はてなキーワード: 一言とは
読んで批判する→PVや売上、ブックマークが増えて作者がウハウハ
アンチが一言モノ申さずにはいられないレベルの炎上を仕掛けるのが
今のマーケティング的に一番正しい
医学部に入学してから本音で話せる友人がいなくなった。学内は「実家の太い」同期ばかりで、そいつらに日々話を合わせるのが辛くなってきているところだ。以下長文失礼する。
僕は都会の国立医学部4年で、今は地元を離れ一人暮らしをしている。卒業した高校は、地方の例年の東大合格者が0-1名の自称進学校だった。とりあえず地元国立を目指し、落ちたらニッコマという生徒が多かった気がする。学年順位がずっと一桁だった僕は、医学部に一般枠で合格した。ちなみに僕の家系に医者はおらず、両親は地元の会社員である。
入学した当初は医学生というブランドに浮かれていた。同時に自分の人生は安泰だという喜びも噛み締めていた。入学式後のオリエンテーションで開成桜蔭聖光といった有名高校出身の同期と初めて顔を合わせた。僕はSAPIXや鉄緑会に頼らず自分の力だけでここまでやってきたという優越感に浸っていた。
しかし入学後の部活の新歓で徐々に違和感を感じ始めた。高級そうなバーで先輩方に奢ってもらえることに驚いていたが、それ以上に有名高校出身の同期たちのコミュ力というか馴れ馴れしさに戸惑っていた。どうやら新歓はセレクションも兼ねているらしく、僕は人気のある部活には悉く落とされた。入部を許可されたところはチー牛ばかりだった。仕方なく男ばかりの部活に入部することになった。
とはいえ部活の同期たちは地味だが人の良さそうな奴ばかりだった。僕も陽キャがイキっている部活には馴染そうになかったので、セレクションに落ちたことは特に気にしていなかった。だが部活同期の宅飲みで興ずる、負けたら数千円単位で奢るという罰ゲームは大変苦痛であった。バイトで稼いだ貴重な金がくだらないお遊戯に浪費されていった。当初は部活の同期しか友達がおらず、気乗りしないながらも参加していた。
そのうち僕はだんだん部活に居づらくなって2年になる前に辞めた。とはいえ2年からは解剖学、生理学などの様々な実習があり部活以外の同期とも話す機会が増えた。同じ解剖班で東北出身のW君とも仲良くなれた。彼は小中高と地元の公立であり、僕とバックグラウンドが似ていて非常に親近感を覚えた。彼は部活には所属しておらず、バイトでお金を稼ぎ国内をあちこち旅行をするのが趣味らしかった。僕とW君は個人的に飲みや旅行に行くことも度々あった。
つい最近、W君とCBTに向けてiPadでQBを解いている時だった。(ちなみにCBTとは全国一斉の共用試験で、QBとはオンライン問題集のことである。気になる人はググってくれ)CBTの点数は初期研修病院を決定するマッチングに影響するという噂もある。僕はふと気になって、W君に卒業後はどうするのかという話を振った。「どーでもいいんだよねえ。だって俺、実家太い方だし考えてないかな。」と彼は間伸びした声で答えた。詳しく話を聞くと彼は地主の息子で、不労所得があり最悪働かなくても生活できるのだそうだ。僕は少し苛立って、なぜ医学部を受験したのかと問い詰めた。W君は、一言「だって社会貢献してみたいし、医者ってかっこいいじゃん。」とだけ言った。
「親ガチャ」というセンシティブなワードが頭をもたげた。これまで一緒に飲みに行って馬鹿騒ぎしたり、大変なテスト勉強を共に乗り越えてきたW君とは、僕はそもそも同じ土壌に立っていなかったのである。僕は、気だるそうに何やらiPadに書き込むW君を少し冷めた目で眺めていた。なーんだ、彼も結局こっち側の人間じゃなかったのか。日頃から僕が、羨望の眼差しを向けている「カネ」とか「コネ」とかを、彼は水道水みたいに当然のように与えられたものだと思っているみたいだった。
為せば成る、努力は実を結ぶ、と言った陳腐なスローガンを掲げてきた地元の高校教師たちの姿が頭に浮かんだ。彼らは本気でそんな言葉を信じていたのだろうか。大学受験だってその先の就活だって、結局は「親ガチャ」じゃないのか。僕は、そんな思いをいつかW君と語り合いたいと思っていた。彼ならきっと、この世の中の理不尽さを分かってくれるはず。
