はてなキーワード: 底力とは
同じル〇ネで働いてる若くて可愛い子連れてくるって女幹事が言ってまっせ。
ってかお前も可愛くておっぱい大きいから普通に誘いたいくらいだよ、俺は。まぁフラれそうだけど。
ってかアパレルって絶対ヤリマンだよね。うん。間違いない!(長井秀和風)
しかもクリスマス前だからね、これはね、もう行けってことなんですねー。
今週はめっちゃ仕事忙しかったけど頑張ったー。頑張った、俺!痛みに耐えてよく頑張った!(小泉風)
クーポン使ってメンズエステも行ったし部屋も掃除したしエビオス飲んだし
戦友達とは先月もナース合コンしたからね、アシストも余裕ですわ。
最近ヒットしたうちで最もリベラル的な思想に基づくメッセージ性を帯びたアニメは、間違いなくラブライブシリーズだと思うな。
海外ドラマのgleeを手本にしてるだけあって、多様性、寛容、自由博愛平等の精神がエンパワーメントしていく美しい世界を描いている。
スポ根ものなのだが、誰かが何か統率をとって一致団結して向かおうとした時はうまくいかず、各々がてんで自由にのびのび行動してみた結果、とたんに世界が動き出して、素晴らしい結果にたどり着く、そんな展開がお決まりになっている。
とはいえ保守的なローカリズムも同時に内包していて、たんなる左傾思想ではなくバランスの良い今時の思想になっている。
あとはガッチャマンクラウズシリーズかな。特に2期になるとがっつり政治色がでてくる異色の作品。
ある種のサイバーリバタリアニズムを推し進める爾乃美家累というキャラクターの存在が目立つが、
やはり主人公のはじめが「理想的なカリスマリベラリスト」のように描かれているのが大きい。
常識や既成観念に囚われず、豪快に行動するホリエモンのような性質を備えつつも、
それでいて傲慢さは極力感じさせない、かつ筋の通った思想を感じさせる、バケモノじみた大物感を纏った少女として描かれている。
2作あげてみたものの、実は、ほとんどの作品はリベラルな思想に基いているとも思う。
自由にのびのび活動する人間が生み出すダイナミズムと、きっと善き心の連鎖反応でうまくやっていけるという最大公約数的な人間の底力を、「信頼する」。
足掛け5年以上好きなアニメシリーズの舞台となった街で、大洗規模とは言わないまでも、アニメツーリズムの成功例として数えていい聖地だ。
作中の景色や店が実在のものに忠実なこともあり、街の至るところに作品ゆかりの趣向が凝らされていると言う。
もともと巡礼に興味があった訳ではないが、古い友人(僕の後追いでその作品にハマった)からの熱いプッシュを受け、秋のオタク小旅行敢行と相成った。
シリーズを一から復習してやはりすばらしい作品だという思いも新たにし、いざ準備万端。時季外れの台風の影響は危ぶまれたものの、期待胸いっぱいに飛行機に乗り込んだ。
オタクというのは、秋葉原だろうが地方都市だろうが、一目でそれとわかるのはなぜなのだろう…。明らかに同じ目的を持った観光客たちとすれ違いながら、まず小雨の降る街を散策。カットの数々が蘇ってくるような景色を目にして最初に感じたのは、思っていたほどの感動はない、ということだった。
確かに、好きな作品の美術の中に飛び込んだような錯覚には、ある種の感慨がある。だが、僕はどうしても「(キャラ名)たちはここを歩いたんだ!」と興奮する隣の友人と同じテンションにはなれなかった。
そういえば僕は、アニメやマンガの二次元的世界と現実をリンクさせて考えるのがあまり得意ではない。コスプレには興味を持てないし、ポケモンGOが流行った時も、自分がスマホ越しに見ている景色にポケモンが現れるという虚実の交じり方がしっくりこなかった。ポケモンは、ゲームボーイやDSの世界にしか現れなくていいと思ったのだ。
だから、聖地に行ってみて僕が覚えた感動というのは「監督とスタッフはここからあの作品、あの場面、あのセリフを着想したのだ」というものに過ぎず、登場人物たちの暮らしの疑似追体験をしている気分にひたるのは難しかった。
街はきれいだった。雨のせいで写真撮影はままならず、予定されていた屋外イベントも中止になってしまったが、好きな作品についてあれこれ話しながら街を歩くのは単純に楽しかった。
