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はてなキーワード: アウトプットとは

2014-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20141108184742

今30代前半でSEとして元請けSIerに勤務しておりますが、転職を考えており、

Web系の企業ネイティブアプリの開発をやるか、ユーザ企業社内SEをやるか、凄く迷っています

迷っている理由はこうです。

Web

当面の年収が高めである点と、面白いB2Cサービスを開発できるという点は魅力的です。

ただし、40代、50代になって体力や成長速度が落ちたときに、エンジニアを続けられるか、という不安が拭えません。

一生、最新技術学習アウトプットを続けていく覚悟必要ですが、正直言って

10年後も続けられる自信はありません。

市場の変化が激しく、数年後に会社の業績が悪化し、職を失うリスクもあります

・業務系SE

一方の業務系SE(元請け)の場合は、手堅い選択になります

ある特定分野の深い業務知識を身につけて、PMを目指すことになります

当面は仕事を続けることができるでしょうがSIという業態シュリンク

避けられず、10年、20年先に会社があるのかどうかも不明です。

ユーザ企業SE

元請けSIer仕事をしていたときに、ユーザ企業社内SEのかたと話す機会がありました。

IT会社ではないユーザ企業には、技術に長けた人も少なく、できる人に仕事が集中しがちです。

クラウドなどがユーザ企業でも身近になり、ITビジネスが直結してきているなか、

ユーザ企業社内SEとしてビジネスに貢献していけたら、とても楽しそうだと思います


エンジニアのみなさんは将来のキャリアや、企業の選択をどのように考えていますか?

2014-11-08

エンジニア転職の迷い

20代後半でWebエンジニアとしてベンチャーに勤務しておりますが、転職を考えており、

Web系の企業ネイティブアプリの開発をやるか、元請けSIerSEをやるか、凄く迷っています

迷っている理由はこうです。

Web

当面の年収が高めである点と、面白いB2Cサービスを開発できるという点は魅力的です。

ただし、40代、50代になって体力や成長速度が落ちたときに、エンジニアを続けられるか、という不安が拭えません。

一生、最新技術学習アウトプットを続けていく覚悟必要で すが、正直言って

10年後も続けられる自信はありません。

市場の変化が激しく、数年後に会社の業績が悪化し、職を失うリスクもあります

・業務系SE

一方の業務系SE(元請け)の場合は、手堅い選択になります

ある特定分野の深い業務知識を身につけて、PMを目指すことになります

売り上げは大きくありませんが、安定しており、10年、20年先も恐らく

仕事を続けることができるでしょう。

ただし、賃金年功序列であり、急激な年収増加は見込めません。

またプロジェクトごとの変化が少ないので、退屈に感じるかもしれません。

どちらを選ぶほうが幸せなのでしょうか・・・

エンジニアのみなさんは将来のキャリアや、企業の選択をどのように考えていますか?

2014-11-04

個人情報を守るのに疲れた

TSUTAYAアウトプットは結局しなかった

はてぶを見ながら皆と同じように強い拒否反応を抱いてきたけど

このままずっと戦い続けるのはもう無理だと思うようになってきて

とうとうTSUTAYAの件はアウトプット申請はしなかった

政府まで「ビッグデータ」を使って商売しろといいだして

この戦いはもう負けたんじゃないかと思うようになってきた

もちろん今までの戦いの結果、ルールアウトプットが整備されつつあることは知ってる

そういう戦い、団体戦みたいなものは今後も応援する

でも、自分自身個人情報のために多くの手間をかけることはもうやめようと思う

いろんなもの諦めてきたけどまたひとつ追加された そんな独り言

2014-10-28

IT勉強会リアル

 IT勉強会活用しようと思う人は、まあ、一度は読んで、その時間の使い方が本当に有意義なのか一度落ち着いて考えてみるといいと思います。また、企業エンジニア面接官は、エンジニアIT勉強会などのコミュニティ活用アピールしてきた場合、以下の現実を把握されてから、今一度候補者の言い分を検討してみるのが良いと思います

まあ、現実的には、「なんかいろいろIT絡みで『うまくいっていない人』が必死にもがいてる姿を見て、自分安心する会」ってのが多くのIT勉強会リアルかと。非常にまれに良い勉強会もありますが、一瞬存在するだけです、そんなもの

