はてなキーワード: 自己中心的とは
聞く度???ってなるんだけど
しかも中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど
もし自分に原因があって相手が怒ってる状態で理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手が感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん
そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う
だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ
理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから超感情的じゃん理性とは真逆じゃん
自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に超感情的な人間だよ
しかも反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね
あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの
相手の感情や相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね
そういうのをそこまで自己分析も言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる
ていうかそもそも問題解決のための理性的な論理と問題によって影響が及んだ側の感情は対象が人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし
実際相手の感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ
感情面の尊重を求めてる時点で問題解決の過程で感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね
その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手が感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分が相手に感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的で自分勝手な話だけど
たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾も自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど
結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側からの意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね
問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲も問題の解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ
原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう
感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的になっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくまで論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こした感情に関して自体とそこへの責任を否定するものではないんだよね
正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う
教育の場だと感情に対する責任は教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな
学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題を解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人の理解や反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど
それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う
学校でも生徒間の問題は感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合がほとんどだからそこを分けて別のものと認識してて自分が問題を起こして影響を及ぼした相手が当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない
実際どうかは知らないけど
普通に考えれば解ると思うんだよね
問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし
その原因に対する責任においての再発防止策のひとつが安易だけど自省するって事でしょ
自分がやった事で相手が怒っててその相関性が常識的ならそこで引き起こされた相手の感情面の問題にも少なからず責任は発生するっていうのも普通の事だし
その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん
その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし
別にその権利を行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う
説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし
そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決の方法が気にいらないから責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね
その状況で相手が感情的になってる理由を理解せずそれ自体を非難するのって責任の放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体の責任まで相手に押し付けるものって話なわけでしょ
自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う
感情的になる事自体に否定的だ自分の感情なんだから原因が別にあっても自分でコントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任も自分で追わなきゃ矛盾するじゃん
ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的に主観的に忌む対象を排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う
そういう事言う人ってたぶん凄い主観的で共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う
クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな
映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど
その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ちは二の次にして気を使ってあげないとって思うの?
泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?
だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う
自分がやらかした場合の相手が感情的になる選択の権利を勝手にどうこうする根拠には全くならないけど
結局自分が原因にも関わらず相手の感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分が相手の事なんて、相手が自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題か理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的に表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的に表現するからってそういう話でしかないと思う
やっぱりただ自己中なだけだよ
自己中なのは自由だし自分の人生だし自分の人間関係だからどうでもいいと思うならそれでいいけど
怒る声苦手だしそういう性格だから悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分の性格じゃなく相手の人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う
自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが
解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う
自分で自分が何でそう思うか解ってないのに相手が問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん
相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的な問題を正論だ理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う
ていうかそれをその年代の常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい
全然理性とは真逆の反応だし超主観的で自分勝手で傲慢で正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから
ほんとに
単に相応しくないというのとその判断が出来てない事の問題であるのに環境型セクハラなんて言葉で間接的に自身への被害を主張するのは気持ちが悪いです。
あなたが女性でないならセクハラという言葉をダシにした男性オタクへの嫌悪感の発露でしかなく同じく自身の嫌悪感にセクハラという言葉を利用する点が気持ちが悪いです。
これが少女写真なら、なんて言っておられますが少女写真だったとしてその問題の焦点が女性へのセクハラだなんて言う人はどこかおかしいように思います。
その場合どう考えても問題は子供の人権の範疇のものであり、その大きな何より優先すべきものを前にしてハラスメントを理由の中心に問題提起するという異様さは自身で疑問に思われなかったのでしょうか。
その例はイラストで死体が描かれたポスターに対して実際の人間の死体がそこにあったら問題だろう、皆嫌だと思うだろう、というようなズレたものです。
法的に倫理的問題性を提起し得るものを挙げているのにその問題の中心を個人に与える主観的不快感に据えて論じるのはいささか自己中心的に過ぎますし常識を疑います。
そしてその法的な問題と法的には問題が無い部分での許容されるかされないかの話が然も比例するかのようにやるのもわざとなら逆に自論への自信の無さを感じ説得力を削ぎますし気付いていないなら混乱しているように思います。
壇蜜のCMも問題はお茶の間に相応しくない表現であるという話で彼女のキャラクターや彼女がやっていた過激なグラビアからの自己プロデュースが女性へのセクハラの一旦であるから、という話ではないです。
また未成年の児童ポルノ的搾取や男性向けの完全に一から作られた理想像的女性像と彼女のようなある程度自己の責任においてセクシャルさを滲ませている女性をそのキャラクター性で起用したCM等を混同するのはそのような性的にオープンな女性への差別であり女性は性的なものに対してこうあるべきだ、という旧時代的な役割の強制です。
それをセクハラ、と定義するのも本来主観的なものであるハラスメントへの価値観を女性全体に強いる女性の性的許容度の幅を一視点で決め付け無視した全体主義的で短絡的なステレオタイプ的発想です。
媒体や時間帯に相応しいかどうかとその対象自体の問題は全くの別の話です。
私はこの起用はパンツでも水着でもズボンでもあなたと同じく相応しくはないと思います。
私は現実に存在しない少女のキャラクターには抵抗も嫌悪感もありません。
なぜなら二次元の少女や女性は現実の女性とは全く違う存在だからです。
児童ポルノは吐き気がしますしもっと厳罰化してもいいと思っています。
個人的にはアイドルという免罪符で未成年の特に義務教育修了以前の少年少女の商品化において露出や仕事内容を規制すべきではとも思っています。
ですがアニメや漫画のキャラクターの性的さについて内容の必然性に関わらず女性向けの作品における男性の扱いと同じくそれが女性の権利を侵すものであるとは全く思っていません。
アニメ自体もある程度知っていますが内容が例え全編シリアスで所謂男性向けと言われる描写が全く無かったとしても放送されていた時間帯からして、加えてその放送時間に合わせた明らかに意図された性的さを含むキャラデザとしても公的な機関による人目に触れる範囲の起用は相応しいとは思えません。
それが深夜アニメ視聴層が主な対象者であるイベント等で期限付きで限定的に掲示されるものであるというなら別ですが。
次いであなたは露出の面で異議があるようですが露出それ自体は問題ではないかと思います。
これが攻殻機動隊の少佐であったなら露出度は変わらずともここまで問題視はされなかったはずです。
そしてまたこのような少女的にデフォルメされた絵柄の成人女性は作家の性別を問わず存在し、もし作中の少女達が成人女性という設定であってもこの問題は起きていたように思います。
あなたがやられたように現実の女性で表すなら幼い顔つきの成人女性写真なら、という話になりますが当人の人間性や選択、実年齢でなく見た目による年齢でもって、前述した攻殻機動隊のように例えばしっかりした歳相応の顔立ちでモデル的な体躯の女性では同じような露出度で性的さや倫理性の面で問題がないとされる事を幼い顔付きの女性がハラスメントという視点で語られるのであればそれは顔つきによって制限を強いる差別意識によるものでそれこそ嫌悪すべきものですがイラストの場合は違います。
現実ならば成人しているかどうかが焦点になるのも当然ですが二次元の絵は現実の女性ではありません。
問題は少女であるという部分や露出度自体ではなく深夜帯に放送されるアニメに沿ってデザインされた性的さを伴うキャラクターデザイン、という部分です。
ドラえもんやのび太達と共に水着姿のしずかちゃんが描かれた海水浴のポスターがあったとして、それが税金によるものだとしてもこんな風に問題視はされません。
そんなアニメCMが流れたとして壇蜜のCMのように問題になりますか?私はそうは思いませんし実際そうはならないでしょう。
あなたは少女の露出度合い自体を問題の核のように壇蜜の明らかな性的さと並べていましたが、ワカメやピノコが下着を短いスカートから覗かせる姿は同じ性的さを伴うものでしょうか。アトムの露出度はそれ以上ですが問題ではありませんか?
同じようにレジャー施設のCMで楽しく遊びはしゃぐ水着姿の女児や男児は肌の露出度という面では変わりませんがいかがでしょうか。
また少女漫画誌の夏号での少女の水着姿が描かれた表紙やポスター付録を女性へのセクハラだと捉える人がどれ程いるでしょうか。
少女の性的さが描かれる事が女性全てにおいて一律にセクハラの定義だとするのならバルテュスは公的に所有されている美術館では展示すべきではないのですか?