また、至るところにアニメのグッズやキャラが使われていたのは聞いていた通りだったが、地元の人たちがとりわけ僕らに親切な訳ではないのも逆におもしろかった。「美少女がたくさん出てくるアニメを見て、そこに出てきた地方の街にわざわざ旅行する」オタクは、地方に住む一般的中高年の人々にとって理解しがたい存在なのだろう。それでもなお、観光客としてフラットに受け入れてくれていることはありがたい。謝意は消費で示したつもりだ。
ただ、今回の聖地巡礼に普通の旅行+αの良さがあったかというと、必ずしもそうではなかった。よくよく考えると、僕が旅行でおもしろさを感じるのはいつも「そこに行くまで知らなかったもの」との出会いだった。一方、聖地巡礼はアニメで既に見たことのある場所への再訪になる。言わば、予定調和の旅だ。前述したような二次元的世界を現実に透かして見られる人は、キャラへの思い入れなんかでそこに感動が上乗せできるのかもしれない。
作品を見直している間、ここに行ったりこれを見たりしたら泣いてしまうんじゃないかと思っていたのだが、そこまで感極まることもなかった。身もふたもないが、結局アニメを見ている時の方が感動は大きかったのだ。この発見は、我ながら結構おもしろいと思う。
作品内でキーモチーフとなる飲食店があるのだが、モデルとなった店舗には長蛇の列(全員オタク)ができていた。漏れなく僕ら(オタク)も並んだ。この日、店では作品とのコラボメニューに注文を限定していた。店側のサービス精神や作品への寄り添い方は尊敬に値するものだし、キャパ以上のオタクを捌く現実的な対策として、メニューを一品に絞るのは仕方がないことだ。
しかし正直なところ、旅先でアニメのコラボカフェメニューのような食事をしたい訳ではなかった。そこに行くまで食べたことのなかったご当地グルメ、との出会いが欲しかった。
友人と別れた後、聖地から少し離れた街に足を伸ばしてしばし散策した。その街の老舗飲食店で、地味だが底力のある旨いあれこれにありついた時、なんだかほっとした。僕にとっての旅行の醍醐味は結局こっちなんだ、と思った。
聖地スポットでいくつか回れなかった所があり、友人はまた来ようと誘ってくれた。しかし、僕はもう聖地巡礼はしないと思う。あの街にまた行きたいと思うことはあるだろうが、それも近い未来のことではない気がしている。
100%楽しめた旅行ではなかったし、これを読んで作品信者の風上にもおけん奴と言われるかもしれない。それでも、行ってみてよかった。
残業代なんて出る訳もなければ終身雇用なんて夢のまた夢の業界だった。
夢だけで食っている業界だった。
未来の見えない中で足掻くのに疲れて辞める人は後をたたなかった。
私もその一人になっただけである。
今思えば逃げて正解だったとは思う。
ただそこで問題が沸き出た。
それだけだ。
強烈に眩しい夢と雑多な業務に追われて足元など一度も見ていなかった。
問題はそこだ。
ホワイト企業で生きるための地盤を固めて、時間と金に余裕が出来ても、肝心なやりたいことは何もないのだ。
彼らはその生き方に順応しているのだ。
私は多感な時期を浪費してしまった。
その生き方ができる気配を感じない。
いや馬鹿にしているわけではないのだ。
馬鹿にしている自身を否定しきることは出来ないが、やはり羨ましいのだ。
ホワイト企業では生きたい意味や生きる理由がない人には辛いのだ。
その2つは似ているようでいて実は真逆だ。
なにかやりたいことを探さねばな。
人生は長い。
世界は広い。
少しずつ焦らずゆっくりと。
だな。
スカっとジャパンの悪女キャラでようやくブレイクしたというイメージがある。
しかし、個人的にスカッとジャパンは全くスカッとしないのでほとんど見ておらず、
それが銀魂の来島また子を演じる彼女をみて、なんとなく理由がわかってきた。
なんというか、与えられた役割を期待以上にこなす底力をまざまざと見せつけられたんだよね。
~ッスというあまり使わない言葉遣いに加えてやや早口な言い回しが多い非常に難しい役どころなのに、
特に神楽との罵り合いは、橋本環奈の怪演とも相まって本作最大の見どころといっても言いすぎじゃない…と思う。
一方で、二朗ちゃんのクソアドリブ?に笑いをこらえきれず、思わず顔をそむけるところ場面もある。
こんな落差を見せられてファンにならない人がいるだろうか。
