マナーコンサルタントの言う「お気持ち全面配慮」というスタンスがひどいと思った件: 不倒城を読みました。
私はたまたま、西出ひろ子さんの下で仕事をしたことがあります。仕事人としては人に要求するレベルが高く、私はその水準に達しなかったのかなぁ、という思いもあって、もう会うことはかないません(し、そもそも会う気もありせん)が、
西出さんの提唱する(少なくとも、かつては提唱していた)マナーを知っており、一方的にせめられているのは、あまりに気の毒だなと思うので、擁護にはならないけれど、西出さんの考え方をお伝えしておきます。
西出さんの考え方。
それは、
「マナーとは、『○○のときは××をしなさい』という"型"ではなく、互いが、互いのことを思いやりながら、気持ちよくコミュニケーションを取りたいと思う"気持ち"を元に行動すること」
というものです。
また、
「マナーとは、『私は完璧なマナーを身に付けている。すごいでしょ!』『あなたはマナーがなっていないわね。恥ずかしくないの?』という一方通行のものではなく、『互いが相手の立場に立って、相手が楽しく、心地よく過ごせるように思いやる』という相互作用のもの」
でもあります。
例えば、「フォークとナイフは外側から使う」というマナーの"型"がありますが、西出さんの考え方は、
「確かにそういうマナーになっているし、覚えておいて損はないけれど、おいしく、楽しく食べられるなら、どれから使ってもいいよね」
「外側から使わなかったのには、何か理由があるかもしれない。それなのに、外側から使わないことを非難してテーブルの雰囲気をぶちこわしたり、人格を否定したりする方が、むしろマナー違反」
というものです。
あいさつも同じ。西出さんは、「あいさつは笑顔で」というマナーの"型"について、こう言うと思います。
「何であいさつは笑顔かというと、笑顔であいさつされたら誰だってうれしくなって、コミュニケーションを取りたくなるから」
「もし相手があいさつのときに笑顔でなかったなら、笑顔でないことを怒るのではなく、笑顔になれない相手のことを思いやって、心配してあげてほしい」
というものです。
私が仕事をしていたときは、「相手の立場に立ち、思いやってする行動の全てが本当のマナー。『本当のマナー』で周囲と接していれば、あなたも周りも幸せになれる」として、「マナーの型が全く載っていないマナー本」なんていうものも作っていました(お蔵入りになったかもしれない)。
つまり、西出さんとは何なのかというと、「マナー講師」じゃない。「コミュニケーション講師」なんです。
(実際、「マナーコミュニケーション」という単語を、商標登録しているはずです)
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で、本題です。
「コミュニケーション講師」に「マナー」を尋ねると、何が問題になるのか。
西出さんの提唱する「マナー」とは、前述の通り、相手の立場に立ち、相手を思いやること。
これは考え方としてとても正しいのですが、正しすぎて、「じゃあ、こういうケースでは具体的にどうしたらいいの?」と問われたとき、答えが無限に出てしまうのです。
なぜなら、人の考え方は人それぞれだから。
人対人のコミュニケーションの組み合わせも、その"正解"も、無限になってしまうのです。
マナーというのは、ある種の決まりごとと思われている方が多いかと思いますが、マナーは決まりごととは言い切れません。
その場にいる方々が心地よかったり、スムーズにその場を進めたりするために、お互いが思いやりの気持ちを言葉や行動であらわしていくことなんです。
マナーの"型"に沿って言うだけなら簡単です。同じく記事中にて、
昔、こういったことをマナーとして言っている人がいたのかもしれません。
私は、九州で生まれ育って年齢は50歳を過ぎていますが、初耳でした。
高齢だから、ということではなく、周囲からそう言われて育ったとか、その人自身の考え方が影響しているのではないでしょうか。
そもそも、自分が知っている慣習以外をマナー違反としてしまう傾向がありますので、今回もその傾向の一つかもしれませんし、他に不快になる要素や事情があったかもしれない、とも考えられますね。
