はてなキーワード: 外食産業とは
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ここで語られているのは男性の働き方(=生き方)の多様化と、コメント欄ではその称賛だ。
自分も基本的には賛成で、多様な生き方があるべきだと思うし許容されるべきだとは思う。それは世界のトレンドだ。
しかし、その一方で、あるコミュニティ(会社でも、国でもいい)の内部構成員が画一的である(多様ではない)というのは、ある側面強みである。瞬発力も大きいしベクトル加算したときの出力もあるし、意思決定も早い。この部分に対していろいろ異議はあるだろうが、少なくともそれで成功してきたコミュニティは数多い。高度成長期の日本もそうだし、日本の企業だってそういう社員教育をしているところが過半数で、その協力や税金でこの国は成り立っている。
日本人である僕は、「画一的であること、多様さを抑圧した社会であること」の恩恵を受けている自覚がある。
貧困国で生まれず日本で生まれただけでその恩恵は計り知れないとも思う。
コメント欄の彼らはその点をどう考えているんだろうか? つまり、彼らは恩恵と引き換えに多様化を要求している自覚があるんだろうか?
彼らの勤務する会社は本当に男性の育児休暇や、ワークシェアリングを受け入れられるんだろうか? それを受け入れて現在の業績を、ひいては個人の給与を維持できるんだろうか? あるいは、そんなことは経営者の考えることであって、自分たちは現在の手取りと休暇倍増を要求すればそれで済むという考えなんだろうか?
疑問に思うのは、ぼくたちの社会は多様性や個人の自由をどこまで受け入れることができるか? という点だ。
明らかに無制限受け入れは無理だ。そこで、どこかにラインをひいてルールや常識にする。
話を簡単にするためにたとえば50という数値をあげる。多様性や個人の自由は各人50まで受け入れられるべきですよ。それをルールで保証しますよ、と。この50という数字は説明のための過程なので特に意味はない。
このルール下において、コミュニティ全員は50まで要求できる。例えば育児休暇とか。でもほんとうに50を受け入れられるのか? と言えば無理だ。全員が育児休暇(=50要求)を同時にしたらその企業はおそらく機能不全になる。個人は50まで要求できるが、コミュニティの限界許容量は300である(つまり、6人まで同時に育児休暇してよい)みたいなモデルになっているはずだし、そういうモデルしか作れないと思う。
これは、ぼくたち一般的な社会人が、自分の銀行預金は自由に引き出せる権利を持っているにもかかわらず、預金者全員が一斉に預金全額を引き下ろすと銀行が倒産してインフラが壊滅するのに似ている。ぼくらが額面上もっている自由はその程度の保障しかない。
そういうモデルって、結局は、要求者が非要求者にフリーライドしているだけの話なんじゃないのか? 要求できる出来ないが個人の政治力に依存してるだけじゃないのか? という疑いがぬぐえない。そのコミュニティには明示されない奴隷階級がいて、その奴隷階級が働くおかげで、上位者が多様化とか自由と言っていられる構造だ。社会というのはそういうものでしかないんじゃないのかとおもうのだ。
ブラック会社についてもそう思う。
僕もブラックは嫌だ。やめた経験もある。サービス残業してるやつはマゾだと思う。夜中に電話が鳴って急に呼び出される仕事は二度とやりたくない。
法定にしたがって労務を管理すべきだし、給与は必要十分に支払われるべきだと思う。それを要求するのは労働者の権利だ。
が、しかし、労働者全員がその点を100%クリアにして真っ白な社会を作り上げたとき、今の日本社会や経済が維持できるような気もしてない。
安価な外食産業は軒並み倒産するか値上げになるだろうし、そうするとぼく個人の生活も厳しくなるだろう。
僕は現在ブラック労働ではないしそこそこお金を得ているが、それはつまるところ、社会のどこかにいるブラック企業の奴隷階級に奴隷労働をさせたうえで、僕の生活は便利さや豊かさを維持できているのだ。自覚と罪悪感はあるが、同時にてばなしたくもない。
さらに言えば、国内のブラック労働者でさえそれは同じだ。国内のブラック労働者は国外のブラック労働者から搾取して日本という豊かな国の便利な生活ができている。
多様化とか個人の自由とか公平とか正義とか、賛成だ。みんなが得られるべきだと思う。
でも、そのケーキを全員で等分したら僕の取り分はきっと今よりずっと少なくなる。百分の一以下になる。僕だけじゃなくほぼ全員の取り分が消え果る。
この問題でなにかいい考えが浮かんだことは一度もない。
夢は一人で見るもんじゃない!! みんなで見るものなんだー!!