あなたは少女である事や露出度について一線を越えたと表現されているようですがそれではそれらは筋が通りません。
繰り返しますが、問題は税金で深夜帯用に性的な意図を持ってあつらえられた見た目のキャラクターを起用した、その1点です。
また、これがもし成人女性で、明らかに成人しているという見た目のキャラデザで絵柄も一般的なアニメと変わらず衣装も性的でなく露出が少なかったとしても、成人向けゲームで著しく性的な役目を持つキャラクターであれば、それが税金でもって多数の目に触れる場へ掲示されるのであるならそこに問題があるのは明らかです。
ですがよく知らなければただのきちんとした成人女性のイラストです。
少女でなく露出もなく性的なものを連想させる絵柄でないから問題ない、としますか?
それもそのキャラクターが女性へのセクハラだから問題なのではありません。
ハラスメントは主観的な概念であり、性的なキャラクターだと気付かなければ嫌悪感は抱きようがありませんし、イラスト自体そのものには何ら問題はありません。
そしてまた上述したように少女であっても露出度の面でもキャラクターによっては税金での起用も問題にはなりません。
そこで考えるべきなのはただ公の場に税金で起用する媒体のものか、という問題なのです。
キャラクターの持つ性的さへの意識の低さ自体、それが問題なのではと思っておられるのかもしれませんが、それも違うかと思います。
例えば峰不二子は露出如何に関わらず性的なアイコニックさを存在として含むキャラクターであり、その起用は知名度としてそれをも加味したものなのは明らかですが、ならばそれは意図されたセクハラにあたるとされるのでしょうか。
問題は媒体による特徴的方向性の一般的な許容度の差への意識の低さです。
許容度とは単純に知名度と個々の主観の集積であり実際の客観的性的さの度合いは関係がありません。
実際峰不二子は多くの少女、女性キャラクターよりも露骨な性的さをもって描かれています。
そしてゴールデンタイムでの峰不二子であれば許容される性的な表現も知名度のない深夜アニメの女性キャラクターであれば同じ時間帯でそこに印象の差が出るのは明白です。
それが許容度の差です。
そしてそれはハラスメントが客観的な性的さで定義されるものではない、出来るものではない、という事でもあります。
峰不二子自体は実際のところ成熟した大人の女性とはかけ離れた少女性が前面に押し出され、そのような感性でもって同時に性的である、というある意味一部の方が口にする男性に都合の良いキャラクター像ですが、広範囲のメディア露出による知名度によって逆に印象の部分的鋭角化が起こりそれが許容度に影響しています。
攻殻機動隊なら、と書きましたが少佐も原作での性的さがアニメの知名度に押されている例です。
ですから性的さ自体、またその対象の実際のキャラクター性自体への印象はそのまま許容度に比例するものでもありません。
一切性的な要素がない役回りだとしても成人向けゲームのキャラクターであるなら顰蹙を買うように内容やキャラクターの性的さは必ずしも直接的に問題に繋がるものではありません。
BPOが深夜帯のアニメへの子供への影響に関してのクレームに苦言を呈しているように深夜帯のものは深夜だからこそ許容されている部分があるからこそ逆に人の目に触れるのであれば気を付けるべき事があり、あのキャラクターデザインはまさにその部分の象徴のようなものです。
海外のアイコン的スーパーモデルの方は男性誌と女性誌で同じ水着姿でも表情やポーズを変えていく、といいます。
露出度やその当人自体が問題なのならそこに差は無いはずですが実際は媒体により、求められる印象によって差を持たせている、というのです。
腕で胸を隠したようなマタニティーヌードも女性誌とAVパッケージでは公での許容度は全く違うものです。
そして深夜ノリをそうだと理解できていないバランス感覚の無さ、許容度、拒絶感に対しての意識の低さ、それらの問題と露出度、年齢による倫理的適当性も別の話です。
許容度が高ければキャラクターに性的な要素があっても問題の声はあがり難く、また少女の水着姿、下着が露出した姿でも倫理性を問う声は大きくならず、逆に性的な面での許容度が低い媒体であればどれだけ性的さを削ごうと問題視は免れない、というのは少し考えれば分かると思います。
また現実とフィクション、絵では何もかもが変わって来るというのも常識で考えれば分かる事かと思います。
加えてそれが税金で行われるかどうか、もそうです。税金で無ければ許容度が跳ね上がるようなものは山ほどあります。
だからこそ私は税金での起用が相応しくない、という表現をしています。
