はてなキーワード: エンドレスとは
趣味は赤字であるべきというひとって、オールドタイプなんだよな。
それ古い。
今の時代、趣味が高じて金儲けにつながるケースは枚挙にいとまがない。
youtuber、同人作家、イラスト描き、なろう作家、日曜漫画家、動画作成、ゲームクリエイター、趣味が高じて金儲けをやることが何らおかしくない時代に突入している。
二次創作だってそうである。趣味はカネを使うことが当然、赤字であるべきという考えは「道楽」であり、今の時代、そんな巨額の道楽をできる趣味人がどれだけいるんだろうか?
そんな、「年間100万円カメラに使いました」とか、そういう趣味ができる人間はなかなかいない。
だから、赤字を少しでも圧縮する方向に進んだし、時代は「金もうけできる趣味」が増えている。
今の時代、You Tubeを見れば、趣味でカネを稼いでいる人なんて沢山いる。
写真にしても、写真加工のスキルを利用して副業に生かしている人も沢山いるのだ。
旅行を記事にして、広告収入を集めてる人間はそれこそ大勢いる。
元増田の、趣味は赤字がデフォルト。赤字こそ自然で、黒字を出そうとするのは趣味ではないという認識は、30年前のバブル期のものだ。
しかし、10年前にしても、ゲーム趣味の人間が、そのゲームをブログの感想をかいて広告収入を得ていることだって珍しくはなかった。
現在、趣味は「赤字垂れ流しこそ格好いい」という時代ではない。
むしろ「赤字をいくら圧縮したか?」とか「趣味が金儲けできるまで高じた」ということがステイタスになる時代ですらある。
それは趣味ではなく仕事だというが、この二つを切り分けて語ろうとすること自体がもうすでに時代に適合していない。
だって、もうその二つは切り分けられないほどに領域が曖昧であり、趣味で金儲けすることが可能な時代に突入しているからだ。
こういうふうに趣味は赤字なのが当然というほど、沢山の給料をもらってる人もいないから、赤字垂れ流しで趣味を続けること自体がもう難しいのだ。
むしろ、趣味の収支を安定させて金を儲けること、きちんと趣味を継続させることこそが現代的な趣味の形だとも言える。
TVのコメンテーターも、報道陣も、何故か追求しないので一応書いておく。
これは、20年前からで行政のスリム化を続けてきたわけだが、維新もエンドレスに公務員を減らす方向にやってたせいで、いざというときの備えがガタガタだった。
②そして、医療を切りまくっていた。
無駄なものとして排除しまくってきた。病院機能も弱り果てていたところにコロナである。
病床を作ったと言っても運用する人員がおらず、他県から貸してもらうという情けない有様。
③自粛を真っ先に解除した。
大阪の専門家会議はK値とかいうトンデモを引っさげて、なにもしないでも収まると主張。
7月には100人を超えると言っていた西浦教授の予測がズバリ当たる。K値はドハズレしてるが、未だにK値を使う専門家は元気である。
PCRを全国民にやればすぐにも経済が動かせるとトンデモコメンテーターが毎日叫んでいた。
経済を動かせ動かせと連呼して、それに政府も引っ張られた。あそこであと2週間歌舞伎町を集中的に締め潰す自粛を続けていたら、恐らく違う結果になっていただろう。
⑤ワクチンがすぐできると誤解
当時、大阪ワクチンが、7月にワクチンができて、9月に臨床実験、12月に供給が開始とか言ってた。
8月にニュースで画期的な治療法というから、「マジでできたのか?」と喜んだら、イソジンが効くと大真面目にいい出した。
ただの感情です
都下のいわゆる住宅密集地の一戸建てに住んで在宅仕事をしてます。
今年、緊急事態宣言で休校になったとき、朝から夜まで家の周りで近所中の子供たちが私の家の前の道路で大騒ぎしてたんです。
ギャー!!!!キー!!!!うおおおおお!!!!ああああーーーー!エンドレス
子どもたち、それはもうすごくて、道路でボールついて自転車とくねくねするボード乗り回して走りまわって叫び倒して通行する車に威嚇して、ボールがバンバンうちのにも周りの車にも家にもあたるし、家の敷地にも勝手に入ってきてぎゃーぎゃー騒ぎまわって。
まあ子供もその子らの親も大変な時期だしお互い様とか思って我慢して仕事してました。