夢が~!!仲間が~!!
・・・と若者が絶叫するさまは一般的な感覚を持つ人からすると明らかに異様なあの光景、批判的な意見が集まるのも無理はない。
どうして居酒屋甲子園に出場する店であのようなマネージメントが行われるのかを同業者として、同じ経営者側として少し考察してみた。
まずはじめに、外食産業で働く人がどういった人達なのかを知る必要がある。
これは実際私が飲食店を起業してみて驚いた事だが、求人を出して面接を行ってみると応募して来る人材は両耳にピアスの穴だらけ、手の甲には根性焼の痕をつけて敬語もろくにつかえないなんてザラ。20代で離婚や自己破産を経験している物も少なくはない。
いままで何十人と面接をしてきたが一番驚かされた事例だと履歴書にひらがなすらまともに書けない応募者もいた。
識字率100%と言われる日本では信じられない話だがこれは事実だ。
外食産業というのは社会のふるいから落とされたいわゆる能力の低い人材が集まる場所なのだった。
1店舗2店舗ならまだ自分の目の届く範囲で運営できるので問題はないが店舗を増やしチェーン化するに従いどうしても店長という役職を作り店舗の運営を人に任せる必要が出てくる。しかし上記のような読み書きもろくに出来ない人材に『あなたの自由な発想で店舗管理をお願いします!』なんて言った所でとんでもないアイデアが飛び出すだけで、現状の運営すらままならず事業として展開出来るはずもない。
もちろん優秀な人材だけで事業を行えればそのようなやり方でも問題ないが外食産業の場合そうはいかない。
ではポエムを唱える居酒屋ではいかにして効率よく人材を管理しているのか?
まず全従業員に対し朝礼で夢、絆、仲間、本気の・・・などという言葉を呪文のように大声で絶叫させる。みんなで大声を出して絶叫していると次第に熱が入り仲間同士抱き合い涙を流す。そしてその熱が入ったまま16時間という長時間労働を強いる。
精神的、体力的にも異常な状態で毎日を過ごす結果、従業員たちは自然と自分で考えるという事をしなくなる。
こうなると恐ろしい事に16時間働こうが休みもろくになかろうが年収250万だろうがもう何をやっても楽しくなってくる。
自分では自発的に夢に向かって邁進しているつもりなのかもしれないが経営者の放つ前向きなポエムに心酔するだけで何に対しても疑問を持たず完全に思考を停止してしまっているのだ。
経営者としては当然その方が都合がいい。事業を拡大させるような戦略を練る、運営の仕組みを作るといったクリエイティブな仕事は経営者もしくは経営幹部だけで行い、現場で働くスタッフはいわば将棋の駒のように自分の思う通りに動いてくれればいい。
能力の低い人材に対して余計な事は考えさせないようにしているのだ。
飲食店を運営し拡大する為には人によるブレは極力なくさなければならない、しかし優秀な人材がなかなか集まらない。
このジレンマがある外食業界であのように一般の人から見るとドン引きするようなユメガー、キズナガー、ナカマガーと絶叫させる手法は実に理に適っている。
社会のふるいから落とされた人材が集まる外食産業にとってこれ以上素晴らしいマネージメント法はないと言えるだろう。
私は起業して以来人材について常に頭を悩まされ、マネージメントの方法を日々模索している。しかしいくら理に適っていようがあのようなポエムを唱えようとは思わない。
681 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2008/06/24(火) 09:50:26 TgC7FEqd
ハンバーガーショップが談合して、すべてのハンバーガーを値上げして600円にしますっていうんだったら怒っていいよ。
でもな、外食産業って、例えば100円でハンバーガーを売ろうとしたら、その中に