そこを全て混同し、または混同させるように現実の少女に対する倫理性を問題としてすりかえる事で主観である自身の嫌悪感に客観的正当性を付与しようとするのは人の我が見えるようで違和感しかなく気持ちが悪いです。
女「タバコは体に悪いし止めるべきだわ」
男「お、そうだな」
男「タバコは体に悪いし止めるべきだな」
女「あなたにそれを言う権利はないわ。タバコを吸うのは個人の自由でしょ?そうやってすぐに他人に干渉して自己中心的に良いとか悪いとか言うの本当に気分が悪くなるから止めて。そもそもタバコだって売ってる人とか作ってる人がいて、それで生活している人たちもいるんだから、そうやって何でも禁止するのはそういう人達の人生を台無しにするって気が付かないの?そうやっていっつも自分勝手で考えてるから、あなたっていつまで経っても出世できないの分からない?同じ世代の芸能人とかビジネスマンとか見て凄いって思わない?あなたみたいな視野の狭い人と話してると自分がちっぽけに見えて嫌だわ。そういう成功してる人たちって周りのことを良く見てくれてるし、女も男も平等に接してくれるし、女の子の権利も大切にしてくれるの。女ってだけであれはダメこれはダメっていう男中心に考えられた世界は変えなきゃいけないと思わないの?もう平成も終わろうとしてるのに、あなたっていつまで経っても古い考えのままで、どうせ私みたいな女はうざいとか思ってるんでしょ?こうやって言ってくれるだけありがたいと思わないとダメなの分かる?」
ツー…ツー…ツー……
名前すら名乗らない彼は一体何者だったんだろうか。
彼は一体何に了解したんだろうか。
そして、彼はそうして了解したことをこちらに伝えて何がしたかったんだろうか。
電話先を間違えたことに気づいたのなら、それを謝るかせめて伝えるべきではないだろうか。
自分さえ納得できればよく、それを相手にも伝えるために「了解」という言葉を選んだのだろうか。
それとも、この電話番号が増田商事であることを確かめたくて、それを確かめることが出来たことを伝えたかったのだろうか。
私がお昼ごろにかかってきた間違い電話の事を今なお気にかけているのは、その言い方が独り言ではなく、私に「了解」をはっきりと伝える口調であったことだ。
私が増田商事の打須摩であることに「了解した」と彼が私に伝えることには、きっと彼の中では大きな意味があり、それさえ伝えれば失礼しますも言わずに電話を切ることにも何の問題も無かったのであろう事がその声色から読み取れたのだ。
非常に気になる。
もしかしたら、彼は未来の私だったのではないだろうか、それとも死神……。
この物語にはどんな結末が待っているのか、きっとなんの結末も待っていないのだろう。
ただ単に私に電話をした人がひどく自己中心的で、「俺が電話先を間違えたことに、俺が納得できたなら、それでお前も満足だよな?」と考えるジャイアン人間だったのだろう。
こんなにも頭を悩ませてたどり着いた結論が、クソ野郎のクソみたいな間違い電話について半日の間悶々としていたいというクソのような現実だったとは。
N氏が羨ましい。
彼の人生にはもういくばくかのセンス・オブ・ワンダーが込められている。
私の人生にあるのは、人間の薄汚さや他人に対してかける思いやりの無さ、そしてそんな事に対してすらこんなにも繊細になるほどの余裕の無さばかり。
辛い。
この人生が辛い。
ただの間違え電話1つですらこんなにも揺れ動いてしまうような器の狭い人間として生きていく事にもういい加減疲れた。
死にたい。
……やはり彼は、死神だったのだろうか。
DVの彼とは出会って二年。彼と出会った当時、私は大学生でお金と好奇心に惑わされ風俗の世界へと飛び込みました。そうです、彼はお客さんとして出会いました。当時はこんなことになると思うはずもなく、手っ取り早くお金を貯めて遊んで就職して、愛する彼氏と結婚し子供と幸せに暮らせるだろうと思い込んでいました。もしくはお水の世界のお姉様みたく、こんな私でもパトロンを見つけて悠々自適な生活も夢ではないと本気で思い込むほど幼稚で安易ないわゆる頭の悪い選択をしてしまったわけです。そこで出会った彼は特別貢いでくれたわけでもなく、ただ私のことを気に入って楽しませてくれました。その優しさに心を許し、お店の外で会うようになりました。お小遣いを貰うわけでもなく、だた普通のデートとして20才以上離れた男性と肩を並べて歩くのには躊躇したけれど、その時の私はいいご飯が食べれることがこの上なく贅沢でそれだけで彼の事を好きになったかのような錯覚に陥りました。遊び慣れていそうな彼が私だけを見てくれるという優越感が心地良く、あたかも彼氏・彼女のような付き合い方をしてきました。