はてなキーワード: 小学校とは
群馬の20代夫婦の女の方に似てた同級生がいた。似すぎて思い出したことがある。
その子をA子とする。私とA子は義務教育期間の9年間同じクラスだった。
A子は小学校入学時から同級生の2倍くらいの横の大きさだった。小3の時から不登校気味になった。
先生も同級生もA子に対して優しく、というか甘やかした。結果、A子は大人しい子をいじめる保健室登校児に進化した。変に口出ししたら、自分のせいにされ、不登校になるから誰も注意できなくなった。
小5になった。厳しいが理解のある男の先生が担任になった。A子の将来のことを踏まえて、教室に来れるように取り組んだ。その一環として、私の親友であるB美がA 子のお気に入りだったので私含めたグループで一緒に行動するように言われた。
しかし、A子は私が気に入らなかった。理由は、A子の言うことを聞く大人しい子ではなかったから。A子は私をハブにした。私は本人に面と向かって注意した。当たり前の主張をしたはずだが、本人からしたらあり得ないことだったので、A子は担任に私のせいで学校行かない旨を言った。担任は、状況把握してたので私は悪くないことを知っていたらしい。次から何かあったらA子に直接言わないで、先生経由で注意するから相談するように言われた。
しかし、私の存在自体が気に入らなかったみたいなので、女子トイレの壁に「私の名前」と「死ね」を書かれた。事態を掻き回すのが大好きな意地悪な同級生と一緒に。ちなみにコンパスの針で。消えないやつじゃんwww
他の同級生が私の味方になってくれた。そしてA子は学校に来なくなった。
例の意地悪な同級生がその子が学校に来れるように、クラスのみんなに寄せ書きするように呼びかけた。私は断った。凄い顔で「は?」とか言われた。他の同級生の計らいで、私は書かなくていいことになった。書いたとしても「お前将来どうするの?」的な、追い詰めることしか書かなかったと思う。今思えば、書けばよかったかな。
その後は学校に来たり来なかったり。私に関わらなくなった。A子はB美がお気に入りだったからつるんでた。私はA子とB美が一緒にいる時は間に入らないようにして、他グループに入ってた。
中学3年間も同じクラスだった。最初は心機一転学校来てたがだんだん来なくなった。担任も同級生も、ちゃんと来れるように取りなしたが効果なし。他人の善意が当然なのか簡単に無駄にできるのが、世間知らずというか、少し哀れだった。
A子が保健室登校してる日に私は席が近いので給食を届けたことがある。目を合わさず何も言わないで受け取ってて、「ありがとうじゃないの?」と言ったら、次の日先生からA子の給食運ぶ係のクビを言い渡された。中学で会話?したのはこれだけ。私は、特別扱いしないで他の同級生と同じように接しようとしたが、上から目線が良くなかったかな。
義務教育終了したらあと、A子は高校に進学していない。本当は公立の定時制高校に進学するつもりだが直前でいきなり受験しない宣言をだした。
現在、たまに仕事の外回りでA子の実家を通る。前からゴミ屋敷だなーーて思ってた家がだんだんひどくなっている。動物禁止の借家なのに猫が何匹もうろついている。A子がその家にいるかは知らない。うまいこと、周りに恵まれて自立できてたらいいなとは思う。
父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。
祖父から継いだ仕事で財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘の経営を始めた。
母親も夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。
前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。
両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。
今日の接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員の給料とかそんな話ばかりだった。
とにかく布団の中で聞かないふりをした。
たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。
その時もやっぱり寝たふりをしていた。
そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘の営業時間を伸ばしたらしい。
家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。
見栄で通わされた私立の小学校は家から遠く、地元の同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。
何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。
ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれて砂場に首から下まで埋められたことがある。
砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。
びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。
毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。
次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。
もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。
見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。
夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。
そのうちの大半をゲームでつかった。
