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はてなキーワード: 似非科学とは

2018-06-25

結局先生

何がしたかったの??

かにありのままの主張を認めて欲しかったの?

他人低能って罵るのをそうだねって認めて欲しかった?

似非科学云々は直接見てないから主張分からないんだけど賛同写見つかりそうなものだったのかな…

2018-05-16

anond:20180516212400

似非科学とまでは言えないけど、彼らが謳ってる効能を信じるのは難しいね

物理的に刺激を与えているから何らかの影響はあるだろうけどそれが良い方かどうかはわからない。

2018-04-01

anond:20180401103215

もちろん本気にしている訳ではないと前置きしたうえで言いたいが、似非科学ではないと思うよ。

ちなみに今使ってる財布は兄のお下がりから実質0円…。従って年収の目安も0円なのか?

2018-01-27

食べたいものだけを食べたい

1年前まで、同棲してた元彼を養っていた。

元彼は精神的な問題で働けず、貯金もないので、

家賃光熱費はもちろん元彼の携帯代を払って、お小遣いも渡していた。

その時の私の年収が額面で300万にちょっと足りないぐらい。

フルタイムで働いて朝晩のご飯を作っていた。

元彼の母親は、似非科学信者で、経皮毒とか農薬を使った野菜の毒性などの情報一方的に送ってきた。

(うちの息子に変なものを食べさせるなと、監視されてるようで辛かった)

とにかく元彼が飢えないように、栄養がちゃんと取れるようにっていうのをずっと考えてた。

そんな状態が何年か続き、突然私のメンタルが駄目になった。

同棲を解消し、一人暮らしを始め、転職もした。

年収も100万以上あがった。

同棲してた時の習慣で、今も自炊を続けてるんだけど、食費にお金をかけられるのが楽しい

今まではスーパーで5キロ2千円のお米を買ってたのに、今はその場で精米してくれるお米屋さんで2キロ2千円のお米を買ってる。

それ以外にも、卵とかチーズとかハムとか、安くて量が多いものから、高くてもいいから1人で食べきれるぐらいの 量があまり多くないものを買ってる。

農薬とか添加物とか栄養バランス特に気にしない。

材料費のことは考えず、自分が今食べたいものを作る。

自分の作った料理を誰かが喜んでくれるって、すごく幸せだと思うんだけど、しばらくは自分のためにご飯を作ろうと思う。

つのまにか三十路も越えたし、これから誰のことも好きにならず、ずっと1人で生きていくかもしれない。

他人から見たら、寂しい人生って思われるかもしれない。

でも、気兼ねなく自分の食べたいものを買える、食べたいものを作れる環境絶対手放したくない。

2017-12-13

anond:20171211124410

自分判断で決めたらいいよ。付け加えるのなら、科学とは、一般化と検証可能性大事

だけど、要素が多く絡むものほど一般化が困難、かつ、撹乱要因が多いため明確な結果が出にくくなるということがある。

人体や、社会についてはとくにそうだ。とくに、経済学なんか、金が絡んでいるため、論文になってるようなものだって怪しい話はいっぱいある。

から批判も加えられる。批判も共に見て結局判断するのは自分自身

「○○は危ない」みたいに批判の方がおかしいことだってあるのだし。

あと、似非科学にも、「どちらともなんとも言えないもの」「有害もの」とがある。

健康に良い影響。というのはなかなかデータを出すのが難しい。上記撹乱要因は人体はとても多いから。

から信頼度によってのランク付けの指標もある。根拠に基づいた医療で示されてるが、この最高ランクなんてのはまあ、よっぽどの大企業投資する価値がないとデータ自体が取れないね

