はてなキーワード: 輪廻転生とは
転職しようと考えていて、同棲している家に帰るときに使う電車を
いつもと違う路線に変えた。何に変更したのかはさっぱり覚えていない。
乗り換えようと駅から出て、次の駅まで歩く。
駅を出ると、夕方4時くらいなのに、8時並に真っ暗だった。
星が出ているし、まっすぐ一本道がある先には、廃墟と近未来のビルみたいなのが立ち並んでいた。
遠くには豪邸があり、「こっちへおいで」と誘うような花火がバンバン鳴っていた。
思わずそちらへ向かおうとすると、瞬間移動して
その豪邸前の駐車場みたいなところに居た。
車の陰に隠れて近くに居た男性が「お前もこっちに巻き込まれたか」と言って何のことか分からずに居ると
「あれだれ?」と男性を振り返るとビックリした顔をして固まっていた。
再度黒スーツのほうを向くと、黒リーマンはズバッと一瞬で目の前に現れた。
そういうと、悲しそうにため息をついた。
黒スーツは「ここにきてはダメなんですよ。輪廻転生の輪に帰ってもらわないと……そのためにタヒんでください」
って言われて追いかけっこが始まった。
リアルの世界では50m13秒という超鈍足なのだけれど、それ以上に鈍足だった。
呆気なく捕まる私。捕まる私の近くを泳ぐマンボウ。
そして目が覚めた。
意味不明だ。
オウム真理教の思想を読み解く上で、様々なキーパーソンが登場する。
オウム真理教が経営していたパソコンショップ「マハーポーシャ」では、ゲームで数学を学ぶ「数学勝利者」というロールプレイングゲームを販売していた。
イムホテプ (Imhotep, Immutef, Im-hotep, Ii-em-Hotep, Imuthes) は、古代エジプトの高級神官。第3王朝のジェゼル王に仕えた宰相とされる。また、エジプト第3王朝最後の王フニ王の時代まで活躍したとされる。
朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。
Nāropā (probably died ca. 1040 CE) was an Indian Buddhist Mahasiddha.
ベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin, グレゴリオ暦1706年1月17日 - 1790年4月17日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
弥勒菩薩(みろくぼさつ)、梵: maitreya(マイトレーヤ)、巴: metteyya(メッテイヤ、メッテッヤ)は仏教において、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であり、大乗仏教では菩薩の一尊である。
上記5名が、どのようにオウム真理教の思想と関連しているのか?考察してみよう。
「えーと あ 我々がやっていた免罪符のランダム性についてですが 第12項によると『賭博にあたる行為を推奨していない』と書かれています なので禁止もしていない と解釈することもでき」
「生活教の七戒の一つ、『営利を介した宗教活動を禁ずる』。是非が明記されていないものについては、生活教の基本信条と七戒を参考にします」
だけど、どうもニセ教祖は話についていけてない。
俺たちと同じで、聖書をマトモに読んでいなかったっぽいな。
「え それって矛盾しませんか どうして こんな曖昧な表現にするんですか」
「賭博に抵触するものを全面的に禁止すると、娯楽だったり、保険などに入ることすら広義的にはダメだとなってしまうからです。それは心身の健全さや、生活における安寧を、かえって損なうことになります」
その後も応酬が続く。
あ、このあたりのやり取りは話の構成上、読み飛ばしても何ら支障はないぜ。
「有償であることについてもそうですが、免罪符の中に“転生”という概念を持ち込んでいるのも看過できません。生活教は、原則として“今”を重視した体系であり、確証のない未来を約束するものではないからです」
「ちょっと待って 生活教は死生観について言及していない これは否定もしていないってことで 輪廻転生も解釈次第では」
「肯定も否定もしていないものについては、基本信条と七戒を柱に考えます」
「えー では 死生観については えー」
「生活教の時間概念は、基本“今”とそれに直接繋がる“身近な未来”を重視しています。免罪符は、そのどちらでもないですよね」
「でも 保険を否定しないということは 遠い未来の保証についても 否定していないのでは」
「それは“今”を生きる糧に繋がるという、可能性を考慮した場合においては、です。もし、あなたの免罪符が無料であるか、輪廻転生が何らかの補償を約束するものであるなら話は別ですが」
「うーん うーん」
「どちらも満たせていませんよね? あなたのやり方は、確証のない未来を担保にして“今”を搾取している。明らかな教義違反です」
だけど、付け焼刃ではどうにもならず、教祖に「都合のよい解釈だ」と論破され続けている。
「更に、あなたが免罪符販売の際、『主の降臨日』だとか『主の生誕日』記念だと言っていましたが、これもおかしい」
「え いや あるじゃないですか 世間でも期間限定の催しは 多少の開きは認められているはず それに生誕日や降臨日といったものは解釈が分かれ」
「そうじゃなくて。そもそも生活教に“主”といったものは存在しません。生活教は体系そのものを信仰しているため、神の存在を認めこそすれ、崇拝しているわけではないですし」
え、そうなの?