息子が医学部に入ったと近所に吹聴する地元の両親を、僕は悪く言うつもりはない。帰省する度、父は、僕の医学部での学生生活を楽しそうに聞いてくれる。父はずっと医師になりたかったのだそうだ。流行りの「親ガチャ」なんて言葉で両親を責めるようなことはしたくない。
そんな折でもCBTの受験日は刻々と近づいている。なるべくW君との関係は壊したくはないから、この思いは胸にそっとしまっておく。彼とはまた明日も勉強会を開くつもりだ。Twitter文学のようになってしまったが、ここまで読んでいただき感謝申し上げる。
古代ギリシャ的な素朴な議論になってしまうかもしれないが、人間が他の人間を認識する時には、『自分と似ている部分』を共通項にすることで、認識が上手くいくようにしている。
単純な話、自分と全く違う人格を持っていたり、自分と全く違う経験をしている人間のことを理解することはできないけれど、自分と似ている部分を持っている人間や似たような経験をしたことのある人間はより理解しやすいということである。本当に単純な話だ。
このようにして、人間は他者を理解する。ある意味、自分の一部分を他者に擬態させて、記憶するのである。自分の中に他者の疑似人格を構成していると言っても差し支えないだろう。
ある意味、この疑似人格は、作成した当初は、自己の人格をアレンジしつつ複製したものと言ってもいいので、完全な他者ではない。
とは言え、その他者(自分の中に複製した他者ではなく、現実にいるオリジナルの他者)を認識し続けることで、その疑似人格としての他者は変化を続ける。現実の、オリジナルの他者について認識を続けていく中で、この疑似人格が当初の認識から変様を続けていくのである。
このように認識が変化すると、どうなるのか。
つまり、当初自身の人格の疑似複製でしかなかった他者が変化し成長することで、自己の複製としての他者人格が変化し、それによって自己自身さえもが変化していくのである。自身と他者との共通項を基に形作られた疑似人格が変化することで、共通項を基点として自分自身の人格が変化し、時に新たな属性を手に入れることになる。つまり、自己が『延長』されることになるのである。
そんな風に、誰か自分と共通項を持った他者に関する認識が、その他者との交流を通じて変化し、新たな属性を身につけ、その新たな属性によって自己そのものに変化が及ぼされる過程――そのような仮定を、人は愛と言っていいのではないかとか、そんなことを思うのである。
そんな感じ。
この話のポイントは、このような自己の『延長』は、そもそも自分と共通項のある他者(を基に作り上げた疑似人格)を媒介にしてでしか成立し得ないということである。人は時に、自分と全く異なる人間に対して、愛着に似た感情を抱くことがある。これは、ある種環境に堪えうるための多様性を人が獲得しようとして生じる現象なのではないかと個人的には思っている。とは言え、このような愛着は、自己を延長させうる愛にはなり得ないと個人的には思っている。何せ、共通項が希薄な人間に関しては、自己を延長させ得るような疑似人格を構成することが難しいのだから。
まず君は元増田じゃないテイでこれかいてるんだよね。じゃあ反論ではなく推測援護だよね。
で「ちょっと調べた」だけで書いてる元増田、商標法まで調べたとはいっていないよね。
でもね、表現の業界には著作権法商標法のみならず肖像権だの名誉棄損だのたくさんの法律が入り組んでるんだよ。
実際しいなりんごとかいうヒト(のスタッフ)は公益に反する形の「みだりな」グッズ配布企画までしちゃったしね。
他の商標・意匠・著作でも「ちょっと調べたら大丈夫そうだったから」っつって捕まってる中国人や日本人たくさんいるし毎週くらいでちゃんと報道もされてるんだよ。
僕はまさかこんなわかりやすいミスはやらないよね、みんなどう?というつもりもあって書いたよ。
「元増田はやらないよ!」っていわれてもふーん。でも元増田本人がそういってるわけじゃないじゃんとおもったよ。
「だったらなおさら同人誌だのコスプレAVだのは許されるべきじゃ」ってわざわざ追記してるくらいの意識しかない元増田なら「ちょっと調べたこと」を忘れていつかやりかねないんじゃないの。赤十字はダメだとおぼえてても、菊の紋章や国連マークやオリンピックマークなんか、たまに使いたくなるもんね。緑と黒の碁盤目模様なら伝統模様と言い張って無断利用OKでも、ピンクに蝶の羽根みたいな葉脈はどうだったっけ?