本社の人件費、店舗の家賃光熱費、アルバイトの人件費、果ては店のトイレ洗浄用のサンポールの購入費まで全部含まれてんだよ。
肉とパンにいくらかけられるか、計算してみるとすごいことになるんだよ。
デニーズで、「BLTサンド」(チンケなサンドイッチ)を頼むと、580円。
新幹線の車内販売でプラスチック容器入りの「ミックスサンド」を買うと、680円。
そういう価格水準の時代に、価格競争に走ってばっかりの外食産業で、
数百円のハンバーガーで「味」を追求しますって言ってる殊勝なハンバーガー店が、
その「集大成」として600円のハンバーガーを出すってのが、そんなに気にくわないのかよ。
まともな食材を選んで作ったら、たぶん材料費が300円か400円になって、それを売値にしたら600円になりましたと。
そういう試みを、発表見ただけで感情的になって叩きつぶすような発言ばっかりしなくてもいいだろ。
あのな、メーカーとか外食産業の商品企画って、こういう掲示板の反応をすごく気にして、一所懸命読んでる人が多いんだよ。
モスの本社でこういうの企画してる連中って、20代のまじめな女の子とかが多いんだよ。その子がここの書き込み読んで泣いたらどうするんだよ!!!!
いただきますって言え。
なんだけど、今年の春から就活はじめてまだ内定ない。先週、27歳になった。
1浪2留して、将来どうしようかなーと思いながらそのまま卒業した。
1年バイトして生活(今は実家で暮らしている)しているうちに、このままじゃやばいし、かといって起業もできないし、やっぱ就職しないとこの先道が開けないなと思い、既卒2年目となって就活しはじめたけど
最初は出版社(どこも「斜陽産業なのになぜ志望するんですか」って聞いてくる)とか受けてたが、その後専門商社とか受けてきた。
最終面接まで通過したところが2社あったが駄目だった。もちろん無名(でも興味はあるし、ブラックではなさそう)の中小企業に1次で跳ねられることもある。
まぁあまり面接でキラーコンテンツとして誇れるエピソードもないし当たり前かもしれない。
時折インドやらカンボジアやらを一人旅したりしたくらい。TOEICは860ある。コミュ力は多少ある方だと思う。最初は何とかなると思ってた。
でも、これくらいじゃ、これまでのんびり過ごしていたハンデは覆せないのは当り前なんだ。ようやく気づく。
ネットをみると「27歳で職歴なしだと警備員か外食産業でも恵まれてると思う」だとか、公務員になって逆転しかないとか、高学歴だと余裕だろ、とかあって迷う。公務員には性格上向いてないと思う。
このまま、日本で就職活動すべきか。またリクナビを見まくるべきなのか。もう始まっている来年度の就活にも目を向けるべきなのか。でも27だぜ、俺。
ハローワークで紹介されるような職についてしまった方がいいのか。派遣で働いた方がいいのか。
あるいは給料は低くても東南アジアでまともそうな職を探して職歴をつむというのもありだと最近思っている。ハードルは日本より低そうだし、そちらの方が道が開けそうな気がする。でも逃避っぽい気もする。
年を取ることへの恐怖があって、今すぐにでも職につかないとやばいと思う反面、採る側からしたらもはや27歳も28歳も俺が思ってるほど差はないのかもと思う。だから、妥協して今ここで決めなきゃってポイントへの迷いがある。
何か「こうしたらいいんじゃね」とか「こう考えた方がいいでしょ」とかあったら教えてほしい。
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<追記>
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<追々記>
久しぶりに自分の文章を見つけた。このあと2014年に会計士を目指して大原に通う。