「え、そうなんすか?」
「そういえば、現象について説明するとき、いつも精霊がどうとかって言ってた気がする……」
「まあ教祖が言ってるんだから、そうなんだろう。どっちでもいいよ」
仮にも信者名乗ってるのに、そんな反応でいいのか。
こうして十数分に及ぶ応酬は終わった。
パッと見、教祖側が一方的だった形だけど、俺たちの目線では違っていた。
そこで、傍聴していた信者の投票によって判決を下すことになったんだけど、信者たちも判断できなかったんだ。
教義がどうのこうの言われても、その場で理解している人間は教祖しかいなかったってわけ。
馴染みのないスポーツ観戦の、解説を聞かされているような状態だ。
みんな、大体の雰囲気で観ていた。
「んー、免罪符を売ってた人がニワカだったのは明らかだし、有罪確定っぽいよね」
「話の流れとしては、そうなんだけど、何か普通の展開過ぎて面白みに欠けない?」
生活教の信者たちは、面白半分で入信しているから、当然この期に及んでも「面白さ優先」だ。
司法国家なんて知ったことではない世界で、道理なんてものは判断基準にはならない。
そのせいで形勢は、変な方向に傾きつつあった。
「でもなあ、オイラあの免罪符にかなり金使っちゃったから、擁護したくないんだよなあ」
だけど、ここでカジマが何気なく放った言葉が、信者たちに新しい風を送り込んだ。
「……ん? 待てよ。あいつが有罪になったら、返してもらえるんじゃないか。免罪符に出したお金」
万札つぎ込んだカジマはまだ分かるけど、小銭しか出していない他の人たちまで賛同している。
みんな、自分たちで金をドブに捨てたって認識はあるけど、実のところ後悔も未練もタラタラだったんだ。
汚水まみれになってまで拾いたくはないが、労せず拾えるなら話は別ってことか。
「投票の結果、満場一致で『有罪』となりました。免罪符を売っていた者は、自治体に引き渡された後、個人的な制裁を受けます」
みんなが、その結果に拍手をしている。
俺も同じ穴のムジナだけど、さすがについていけない。
これで、めでたしめでたし。
……でもよかったんだけど、この話には続きがある。
「生活教ではない以上、私が介入できる範疇を超えています。生活教は他の宗教をダメとはいいませんし、改宗は迫れませんよ」
釈然としねえ。
やっぱり宗教って、くっだらねえと改めて思った。
でも、くっだらねえものほど、人はなぜか面白がりたいのかも……とも思った。
自分で言うのもなんだけど、その日は本当にヒマだったんだ。
「あれ、マスダの弟くん。こんなところで会うなんて、奇遇っすね」
そいつが布教活動をしているらしい場に着くと、見知った人物に出会った。
「ああ、たぶん奇遇でも何でもない。似たような理由だと思うよ」
「あ、やっぱり、そうなんだ。教祖が布教の方法を変えたっていうから、“信者”としては見ておかないとね。ブログのネタにもなるし」
どうも生活教ってやつは、ヒマな人間を引き寄せる力があるらしい。
それにしても、教祖もどこかにいるはずだけど、まだ来ていないのだろうか。
辺りを見回すが、それらしき姿は見当たらない。
「皆さん こんにち は!」
いた、教祖だ。
……いや、背格好は似ているけど、よく見てみると別人だ。
というか声も、喋り方からして違う。
たぶん、あれが自治体の言っていたヤツだろうな。
教祖も中々に胡散臭い奴だが、ニセ教祖は輪にかけて胡散臭い雰囲気を纏っていた。
カン高い声も相まって無駄に目立ち、独特な存在感を放っている。
まあ、声の強さの割に、言ってる内容がしょーもないのは教祖と同じだけど。
