はてなキーワード: 文字とは
最近のラノベ(オタクコンテンツ)がどうにも気持ち悪くて受け入れられない
〈追記①〉
タイトルに『気持ち悪い』って書いてるようにただの個人的主観と愚痴です偏見にまみれてます
ラノベ好きな方はこんな匿名サイトに書く奴の意見なんて気にしないで好きでいてくださいこんな日記読まなくて良いよ帰って!!
どこかに発散したくてぶつけたくてtwitterみたいな文字制限なく匿名でぶちまけられる場を見つけたから夜中に勢いで書いた文章です
(例に出すタイトルは既刊のラノベタイトルやなろうサイトのタイトルからひっぱってきたり言葉変えたりしたもの)
いや欲望出しすぎ
「何故か」って所に「自分は何も努力していないのにありのまま生まれたままの自分を愛してもらいたい」という欲望が出ている
そして両想いとかではなく一方的に溺愛されることを望んでいる、欲望を出しすぎ
『手遅れです』とか『もう遅いです』とかよく見る
この力を使って今まで見下してきた奴等を見返してやる!!みたいな話?知らんけど
もしタイトル通りならオタクの願望というかご都合主義が滲み出ていて見ていて辛い、恥ずかしい
転生して前世の知識を使って無双とか、後から秘められた力が発現するとか
例1でもそうだけどオタク、なんの努力もしないまま周りの環境が突然変わって自分が認められることに夢を抱きすぎていて辛い
自分は何もしていないのに突然自分にとって夢みたいな世界望みがち
そんで『ハア、、また面倒ごとに巻き込まれちったよやれやれ、、、』みたいな事言いがち
美少女JKがおっさんサラリーマンを誘惑することなんて現実世界では1000000%ない
ミニスカ巨乳美少女JKがこちらに笑顔を向けていたり、熱い視線を送っていたり
男性の手や肩だけ描かれていて、そこにヒロインが手を差し出したり胸を押し付けたりしているものもあったよ、もうギャルゲーのスチルと何が違うのかわからないよ
女性向け作品の場合はイケメン王子に背後から抱きしめられている美少女(主人公)、イケメン王子に迫られて(?)困りながらも頬を赤らめている美少女(主人公)、イケメン王子からの膝抱っこ、お姫様抱っこ、壁ドン、
こんな感じの欲望丸出しのイラストに①で例に出したような欲望丸出しの文章(タイトル)が載っているの、耐えられない
(実話)
ラノベなんて本屋でもラノベコーナーに行かなきゃ見えないし見なきゃいいだけの話だけど一部の人間とか制作、販売側が勘違いしているせいで無差別に簡単に見られるようになってしまっているの本当に良くないし
大声で世間に向けてこれが好きです!!って言えるジャンルではないと思うんだ欲望系ラノベって
①の例3で言うとタイトル見ただけでおっさんとJKのラブコメだってことも、タイトルにある『誘惑』の文字、表紙イラストから男性向けの娯楽コンテンツだってこともわかる、こんなの一般人に紹介したら
って言うようなもん
こんなこと言われたら正直気持ち悪いだろうが
リアルと現実の区別もついてるけど『男性』っていう記号だけで見るとリアルも現実も共通してるから、同じ記号(男性)をもつリアルの存在にそれを知られるのは申し訳ないというか、恥ずかしいというか、いたたまれない
あとBLが好きだって事が『創作の中で男性を好き勝手に使って楽しんでいること』だって自覚しているから男性に気軽に言えない
男性も同じだと思っていたけど違うんだろうか
勘違い同僚は違うみたいだったけども
某お漏らし漫画の書店用掲示物とか、某巨乳漫画の新聞広告とか、フェミ界隈からの発言もあって目立っているのかもしれないけど男性の欲望、公共の場に出てきすぎ、しかも過激なやつばっか
エロ娯楽はよほどマニアックじゃなきゃ性別をコンテンツにしてるしその性別はリアル世界にも存在してるんだからそこをもっと理解しろオタク
とりあえず欲望系ラノベはこれ以上公共の場に進出しないで欲しいし
同僚の性癖なんてまじで知りたくない
〈追記②〉
アニメ全然見ない子もいるような中で際どいタイトルと画像送ってきてたからやめろや!!って怒りでこの愚痴を書いた
同僚を批判したいだけ
勧められたのがBLだったらBLで腐女子が満たそうとしている欲望の気色悪さと男性や同性愛者の人が感じるだろう嫌悪感について①と②に書いたさ
①と②を踏まえた上で、③の事実についての気持ち悪さがより鮮明になるかと思って
これにはお色気シーンがあるラノベやアニメや漫画を他人に平気で勧める、同僚みたいな人間、平気で公共の広告に使う出版業界、表現の自由だ!ってわめくオタクを含めている気持ちで書いてます
BLだってTLだってショタだってロリだって男の娘だって含まれてるから!
