買い物難民なる言葉があって、日常のちょっとした食料品や生活雑貨を買おうにも徒歩圏内に店がないという限界集落に住んでいるおおむね老人のことを指すのだそうだが、いわゆる「僻村」は別として、人口数万人のマチに住んでいても「買い物ができない」と文句を言っている人たちの話。
そうとう昔、転勤で渋々住んでいたマチに知人を尋ねていき、バス停からタクシーに乗ったときのタクシー・ドライバーの話すことには
--------------------------------------------------------------
いやあ、ウチのマチは全然ダメだよ。商店街がどこも閉めちゃって遠くのスーパーまで買いに行かなきゃならねんだ。
息子たちは「ネットで買えるでしょ」と云うんだけど、俺達には全然できねぇし
--------------------------------------------------------------
さて、このマチは決して僻村ではなく、車で10分も走ればいわゆる郊外型のショッピングセンターと、しまむらやらホームセンターやドラッグストアがあるわけで、このタクシー・ドライバーの爺さんはタクシーに乗っているということは車を運転できるわけ。
よくよく話を聞いてみると、この老人たちはそもそもスーパーでの買い物に慣れていないわけだ。商店街の対面販売で町内顔なじみの店主から買うことが買い物だと考えていて、どこの誰だかわからぬ人がレジにいて、誰も世間話やらおすすめ品やらの話をしてくれないから買い物ができないというだけの話。
しかも、その商店街を歩いてみると昔ながらの八百屋や薬屋は閉店してシャッターを下ろしているけど、代わりにコンビニもファストフード店もある。
世の中変わったんだということを受け入れてそれに対応した行動を取ればよいだけだし、ネットショッピングができないのなら役場が講習会でも開けばよいはずだが、そもそも老人たちが嫌がって来ないから役場も何もしない。
およそ「地方の疲弊」という言葉を何十年も聞いているんだが、疲弊というのは四方八方やり尽くして刀折れ矢付きた状態をいうわけで、何もしないで指を加えて見ていただけの地方は疲弊ではなく、ただの衰退。
彼らが意気盛んだったであろう1960年代後半の頃に盛んだった商店街の幻にすがっているのだから、甘やかさずにちゃんと教育したほうがよいと思う。
今、商店街は再生がはじまっているところがあるがご存じないか。 商店街が衰退した理由は税金対策で家主が店を貸さないからと言われている。 今は違う税金対策で貸し借りが増えて...