなくて内心ちょっと凹むというか、…親から色々なものを贈与されて金融資産が5億を超えたとき、正直自分超富裕層ですよって調子に乗っていた節があったのは否めない。なのに周り見てたらこんなの実は全然普通なのかなって…まあ多分錯覚なんだろうし、人前ではこんなこと言えないけど…
私の資産は自分の力で得たものではなく、会社経営者の親の力によるものである。教育も習い事も散々金かけてもらったためそこそこ学歴があり年齢の割には高所得だとは思う。ただ容姿は本当に悪くて、整形以外のあらゆることをしてかなりましになったとはいえ、結局陰キャブスのカテゴリからは卒業できてない気がする。金があることの利点の一つが、初対面で顔のことバカにしてきた輩に「でも多分お前より私のほうが金持ちで色んなことできて財界人とも子供の頃から知り合いだけどな」と心のなかでやり返せることである。筋トレしてる人が「いざとなったらこいつ殺せる」みたいな心のゆとりが持てるってどこかで見かけたが、気持ち的には似てるかもしれない。筋トレと違うのは自分の力ではないことでイキってることかな…でもTikTokでイキってる美男美女だって顔ガチャという自分の力ではないことで調子乗って、何ならブスのこと見下してる人も一定数いるし、本質同じなら別にいいよねとは正直思ってる。
実際のところ、5億超あったところでそのうちの何割かは投資に回すから動かせないし使えない。なんだかんだ残り金融資産を数えると、、あまり贅沢はできない。数万〜数十万のプチ贅沢、生活に不自由を感じない、それだけ。
インスタで数千万の車沢山持ってて豪邸に住んでる人見ると、ああ自分イキってただけで全然庶民じゃん…ってなって凹む。クソデカい承認欲求と不釣り合いなよくいる小金持ち笑笑笑 ってさ…
顔のことバカにしてきたやつに、それだけは勝ってるって思ってたから耐えられたけど拠り所無くなるじゃん、勝てるとこないじゃん。もういっそ筋トレしたらいいのかな