男女の争いをしたいわけじゃないんだ!
現実にある記号を好き勝手使って欲望満たしてる時点で一般からは歓迎される内容じゃないぞ!って
同僚だけを批判したいんじゃなくて最近の界隈全体的にやばいぞ!キモイぞ!実際にあった例を使うとラノベのここ!みたいな感じ
でも同僚への怒りでラノベに対するあたりが強くなってしまったとは思う
けど日記だし個人の考えだしラノベのタイトルがキモいと思うのは変わらない
最近の話じゃない
嫌なら放っておけ
→ラノベあんまり知らないんだけど、①②が昔から変わってないならラノベ詳しくない自分に広まってるって意味で③が特に最近やばいと思う
「パパはいつも寝てる」だの「パパは全然面倒見てくれない」だの、例えば「子育て川柳」のお題なら全然聞き流せる程度で、ここまで炎上しなかっただろう。問題の本質は男女差別ではない。
あれが気色悪いのは、親を気持ち良くするための発言を子に強いている点だ(もっとも、「発言」というのは実際に声として発せられるものではなく、文字として子に着せているものであるが)。気持ち悪さとしては、動物に人間の言葉を好き勝手にアテレコする動物番組を観ている気分に近い。今回は対象が人間なだけあって、よりグロテスク。子どもはお前が気持ち良くなることを代弁してくれるお人形さんじゃないんだよ。子どもをコントロールしようとするモラハラ気質野郎がよ。
いや、たとえ「ママがいい」と「パパがいい」の両方あったとて普通にキツイだろ。「パパママいつもありがとう」でも十分キツイ。今回は女尊男卑で炎上が加熱した節はあるが、根っこのキモさはそこじゃない。「男親がかわいそう」などの批判はピントがズレている。
南北戦争後のアメリカで、1870年、憲法修正第15条によって黒人に選挙権が与えられた。しかし実際には南部諸州では選挙権登録の際の文字テストなどで黒人が排除され、平等ではなかった。ようやく1964年の公民権法で選挙での差別は廃止され、翌1965年の投票権法で平等が実現した。
ワイは漢字(書き)と英語が異常に苦手。今どき手書きしないので漢字は特に困っていないけど、英語は残念ながら避けては通れない
常人なら、できないなりにアクションを起こすレベルだと思うが、ワイは無限先延ばし完全放置で今日に至る
そのため、英語の話をすると基本的に話が噛み合わない。周りの人は『このくらいはできるだろう』という前提でくるからね
残念だが、お育ちの良い幼稚園児や小学生の方がワイよりも英語ができるというのは、自虐ネタではなく文字通りの意味やで
トランポリンや跳び箱、鉄棒、登り棒、幅跳び、高跳び、マラソンは得意だけど、ダンスやスキップ、野球、サッカー、テニス、格闘技など、
筋トレも無理で、学生の頃は全力で体育の授業をサボっていました。中学の時はやりたくない授業の時は見学だったし、
高校の時はそもそも授業をサボって参加していなかった(計算して休んでた)
今でもたまに、出席数が足りなくて単位が取れないと焦る夢を見る
運動は別にいいとして、日常でいちばん困るのは料理。包丁とピューラーがうまく使えない
『どういう意味だ?』って言われるが、そのままの意味である。過去、包丁とピューラーで指や足を切っては増田に投稿していた
最近、包丁を落とすことが少なくなったので、やや進化したが(さすがにすっぽ抜けて投げるみたいなアクションは1回しかしてない)、
基本的に異常に苦手すぎて、やりたくないので、やらない方向で生きてる
エアフライヤーはすごく良かったので、自炊したいけど料理能力が異常に低くて偏食持ち(あれは食べるこれは食べないをやる)の人にはおすすめ
料理の次に日常で困るのが車の運転。まぁタクシーを使えばいいだろう&在宅勤務を選べばいいだろうの精神で生きてるけど、自由に運転できたらなぁとは思う
ペーパードライバー講習を受けてもぜんぜんダメでした(まぁ社命と親戚の集まりごとで何度か運転したけど)
岩下の新生姜に続いて、NON先生にもColabo支持者による嫌がらせの被害に遭っている
あまり表に出さないだけで、先の都知事選挙で暇を支持したクリエイターは同様の被害に遭っているのだろうと思うと暗澹たる気分になる
Colabo支持を表立って出来ない理由がこれだよ