教祖を知ってる地元の人間や、信者でもない人からすれば、確かに間違えそうだ。
だけど、決定的に違っていたのは、“その後”だった。
「さて 今日は皆さんに 生活を授ける 素晴らしいものを持って参りました」
頭にまるで入ってこない説教を数分ほどすると、ニセ教祖はおもむろに見覚えのある機械を取り出した。
確か「カードデス」っていう、ゲームカードの自動販売機だっけか。
イマイチ言ってることが分かりにくいけど、たぶん「“寄付”すればカード自動販売機から免罪符が出るよ」って言いたいのだろう。
「よーし、じゃあオイラが!」
怪しさ満点にも関わらず、カジマが機械に小銭を放り込んだ。
興味本位でやっているだけなんだろうけど、だからこそ抵抗がないのだろうか。
「さーて、何が出るかなあ、と」
レバーを捻ると、パスポートサイズの安っぽい厚紙がニュルリと出てきた。
「『輪廻転生』って書いてるっすけど……」
「これは善い免罪符 引き当てましたね しかも 希少な方です」
ニセ教祖いわく、“当たり”ってことらしい。
免罪符に、妙な光沢があるのはそのせいなんだろうか。
「いや……良く分かないんすけど、どう希少なんすか?」
「これを創造主に お渡しすれば 平行世界や 異世界でも 転生することが できます」
「ああ、“聖書”で読んだことある! 転生前に神様からステータス設定とか、スキル付加してもらえるんすよね!」
種類が複数あるのかよ。
「ええ……じゃあ、その免罪符は、どうすれば」
5分5厘……えーと、何%だっけ。
いや、それも気になるけど、ツッコミどころが多すぎるぞ。
免罪符そのものがどうかってのもあるし、百歩譲っても金を払った挙句にランダムってどういうことだよ。
「あまり高い確率では ありませんが 本日は主の生誕した日 つまり免罪符が出やすい日 なのです なんと 2倍!」
「へえ~」
全体の出る確率が上がってたら、目当てのものが出にくいままなのは同じじゃねえか。
「……あれ、でも昨日も似たようなことやってると聞いたけど?」
「先週は主が降臨なされた日です。生誕日とは似て非なるものです」
「あ、なるほど」
違いがよく分からんし、わざわざ別にしないとダメなのか、それ。
はてな匿名ダイアリーだけでもそうだけど、
幸せを持たざるものは、どうやっても救われないで地獄絵図を作るキャストでしかない
一方、幸せな人生を送る側は地獄絵図なんてほぼ視界の外にして生きている
簡単に言えばアフリカの飢餓孤児をお茶の間のテレビで眺めながらホットケーキにメープルシロップかけて食ってる構図だ
もし真横に異常に腹の出た飢餓孤児がいれば内心穏やかでなく満足に食事も取れずに、
自分が食べる予定だった食べ物を分け与えるか、もう少し頭が良ければ救急車を呼んで入院させ点滴させるだろう
ところがどっこい、これは起こり得ない
何故なら遠いから
ただ遠いから、自分の生活と関わりがないからという理由で平然と無関心になれるしご褒美スイーツを食っても心を痛めない
今30歳、当時中学生1年の頃にアフリカの飢餓孤児をTVで見たときはフーンと思っていた
しばらくそんな国もあるんだと思っていたがふとしたとき気づいた
「俺と孤児のどこが違うの?」
肌の色とか民族とかDNAとかそういうのは割とどうでもいい話で
もしアフリカの民と日本の民がそっくりそのまま場所を入れ替えたら、
俺が飢餓孤児になってアフリカの子どもが食卓で目玉焼きを食いながら俺をTVで見ていたんじゃないかと
人によっては「日本にアフリカ人が住んでもアフリカのようになるだけだ!」みたいなことを言う人もいるかもしれない
