はてなキーワード: 少年法とは
例の事件に関する感想blogがいくつもあがっていて「殺すほどのことでも殺されるほどのことでもなかった」「理不尽すぎて納得できない」っていう声があって個人的には違和感はげしい。
いやいやいやいや。殺すし殺されるよ。「この程度の発言はたしかに君は傷つくかもしれんけれど殺すほどじゃないだろ?」って。それ決めるのは殺す決意をした側でしょ。どんな言葉が許せない弱点なのだか、エスパーじゃない人類には他人の内心はわからないんだよ。それでもなお「殺すほどの発言じゃなかった」と言い張りたいのならば、それは多数が少数の完成を多数決で封じ込めてるだけのことだよ。なにがいじめかといえばその構図がまさにいじめでしょう。
不倒城では「どんな人間も、「こういう発言があったから」という理由で殺傷されてはいけませんし、そんな必然性もありません。」っていうけれど、それって法の、もう少し言えば秩序の話だ。不倒城さんの記事は日ごろ楽しんで読んでるし、大好きだけど、この件で法の話をするのはいかにも筋が悪いし、不誠実だ。
まず第一に、死んだhagexさんが死んだ瞬間、秩序は助けてくれたのかといえば助けてくれてなかった。虚空から次元警察が現れてナイフを掴み止めてくれたかといえば否だ。ってことは「発言で殺傷されてはいけない」というのは、法側の出した空手形であって、結局言うだけ行って助けてくれなかったわけだ。「どんな発言をしても殺傷されませんよー」というのは事実じゃないし、それを盲信するとトイレで刺されて死ぬ。つまりそれを喧伝するのって不誠実だ。
第二に、先生側が(内面わからんけれど推察するに)苦しんでいたときに、秩序は別段先生を救済しなかったでしょ。このとき、先生が前
善だとか悪だとかは問題じゃないんだよ。とにかく、苦しんでいてある種の助けを望んでいたときに、社会と秩序は救済しなかった。そして先生は、社会と秩序から脱退することを選んだ。犯行後先生が自首したっていう事実から、殺傷行為がこの社会に於いて犯罪であってつまりは反秩序行為であることを先生は理解していた。そのうえで行為に及んだってのは、「この社会や秩序に見切りをつけた」ってことであって、つまりここでも秩序は力不足を露呈している。
秩序ってのは要するに僕らの都合だ。社会を形成する上で反社会的な行為が多発すると問題があるので抑圧してる形態が秩序だ。法はその規範だ。
別に俺は先生を擁護しているわけでもないし、犯罪を奨励しているわけではない。俺個人は殺人事件を起こさないように起こされないように生きているし、この社会の秩序に参加してて、秩序側の人間だ。でも、だからといって、自分の所属しているこの秩序を唯一のものだとか正義の体現だって言い張るつもりはない。参加者である俺達の都合にすぎないものを正義だの善だのっていうことばですり替えるのが不誠実だっていう主張がこの記事だ。
秩序が都合だ、という話は、法が社会契約だってのと一緒だ。法は、社会的な弱者を含めて万民に対して利益を提供していて、それを守る側が得だから参加してねというものだ。自由参加だと社会が崩壊しかねないので強制参加になっているけれど、その歪みが例えば少年法という形であらわれている。俺は日本国民として、自由意志で法の側に参加しているつもりなので(その決断なく惰性で秩序側にいるのはすごく怠惰で危険だと思っているので)、あたかもその参加が善であり正義であり、そこから外れるひとを悪だとするような論調は嫌いだ。そういう論は秩序とか法への参加意識を鈍らせると思うからだ。
だから一方で、俺達の運用しているこの秩序に心底絶望してしまった人が、そこから脱退を決意することは十分に有り得ると思う。強制参加だから脱退できないだろう? っていわれても、現実はご覧の通り。秩序のもたらすデメリットと逸脱のデメリットを比べても、それでもなお耐え難ければ、人はそこから離脱するしか無い。そんなの歴史見れば山ほど事例が転がってるでしょう。先生の件で言えば、今回の事件は、あれは先生なりの自力自己救済だった。秩序が救済してくれないなら自分でやるしか無い。
もちろんそれは、俺達の秩序側からすれば大変、筆舌に尽くしたがたいほど不都合だ。だから、否定するし弾圧もする。でもそこですり替えするのは不誠実だと思うんだよ。俺達の秩序はなるほど大人数で考えて洗練されてきたので、かなり良い出来だと思う。けれど、ミクロのレベルで完璧かっていったらそんな保証無い。冤罪事件で30年間投獄された人がいたとして、俺はその人に対して「俺達の秩序に参加したほうが君の人生はハッピーだよ」と胸を張って言うことはできない。
この世界は、無秩序なのが本来の姿で、気に入らないことを行ったやつや言ったやつは、すぐさま殺されて転がるのが自然な姿だよ。それだと困る多数派が自分たちの方を作ってグループ化したのが現在だけど、別段、それは神の定めた法じゃない(宗教ではそういうことにしてるみたいだけど)。そういう都合の問題を、普遍的な真実のように語る傲慢だけはやめてやれないものか。
大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。
この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。
「成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。
あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。
というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。
その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。
単にシンプルな物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費、それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたからである。
結局一度目はもっと高いランクの大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線的指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去の自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元の問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂なメンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感を補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しかも受験が終わった後になってどうやら自分が本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。
二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまりは自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつは自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードやチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分は人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応を見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学の非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬の副作用からくる体調不良でくたばっていた。
そのような状況を見かねてか、というより、自身も家族も学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院の心理士やら全落ちした中学受験時代の予備校の先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。
というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分の人生は高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。
二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。
もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神・物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初の大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間の高校を出てからのことである。