本当に愛しているわけではなかったので、彼が本当に独り身であるなら、他の女性がいようとそれは私には関係のない事だと思っていました。週に3、4回ほどのデートも苦ではなく、彼は私の実家の近くまでいつも車で送り届けてくれました。彼と出会う半年前くらいから仲良くしていた年上の男性Aがいることも話していて、いつか彼と別れて俺だけになってねと言われましたが当時の私はそんなつもりはなく、空返事でその場を取り繕っていました。今思えば、その時にはもう私はAのことを好きになっていたんだと思います。頻繁に会うわけでもなく、お互いの行動を連絡しあうわけでもなく、ただ一緒にいると落ち着き、ずっと一緒にいたいと思う存在でした。ただお互いプライベートな話をしたことがなかったので、友達のように接していました。そしてこのAに風俗をやめるよう説得され、私はすんなりとあの世界から抜け出すことができたのです。その後は、この二人の男性との付き合いで今まで通りのリッチな暮らしがしたいという想いが強くなり、私は二股のような振る舞い方で二人に接しました。Aの存在を知る彼は、いつも私を不安げな顔で見るか、もしくは他の男性に抱かれる私を楽しんでいるそぶりを見せました。実際に彼はそんな性癖があったので、私は悪気もなくこの関係を続けました。好き?と聞かれれば好きと答えてきたし、本当にこの二人を同時に愛していた時期もありました。大学を卒業し、まだ就職を決めてなかった私は実家に居づらくなり、彼の一言で一人暮らしを始めることになりました。家探しから家賃まで何もかも用意してくれた彼にそろそろ別れたいとは言えず、彼のサインで入居を決めました。もちろん、Aには内緒の引っ越しです。新しい自分の部屋はすごく気分を高めてくれたし、今でも手放したくないと思うほど本当に気に入っています。でも、ここに引っ越してから彼の態度が露骨に表れるようになりました。携帯のパスワードを見るために携帯のビデオで私の手元を撮影したり、Aの連絡先や仕事場など全部を調べるようになりました。私を寝かしつけた後は私の携帯を必ず見ます。どの時間帯でも部屋に訪ねて来て、いなければ私が仕事でよく利用するAの会社がもつマンションの部屋のインターホンを鳴らしにきます。顔がバレないようにインターホンのカメラをふさぎながら数十回鳴らすことがよくあります。みんなは怖がっていますが、私の知り合いが犯人だなんて伝えられません。私は今無職ですが、開業のためアルバイトと勉強をしています。Aにも協力してもらいやっと仕事になりそうなものが見えてきたところです。仕事の連絡をAと取りたいのですが、彼が会いにきた時は携帯を触ることを許されていません。しかも、会いに来るのはいつ来るかわからず、朝から深夜まで週4で会わないといけない週も多々あります。友達との連絡や仕事の連絡でさえも取れません。私がAと仕事をしたり遊びに行っている間、彼が怒らないように何度も連絡を入れているのですが、俺がいつも無下にされているから連絡を取るのは許さないというのが理由みたいです。私の用事があっても、彼が仕事の予定が空いている日は、空けなければ後回しにされたと怒り出します。怒るだけならいいのですがその日の夜会っても、今日はちゃんと会えなかったからと、また日程を空けるよう強要されます。フリーランスの仕事をしようとしているのに、連絡が取れなければ何もできないし、彼に毎日拘束されていたら仕事になりません。嫌がらせのような行動は、室内や路上で大声で怒鳴ったり、物を投げたり、いつも嫌な思いをしています。また、風邪を引いた時や疲れている時などに性的なことがしんどいと言えば、今日はご飯を奢るために会いに来たんじゃないと怒鳴られるか、数時間私のソファで寝たふりをされます。その無言の間も、仕事をしようとパソコンを開いたり携帯を触ったりすればものすごい形相で私に何をしてたか説明しろと言ってきます。できるだけ性行為を嫌がらないようにしようと頑張ってきましたが、一度妊娠してしまい、中絶してからは気持ちが全く追いつかず、全然イチャイチャしてくれないと私を責め、その時は数時間拗ねるか、もしくは私の態度が変だと怒鳴ります。久々に会って盛り上がりそのような行為になっても、彼は平然と中に入れたままです。夢だった妊娠とは真逆で、私がこんなに傷ついていること、心がいつも苦しく生きづらいこと、わかってもらおうと努力し話しても、彼の怒りの矛先はAなのです。何度も別れたいと伝えていますが、その答えはいつも、Aのことを社会的に消すだとか、Aの家族を脅すだとか、実際にする可能性は低いと思いますがかなり不安になりそこで謝ってしまいます。私が蒔いた種なのですが、どうしてもAを守りたいという気持ちが強く、これからも一緒に仕事をしたい、もし家族が許すなら私と一緒にいてほしいと思います。