じゃあアフリカ人が日本列島にたどり着いて日本人がアフリカ大陸に残った別の歴史世界の話でもいい
それとも俺の魂がアフリカの子どもで、アフリカの子どもの魂が日本人の体の中で入れ替わって産まれてきた世界でもいい
とにかく、完全に、運なのだ
運なのだ
こればっかりはどれだけ取り繕ったところで人生は運に支配されている
努力すれば変えられるという人も勿論いる
だが努力が公平であればあるほど、天才の努力に凡人の努力は勝てなくなっていく
甲子園に出場した甲子園球児が全員プロ野球選手になれないのと同じ理屈だ
プロ野球選手は圧倒的に眼の才能によって大きく分けられる
ドーピングは単純な筋肉量ではなくこういった鍛えにくい部位の筋力を増強させている
こうすることで恐ろしく早い速度のボールを肉眼でとらえることができヒット率が上がるのだ
結局、ボールをバットに当てる才能は天から授かりしものであり、
凡人はドーピングを使った「努力」をしなければそこまで到達できないのである。
しかしその努力はスポーツ界では認められていない、ただし公には。
では逆説的にすべての人間が同じ能力を持つクローン人間だったとしたらどうだろう?
発想も発明もファッションも日々の生活も何もかもどこを見ても似たり寄ったり。
嫌いなものはこの世から消え去り、自分の好きなものしか残らない。
ベースとなる人格がよほど凶暴でない、疫病が流行らない限りは一見、平和な世界に見える。
異文化があり自分と違う価値観があり、日々体験を更新していく方が個人の人生において充実しているのではないか?
自分が作った映画や小説など、所詮自分の想像以上の産物にはならないだろう
娯楽に頼ろうとしても自分の日記を振り返って読む感覚しか得られないだろう
なぜならその経験の解釈でさえも彼らは同じような解答しかできないからだ
明日も明後日も「この世は地獄だ」という日記を見かけるであろう
俺たちがそう思ったタイミングが別々に訪れ、別々のタイミングで同じ投稿をするだろう
そしてそこには同意のトラバさえつかず、なぜなら自分が分かり切ったことだから、自分の独り言に反応する必要性すらなく
ただ独り言が流れ続ける暗闇へと変わるだろう
ここで理想的解決としては運の最低の期待値をせめて飢餓孤児や産まれた瞬間殺される子どもでないように世界を作り替えることだろう
重大な疾患を抱える子どもを遺伝的コーディネイトしても良いかどうかは倫理観が問われるところだが
個人的には行ってもよいと考える
人間原理的に生存と繁栄は肯定され、そこに疑問の余地を挟まないのが当然だと思われている
絶滅しようがどうなろうが知ったこっちゃないというのが至極当然の感想だろう
この広い宇宙に知的生命体が人間しかいないという考えも妄信的で霊を信じるよりも俺にとってはオカルト的思想だ
また宇宙から寵愛を受けているから人間が誕生したというのもまた妄信的で人間原理によりすぎた思想だ
人間は宇宙から無関心であることに感謝しつつ、人間の選択そのものによって理想的な世界を手にするべきだ
理想的社会を手に入れるためならば人間は産まれる必要性があるかないかを選択することができ
恵まれた知能と肉体を一定以上備えた状態の子孫を望んだっていいのだ
関心があれば産まれたときから不幸な孤児をこの世に産むわけがなく、何らかの救済を宇宙の法則として残しているはずである
仏教には輪廻転生という言葉があり罪を減らすために現世に産み落とされるという
では産まれた瞬間からコンビニ袋に入れられ、トイレに捨てられ死んだ赤子はどこに罪を減らすチャンスがあった?