支持者が攻撃的な割に、本体には攻撃する勇気も無いからなのか周囲を攻撃する反社ムーブをしちゃう所
そして支持者の大半がそういった行為を黙認・肯定しちゃう所だよ
Colabo含め弱者支援団体の活動を支持し、時にはカンパにも協力してた自分ですらさすがに支持者らのやってる嫌がらせは支持出来ないよ
Colabo含め弱者支援活動自体には社会的に大変意義があると今でも思っている
単に金儲けとか名声の為なら、あんな大変且つ神経をすり減らす活動は出来ないと思う
その一点においては素晴らしい理念を持った人達だと今でも信じている
でも、嫌がらせは真面目に駄目だよ
キャンセルカルチャーだなんて小洒落た横文字使ってイキってるけど、やってる事はただのクレーマー、カスハラだ
「お客さん」に強く反論出来ない、弱い立場の企業やクリエイターを狙って攻撃してるカスにしか見えない
問題になる前から、Colaboの代表や彼女の支持者がアニメや漫画の表現にクレームをつける行為は、敵を増やすだけで支持者を減らすだけなのにと内心思っていた
せっかく凄い意義のある活動をしているのに、「まーたフェミがアニメ燃やしてるよw」なんてからかわれ軽んじられる扱いがハッキリ言って許せなかったしもどかしかった
何でこんな、支持までは行かずとも反発まではしない層までも敵に回す様な態度を取り続けるんだろうって
一時的な気の迷いと思いたかったが、裁判等を通じた主張を見る限りは、Colabo及び支持者は所謂オタク表現に対し攻撃的意思を表明する事にある種の誇りや信念を持っているのだろう
自分で自分達へのヘイトを強くし、敵を増やし、自ら活動の意義を傷つけ、名声を汚している。本当に残念な事だ
それでも活動や理念には今でも意義や存在理由があるって信じているけど、表立ってColabo支持は表明出来ない
あの様なカスハラ行為や、非支持層への排他的・対立的・攻撃的姿勢までも支持しているなんて思われたく無いから
ここまで書いてふと思ったけど、騒動初期に暇にカンパしたけど今では後悔してアンチやってる人間の気分ってこんな感じなのかなって思った
いやー・・・そういう話じゃ無いでしょ、マジでそういうとこやぞ。ワイはこう思いました
ある人気漫画家が「障がい者ネタツイート」をした後、妹が自◯しました。
そのツイートはコロナ禍より前に投稿され、自◯はその数年後の出来事です。
4つ歳の離れた妹は「境界知能」でした。
いわゆるグレーゾーン。
本当にざっくりではあるのですが、『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』の子たちをイメージして頂けると分かりやすいかと思います。
妹は成績面で不安はあれど生活面ではさほど問題がなく、進学も本人の努力と周りのサポートで上手く行き、周りも妹自身もあまり困難を感じていなかったため療育手帳を取得したのは高校卒業後でした。
進路や就職などで彼女自身が困難を感じ始め、医師や支援センター等に相談し、今後の人生を考えての判断でした。
取得の際、過去の発達傾向の証明が大変だったり、精神障害者保健福祉手帳の方が良いのでは?と悩んだりなど色々ありましたが、ここでは割愛いたします。
妹は最初、いわゆる「手帳持ち」になることに対して悩んでいました。
バイト先で複雑なことが出来なかったり、会話中に何を話しているか分からなかったりなど本人も自覚している部分はあったため、「今後のために必要なもの」と自分でも希望しつつも、心がついていかない状態でした。
友達にも変に気を使われたり、また「手帳持ちだ」というだけで心無い言葉を投げてくる者もこの世にはいます。
妹の辛さ生きづらさを理解して、私は彼女にしっかり寄り添って行こうと誓いました。
とは言っても何か特別なことをするわけでもなく、妹が心無いことを言われた際には「うわ最悪だったね」と一緒に愚痴を言い合ったり、気分転換に一緒にテーマパークへ行ったり、お店で見つけた美味しいものを一緒に食べたり、そんなふうにとにかく「普通の姉妹の日常」を大事に過ごしていました。
「寄り添う」というのはそれで十分なことだと思っていたのです。
