はてなキーワード: 行使とは
まぁ増田と同じような世界線に住んでるのが愚行権をフル行使しているブクマカなんだろうなって思う
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関連増田:
https://anond.hatelabo.jp/20210317125544#
https://anond.hatelabo.jp/20221013083056#
サヨクが「自衛隊がアフガンに派遣されて戦場に立たされて…」みたいな批判をしたときも何が問題なの?と思ってたのかな。
アフガン戦争は戦争ではないし、そこで死ぬ自衛隊員は国民ではないので、
局面的な部分だけを取り上げたら「暴力はいけない」の御旗の元に暴力を行使するのは正義なのでOKって事になるよね
実際そうではあるんだけど
警察が暴行の犯人をねじ伏せるのは暴力なんじゃないかって事とかね
その正義が未定義なところだと領域展開して上書き出来た霊力の高い術者のものになるから「僕の御旗は中立です」ってメディアにのっけてライターという肩書でみんなを名指しに命中させる領域展開で相手をぶん殴るのは暴力じゃないなぜなら正義の執行だからって話になっちゃうんだよね
民主主義って単語をしってる人間を相手に民主主義でいくならまず相互に条件をフラットにして共通の手段で同じテーブルで話をすべきだよね
「ちゃんとした日本語が話せない」って話題を上げる時点でまず条件を合わせようともしないとか
「ちょっとマイクかりてもいいですか」って相手の所有物をいきなり自分の価値観で「それは借りてもよいもの」と判断して行動に出始めるとか
ボクたちの業界の常識では当然なんだけどちがいましたかボクまたやっちゃいましたかって言われてもやっちゃってるでしょうとしかいいようがないよ
暴力ってさ
その暴力がいかにいけない事かって証明するのに暴力行為でもってして実証してるわけじゃん
あなたたちの暴力はいけませんねってそれは受けた暴力がいけない事だって証明になってるわけで
それをいけないっていう事はすなわち暴力だってことを自覚してしないといけないよね
ボクらの暴力はいい暴力をふるっていますってちゃんと言えないといけないよ
そのうえでボクたちの暴力は言葉なんですけど同じテーブルについてくれませんかって言うのが筋かなって気がするよ
相手が言葉や拡散能力や動員力を持たず一個人が物理的に暴力をはたらくと見越して言語で実質物量なんかで畳みかける言語の暴力を仕掛けていくのは物理的な暴力より気持ちひどさが上に感じるよ
それならぶんなぐって自分で責任をとるはめになる限定的な暴力のほうがまだきもち同情の余地があるって感想をもつね
よっぴー氏のフルパワーフルボッコ長文ブログは最初に誤解を招く表現や態度があったことを詫びてそれでもつっかかって来られた後で各個撃破にかかってもよかったのではと思うんだよね
というかそんな保身に走らないといけない困窮した状況だったのを知らなかっただけだったらゴメンね
女の子のパンツの柄や乳首の色が知りたくても知る自由は行使できない。
犯罪加害者の生い立ちや被害者の遺影には常日頃報道機関によって知る自由が行使されてる
どっちもプライベートな事柄という点では変わらないと思うんだけどなあ
捕まってない逃亡犯の足跡はみんなの役に立つから公開してもいいと思うけど、生い立ちとか遺影とか公開してどうなるってわけじゃないし、知る自由=情報によって娯楽を得る自由(ワイドショー的下種の関心)なら、やっぱパンツの柄の情報と大差ないんじゃねーか
毎年、政府が子供に、親権否定権を行使するかどうか子供に確認してまわる。
もし、一度でも親権否定権が行使されたら、直ちに承認保護プログラムのように別名・別の場所・新しい親の元での生活が始められて
そういう世界になるべき。
ワートリ付帯商品として「バストカップサイズ表記を行わない券」と「迅にセクハラをさせない券」を発行し価格を設定しろ
500万でも5億でも5000兆円でも好きに設定したらいい。
んでバストカップサイズ表記して欲しくない人らはクラファンでもなんでもやって団結して金かきあつめて券(権利)買って行使しなよ。
(ウマ娘人気後のナイスネイチャのドネーションが3千万超だった事を鑑みれば数百万~数千万円は現実的な数字と言っていいだろう)
