はてなキーワード: 徒歩圏内とは
買い物難民なる言葉があって、日常のちょっとした食料品や生活雑貨を買おうにも徒歩圏内に店がないという限界集落に住んでいるおおむね老人のことを指すのだそうだが、いわゆる「僻村」は別として、人口数万人のマチに住んでいても「買い物ができない」と文句を言っている人たちの話。
そうとう昔、転勤で渋々住んでいたマチに知人を尋ねていき、バス停からタクシーに乗ったときのタクシー・ドライバーの話すことには
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いやあ、ウチのマチは全然ダメだよ。商店街がどこも閉めちゃって遠くのスーパーまで買いに行かなきゃならねんだ。
息子たちは「ネットで買えるでしょ」と云うんだけど、俺達には全然できねぇし
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さて、このマチは決して僻村ではなく、車で10分も走ればいわゆる郊外型のショッピングセンターと、しまむらやらホームセンターやドラッグストアがあるわけで、このタクシー・ドライバーの爺さんはタクシーに乗っているということは車を運転できるわけ。
よくよく話を聞いてみると、この老人たちはそもそもスーパーでの買い物に慣れていないわけだ。商店街の対面販売で町内顔なじみの店主から買うことが買い物だと考えていて、どこの誰だかわからぬ人がレジにいて、誰も世間話やらおすすめ品やらの話をしてくれないから買い物ができないというだけの話。
しかも、その商店街を歩いてみると昔ながらの八百屋や薬屋は閉店してシャッターを下ろしているけど、代わりにコンビニもファストフード店もある。
世の中変わったんだということを受け入れてそれに対応した行動を取ればよいだけだし、ネットショッピングができないのなら役場が講習会でも開けばよいはずだが、そもそも老人たちが嫌がって来ないから役場も何もしない。
およそ「地方の疲弊」という言葉を何十年も聞いているんだが、疲弊というのは四方八方やり尽くして刀折れ矢付きた状態をいうわけで、何もしないで指を加えて見ていただけの地方は疲弊ではなく、ただの衰退。
彼らが意気盛んだったであろう1960年代後半の頃に盛んだった商店街の幻にすがっているのだから、甘やかさずにちゃんと教育したほうがよいと思う。
スーツを着た大勢の人間がいる空間を見たり、その集団に近づくと
本当に泣きそうになる。
怖くて、気持ち悪い。
その空間にいることもままならない。
卒業式なら欠席すりゃいいんだけど、そういうわけにもいかない。
プレッシャーとか、失敗したらどうしようとか、色々あるけど
誰かわかってくれねーかな。
自分も同じ格好していてもしていなくても、本当に辛い。
何なんだろうな。
追記
もっと批判されるかと思ったけど、温かいコメントありがとうございます。
マトリックスは見たことない。逃走中も苦手だけど、知っている人が真剣なことをしているのが怖いんだろうな。
実は工業系の学生で、卒業研究の発表会や学会の出席が決まってる。
目の前の卒業式に卒研に学会がもう辛すぎて、卒論書くのはいいけどそっちの方が辛くて本当に泣きそう。
別件で心療内科はかかってたことあるんだけど、これ行った方がいい?