↑以上読み飛ばし
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↓読み飛ばし了
そんなわけで当時の自分は、血縁・地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在群から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)
とはいえ成人式のハガキというものは、本人のそうした事情や自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである。
ハガキが届いた時点で、すでに自分の人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である。
これは生まれて20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊な学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである。
分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである。
これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうものを可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。
自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代の珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツにトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときにキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対分からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。
成人式のハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元に友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。
いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命の危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか?
仮に生命の危機があっても相手は少年法の適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。
成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれからの自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。
俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレでカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初の大学の入学祝い)に着替えて行った。
贈答品は会場に一番近いマクドナルドのクーポン券なのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。
日本で最も規模のでかい成人式のひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。
まず前座で良かった点、開式の国歌と市歌の斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌と市歌を斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢で国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。
クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると
「携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たちの世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」
いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トークは・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。
輪をかけてクソだったのがその次の新成人のスピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアとかいろいろやってます系の大学生が自分の人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人の人生が実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長のスピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。
これは行く前と行った後で最も価値観が変わったことである。かねてから成人式の乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。
むかし怪獣特撮で怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。
成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わず、しかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。
ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。
そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから。
最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学の休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。
こういう成人式も、あるのだと思った。
少年法なんていうのがあるから、調子に乗ってる子供が犯罪起こすんでしょ。
人道外れたような事件起こしている子供を少年法で守って、その理由が未来があるから更生させるって言われても
それに巻き込まれた被害者だけが、ただただ大損をしてるだけで可哀想じゃないか。
被害者はその犯罪のせいで外を歩くのですら恐怖を感じるようになるかもしれない。
一時は捕まって損をしたのかもしれないけど、それは自業自得であって犯罪をしなければ何も起こらないものだし。
結局のところ、精神的・肉体的苦痛を受けた被害者だけが、ただ不安という毎日に襲われ続けるわけで。
大した時間も経たずにしれっと出所してくる加害者は、反省した振りをして被害者が過ごす社会に戻ってくるんだね。
こんな法律の為で子供を守るなんて言ってるなら、厳罰を与えて大事な時間をごっそり奪ってしまえば良いと思うんだけど。
時間がどんなに過ぎてもクズはクズで更生するとは限らないけど、奪われた時間は一度の犯罪で引き起こした結果なんだから
後悔しようが後悔しまいが少なくとも、そいつの人生の本来多感で大事だった一部を罰で奪ったことになる。
後は出所したら監視用のGPSでも取り付けておけば良いんじゃないかな。
何にしても少年法なんて糞みたいな法は要らないよ。
アマゾンプライムで平成ライダーの原点にして頂点と賞賛されるクウガを一気見したのだが、よく出来ているのだが、なんだか素直に受け入れがたい作風だった。
仮面ライダークウガを大雑把に説明すると、古代のベルトの力でクウガに変身する主人公がグロンギという怪人たちを倒す物語である。
このグロンギというのがゲームで人を殺す極悪非道の怪人なのだが、どうもモチーフは放映当時問題になっていた少年犯罪をモチーフにしていると感じられる。
ゲーム感覚で人を殺すのもそうだし、現代の若者をモデルにしたような服装や喋り方のキャラクターもいるし、ラスボスは少年の姿をしている。
しかし彼らを「何を考えてるかわからない怪人」「ゲーム感覚で人殺しをする化物」として毎回クウガに爆殺させる描写は、少年犯罪をテーマにするには短絡的すぎないか?と思ってしまう。
現実には少年法によって裁かれない少年たちがいる。そんな彼らに鉄槌を下す存在としての仮面ライダー。死刑が出来ないなら私刑にすればいいと言う思想なのだろうか?