2017年に合格。上京し監査法人に就職。2021年現在、年収800万くらいはもらえている。
就活のレールから外れたら人という扱いを受けなくなるが、国家資格という道がある。
イオンの不誠実さも非難されるべきだろうけど、イオンの気持ちもわからなくもない。
なんでウチだけだ、というようなユッケ社長的な気分もあるだろう。
俺はちょいちょい中国方面に旅行に行くのが趣味なんだが、あちらの食い物など食って大丈夫か?との心配を頂くことがある。
確かに手放しで安全とは言いがたい。現地テレビ放送も、安全な野菜の選び方なんかを特集しており、現地人に危機意識もある。
しかし最低限のことに気をつけていれば、概ね問題ない。いや、問題ないかどうかは数十年経ってみなければわからないかもしれないが、現状特に健康被害はない。
あちらでは快餐というスタイルの、チョイスしたおかずぶっかけ飯を喰うことが多い。指差しだけでメニューを選べるので、外国人旅行者にも人気だ。
快餐屋は一食500円以上する店もあれば、20円以下の店もある。
件の20円以下の店は、そのイカレた安さから人気があるかというとそうではなく、汚い身なりの労働者がパラパラといるだけで、全く繁盛していない。店もボロく、匂いも臭い。
そんな店で何かを食いたいかというと、どんなに安くても御免な訳で、概ね200円ぐらいの店に入ることが多い。
お肉などは公設の市場があり、そちらをブラブラみて回るのも楽しい。
見たこともないケモノヘンの漢字の獣肉がところ狭しと売っている。貂なんて食えるのか、と感動することもある。
あちらでは、鳥肉は鶏よりも鴨の方が、比較的メジャーと思われる。
彼の鴨肉であるが、これまた一羽丸鳥で、千円近い品もあれば、百円以下の品もある。
件の百円以下の鴨が、これまた鳥だけに飛ぶように売れるかと言うと、無論そうではない。
モノには適正な価格があるということは、実際誰でも知っていることであり、現地の人間はもちろんのこと、ポッと出かけた旅行者ですら、小一時間も市場をブラつけば、概ね把握できる。
その中で極端に安いものがあれば、それを警戒するのは、ごくあたり前の心理である。
その警戒を、果たしてスーパーのバイヤーが、冷食工場仕入れ担当が、共有しているかというと、当然共有しているだろう。
本部の人間は安くしろと要求する。日本の経済の仕組みでは安くするのが正義だろうから。
彼の国では、安くしろというと、下限知らずにどこまでも安くなる。数十円の丸鶏があるお国だ。
大阪西成に俺の愛するスーパーマーケット、スーパー玉出という店がある。
こちらの惣菜が実に象徴的で、精肉コーナーに豚バラ肉が100グラム120円前後で売っているのに対し、デリカコーナーでは豚バラチャーシューが100グラム80円で売っている。
パートのおばちゃんが手間暇かけてコトコト煮込んだチャーシューが、生肉より値下がりするなどという、河原の積み石よりやりがいのない過酷な労働を、彼女らに強いている訳では無論ない。
それら加工食品は、その出自を明らかにする必要がないから、原材料費をどこまでも抑えられる。
そしてそれが今後どのような影響があるのか、それはわからない。
今後、米農家の補助金が削減されていく趨勢にあるとのことらしい。
これに関しては全く恐ろしいという気持ちにしかならないが、ウェブ上では、補助金ジャブジャブの農家は潰せとの声が高い。
実際厳しい競争の中で生きている、都市部の住人にとって、不公平感があるのも理解できる。
しかしながら、総じて先進国の農業で、全く保護を必要としない分野はどれほどあるものだろう。
無論、規制を緩和して、やる気のある農家や企業の参入を推し進めるのは良いことだろう。
農業大国と言われる国々、特にアメリカ、フランスでは、補助も厚い。