全く宗教が信じられないのはどれも神は人間に寵愛を与えているという観点である
俺は全く信じられない
俺が安心してホットケーキを食うことができるのは飢餓孤児が地球から存在しなくなった瞬間だ
それ以外では頭の隅から追い出して生活する逃避行動を取る以外にない
もしくは俺が自分の行動に矛盾性を排除するためには隣に飢餓孤児がいても無視して締めパフェを食う神経を身に着けるしかない
俺がどうしても神を信じて感謝することができないことはその1点だけでも十分すぎることだ
故に神や宇宙が人間にそもそも無関心であるという解釈を俺は信じている
そしてその上で神や宇宙が人間にとって安全装置として機能しないのであれば
人間にそれを作る選択権があることを人間自身が認める権利があるということだ
法について話をするのは、また別の機会にしよう
可能性の隙間があってそこを通り抜けたから存在しているのであって
寵愛を受けたわけでもなければ選ばれた存在でもない
宇宙・天体・この世の物理法則は自分らの隙間に入り込んだ生命に対しては無関心であり
故に生命は神や宇宙に頼らずに自分たちで選択しなければならない
もっと具体的に言えば俺が真に幸福にホットケーキを食べる瞬間は未来永劫来ないことになる
この世は地獄だ
古書店の雑に積まれた本の中で存在感を放っていた「虚構世界の存在論」を手に取ってから20年くらいになるか。
一般向けの論理学入門でありながら理屈がハードで手応えのある二見書房の「論理パラドクス」シリーズは好評
のようだが、増田の好みではないので買ってない。
「サウンド・オブ・サンダー」として近年映画化されたブラッドベリのタイムパラドクスもの「雷のような音」を
「虚構世界の存在論」で取り上げていたこともあり、SFに強い哲学者として認識している。小説の方は合わなかった。
三浦俊彦の得意分野は、「可能世界」を用いたフィクション論、「人間原理」を用いた意識論。とサプリメント。
可能世界論、とは何かはwikipediaでも読んで欲しいが、もし暴走トロッコの先にドラッカーが居たら、とか
プロレスラー専用列車があれば、とか現実ではない仮定について、論理的に扱う仕組み。
そのハードコア一派に様相実在論というのがあり、そういう可能世界は仮定の存在や記述上の論理ではなくってな
全部実在してっから、いやマジで、と主張して、急にそんなこと言われてもいやソレはないわー、と異端視されてる。
その実在している他の可能世界と、我々が唯一認識している現実とを区別するものは、我々が居るという
真空のゆらぎからビッグバンが生じ、宇宙の各定数には様々なあり方が有り得たはずなのに、なんでこんなに人間が
存在するに都合よくできているのか。それはね、人間が見ているからだよ。
人間が宇宙を観察する時には、人間が存在できるような宇宙でなければならない。
こういう理屈は判るんだが理由を説明しきれない自己撞着的な話が人間原理。
宇宙は様々な形でありえた、また実際にある、というマルチヴァース、多世界解釈、サイクリック宇宙論、物理学の話。
それと様相実在論をつなげ虚構実在論にも踏み込み、フィクションをも真面目に哲学的に語る。
なろうもカクヨムも在るんだよ。
その団体には私が生まれる前から両親は勿論親戚一同のほとんどが所属していたので、私は生まれた時点でその団体へ所属することが確定していました。
宇宙の持つ莫大な気(チャクラ)、輪廻転生、死後の世界、他の宗教がダメな理由、自分の生まれた理由、何故人は不幸になるのか、何故団員を増やさなければならないのか、どうしたら人は幸せになるのか。
端的に言うと、「団体に入って、勉強して、実践していけば幸せになれる」ということを物心ついた頃からずっと教わってきました。
子どもの頃の私は「こうして勉強して、この話を世の中に広めて団員が増えれば、沢山の人が幸せになって、この世から不幸がなくなる」と信じて疑いませんでした。
問題は、私はまだ子どもで非常に人見知りで喋るのが苦手な為、どうしても赤の他人にそのような話を広めて勧誘することが難しいということでした。