表現者・版権ホルダーはここをマネタイズするのをあたりまえにして、「表現の変更要求には要求者(受益者)がコストを支払う」というのを常識にしろ。
ぜってー変更しねーわバーカってストロングスタイルの表現者は天文学的数字にすりゃあいいし
そこ別にこだわってないからまあいいっすよってとこなら適当に安価に設定すりゃあいい。
とにかく安価高価関係無く「表現変えたい奴に金を払わせる」というプロセスを踏ませろよ
価格設定をいつまでたってもしないから「要求はするけどコスト負担する気が一切ない」乞食が絶えないんだよ
本土の国民全体を平均した場合、沖縄問題への関心が他の社会問題への関心と比べて高いか低いかといえば低いだろう。
ただし、関心をもって注視している人も一定数いて、決して本土の国民全体が無関心なわけではない。
軍事基地はごみ処理施設や火葬場のような迷惑施設であってなおかつ国防上必要不可欠であることから、どこかに作らなければいけないのは事実としてある。これが沖縄だけに集中しているのは本土の人間としても心苦しいものがあるし、申し訳ないとも思っている。
しかし、国力を背景に挑発行為を繰り返す中国や、あたおか総書記のいる北朝鮮を念頭に置いたときに、地理的、戦略的に重要となる沖縄が日本国の領土内における基地配置の上での最適解となることは一定の客観性を有しており、心情を一切排除してどこに配置すべきかという問題として捉えたときには沖縄がベストといわざるを得ない。これは日本の国防のかなりの割合を担ってくれている米軍も同様に考えると思って間違いない。
ただし、一つの県に基地が集中するのは異常な状態で公平性、平等性の観点からは沖縄の基地は減らすべきと言える。
本来、米軍の基地が日本の領土にあること自体がおかしい。日本が主権を行使して領土内に米軍の基地などを作らせてはいけないのだが、敗戦で牙を抜かれ、米国に国防を依存している状態では米軍の意向が働くのはやむを得ない。米国としても守ってやるんだから当たり前だろがというのが率直な思いだろう。
なので国防を自前だけで担えるようになり、米軍が常駐することなく他国の侵略を抑止できるレベルの軍事力を有して初めて米軍基地をなくせる可能性が生まれてくる。
大声をあげようが、座り込みをしようが何しようがただのNIMBY的な反対運動では何一つ変わらない。国全体の問題として国防を考え、憲法を改正して、米国抜きで自衛できる一人前の国家として主権を取り返すことが、遠回りに見えて沖縄基地問題を解決する唯一かつ最短の道であることをきちんと共有すべきだと思う。安倍晋三が目指してきたのはまさにこの方向で、実は沖縄のことを一番真剣に考えていた総理大臣だったかも知れない。
もうニュースも見ないし新聞も読まないしTwitterもやらない
政治の話題って批判の応酬と人格攻撃と誹謗中傷だらけで、視界に入るだけで精神的ダメージが大きすぎる
特に自分が支持してる政党や思想が批判されると自分が否定された気持ちになって辛い
これまでに選挙の手伝いとかもしたことあるし、地方選挙含めて投票権を行使しなかったことはないくらいには政治に参画してきたけど、もう距離を置かせてもらう
実際には一度も見たことはないのだけど、
暗い夜道を歩いているとき、一人部屋の中にいてふと後ろが気になったとき、
見てしまい目が合ってしまったらどうしようと内心怯えている自分がいる。
存在しないであろうモノに怯える自分が嫌で、幽霊が怖い理由をいろいろ考えてみた。
創作の世界ではクリエイターがこれでもかと幽霊のパターンを例示してくれているので、見たことない幽霊でも対策を練ることができる。
まず幽霊は、外部から情報を取り入れ、その情報について思考し、場合によっては予想して行動するモノなんだろう。
主人公が自分に注目していることに気づき、主人公の表情や挙動を見て自分に恐怖を感じていることを認識し、恐怖のあまり逃げる主人公を追いかけ、主人公の行動を予測しながら周到に先回りできるある種の知性を持ったモノなんだろう。
また場合によっては主人公が逃げ切ったとしても呪いという形で遠隔的に作用を及ぼす個体も存在するんだろう。
一方で、主人公から幽霊に対しては何ら物理的な干渉はできない。
霊能力者でもない一般人ができることは、幽霊の攻撃を一方的に受けて逃げ回り恐怖することで、モノを投げてもすり抜けるし言葉も効かないのだろう。
幽霊を恐怖するとは、おそらくこの一方的な関係が主要因なのではないか。つまり一方的な暴力に怯える一般人という構図だ。