志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。
小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分が中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。
その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。
途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服はゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻は常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。
昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後のゲームセンターで使った。
作りおきの夜食で栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。
人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。
なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。
中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後は部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。
雇われた店長は父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪やストレスを自分にぶつけてきた。
裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。
放課後を奪われた学校生活は無味乾燥そのもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。
家族に内緒で行っていた父の株式投資の負債によって、雀荘や飲食店どころか家まで失うことになった。
荷物のほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームのアパートに母親と引っ越した。
その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。
負債を家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。
親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりとお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。
生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。
それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたしを卒業させてくれた。
この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。
父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。
お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。
相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。
この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。
小学生のときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。
たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。
仕事の忙しさを理由に全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。
母親にそんなことを言わせてしまっている自分が申し訳なくなった。
今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。
むしろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。
在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学を卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。
だから、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。
家から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパートに引っ越しをした。
言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。
在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場で死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。
自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。
いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族が笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。
外国人をいじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族の幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。
とある事故をきっかけに、2年ばかりで建築会社は倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。
実家(といっても親戚が管理人のアパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代のゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。
教習所の短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許とウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。
その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社にアルバイトとして入社した。
もともと大手通信会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンとサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページの制作代行など、次々と事業を拡大していった。
世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人でパソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事、職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社で正社員として働けるようになった。
入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。
これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。
一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。
まだデザイナーズマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。
戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。
一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。
社長の経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要な立場を任されるまでになった。
母親は別のマンションに住まわせ、自分は結婚して二人の子宝に恵まれた。
自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。
羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。
だけど、こんな親だったおかげで、自分は幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。
未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。
そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。
ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから、問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。
https://times.abema.tv/news-article/8673502
子供の年齢、3歳から小学校低学年とかそのくらいかと思ったら生後6ヶ月かよ…
「ここ1~2年で生んだママ世代の人は“置いてけぼり”になっていて、」っていうけれど、
福岡教育大学の初等のカリキュラム改革によって、副免が取りやすくなる、初等でも中学・高校の教員になれる、というデマが広まっています。
しかし、改革しようが、初等は小学校の先生になる人のための課程であって、中学・高校の先生になる人のための課程ではありませんよ、カリキュラム改革は見せかけですよ、という話。
福岡教育大学の初等は、小学校教員主免の一択で、副免(中・高校の免許)は取らせない、という方針です。
これは、寺尾愼一学長・櫻井孝俊学長、両学長(両名とも不当労働行為をおこなった、不当労働行為学長です)による「改革」の大方針であり、その改革は、成功しました。
初等は、副免は取らせない、という方針は、変わりません。
この「改革」の眼目は、「初等の学生を小学校教員にする」、ことにあります。
これは、「初等の学生は、中学校の教員とか、高等学校の教員にはしない」と同義です。
もし、副免を希望しても、中学や高校の教員免許は取らせない、仮に副免として取れたとしても、二種免をかろうじて取れるようにして、一種免は無理としたいのです。
https://www.fukuoka-edu.ac.jp/campuslife/academic_affairs/glb0i0000000126j-att/glb0i00000009mmy.pdf
小学校の先生になりたい、という人は、初等はおすすめです。しかし、中学校、高校の先生になりたい、という人には、絶対におすすめできません。
「改革」以前は、初等は選修制といって、各教科ごとにわかれていました。「初等国語」だの「初等数学」だのといった区分です。そして、副免として中学・高校の一種免を取ることが一般的でした。また、取りやすいようにカリキュラムを設計していました。本当は初等だけれど、中学(高校)の先生になりたい、といって、教員採用試験で中学校(高校)に合格する学生も、少ないながらいました。