今は平日は静かなもので、土日に隣の家の男親が未就学児5~6人と午後の数時間外で騒ぐだけなんですけど。
相変わらずうちにボール当てるし、勝手に入ってくるし敷地に自転車勝手に置くしもう我慢ができないので、家の前にチェーンと監視カメラつけて注意喚起のチラシ入れたり町内会に話したりいろいろしたんだけど何も変わらんで。
子供の鳴き声じゃなくても、その親の声聞いただけでもイライラがとまらなくて勝手に泣いて心が閉じる。
土日に家にいるのがもう無理なので、最近の週末はひとりでホテル泊しています。
家の名義は夫だし、絶対に引っ越さない(騒ぐ声が気にならない)と言ってるので私が家を出れば丸くおさまるんでしょう。
引っ越したくない気持ちはわかるよ、だっておうちの設計図見るの楽しかったもんねワクワクしてさ、懐かしいです。
土日に夫とお菓子食べながらゲームしたり、テレビ見てつまらんだのおいしそうだのあーだこーだいう時間も大好きでした。もう失くしましたけど。
たぶん離婚するんだろうね、悲しいけど、なんかもういろいろ諦めてて今日もずーっと泣きながら半笑いしてて顔がよくわからない。
私の犠牲で大多数の幸福が保証されるならもうそれでいいです、ダニみたいな存在なんだろね私は世界にとって。
子供がいない既婚者なんてどれだけ納税してようが関係なしに非生産的な人間なんでしょうから、いつも子持ちに貢献しなきゃいけないんだもんね、忘れてた私が悪いそりゃそうだよ世界は!!!
情けはひとのためならずっていう言葉が好きでねえ、まわりまわっていい人生が送れたらいいなって、電車で年寄りにも妊婦にも席たくさん譲ったし、そこらに倒れてる人がいればおまわりさん呼んだり救急車呼んだり、よく道を聞かれるので目的地まで案内したりとか、私わりといい人間だったと思うんだよね。うるさくないし太ってないし滅多に怒らないしゴールド免許だし、それなりにきちんと稼いで自立して扶養にも入ってないし借金もないし老後のために地道にお金積み立ててさあ、自分は子供もてなかったからせめて地域貢献をって地域イベントの運営手伝ったりしてねー、ほんとえらかったよねえ。
もちろんダメなとこもいっぱいあるけどさ人間だしね、でもなんでただの変なよその親たちにこんなに心をすりつぶされなくちゃいけなかったんだろうね。あーがんばったのになあ、ぜんぶ無駄だったんだねえ。
人生ってそんなもんなんだろうと思うけど、悲しくて悔しくてもうだめです。だめだわ。
みんなは元気でがんばってね。
酒を飲んで騒ぐやつが居るからだ。
職場での飲み会というのは、断りにくい。断固断るという姿勢が必要だった。
職場の上の人間が、新型コロナウィルス感染拡大を尻目に「特に自粛要請はないから大丈夫だろう」ということで今週の月曜に決行することとなった。
正直、皆もいい大人なんだし、平均年齢40代の飲み会だから皆わきまえているだろうと思っていた。
甘かった。
新型コロナウィルス対策は、入店の際のアルコール消毒だけである。
「え? 皆マスクを外したまましゃべるの? この至近距離で……」と、驚いた。
密集密接密着の三密状態で皆大声で喋りだした。
換気などはされていない。
狭い部屋に密集した状態で皆叫んで笑っていた。
酒が入ったらもう止まらない。誰も新型コロナウィルス対策など守りはしない。
自分の箸で直接食う。
酒を回し飲みする。
大声で笑い、叫び、会話をする。
どうしたらいいのだろうか。
とりあえずトイレに逃げた。他の部屋はどうなのだろうかと思った。
他の部屋も全員マスクを外して大声で笑って叫んでいた。
逃げたい。
逃げ出したい。
「酒を飲むなと言ってるわけではない。少人数で短時間。会話をするときはマスクをして。換気をして。座席は斜向かいに」
と言ってた。
しかし結局二時間エンドレスで飲み会は終わらなかった。皆座席を移動して密集し、マスクをせずに喋りまわった。
本当は「お前らが酒を飲んで騒いでるから感染者が増えるんだ馬鹿野郎どもが。基本的な感染対策も守れないなら酒なんか飲むんじゃねえ」と言いたかったに違いないのだ。
そして、木曜の今日、尾身先生の言うことを無視した結果、全国で最大の感染者を出してしまった。