なんていうか、いい誤魔化し方ないかな。
こんなんでへこたれてちゃこの先生きていけない…なんて言われるんだよ。
追記2
様々なお言葉、本当にありがとうございますありがとうございます…。
ホッテントリ…。
制服はまだ大丈夫だったけど、同じ方向に向かう同じ学校の人々を見るのが辛い。
私服選びがめんどくさいのはよく分かるし、スーツの「ちゃんとしてる感」に拒否しているのだろうか。
幸い今の学校は徒歩圏内なので助かっているけど、それでも大勢の人間と登校が本当に苦手。
たまに通勤ラッシュに巻き込まれると、焦っている人々を見て足が竦む。
進路やインターンシップの説明会とか、真面目にならなきゃいけない雰囲気というか。
普段ふざけて遊ぶ同級生が真面目になっているのも見ていられないし、お世話になっている先生がご飯を食べているのも見ていられない。
次に引っ越すとしたら銭湯とパン屋さんが近くにあるところがいい。
街中へのアクセスは悪くないから不便はないけど、車を買う予定も貯金もないので徒歩圏内を充実させたい。
仕事帰りに銭湯でゆっくり浸かって帰ったりしたい。サウナと水風呂往復したい。フルーツ牛乳飲みたい。休みの日に焼きたての食パンとかフランスパンとか買いにいきたい。お高いバターつけて、カフェオレと一緒に食べたい。おしゃれなブログで見るなんとかサラダみたいの添えたい。
若いときは日常は消化するだけのもので予定のある週末に向けての待機時間だったけど、最近はこう丁寧な暮らし的なものに憧れる…
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
何が一番驚いたって、これだけ多くの人がまだ現金をこれほどまでに信用しているということでした。
もちろんそれは全て個人の価値観であり、個々の先見に委ねられる部分なのでそのことの是非を問うつもりもありません。
自分の場合ということを前置きにした上で書くので、そういうこと考えている人もいるんだねくらいで聞いてもらえるのがいいと思います。
ただ、一つだけ言っておきたいのは、前回の内容を自慢と捉えるのはどうなのかという疑問です。
憐れんでいただくのは一向に構いませんが、それが妬みだと気付いていないようではなかなかに生きていくのが辛いように思えました。
自分の場合、お金を使うということは全て投資だと考えています。
なので、消費だけで終わってしまうようなお金の使い方は極力嫌うようにしています。
でも、それ以上にせっかくそのお金があれば買える経験や環境があるのに、何もせず寝かせておくのが一番もったいないような気がしてならないのです。
家を買った一番の理由も、こどもたちの人格形成期にできるだけ抑圧した生活を送らせたくないという意見が夫婦で一致したためです。
人口が過密している都内において、そのストレスを切り離すことができる意味は計り知れません。
しかし、言うまでもなく都心という経済の中心で生活することの恩恵も同様に計り知れないものです。
大人の都合だけで言えば、正直静かなところでセミリタイヤするような生活を送りたいと思っていますが、これからの時代を生きていく子どもたちに対しては、ここで得られるおびただしいほどの情報や知見の中に身をおいておくということがとても重要な経験であると考えています。
その経過を見る限り、現段階においては大変満足しています。
戸建ての内訳はご指摘の通り土地5000万円で、駅まで徒歩圏内、道路付きの良いとても条件の良い物件です。
建売ではなく、自分たちの足で見つけ出してセミオーダーで建てました。
建物の価値が0に等しいことは当然知っていたので、だからこそ土地の価格が下がるでもなく過剰に上がりすぎているでもない地域での物件を探ししました。
もちろん郊外での物件も十二分に検討しましたが、自分の返済能力と見比べた結果、競争率の低い資産価値が安定している価格帯を選んだ結果です。
そのことの是非については、ここでとやかくいうよりもローン審査の結果にあらわれていると思います。
確かにウサギ小屋かもしれませんが、隣に立っているスズメバチの巣よりは幾分か快適です。