ランダム比較試験メタアナリシス

「新しい診断検査gold standardとされる検査とを同時に行い、ブラインド(他方の検査結果を知らせない)で検査特性(感度と特異度、ROC曲線)を評価

対象者数が200人以上、平均(あるいはメディアン)追跡期間が5年以上、脱落率10%未満」

を兼ね揃えたようなもの

しろ、このへんの試験要求されるからこそ、新薬の値段がべらぼうに上がってるという側面もある。医療保険を使う以上やむなしとこだが。

だが、日常生活なら「どちらともなんとも言えないようなもの」ぐらいだったら別に科学をそこまで気にすること無いよ。それより自分自身感覚大事

ついでに、詐欺の手口について頭に入れとくと良いのもある。

有害もの(高価に対して異常な高額を要求される)」はさすがにやめさせたほうがいいが。宗教だって霊感商法絶対やめさせるべきもの

2017-12-11

似非科学に関して青春時代の思い出を交えた個人的考察

 似非科学というのはいつの時代もなくならないものだ。パッと思いつく例だけでも、血液型性格診断ゲーム脳環境ホルモン水素水マイナスイオン、等々、枚挙に暇がない。多くはマスコミによって支持され、テレビ番組特集が組まれ、その科学的根拠あいまいにも拘らず世間に流布されて浸透する。テレビ番組などはあたかもその説を「検証」しているかのような映像を作り、怪しい肩書専門家コメントを添える。視聴者の多くはなんとなく「科学的に証明されている説なんだ」と信じ込み、疑問を持つことなく受け入れてしまう。一億総白痴化社会の完成である最近ネット上で多くの意見を比べて読むことができるので、情報収集能力の高い人たちはそこまで騙されやすくないとは思うが、未だテレビ新聞が主な情報源である人たちにとっては、上述の似非科学が今でも信じていることが多い。特に血液型性格診断などは、宗教のように信じ込んでしまっている人も相当数いるだろう。

 私も子供の頃はこれらの似非化学に騙されやす人間だった。最近ほとんど見ないが、昔はテレビが娯楽の中心だったこともあり、夕食時などはよく見ていたものである特に捏造問題で打ち切られた「発掘あるある大事典」などは、親が好きだったこともあって毎週見ていた。その中で血液型性格診断特集を何度か行っていたことは、今でも何となく覚えている。番組の中で「数名の幼稚園児を血液型別に分類してその行動を観察する」という検証が行われており、ものの見事にその血液型の特徴が行動として現れていた。見ていた私は「やっぱり血液型性格には関係があるんだなー」とぼんやりと納得していたが、今になって思い返してみれば数名の幼稚園児の行動で結論を出すのは早急すぎるし、番組が「○型かつ××な性格」の幼稚園児を数名集めることな造作もないことだし、そもそも集められた幼稚園児の血液型が本当に表示通りだと証明する根拠は何も無い。極めつけはあの「あるある」である。そういえば「あるある」マイナスイオン特集も何度かやっていた記憶がある。まあ、放送内容の真偽を検証するのは今となっては不可能に近いことだからやめておくにしても、心理学会において血液型性格判断の真偽は何度も検証されており、いずれも関連性を肯定するものがないことから、かの理論が出鱈目であることは疑いようがないだろう。

 しかし、科学価値は小指の爪の垢ほどもない血液型性格診断であるが、この似非化学が私に教えてくれたことが二つある。それは「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」ということと「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」ということだ。付け足すなら、当時私はまだ純粋ティーンエイジャーだったので、「大人は平気でうそをつく」ということも学んだと言えよう。

 私が初めて血液型性格診断反証する意見に触れたのは、中学二年生のことだったと記憶している。当時別段読書が好きでもない(むしろ嫌い)だった私が、たまたま休み時間図書館に立ち寄り、ふと目に留まった一冊の本を手に取ったのがきっかけだった。それは村上宣寛という方の著書『「心理テスト」はウソでした。受けたみんなが馬鹿を見た』(2005、日経ビジネス)という本である。新作であったこの本は本棚の上に表紙が見えるように立てられており、そのセンセーショナルタイトルに興味を惹かれたのを覚えている。

 10年以上前に読んだものであるためにうろ覚えな部分もあるが、本の内容は大きく2つに分かれていた。前半が血液型性格診断への反論、後半はまた別の心理テストへの反論が主であった(後半の内容は忘れた)。本文の中で、今日血液型性格診断の源流である能見正比古氏の著書をけちょんけちょんに貶し、また血液型性格診断のような「占い」を人に信じ込ませるための心理テクニックであるバーナム効果」についても詳しく説明があったと記憶している。

 当然、本の内容は著者の考えであり、本の内容が絶対的事実であるとは(今となっては)思わない。しかしこの本の内容は、血液型性格診断科学的根拠のある学説だと何となく思い込んでいた私にとっては、とても衝撃的な物であった。血液型性格診断のものというより、これまで固定観念的に信じ込んでいた常識が、脆くも崩れ去った瞬間で、まさしく目から鱗であった。活字嫌いな私が、数日図書館に通って本を読んだのは、(マンガ喫茶を除けば)後にも先にもこの時だけであろう。「借りて読めよ」と言われるかもしれないが、当時の学校図書館ルールで、新作は借りれなかったのである

 新しい知識を得たら人に言いふらしたくなるのが能のないアホウドリの常である。当時は全盛期こそ過ぎたものの、血液型性格診断世間一般根付いており、それを否定する論調は(少なくとも大手メディアでは)ほとんど存在していなかった。要するに「他の誰も知らないことを自分けが知っている」ような状況だったのだ。腕のケガだと偽って毎日手に包帯を巻いて通学していたリアル中二病の私にとって、これほどドヤれる材料は無い。とは言え、何の脈絡もなく血液型性格診断の話をするのも変である。友人との会話の中で血液型の話が出てくるのを待ち、出てきた瞬間にこれでもかと否定する。それによって「頭が良い奴」と思われて皆からちやほやされる。正に完璧計画だった。