軽量化としては(ブコメにあるけど)泥よけとチェーンカバー外すのは鉄板で、あとサドルをスポーツタイプに替えれば400gほど減らせる。
サドルだけ替えると13mmというまったく他に使いみちのないレンチが必要なのだけど奮発してシートポストもアルミ製にすればヘキサゴンレンチだけでいい(こっちはスポーツ自転車では頻繁に使う工具)。
変速なしか内装変速ならクランクもアルミ製の安いのが簡単に手に入る。400gほど軽くなるけど外すのに専用工具が必要。
あとはサドルの高さをきちんと合わせれば(http://www.geocities.jp/jitensha_tanken/bike_fit.html#saddle_height)びっくりするぐらいスピードが上がるし、タイヤも両手の親指でやっと凹むぐらいにしておけばスイスイ進む。
前かごがなくなったんならハンドルもとりあえず下げられるだけ下げると地味に効く(あんま体感はできんけど)。
チェーンも掃除して(やり方はいろいろあるけど面倒ならパーツクリーナーぶっかけでいい)チェーンオイルを注せばもう極上の乗り心地よ。
諸般の事情により4月から6月の記事しかないのだが、印象に残った記事をあげておく。自分は増田に書かれていることはすべて本気で書かれていると考えることにしているので釣りかどうかの判断は記事に対する評価に含めていない。
自分はディズニーシーについてほとんど知らないし、ストームライダーというアトラクションの名前すら知らなかったのだけど、この記事を読んで一度体験してみたかったなと思った。テーマパークのアトラクションに対する愛を表明する記事を読んだのは初めてだったが、たとえばディズニークラスタあたりだとこういう語りってよくあったりするんだろうか。
なにか瑞々しさがあって好きな文章。かわいいというかいとおしい。
確かにレスターの綴りちょっと妙だな……と思ってたけどこんな由来があるとは。増田の底力を感じる好エントリ。
なにかよくわからないけど面白い。続きか、あるいは増田の他の文章を読んでみたい。
そんなところです。
よいお年を。
強みですね。
こちらを回答するにあたり、逆に1つだけお伺いしても宜しかったでしょうか?
先ほどこちらの部屋に入ってきた際、みなさまは最初に私の印象をどうお感じになられたでしょうか?
面「・・・・」
これは決して良い意味ではなく、「悪い人ではなさそうだが、仕事ができそうな印象ではない」
という感じではなかったでしょうか?
小さな頃から、勉強ができそうだと思われたこともなく、スポーツができそうだと思われたこともない。
1つは見た目を変えること。少し業界人のような雰囲気を作ること
見た目を変えると確かに時間はかかりましたが
まわりからの印象は変わりました。
新規での取引先の方々は、そういった怪しさに魅力を感じて頂けているようでしたし
何かやってくれそうだという期待感を感じるようになりました。
虚構を抱かれているだけで、どうも距離感がある。仲良くなりきれない。
心に寄り添えていないことに疑問に思うようになっていきました。
見た目の要素が邪魔になっていったのです。
私は敢えて、そして今度は意図的に、その普通の印象の自分に見た目を戻しました。
すると、異世界の人ではなく、お客さんの心にすっと自然に入り込むことができるようになり、継続した仕事の引き合いが続くようになったのです。
仕事に自信がついたことで、見た目の普通であることが逆に優位に働くようになっていました。
さきほど「確かに印象はそんなになかった」というのは今の自分には褒め言葉です。
このギャップを利用し
こういった部分が今まで培ったスキルです。
シン・ゴジラを中国人の友達、28歳♂(日本の大学で学位取得後、仕事も日本で見つけて働いている)と一緒に見に行った。
俺にとっては2回目の鑑賞、彼にとっては初見だったが、めちゃくちゃはまったらしく、結局、もう一回みることに。
その後、お茶しながら、彼がいろいろと感想を語ってくれたのだが、興味深かったので書き残しておく。
(※彼の承諾はうけています)
1. ゴジラ怖すぎ、強すぎ
レジェンダリー版のゴジラは見たことがあるという友人。あらゆる武器がほぼ無効なシン・ゴジラに絶望感しか感じなかったとのこと。