Aは子供がいるがもう夫婦は別れたと私に言ったことがあります。もし本当なら、あんな脅しも無意味で、私が引っ越ししてDV彼と距離を置くことができるのかなと思いますが、怖くて何も聞けません。私が急に姿を消しても、DV彼がAに嫌がらせをするのは目に見えています。部屋を借りてもらってたこと、ずっと関係が続いていたこと、Aにバレたくないという私の自己中心的な考えが自分を締め付けているのは理解しています。DVだと感じるような圧迫的な態度をされる時には、何度も死にたいと思いました。気づけばベランダでぼーっと下を見ていたり、勝手に涙が出る夜はもう数え切れません。この人が消えてほしいと思い包丁を持つ自分の姿が頭をよぎることもあります。何もかも捨てて、一人になれば楽になれるとわかっていますが、今の仕事をやり切りたいという気持ちと、Aと離れたくないという気持ちが捨て切れません。今日は彼に昼から深夜まで拘束されました。お酒を飲んでも私の気分が上がらなくて彼は数時間話さずかなり怒っていたけど、強要された性行為がない1日がこんなに幸せな気分なのかと感じられた、私の希少な幸せな夜です。ただただ、笑って過ごしたい。
いつも行くガールズバーがある。
1人オキニがいるのだが、3ヶ月ほど所用で店を休んでいた。
先日復帰し、久しぶりの会話を楽しんでいると、休業期間中あっさり離れて行ってしまったお客さんが多いことに愕然としたと言っていた。
ああそれはひどいねー、などと相槌を打ちながら、内心「当たり前だろ…」と思っていた。
なにせ、その女の子もまた、仕事上客を大いに選り好みしているわけで、因果応報であるのだから。
この例に限らないが、周囲には「自分は他人に平気で酷いことをするくせに、他人が自分に酷いことをするのは断じて許さない」「他人は自分に配慮すべきだが自分は他人に配慮しない」というような傲慢で自己中心的な考えをもっている者が多い。
褒められると誰しもうれしいし、「褒めて伸ばす」という言葉もあるので、一見、褒めることはすばらしいことである。
確かに、相手のためを思って褒めることはとてもすばらしいことであると思う。
落ち込んでいる相手なら気持ちが軽くなって少しはハッピーになってくれるかもしれないから、ちゃんと意義がある。
一方、相手のためではなく「自分のために」褒める人もまた存在し、これは非常に残念だし、ある意味で許しがたい。
一見、相手を褒めて相手を気分よくしてあげようとしている風だが、その表情と態度は「相手を褒めて気分よくしてあげている『自分』に酔っている」だけなのである。
この場合は相手のことなどどうでもよく、相手を褒めている自分がいかにすばらしく見えているかにしか関心がない。
飲み屋じゃなくて日常生活でもそういう手合いは確実に存在するから、出くわすと残念な気持ちになるとともに、自分はああなってはいけないと自戒の念を強くする。
大変だな。
やっぱ大変だな。
成長して入院の回数は減ったけど
それは無理をしないようにする術を覚えただけで病気が改善したわけでもなく
いまだに少し無理すると倒れてしまう
すげえ大変じゃん。
マジか。
殊更に特別な無理をしたわけではない
そうなのか
医者が季節柄もあるだろうといっていた
自分で自分を「普通の人間じゃない」って定義しちゃうのは辛いな。
同じような状況でも頑張ってる人は五万といて
それに苦しみは本人だけのもので、他者と比較するものではないと思うぞ。
自分を好きになりたい
だけどどうしても好きになれない
失礼とか考えなしとか、自分を貶めなくていいと思う。
自分が人間に見えないかもしれないけど、俺にはお前が人間に見えるぞ。
まあ常々思うけど、「自尊心」がなくては人間は人間らしく生きていけないな。
死ぬことはないけど日常生活に支障をきたす持病を子供の頃から抱えてる
とはいえ死ぬことはないっていうのは余命宣告とかはされないって事で
ちょっとした無理ですぐ倒れて、ある程度成長するまでは何度も入退院をくり返してきた
成長して入院の回数は減ったけど
それは無理をしないようにする術を覚えただけで病気が改善したわけでもなく
いまだに少し無理すると倒れてしまう
殊更に特別な無理をしたわけではない
医者が季節柄もあるだろうといっていた
同じような状況でも頑張ってる人は五万といて
自分を好きになりたい
だけどどうしても好きになれない
こんなこと絶対に言いたくないし、あまりにも失礼で考えなしで自己中心的な発言になるけど
本能がどうのといっているが、それは社会でそう言われているだけに過ぎん。聖書以外を信じず地動説・進化論を子供に教えないキリスト原理主義の人たちに、本能、種の保存の意志がどれほど大事か増田は教えられるんだろうか?