 ところが、実際に反論してみたところ、いずれもあまり芳しくない結果に終わってしまった。どや顔血液型性格診断否定しても、「でも何となく合ってる気がするし…」と、決まって歯切れの悪い反応しか返って来ないのである挙句教師からも「屁理屈ばっかりこねるな」と言われる始末。今となってはどちらが屁理屈なんだと思わざるを得ないが、確かに思い返してみれば、血液型の話でわいわい盛り上がっている時に、キモいデブどや顔否定して来たら、場が白けてしまうのは明白だろう。要するに私の敗因は、イケメンではなかったこである

 冗談はさておくにしても、それ以降、私は血液型性格診断の話が出てきた時、余程仲の良い間柄でなければ、ニコニコして受け流すようにした。まさに2017年現在でも血液型性格診断肯定論者の方が言うところの、「否定する奴はモテない」という説を支持する対応であった。情けないとは思うが、当時ただでさえ友達が少なく、これ以上周りから孤立するようなことは避けたかった私を責めることなど出来るだろうか。ちなみに今は目上の人でなければそれとなく否定している。相変わらずチキンであった。まあ、事実事実として、TPOに合った会話合わせというのは必要だと思っている。

 そこで私が学んだことが、先の「人間客観的事実よりも自分が信じたいものを信じる」「何かを信じ込んでいる人間を説得しようという試みは大抵徒労に終わる」の二つだ。血液型性格診断を信じている人に、上述の心理学会の話や、バーナム効果の話をしても、決まって返ってくる言葉は「でも何となく当たってる気がする」「私の周りでは当たっている」と言ったものだ。査読のある学術誌に投稿された数千人規模の調査結果よりも、自分の身の周りの数名の事例を優先するのである。当然その事例には得てして強い確証バイアスが掛かっているのだが、本人はそれに気付くことができない。「客観的事実よりも自分が信じたいことを信じる」典型である

 これは、似非化学に限らず社会の中のあらゆる現象に対して言えることである。例えば昨今、「若者の○○離れ」という言葉をよく耳にする。○○の中には、テレビ新聞、車、バイク、酒、読書など、ありとあらゆるものが入り得る。そして、その原因は大抵若者帰着させることが多い。「最近の若者は人との関係希薄から酒を飲みながらのコミュニケーションをしないのだ」とか、「世間政治に対して無関心だからテレビ新聞を見ないのだ」とか、とりあえず若者悪者にするような結論が多いが、決して「社会の変化によってニーズも変容し、製品価値相対的に下がった、すなわち製品自体時代の変化に追いつけなくなったのだ」といったような、自らに責任帰着させることは決して言わない。やはり自分が信じたいことしか信じていないのである

 また、血液型性格診断を信じている人の共通点として、否定しようとすればするほど攻撃的になって反論するというものがある。先の中学生の時の教師がその典型例だろう。理論的な反論が出来なくなると「屁理屈をこねるな」と論点をずらして逃げるのである。「否定する奴はモテない」というのも同様で、血液型性格診断の真偽について反論しているのに、「モテるモテない」の話にすり替えさら相手を「お前は場の空気の読めないモテない人間だ」と罵倒しているのである。そうなってしまうと、もはや冷静な会話は成り立たない。こちらがいくら事実を述べても、返って来るのは罵倒だけであり、最終的に相手が逃げてしまうのである。そこに残るのは無駄時間の浪費と徒労感だけで、何ら生産性のない労力を費やされることになる。

 こちらもやはり社会全般で言えることだ。例えば「若者犯罪ゲームアニメによる影響だ」などの持論を展開する人に、「若年層の犯罪率は年々下がり続けており、反対にゲームアニメ市場は伸び続けている。」と反論しても、恐らくその後は謂れなき若者批判罵倒くらいしか返って来ないだろう。論理的反論を受け入れられない人間にとっては、実は事実などどうでも良く、会話を勝ち負けを決める手段としてしか考えていない。そして自分が負けるのが嫌だから最後子供のような罵倒に終始し、逃げてしまうのである。こういった手合いは、「自分の非を素直に認められない」ことも共通点と言えるだろう。人間であれば誰しも少なから負けず嫌いな側面は持っているが、この手の人間特にその傾向が強い(と何の統計的データもなく私の主観でそう思っている)。