そして体調が絶不調に悪い。
ビクビクしながら体温計を毎日見ている。
そうしないと中止できないのです。
お願いです。
それが心からの願いです。
ネットで政治クラスタをした結果、「怒ることに依存している」自分に気づいた。
許せないやつ、嫌いな政治家、不真面目な発言、政治運動、嫌いなオタクの炎上ニュース。
そういう意味では、はてなブックマークはすごい最適化されたツールだった。
SNSでも常に炎上ネタを探し、怒りながらああでもないこうでもないとキレていた。
安倍政権を見ては安倍にキレて、野党を見ては野党にキレて、オタクだのフェミだの見てはオタクだのフェミだのにキレていた。その比率が違うからお前は左翼だ右翼だなどと言われていたが、冷静に考えていたら、ただキレやすい中年だったのだろう。
そして極めつけは、憧れてる人に「難しい話ばかりしてる」とめちゃくちゃ遠回しに言われた。
ようするに、嫌な奴になってると言われたのだ。
自分のツィートをここ一年分読み返してみたら、だいたいキレてた。
周囲の人間も似たような人がたくさんいるけれど、これって異常じゃない? 毎日政治の話をして毎日怒るネタを探して、はてなブックマークで許せないネタを探し、そして、キレてSNSでレスバトルするって。
それで何人も友人をなくした。
当たり前だろう。
いつもキレてる人間に近寄りたくないもん。
自分でもそう思ってるのに、あのイラストは許せない、あのイラストはいい、バイデンだのトランプだの、表現の自由の戦士だの性的搾取がどうだのフェミだの規制だの言われるとその話題から離れられない。
あなたの親戚にも一人くらい居ないだろうか
親戚の集まりの中でちょっと立場が弱めな、弟の嫁さんとか姪の彼氏とかを捕まえて、誰も興味ないような自己流ご高説を延々と垂れ流してるやつ
話を聞いてる側も色々としがらみがあるのでニコニコ相槌を打ったりして、傍から見ると「あーあ」って感じだが、話してる本人だけが気持ちよくなってるやつ
小さい頃から、「○○ちゃん、知ったかぶりはやめた方がいいよ」とガチの善意で忠告されたりするようなガキだった
今でもちょっと油断するとすぐ、SNSで半端な知識をさも知った風に書き散らしてしまう(だからはてなとかやってるんだけど)
自分がそうだからこそ、他人がそれやってるのを見ると非常にいたたまれなくなる
電車内でサラリーマンが新人ぽい子相手にオレ流仕事術を吹聴してるのとか、もう聞いてられない
それがだよ
この度、めでたく妹に彼氏ができたんだけど、それがめっちゃ傾聴力の高い良い人でさ
私のクソどうでもいい趣味語り(彼の趣味とはかすりもしない)とかを凄い真面目に聞いて、挙句の果てに「すごいですね!」とか相槌うってくれんの
そんでいい気になってベラベラやって、後日「やっちまった……」って反省してるところに、妹経由で「勉強になりましただって」とかいう追い打ちかけてくんの
やめて恥ずかしくて死にそう
このまま順調にいくと妹とその彼氏が結婚するので、死ぬほどウザい親戚のオバチャンが爆誕してしまう
でもアラフォーにもなってこういうのって直るのかな……
よってここで吐き出させてほしい。
コロナの影響で自粛が推奨され、家で過ごすことの増えた母が、Youtubeに嵌ってしまった。
しかも、Youtuberがまことしやかに陰謀論・極論を語る動画を、毎日長時間漁るように見続けている。
5月頃はまだ、コロナに関連してWHOが~中国が~というレベルではあったが、ここ数か月は「ビル・ゲ〇ツがワクチンにマイクロマシンを入れて、裕福層以外の人口を減らそうとしている!」などの、突っ込み所の多すぎる陰謀論を固く信じてしまうようになってしまった。
なぜそこまで確固として信じてしまったのかというと、例えばAというYoutuberがある切り口で陰謀論を展開する、そして別のBというYoutuberが、Aとは別の切り口で陰謀論を展開する。
このAとBの結論が同じ、または関連・類似していると、「この陰謀論は真実だ!」という結論を容易に導き出してしまうからだ。
また知識欲も刺激されているのだろう。