やつらは、反撃されることなんて想像もせず、一方的に暴力を行使し、弱者を蹂躙することを楽しんでいるのだろう。
ということは、少なくとも幽霊に一矢報いることができるならば、私の恐怖の一部は解消するのではないか。
一矢報いるには方法を考え備えなくてはならない。幽霊には物理的にもそしておそらく言葉も通じない。反撃方法も熟慮する必要がある。
幽霊は、思考し予想するモノであることはわかっている。ではその思考を混乱させ予想を裏切るような行動で一矢報いることができるのではないか。
もしかするとその一瞬の驚きや困惑で逃げる隙が生まれるかもしれない。
この考えを兄に相談してみた。兄は答える。「俺ならバンツ脱ぐね。幽霊が俺の下半身へと視線を向けたら俺の勝ちだろ」
安定のバカだが一理ある。しかし待って欲しい。出会ったのが幽霊ではなく私の勘違いによる一般人なら私はただの変質者ではないか。
幽霊との突然の遭遇ですぐに行動できること。予想を裏切る驚きがあること。緊張した場を一瞬で緩和できること。
ただし勘違いだったときに、私が檻の中に入るような過激な方法はいただけない。
驚きと恐怖の表情は瞬間的なものなので仕方ないにしても、すぐに下を向いて表情を隠し、次の瞬間に変顔で対抗するのだ。
幽霊は突然現れて私を脅かすのだろう。私が恐怖している顔をみてそれに歓喜し図に乗って襲ってくるはずだ。
だが私は変顔で対抗する。恐怖の顔を予想した幽霊は、変顔の衝撃に驚き固まるのだ。
インドネシアのスタジアムでの暴動で多数の死者が出た事件で、NHKがあたかも暴力が主原因で170人以上が死んだと取れるような報道をしているが
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20221002/k10013845461000.html
はっきり言って間違いだと思う。素手の暴力でこんなに死者は出ない。
一方、雑踏の事故では簡単にこれだけの死者は出る。だからこれは観客席に催涙弾を打ち込んだ警察が原因と思われる。
日本の警察であればこんな事はまず起きない。だがこれは日本スゴイって話じゃない。ちょいと説明しようと思う。
警察は司法権力機関であるだけでなく、行政としても強い権力を持っている。
だから雑踏に関しても命令する権限があって、人が集まるイベントを届け出なくやったりすると怒られるわけだ。
店の外の行列を放置していれば「ちゃんと店員か警備員雇って整理しなさい」と言われるし「○○という有名人が△△に来てる」っていうデマを流して将棋倒し惹起したら逮捕される。
警備業というのは監督官庁が警察になっていて、更に警察官の天下り先でもある。また社長が警察上がりというケースも多い。
元々警備業はボディガードなどから派生して色々な形態の警備を請け負うようになったのだが、実はその前から同様の警備請負をする人士達が居た。右翼である。
右翼はボディガードだけでなく労働運動潰しなども請負い、暴力の行使や時に殺人も行っていた。更に昔の右翼はヤクザと不可分の所も多かった。
昭和30年代にTVで「ザ・ガードマン」というドラマが放送されると雨後の筍のように警備業者が起業されたのだが、ここに右翼/ヤクザ経営の企業舎弟の会社が大量に入り込んでしまったのである。
警備請負というのは暴力からの防御という仕事が多い。それは即ち対抗するための暴力だ。
一方、警察というのは国家という暴力装置の実行装置だ。暴力装置たる所以は暴力の独占であり、警察をコピーした暴力が世間にあってはならない。
また、道路工事での交通規制でも警備員は必要だが、土建業というのはヤクザの企業舎弟が大変に多い分野だった。つまりヤクザの資金源になってしまう。
という事で警備業法というのが施行され、警備業は警察を監督庁とする許認可事業で、前科がある人間の雇用禁止、警備員は法含む研修必須などが定められ、業務が完全に警察の指揮下に置かれたわけだ。
警察の天下り先って事で、利益誘導の面もあって警備業の派遣先が増える結果にもなった。「これやるなら警備員を何人以上配置せよ。その配置図を出せ」って何かにつけて言われるって訳ね。
因みに以上の経緯から警備員の装備というのは厳しく制限されているよ。例えば警察署の前で長い棒をついた私服警官が立ってる事がよくあるが、あれは実は軍隊と同じ立哨で立ち方も決まっている。持っているのは「警杖」なのだが、あれを警備員が持つことは禁止されてる。警棒の長さや形に制限がある為だ。