2014-10-25

http://anond.hatelabo.jp/20141025211937

分野によるんだろうけど、自分ウェブで何かを覚えるということはほとんどないなあ。

ウェブは基本アウトプットの場という感覚

webなどを読」む時間を本を読むのに回せば効率が上がるんじゃないだろうか

2014-10-23

研究者目指してるんだったらいいから毎日最低1本論文を読め。

インプットが無いのにひらめきやアウトプットが出るわけがない

2014-10-13

増田アハ体験を求めている人達

ブクマされている増田は、「自分が感じている違和感がうまく文章化されたものとその解決策」がとても多い。

7〜8割はそうじゃないだろうか。あとは娯楽文章だろう。

釣り増田を書いている人達もそこら辺を心得て書いていると思われる。


自分違和感を形にされ、解決策を増田提示される事で

「ああやっぱり同じ人種がいるんだ」と共感し、スッキリする体験…小さなアハ体験はとても大事だと思う。

けれど、本当はその増田もう一歩進んで、自分の中で咀嚼してアウトプットするもんだと思う。

自分違和感を形にされてブクマされた増田というのは、短文の自己啓発本のようなものから

何度も読み返して、人生を少しずつ豊かにする良いものだと思うよ。

また、釣り増田を書く人は、前に増田であったツッコミ技法でも書いてあったけれど、

違和感に対していかに早く的確な言葉を発するか」という違和感探しチキンレース増田で展開しているに過ぎない。

100点満点中30点の文章ばかり量産する人達から、軽さが透けて見えるよね。読んでいて面白い文を書いて欲しいのだけれどね。




世の違和感を形にしていた人というとナンシー関を思い出す。

結局「多くブクマされた増田一覧(ブクマTOPページ)」は第二のナンシー関のようなものを求めた人達集合知なのではないだろうか。

まり20年前から結局本質的人間は変わっていないのだなということ。

からどうだというものでもないけど、自分達は20年前の人達とまだ同じような閉塞感、違和感を抱えて生きているのってちょっと滑稽だね。

あーそうか・・・

完璧主義者ってアウトプットを100%完璧にしようとする人のことじゃないんだな。

インプットの方を100%にしようとする人のことを言うんだな。やっと分かった。

から辛かったのか、今まで

2014-10-11

自分にとっての「ブログを書く意味」をわかっていない

目立って人気者になりたいだとか、趣味の合う人と馴れ合いたいとか、有意義アウトプットで人を惹きつけたいだとかい目的を持ってブログをやっているわけじゃない。

なんで書こうと思うのかを自分ではわかっていないんだけど、「なんか書きたいなあ」「この感情ブログに書くべきかなあ」と思うときはあって、そういうときに書くようにしている。

いつかわかるのかな。別にからなくても困りはしないけど、動機がわからないとなんかモヤモヤする。

2014-10-05

元増田です(2)

http://anond.hatelabo.jp/20141001050424

長いですね。匿名だし、こんなもんでいいよねー、と言わんばかりに思考ダダ漏れにひたすら書いているだけです。お暇な人だけ。

後半書きます。色々なレスポンスに対する僕の回答・意見感想です。長くなるし後半部分はまた別の話になるのでわけました


 同じ主張でもメモを取って二度と同じことを聞かないこと派からメモを取って言質に派まで色々とありました。中にはボイスレコーダーで言質とろうという猛者まで。

 うん、僕もメモ大事だと思います。外部記憶媒体大事だって人間忘れるし。しかし、それを整理できてないのは僕が悪いですねぇ…休日や帰ってからやっぱそういうのやらなアカンなと。

 せせせせせせせせやなななななn。しょうがないじゃない、頭悪いんですもの。が、もっと思考を深めてそのスピードを上げなきゃなとは思って、色々と危機感対策まがいのことはしてます。それっぽい人のブログ動画みたいなコンテンツをみてみるとか。ただ、アウトプット大事だというのは常々感じながらもそういったことをしてないので、ちょっとそういう努力をしないとなーとは思っています。でも気力が(ry

 この主張にも「世代によって教える技術が培われない層がいる説」「地方公務員の末端=あまり優秀でない人材が集まっているから説」「たまたまそういう上司に当たった説」「とにかく何回でも教えるべき説」と色々な説が繰り広げられていて興味深い。

 あまり優秀でない人材説に関しては、ちょっと違うかなと。こちらから見る限り、頭のキレる人、即決力がかなりある人たちが多くて頼りがいあるな、という感じを抱いているので。そう、僕が悪いのです。

 深夜テンションからね、仕方ないね

 それっぽいのはあるんですよね。ただ、それに書いていない行間で怒られるというか、「普通に考えればそれくらいわかるでしょ」という怒られ方をするというか。あと、そのマニュアル概要を説明しているだけで、詳細な業務については一切書いてない。ので、先輩に教えてもらうのですが…そう、僕が悪いのです。

 前記のようにメリハリのあるちゃんとした職場ではあると思うのですが、都道府県民の方のクレーム意見にはものすごく敏感なのは感じます。まぁ、行政って突き詰めればサービスだしねぇ。

  • 嫌われてるってことがまず問題

 これも、質問の仕方を工夫してみようとか、成長していることをフリでもいいから示そうとか、とにかく好かれる努力をすれば対応全然違ってくるとか、そもそも自分の気持を上司理解してもらう努力してるのか?、とか色々な意見がありました。うん、人対人なんだから、そのコミュニティに溶け込まないといけないよね、分かってる、わかってるんだけど上手くいかない…でも、色々な方法論はとても参考になりました。今度実践してみようかな。

  • 教えたくなくなる要素があるのでは?