これによって、教員採用試験を受けるのであれば、初等の学生は小学校しか受験できないようになってしまいました。
つまり、初等の学生には、小学校教員一択にして、実際に小学校教員にしかなれないようにする、ということが、大学の改革の目的だったのです。
実際に、就職率の数字を見ていくと、それが明らかになっています。
この年の卒業生は669人です。
そのうち、初等・中等・特支の学校教育三課程の卒業生は498人。生涯教育三課程(共生社会教育・環境情報教育・生涯スポーツ芸術)は171人です。
特別支援学校が32人(4.8%)
で、合計が358人(53.5%)になります。
進学者は66人(9.9%)で、その他は107人(16.0%)です。
これらを合計すると、669人となります。
なお、これを、初等だけに限って見てみます。
という内訳になります。
初等から中学・高校の教員になる人間が10%ほどいることがわかります。
ちなみに、これは、「教員採用試験に合格して中学・高校の教員になった」という数字ではありません。
教員採用試験に合格した人間も含んで、不合格であっても非常勤講師として採用された数も含んでいるものです。
さて、では、2020年(令和2年)の就職状況のデータを見てみましょう。
この年の卒業生は619人です。
そのうち、
特別支援学校が40人(6.5%)
幼稚園が4人(0.6%)
で、合計が446人(72.1%)になります。
教員以外は、115人(18.6%)です。
進学者は21人(3.4%)で、その他は37人(6.0%)です。
これらを合計すると、619人となります。
これを、初等だけに限って見てみます。
という内訳になります。
この結果を比較してみましょう。初等の小学校教員になる比率が明らかに上がりました。
2014年では151人(48.4%)でしたが、2020年では271人(72.3%)ですから、爆上げです。
このおかげで、ダイヤモンドオンラインの2021年5月31日、「教員を多く輩出した大学ランキング!」の記事の中で、福岡教育大学は小学校教員就職者数ランキングで日本一となったのです。
https://diamond.jp/articles/-/271717
大学も教員採用試験の合格者が多いことを、広報誌で誇らしげに宣伝しています。
https://www.fukuoka-edu.ac.jp/about/press/joyama/glb0i00000000yjn-att/glb0i00000004k2g.pdf
中学・高校を合計すると、2014年では32人(10.3%)でしたが、2020年では4人(1.1%)です。爆下げです。いや、ほぼ消滅と言ってもいいでしょう。
初等の選修制であった時、つまり改革前は、初等に来ることが小学校教員の一択ではありませんでした。初等であっても、中学や高校の免許も取りやすかったのです。
校種は決めてないけど、学校の先生になりたい、と漠然と志望している学生も多かったようです。そして、講義を取っていくにつれて、「初等だけれど、小学校ではなく、中学(高校)の方が自分には合っているようだ」と志望変更ができました。
あるいは、「中等は難しいけれど、初等だったら合格できそうだ」と入学してきた学生も多かったでしょう。
もし、中学・高校の先生になりたい、というのであれば、中等に入るべきです。初等では、中学・高校の先生にはなれませんから。
初等であっても、副免で中学・高校の免許が取りたい、という学生が多いせいか、そして、初等=小学校教員一択に対する学生の潜在的な不満が高いせいか、大学はカリキュラム改革を予告しています。
https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/R5gakubuhenkou.pdf
初等に、幼児、小学校、人文社会、理数自然、芸術技能、とわけて、副専攻で副免(中・高の免許)取れるよ、とアピールしたいようです。
この予告を見る限り、副免を積極的に取らせていく、という大学の姿勢は見えません。あくまで「取得することが可能になります」と、控えめな表現です。
これが、「取得を保証します」でしたら、確実に取得させる、と意味しますが、「可能になります」という表現は、「できるかもしれません」という意味であり、その裏には「できないかもしれません」という意味が隠されていることを、感じ取らないといけません。
また、取得の免許を「中学校教員免許状(1種または2種)」としているところも注目できます。高校の1種免については言及していないのです。
この改革は執行部が勝手に決めているだけのようで、大学の教員の間ではほとんど議論されている様子はありません。
https://twitter.com/fukkyosaisei/status/1417284940635414529
羊頭狗肉の改革です。初等は小学校主免一択のままで、これまでと変わらず、基礎学力テストで副免の授業を取れるかどうかを決めていくのでしょう。
https://anond.hatelabo.jp/20210224152912
カリキュラム改革は、見せかけの改革です。「やってます感」を出すためだけにすぎません。
参考までに「福岡教育大学教育学部の入学者選抜方法等についてのQ&A」のチェックをおすすめします。
https://www.fukuoka-edu.ac.jp/files/bgeditor/other/qanda.pdf
俺は入学して1ヶ月で転校したいって云ったが聞き入れて貰えなかった
そのことを問いただすと「当時はうちの○○中より部落がある××中のほうが悪かった!」って云ってた
市全体で治安がわるいので五十歩百歩
学区の治安がわるいのもあるが 高校へのアクセスが悪すぎる地域でもあり 育ちのいい人間が全員転校してクソみたいな人間しか集まらなかった
ポーランドではブルマーを何と呼んでいたか。調査が難航したため、僕は気分転換のためハンガリーについて調べた。そこで、思いがけない事実を見つけた。どうやらハンガリーではブルマーでは少数派で、レオタードが中心であったらしい。しかも、学校によっては今でも使われている形跡があるのだ。以下、ハンガリーのレオタード事情について概説する。