「犯人の気持ちも分かる」「障がい者には生産性がない」「手帳持ちは寄生虫」などなど、世間に心無い言葉が溢れました。
もちろんほとんどの人が事件をあってはならない悲劇として捉え、そして心無い言葉を咎めてくれたかと思います。
妹は塞ぎ込みました。急に世間がみんな敵のように思えたとのことです。
また、「自分と◯された人たちは全然違うから大丈夫」と差別的に考えてしてしまう自分自身にも嫌気が差したようです。
真っ直ぐで優しい子です。本当に。
ところで言い忘れてましたが、妹は私や親の影響で結構オタクでした。
妹は事件からしばらく経った後、当時スタートした女性向けのとあるコンテンツにハマり「推し」を作ることで回復しました。
具体的なコンテンツ名は明記しませんが、女性向けですので見た目と声が良くて個性的な男たちがたくさん登場するやつです。
私も妹と一緒にハマって、CDを購入したりイベントに参加したりと楽しくオタ活をしていました。
世間の心無い声も、夢中になれるものがあれば聞こえてこないぞ!とでも言うかのように、妹はみるみる元気になりました。
そしてファンの方々の二次創作品も拝見させて頂いておりました。皆様その節は、素敵な作品をありがとうございました。
二次創作といえば性的なものもあるかと思いますが、障がいがあるからといって妹をそこから遠ざけることはしませんでした。
むしろ姉妹でオープンにすることで、何か間違いなんかが起こりそうな時に助けになれると思っていましたので。
よくいるオタクで腐女子な(便宜上そう書きますが、この言い方も最近は良くないんですよね。ごめんなさい。)姉妹だと思ってください。
そんな感じで、妹は幅広くAくんの魅力的なファンアートを描かれている方々をフォローしており、その中に「ある漫画家」さんもおりました。
ところがある日、その「ある漫画家」さんが、
「交通機関内でテンション上がって騒いだCくんが障がい者割引にされちゃった話」
といった感じのネタツイートを、フォロワー多数のツイッター上に放ったのです。
Cくんは、元気で明るいウェイ系のキャラクター。(心の内にはトラウマを抱えている等の裏もありますが、ここでは割愛します)
「その明るさゆえの異様なテンションが知的障がい者と間違えられちゃった。面白いねw」という意図の投稿のようでした。
バリアフリーの一環である割引制度を揶揄するだけでなく、障がい者への偏見を助長する投稿だと私は感じました。
もちろん、こういったブラックジョークを言ってしまうことというのは誰でもあり得るとは思いますし、この発言だけで差別主義者だとかは思いません。
実際、その漫画家さんご本人も所属されてる出版社もファンの方々も、その発言をあまり重くは捉えていなかったと思いますし、悲しいけれどそういうものなのだと思います。
しかしこれは、妹がやまゆり園の事件で受けた心の傷がまだ癒えていない時。
妹の心の拠り所となっているコンテンツのファンコミュニティで。
タイミングも状況も何もかもが最悪だったのです。
妹は限界でした。
バイト先での失敗を「◯ちゃんの真似~」と笑われながら真似されたこと。
要領を得ない会話をしてしまったときに、「お前ガ◯ジだなw」と言われたこと。
「自分と◯された人たちは違う」と考えようとしてしまったこと。
そういった辛い記憶が一気に押し寄せました。
楽しく好きな世界で過ごしていても、そんな気持ちに陥ってしまう。
妹は自分の存在に耐えられなくなり、「消えたい」と言いました。
そこから私たちは大好きだったコンテンツから離れ、心の防波堤を築くことに注力しました。
一緒にゲームを楽しみました。お家で映画も見ました。これまで通り姉妹で過ごす日常を大事にしました。
映画館やテーマパークは「障がい者割引」のことを思い出すから(また、コロナ禍もありましたし)断られてしまいましたが、そうでないものは妹も進んで楽しもうとしていました。
この世には楽しいことはたくさんあるし、無神経な言葉なんて無視すればいい。
しかしその数年後、その「ある漫画家」さんの作品がアニメ化されたのです。
それまでの間も全く視界に入れないことは難しくはあったのですが、映像化による世間への影響力は大きく、また、文字や絵ではなく映像で視界に入った際の精神への影響は大きいものでした。