 似非科学のような嘘を信じ込んでいる人は、宗教信者に近い。もちろん宗教否定している訳ではない。宗教というものは、「事実か否かを証明する術がない」にもかかわらず、「否定は許されない」というのが特徴である。これ自体別に悪いことではなく、「鰯の頭も信心から」と言うように、それを信じることによって本人の精神的支えとなるのであれば、それで良いと個人的には思っている。客観的証明できなかったとしても、個人の中で信じていれば問題はないのである。ただし行き過ぎると他者に対する不寛容に繋がり、戦争弾圧に容易に発展してしまうため、注意は必要である仏陀キリストと「顔を描いてはいけないあの人」の誰が一番偉いかというような論争は、決して行ってはならないのである(仏陀キリストが同じアパートの一室で生活しているマンガはあるが)。

 「宗教」と「似非科学」の明確な違いは、前者は「事実かどうかわからない(事実であることに重きを置いていない)」のに対し、後者はそれが「明確な嘘」だということである。明確な嘘を流布すれば、社会に対して損害が生まれる。血液型性格診断であれば、近年問題になっている「ブラハラ」なる差別を生じる。ゲーム脳であれば、本来何も悪くないゲーム会社風評被害を受ける。水素水であれば、医学的根拠のないただの水を健康に良いと信じ込んで高額な値段で買わされる消費者が現れる。そして、損をする人の裏側では、他者を騙して得をする悪人存在しているのである。大抵は嘘っぱちの本を書いた奴とその取り巻きだ。

 だからこそ似非化学は撲滅しなければならないし、似非化学の考案者やそれを流布するメディア批判されなければならない。日本表現の自由保障されているから何を言おうと自由であるが、それはあくま公序良俗に反しないことが前提であり、嘘によって不正利益を得るのは詐欺である表現に対して批判を行う自由もあるのだから客観的に見て明らかに事実と異なる論説に対しては、毅然とした態度で批判すべきである

 そして、一般消費者である我々は、常にその情報事実であるか否かを見極める努力が求められる。媒体を問わずメディアは平気で嘘をつく。他人に言われたままのことを信じる人間は、その情報が誤りであった場合他人責任を求めがちである。何が正しいか自分判断し、自分責任において選択する力こそが、情報化社会を生き抜くために必要スキルと言えるのではないだろうか。

 似非科学流行は、社会におけるメディアリテラシー成熟度合いの指標と言えるかもしれない。

2017-10-22

anond:20171022072708

科学主義というのは「仮説がある」「検証がある」「有意な結果がある」の3点整ってないとならんからね。

けど、その間に撹乱要因がある。

から物理科学あたりの自然科学なら大分科学は強いんだけど、

経済学を含めた、社会科学医学だと撹乱要因が多すぎて、厳密な有意な結果が出るのが困難か、べらぼうに費用がかかる。

まあ、物理だって原子の動きをシミュレーションできるのはせいぜい数百個程度の話であって、

それ以上になると、絶対近似が入る。

有意な結果も微妙ライン上の基では数を増やして対応しないとならないんだけど、そうすると、仮説の方で、標準化を派手にかけてやらんとならない。

医学は人体の安全があるから、金をかけてでも二重盲検とかやって対応する。けど、薬なら二重盲検できるけど、手技的なものはできない。

検証としてのランクは落ちる。

まあ、そのあたりの科学主義限界があるから、どうしても医学は薬偏重になるんだよね。あるいは、べらぼうな効果がある手技に中心になるか。

ちょっと健康にいいかもしれない食材なんてもの似非科学烙印はられがち。安いものなら自分がやって効果があると思えばそれでいいと僕は思うけどね。

だけど、経済学あたりはもう怪しい近似がいっぱいだよ?

しかも、ビーカーは国全体で一つだ。

さらに、金かけれんから、まともな検証もしてないのもいっぱいだ。

とすると、過去知識の蓄積を大量に学んで、その中での試行錯誤していくしかないんだよね。

失敗したモデルは失敗したと認めないとならない。

共産主義の失敗の本質官僚主義と、トップ自己愛権力欲だと思う。

けど、こんな数式化できないものモデルに入れてなんてできないよ。せいぜい「自己愛権力欲で暴走する懸念があるから、それをなくす枠組みを作る」

ぐらいしかできない。

2017-09-20

何か共感できない理屈判断がされている時に

http://b.hatena.ne.jp/entry/mubou.seesaa.net/article/453600893.html

麻雀ルールを知らない、難しくて一人では理解できない人が周りでリーチだなんだと言っているところに牌を集めて並べてみてそりゃ役になってねえよ、何がしたいんだ、帰れ、と言われたら「麻雀ルール万能主義者攻撃された」とかい言葉が出てくるのもおかしくはないと思う。だからといって初心者が作ったでたらめな麻雀牌の並びがルールに従っていることにはならないけど。似非科学に人がハマるのは、科学という方法論を学校が身につけさせることに失敗した人の理解あやふやさに合っているからで、それを解消するのは寄り添いと教育なんじゃないかな。