Így tornázott a nagyi meg a dédi: az iskolai testnevelés története képekben - Dívány
ハンガリーでは、体育の授業は内務相や文化相を務めたKuno von Klebelsbergの時代に導入された。ウィキペディアによれば、彼は地方に小学校を作り、大学を近代化し、ハンガリーの文化を海外に紹介する機関を創設した。その一方で、彼はハンガリー至上主義者であり、かつてのハプスブルク帝国内の少数民族に対してその優位性を主張していた。また、トリアノン条約によるやブルジョア・共産主義革命などの原因として、ユダヤ人を非難していた。
さて、当時の体操着を見てみよう。男子の制服は、写真を見ると白いシャツに短パン、それからおそらく革の靴であった。女子は、次のページを見る限り1930年代では、膝の上まであるワンピースタイプの運動着であった。初期のレオタードである。
それ以降の写真を見ていると、女子は短パンになっていくように見える。
だが、次のサイトを見ると、30年間から40年前はレオタードが使用されていた、と書かれている。2018年の記事だから、1979年から1989年に該当する。
Ilyen volt a tornaóra régen! | nlc
男子はポーランドのようにノースリーブに短パンなのに対し、女子は靴下にナイロン製のレオタードだった。また、お尻にゴムの跡がついて苦痛だった、男子がうらやましかった、とも書いてある。
この下の記事によれば色は青か黒、赤はめったになかった。また、素材のせいか汗をかくとべたついて嫌だったそうだ。
Ebben tornáztunk 30 éve! | nlc
学校のものかどうかはわからないが、60年代のレオタードをこちらで見つけることができた。
Május elseje régen – IV. | elekfoto
Tornaóra – 1976. – Szegvár Online
ところで、次のページを見ていただきたい。
szeged.hu - Lányok, asszonyok a Tisza-parton és konflisban
こちらでは、レオタード姿の女子が外でジョギングしている写真がある。1981年のことである。レオタードが室内着だと思っていた自分は面食らった。よく、ブルマーで校外を走らされるマラソン大会が苦痛だった、という女性の声をしばしば聞く。ましてや、より体型の出るレオタードというのは、率直なところ驚いてしまった。
Jobb nő - lesz - Faluság(短パンの写真もあるが、おそらく例外的なものだろう)
身体を伸ばすバレエならともかく、高校の体育で伸縮性のあるレオタードは不要ではないか。しかも、それで市街地を走らなければならないとは。ブログの主はそう口にしつつ、じろじろ見られることを苦痛の理由として挙げている。まったく、その通りだ。どうしてこんなことがまかり通っていたのかという疑問が浮かぶが、ブルマーが30年も通用していた国の人間が言えた義理ではない。繰り返すが、露出度の多い衣装の強制には反対する。
しかし、だ。現在グーグルで「iskola testnevelés」(学校 体育)と検索すると、レオタード姿の女子が少しだけヒットするのである(2010年代前半の記事が多い)。これが私立なのか公立なのかはわからない。おそらく例外だとは思う。上記のレオタードとは色も違う。ほとんどが日本と同じようなシャツに短パンだ。だが、ハンガリーのジェンダー意識は、日本よりも保守的である可能性がある。
気が向いたら、他の国の事情について調べる。
また、映画の中でブルマやレオタードがどう表現されてきたか、についても調べたい。しかし、先日「フランス映画 ブルマー」と検索したら、なぜかフランス書院のページしか引っかからず、ずっこけた。
また、それとは別に、20世紀の体育の授業を見ると、まるで軍事教練のように男子が上半身裸の例が多い。このあたりの規範についても時間があればまとめたい。
それと、ウィキぺディアの制服のページを見ると、日本統治下の台湾で、提灯ブルマーかモンペが採用されているのが見えた。もしこれが提灯ブルマーならば、なぜ台湾や韓国ではショーツ型ブルマーにならなかったのか。最初から短パンだったのならともかく、疑問である。
服飾史、まったく沼が深くて驚いている。
一つ過去について書かせてほしい。
発達気味の性質+クオーターっつーマイノリティの性質がある俺と、小学校のいわゆる「学級会」みたいな集団的文化とか「儀式」との相性は最悪だった。
00年代初頭の話。小学校4年生の時は教師がやたら道徳だとか文字通り学級会活動とか課外のうんぬんかんぬんに力を入れる女で、俺は俺でなんか知らないうちにトラブルの当事者にされて(いじめにあってたし冤罪もたくさんあった)、
学級会で吊るし上げられて「謝るまで帰されない」みたいな滅茶苦茶な扱いを受けたことも何度かある。そして、ちょうど「謝り方がおかしい、響いてない」「本当にクラスに対して悪いと思ってるのか」みたいな難詰めも何度もされた。
逆に5年生(6年も同じ先生だった)にあがると、無難な先生が腫れ物に触れるような扱いしてきて、俺に少しでも冗談を言った児童を不釣り合いな勢いで叱ってた。
でもその時のお決まりの儀式は、今ではよく叩かれてる「教師の前で握手して仲直り」式のやつ。別にそれに何とも思ってないが。
正直に言って、俺は子どもらしい付き合いも「真剣な友情」みたいなのも体験できなかったからよく分からない。正義感の欺瞞ってやつは感じたし、集団の中で「謝る・謝られる」「許す・許さない」ということには凄い敏感にさせられたけど。
そんでいろいろあって、俺ははっきりいって日本の中で被害者としての自意識を持ってるんだが、その自称被害者+マイノリティの目線から見ても、
最近いろいろな騒動に付き物の、何かあった後の「謝罪の態度がなってない」式の炎上をみるのが辛い。それで世の中が「アップデート」してるという感覚が全くしない。