取り合う。限定された資源である。そして美人・イケメンという「有価」である。決して醜女・醜男という「マイナス」ではない。取り合うのは至極当然。
次に、我々は「正しい」ということを正確に測ることができない。「正しい」ことは「いい」ことなのだ。それ以上の思索を要しない。それだけにそこから先には進めない。
金をもっていればいい。なぜ? いろいろなものを買えるから。それはなぜいい? 欲望を満たせる。欲を満たせることはいい? ――さあ?
人格者であればいい。なぜ? ――さあ?
妻子を守り子を産み育てるのに適している頑丈な体はいい。なぜ? 守り、次に世代を残せる。それは人間が自分の種族にのみ適用できる主観的な願望ではないか? ――さあ?
ある程度つきつめると、価値観とは「自分」を中心に据えたまさに「自己中心的」な見方にすぎない。
この増田の言っていることは正しい。正しい。正しいのです。だから無価値なのです。
正しいとはなにか。ベクトルとして「正の方向」を示すにすぎない。
増田は「よくわからん」と言う。「わからない」ことを不思議に思う。だが「わかる」ということを不思議には思わないのはなぜか。自分にとって「正しい」からね。正しいこと、わかっていることをわざわざむやみやたらに掘り返すやつはそういない。
価値観が自己中心的であると見なせば、「なぜ美人やイケメンが好きか?」という問いにはすぐさま答えが返せる。「好きだから」。
いくつか挙げてくださった事例はどれも当てはまりません(当てはまっていないつもり)でしたが、それ以外の何かがあった可能性は否定できませんね。
それにしてもAの心中があなたの想像のようなもの(「察して~受け入れてほしい」のあたり)だったとすると、いかにも傲慢で自己中心的にしか感じられなかった私は男としての器が小さいのでしょうか。
完全に内に秘められたものを「察する」などという極めて高等なテクニックを有した男でないと、色恋沙汰を楽しむことすら許されないというのでしょうか。
捉え方は1つではないにせよ、Aは自分のことは察してほしいと望んでおきながら、私のことは察しないどころか無残に踏みにじり、破壊した(感情やプライドなどを)わけです。
よしんばそのような「感情」を抱くこと自体は普通であったのだとしても、それを表明するための「行動」については、他にもっと熟考し選択する余地が確実に存在したと思わずにはいられませんでした。
Aは実はこのことに気付いていて突かれると分が悪いと認識していたからあのような態度に終始したのか、はたまたまったく無自覚だったのか、今となっては真実を知る術はありません(探偵でも使えば別?そこまではする必要ない)。
いずれの場合であっても、私の率直な感情として「腹立たしい」「憎らしい」という結論に変わりはなく、この通り20年近くたった今でもうまく払拭できずにいるのです…。
他人に見返りをもとめる人は、相手の都合ではなく自分の都合で物事を考えることが多いという特徴があります。
そのため、見返りがない場面では「感謝の気持ちを伝えるのが苦手なのだろうか?」と相手の気持ちを考えるのではなく「せっかく親切をしたのにお礼がなくて損した」と自分目線で物事を考え、勝手に裏切られた、損をした感じてしまうことが多々あります。
また、自己中心的な考え方に加えて、相手に対してこれまた相手の都合を無視した自分に取って都合の良い過度な期待をしてしまうことも多く、仮に相手から感謝の言葉をもらったとしても「なんだ、この程度なのか…」とがっかりしてしまうこともあります。
完璧主義であるために、挨拶したら返事をするのが当然、親切をされたら感謝するのが当然というように「○○したら当然△△するべきだ」という「べき論」で考えているという特徴があります。
もちろん、挨拶を返す、親切に対して感謝の言葉を述べるのは道徳や社会規範の面で言えば望ましい行動ですが、社会に生きている人全員がその通りに完璧に行動できるというわけではありません。