掛け算順序問題議論している暇があったら小学校教育をしてほしいよな。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170831081325

他所様は知らんけど、俺はあの騒動について、「炎上している事自体は」関心なかったよ。

話題に登ったら、科学検証をする人もいるだろう。反証する人もいるだろう。

で、僕は水素水研究をできるような立場でもないから完全に外野だし、そもそも水素水で謳われてる抗酸化作用なんざ、ビタミンCあるじゃん?と思ってた。

そんな世の中の議論全部なんて付き合ってられないよ。

ビタミンCもかなり色々論争が分かれてるのも知ってる。ビタミンCは万能という訳でもなかろう。

まあ、俺はビタミンC効用があるとは感じてるので、大目にはとってる。

さて、これは似非科学なのかな?

健康食品と「科学検証

健康食品似非科学が多い!そんなにはまるとはけしからん。という話がある。

では科学とは何かというと、検証をしているか。という事になる。

検証大事なのは誤差をどう評価するか。

物理あたりはまあ個体差が少ないからブレが少ない。だけども、化学生物、人体、心理社会となるにいたがって要因が増えて誤差が増える。

医療は人体への作用から、誤差が多い。それではいけないということで、「根拠のある医療」というのが提唱されている。

これは何かと言いえば「誤差をなくす検証ごとにランク付けをする。」「検証方法ごとにランクづけされて上位のものを信頼する」

僕も完全に頭に入り切ってるわけではないし、誤読してるかもしれない。

その上で僕の知る限り最高ランクというのは

被験者検査実行者、測定者をみんなバラバラにして、それぞれがどんな対象を与えているのかわからなくて(二重盲検、三重盲検)」

しかもそんな比較実験を多くの人がしていて、それぞれが良い評価で(メタアナリシス)」

被験者が200人以上で、5年間90%の人をきっちり追跡しきっている」

というもの。考えただけで金かかるよね。最近の薬の開発に金がかかるというのは、むしろ、この誤差をなくすための試験、追跡に金がかかるという話。

がんとか脳疾患とか心臓関係とか命がかかってるのとか、重度の慢性疾患とかなら、もし治せるのなら、こぞって買い求められるから金をかけても回収できるだろうから金かける。

痩せることができたとか、シミが減ったぐらいのことでこんなに金かけないよ。競争相手はいっぱいいるんだから

そもそも痩せるのに一番いいのは「運動+やや低カロリー継続」という一般食費の範囲でできる手法で、ダイエット関係はこれと競争しないとならない。

しかも、手法については個体差がある。同一の特性を持つ人を集めて検証したらとなると難しい。漢方とか鍼灸あたりの検証が難しい理由

あの辺りは相手の症状を見てそれで調整するけど、その特性の分類をする時点で盲検なんてぶっ飛ぶし、対照群として何もしないのも設けないとならない。

けどさ、病気直したくてきてるのに「何もしない」ような病院に誰が5年間も来続けるのよ?

それでもできるだけバイアスを減らすように努力はするが、上の金かけて盲検や被験者多くて追跡をしきる試験に比べたらどうしてもランクは落ちる。

とすると、「どこまで科学検証をするか」なんだよね。「科学検証をしているか」「それがどんなものか」を表に出せるしかないし「それを見て、実感した人が自分判断するしかない」

やすリンゴダイエットだとか納豆がどうだとか、トマトがどうだとか、ヨーグルトだとかビタミンCぐらいだったら、自分がやってみてよかったぐらいでもいいような気はする。

問題は高い健康食品霊感商法だとかが売ってるケースなんだよねぇ。

まあ、そう考えると「どういう調査をしたか」を表に出すかぐらいでしかない。

けど、「どういう検証をしてそれを信じるか」だけの話で会って、「似非科学」と全部断罪できるものでもない。

「高価だが検証しきれてない」という有害性の科学的根拠があるもの以外は別にそこまで目くじら立てるものでもないとも思う。

2017-08-30

https://anond.hatelabo.jp/20170830212324

医学論文って、ガチ大金使って二重盲検とかするの以外は全部主張者のバイアスかかるからなぁ。

似非科学を笑うが似非科学を笑えないのが多い。

ただの健康食品レベルだったらそもそも二重盲検かける金がないし、批判者も疑ってかかって二重盲検どころか疑い側でバイアスかかっててもうカオス

2017-08-03

ネットに現れた警察を一覧にしたい

ポリコレ警察

似非科学警察

誤字・脱字警察

他にはどんなんがあるん?