ボーナスを全額返済に当てているのも、ご指摘の通り繰り上げ返済をしているからです。
これは状況によって止められるものですが、目の前にお金があると無駄に使いたくなる自分の性格を知った上での選択です。
こどもたちにかかる費用に応じていつでも止めるつもりでいます。
この辺で何となく気付いてもらえると思うのですが、とにかく夫婦で話し合ってこどもたちをどんな環境で育てたらいいかということを突き詰めた結果が今の生活です。
こどもたちが将来どんな仕事を選んでどんな生活をするかわかりませんが、できるだけ多くの道を選べるように情報と知見の多い都心で、それでいて心的負担ができるだけかからないで済むような環境を一番に考えました。
こどもたちにお金や財産を残すくらいなら、その分色々なことを経験させて環境への投資にお金を使おう。
そうして、お金そのものを残すのではなく、自分たちで生きていく力をつけることのほうが、こどもたちの未来に役に立つだろうと考えたからです。
家訓といえば大げさですが、夫婦の両親ともがバブル崩壊で財産を全てすっ飛ばした姿から教えてもらった大切な知見です。
そんな中でも、高校まで卒業させてくれた両親にはとくに感謝でいっぱいです。
もしあの財産がそのまま残っていたとしてら、当時勉強もろくにしなかった自分は未だにその財産を食いつぶすだけのろくでもない人間になっていたかもしれないと思うと恐怖でしかありません。
そんな経験をしたからこそ、人より貯蓄や株などの資産運用に対して懐疑的であることは否定しません。
ただ、その先に考えた結果として、自立するまでにこどもたちに残してあげられるものは、沢山の経験や、周辺環境をしっかりと整えてあげられることだと行き着きました。
それが自分という親がしてあげられる一番のことだと思ったからです。
そんなこんなで、人がどう思おうとも自分にしてみればこの上ない贅沢な生活ができています。
貧しさから一日でも早く逃れようと努力をしてきたつもりでもいますが、これほどの収入がなくてもその時満足できる生活を送っていたと思います。
ファイナンシャルプランナーだったら、相手の贅沢が何かを読み取ってその生活に特化した提案をしてあげることができたのではないかなというのが正直な感想です。
贅沢な生活がどんな生活なのかを押し付けてるような感じがとても気になりましたし、それは数多く頂いたブコメにもかなりの量が散見されました。
なので、この話を押し付けるつもりもありませんし、人に自慢したいからこんなに文字を書き起こしているつもりもありません。
誰かの一助になれるならそれだけで幸いです。
今となっては昔のことなのだが、20年ほど前俺は池袋西口の地下にある大きなカジノバー(以下Rとする)で働いていた。当時はFromAやanなどのアルバイト情報誌に裏カジノのディーラー募集がごく普通に載っていた。池袋のハコは俺にとっては3軒目で、この店が摘発された後、新宿歌舞伎町の小さなハコで店ぐるみのイカサマに関わったりもするのだが、その話はまた別の機会にして今回は当時の一般的な非合法カジノの話をしたい。
当時はカジノブームが起きていて、表向きアミューズメントを装っているが実は換金しているカジノが新宿・渋谷・池袋・横浜などの都市にはいくつかあった。一般人が可能な非公営賭博としてはパチンコ・パチスロだけが有名ではあるけど、「ゲーム喫茶」と呼ばれるポーカーゲームはカジノブーム以前から今も続いている。「10円ゲーム」などの看板を出して換金できるポーカーだ。裏カジノの業態はゲーム喫茶に近いと思う。
客はチップを$100=1万円で購入する。大体10万ずつ買う人が多い。好きな台で遊んだあと、チェックすると黒服から換金場所を教えてもらって換金しに行く三店方式の店が多かった。自分が当時遊びに行った渋谷や新宿の店はそうだった。Rでもそうだったと思うけど、黒服は最後までディーラーには換金場所を教えなかった。摘発された時にディーラーは善意の第三者であるという建前を守ってくれてたんだね。まあケーサツにそれは通用しないんだけど。前にいた赤坂の小規模な店では黒服が一緒に店外までいってその辺の人目のないとこで換金してた。換金率は100%だったり90%だったり。大きな店は客が入れば儲かるのでここで渋る必要ないと思うんだけどね。