小学校1年生の時、学校が同じでよく遊ぶ友達に頑張って話をしましたが、その子から親御さんに話が行き、私の母親へ電話がかかって来たようでした。「もう二度とそんな話をさせないで」とのことでした。
でも母親は「××ちゃんにはもう話をしないでね。でも【私】ちゃんは良いことをしているんだから、大丈夫。こんなこともある」と、慰めてくれました。
私はその後も他の友達に頑張って話をしていきました。友達には理解してもらえませんでしたが、親に報告する度に褒められて嬉しかったのを覚えています。
子どもの頃から歌うこととピアノを弾くことが大好きで、よく母親の聞く曲の歌手のモノマネをしながら弾き語りをしていました。
ある日、いつものように歌っていると、父親が「【私】ちゃんは歌もピアノも上手いから歌手になれるぞ」と言いました。
ついで母親が「そうよ!団体の話を歌にして広めたら良いわ!」と満面の笑みで言いました。
両親はいつも色んなことを教えてくれて何でも知っていたので、私はそれを名案なんだと思いました。
その日から団体の教えを基に歌を作ることが私のライフワークになりました。
「死にたいと絶望していた時、あなたに出会えて私は生まれ変わった」
「こんな奇跡が起きるなんて」
というような恋の歌にしました。
作曲は最初こそ楽しかったのですが、中学生の頃、ある日母親に「今の部分、不協和音でおかしい」と言われました。
その時は色んなことに挑戦していて、「不協和音を効果として敢えて入れたらどうなるか」という実験でした。
でも音楽経験のある母親は私が反論する前に「それは正しくないからもっとこうしなさい」と言いながらピアノを弾きました。
とても綺麗な音でした。
私の中で積み上げてきた母への信頼が崩れ去った瞬間でした。
「何でそんなことがあんたに分かるんだ」
「あんたに私の何がわかるんだ」
「これは私の曲なのに」
それまで何でも素直に受け止めていた私に初めて母親に対する反抗心が芽生えました。
それからは母親の前ではピアノを弾くことも歌うこともやめました。
市のコンクールに応募した時も、音楽事務所にデモテープを送り付けた時も、どんな曲を作っても母親には一切教えませんでした。
それまで感じないように努めていた反動なのか、ありとあらゆる負の感情が自分の中でどんどんどんどん育っていきました。
負の感情を抱くことは団体の教えに背く行為で、私はそれを子どもの頃からとにかく重いことと受け止めていました。
そして、団体の教えに背いてしまった自分は本当にダメな人間なんだクズなんだと酷く落ち込みました。
団体の創設者へ懺悔の手紙を何枚も何枚も書きました。(事あるごとに創設者へ手紙を書くことはその団体では当たり前なのです。)
しかし書いた手紙は必ず両親に添削してもらい、了承を得てからでないと出せないことになっていたので、出さずにそのまま曲にしました。
今でもこの時作った曲を歌うと悔しくて涙が出ます。
そんな体験があっても、友達に団体の勧誘をすることはやめませんでした。
と言われました。
ついに言われてしまいました。
薄々気付いてはいました。
両親や親戚の人達の多くは大人になって、大変な思いをしてからその団体に出会い、入団し、救われました。
しかし、私は生まれた時からその団体に所属しているも同然で、大変な思いをしたことが無いのです。
「救われた」という経験が無いのです。
もっとはっきり言ってしまえばそれまで生きてきた中で一度だって「幸せだ」と感じたことなんて無いのです。
「あなたに出会えて幸せ」なんて歌詞を書くのに、そんな体験したことが無いのです。
沢山曲を作ってきたのに、全部親や親戚から聞いた物語で、私の物語なんて一つも無かった。
吟遊詩人を目指してる訳じゃないのに。
私は歌手を目指してるのに。
あぁそっか、お父さんが歌手になれるって褒めてくれて嬉しかったから。
お母さんが団体のことを歌にして世の中に広めたら良いって言うから。
私は本当に歌手になりたいの?