2017-07-27

はてな民似非科学批判は単なる雑学

100キロ人間は浮くのに10キロダンベルは沈む

その理由は当然、質量

でもこれは科学じゃない。クイズと一緒。単なる雑学

科学的ってのは証明できないと意味ない

はてな民はこんな簡単算数レベルのことも証明できないくせに科学を語ってる恥ずかしい人たち

お前ら似非科学批判ができるくらい科学に明るいんでしょ

じゃあ、なぜ円環の虹を観測できるくらい簡単説明できるよね?

http://gigazine.net/news/20170727-circle-rainbow/

世にも珍しい「全円の虹」がロシア撮影される

2017-07-26

不倫話題で気になるのは似非科学を持ち出す奴が多いことだな

2017-07-22

町内フローラって本当なの?

似非科学に厳しい理系はてなーの皆さんが追及しないってことは本当なのかな?

2017-04-23

もやもやする商売方法

閉店セール(本当に閉店するとは言っていない。実際には同じ場所リニューアルするだけ)

・間違って入荷したので買ってください(本当かそれ?)

似非科学(水素水の次はなんだ?)

転売(転売屋以外喜ばない)

2017-01-31

何でpc棍棒批判似非科学信奉と等号で結び付くと確信したんだろ?

2017-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20170126154745 (改行有り版)

化粧が嫌いだった.

より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.

理由はいろいろある.

第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.

そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.

思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.

大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.

美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.

人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.

顔というのは社会活動必須アイコンからだ.

から人間の顔は美しくはないが面白い.

話がずれた.

雑誌モデルなどについてはどうだろう.

確かに彼らは美しいような顔をしている.

彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.

彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.

彼らは芸術品だ.

相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.

人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.

そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.

おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).

化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.

それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.

芸術品になりたいわけでもあるまいし.

猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.

第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.

それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.

それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.

マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.

そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.

その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.

それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.

生意気は死だ.

思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.

そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.

それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.

それが大人になるということだとしても.

第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.

蔓延似非科学.

薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.

コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.

当たり前だ.

人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.

乾燥していることは肌には負担だ.

なので保湿はメリットがある.

ただそれだけの話.

睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.

たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).

そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.

「化粧をしていないものには死を.

肌が荒れている? 生ぬるい.

それはあなた努力不足だ」.

このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.

とんだ生存バイアスだ.

「この商品が効きました」というレビューがある.

わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.

思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.

しかたのない話だ.

肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.

分かっていないことの方が多い.

結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.

なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.

「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.

なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.

それが基礎化粧品だ.

カルト宗教じみている.

社会悪だ.

吐き気がする.

使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.

そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.

重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.

それは心の平穏に繋がった.

他人を称賛することもできる.

そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.

化粧をした自分の顔は好きだ.

スポンジのように様々な知識収集した.

こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.

周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.

熱意はたかが知れている.

そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.

無理をしたって仕方がないのだ.

だいたいなにか目的があるわけでもない.

わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.

ファッションなどもそうだ.

女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.