日本で雑踏事故が少ないのはこういう戦後の経緯の末に、人が集まる事をせんとする場合は警備員の配置と雑踏警備計画を提出させられるからだ。
雑踏警備での鉄則は「一方通行」と「ボトルネックを無くす」である。これは群衆が流体のような動きをするからだ。
一方通行にしない場合にどうなるというと、「クサビが噛み合った状態」になる。
例えば広いところの間にトンネル通路がある場合で、通路の両側から群衆が押し寄せた場合、通路の入口では「通路の半分からはみ出さない」という動機が働きにくいので通路のほぼいっぱいに広がって進行する。
だがこれは反対側でも同じなので、出口付近では人一人くらいの隙間をぬって通る事になる。
これは上から見ると三角形のクサビが噛み合っているような状態になる。効率的には最小化だ。
後ろから押されているので隊列が狭くなると群衆密度が増す。だが人は一定以下では足の歩みが出来ないので押されてやがて転んでしまう。
後ろの人間は前で起きていることが見えないので前にどんどん進行してくる→それらも更に転倒する、となって、転んだ人とのその手前の人間には数百キロ~数トンの圧力がかかり、皆死んでしまう。
これが通路を対面通行にした時に起きる雑踏事故だ。通路は一方通行が鉄則なのはこういう理由だ。
ボトルネックがあった場合は、細くなる手前で群衆圧力が上がる。
更にボトルネック手前の壁に当たった人間は通路に戻ろうとして横から割り込む→圧力が高いので弾き出される、となってそこでグルグル回って出られなくなったりする。まるで落ち葉だ。
でもそうする事でただでさえ高い群衆密度へ割り込まないとならない人が出て局地的に密度が極度に高くなる→転倒事故、あとは上記の例と同じで死亡事故まっしぐらである。
だから「狭くなる」箇所というのは作ってはいけない。狭い場所があったらそのずっと手前からパイロン等で狭い状態が継続した状態にせねばならない。
「ボトルネックを無くす」の類型に「通路をのばす」というのもある。
立体交差する駅で秋葉原駅は階段一本で山手線と総武線ホームが直接行き来出来るのに、武蔵野線南浦和駅はわざわざ遠回りして通路を歩かされる。不合理だと思った事ないだろうか?
これは秋葉原が通勤ラッシュなどを然程考慮してなかった昭和初期の建設、南浦和が痛勤ラッシュ常態後の昭和後期開業である為で雑踏事故対策なのだ。
電車の降車客は波状的なので、長い通路をダラダラ歩かせてそこで客の波を吸収してしまおうという思想だ。
秋葉原では短い階段でホームに直接客が展開してしまい、群衆密度が高い箇所がホームという危険な状態になってしまう。
地下鉄高田馬場駅の改札はホーム端の先にあるが、2004年頃の改築でホーム中ほどから改札への通路を増設した。
出口は一緒だから一見無意味な改造だ。だが長い通路で吸収して階段の手前で滞留する客がホームに溢れるのを軽減する効果があるのだ。
新潟の神社で行きと帰りの初詣客がかちあって滞留状態になった。そこでやがて参道の石垣が崩れて100人以上の死者。
だが石垣だけに問題があったのではなくて、群衆密度が上がりすぎて路肩にせり出し崩壊したものと思われる。
これは一方通行にしていなかったのが主たる原因の例。
列車が遅延し、混雑が激化して日暮里駅の板張り跨線橋の羽目板が客の圧力に負けて崩壊。転落した客13人が電車に轢かれ8人が死亡した事故。
対面クサビ状態とボトルネックの混合と思われる。跨線橋の角に押し込まれた客が流れに戻れず圧力が高くなって壁崩壊。
雑踏事故じゃなくて暴動なのだが、国労動労の順法闘争の為にダイヤが大きく乱れてカチ切れた乗客が駅員をぶん殴る、電車を悉く破壊するなどで収拾が付かなくなって機動隊が動員されて鎮圧。
翌日から他の駅多数で度たび同じ暴動が発生する国電暴動となって東京はカオス状態に。
大混雑と電車がいつ来るか知れないストレスフルな状態の上にアナウンスもせずにいた為に乗客の怒りメーターがレッドゾーン振り切ったの原因。
なのでこれ以降雑踏では拡声器を使ってうるさい程に行列に関する情報を与えろというのが鉄則となった。
数年前に宇崎ちゃん献血ポスター騒動というのがあった。セクハラっぽいポスターを公益性が高い日赤が使うな!という騒動だ。