今まで表面的にしか知らなかった「ケネディ暗殺」「秘密結社」などなど、女性にとっては名前くらいしか知らぬ謎が、陰謀論により全景を明らかにされる(ように見える)のが楽しいようだ。
加えて、本人の素因もあるが、今までの家族関係にも起因しているだろう。
今まで父は、自分のやりたいこと以外の家庭のことを、母に任せすぎていた。
なにかを相談しても「~~すればいいじゃん」と、相談の背景も、求める対応や答えも汲まず、日々スポーツクラブや趣味通いに明け暮れていた。
そんな父に対し、母が信頼を失い孤独を感じていたのは明らかだった。
その流れで自粛。
外との関係は絶たれ、子は巣立ち、父は関心事以外には短絡的反応に終始。
ふとYoutubeを見ると、父とは違い、物事を一つ一つわかりやすく雄弁に話す男性。
逆に「極論だけど…」と明言を避けつつ、視聴者を一つの結論に徐々に導いていく、一見思慮深い男性。
母がそういった人達の話を魅力的に感じてしまうのは仕方ないだろう。
しかし、内容に関してはあまりにトンデモすぎる上に、家の外でも、家人に以外でも、陰謀論に触れ力説してしまうので、私はつい反論し、あまりの馬鹿さ加減に怒ってしまう。
上のワクチンを例にすると、何故かオーバーテクノロジーなマシンが秘密裏に何十億と大量生産され、何故か誰にも見つからず指摘されずワクチンにラブ注入され、邪魔者は消されるはずなのに、何故かどのYoutuberもピンピンギラギラ今日も素敵に陰謀論を暴いちゃうぞ☆、そんなご都合主義ファンタジー極まれり。
でも実際、その陰謀を実現させることは、とんでもなく困難だと容易に想像つく。
世の中はそう単純ではないことを一つ一つ反論しても、母は「でも!」と、反論を別の陰謀論で被せてくる。
過去に1をやった組織なら1000もやる!ついでにあれもこれもやるに違いない!と、全てが針小棒大、妄想のスパイスをトッピング。
あれ…これどこかで見た流れ。
カルト宗教でもそうだが、母は自分が皆の知らぬ知識や真実をたくさん得ており、自分が誰かにそれを伝えなければ相手を救えない!という旨の発言をする。
きっと私のことも家族のことも、何も知らずに悪の結社に騙されている可哀そうな人と思っていることだろう。
長年連れ添った家族の話よりYoutuberの話の方を固く信じ、家族より世界を憂いている現状に、悲しさしかない。
そんな母への対応に、正直どうしたら良いのか悩んでいる。
一番の悪手は反論だろう、それはわかっている。
例えば病気や痴呆などで人格や考え方が変わってしまった場合、時間はかかるが仕方ないと思えるだろう。
実際、以前母に薬の影響で一時的に強い痴呆様症状が出たことがあった。
その時の私はかなりショックを受けたが、すぐ仕方ないと気持ちが切り替えられた。
けれども今回、陰謀論以外は正常な状態なので、私が陰謀論についておかしいと説得し母がそれに気づくことで、陰謀論から離れられるのではないかとズルズル期待してしまう。
2.周りの人が母とは違う考えであることを母が感じてほしいから
YoutubeやTwitterなどでは、同じ陰謀論を信じる者たちが集まっており、周りが賛同者だらけのように感じてしまうが、現実はそうではない。
どんなに母が力説しようと、家族は賛同しないし、母の友人は言葉を濁している。
人間関係において、自分の意見が周囲の大多数の人間と大きく異なった時、「あれ?もしかして自分の意見はおかしいのかな?」と気づき是正することを繰り返していたと思う。
母に於いても、同じ状況を体験することで、現実とネットとの反応の乖離に疑問を持つきっかけになればと思ってしまう。
まあこれは望み薄な気がするが。
恐らく、この話を読んでいて「ごちゃごちゃうるせーな、適当にスルーすりゃいいだろが」と感じた方は少なくないと思う。
しかし私見だが、今の母を作ったのが、上にも書いたように父の「~~すればいいじゃん」という短絡的な問題解決法や先送りスルーが一つの原因となっており、根深い問題と感じている。
少なくとも、突き放したり適当にあしらうことは、孤独を強めてしまいそうで、肯定やスルーをしたくない気持ちがある。
また、私にはアレルギー体質の子があり、ワクチンの副反応に戦々恐々としながら予防接種をすすめている。