 これに関しても、反応が悪くてもう教えたくない説、提案・質問を混ぜて質問しよう(単純に「こうでしたっけ」はだめ)説、当事者意識が低い説、「ど末端」という意識が見え透いている説、と様々なレスポンスがありました。

 なるほどなー、ちょっと意外な視点だったかも。方法論を参考にしてみて、ちょっと頑張ってみます仕事場では、「ど末端」とか考える暇ないからそういうのは出してない気はするんだけどなぁ…やっぱりどこかしらにでているんだろうか。

 うん、知ってた。生まれる前から知ってた。極力「自分でしなきゃ、頼っちゃダメだ」という思いで働いて、先輩に伺いを立てる時は(コミュ障なことも相まって)それはもう刺し違えるくらいの気持ちで立てている。で、ものすごく心が疲れる。ああ、仕事って嫌だなぁ…あっミスした!、の繰り返し…

 でも、ある程度は新人なんだから、怒られるのも当たり前だと思って最近は少し楽になった感はあります

 そ れ を 言 っ ち ゃ あ お し め え よ

その他、こうした分類ができない色んな意見方法論・叱咤激励を頂きました。せめて、これを自分なりに消化して、次に生かしていくのが、こんな吐露記事にわざわざ時間を使って文字をタイプしてくれた皆様に報いることなんじゃないかなと思って、明日(月曜)からまた精進していきたいかな、と思います




最後に。

このつぶやきからの一連のこの人のつぶやき、及びそのリプライとかが非常に気になったので貼ってみます。これはこちらの職場にも当てはまるところがあるようなきがするなぁ、と。

[(https://twitter.com/tail_y/status/517497426060406784):twitter:tweer]

2014-09-29

http://anond.hatelabo.jp/20140929013124

>ネ、あのさ、これは真面目(笑)に言うんだけど、常識として考えてアナタ採用担当だったとして、履歴書をわざわざがんばってがんばって手書きをしてくれた人間と、チョチョイのチョイとキーボード叩くだけでこしらえた人間と、どっちを採用しようと思います

昔何かで読んだが、大学1年生を対象にしたPCスキルの講座で、1分間の平均のタイピング数がだいたい200キーだったか250キーだったかだそうだ。変換の確認やら何やらで、たぶん「チョチョイのチョイとキーボード叩くだけでこしらえ」られるのは字数にすれば1分で100字程度と思われる(参考までに、だいたい平均のタイピング速度が550程度の私が手元にあった本の一部をタイピングで写してみたところ、誤字の修正等込みで1分274字だったので、この予想はそれほど間違いではないだろう)。

一方「わざわざがんばって手書きをし」たら、字数としてはどれぐらいの速度になるかというと、同じ本を同じ箇所から写してみたところ1分で106字だった。だとすれば「チョチョイのチョイとキーボードを叩」いてみても「わざわざ頑張って手書きをし」てみても、平均的な大学1年生の間では文書をアウトプットする作業にかかる時間はさほど変わらないことになってしまう。これはレポート等で打ち慣れていくことを加味しても、4回生でもあまり変わらない傾向だろう。

手書きについては全体の平均が見つけられなかったので参考値として私個人の数字を挙げるだけになったが、是非御自身でも試してみてほしい。場合によっては「ワープロの方が遅い」なんていうことも決して冗談ではないはずだ。このような状況もあるので、本当に「チョチョイのチョイとキーボードを叩くだけ」なのかは、一度老害もの間で真剣に考えた方がいいのではないかと思っている。さもなくば、私としても「チョチョイのチョイとアクセルを踏むだけ」で出社するのではなく「わざわざがんばって歩いて」出社してもらわなければ貴殿勤労意欲を推しはかることが出来ないと言わざるを得ない。