とはいえ、劇中では「グロンギを倒す主人公も、そのことに苦悩を抱いている」という描写がされるが、
これでは「体罰をする方も苦しいんだから体罰を受け入れろ」という理不尽な理屈と一緒ではないか。
それに加え、いかにも製作者の「最近の若者は」という思想をキャラに代弁させたような箇所も見受けられ、正直現代の感性では受け入れられないだろうなという事もあった。
今の18~21才に成人として生きるスキルがあるとは思えない。
今の若者(18才~21才)はこんなもんだというなら、こいつはキッパリと子ども扱いするべき。
免許年齢や税金・年金・選挙権の年齢も引き上げろ。バイクは18才(大型は20才)から、車は20才(バスは23才)からにしろ。もちろん高校生のオートバイ乗りも再禁止だ。
車社会の常識を世間も知らない少年少女に押し付ける高校の大人は恥を知らないのか?
もちろん21才まで少年法適用でいい。勿論成人式は22才に受けさせろ。
大人として生きていけない男女に成人権なんて与えるんじゃねーよ。成人年齢は22才からにしろ!今の人生は100年生きるのが当たり前だ。どうして誰もその現実を見ないの?
①親が子供を苛めて憂さ晴らし→甘やかすか、試練を与えるかの違い。苛められた動物は生存能力が強化される研究結果。長寿化で生涯に費やす消費額はさらに伸び需要喚起により経済効果も。
②歩行者横断中でもどんどん車やバイク通行、加速。→目的地に少しでも早く到着し経済を回すスピードの高速化により、日本経済悪化を食い止めている。弱肉強食の体現で社会の競争力を高めている。
③各種ハラスメントで弱者を苛める。→弱肉強食の体現と弱者に試練を与え生存能力を高める指導効果。自身のストレス発散により開放的な消費動向に変わり経済効果も。弱者にストレス与え、アニメやSNSほか欲求代替やストレス発散消費で経済効果。
④葬式や結婚、通過儀礼の価格競争によりワンコイン葬式など厳かな儀式のカジュアル化→価格競争により新サービス創出。行き詰まった日本経済に光を与える独創性。世界からの評価であるクレイジージャパンのブランド力を高め観光需要を喚起する。総合的に経済効果が高い。
迷惑をかけるほど、サービスが創出される。対処にコストがかかる。それにより経済が活性化される。以上により、アンモラルは経済国家を支える重要な資質。子どもたちには幼い頃から身につけさせるべき朕である。
アンモラル達成度が低い子どもは少年法により厳しく規制し、将来世界に羽ばたく日本人として恥ずかしくない競争力のある人材に育成するのが経済国家として好ましい。
https://anond.hatelabo.jp/20170723170123の人です。
>>nicoyou えーと?コミケはオタクの表現の場というものを守るために相当戦っているんだが。ひとり犯罪者出せばコミケ存続できないかもしれない。それをみんなわかってるからやらないんだよ。コミケのことみんな好きだからだよ <<
犯罪者を1人でも出したらコミケは存続できないのか?それだとしたら余りにもお粗末過ぎるし、それならいくらか犯罪者を出してもまだ一応存続できている中核派の方がマシだと思う(中核派のシンパでもねーし、侵害行為を正当化するつもりは無いことを前置きする。私は無政府資本主義者だが共産趣味者だ)。
私が言いたいことは、コミケは力を出して刑法175条に抗えば廃止に追い込めるかもしれないのに、それをやらないのかっていう話。
だから私はクライフの息子の命名エピソードを抵抗権の例として挙げた。
不満があるのに守るのは、ちとおかしくないのか?
