自分は昨今のクレカ規制や、非実在ポルノとかは
割と反対の立場だけど(いわゆる表現の自由戦士)
これを読んで思ったのは、
イエス・キリストを侮辱し、最後の晩餐を変態オカマドラッグクイーンショーに仕立て上げ世界中から猛批判大炎上のパリオリンピック開会式
国民の統合のためには
目指すべき道徳的規範を示すってのも
国家の役割の一つだとおもうのだよね。
国家とは、法律や税金、福祉とかの枠組みだけではなく、
強制力はないが、歴史とか文化みたいなソフトパワーも含めたものだと思うんだよね。
自由を追求したはてにそういうものまでぶっ壊してしまうは、かなりマズいんじゃないかと。
細胞が好き勝手した挙げ句にガン化して宿主を死に至らしめるというか。
いや、これは全体主義的な主張になってしまうのか?
特に国家に対する個人を細胞に見立てる部分とか。
いやー、我々は別にオリンピックの開会式や紅白とかで自分たちの主張を認められたいとか、
マジョリティになりたいとか、そういうのを目指しているんじゃないんですわ。
別に日陰者のままでいいから、そっとしておいてほしいと言うか、
せめてもの生存権を与えていだければひっそりと生きていこうとおもっているのに。
Permalink | 記事への反応(1) | 22:29
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