種目はバカラ・ルーレット・ブラックジャック(以下BJ)の3種。BJのお客さんはカジノ初心者が多かった。トランプでルールを知ってるからかな。バカラと違って客対ディーラーになるので、バカラで疲弊した人がBJで息抜きをしたりもする。Rではルーレットの盤面は超ゆっくり回すので、ルーレット大好きな常連さんも結構いた。盤面をグルングルン回すと完全な運ゲームになってしまうが、ルーレットにはボールの落ち始める斜面に4つのピンがあり、どこに当たって落ちるのかを予想しながらやると面白い。盤面は店のオープン前に水平器を使って調整しておくんだけどどうしても日によって傾きが出てしまい、当たりやすいピンが発生する。ディーラーはベルを大音量で鳴らしたりこっそり空気吹きかけたりして客の裏をかこうとする。こうなってくるとただの運ではなくなって来て俄然面白くなる。バカラは要は丁半博打で昔から日本人には大人気。でかい盤面が立つのもバカラ。受けてくれる相手さえいればどんどんベットできるので、俺がさばいた中では最高で1ゲームで200万かけた人もいる。元ヤクザの親分でその日は大負けでヤケになって有り金全部で450万くらい入れようとしたんだけど、受ける相手がいなくてバランス見てカットして200万、顔真っ赤にして怒鳴り散らしてたのにその勝負には勝って微妙な顔をしてた。
普通カジノはタバコ・アルコール・簡単な食事は無料が多かった。これはゲーム喫茶もそう。ただRはアミューズメント気取って大々的にやってたせいか、この辺は厳しくって$10チップ一枚もらってた気がする。もちろん太い客にはタダで寿司とったりしてたけどね。
大きなハコにはだいたいバニーガールがいた。ウェイトレスじゃなくてバニーガール。いわゆる黒いウサギの格好じゃなくて、3ヶ月おきくらいで衣装が変わってた。Rはバニーのレベルが高くて、CMにでてたりグラビアに出てたりするような子が何人かいた。読モなんてこのバニーの中では平均以下レベル。あとお客さん、というかお客さんが連れてくる女の子で元アイドルの子がいて、当時まだ芸能活動してて写真集とか出してたんだけど初見では本当に見とれるくらいかわいかった。芸能界は可愛いだけの子ならいくらでもいるんだろうけど、こんなかわいい子でも大して売れないんだなあって思った。
ディーラーをやってるとイカサマを疑われることがよくあるんだけど、大きなハコで店ぐるみでイカサマをすることはない。どのゲームも確率でいけば胴元が儲かるようにできているので、とにかく客がいっぱい入って場が立っていれば店がマイナスになることはないからだ。危険を犯してまでイカサマをする必要が無い。小さな店とか、大きな店でもディーラー個人がイカサマすることはあって、Rではとあるディーラーが客にチップ横流ししてヤクザに追われる羽目になった。SさんとN村くん、元気にしてるかなあ。
この店が摘発される数週間前、黒服に呼ばれてディーラーの大半がとある居酒屋に集まった。なんでも某月某日に警察の手が入るらしい。黒服には派閥があって別の派閥の人はこのことを知らないらしい。警察と仲がいい人に連絡とって確認したけどそんな情報はないと言われたが、まああっても俺に言うわけ無いだろうし、この事で逆に警察に「情報が漏れてるから予定日を変更する」と思われたかもしれないな。
Xデーはみんな無断欠勤すると言ってた。俺は大事をとってその週ずっと休みにしてた。Xデーの前日が給料日で、俺は休みだけど給料だけ受け取りに店に行った、というか店の上のゲーセンで格ゲーしてたんだ。そしたら黒人の黒服がたまたま俺をみかけて「イマミセイッチャダメー、ゼッタイダメネーイ」え?彼はそのまま逃げていった。