できるならしたくないが、子のためでも社会のためでもあるので、毎回祈りながらの予防接種だ。
そういった事情を踏まえてなお、母は「マイクロマシンが入っているからワクチンはしない方がいいわよ」と言ってのける。
上はごく一例なのだが、もうデリケートな話題でもなんでもお構いなしに、自分の陰謀論をもとに他人の行動を変えようと試みてくる。
そういった行動を繰り返しているので母の友人関係や信頼関係を壊す可能性が高い。
更に、盲信の矛先が変わってカルトや高額な詐欺などに合う危険性も考えられる。
そのような警告をすると「私はきちんと情報を取捨選択しているから」と自信満々。
今の母を見ていると、母と似た性格傾向を持つ自分もいつか、子が巣立ち、孤独になった時、同じような状況になってしまうのでは、という不安が募る。
過去の、自分の見える事が全てに思えたような、狭い世界にいた中二病の自分も彷彿とさせる。
↑↑以上のような内容をグダグダと書き連ねていたのだが、肉親の悪口を長々と書いている自分に嫌気が差し、ブーメランな部分もあり、恥ずかしく途中で筆を置いてしまっていた。
後日、考えられる解決策や家族の対応とかを書き足して、増田で良い対応は無いかと伺おうかと思っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a0adbd66b8fd3fffa0472e6fc18dd08dd0f32c5d
???と思い尋ねると、どうも母を含むQアノンの活動のおかげで、コロナワクチンによるマイクロマシンの拡散を一歩止められた!やっぱり私の言う事は正しいのよ!という意味らしい。
ウンソウダネ、トテモスバラシイコトダネ、ワタシモウレシイヨ。
もう私はあきらめた。
バンドじゃないもん!「あんま覚えてない夜」が来るとは嬉しい!去年聴きまくった。
自分のおすすめグループは普通にエビ中(私立恵比寿中学)。ただし最近のアルバムのみ。自分は以前のエビ中は聴かなかったけど、2年前に6人体制になってから聴くようになった。特に去年出た「playlist」「MUSiC」の2つは超おすすめ。すごい作家陣で作ってる。ジャンプ(石崎ひゅーい)、愛のレンタル(マカロニえんぴつ)、Family Complex(岡崎体育)、曇天(吉澤嘉代子)とか。個人的に好きなのはPANDRA(PABLO)。
あとは青森ロコドル勢が最近すごい。作曲家・多田慎也が青森に移住してプロデュースしてる。王林でおなじみRINGOMUSUME「101回目の桜」は名曲。今年、初音ミクのカバーでも話題になった。他にも最近出たライスボウル「ハローグッバイ」、など。
中卒だけど、本読んでて思った
例えば、
国? 政府? が、毎月(2か月毎でもなんでもいい)、来月からは円の価値を80%ぐらいにしますって決める。
そしたら、100円持ってたら、来月は実質80円分くらいのものしか買えない。だから、みんな貯金より消費を選ぶ。
同時に、全員の給料を1.2倍くらいにしますって決める。20%分は国が出す。国債を刷る。
消費が上向き、管理されたインフレが続き、国の借金が増えるという状態。
だけど、借金は、複利? 的なので、どんどんと価値が下がっていく。
軽く計算してみたけど、60兆円ばらまいた(ばらまき、減税など)として、
初めの1か月は60兆円の借金が単純に増えるだけだけど、
翌月には、48兆円相当になってて、次月には、38.4兆円……って、半年後には20兆円以下の価値で、1/3まで圧縮される。
一年後には、(一年前に刷った借金60兆円の価値が)5兆ちょいなのです。
世界中で同時に、連動しながら。
聞かれてることに答える、私はこれができない。
例をふたつあげよう。
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
その状況をどうにかしたくて、さらに支離滅裂なことを話してギクシャク。地獄。
解説をいれられるならこうだ。
(ダイエット確かにしてるけど、してると言っていいほどしてない)
(確かに最近おやつもゼリーとかにしてたしダイエットしてる私に気を…)
(あっ食べてる音がうるさいんだ!やってしまった!)