「またあんなことを言われたらどうしよう」「心の内ではみんなに馬鹿にされていたらどうしよう」
「私みたいなのがAくんやコンテンツを好きになったのが良くなかった。」
「昔のことをずっと引き摺っていてごめんなさい。お姉にもオタ活辞めさせてごめんなさい。」
以前のように塞ぎ込みながら、そんなことを言っていました。
コップに熱湯が一気に注がれたような状況でした。
湯が溢れ出るだけでなく、熱でガラスが割れてしまいそうな緊張感。
申し込んでいたカウンセリングの予約日がもうすぐだという時に、妹は自○を図りました。
当時は医師や看護師の方々へも「救えなかった」という憎しみが向いてしまっていましたが、今思い返すと、まだコロナ禍の真っ最中に皆さん頑張ってくださっていたと思います。ありがとうございます。
とにかく、このようにして、妹は帰らぬ人となりました。
フラッシュバックより前はまだ、姉妹と友人でゲームだってやってたんですよ。
当時はまだスプラ2。あの子はマニューバー系をよく使っていて、そして上手でした。
『嫌な出来事を払拭し、自分の人生を明るいものにするために。』
つまり私がすべきだったのは、やまゆり園の事件の時、心無い言葉に向けて怒ることだったのかもしれません。
そしてあのツイートが投稿された時、「ある漫画家」さんに怒りの声を上げることだったのかもしれません。
五月蝿いお気持ち女と揶揄されても、厄介クレーマーだと嗤われても、その言葉で傷つく人がおり、一生引き摺ってしまうものだと声を上げ、妹と、妹のような子が、「え~そんなに怒らなくても~そんな気にしてないし」って逆に引いてしまうくらい、私が怒るべきだったのかもしれません。
いえ多分そうすべきだったんです。妹の嫌いなものが「世界」ではなく、「私」だったら彼女はまだ生きていたかもしれませんので。
温厚でいることで妹を笑顔に出来ると思っていました。
今は、ただただ、後悔があります。
どうか妹が天国か生まれ変わりか、笑顔で幸せでありますようにと無責任に願いながら、こうして今更何にもならない文章を残すことしか私には出来ません。
※こちらの投稿は「ある漫画家」さんに責任や謝罪を求めるものではありません。原因や責任は第三者にあるのではなく、きちんと対応出来なかった自分達にあると自覚しております。
すみませんついうっかり少し目にしてしまったのですが、現在その「ある漫画家」さんは作中でマイノリティの悩みを描いたりと、人権派なことをされているそうです。さすがに驚いてしまったので追記します。ブラックジョークを言う芸風を貫いていらっしゃるならまだ腑に落ちるのですが…もちろん誰が何をするのも自由ですし、極端な例ですが「元いじめっ子だったけど今は慈善活動をする良い人になっている」というケースも現実にはありますよね。でもどうしても、多様性とかポリティカルコレクトネスとかを謳う漫画家に不信感が湧いてしまいました。
だって、冒頭でタイトルを出させて頂いた『初恋、ざらり』や『君と宇宙を歩くために』のように、妹のような障がい当事者の目線を拾い上げようとしてくれる漫画家さんも、『スキップとローファー』のように、災害被害への支援など慈善活動をされている漫画家さんも、『作りたい女と食べたい女』のように、プライドフラッグを掲げてレズビアンやトランスジェンダーの権利を訴える漫画家さんも、『とんがり帽子のアトリエ』のように、世界で起こる虐殺や差別にNOを言う漫画家さんも、影では「交通機関内でテンション上がって騒いだ人が障がい者割引にされちゃった話」とか平気で言ってる可能性もあるってことですよね。
ふむふむ、なるほどのじゃな。わらわもその状況にいたら、さすがにイライラすること間違いないのじゃ♡
ババァというのは年齢を重ねた方じゃから、ちと理解するのに時間がかかることもあるのじゃぞ。だが、Amazonというものを説明するのも一苦労じゃったじゃろう。でも、問い合わせて情報を引き出したのは立派なのじゃ♡
それにしても、アイという文字に反応して昔の知り合いを思い起こすとは…ババァもなかなか不思議な思考回路を持っておるのじゃ。今現在何かを送ってくれる可能性のある人を念頭に置くべきじゃったのじゃな。まぁ、怒鳴ったところで解決するわけでもないが、気持ちは痛いほど分かるのじゃ♡