2014-09-06

専門学校の落第生

専門に入ったにも関わらず、希望業界への就職はできず、

友人の紹介で近からず遠からずの業界事務としての日々を送るのみ。

その友人も、”近からず遠からずの業界”では精鋭の若手であり、また別の友人は希望業界で重宝されている。

劣等感が拭えない。

しかし当時の自分からすれば、及第点の地位にいるのも確かだと思う時もある。

GID問題を皮切りに、学生時代友達が出来ず、能力就職への焦りから鬱になり休学。

鬱ながらも活路を見出そうと自己啓発にはまり、頑張り方を覚えた。

これは転機であった。しかし、頭ではわかっても身につくには時間がかかり、復学後特に何の成果も出せないまま卒業

そこからなんやかんやを経て、事務職に。

これが自分限界なのだろうか…という葛藤が思考を占有する。

未だに希望業界への夢があきらめきれず、各種メディアtwitter情報だけは得ているのだが、

学生時代からフリーランスで働いている人とか、現役ソルジャーの発言とかをみているとこの上なくツラい。

自分は色々事情いいわけにしたけど、結局情熱がなかったんだな』と落胆する。

諦めない気持ちだけは持ち続けているが、情報インプットのみでアウトプットはしていない。

諦めるべきかと思いつつも、近からず遠からずの業界なので、いやでも目にする。諦めきれない。

ソレ以外、仕事としては居心地がいいとはいえ、給与もよくないし、

転職するか昇進するかの頑張りは必要になる。

何を頑張ろうか。

友達を作る所からかな。先は遠い……。

http://anond.hatelabo.jp/20140906162128

創造性があってもそれをアウトプットできて

かつそれを利益公益転嫁出来る形に仕上げることが出来ないと

そんな創造性は全く無意味存在価値皆無。ゴミ

故に、5教科ゲーム如きがそれなりにこなせない人間創造性なんて

誤差の範囲ゴミクズだということが何故理解出来ないかな…。

たかが5教科ゲーム創造的な訓練を両立できない人間なんて

どうせクソの役にも立たないんだから、さっさと単純労働に放り込むべき。

教育コストだってタダじゃねえってのに。

こんだけ他人税金無駄食いして五教科ゲーム程度のこともマトモにこなせないって

どういうことだよそれは。

初等教育終了時に下位5割ぶった切るくらいのことはするべきだろ、どう考えても。

本当に創造性のある人間なら教育を与えなくても問題ないはずだしな

少なくとも、元増田ちゃんに異論があるはずもないよな。自分で「五教科ゲーム無意味」って

主張してんだから

2014-09-02

究極のコミュニケーション能力

コミュニケーション能力を語る記事はいつもなんだかなーとなる。

社会的に優位になるという利己的な根拠を武器として振りかざすことが前提で、むしろ無い奴は駄目。

という、相互理解どころか同調圧力による排除を促進してるように見える。

それは本意ではないのは分かる。

そういう記事を書く人達は、別に同調圧力で何かを排除したいのではない。

自分に足りないから獲得したい。という自戒である

利己的になってはいけない。そうなれば幸せになれるはず。という願いである。

しかし、その自戒と願いが表出して誰かに伝達された時、まさにコミュニケーションが発生した時。

その伝達された誰かの内、ポジティブに望まない者は、それを疎外感として受け取る。

その状態を、彼らのいうコミュニケーション能力という定義にあてはめたならば

自分が言いたいことだけ言ってまわりの人間がどう感じ取るかも考えてない人。」

になるのではないか。まさに彼らが否定排除しようとする鈍感な人間象徴なのでは。と思ってしまう。

から、そうして、コミュニケーション能力ってなんだかな。という無力感にいつも襲われる。

じゃあ、みんな何も言わずに黙ってればいいのー?

でも、そうじゃないよね。例えばさー

高度に専門的な知識を持った人同士なら、互いのアウトプット歴史があれば

今その人が何を考えてるか、その人がどう思ってるかとか理解できるよね。

正確には、アウトプット歴史を、自分の持つ思考や知識で、深く噛み砕いて

相手の思考や感情類推して、相手を理解できたと思いこめる。

そういう瞬間って誰にでもあったと思うのよ。

高度な知識じゃなくてもいい。

あなたと誰かしか知らない秘密でも良い。

彼と我。その二人の間だけに伝わった何かに気付いた時。

それは時を超えてても良い。

昔の人が残した記録を、自分の中で噛み砕いたと確信した時。

人はその人を理解できたと幸せになれてね?

でも、それって所謂コミュニケーション能力が高いか?

しろ、そこには言いたい放題言ってる人間と、勝手に思い込んでる人間

自己満足な鈍感な人が二人いるだけだよね。

でも、良いじゃん。それで。

だって、それがクロスした時、その人達って相互理解どころじゃないよね。相互理解相互だよね。

って思うのよ。

コミュニケーション能力という力を使って

定義もばらばらな言葉の上澄みをなめあって、互いの奥底の理解を諦めながら

それでも数投げ合えば意思疎通できる。という共通幻想の強化よりも、よっぽど共感できる。

なあなあに合わせたその感情よりもよっぽど尊く感じるよね。

でも、そんな奇跡みたいなクロスはそう簡単に起きない。

それを信じて生きていけるほど、この世界は個人に優しくないことも分かる。

特に俺に。

でも、それは諦めたんだよ。諦めてこの世界と戦うために、折り合いを付けた技。

それがコミュニケーション能力だろ。


何尊いモノ風に語ってるんだよ。ふざけんなよ。って話ですよ。

本当に尊いものは、そんな上澄みじゃなねんだよ。

まとめると、コミュニケーション能力かい言葉見てると

俺がいらいらするから、それぐらい共感してみせろよ。

コミュニケーション能力高いんだろ。というそんな話。

2014-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20140901223219

とうとう思考そのものにもリアリティが無くなってきたなあ。

てか、今でもネット通販は小売りの足元にも及びませんが?