といっているのですから、西出さんは、「マナー講師」として「『薬を人前で飲むな』などというマナーの"型"はありません」と言うだけでよかった。
ところが、これまで述べてきた通り、西出さんは「コミュニケーション講師」(私感)なので、
ただ、世の中には様々な考え方をなさる方もいるので、これを不快に思う人もいるということをわかった上で、自身がどのように飲むのか、そこにマナーが問われるのかもしれません。
決めつけることなく、今回のケースでいえば、薬を飲む側も、それを不快に思う側も、互いにさりげなく配慮し、受けとめ合える社会になればよいですね。
と話してしまう。
これが、しんざきさんには「お気持ち全面配慮」というスタンスに見えたのでしょうね。
ただ余談ですが、引用文を文面通りに読めば、「お気持ち全面配慮」ではなく、「薬を飲んでいるところを不快に思った側も、たとえそう思ったにせよ、相手の立場に立って、注意は控えるべき」と言っていることが分かると思います。
その意味で、タイトルを「お気持ち全面配慮」とするのは、(まさにしんざきさんがエントリを上げたときの心情を思うと、分からなくもないけれど)雑なんじゃないかなぁ、とも感じます。
余談ついでになりますが、少し前に話題になった、徳利の注ぎ方の件、西出さんならおおむね、こんな感じで言うと思います。
「そのようなマナーは初耳です。基本的には注ぎ口から注いでいいと思いますが、もしも、相手が注ぎ口を上にして注いでいたならば、あなたもそれに合わせて、逆向きに注ぐことも考えてはどうでしょうか。また、注がれる側も、仮に相手が注ぎ口を上にしていたからといって、笑わないでください。相手も、相手なりにあなたのことを思いやって、大事にしたいから、そうしてるのですから」
「あなたがそれでも『注ぎ口を上にするのがマナーなのに、彼は下に向けて注いできた。実に失礼だ』などと思うならば、こう考えてはどうでしょうか?『彼は注ぎ口を下にすることで、注ぐときにおちょこからお酒がこぼれ、手や袖が汚れないように配慮してくれているのだ』と。相手のことを思いやり、おいしく食事をして、楽しくコミュニケーションを取る。これが本当のマナーです」
…ごめんなさい、ちょっと盛りました。けれど、大筋はこんなものかな、と。
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「その場にいる方々が心地よかったり、スムーズにその場を進めたりするために、お互いが思いやりの気持ちを言葉や行動であらわしていくことなんです。「TPPPO(時間、場所、立場、相手、場所)」によって答えは変わってきて、これがマナーだと考えています。
という立場なので、先に書いた通り、「こういうときはどうする?」と尋ねると、理論上は無限に答えが出る=マナーが増えてしまうんです(これも今思えばちょっと盛っていますね。無限じゃないです)。
だから、マナー(の型)の取材として西出さんに聞きにいった記者は西出さんを理解していなかったし、西出さんも、こんな取材を受けてはいけなかった。
というかね、西出さんにはいいかげん、このことに気付いてほしい。記者と西出さんとで、話しているベースが違うから、おかしなコメントばっかりになってしまうんです。昔っからなんですよ。昔っから!だいたい何ですか!発端のツイートなんて、嘘つきか、そうでなければアレがアレな人の、アレなアレじゃないですか!こんなもののコメントなんて断りなさいよ!もう!知らないっ!
薬を飲んでいるところを不快に思った側も、たとえそう思ったにせよ、相手の立場に立って、注意は控えるべき そもそも注意が必要だと思うこと自体が間違ってるのに「相手の立場...
それな。 何で薬を飲むのをためらう必要があるんだよ。 それで死んだらお前責任取るのかって感じだ。
個人が何かを勝手に不快に思うことや、「そのような振る舞いはおかしい」などと注意したくなること自体は、間違いじゃないよ。誰がどう思うかは勝手だから、これはしょうがない。 ...