あと元増田だけに向けて言ってるんじゃないんだよ。これ見てる人の数人くらいは誤読しまくって「よくわからないけど追記みたら同人ならOKらしいな!」っつって同人グッズ化やろうとしたかもね。とボクは思うわけ。だから一言レスにしておいたんだよ。目に入るからね。
ま、そのついでに「推測援護」くらいの人にもいちいち回答してあげてるんだけどね。たぶんだれもここまで読まないし理解しないだろね。
終わり。
人の不合理性を悪用するタイプのことは、言い換えれば「詐欺師」「詐欺まがい」ともいう。「アノ人の言うことは信用できそう!」とかなんとかいって崇拝されるのは大抵詐欺師が多い。なぜなら馬鹿こそが多数派だからだ。
一方先行者利益というのは、その分野に対する参入者が少なくて早くにやったから成功したタイプだ。Microsoft, Google, Facebookなどはみんなこれになる。大成功した部分の利益を別の生産項目に投資できるから大企業化する。
レッドオーシャンでの勝者とは、ダイソンのことだ。掃除機なんて昔からあるが「こうやったらもっと効率的に吸引力が獲得できるんじゃね?」と素人が考える。専門家から「不可能だ」などと言われてもめげずに試行錯誤して実際に発明できちゃったのだ。
高IQの人たちが「信頼できる人」と呼ぶのは概ねレッドオーシャンでの勝者だ。高IQの人はMS-DOSも、初期Facebookも、初期Googleも技術的に簡単に作れるが、先行者ではないから参入しても遅いという自覚がある。
だが高IQでさえすごいと思うのは明らかにレッドオーシャンでの勝者である。なにせ、先行者がいるのにそいつらを追い越すだけの質のものを作ってしまうわけだからな。
そして高IQだからこそ「レッドオーシャンで画期的なものを作りたい」という夢を持つ。自分にそれができるという可能性を考慮するからだ。馬鹿は詐欺師の真似事以外で成功する夢を見ることはできない。
「価値のあるものを正しく評価する」とは、まさにレッドオーシャンに参入して勝ち抜いたダイソンのようなものを評価することだろう。あるいはそうでなくとも、先行者が十分に質の高いものを作っているならその分野も評価されるべきだ。
このあたりが高IQが世間の大多数のクズとの認識の差が生まれているのかもしれない。
「人を騙しても金持ちになれれば価値があり、能力も高い」と本気でそう信じている倫理観のかけらもない愚か者が、実は多数派であることに失望しているだろう。
Amazonや価格.comで買えば質も価格もマシなのに、テレビショッピングや広告でパチもんを売りつけて人を騙す連中がいる。こういうのは馬鹿が多いからこそ儲かるタイプの業種だからニセモンの価値なのだ。
本物の商品・財・サービス・コンテンツを正しく評価できれば、消費者余剰は増加するだろう。俺は「詐欺行為」さえも「生産者余剰」に含まれているのが気に入らん。質が低くて価格の高いそのパチもんは社会に負の効果しか生んでいない。
「デフレ」を騒ぐ前に、まずは経済学の基本として余剰分析を学べ。ああ言っとくが経済学ってのは儲かるための学問じゃねーけどな。
海外から安くて質の高いものが輸入された場合、それは消費者余剰の急激な増加を意味し、社会的余剰全体の増加を意味する。つまり国民が実際には幸せになるわけだ。
もちろん生産者余剰は低下するだろうが、そういうのは競争によって淘汰されるべきものだろう。
[追記]
仮にこの世のすべての商品を10円で売っている国があった場合のことを考えてみましょう、おおよそすべての労働者は首になるでしょう。
そのためその余剰分の安くなった商品を買えるのは、その中で従業員になった人間だけです。それって全体の幸せなんですかねえ。金持ってる人間にとって幸せなだけでしょ。
後すべての食べ物が10円で購入可能になった場合おおよそすべての食べ物の生産者は廃業となるでしょう。
仮に販売してくれる国が戦争にでもなって日本に輸入不可になったら日本って食品を買えなくなって飢え死にする人が多数出るような気がするんですけど大丈夫ですかね?