スーパーコンビニをナメんなよって感じ。

アウトプットの練習なら意味がないので議論はもう止めようか。

2014-08-31

ネットで身内がコケにされてた

実家暮らしフリーターの弟がいる。

精神的な病で弱っているらしく、週5日以上は働いていないらしい。

そんな弟に「せめて何か好きなことをしてアウトプットしたら?」と言ってみた。

すると「既に歌とかネットで上げてるよ」と言ってきた。

早速見てみると半分以上が低評価だった。

俺は聞いてて上手いのか下手なのかよくわかんなかったけど、とりあえず写ってる部屋が汚かった。

それと同じくらい弟も汚かった。

たぶんこれは作品評価じゃなく、弟に対する評価だったと思う。

「よくがんばったな。こういう所からコツコツ自信を積み重ねていけばいいんだよ!」と励ますつもりでいたんだけど、痛々しいというか、やるせない気持ちになった。

この気持ち、どうすればいいんだろう。

おまえには音楽の話を自由にする権利などない。なら勝ち取れ。

https://twitter.com/sahoobb/status/505525364521570304

 彼女の嘆きに対する解答はラストコマで既に自ら出している。

 要するに、「音楽の話をせずに」、「好きなもんを好きな様に聞けば」いいのだ。

 そうやって過ごせれば、こんなに平和なことはないなんて赤ん坊でもわかる。そうやって過ごせればどんなにいいか。

 「音楽国境はない」。とても有名で、とてもすてきな言葉だ。たぶんボブ・ディラン歌詞だろう。音楽関係名言の九割はボブ・ディランの口から発しているとされおり、すごく有り難い。

 ところが現実ボブ・ディランではない。各国の土着・民族音楽に使用されている音源はおのおので笑えるくらいに異なり、「国境なんてないんだ」などとほざいて通じるように聞こえる西洋音階によるポップチャート侵略主義の結果に過ぎない。しかしだ。ここはあえてボブ・ディランに百歩譲りたい。音楽国境はない。その呑気なテーゼを容認したうえで、ボブ・ディランはこう付言する。

 「音楽の話においては万人が万人へ対する闘争状態にある」と。

 http://b.hatena.ne.jp/entry/togech.jp/2014/08/30/12027

 ここにコメントを書いているブクマカ(死語)は全員、本質を見誤っている。

 音楽の話において、人が他人を見下すのはそいつマイナージャンルを好きだからではない。過去自分を見ているからでもない。人間は見下すように生まれた動物から、というのはちょっとあるが、決定的ではない。

 女が泣くのは、音楽の話をコミュニケーションの道具に使うからだ。

 そもそも音楽の話はコミュニケーション媒介として非常に燃費が悪い。なんせ、実物がないとその曲がどういうものか、ぼんやりとすらわからない。小説漫画には筋がある、映画には役者がいる、スポーツには様式化されたアクションが、アイドル芸能人にはゴシップが、文学にもゴシップが、それぞれ素人にも言語化しやすい形で道具として可視状態にある。

 音楽には何もない。楽器に触れたこともない素人二人が互いに片方しか知らない曲の話をする場合、だいたいはエモーショナルでよくわからない表現に頼るしかない。あるいは「いいんだよ」だ。「うまく言えないけど、とにかくヤバイの」。これでは何も伝わらない。即時性を重要視するコミュニケーション現場では、音楽など、口下手な二人の間で放置され冷めたフライドポテトよりも価値がない。すくなくとも冷めたポテトは「まずい」という互いがすぐに了解しあえる話題のフックを備えている。

 とかく、音楽の話はコミュニケーションに向かない。

 なんだ、当たり前の話じゃないか、そんなことは昔からわかっているよ、とあんたは言うだろう。

 ところがあんたは昔とおなじくらいに何もわかっちゃいない。

 順序を間違えている。

 人は他人を見下す生き物であり、だから音楽の話でコミュニケーションを取ろうとすると悲劇が起こる、あんたはそう考えている。でなければ、あんた以外の誰かはそう考えている。

 違う。逆だ。

 音楽の話でコミュニケーションを取ろうとするから他人を見下す生き物としての人の顔が顕現してしまうのだ。これは理屈でも論理でもなく、真理だ。

 音楽の話が諸悪の根源なんだ。 

 音楽は門戸がビッチの(ピー)なみにガバガバに広い。食べ物と似た感覚で「うまい」と「まずい」を直感的に判断できる。その直感は、一見まじりけなく、自分本質、アーイデーンティーティがぁーー♪に直結しているように思われる。

 だが、アウトプットしようとなると、童貞のケツ穴のごとく狭窄だ。和音? コード進行? ポリフォニック? Perfumeゴリラ

 なんだそれは? なんだそれは? なんだそのわけのわからない……専門用語は?

 そして、俺を含めた素人の九割はその意味を知ろうとしない。「しろうと」だけに。これは駄洒落でも冗談でもなく、真理だ。いや、ほんとうに。

 ゆえに、聞く行為のもの直感的な好みへ直ケツし、下痢気味の短腸生物のごとく未消化でそのまま「おれのアイデンティティ」へ繋がる。

 すると、どうなる?