(個人的には、レジェンダリー版の方が防御力最強のような気もするが。ま、撃ってみなければ分からないが)
2. けど、日本語早すぎて聞き取れない箇所多数
1回目の鑑賞では流れを追うことも出来なかったぽい。ヘリコプターのシーンの意味が分かったのは2回目で、ようやくありえないことが起こっていることがわかったとのこと。
あんなシーン、中国では作れるはずがないし、たぶんハリウッドでもなさそう。やはり日本人はどこかおかしいとのこと。
自衛隊の士気の高さ、統率の取れ方、精確な攻撃に驚いたとのこと。おそらく建国期・朝鮮戦争辺りの中国も、少なくとも士気の高さでは日本には劣らないはずだが、
それ以外の点では劣る要素しかないのではと思った。というより、映画で思ったのは、もし上海とかにゴジラがやってきたらどうなるかということ。
自衛隊なら映画と同じように守ってくれそうだが、たぶん、中国ではそう上手くいかない。そして、なによりも、アメリカとか他国が助けてくれない。
この点に打ちひしがれたとのこと
はじめの長ったらしい閣議と後手後手の対応は日本人も風刺をするのだなと思ったが、それがそのうちに無くなり、洗練され挙国一致になる様は驚かされたとのこと。
政治家の権力争いも特に無く、住民も素直に誘導に従っている。非常事態に際して、なぜ政府を信頼し続けられるのか。欧米・日本の映画で空気のように当たり前に描かれる
シン・ゴジラは、東京が破壊されるので、一見、中国政府好みのようだが、公開を許すと徐々に反体制派の聖典的な扱いになりかねないのではとのこと。
幸いシン・ゴジラは、かなり暴力的なので当局はそれを理由に上映禁止にできるので、たぶんそうしたほうがいいんじゃないかとも言っていた。
その他、石原さとみが上院議員の娘なのに柄悪すぎて笑ったとか、次の首都は福岡なのか?とかも話にあがった。
なんか、僕が知らないだけでいろいろと間違っていることも多いような気もするけど、知日派のお隣の外国人の感想のひとつとしては面白いのかなと思って書かせていただきました。
言おうとしていることは分かる。
火の海になっている気仙沼の映像を見た時、ようやく他人事感が止まった。
俺は東京の育ちで、津波には申し訳ないがリアリティを感じるきっかけがなく、大空襲にはリアリティを感じるような刷り込みを受けていたんだと強く思った。
「日本の底力を見せましょう」とか言いながら、震災対応セールスを開始する奴が出てくるまでうちの業界では5日もかからなかった。
それだけで、へどがでそうになったが、うちの会社もそれに反応し、似たようなことを言い出した。
日本出版社協議会と名乗るわりにあまりに日本語に不自由なブログエントリ「拝啓 アマゾン・ジャパン様: 日本出版者協議会」が話題なので、
論文、たまにビジネス文書の添削で食っている(それだけじゃないけど)俺が添削してみた。
(コメント)Amazon.co.jpを運営している会社に何かを訴えたい場合は「アマゾンジャパン株式会社」が登記上の名称ですのでこちらをお使いください。
「アマゾン・ジャパン」株式会社という会社は存在しないもしくは別会社の可能性があります。
御社が開業以来、人文書並びに文学系の専門書に比重のあるわが社にとっては、大型書店以外では店頭販売の機会が少ないものを含めて大変お世話になっております。当初から比べれば、現在ではわが社の月の売上の15%を占める状態にあります。
(添削例)人文系並びに文学系の専門書の出版に重きを置く弊社にとって、貴社の開業による弊社の売上への効果は目覚ましく、現在では月の売上の15%を占めるほどとなっております。
(コメント)複文を用いたことによって文全体の論理関係が不明瞭になっています。何に大変お世話になっているのかがよく分かりませんでした。
また、御社は口語で用いられる単語であり、文語では貴社を使います。また、わが社も全文の小社との意味の兼ね合いからやや不適切ですので、弊社に改めたほうがよいかと考えます。
御社が、わが国の再販制度を前提に、世界有数の通販会社のノウハウ、特に顧客管理と流通システムの導入による販売力の展開は、わが業界に“黒船的”な変革を迫る物でもありました。当初は、定価販売と送料を含めた書籍の直販の一般的な販売スタイルでした。それでも売上を伸ばし続けたのは、御社の通販会社としての底力であり、業界全体に学ぶべきものを突きつけるものでした。