そう言えば最近お父さん家に居ないな。
お母さんも不機嫌なこと多いし。
「幸せって何だろう…?」
気付いたら私は彼の前でボロボロ泣いていました。
彼は「俺が幸せにしてやるから心配すんな」とか言ってたけど、その一言で一気に冷めて翌週には別れました。
その頃から精神的に不安定になって、学校も行ったり行かなかったりしました。
音楽の先生と仲が良かったので、音楽室の隣の準備室へはよく遊びに行ってピアノを弾かせてもらいました。
作曲は自分で何も生み出せないって気付いてしまってからは嫌になってしまってやめました。今でも流行りの曲を耳コピして弾き語りする程度。
結局そのまま何となく音楽関連の学科がある大学にAO入試で受かったから入ったものの、勉強もせず音楽ばっかりやっていたので、普通の勉強が分からず中退。
その後父親が団体を脱退したのがきっかけで、両親は離婚しました。
母親と暮らすのが苦痛だったので、2年くらいアルバイトで資金を貯めて一人暮らしを始めました。
団体は全国に支部があって、引っ越した際に自分の家から一番近い支部に住所を登録しに行かないといけないのですが、それを母から聞かされておらず知らなかった私は支部ではなく本部から呼び出されてお叱りを受けました。確か懺悔の手紙を10枚くらい書いて提出してようやく家に帰ることが出来ました。
そもそも何で引っ越したことが団体にバレたのか今考えると不思議なんですが、当時は団体に隠し事をしても気(チャクラ)で何でもお見通しなんだと信じていました。普通に考えて多分母親か親戚が通報したんでしょうね。母親は私の一人暮らしに反対して親戚にも相談していたようなので。
一人暮らしをするようになると、団体の運営費として毎月お金を納めねばならず、これが地味にキツかった。支部に5000円、本部に5000円、更に総本部に5000円の合計1万5000円。
納金した日には有難いお話を2〜3時間聞かされる。子供の頃なら熱心に聞いたと思うけど、内容のほとんどが「勧誘して団員増やそう。世界を幸せに!」だったので毎回とても眠かったです。
他にも行事とか諸々でお金がガンガンなくなりました。壺とかは買わされていません。
家族割みたいな特典があるらしく、未婚だったので「団員と結婚する」もしくは「恋人を勧誘して入団させる」この二択をよくオススメされました。
母親に対して反抗心はありましたが、団体には反抗する気がないというより反抗しても無駄だと思っていたので、お金の余裕が無くなって来た私は「早く結婚して割引してもらわなきゃ」としか考えられず、焦っていました。
特にやりたい事もなかったので、時給の良い配膳の派遣に登録して朝・昼・晩と3箇所の現場を回り、移動時間も含めて6:00〜23:30働きっ放しで15連勤等は当たり前。
(多い時は手取り30万、閑散期は9万円程でした)
団体への納金以外にも家賃・光熱費・食費・保険料・市民税等で毎月使えるお金は2万くらいでした。
恐ろしいのは「団体への納金さえなければ」という考えに至らなかったことです。
彼氏が出来ては勧誘し、断られれば即座に別れて次の彼氏を作り、また勧誘し、、、その繰り返しでした。
「勧誘する為に俺に近付いたのか」
「例え死ぬほど好きでも、私は団員とじゃないと結婚できないんだから、先に話して無理ならすぐ別れた方が良い」と本気で思っていました。
そんな時、久々に大学時代の音楽仲間の男性からご飯に誘われました。大学時代と言っても彼は5つ年上の大学外部の人間で、当時から既に社会人でした。
彼には異性というより、初めから父性を求めていたように思います。
色んな話をしました。
音楽仲間なのに、私は主に仕事の愚痴ばかり言ってしまいましたが、彼は終始穏やかに話を聞いてくれました。
とても心が安定した心地良い時間でした。