うーん、まあ最悪客のフリすればいっか、と思いエレベータに乗った。店の前で降りると警察に「今ダメだ、帰れ帰れ」と追い返された。しょうがないので店の外で待ってみた。護送車とパトも来てる。チーフディーラーのKさん(大阪人・みんなの人気者)が出てきた。踏み込まれた瞬間に裏口から逃げてきたそうだ。内偵でチーフだということがバレていたらしく警察は「KどこだKはー!」って連呼してたらしい。この人は大阪でヤクザに追われて東京出てきて「もう大阪には帰れない」って行ってたんだけど、別働隊に自宅前見てもらったら警察が張ってるし部屋にあるハッパも見つかるだろうから大阪戻るかあって言ってた。何年も経ってるし警察よりはマシだろって。
別のディーラーも今日休みで給料取りに来たらしいが、裏口ももう塞がれてるとの事だった。しばらくして客が少しずつ出てきた。中で簡単な質問をされたらしい。ある老人客と一緒に中国人の女ディーラーが出てきた。警察が来た瞬間に私服に着替えて客と腕を組み、愛人面してでてきたのだ。頭の回るやつだ。彼女は中国国籍なので捕まって国外退去とかになると確かに面倒だ。俺のタイムカードにも「チーフ」と書いてあったが、Kと違って制服も皆と一緒だし特に探されもしなかったようだ。
ついでバニーガールとウェイトレスも出てきた。夜中になってディーラーも続々出てきた。みんな名札下げて正面と横の写真をとったらしい。いやー貴重な体験うらやましい()。黒服全員と、たまたまその時大きな盤面で撒いてたディーラーが護送車で連れてかれてしまった。しかもかれはまだ入店1ヶ月くらいなのに。その卓はKか俺かその彼くらいしかまかないので、タイミング次第では俺だったかもしれない。ちなみに可哀想なことに21日+α拘束されていた。
Kは友人宅に一泊して翌日大阪に帰るってことでみんな1時頃解散した。俺の部屋は店から徒歩圏内なんだが、夜中3時ごろにチャイムがなった。警察なら俺も捕まるのか?俺は普段部屋に鍵をかけない、ドアノブ回されたら終わりだ。物音を立てないように静かに覗き窓を見たが誰もいない。エレベータはまだ俺の階で止まってる。エレベータで来て階段で帰ったのだろうか?それとも俺が出てくるのは張ってる?家に帰れなかったディーラーなら入れてあげたいがケータイ番号知ってるはずだ。ただ当時はまだケータイは普及してなくて、俺が持ってたのもPHS、大半はポケベルだったから俺の部屋に来たことがあって番号知らないやつもいたかもしれない。
その後音沙汰はなく俺は無事で済んでよかった。給料は後日路上で支払われた。拘束した彼は拘束料上乗せされるべきだと思うんだけど、金がなかったのか逆に少なかったらしい。ひどい。
赤坂の店でのヤリチン韓国人の純情な話とか、歌舞伎町の小さなハコでのイカサマの話とか、10年後にイカサマっぽい店に遊びに行った話とかいろいろ書きたいことがあるんだけど、今日はここまで
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増田の匿名性があるから面白いこともあるとあるけど、続き読むのに不便かなと思ってカクヨミニストになりました。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881140549#table-of-contents
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給料を払ったのはこのメンバー集めて次にカジノを開く予定があったからかな。あとコメントのリンク先に手入れ三回目で閉店って書いてあるけど一回で閉店してるしそのデイーラーをつかって数カ月後に池袋で中型のハコを開いてるので、別のハコと勘違いされてると思います。
あと沼ってのはカイジ?すみません未読です。福本伸行さんは大好きで、特に西原理恵子に「カッコ良かったんだけどあんな頭が絶壁のキャラ書く人が売れるなんて誰も思わなかったからモテなかった」って言われてるところが好きです。
通常の3分の1の時間で済み、医師から「超安産。二人目もぜひ」と言われ、
早々に母乳・ミルクの混合から完全ミルクに切り替えたため、生後4か月過ぎから夜間授乳もなく、
客観的に見ればラクな部類で、疲労感とストレスは、ほぼ自分自身と夫婦間の問題だった。