「この世のすべて」という仮定は極端だが、そういう世の中なら「少ない賃金で買える」状態だ。だから労働価格に下方硬直性がなければむしろ経済的な効率性は良くなるだろう。
完全競争市場が最も効率的というのは常識だ。むしろ関税をかける非効率性のほうが損失を生んでいることに気がついているかな?
そして「戦争」がどの国でも常に発生するようなことはなく、稀なリスクだ。もしある国から輸入できないなら別の国から輸入することはできる。貿易の価値を認めないのは時代遅れの発想だろう。
いやだからねえ。効率ってうたってるけど、実際に農業を行う場合にはノウハウのようなものってのがあるんだよ。
仮に穂が垂れた場合に刈ればいいと書いて文書化されていたとしても、実際に行う場合言葉と事実の差異を埋める努力が必要なわけ。
にもかかわらず経済効率の名のもとにそういったノウハウをすべて破棄した場合、何か、例えば戦争等が起きた場合即対応ができなくなる。
なんらかの労働者を即食べ物の生産者に変換することは出来ないからね。
戦争は起きないって言いますがウクライナで起きたでしょ。あなたがウクライナで戦争は起きると正確に予言で来た人間なら国際戦争は起きないという予想は説得力あるだろうけど
あなた馬鹿だからできなさそうできなさそうだし。(どうせお前効率的ではないからウクライナでは戦争は起きないとか思ってたんだろ?)
ちなみにアメリカは戦争ばっかしてんだけど知ってる?日本も戦争が起きてない期間ってたかが80年ほどなんだけど。お前が生まれてからないだけ。
部分的な参戦は行ってるしな。
農業のノウハウを素早く適用できるだけの比較優位を持っているかどうかという話ではないかな。
もしどこかの国にとって農業が実は得意ではなく、生産性が低いなら貿易によって淘汰されても仕方がない。
まあ安全保障上の問題と経済的効率性のトレードオフは確かにあり得る。しかしお前が「現実を見ている」のか、それとも「確率を過大評価している」のかは判断はつかないな。なにせ損失回避という不合理な傾向が人間にはあるからな。
読解力が低いようだから言うが「戦争が100%起きない」とは言ってはいない。お前はそれを90%起きる!ぐらいで見積もってるかもしれないが、俺は0.1%ぐらいしか起きない、程度で見積もってるって話だ。どちらの見積もりが正しいかお前は証明できるか?
この話で言葉の話は大事だよ?まあ伝わんなかったみたいだしいいんだけど。
近代以降何度も起きたことを存在しないように語るのってどうかと思うわ。
自分に都合の悪そうなことは証明できないって言ってごまかすあたり人生幸せそうだね。
データもあるので言っとくが、「発生確率が低い」は根拠がある。https://www.science.org/content/article/power-law-explains-insurgent-violence
人間同士の衝突は、衝突の規模と頻度において冪乗則に従う。お前の確率の見積もりより俺の見積もりのほうがマシな理由だ。
読解力の低い馬鹿のようなので言っとくが、俺は「証明できる?できるならしてね」という質問を投げかけたが、「こんなことは証明できない」とは一言もいってねーな。国語を勉強しろ。
そしてお前がソースすら示さないもんだから、俺がソースを示してあげているというわけだ。
あと「教授が言うから」「原発がー」「ワクチンがー」これ主題と関係ないしお前がイメージだけで俺の人格を決めつけてるだけだよな?そういうのいらんからw
しょーもない議論だったので書き起こし 残り部分暇な人いたら埋めて
大空:NPO法人あなたのいばしょ理事長 新著に「死んでもいいけど死んじゃだめ」23歳
阿部:沖縄タイムス記者 基地問題を精力的に取材 著書に「ルポ沖縄 国家の暴力」など
~~略、誰か書き起こして~~
大空:これは3000日以上ということは8年以上ですよね
ですからそれだけ長い間、雨の日も風の日も台風の日もそこで座り込みをして抗議の意思を示してきたと
やっぱりそこにとくに本土の人間は安全保障上の問題で、日本全国の問題なんだけれども、やっぱり一定のリスペクトはあって良いだろうと思いつつ