この騒動は一枚の写真から始まったのだが、このポスターが掲出されていた場所というのは新宿西口のJRと京王の乗り換え通路である。
ここには「新宿駅西口広場イベントコーナー」というのがあり、その対面に「新宿西口献血ルーム」があって、そこに掲出されたポスターだったのだ。
この「新宿駅西口広場イベントコーナー」だが、実はここは1992年頃まで工事用バリケードなどで塞がれた単なる閉鎖区画だった。
照明もなく、ホコリが積もったままで少ない資材が置かれただけの殺伐としたところで、居心地の悪い場所だった。
実はここが封鎖されていたのは「新宿フォークゲリラ」という騒動による。
ここが広くなっているのは1966年竣工の西口立体化時に地下広場として作られたからなのだが1969年に学生中心のベトナム反戦集会、新宿フォークゲリラが開かれ、機動隊が導入されて解散させれらた。この際、広場として整備されたものを東京都は「通路」に変更するという禁じ手も使用(通路=公道の占拠は道交法違反)。
そこに起きたのが国電暴動で、新宿駅でも暴動が発生。「別に反体制学生じゃなくても暴動起こすのかよ!」と頭を抱えた警視庁と東京都は、別にギター持って屯してた連中と暴動は関係なかったが、万一を恐れて乱雑にこの区画を閉鎖してしまった。
時代が下って最早反体制なども流行らなくなり、閉鎖区画のせいで逆に荒んだ状態になっている元地下広場の有効活用として即売会や催事場としての活用をするようになった。
初めはしょぼかったが、やがて政策アピールの掲示や地産フェアなど商売がうまくなり、綺麗な内装もされて有用なイベントスペースとなってきて人の流れも出来てきた。
そこで対面に献血ルームが出来る事になったわけ。
上記のように日本の警察は雑踏事故防止に関しては極めて有能なんだが、その反面「人が集まる事」を嫌いすぎるきらいがある。
広場否定論なんだな。あんまり人が集まるのを封じてしまうと今度は現在のロシアみたいな事になってしまう恐れもある。
で、最近だと東京駅や池袋駅西口、渋谷駅(予定)みたいにロータリーを追い出して広場を作るという方に行政の方がシフトしてきている。
そういう戦後史と行政史の果てに出来たのが「新宿西口献血ルーム」でそこに掲出されたのがあの宇崎ちゃんポスターだったってわけだ。
あの騒動は色々感情的過ぎたが、でも一方でその辺知ってるとアゴラの復活でもあったって訳なんだな。
という訳で、統率されない人間が大量に集合すると雑踏事故が起きるのはデフォルト状態で、警察行政が力を入れて制御してるから日本じゃ事故があまり起きないのだ。
インドネシアのは警察に問題があり、観客席に催涙弾を撃って視界が乏しくなった客がパニックになったらどうやったって雑踏事故になる。観客席は階段状でそこに下り階段があるという構造ゆえ先が見えなくなるから普段でも危険な構造なのだ。インドネシア警察は雑踏警備の監督指導などを普段からしていないのではないか?
1964年にペルーで同じように暴徒に催涙弾を打ち込んで300人以上が死ぬ事故があったので、そういう事例研究をしていないと思われる。
「警察が私らを人間扱いしていない」との被害者のコメントが報じられているが、インドネシア警察は人間扱いと同時に流体扱いをすべきだった。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
・国の交戦権は認めないが、都道府県の交戦権は認めないとは書かれていない。
・都道府県が管轄できる警察はすでに置かれているので、武力の保持自体はすでに都道府県に認められている。
(追記)
憲法改正によらずにどこまでいけるかチキンレース的なものだと思ってもらえればええかな。
たぶん置けないんだろうけどなんでそうなるのかってのに興味あるな。
いまのところ私戦予備とか銃刀法違反とかの指摘がでてるけど、法律的なものはそれらを改廃すれば憲法をいじらずに都道府県軍置けるのかな?
あとは憲法9条に「日本国民は~」とあるからダメって指摘もあったけど日本国民は~が係ってるのは「国権の発動たる戦争~~~」の部分で、さらに2項の戦力不保持も「前項の目的達成」という限定がついてるので、都道府県の軍はいける感じ?
④統括組織が日本政府と安全保障協定を結ぶ(日本国が攻められた時に駆け付ける片務的協定)
もちろん軍を解体せずに協定脱退したら自動的に敵とみなします!(内戦ではなくてテロの平定です!)
まあ憲法改正したほうが早い気もする。