何か問題があった時の加害者の側と被害者の側とがあって、俺は何度もそういうトラブルにどちらとも取れる側で巻き込まれて来たけど、
加害者側のセンスでいうと、謝罪をする場面でなぜ無数の観衆が自分の考えた謝罪の形式にまで口を出してくるのか分からないし、
被害者側のセンスでいうと、何がどう謝罪になるかってそれこそ部外者に騒いでほしくない。
(ここでは一対一とか数人の当事者間での反応の話はしてない)
はっきりいうと、タイトルの「不快に思わせたらごめんなさい」的な謝罪がなぜ叩かれるのか分からない。文面という意味でも、なぜか求められる政治的な意味でも。やれ海外では~ポリコレが~とリベラル面した外部のひとたちが騒ぐのもわからない。
別の例を挙げれば、たとえば文学者が問題を起したからって「お前は文学者なのにそんな謝罪しか出来ないのか」「編集者や書店員も彼を叩くべきだ」なんて騒ぐのって、じゃあお前は文学の何を知ってるのかという話になる。
というか、そういう謝罪に怒る人と、俺は、もしかしたら「日本の謝罪はおかしい」というあたりで似た問題意識を持ってるのかも知れない。
でも、俺はSNSの炎上のノリで外から謝罪が良いか悪いか騒いだりアップデートしたかしないかみたいな話にしたくない。それこそ周囲によって人間関係が捻じ曲げられた例になるだろう。
俺はやっぱり、日本の義務教育での風景に根本的な問題がある様な気がする。他の問題もひっくるめちゃえばそう言えるのだろうけど、牽強付会してるつもりはない。日本人の大半は義務教育で「集団性」を学ぶ。
そして集団性で「モヤモヤ」を処理すると「謝罪の形式」にこだわり始めるのではないか。どこまで行っても集団から離れられてないんじゃないか。
当事者ではなく部外者として「許せない・許せなかった」という人がいたら、とにかく何で許せないのか説明して欲しい。というかその正義感(だよね?)がどこから出てるのか教えて欲しい。
当時海外に住んでたんだけど、同じマンションの上階に日本人一家が住んでた
親密に交流してて、8〜6歳くらいかな?年の離れたお兄さんたちにも可愛がられていた
ある日、家族で遊びに行ったとき、私はそのお兄さんたちとある部屋に入って、鍵をかけて遊んでいた
お兄さんたちは、AVを流して、兄の方か弟の方かはわすれたけど、私に自分の性器を見せて、
「ビデオみたいに舐めて」
と言った
あまり覚えていないけど、私はよくわからずにそれを舐めた、と思う
その一家はその後引っ越したけど、家族同士の交流は続いていたし、
母が兄の方の家庭教師をしていたから、たぶんバレていなかったんだと思う
私も別に、トラウマになったりはしていないし、お兄さんたちに嫌悪感や恐怖を抱くこともなかった
ただ、妙な経験として覚えていて、大きくなって、私達の家族だけ帰国した後にその行為の本当の意味を知った
けど、当時の彼らが知っていたかもわからないし、もうきっと、二度と交流することもないだろうから、私の中だけで完結させた
漫画喫茶とかも人生で10時間しか使ったことない(飲み会のあと終電まで友達とダーツしたり雑談するのに3回ぐらい利用)。
ジャンプとかも読んでない。
人生で漫画にお金使ったの小学校の頃にコロコロコミック親に買ってもらってた頃ぐらいかなあ。
小さい頃は近所や学校の図書館ではだしのゲンや手塚治虫を読んでた。
中学高校の頃は小説ばっかで漫画ほぼ読まないけど、クラスの皆が回し読みしてたのはちょっと読んだかな。
兄貴が若干漫画持ってたからそれ読んで、それを今度はクラスメートに貸したりしてた(割り勘でゲームソフト買うときに決定権の順番を兄貴に譲渡したら貸してくれた)。
漫画アプリは広告表示とかスタミナが面倒で普段あんま読んでないから、もっぱら全巻無料キャンペーンの時に読んでるな。
全巻無料に拘らずに5巻ぐらい読めば大体の漫画は底が見えてくるからキャンペーンで十分。
続きが気になる作品もあるけど漫画10冊買うのに5000円と思うとどうにも手が伸びんね。
次の5年ぐらい待てば新作の宣伝で作者の過去作品全部無料にするよーってときに買ったところが読めたら勿体なかったなーってなるのが気になるっつーか。
ここ10年ぐらい漫画村みたいのがよく問題になっててて、漫画無料で読まれちゃうから売れてませんっていうじゃん?
でも自分としては出版社や電子書籍サービスが宣伝のために無料にする分で既にそうなってるんだよね。
2週間限定!5巻まで無料!みたいなのが常に20作品程かわりばんこでグルグルしてんじゃん。
自分なんかは週に漫画5巻も読んだら多い方だから「ランダムな10作品から今週無料で読める漫画を1作品読みましょう!!」みたいな状態の訳よ。
進撃の巨人やワンピースみたいに一気に大量に無料になったりすると、もうそれで当分は漫画読まなくていいよなって気分になるし。
周りには大学の友達や高校の同級生など、様々な時代の知り合いが一つの教室で何かを話していた。
そして、何かの話し合いが始まった。私は隣に座っていた人に、何かをずっと話しかけられていた。
話を聞いているうちに眠くなってきたので、私はトイレに向かった。トイレで用を足し、教室へ戻ろうとしたが、その途中で他の教室の人たちにやたらと見られて恥ずかしかった。
反ワク連中が下校の子供狙ってプロパガンダしてるって話を聞いたんだけれども、実際ポジティブネガティブ問わずある程度考えてると、確かに学校通ってる子供はマナーやルールの拡大を行う際に一番に狙いを定めるといいんだ考えるのはわかる
関係各所、とくにお役所なら反ワクぐらいおかしい言説は聞き流すだろうが、もう少し社会通念上守る人数を増やしたいマナー・ルールになると検討する段階には入るだろう。学校・保育施設に通う子供+その親にリーチできるという点と、攻める手段を学校から行政+教育委員会という具合に広げれば巻き込む人数と執行の強制力を上げられる(ように感じる)ので、とりあえず全市民に対するキャンペーンよりも楽ではある。市役所に頼んで回覧板にビラ挟むよりはよっぽど強いんじゃないすかね
オフィス街とかならともかく、小学校徒歩20分圏内とまでなれば、子持ち世帯をどうにかできればあとは各個撃破できるくらいにまで数は絞れるって算段だと思う