その後も何度か誘われ、正式に結婚を前提にお付き合いすることになりました。
彼と一緒に過ごすことが本当に楽しくて、初めて恋人と離れたくないと思ったのです。
そして、彼の家に転がり込むような形で同棲がスタートしました。
彼は本当に私との将来を真剣に考えてくれているのに、私は彼に団体の話をして、勧誘に失敗したら、また彼と別れなきゃいけないんだろうか?…と、不安になる日も増えました。
意を決して彼に団体の話をしました。ただし、あくまでも勧誘ではなく、自分がそういう団体に所属しているため、色んな面で出来ないこと(例えば葬式に参列しない、国歌を歌わない等)があるという告白をしました。
彼は「【私】さんがどんな宗教に入っていても気にしないよ。俺ももし入りたくなったら入るし。ただその団体のせいで誰かが傷付くなら、全力で止めるけどね」と真剣に答えてくれました。
止められることは無いしもしかしたら入団してくれるかもしれないと思い、ひとまずホッとしました。
同棲生活の中で、彼の物の考え方を更によく知るようになり、自分の中にある団体や母親から教わった「常識」が段々とおかしいことに気付き始めました。
→彼は私が作ったご飯を食べたり、私とハグした時に「幸せだ」と言う。
「あらゆる宗教的行事は気(チャクラ)的に問題があるため不参加するべき」という価値観。
→ただ他の宗教に流れてほしくないだけでは?
最後に、「どんなに生活が苦しくなっても団体に納金するのは団員の義務」という価値観。
「俺が人生楽しむために働いて稼いでる金なんだから【私】さんとのデート代は俺が出す」と言われて、ハッとしました。
団体に納金することしか頭に無くて、「人生を楽しむために働く」という発想自体が出来なかったんです。
彼と生活していく上で今まで大事にしてきた考え方が自分発信の考え方じゃなくて、
アホみたいに思えて、
最後に受付の女性から「皆さん絶対に後悔して戻って来るんですよ」と言われたけど知らん。
母親や親戚は「いつか目を覚まして戻って来るだろう」と思っているようで、憐れみの目で見てくるので気まずいのですが、特に被害はありません。
あと、クリスマスパーティーとか初詣とか参加出来るのが嬉しい。
彼とは結婚して、彼の扶養に入る為に今は派遣の仕事は辞めて、もう少し体力的に負担の少ないバイトをしています。
それは彼が音楽関係で仕事をしていて、羨ましいと思う自分がいることです。
「そういう人は沢山居る」って言われてしまうかもしれないけど、私の場合はただただ「団体のために」って思っていた期間が長くて、若かったのにすごいもったいない考え方をしていたと思います。
ああいう特殊な団体の中に居ても、考え方1つでめちゃくちゃ幸せに生きれたんだろうなと思います。現に幸せそうな人は見たことあるし。
子どもができたら少しは変わるかなとも思ったんですが、自分も母親と同じように子どもに無意識に何か押し付けてしまいそうで怖い。
団体の教えとかなかなか忘れられなくて混乱することもあるけど、宇宙の真理とか私には大き過ぎて毎日のことで手が一杯だからもう真剣に考えられなくて、混乱も浅い段階で落ち着きます。
昔は「宇宙の気の乱れで世界が滅びる」とか言われたら毎日怯えていたりもしましたが、今は「(本当でも嘘でも)どっちでもいっか」って思える。
仮に次の瞬間突然死して団体の言う地獄行きになったとしても幸せなんじゃないかな。
何が言いたかったのかと言うと、私みたいに子どもの頃からそういう類の宗教団体(もしくはそれっぽいもの)に所属している人は
と、思うってことです。
身バレも防ぎたくてわざとなんですけど、文体とかバラついてしまってすみません。
バレたら団体に殺されるとかは無いと思うんですが、入団者が減るなら殺されるのもアリかなと思います。嫌だけど。
長々と読んで下さってありがとうございました!