そこら辺はまだネット民の嫌いなSEALDsの方が弁えていると思うぞ。
精一杯声を上げたんだから。
そもそもコミケって、日本漫画大会への対抗から生まれた、コミケもカウンターカルチャーじゃね?とは思うけどね。
>>hungchang 「マハトマ・ガンジーですら抵抗権を行使して不服従を実践したのに、なぜお前らはやんねーの、って話」ガンジーを越える人材の集い。<<
https://anond.hatelabo.jp/20170729145909
それは何故ですか?と問いたい。
法を破るのが許せないからですか?
少年法を破って少年の顔写真を載せる事には多くの人が賛同するのに、こう言うと犯罪者になってどうぞとかコミケに来るなとか普通におかしいと思うんだけど。
小休止。
私は、正直言って無修正でとやかく言われるのが嫌いだ。
よくこう言う奴がいる。
「スウェーデンやフィンランドを見習って腐苦死国家を!」とか言う人もそう。
人からみんなに役立つ(という建前の)徴税と言って国家が人から泥棒して成り立ってるものだろう福祉国家って。
万引きは財産権の侵害(わかりやすく言えば泥棒)だ。徴税も泥棒なんだよ。リバタリアニズムでは。
海外厨の話に戻すと、「日本は海外を見習え」厨は例えば緊急避妊薬のアクセスを諸外国並みにしろ、とか言わないんだね。
俺もそうだって自覚あるけど、海外を持ち出すならそれなりに筋は通してくれ。
一昔前ならアメリカの教育ガー、だったりして、それが今ならスウェーデン、フィンランド。
いい加減にしろって。
コミケから大きくずれたので話を戻すと、私は自前で同人をする事にした。コミでで売るとしてもそれはお試しサンプル的な感じかな。それと修正ありでもいいから買いたい人向け。
・万引きをしてつかまった中学生が同級生2人にやらされたと主張
・その同級生2人が任意の事情聴取を受け、否認すると乱暴な言葉でおどされやってもいないことの自白を強要された
・取り調べのために警察署へ連行される際に、警官が最初から犯人だときめつけている様子に、母親が不安に思ってICレコーダを渡して録音するように指示した
https://news.biglobe.ne.jp/topics/domestic/0810/85087.html
222点 なにか問題でも?少し脅すぐらいの方がいいのでは?
178点 犯罪者に人権を語る資格などない! 被害者の人権が重要だ!
117点 ICレコーダーでわざわざ録音しているのがおかしい!計画的だろ
87点 万引きの関与が認められなかったとあるが、防犯カメラは?
78点 普通だと思うが?。万引きするほうが悪い、開き直るなアホウ。
50点 どうやって録音した?なぜレコーダーなんか持ってる?誰の金?
46点 暴言されてる高校生が取り調べ中にICレコーダー使えるって?
43点 「万引きしたの認めないと逮捕」って当たり前でしょ!!
42点 万引きする人に大人も子供も関係ありません。悪いものは悪い
28点 誤った道に反れる子を思う愛、けっして暴言じゃない愛なのです
28点 何言ってるの?警察なんて常にそんなものだろ。元々悪なんだし。
26点 堪忍袋の緒が切れたということだ。それだけ悪質だったんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20170204085245
一つか二つ反応あればいい方だって思ってたのに。なんでもっと気合い入れて書いた記事はこうならないんだ
今時間ないので全部の反応確かめるわけにはいかないけど、やっぱり「昔はよかった」的に書いたのはよくなかったかもしれない。昔は昔で今より苦労することが沢山あったのだろう。
というか、昔を知らず親ですらない若造の自分がそもそも書くべきではなかったのかもしれない
でも書こうと思って忘れたことを思い出した。
14歳の少年が、母親の再婚相手の24歳?を刺した事件、普段「少年法をなくせ!!」と叫んでいるネット民がこぞって何も知らないくせに母親叩き、少年擁護をしていた
「母親が一番悪い。子供より男を取った最低な母親。子供を通報したんだとしたらとんでもない」等等。
もしこれが、14歳の娘が父親の再婚相手の24歳の女性を刺したのだとしたら、いったいどれだけの人が「父親が一番悪い」というだろうか