一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

化粧が嫌いだった

化粧が嫌いだった.より正確に言えば大人の女性は化粧をするものだという社会通念が嫌いだった.理由はいろいろある.第一に,化粧をしていない人間の顔をそこまで醜いとは思えない.そうであるのにまるで化粧をしていないことをとても悪いことのように扱う風潮が嫌いだった.思うに人間の顔というのは誰も皆適度に崩れているもので,そこには面白さがあると感じる.大前提として人間の顔はそれほど美しいものではないように思う.美しいものを見たいと望むなら,人間の顔を見たり人間の顔を無理やりそう作り変えたりするよりも,他のものを見た方がよほど効率的だ.人間の脳のつくりは面白くて,人間の顔を見る(相貌認識ときはたとえば風景無機物を見ているときとは異なる活性化の仕方をするのだ.顔というのは社会活動必須アイコンからだ.だから人間の顔は美しくはないが面白い.話がずれた.雑誌モデルなどについてはどうだろう.確かに彼らは美しいような顔をしている.彼らは化粧をしているからこそ美しいのではなく,そもそもの顔のバランス問題だと思われる.彼らを見て彼らのようにありたい,彼らをまねしたいというのは変な風潮だ.彼らは芸術品だ.相貌認識をする対象ではなく鑑賞物,たとえば絵画や壺のような存在だ.人間の顔はどれも面白いが,万人に好かれる最大公約数的な美貌というのはあり,それは突き詰めていけばごく平凡な顔立ちになるだという話を読んだことがある.そういうひとが一般的美人だと認識され,掘り出されて芸能人モデルなどになっているわけだ.おかげで誰もみな顔がよく似ている(おかげでわたし芸能人名前を覚えられない).化粧とは己の顔の特徴(それはいろんなものがあるだろうが)を消し,平均的美貌へと近づける行為であり,彼らをまねしたい,彼らのようになりたいと考えることだ.それは相貌認識理屈に合わないので納得できない.芸術品になりたいわけでもあるまいし.猿真似のようにみな同じ顔立ちをしているさまははっきりいって気色が悪い.第二に,そういった風潮を納得してしまうためには,自分自身価値観や美意識大衆側に捻じ曲げなければならない.それが面倒くさくて,とびきり惨めな気分になるからなのだ.それは非常に体力のいる作業だし,強い虚無感を感じる.マットな肌や整った形の眉や,バシバシのまつ毛やチークの入った頬.そういったものを「自分にとっても魅力的で,価値のあるものだ」と思いこまなければならない.その上で,どうすればそういう要素の自分顔面再現できるかを学習し,実践しなければならない.それは考えるだけでも憂鬱なことだが,一般的にそういうものが「良し」とされている以上,化粧文化(あるいは女性社会)に自分も「一緒にあ~そぼ」と仲間に入れてほしいと望むのなら,そんな甘えたことは言ってはいられない.生意気は死だ.思考停止をして,スポンジのように「良し」とされているものを吸収していかなければならぬ.そうしていると,次第に自分にもそういった価値観が芽生えていく.それは努力の成果であるが,一方で,自分がかつて憎んでいた存在自分自身が成り果てているさまにひどく落胆させられる.それが大人になるということだとしても.第三に,特にスキンケアについて,はっきり言って胡散臭いからだ.蔓延似非科学薬事法を逸脱してはならないがために生まれあやふや表現の数々.コラーゲンヒアルロン酸プラセンタ,保湿,スキンケア,基礎化粧品! ああ基礎化粧品! 大抵の基礎化粧品には,「保湿成分がある」以外の価値はない.当たり前だ.人体に積極的な薬効成分が含まれていればそれは医薬品になってしまう.乾燥していることは肌には負担だ.なので保湿はメリットがある.ただそれだけの話.「睡眠はきっちり摂りましょう」みたいな話だ.たとえばひどいアトピーであったり,乾燥肌であったり,ニキビだったり,化粧をするしない以前の何らかの肌環境破綻が起こっている場合自助努力効果ははたかが知れているのだ(それでもてきめんに効く場合もあるんだろうが).そうであるのにそういった人々を「中傷してもいい」という風潮が強くある.「化粧をしていないものには死を.肌が荒れている? 生ぬるい.それはあなた努力不足だ」.このインターネット女性社会コスメ部門では勝者ばかりが可視化され敗者は暗がりへと追いやられる.とんだ生存バイアスだ.「この商品が効きました」というレビューがある.「わたしはこうしたら効いたのであなたもするべきだ」というのも.思うのだが,そういった人々は,そういった「商品」を試さずとも,ひょっとしたら改善していたのではないか? あるいは「商品です」と偽って砂糖水を毎日顔に塗るだけで,全ての問題改善したのではないか? 圧倒的な対照群の欠如.しかたのない話だ.肌というのは人体で最も大きな臓器だし,現在のようなつるつるの肌色形態をとるようになってから歴史は存外短いのだから.分かっていないことの方が多い.結局,何が正しいか最適解を見つけるのは現代社会では困難なのだ.なので個々人が試行錯誤をするしかないし,それすら無駄なことも多い.「救われぬ」状態が少なから存在する以上,社会が求めるボーダーもっと低くあるべき,いやボーダーなんて設定するべきではないのだ.なのにひとに不安に付け込んで,不安をあおって,高い買い物をさせる空気がまかり通っている.それが基礎化粧品だ.カルト宗教じみている.社会悪だ.吐き気がする.使用前と使用後の顔写真,明らかに照明の当たり方が違うじゃないか

そんなわけであるからずっと化粧が嫌いだったが思うにそれは世間が嫌いなくせに世間体意識してしま自分自身矮小さへの憤りだった.そうと気付いてから世間体ではなく自分自身価値あるもの,好きだと思うもの意識して大切にするようにした.重要なのは自分に適度に自信を持つことで,そうすれば無理に他人に合わせたり,あるいはしゃにむに他人否定しなくても,自己同一性を維持することができる.それは心の平穏に繋がった.他人を称賛することもできる.そうすると化粧をすることも以前ほど嫌いではなくなった.化粧をした自分の顔は好きだ.スポンジのように様々な知識収集した.こうして自分コンプレックスは一度終わりを告げたに見えた.

けれど問題は,技術稚拙であるということだ.周回遅れでスタートして,必死に追いかけるのは,とても疲れる行為だった.熱意はたかが知れている.そろそろ平衡点なのかもしれないと思う.無理をしたって仕方がないのだ.だいたいなにか目的があるわけでもない.わたしわたし自身幸せのために,背伸びをして今どきの女性のふりをするのをそろそろ諦めるべきだろう.ファッションなどもそうだ.女性社会は以前ほど嫌いではなくなったが,化粧は技術が難しいし金がかかるし手も汚れるので,やはりめんどくさいなあと思う.一周回ってこういう結論にたどりついた人間がいてもよいのだ,と思うことにしている.