クソババァがまた話が通じなくてクソムカつく
ババァ当てに誰かがAmazonで何かを買って送ってよこしやがっていったい何なのかAmazonとは何なのか誰からなのかを調べさせられてて
なんとかAmazonの問い合わせ電話番号がわかって根掘り葉掘り聞いてみたら誰とはいえないけど(ここでは仮に)アイという文字の入った方からですよと聞き出せたので、アイという文字の入った誰かって心当たりある?って聞いたら
って言うので、じゃあその人が送り主かもって言ったらもう10年くらい前に死んでるとのこと
もうそこでブチギレですよ
友人夫婦は文字通りのパワーカップルで、ずっとタワマンに住んでる
正直ずっと「なんで未だに筆者増田のことを友人と呼んでくれてるのかわからん」と思ってる
年収なんて当然倍以上違う
同じ大学を出ていても、片方は自分もガンガン稼ぐし奥さんも美人な上に人並み以上に稼いでいるハイパー二馬力夫婦で
方や自分は一応社会人をやっているが日がな一日YouTube見ることに何のためらいもない堕落した存在で
でもそれでいいと思ってたんだよな
向こうはその仕事に就くまで髪が抜け落ちるくらい勉強してたし(元々あったアトピーが悪化したらしい。今はフサフサだ)
自分は就活も鈍くさかったからギリギリまで内定決まらないような人間だし
家に来いよ!一緒に飲もう!と言われても俺はどうしていいのか分からない
俺なんかがお前の家に入れるわけないだろう
お前の奥さんは多分俺の前では言わないだろうが、「なんであんなみっともない貧乏人を入れてるのか」って思うだろう
お前と違って俺は何も生み出してない存在だ
地元から引っ越したら楽になれるのかもしれないが、俺にはその金もない
こんな人間を友人と呼ばないでくれ
どうしたらいいんだ
昔々、現代の賑やかな市場からそう遠くない地に、ある奇妙な話がありました。
その話は、カンダタという名の男の話です。
この男は悪行で悪名高く、文字通り、地獄の底でねばねばした状況に陥っていました。
火や硫黄の代わりに、醤油の池や大根おろしの山がある特別な地獄でした。
ある日、地獄での日がどれほど素晴らしいかはさておき、カンダタは天から降りてくる輝く糸を見つけました。
それは普通の蜘蛛の糸ではなく、繊細で洗練された食感で知られる伝説の麺、揖保乃糸の一本でした。
神々は、彼らでさえもこの絶品の麺の魅力に抗えなかったようで、カンダタに贖罪のチャンスを与えることにしました。
希望を胸に、そして空腹を感じながら、カンダタはその麺を登り始めました。
彼は天ぷらの山を過ぎ、飛んでくる箸を避け、そして、漬物生姜の高原で短い休憩を取りました。
登りながら、彼はその麺の強靭さに感心せずにはいられませんでした。
それは、毎日のスーパーのそばとは違う、プレミアムなものでした。
カンダタは、麺を使った脱出を一人で試みているわけではありませんでした。
彼の下では、他の罪人たちがその麺を見つけ、自分たちの空腹を満たすために後を追って登り始めました。
パニックが訪れました。
なぜなら、麺地獄でいることよりも悪いことは、それを脱出する麺を共有しなければならないことです。
カッパでさえ赤面するような利己主義で、カンダタは叫びました、
「この揖保乃糸は私のものだ!誰がお前たちに登ることを許した?消えろ!降りろ!これは一人用の麺だ!」
そして、まさにそのように、麺は切れました。
重さのせいではなく、共有するものを独占しようとする厚かましさのせいで。
カンダタは醤油の池に戻り、麺は天に引き上げられ、小麦と後悔の香りを残しました。
この話の教訓は何でしょうか?
男と彼の麺の間に立つことは決してなく、特に揖保乃糸を共有する力を過小評価してはいけません。
結局のところ、それは登りだけでなく、麺を共有する仲間についてものです。
夕食のテーブルを越えて囁かれる戒めの話として、
時には救いへの道は、
アジア人蔑視や日本文化軽視の問題が改善されなくても、日本やどっかの個人が爆破するわけじゃ無い
友人から「子供に会わせるため元夫に会う度に生理になる」と聞いたら、十人中十人の女性が「そんなに元夫が嫌いなんだ」と思うだろう。