「・・・ポリポリうるさいですよね、ごめんなさい」
これ数秒後に後悔してる。けど時すでに遅し。
とにかく、もう一つ例を。
「何色が好き?」
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
何色?って聞かれてんだろうが!って思う。答えた張本人、すぐにそう思ったけど時すでに遅し。またまたギクシャク。
どうか解説をさせてほしい。
「何色が好き?」
(白が好き!)
(本当に?白って答えたら印象がいいとか思って選んでない?)
(持ち物は黒が多いよね)
(赤も結構多いよ)
(白って答えて純情そうって思われるのもなんかヤダ)
(そもそも好きな色なんてなんでもよくない?)
(とりあえず青以外好きじゃん)
(白!)(いや赤だって)
「あーーー、えっと、青、以外、いや、白とか赤が好きです!」
声に出してないけど出したつもりでいるかのような返答ぶり。これこそが私のキャッチボールができない原因。気づけていないだけで、四六時中こうなのかもしれない…なんて考えると言葉を発すること自体が怖くなる。
■■■
0.1秒後に押し寄せる後悔、そして始まる脳内反省会。この間にも会話は進んでいる。見事に集中できずにまた失敗する。そして始まる脳内会議。エンドレス悪循環。
例であげた話は、どちらも何気ない、答えで何かが左右されることもない問いかけだった。
適当に「そうなんですよ!やったー!」とか「白が好きです!」とか答えていれば良かった。
私のことに興味があって話しかけてくる人なんていない。なんなら面倒だけど話しておかなきゃいけない義務で無理やり話しかけてくれる。だから適当に、そして早く会話が終わるように努めろ私。わかったな!
って何回も言い聞かせても、ボールを投げかえせないでいる。辛い。
■■■
接客が好きで、お客さんとの会話は上手く、そして楽しくできていた。
高校までは死ぬほどコミュ障だったけど、たくさんの接客系アルバイトで克服したと喜んでたのに社会にでた途端これ。
どうやらマニュアルがあれば、正解不正解に支配されてる頭の私は上手くやれるらしい。
私自身についての正解がないから、会話の間に正解を探して頭の中で会議をしてしまうのかもしれない。
それぞれの正しさを持つたくさんの私が、正しい私にしようとしている。
そうだとしたら、私は私のことが分からないという漠然とした悩みにも納得できる。
■■■
私は誰なのか。っていう答えのない自問を昔からずっとしてる。
何が正しいのか分からなくて、最終的に私の話し方や笑い方も忘れて、私でいることが怖くなり、人を避けて生活してる時期もあった。
そんな時でもアルバイトが楽しかったのは、私の在るべき正解があったからだったんだろう。
最近気づいた。
他にも、考え方は日々変わりゆくものなのに、「この私は私じゃない」と変わった私を否定する私にも苦しめられる。
正解なんてないのに、こんなことに振り回されてるなんて厨二かよ、、とも思うんですけど、それが正にはなってくれない。
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この「好き」という感情は私自身のものだろうか。世間で流行ってるから好いているような気がしているんじゃないか。もしくは好いていれば何かで有利になるとか、そういう利害的な思考の末路なんじゃないか。
とりあえず、私はとてつもなく捻くれていて、自己否定的で、面倒な性格をしているということだけは分かる。こんな私と私は生きていくしかないから、適度に悩みながら適当に生きていこうと思う。
嘘です、適当に生きていけるようになることが夢です。
みなさんもどうか、そつなく適当に生きてってください。
性別関係無く自分の推しカプが要る全ヲタクにとって左右の話はとっっても大切な話だ。固定なヲタクもそうでない者も確実に存在する。
難儀なヲタクである私が言いたいというより抱えているモヤモヤは左右以前の問題だからだ。