2017-01-23

もう手遅れ

悪いけどもう手遅れだよ。

もうすぐヨーロッパアメリカと同じ現象が起きる。自国第一主義保護貿易

アメリカ選挙だがその影響がアメリカだけで済むはずがない。アメリカを追い出された移民自国に戻って何をすると思う?アメリカと同じことをするのだ。自国にいる移民海外から働きに来ている人たちを追い出さないと仕事がないから。そして追い出された人たちは自国に戻ってまた同じことをする。もともと仕事のない国から来た人たちはどうするかというとグループを作って食料を奪い合う。民族対立内戦。そしてそれはそれらの国から搾取してきた経済大国にも影響し、その国の経済も傾くようになりアメリカと同じことが起きる。これからこういうことが繰り返されていくのだ。経済国は搾取してきた国を安定させるために平和維持活動の名の下に武力介入をし内戦に巻き込まれ泥沼となり気が付いた時には黙って撤退することができないほどの損害を出し後には引けなくなる。もしくは自国第一主義の中で勝者となる国が現れ、周辺諸国が富を奪うために武力侵攻をする可能性もある。アメリカだって経済不況の不満を内部の敵、移民に向けて彼らを追い出したところで経済回復しないだろうしそうなると次は外の敵を求めるようになる。日本だって怪しい。アメリカ多様性主義保守主義対立したのと同じように「正しくあろうとする人々」と「信じたいものを信じる人々」の対立が起こっている。放射能水素水WELQ似非科学、人には感情がある。どれだけ科学的な証拠がないと言っても人は不安になるし希望があればすがりたくなる。そういったことを無視してあくまで間違っていると声高に叫び、それを信じる人たちを正そうとする姿勢もまた対立を産む原因となっている。そして放射能の影響や水素水効能を信じる人たちのグループと、あくまで正しくあろうとする人たちのグループができ対立するようになる。経済的には貧困層、働いているが経済的な余裕がない層の人たちはその不満を生活保護受給者に向けるようになり生活保護受給者は不満を国内移民外国人、また都市部の人たちは自分たちが多くの予算を払っているのにそこから地方にも税金が行き渡ることに不満を唱えるようになり都市部地方対立するようになり、不満をぶつける相手を求めるようになる。

これがこれから世界中で起きるのだ。この流れは気づかなかっただけですでにできていた。トランプ勝利もこの流れの一つの結果に過ぎないし、今回の選挙ではヒラリーの方が得票数が多かったと言ってもあまり意味がない。トランプが勝つのが今回の選挙なのか次の選挙なのか、時間問題しかなかった。

この流れはいからできていたのか。それは前回の第二次世界大戦の後からだ。朝鮮戦争湾岸戦争、米ソの冷戦911イラク侵攻、ISISの台頭、こういった出来事のすべてか今回の選挙の結果、そしてこれから起こるであろうことに関連している。専門家評論家は具体的な原因を求めてどこかで結果が変わっていればこうならなかったと話すだろうが長い目で見れば特定のできごとの結果が変わったところで大きな流れは変わらないということに気づくはずだ。

我々はこれからどうすればいいのか。むしろ問いたい、「まだ間に合うと思うのか」と。すでに流れはできてるし今更止めることもできない。すでに賽は投げられているし、歴史は繰り返す

人類進歩したという人もいるだろうが、銅が鉄になり、弓が銃になり、紙が通信になったように技術こそ進歩したが、中世キリスト教会国際連合になり、十字軍国際連合軍へと名称を変えただけで行なっていることとその本質は何も変わっていない。

2016-11-06

頭のいい人は難しいことでも簡単な話にして話す。

という人達

似非科学を信じる人達

ネタでなく本気で陰謀論とか言ってる人達

同じ人種だと思う。

自分で考えることを放棄しているね。

2016-10-19

あなたはどちら側

AB
歩行者ドライバー
アニメを見るアニメを見ない
萌え絵が好き萌え絵が嫌い
たばこを吸わないたばこを吸う
お酒を飲まないお酒を飲む
似非科学を信じない似非科学を信じる
都会民地方
頭がいい頭が悪い
オタクマイルドヤンキー
友達が少ない友達が多い

Aが多いほどあなたネット強者です。

Aが多いほどあなた他人を叩くことができ、気持ちよくなれます

Bが多い方、残念。ネット上でAに逆らうと叩かれます相手は味方を引き連れあなたリンチします。

敵わないのでなるべくAに関わらないようにしましょう。

気をつけて生活することが大事です。

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