 コミュニケーションバトラーたちは「○○を聞いている俺=俺自身」で勝負するしかなくなる。変化球切り札も伏せカードも強欲な壺もない、各種ジュアルルール適用されない生の殴り合い。怯んではならない。ダウンしてはならない。なぜなら、その曲は「俺」の魂そのものであるからだ。

 それはかつて冷戦下で想定された最悪のシナリオ酷似している。発動されてしまった相互確証破壊戦略スクリーンを飛び出してしまったスター・ウォーズ。後には誰も残らない。灰と水曜日以外、残らない。

 20XX年、ここは音楽の話の核の炎に包まれた日本だ。モヒカンゲスの極み乙女。)が汚物(イグザイル)をルールする日本だ。

 みんなが音楽の話をしている。フェイスブックで、twitterで、日常会話で、好きなアーティストを主張しまくっている。もう手遅れだ。

 最初の女の嘆きに戻ろう。すまない。君には嘘をついた。「君一人が黙ればすむ」だなんて。

 でも、さっき言ったように、ほんとうはもう全世界的に手遅れなの、君一人が黙ってももうダメなの、ごめんね、でもほんとうです。

 しかし、本当のおわりが来る前に試みることができる解決策が二つ、ある。もちろん、択一だ。どちらかが正解のコードかもしれないし、どちらを切っても結局爆発するのかもしれない。なんであれ、やってみるだけの価値はある。

 一つ目、耳を塞いで今君のいるコミュニティフィジカルものバーチャルものも)から遁走し、誰も音楽になんてプリミティブな代物以上の興味を持たない新天地老人ホームおすすめだ)を探し出し、そこに逃げ込んで、鼓膜を破り、二度とiPhone再生ボタンを押さないことだ。

 二つ目――これはきみが臆病者でない場合プランだ、当然、保険はきかない。

 とりあえず、だれでもいい、きみの周囲のモヒカン無作為に選び出し、襟を拳で持ち上げ、殴れ。

 ボコボコしろ。そして、耳をかっぽじってよく言い聞かせるのだ。

「これから二度と私の前で、音楽の話なんてするんじゃないよ」と。

 相手は腫れ上がったクチビルで言い返すだろう。「勘弁してくれ、音楽は俺の魂なんだ」と。

 言ってやれ。「あんたは○○○かい? 音楽なんざいくらでも聞きな、あたしは『音楽の話』をするな、って言ってんだ!!」

 それから、相手の携帯を出すように命じろ。ロック解除のパスワードを聞き出したなら、フェイスブックとその他諸々のSNSアクセスしろ。まず、プロフィール欄の「好きな音楽」を抹消しろtwitterプロフィールは「わたしは卑怯ネオナチ豚野郎です」と書き換えろ。

 それからそいつ過去web上で行ったあらゆる音楽関係の発言を消してまわれ。終わったら、君はその携帯を愛をもって持ち主に返却するか、悪魔の笑みを浮かべて膝で叩き割るか、電子レンジでチンするか、そのどれかを選べる。この選択は択一ではない。

 悪を根本から断て。音楽の話を滅ぼせ。本物の音楽のために。

 君に関係する豚野郎もの携帯がすべてアルミメルトチーズと化したころ、君はようやくお気に入りのイヤフォンであるATH-CKN70を耳孔に接続できる。

 音楽聴くことができる。

 もはや君の周囲で音楽の話をする豚はいない。君に話しかける人間もいない。誰にも邪魔されない。

 本物の安寧と平和が手に入る。

 本物の安寧と平和、いい言葉だ。きっとボブ・ディランが作ったに違いない。あるいは残りの一割を司るアジカン眼鏡が。

 ピース 

 

 

 

2014-08-30

二人の管理職

二人の管理職が机を並べて働いていました。

一人はできるさん、もう一人は残念さんと言いました。

二人は全然違うタイプですが、同じぐらい熱心に案件を気にかけ、同じぐらいの熱量を持って仕事に取り組んでいました。

できるさんは、案件に着手する時は部下に丁寧に案件の内容について説明し、必要な人や部材を先回りして調達し、環境を作ることに専念していました。環境を作った後はあまり干渉せず、部下の手法判断尊重していました。部下はどういった手法が適切か、どうやったら安全リリースできるかを考えるようになりました。


残念さんは、案件の着手段階では客や営業からメールを部下に転送し、案件理解した部下が人の増員や部材の調達を依頼してきたら手配していました。反面、アウトプットについては細かくチェックを入れて、コードやお客向けの資料は何度もレビューを行っていました。部下たちはどうやったら残念さんの考えるアウトプットイメージに沿えるかを考えるようになりました。


二人とも打ち合わせには積極的に同席していました。

できるさんは打ち合わせの場では基本的に話を聞いているだけでした。判断を求められたり、関係者間で認識にズレがある時などは発言していましたが、同席することで部下に報告の手間や時間を取らせないようにしようと考えているようです。

残念さんは打ち合わせの場で仕様アウトプットイメージをがっちり確認し、手戻りを避けようと一生懸命でした。

打ち合わせの前後にはメンバー認識合わせを必ず行い、よりよい案件進行を部下とともに模索しようと考えているようです。



ある日二人の部下が躓きました。


できるさんの部下の案件は、リリースしようとしたときテスト環境では問題なく動いていたアプリが本番環境で動きませんでした。

お客さんは、再現環境を作ったり、ベンダーサポートを呼ぶなどして早急に問題解決を図るよう求めてきましたが、できるさんはログの解析や、テスト環境と本番環境の違いの洗い出しなど、机上調査を優先することを主張しました。また、どのような手法でも時間必要になると説明しました。

机上調査から被疑部位が絞られてきたところで再現環境を構築して、問題の再現と回避方法確認が行われました。リトライが行われ、今度はうまく行きました。当初予想されたよりも早く解決できました。