さっき阿部さんはこの座り込み論をまだやるんだと、決着したと、で、せやろうがいおじさんは枝葉中の枝葉の議論だとおっしゃったんですね、座り込みの定義の問題を
大空:でも僕はそう思わないんです。僕すごく共感する部分あるんですけど、抗議運動に。
ただ座り込みとかハンガーストライキってたとえば、刑務所の中にいる人とか、入管の施設にいる人とか、自らの身体のみを用いて、抗議運動を示すわけですよ。
それが非常にカジュアル化しているということはその行為が持ち意味自体をものすごく弱体化しているということに気づかないとダメですよ。
阿部さんさっきね、あそこはひろゆきさんが笑ったと、笑える特権があると、おっしゃったんだけれども、
いやいや、自分で10分なり15分なり、1日3回選んでやるかやらないかということを、座り込みするかしないかということを決められる権利があるあの人達には
そういった意味ではあの人達も特権階級にいるわけですよ。抗議運動をしている人たちも。だから本当に、運動論として完全に僕は失敗だと思いますよ。
完全になにも手足も拘束されて、なんの抗議の意思も自分の身体を用いて以外、選択肢がない人たちのために、
やっぱりハンガーストライキとか座り込みとか、自分の身体を用いる抗議運動の選択肢はとっておかないといけなかったのに、
最近、原発のこともそうだし、気候変動のこともそうだし、若い人も含めて、非常にカジュアルにハンガーストライキとか座り込みとかやってるんですよ。
これ本当に入管の施設でそういうふうなことをしたときに、ああ、どうせカジュアルなのね、となっちゃう可能性が僕はすごくあると思うんですね。
大空:僕はいま23歳ですよ。大学生のときに孤独対策担当大臣を作ってくれと政策提言したんです。いま日本は3代目の孤独担当大臣置いてますよ。
やっぱりリベラル側はね、体制に対してのものすごい批判的な見方があって、政策提言とかアドボカシーとか、
そういった抗議とか書面運動以外の、民主主義的なプロセスをやっぱり軽視してきた部分もあると思うんですね。
やっぱりリベラルの運動論自体がアップデートしていく、あの場におじいちゃんしかいなかったじゃないですか、
やっぱりそこをもっとアップデートしていくということをリベラル側が努力してやってかないと、
この問題、なかなか進まないし、若い人に関心持ってもらえなくなると思う、そういった意味ではこの定義ってめちゃくちゃ大事だから、
これを機にね、定義したらいいじゃないですか、僕はそういった良いきっかけになればいいなと思いますね。
平石:ありがとうございます。阿部さんいかがですか、いまの話。
阿部:ええ、ありがとうございます。いままず座り込みとハンガーストライキを大空さんがごっちゃにして話されてたので
大空:いや、ごっちゃにしてない。2つのことを指してるんです。ごっちゃにしてない。
阿部:なんで違うかというと、ハンガーストライキはあれじゃないですか、ずっとやらないと、それこそ2日やった3日やったと言えないですけど、
座り込みはトラックが来るのを止めるために座り込みをできるわけですから、ハンガーストライキは連続性が求められるわけですね。
ですけど座り込みはそうではありませんから、いま別のことを1つにされるのはちょっと、ハンガーストライキの話は置いておきましょう、というだけのことです。
大空:ハンガーストライキも実は最近の抗議運動でやってるんですよ、記者さんだったらご存知かと思いますけど、
やってますよね経産省の前とかでね、1日限定とか2日間3日間だけ若い人がやってるわけじゃないですか。
阿部:ええ、沖縄でもハンガーストライキはあるんだけれども、あの僕が言いたいのは連続性の話ですね。
ハンガーストライキは連続性がないといけないので、座り込みとは違いますね、というそこです。
~~略、誰か書き起こして~~
大空:いや、そこじゃなくて、さっき申し上げたのは、座り込みだとかハンガーストライキだとかごっちゃにしてるはどうでも良いんですが、
座り込みってところをとると、そもそも抗議活動っていうのは、連続性というものがある程度効果が得るわけですよね。