(添削例)貴社が、日本の再販制度を前提として、世界有数の通信販売のノウハウ、特に顧客管理と流通システムの導入を行いその販売を展開したことは、日本の出版業界にいわゆる「黒船的」な変革を迫るものでありました。当初の貴社の販売スタイルは定価販売と送料を含めた書籍の直販という一般的なものであったと記憶します。しかし、それでも貴社の売上が伸長しつづけたのは、通販会社としての(意味不明瞭。販売モデルの?)優秀さを示したものであり、業界全体に学ぶべきものを突きつけるものでした。
(コメント)日本語でのダブルクォーテーションによる強調("黒船的")は一般的でありません。日本出版社協議会がアメリカ英語の強調表現を用いることの意味がよく分かりませんでした。
また、いざというときに出てくる強い力という意味の底力という単語をこの文章で使う意味もよく分かりませんでした。どのような底力を発揮したのかも不明瞭です。
御社のモットーでもある「読者(消費者)第一主義」という名目による送料の無料化は、大量の物流を確保することによる企業努力の結果として運送会社の協力もあっての成果として評価すべき面もありますが、いわゆる正常ルートの版元→取次→書店の店頭販売という送料不要の通常コースを外れる直販商品の定価は送料分を見込んだ値上がりの傾向を生みました。
(添削例)貴社のモットーである「読者(消費者)第一主義」に従ったものと思われる送料の無料化は、大量の物流を確保することを見込んだ運送会社の企業努力も相まって、評価するべき面を有していると考えますが、いわゆる正常ルートである版元→取次→書店の店頭販売という…、
そもそも近代日本において東アジアに対するいわゆる「帝国主義」が広まったのも、「東アジア共栄圏」という主張が出てきたのも、欧米列強の脅威への対抗のためです。例えば吉田松陰が東アジアを征服しまくるべきだと書いたのも、欧米列強に対抗するためです。それどころかもっとさかのぼって徳川家康がキリスト教を禁止して保護貿易をしいて外交相手を限ったのも、西洋の侵略を阻止するためです。
つまり、そもそもの目的は、欧米に呑まれないことと、東アジア地域を発展させることです。この目的から逸れてはなりません。
現在は、欧米列強が帝国主義的に日本に攻めこむことはおよそなくなりました。強いて言えば、米国が産業・経済的に東アジアを侵略してくるおそれがあるという主張はありえますが(例えば反TPPという話)、それならば、米国と対等にわたりあいつつ、韓国や中国との関係を緊密にして欧米に経済的に対抗すべきでしょう。アメリカやEUに呑まれないように産業・経済の底力を蓄えるべきです。
いまの政治や社会風潮の実態は、いまのわざわざ韓国・中国との友好関係を壊して、米国に擦り寄って、それでむしろ米国に嫌がられることをしています。なにがしたいのか、私には納得いたしかねます。
「国益」という語はその中味が不明瞭であるためにいささか卑怯ではありますがしかし、隣国はじめアジア諸国の外交関係を最優先せずにむしろ嫌われて、それでアフリカや中東の資源を目当てに中国と買収合戦をして被買収諸国にチヤホヤされるという自慰的行為をみていますと、資源を確保するという意味では国益に一致しているとはいえ、総合的にみれば国益に反していると、私には思えます。
IT受託側企業(中小)と、発注側企業(数千人規模)の両方に正社員として在籍できて感じたひどい仕組み。もはや国になんとかしてもらいたいので、ここで書いてみる。
金儲けの仕組み作りにおいて、金があるというのはとにかく強い。受託側にいたとき感じたのは、金が回る仕組みを作るのに元手がそれなりにいるのに、元手がないので、金が回る仕組みが作れないというジレンマに悩まされる。金がなくても、アイデア次第で確かに金が回る仕組みは作れるかもしれないが、当たる確率が本当に低い。一方で、金のある側が金の回る仕組みを作るのは、金がないのに金を回す仕組みを作ることに比べれば、はるかに簡単(感覚値ですがはっきりいって100倍ぐらい楽かと。)