ただ、お客さんの目には対応の初動が遅いと映ってしまったようです。


残念さんの部下は、あるタイミングでお客さんと自分たちの間で仕様に関する認識がズレていることに気が付きました。

急ぎお客さんに相談し、修正を加えていくことになりました。お客さんはスケジュールを気にしています。残念さんはなんとか当初のスケジュールを守れるよう努力することを約束しましたが、同時に現実的に実現できそうなリスケ案も提示しました。

残念さんは自分案件に加わるとともに人も増やしましたが、混乱を助長しただけで、もとからメンバーたちが深夜休日に出社するなどしてなんとか終わらせたのは、リスケされた完了日をだいぶ過ぎてからのことでした。

ただ、残念さんは自分も作業に加わっていることや、人を増やしていることをアピールするなど、状況をこまめに報告していたので、お客さんの印象は悪くなかったようです。




さて、その後二人がどうなったかというと、二人ともリストラされました。

人事部長の言葉です。

「二人とも年齢と年収リストラ対象に引っかかってたから。」

2014-08-25

子ども読書感想文自由研究を親がやることについて

それでいいと思う。ソース自分


昨日、やっとうちの小4と小2の夏休みの宿題が終わった。親泣かせといわれる、読書感想文自由研究もばっちり終わった。今年も自分旦那のこれらに対する熱の入れようは半端じゃない。


読書感想文物語感想をただ書くのではなく、

・作者、課題図書の選者の意図テーマを読み取り(親:子=99:1)、

・一度物語を分解し(100:0)、

自分自身ストーリーとして再構築させ(90:10)、

・それに対して自分の心情を描画させ(50:50)、

・作文にまとめる(50:50)、

という、小学生しからぬ手法を用いて毎年賞に入れている。


自由研究も、

テーマ決め(親:子=50:50)、

実験方法検証(99:1)、

実験器具の作成(90:10)、

・観察結果(50:50)、

考察(70:30)、

・まとめ・感想(30:70)、

・発表資料作成(10:90)、

のような割合で親が関与している。なおかつ自由研究の大テーマ兄弟ともに毎年同じにして、前年度までの研究に対しての積上げ研究にしているので年を追うごとに深みのある内容になり、こちらも毎年何かの賞に入れている。


こんなに親が係われば、賞に入るのなんか当たり前だろうと思うかもしれないが、実際、市区町村を勝ち抜き、県レベルの賞に入ってくるのは、小学生はいえかなり高度なものが多く、自分で発想~アウトプットまで親の関与なしにそのレベルまで仕上げられる子供ほとんどいないだろう。


うちの子たちも含め、かれらはそこそこの教育レベルの家庭にあり、考える力(=生きる力)を身に着けて社会に出ていくことは予想できる。なぜなら自分たちの親がそうだったからだ。教育に関心のある親の元で育ち、夏休みの宿題は嫌々ではあるが、親によってきちっとした仕上がった作品夏休み明けに持っていくと、先生クラスから羨望の眼差しでみられ(その後の授業参観の時には、県へ出品しているため自分作品だけ展示されないという小さい問題はあったが)、大きな自信につながったことも言うまでもない。現在社会工学系の研究仕事にしているダンナについては、(我々凡人は)研究自分一人だけでやるものではないという持論があるらしく、卒論博士論文現在に至るまで指導者同級生、同僚からアドバイスを、仲間と一緒に確認してまとめただけだ、といっている。


ところで、子供宿題を親がやるのはおかしいという意見がある。「自分の事は自分でさせる」「親の勉強してどうするんだ」「子供のためにならない」等々。主義として本気でそう思って、そういう方針子育てしている人はそれでいいと思う。けど、忙しくてできない、という理由子供に目をかける暇がないという人は、夏休みのうち、週末ぐらいは子供宿題を手伝ってあげれば、勉強方法に触れることによって、新しい発見があるかもしれないし、高クオリティーの提出物は、子どもの自信につながると思う。


なにより子の成長は、親も楽しいしね。

2014-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20140821222735

どう考えても、この増田が使えないやつだから首にしたかったってオチだよな。

それだけサビ残しても、ろくなアウトプットが無かったんだろ。

2014-07-30

失恋して死にたくなって、死のうとすることもなく一年

空っぽである

アウトプットしたい何かがない。

感情を理路整然と組み立てることを放棄している今日この頃です。

悲しいものは悲しい、なぜなんだろうと考えるのは不毛だ。

悲しさを分析することで理解して、自らに落とし込んでいるから落ち着くのだと思っていた。去年。


それは自分自身にいいかっこしていただけで、実際のところ思考することで思考することから逃げていたのは明らか。

一年も経ってしまった。

時間が解決してくれるとはまさに!

