2021-09-09

「「不快に思わせたらすみません」式の謝罪を叩く」態度って怖いよな

一つ過去について書かせてほしい。

発達気味の性質+クオーターっつーマイノリティ性質がある俺と、小学校のいわゆる「学級会」みたいな集団的文化とか「儀式」との相性は最悪だった。

00年代初頭の話。小学校4年生の時は教師がやたら道徳だとか文字通り学級会活動とか課外のうんぬんかんぬんに力を入れる女で、俺は俺でなんか知らないうちにトラブル当事者にされて(いじめにあってたし冤罪もたくさんあった)、

学級会で吊るし上げられて「謝るまで帰されない」みたいな滅茶苦茶な扱いを受けたことも何度かある。そして、ちょうど「謝り方がおかしい、響いてない」「本当にクラスに対して悪いと思ってるのか」みたいな難詰めも何度もされた。

逆に5年生(6年も同じ先生だった)にあがると、無難先生が腫れ物に触れるような扱いしてきて、俺に少しでも冗談を言った児童を不釣り合いな勢いで叱ってた。

でもその時のお決まり儀式は、今ではよく叩かれてる「教師の前で握手して仲直り」式のやつ。別にそれに何とも思ってないが。

正直に言って、俺は子どもらしい付き合いも「真剣友情」みたいなのも体験できなかったからよく分からない。正義感欺瞞ってやつは感じたし、集団の中で「謝る・謝られる」「許す・許さない」ということには凄い敏感にさせられたけど。

そんでいろいろあって、俺ははっきりいって日本の中で被害者としての自意識を持ってるんだが、その自称被害者+マイノリティ目線から見ても、

最近いろいろな騒動に付き物の、何かあった後の「謝罪の態度がなってない」式の炎上をみるのが辛い。それで世の中が「アップデート」してるという感覚が全くしない。

何か問題があった時の加害者の側と被害者の側とがあって、俺は何度もそういうトラブルにどちらとも取れる側で巻き込まれて来たけど、

加害者側のセンスでいうと、謝罪をする場面でなぜ無数の観衆が自分の考えた謝罪形式にまで口を出してくるのか分からないし、

被害者側のセンスでいうと、何がどう謝罪になるかってそれこそ部外者に騒いでほしくない。

(ここでは一対一とか数人の当事者間での反応の話はしてない)


はっきりいうと、タイトルの「不快に思わせたらごめんなさい」的な謝罪がなぜ叩かれるのか分からない。文面という意味でも、なぜか求められる政治的意味でも。やれ海外では~ポリコレが~とリベラル面した外部のひとたちが騒ぐのもわからない。

別の例を挙げれば、たとえば文学者問題を起したからって「お前は文学者なのにそんな謝罪しか出来ないのか」「編集者書店員も彼を叩くべきだ」なんて騒ぐのって、じゃあお前は文学の何を知ってるのかという話になる。

というか、そういう謝罪に怒る人と、俺は、もしかしたら「日本謝罪おかしい」というあたりで似た問題意識を持ってるのかも知れない。

でも、俺はSNS炎上のノリで外から謝罪が良いかいか騒いだりアップデートたかしないかみたいな話にしたくない。それこそ周囲によって人間関係が捻じ曲げられた例になるだろう。

俺はやっぱり、日本義務教育での風景根本的な問題がある様な気がする。他の問題もひっくるめちゃえばそう言えるのだろうけど、牽強付会してるつもりはない。日本人の大半は義務教育で「集団性」を学ぶ。

そして集団性で「モヤモヤ」を処理すると「謝罪形式」にこだわり始めるのではないか。どこまで行っても集団から離れられてないんじゃないか

当事者ではなく部外者として「許せない・許せなかった」という人がいたら、とにかく何で許せないのか説明して欲しい。というかその正義感(だよね?)がどこから出てるのか教えて欲しい。

  • 交通事故みたいに責任の割合とか(いじめは間違いなく10:0だろうけど)評価して清算しておしまい 互いに仲良くじゃなくて結論以上の場外乱闘や報復、ましてや外野の介入はやめるよう...

  • 不快に「させたら」ごめんなさいって予防線みたい 不快にさせてごめんなさいってことでしょ? 俺は謝り方の中で一番嫌い 芸能人とかイメージ大切にしてる人間の謝り方にありがちだ...

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