特定を防ぐためにかなりのエフェクトなり何なりをかけて書いているので、読む方はそのつもりで。
読みにくいところが多々あるかと思いますが御容赦を。
私の推しカプは公式で10年以上の付き合い(所謂''ともだち''と同様の意味合いと思われる)であることが明かされている。
出会いは高校1年生、そこからずっと現在進行形で関係が続いてるといった感じだ。
学生時代からの付き合いであることが公式である以上、学生時代から恋仲だと考えて自分の作品を生み出す者も居るし、大人になってから恋仲になると考えて生み出す者も居る。もちろん両片思い等々、ふたりの付き合いが長い分おのおのが生み出す作品もバラエティに富んでいると言えるだろう。
左右に関してもAB、BA、に限らずABA、な方も居るけど殺し合いといったことは無く共存していて治安も良い、非常に居心地が良い界隈だ。
突如として飛び込んできた私にも多くの神々が優しく接してくれ、見知らぬ私(履修を始めたばかりのひよっこ)に布教という名の解説を飛ばしてくださったりとアットホームな雰囲気である。
さらに、今まで通ってきたどのジャンルでも見る専だった私に『凄く良い妄想してるのだから作品にしてみてはどうか』と優しいお声掛けがあり、生まれて初めて二次創作をしたしABのワンライなるものにも参加した。
その頃は毎週考えて書くのが楽しかったし、率直に『左右関係無く、ふたりは付き合ってる!!!ありがとう世界……』と涙していた。
しかし、だ。
過去編ではAとBは仲良く男子高校生らしい高校生活を送っていた訳だが、ふたりの人生を180度変えるような出来事があり、それによってふたりとも''おバカ男子高校生''から自分の心で見えない''何か''を見つめ続けるようになった。
もちろん顔つきも変わり、今まで以上に勉学に打ち込んだ事が見て取れたし、だからこそ今の彼らがいる。
そういった内容だったのだ。
ただのおバカなウェイウェイ高校生ふたり組が一変し、血の滲む様な努力と自分を見つめ直した事で高校卒業する頃にはお互いがお互いに背中を預けられるまでになった。
そこら辺に居る高校生のままでは成し得なかったことを成し遂げて今まで以上にお互いのピースがガッチリ嵌っているというか、言葉は無くともお互いに雰囲気で通じるものがあって、それが歳を重ねる毎にどんどん増えてゆき、今もふたりで仲違いすること無く一緒に居る。
出世もして忙しいのでお互いに時間を取れる事は圧倒的に少なくなっても、たまに呑みに行くしご飯に誘う。
どちらかが相手の何かを察して無理くりにでも連れ出すこともある。
言葉に出さなくても一緒に居ることで少しでも肩の重荷を減らすというか、消すことは出来ないので軽減できるよう共有する。
これを理解した時の私はふたりに対する感情が溢れて止まらなかったし『付き合ってる!!!!!!!』より、もっともっっっと大きな何かで繋がっているふたりだ、と感じた。
その時には上手く処理しきれず、何日も何日もウンウン唸りながら考え抜いた結果、恋仲なんて言葉じゃ収まりきらないしもっと違う言葉、本当の意味での『パートナー』というか『人生の伴侶』のような、お互いがお互いの足りないピースを埋めてひとつの、大抵の事じゃ崩れない強固な何かになっているという結論に至った。
私は自分なりに上記の解釈に行き着いてしまった時、ふたりを『恋人同士』という枠をブチ破って『お互いクソデカ感情どころの話じゃないパートナー同士、お互いがお互いにとっての伴侶のようなふたり』として捉えてしまったのだ。
考えれば考えるほど、お互いにピースが嵌りすぎて恋とか友情のラインを超えている…といった解釈に辿り着いてしまう。
燃え上がる恋というより熟年夫婦のような落ち着いた関係性、まさにパートナーや伴侶と言った言葉が当てはまる、そんな関係性。
それも一種の恋愛関係じゃなくて何があるんだよ!と、ツッコミを入れる方もいらっしゃるだろうが私にとってこの関係性は恋愛関係とは少し違う。