アメリカでの農業補助金は、大別して5種類。作付面積に対する補助金。市場価格による差額の補助金。ローン充当補助金。最低価格保証金。作物保険への政府充当金。などなど、日本の補助金など可愛らしいと思えるような補助金の幅の広さ。
その上先般のバイオエタノール原料買い付け保証などなど、挙げたらきりがないほど補助金ジャブジャブである。
特に市場価格ベースの補助金は、WTOからお叱りを受けかねない、輸出補助金に触れると見られており、今般のTTP交渉では果たしてどうなるかというところでもある。
この恐ろしい規模での補助金によって、折角の国連の援助を受け殖産された後進国の綿花、穀物畑などが、価格競争で打撃を受けて青色吐息だそうだ。
例えばコーンだと、その金額の八割以上が補助金に依っており、俺達が喰うケロッグコーンフロストは、アメリカ人の税金によって八割増量してもらっている。
そして当然アメリカであるからして、その全補助金額の七割以上が、上位数%の大規模農家によって独占されている。
まさにアメリカというお国柄らしい、ビッグになるほど保証も厚い、悪夢的アメリカンドリームの類の補助金だ。
方やおフランスでは、アメリカ同様、斯様な大農家向けの補助金も充実しており、これまたグレーな輸出補助金の類も、ジャブジャブ拠出しているのだが、反面、小規模農業のみならず漁業、加工業への保証もこれまた厚い。
例えば農地のその周辺環境、景観への配慮などを目的とする補助金。また産品の国定ブランド化とそれへの国際的な法的保護、輸出補助金など、小規模でも国際社会で十分戦えるような保証が充実している。
彼の国の優良な小規模一次、二次産業への保証は、単にその百姓の生活、土地の景観、田舎ワイナリー、漁港を守るという小さな目的ではなく、それに付随する食の安全と文化、外食産業、観光業、ひいては国のイメージという、より大きな対象への投資なのだろう。
翻って日本には、果たして保護に値する農業、食産業が無いだろうかというと、全く実に多い。
地方地方に奇妙な郷土料理や農法やらが、険隘な国土ならではの多様性に富んでおり、港町に行けば、寿司屋の生ゴミかと見まごう奇妙な鱠が出てきたり、山国に行けばタクアンのままで美味いのになんで燻製にしちゃったかなーという漬物が供せられる。
狭隘な土地に無理やり作った田畑や、それにまつわる行事や伝統産業ら、それら無数の多様性が重層的に折り重なり、文化というものが形成される。
食にやかましい中国人に、俺はベトナム料理が好きだと述べたところ、中国人は鼻で笑って「ベトナムに料理なんかねーよ。美味しい菜(惣菜)ならあるけどな」とのたまう。
解雇規制緩和で、おそらく真っ先に外食産業とかSI、あと運送業あたりがこれで完全に壊滅するんじゃないかな。
「能力が低いから解雇する」よりも「(能力が高いし稼いでくれるけど)給料を上げたくないから解雇する」が横行して、現場が入社一年目の新人ばっかりになっちゃって、仕事の質が上げられず、それ故に仕事の単価を上げられず…の悪循環。
個人的には「より少ない回数の募集で一人でも多くの有能な人間を発掘する」という状態にインセンティブが働かないと、業界大手から零細にいたるまで、まるでカルテル組んだかのように給料が最低時給に張り付く最悪の事態になると思う。
自社の利益のために若者を使い捨てる「ブラック企業」が社会問題化する中、厚生労働省は初の実態調査を始めた。悪質な企業をあぶり出すのはもちろん、根絶する対策を一刻も早く示すべきだ。
「半人前なんだから死ぬ気で働け」「給料を払う価値がない」-。ブラック企業の特徴は、就職難につけ込み、正社員として若者を大量に採用、低賃金で長時間労働を強いる。ほしい人材だけ残し、他は自主退職に追い込んで次々と部品のように使い捨てる。将来あるはずの若者たちは職を失うばかりか、うつ病や過労死、自殺で夢を閉じているのである。