自宅から最も近い第一希望の認可保育園に決まり、4月から慣らし保育を始めた。
待機児童の少ない自治体とはいえ、今年度は希望者が多く、特に1歳児は多かったそうだ。
徒歩圏内なので、電動アシスト自転車を買う費用が浮き、駅近なので通勤時間のロスも少ない。
希望者の中で所得が低かったのか、要因はわからないけれど、ラッキーだった。
ただ、保育園に入所できない場合に限り、育児休業給付金は最大1年半支給されるので、
1歳児クラスに入れるなら、ベストなタイミングは9~11月といえる。
11月生まれで、仕事復帰のリミットはGW明け。保活に苦労している人には申し訳ないくらい、恵まれている。
それでも、育児は辛い。
授乳間隔が空き、離乳食を3回食に切り替えた頃から、日々の家事は9割以上担い、保育園の入園準備も、すべて一人でやった。
仕事を継続できれば、経済面の負担は少なく、多少の出費は問題ない。
ただ、どちらか一人の収入では常に赤字で、貯金を切り崩すしかなく、数年で底をつく。
育児は、夫婦2人で精神的、経済的に協力できれば、それほど難しくない。
過去の自分に、無茶を承知で大学入学と同時に一人暮らしを始めろと言いたい。
そうすれば、きっと独身で過ごしたはず。家を出て、自由になるには、結婚するしかなかった。
毒親から逃げるための結婚、現状を変えるための出産、生きがいでもあり、生活の糧でもある仕事、ストレスを発散するための趣味・買い物。
土曜日の朝、寝ぼけながら電話にでたら、今住んでいる管理会社から「来月更新費がかかるんで、引っ越すなら早めに連絡してほしい」と連絡が来た。
今住んでいる場所は駅にもまあまあ近いし、治安も悪くはないが、職場まで遠いのがネック。これを気に引っ越ししようと決意。
SUUMOやHOMESなんかで、都内の職場まで電車で20分以内・駅徒歩5分以内・家賃8万円以内(更に言うならばオリジン弁当が徒歩圏内)というとんでもないワガママ条件で検索していたが、もちろんオンボロアパートや1K2畳といったどんな用途で借りるのかわからない物件しか検索結果に出てこない。
しかし、探し始めて30分ほど、上記の条件に当てはまるどころか、デザイナーズマンションでめちゃくちゃ綺麗な1Kの物件を発見。治安もいい地域でオリジン弁当も200mの距離にある。価格も7万円と環境からすると破格。
マンション画像をみてみると、中の水回りも綺麗で雰囲気も最高。集客用の物件か?と疑いつつもすぐに不動産に電話。
受付の女性いわく物件自体はまだ残っているとのことだが、もちろんこんな優良物件になにもないわけはなく、告知事項がありますと告げられる。
ポジティブな発想で、日当たりが悪いのか、はたまた駅に近いので電車の騒音がひどいのか、そんな妄想をしながら聞いてみると前の住居者が首吊りで亡くなっていますとのこと。
その時は一度考えますと電話を切ってしまったが、1日かけてよく考えてみても結論がなかなか出ない。
前の住民が自殺してしまっている物件のリスクはなんなのか。よく"ほんとうに怖いはなし2chまとめ"みたいなのでまとめられている話は信ぴょう性があるのか。
僕の希望する無茶苦茶な条件をOKしてくれる物件なんてこの先ないだろうから、思い切って契約してしまうべきなのか。
住んでみてヤバそうならば、違約金を払って退去すればセーフなんじゃないか。
別に徒歩圏内に美術館、博物館があることでも、画家の名前が分かることでも、都心に住んでることでもないんだよ。
単純に、
この2つをなんとなく持っている事なんじゃないかな。
知ってみたい、行ってみたい、経験してみたい、こんな感情で新しい事に挑戦する。
物理的距離が狭まることで、何かしてみたいという感情が高まることは素晴らしいことだよ。
でも、たとえ田舎の人でもルーチンの日々から抜けだして、何かをしてみたいって気持ちは少なからずあるんだよ。
だから、文化的素養なんていう絶対値の分からないもので人を判断するなんて、まして物理的距離で素養そのものを判断するなんてことは間違っている。
ただ、自分が楽しんでいることを皆にも楽しんでもらいたい。
それでいいじゃないか。