『ふたりは……付き合ってない……???いや……そういう訳では無いんだよ………………』
とグルグルしていたら、細々と書いていた話も恋愛関係にスポットを当てたものというより、ふたりの''パートナー性''、''伴侶''のような関係性にスポットを当てた話に変わっていった。
自分の情けない脳味噌で捻り出して書いているのだから当たり前の話だが、その現実に気づいた時に一気に怖くなった。
ABともBAともABAとも少し違う、AとBの話が出来上がってしまった。
たまたまその事実に気づいた時に書いていたものが、ABのワンライに参加して書いていた話だったので『これはABなのか????いや、ABともBAともAとBとでも取れてしまう…そんな話をABのワンライに出しても良いのだろうか?』という疑念が沸き起こり、すんでのところで投稿を見送りお蔵入りに。
それからというもの、書いても書いてもABやBAといったカプ要素盛り沢山な話は全くと言っていいほど書けなくなってしまった。書いても書いても''AとB''の話になる。
私は語彙力や言い回しが宇宙のように湧いてくる作家先生や詩人では無いので支部等に投稿する勇気はなく、だからこそ比較的多くの方が一斉に参加している中に紛れ込めるワンライに参加していた。
ABのワンライなのだからABの要素が盛り沢山な作品が投稿されるのは当たり前のこと。
そんな中にただのAとBの話があってはいけないことなのではないだろうか。
そう思ってしまった日以降、自分の思う通りに言葉が紡げなくなってしまった。
あれだけ楽しかった週1回のワンライが苦痛のように思えてきて相互さんと話をするのも憚られてしまい、一旦筆を置くことを決意。
界隈には素晴らしい作品を生み出す神も多く存在するわけで、私が筆を置いたところで何か悪影響が出るわけでもなんでもないし寧ろ良い事かもしれない。
ネガティブ思考のエンドレスループが始まりアカウントにログインすることからも遠ざかった。
別に嫌いになった訳では無いので普通に流れてきたものはひとつずつチェックするし、べったーやポイピクなどに投稿された相互の作品もしっかり見に行くし感想というか、荒ぶりも伝える。
しかし公式でのふたりの関係性が冒頭で書いた通りなのでAB及びBAの作品は溢れているが、AとBの作品はあまり存在しないというより、ほとんど存在しない。
もしかしたら私の探索不足なのかもしれないが、一通り探索した結果ほとんど無かったのである。
嫌いじゃないし好きなのに、見ていてモヤモヤする。
このモヤモヤが喉につかえた小骨のように引っかかってしまい 、純粋に楽しめない。
その中には燃え上がるような恋をする推しカプもすれ違う推しカプも、お別れすることになる推しカプだっているかもしれない。
それだけの話で、今までその10通りの推しカプがTHE個人差といった感じで好きだったのに。
その違いが楽しめなくなった自分に嫌悪感が差して、誰かに相談したくても相互は各々ABなりBAが好きなので相談できるわけもないし相談したところで勘違いされてしまうかも、と思って誰にも相談できず、どうしたらいいかもわからず独りで抱え込み続けている。
誰かこの複雑な感情というか問に対する答えや考え、意見がある方が居らっしゃるならば是非教えて頂きたいものです。
(追記)
推しカプは変わらず大好きなので恋仲として当然な行為を致している作品もギャグ作品もシリアス作品も読みますし見ますし買うこともあります。
でも悩み始めてからは流れてきたものを見る、という感じになって殆ど自ら支部に行って開拓する〜といった行為をしなくなりました。
たまたまリアルで多忙となって趣味の時間がほとんど無くなったという原因もあるとは思いますが、あれだけ夜な夜な、数時間にわたり自分の性癖に刺さる作品探しを一切しなくなったのはやっぱりモヤモヤが原因かな…と思ってるだけです。