だから昔は連続って書いてらっしゃったわけですよね、あの看板に。だから連続性が持つ意味合いがよくご理解いただいでると思うんですけど、
僕がさっき言ったみたいに、座り込みもしくは自分の身体のみを使っておこなう抗議運動というのは、
本当に拘束されている人とか、入管の施設にいる外国人の方とかね、ああいう人がやることによって非常に意味が生まれると。
ああいう人たちが行う選択肢を奪っているわけです。そうやって別に座り込みじゃないとか、座り込みは数日でも数分でもその場限りでも良いとか言っちゃうと
だって意味なくなっちゃうんですよ。署名運動とか政策提言とかあの中にいる人たちはできないわけですよ。
ハンガーストライキとか座り込みしかできないのに、まさにそういう行為がもっている意味が弱体化してしまうから、リベラルはそこから逃げちゃだけだと思うんですね。
大空:だからこの機会をね、いま全然前向きな議論をぜんぜん何十分間できてないから、これを機会にいいじゃないですか、
座り込みをリベラルの方はどう思うのか、ひろゆきさんがどう思うのか色々あると思うけど、ある程度決めて、この番組が別にどれだけ影響力あるかわからないけど
でもきっかけになったら僕はすごくいいと思うので、座り込みの持つ本当の意義ってところをまだ決着してないと思う、ここをちゃんと話し合うべきじゃないかなと思いますけどね。
大空さんが入管施設の方の話をされますけれど、その入管施設にいるわけでもない大空さん。
そして、沖縄で民意を踏みにじられて、どんなに反対を選挙で言ったり、県民投票で言っても、市長を作られてしまって、
止むに止まれず座り込まないという立場にもいない大空さんが、なぜ、座り込みについて講釈をしているのかというのが、
やっぱりそこが特権なんですよ。最初に私が言った。あのそれを考えられたほうが良いんじゃないかなと。
大空:当事者以外話すなというこの排他性をいかにリベラルが抜け出すかということが、やっぱり日本の一番大きな課題だと思いますね。
自分の責任を引き受けて、発言をしなければいけないので、その排他されたというということではなくて、
自分の立場を考えて、自分がここでなにを言うべきなのかをきちんと踏まえて、言うべきだと思ってますね。
~~略、誰か書き起こして~~
今日は2回も、タッチ決済したいのにレジの店員がスマホの画面のQUICPayマーク見て勝手にQUICPayにされた。QUICPayとは一言も言ってない。はっきり言ってVISAタッチ機能あるカードからさっさとQUICPayマークを消してくれ。
「座り込み抗議3011日!」って看板なら普通は継続して座り込んでると思うでしょ。別にタラコ野郎に好意的でなくとも。
尋ねて行った時座り込みいなかったら「いねーじゃねーか」ってなるでしょ。
タラコのツッコミは屁理屈ではなくごく素朴な一般的感覚じゃね?
というかそもそもさ、
そこは謝ろう?
そんなとこでみみっちいウソついて何になるんだよ。
仲間内で気勢を上げていくうちにいろんな面で段々盛っていってしまうのは人間としてわかる。
けど外部から突っ込まれた時には正気に返って「誤解を招いた文言を訂正します」でいいじゃん。
そこでそういう真摯な態度を見せれば「ああ、ちゃんと話の通じる、我々と同じ人間が基地反対してるんだ」ってなって興味なかった人もうっすら好感や関心持つ可能性が出るじゃん。
俺が基地反対派の内部にいたらこれが起きた日のうちに急いで内部で相談して新しい文言案決めてまっさらな看板と筆持って行っていって現場にいるひろゆきに案見せて決めてハイって筆渡して頼んで揮毫してもらう。
んで「ひろゆき監修」の看板にしちまえばいいじゃん。文言を監修しただけでも基地反対に賛同加担してるみたいな雰囲気になる。これが賢い錯誤の作り方だろ。
これがピンチはチャンスってことじゃないのか。
「座り込みは継続して座ってなきゃいけないなんて誰が決めたんですかー」て。
こんなん最悪のリアクション。そんな屁理屈言い張ってこの場合に何を守る気なの?
その屁理屈で守れるのは嘘・大袈裟・紛らわしいな看板文言の継続だけだぜ?