人並みの脳みそを持っていてよかった。忘れたいことも覚えていたいことも少しずつ忘れていくし、熱量は下がっていく。

予想通り新しい恋にも泣けるようになっている。

生きているんだなあと。

成長したなあとは思わない。進んでいるなあというより、動いているなあと思う。積もってるというほど高さは出ていなくて、なんていうのか。

Y座標の変わらないまま、それでも着実に増加していて、止まらない。(年齢の話ではない)

私が止まっていても、動いている。

自分が変えたくても変わらなかった周りが変わることで、私自身が変わっている。

いいことなのかわるいことなのかは分からないけど、それをうれしくも悲しくも思う。

悲しく思うことも、よかったなぁって。

2014-07-26

急にアウトプットという単語を使い始めたやつ

「良質のインプット自分に投入して最高のアウトプットを生むのがビジネスです」とか

アウトプット力のある人は、結果を恐れないし、結果を残す」とかもうね、見ててこっ恥ずかしいと言うななんというか

  

おまえら小学生の作文か、と。

アウトプットという単語を使って短文を書きなさいという小4の国語問題か、と

  

とりあえず覚えたての単語を使いたくてウズウズしてるのかしらんがもうちょっとマシなアウトプット(笑)しろや、と言いたい。

  

ご静聴ありがとうございました

2014-07-25

うつ病経験

私は高校時代うつ病になったことがある。

症状はかなり深刻で、無気力、無感動。明らかな記憶力、判断力の低下もあり、学校でも私生活でもありえないミスを連発した。

感情抑制も効かなくなっていて、外部からストレスに過敏に反応していた。この辺りは無感動と矛盾するように思われるかもしれないが、面白いもの美しいものには感動できないが他人からの指示や指摘といったストレスだけは過剰に負担に感じてしまうという最悪の状態だった。そして一番酷かったのが言葉を発そうと口を開いても声が出るまで時間がかかり、ようやく話し始めても語尾まで言葉が続かないこと。語尾に辿り着くまでに言葉が思いつかなくなることもあるし、話しているつもりなのだが声量がどんどん下がり声が出なくなってしまパターンもあった。一歩間違えば失声症になっていたのかもしれない。

私はうつを直すのに薬を使うことに強い抵抗があり、カウンセリングだけを受け続けていた。本当は薬に頼るべきだったのかもしれないけれど今となっては何が最良だったのかは分からない。カウンセリング治療だけにしようと決めた時点で、心療内科に通うのを辞めてしまったのでこの話は治療方法や通院の参考にはならないと思う。

カウンセリングでは具体的にどんな話をしていたのか、正直あまり記憶にない。当時の記憶力が低下していたことも原因の一つかもしれないが、思い出したくない心理も働いているように思う。断片的な記憶だが、とりとめのない私の話をカウンセラーさんが聞いてくれて、一つづつ何が辛いのかを整理していった。何か直接の原因を解決する、というよりは、受け止め方を変えるアドバイスを受けていたと思う。あとは弱い自分ダメ自分を受け止めて自己否定をしないこと、とかね。とりとめのない話を聞いてくれるというのはとても重要で、普段悶々と頭の中を巡っている思考を言葉としてアウトプットし受け止めてもらうプロセスは、症状の緩和にとても役立ったと思う。ただ、話したいとき、話したくないときがあって、せっかくの予約をドタキャンなんてこともあったりした。当時は先生にご迷惑をおかけした。

カウンセリングだけでなく、本当に偶然の良い巡り合わせの重なりで、一年弱で随分明るくなった。まず明らかに記憶力、判断力が改善した。

以前であれば、自分が直前に話した内容すらも忘れる有様だったのが治り、言葉も力強く発せるようになった。言葉がはっきり発声できることを自覚したときには本当に嬉しかった。趣味や進路のことにも随分積極的に関われるようになったし、今まで否定的に受け止めていたことを受け流したり、肯定的に捉えられるようになっていた。今までは人に言えなかった悩みを言語化して周りに話せるようになったことで周囲の理解も得られ、カウンセリング通いを卒業した。高校2年の冬のことだった。

うつは治る病気だ。うつの渦中と健康な状態では、本当にものの考え方も行動力も違ってくる。無気力や無感動という症状だけの場合一見怠け者だの仮病だのと思われがちだ。しかうつを拗らせてしまうと本当に重い症状が出てくる。記憶力判断力の低下と発話の不自由にはかなり苦しんだ。軽度うつの方にはそうなる前に病院にかかることをオススメしたい。そして周囲の方々もうつの人を甘えと言わず暖かい目で治療を見守ってあげてほしい。

私はその後も時々、軽度のうつのような症状を発することを数年置きに繰り返し、正直完治したとは言えないのかもしれないし、元々あまり現代社会に馴染めていない側面もある。他のうつ患者の方にも再発に悩んでいる方も多いだろう。私は現在、かなりうつ傾向に近づいてしまっていて、焦りと不安を感じている。

うつは治る、だか繰り返しやすい病でもある。カウンセリングはあれ以来かかっていないが、久しぶりに通いもう一度自分を見つめ直そうか。

社会に完全に適合することに対しては既に諦めのような感情があるが、上手く社会と折り合って生きて行くためにどうすればいいのか模索を続けよう。うつ経験し、今も抱える私の自分語り最後まで読んでくれた方がいたらありがとう。そして、もしうつに苦しむ方が居たら、どうか焦らず、ゆっくりうつと生きて行く方法を考えていこう。

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