人が集まる場所に何か出そうとして交渉を掛けにいった場合、大企業側から行くととにかく優遇される。一方で、受託側から行くと話すら聞いてもらえないか、話は聞いてもらえるフリはされるが実質嘘だろ?都思うぐらい相手にしてもらえない。また、大企業側だと大企業のトップと人脈がある人がそれなりにいるので、トップ交渉に持ち込むともはやチートか?というレベルの配慮がなされることが多い。こうして、マーケティングの面から、大企業はますますチャンスに巡り会い、受託側はますますチャンスを失っていく。
企業活動のエンジンは、人の能力に集約する。どんなにすばらしい理念だろうと理論だろうと、結局企業の実力やら底力は企業を構成する人材の能力にかかってる。で、大企業の場合、とにかく優秀な人を楽によりどりみどりで採用できる。人材紹介/派遣会社もこれでもかっていうぐらい、優秀な人を格安で送り込んで来る。一方、受託側は、そもそも紹介されないか、優秀な人を採用するにはもはや人脈に頼るぐらい。これも感覚値ですまんが、大企業:受託側=1:100ぐらいで人を雇う労力の量/難易度が異なる。また、大企業はとにかく金があるので、金にものを言わせて大変優秀な人材をすぐさま借りる事もできる。
仕事欲しさに兎に角IT受託企業(中小)が営業に来るわ来るわ。なので、すぐ相見積とって値段叩く叩く。結果、「社員の福利厚生考えたら、俺ならこの金額じゃ受けねーよ!」という異常な安さにあっさり落ち着き、とても安く仕事が出せるようになる。ついでに、優秀で安いIT受託企業が多数寄ってくるので、能力面もよりどりみどり。ルールのない完全競争ってホント怖いなあと思う瞬間が多々ある。もちろん、安かろう悪かろうという話はあるが、そもそも優秀なIT受託企業側も、値段競争に敗れると、仕事のチャンスすらもらえないので、値段引き下げに応じるしかない。こうしてとても安くて優秀なIT受託企業を楽に使う事ができる。
大企業側は必要な物資は、とにかく量が多くなるので、あっさり規模の論理を振りかざせる。このため、ほぼチートだろ?と思うような大変な額の値引きをしてもらえるため、物資調達もチート並の価格で手に入る。物資売る側は、単に実績が欲しいのかなんなのかわからんが、なんでこんな値引きするのかまったくわからん。
大企業側はそれこそ企業理念やら哲学に「自分で物作ります!」というのを掲げて自社開発にこだわっているところを除けば、はっきりいってIT受託企業に開発ばらまいた方が金儲けの効率はとても良い。おまけに開発するために必要なコスト(研究開発含む)は、先の相見積りの仕組みで自社で人材かかえるよりは圧倒的に安くできる。また、優秀なIT受託企業は自らの努力で優秀になってくれるので、優秀にするための膨大な教育費/研究開発費について大企業はまったく出さなくて済むという点も大変おいしい。
大企業側は経済への影響力、コネ等が、ものすごいがあまり、国へのちょっかいもたくさん出せる。IT受託開発側では考えられないようなアンフェアな仕組みで、ルールが大企業側に有利な方向にチェンジ出来る。
いうまでもない。先ほどの大企業強すぎの件の逆が襲って来る。
まず、研究開発の結果ウハウハになれるというアメリカンドリームみたいな話もあるが、そもそも、研究開発がうまく行く(最終的に金儲けに繋がる)という確率は非常に低い。また、大企業側の人材確保の状況及び資金的状況を鑑みるに、IT受託開発側が研究開発する余裕はほぼない。研究開発はそもそも金と時間が必要な作業。なお、大企業から金銭的支援を得て研究開発を行う事が可能だが、その場合は、支援を受けるときに交わす契約に、成果利用は全部大企業の物だかんね!勝手につかうなよ!とかかかれる事が普通。また、IT受託開発側が研究開発した成果とノウハウを誰かがうっかりブログにでも書けば、代用品をあっという間に他の企業に作られてしまい、研究開発にかかった費用を回収出来る前に、成果物の競争力自体がなくなっていく。
とにかくIT受託開発側が努力できるレベルをはるかに越えて、大企業側が強すぎなので、国が意志を持って、ルール変更(規制かけるとか)して大企業がこれ以上強すぎることの無いようにしてほしいなあと思う。特定の分野に大企業は国のルールで参入できないようにするとかしてくれぇ。そうしないと、競争原理で、IT受託開発側が死滅して、大企業は競争力のある物が次第に作れなくなり、結果双方共倒れになってしまう...