そこさえ守り切れば勝てる!っていう決勝点に関してなら
なりふり構わない屁理屈で「きったねー」って思われながら守るのもありだが、こんな看板死ぬほどどうでもいいだろ。
その場でパッと捨てる決定して訂正しちゃえばひろゆきの拡散力でポジティブな発信できたのにさ。
おめーらが内部の屁理屈をどう言い張ったって文言についてはチョンボだろ。
ズルだしウソだし錯誤狙いだろ。
そこを影響力強い奴に画像入りで焦点にされた時点で勝ちはないんだよ。
文言を正当化しようと食い下がれば食い下がるほど文言が焦点化して
「うわあ、こんな小ずるくてバカみたいな理屈で嘘を正当化しようとする人たちなんだ」になるに決まってんだろ。
ひろゆき「あれ?座り込んでないんですけど」
基地反対派「〇時と〇時に座るの!(怒)」
ひろゆき「それ座り込み〇〇〇〇日って言わないと思うんですけど」
観衆「日本語ですらねーのかよ…」
終わりやん。
見てる人間には「話逸らしてんじゃねーよ」という感情しか湧かない。
「敬意」の話なんか始めてキレて返すってのはヤベーよ。
看板の文字ぐらい突っ込みようが無くウソなく書けってだけの話でしょ。
そこを言われてこれだけキレ散らかして恫喝しながら撤回を迫ったりまでして少しも受け入れられないって言うの
相手がひろゆきだからこうやって世間に知られて笑われてるけど組織内部や沖縄内部で懐疑的な意見を受け容れる姿勢が全然なさそうに見えるの俺だけか?個人の感想か?
ぜってー仲間や地元民から「ここはおかしいんじゃないか」程度のこと言われても「敬意がない!」って恫喝して総括して吊るし上げそうじゃん。
こんだけキレまくってやべー集団だと世間に示していっちゃうんだろう。死守作戦するとこでも何でもないとこで総動員してアホじゃねーのか。
タラコは思想とかほぼないから素直に看板直して合理的対応すれば全然矛収めたと思うよ。
逆に「敬意」なんていう内部の論理や定義不明な話はタラコが一番嫌いなやつだから超張り切っちゃうじゃん。
そしてそういうのをアホちゃうかって呆れて無所属な自分との対照で世間に見せていくのはタラコの十八番の一番得意な構図。西村屋!って声掛かるくらいのオハコの構図のやられ役になりにいってどうすんねん。
「自転車置き場の屋根の色理論」っていうのがあるじゃないですか。Wikipediaとかで調べたら分かるんですけど、
原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「粛々と」進むことになる。
この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。
自転車置き場については誰もが理解している(もしくは理解していると自分では思っている)ため、自転車置き場の設置については終わりのない議論が生じることになる。関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって自分の存在を誇示したがるのである。
一言でまとめると「本質の議論をせずに、どうでもいいところにこだわっちゃう議論」という話なんですけど、
https://hagex.hatenadiary.jp/entry/2018/05/02/112825
低能先生からコールが来る度に、私ははてなに通報を行っている。
当初は「私も含めて、他のユーザーに罵詈雑言を行っている人間です」と丁寧に理由を書いていた。が、最近では「低能先生です」と一言だけ書いて送っており、その後低能アカウントは凍結される。
煽り合いしまくってた期間はただのネット弁慶で、通報されて書き込みが削除されるようになったから「『低能先生です』の一言運営に投げるだけで削除されますよw」とか言ってたhagexが恨まれて殺されたんやで
「息子はステーキ食べたいって言ってただろ」
「作ればいいじゃん」
「ステーキは外で食べるだろ」
「外で食べると遅くなるから、家で食べると思ってた」
毎回この感じだ。妻を理解するには苦悩が伴う。
「どうすればいいんだろう」に回答する。
以下詳しく、
好きだの愛してるだのふわついた気分で結婚しちゃダメ、遊び相手にとどめておけ。
家柄や宗教やら両家の価値観全般に齟齬が無いことを確認した相手同士で顔合わせする。お見合いと言う。
結婚後のトラブルに中立な第三者が関与できるように仲人を置く。
こういうの面倒くさいと全部すっとばして、だって好きなんだもん、で
いまさら、常識が違う、価値観が違う、思ってたのと違う、死にたいて
アホですか?w
先人の叡智を蔑ろにした罰だわ
それでも結婚続けたけりゃ、価値観の異なる人間を許容すべきという価値観を周りと共有できるように努力しろ
妻の言い分も、妹の言い分も認めるしかねぇんだよ
解決しようなんて思うな、無理だから、お互い価値観が違うんだから笑って誤魔化してりゃいいんだよ
「まぁみんなそれぞれで、みんな正しいよねーーてへへへへ」
言うとけばええねん
なぁに地球が滅びるわけではない
最悪なのは自分の価値観の正しさを信じて主張し調整し周りを従わせるの
苦労が増すだけ