甘やかされて育ってきたなどの環境による影響で、親切な事をされてもとくになんとも思わず、感謝の気持ちすら抱かない人も世の中にはいるのです。
そんな人を前に、自分の中で思っている完璧を押し付けてもストレスは溜まる一方ですし、「どうして感謝をの気持ち伝えなければいけないのか?」と逆ギレに発展してしまうこともあります。
「自分はこんなに親切にしたのにお礼の一つも言えないなんて、あの人はとても非常識な人」
「これだけ自分が尽くしているのに、感謝の言葉一つも貰えず、なんて自分がかわいそうな人なんだろう」
と相手を非難して自分は被害者であると主張することがあります。
心理的な報酬欲しさに、相手にを非難するだけにと止まらず、周囲から同情を誘うような行動を取ったり、恩着せがましい行動を取って反感を買ってしまうこともあります。
ここまでエスカレートしてしまうと、相手としても「感謝なんてするもんか!」という気持ちになって、感謝の言葉がではなく否定や中傷の言葉が返ってきかねません。
提示する解決策はなんの裏付けもない下衆の勘ぐり的なインチキ科学技術者
若者をいじめるために、遊んだ後、自分で片付けできないいじめっ子
自分の作品が、重箱をつつくようなことを言われるのは、読んでるそいつに理解力がないから、
自分の与える情報を受け入れることでそいつ自身もよくなるのに。
みんな自分の言うとおりでいいのに そう憤る。
なにかうるさいことを言ってくる奴には、自身を互いに利用することが
最大のダメージだと思い、利用をする。
あとは周囲がついてくるのを待つだけ、大物も、自分を見つけるはずという態度をとる。
しかし、小物文化人を気取ってるが、よりすがってるのは大物的なものばかり。
もうすぐお祭り騒ぎも始めるだろうな。
私利私欲で動いてる人間で遊んでも、彼自身、自分を大きく見せたい、訴えたい、ちやほやされたいといった私利私欲丸出しのスタンスと相通じている。
だから、ただの自己中心的人間のはぐれものが、同じ自己中心的人間で遊んでいるだけにしか見えない。
仮に彼が遊んでいる人間の立場に、彼自身が立っても同じように欲におぼれて過ちを犯すだろう。
彼はいつだって小物を気取りながら大物と合流したがる『インチキ文化人』。
ブログや匿名掲示板や動画界隈などではいろんな立場になり済ましたつもりで文化人気分。
傍から見れば低い取れ高を、彼自身のフィルターでは10倍、100倍も大きく、またあるときは高い取れ高が1/10、1/100に小さく見えている。
彼は、自分自身に痺れることを前提に、文化活動や、ネットでの行動を行っているのだ。
自分が自分が痺れるように、オーディエンスも自分に痺れるのが普通であると考えている。
また、私利私欲丸出しで、その範囲が自分を中心とするものだから、立場が二転三転する。
この例はかなり極端…いや、最前線すぎるけど、似たようなやりとりは結構あります。
問題が起きる→俺が対応頼まれる→俺が説明しながら問題解決→これからは各自で解決できるように情報共有と説明→わかんないから無理。お前がやれ→最初に戻る
の無限ループです。
パソコンの調子が悪い、エクセルで思った通りの操作ができなかった、マウスが動かない、とかそういうやつです。
で、同じことを何度も聞かれます。
ここに書いたでしょ? っていうと、
とキレられる。
ここにあるんだから見てくださいよ!
って言うと、
いやだ、見ない!
と言われるんです。
会社の中としてはちょっと信じられないようなやり取りなんですが、ずっと中にいると何が正しくて何が間違ってるかわかんなくなってきます。これが会社なのだから仕方がない、みたいな。
説明の仕方が悪い
みんなわかんないんだからしょうがない。これからもずっと絶対わかんないからあきらめろ
と畳み掛けられる。
なんかもう書いてて胃が痛くなってきた。
辛い。
もう俺が消えるしかない。
おしまいだ。