外食産業やアパレル業の有名企業からIT、大学職員などすでに社会の奥深くまで蝕(むしば)んでおり、病巣を放置したままだと、やがて国全体の雇用環境が劣化して「ブラック社会」になりかねない。なぜならブラック企業の多くは業界で一、二を争う好業績で影響力が大きいこと、また経済界が低賃金の非正規を拡大させたことが若者に「正社員になれるなら」とブラック企業に向かわせた面があり、雇用環境の悪化が背景だからだ。
厚労省の実態調査は、全国の労働基準監督署などに寄せられた苦情を基に、離職率が極端に高いなど若者の「使い捨て」が疑われる企業を対象にする。その数は約四千社に上るという。
過剰な時間外労働やサービス残業(賃金不払い残業)の有無、過労死などの前例などを調べ、重大な法令違反が確認されれば送検したり、社名を公表する予定という。遅きに失した感もあるが、実態を徹底的に調べてほしい。
問題は実効性ある対策が打ち出せるかだ。ブラック企業が暗躍してきたのは、計算ずくで法令違反スレスレの手口だからである。労働基準法など法令に詳しくない若者を相手に「辞めさせる」のではなく「辞めたいと思わせ自己都合の形で退職に追い込む」のだ。
対抗するには「離職率が基準を二度上回ったら求人できないようにする」といった罰則の法制化や、継続的な立ち入り調査、就活生に法令を周知させるなど省庁を超えた取り組みが必要だ。
希望に満ちて社会に船出したのに、人格を否定するように使い捨てられる若者たちの姿は痛ましすぎる。家族の無念さも察するにあまりある。若者を犠牲にした好業績を平然と誇る厚顔経営者が少なくない。そんな不条理を放置したままの社会に明日はない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013090602000152.html
以前成形肉を批判する記事がBIZ誠に載っていたと思う。(確か時事通信出身の相場英雄氏の記事)
この筆者は「成形肉はマズイ」という前提で記事を組み立てていたと思うが、私見だが、
「クックパッド」の登場で、伝統的料理や高い料理(例:普通の肉)と新料理や安い料理(例:成形肉)の食味格差は、
急速に格差縮小、ないし逆転していくと思う。
昔なら、食味向上のノウハウは、個々が分散保有していて、共有化されなかった。
フォルクスはフォルクスで黙々と成形肉食味向上に取り組み、ロイホはロイホで黙々と取り組む。
家庭料理の食味向上も、それぞれの家庭(主婦)の孤独作業に委ねられる。
と言うか、食味向上は面倒くさいから、主婦は自分が知ってるレシピを墨守する。いわゆる「お袋の味」
⇒クックパッドの登場で、無数の「素人」「ボランティア」が料理の食味向上に、無給で取り組むようになった。
その気になれば食味向上のスピードが加速的に、指数関数的にスピードアップする
「数万人が試作レシピにチャレンジし、数万人が試食し、数万人がコメントするプラットフォーム」を、
外食産業が積極活用しない手はない。自社の、せいぜいスタッフ数が数人の新レシピチームに新レシピ開発委ねるより強力では?
要するに、クックパッドの人気メニュー、或いはクックパッド内で人気はないが美味しい料理を、
外食産業が新メニューとしてデビューさせればいい、という提案である。
(こういう場合、「著作権」が成立するのかどうか、知らないが)
逆に言えば、クックパッドにアップロードされた膨大なメニューは、日の目を見ずに埋もれている状態。
一種のビッグデータ状態と化しているが、これを外食産業が「掘り起こし」すればいいのでは?
ところでいつも思うが、クックパッドって、そもそも海外にあるのかな?
「今日の晩ご飯、献立何にしよう?」と思い悩むのは、日本の主婦だけなので、クックパッドの類のサービスは海外では成立しない、と言う話もある
余談だが、「ミールソリューション」と言う単語が食品スーパー業界にあるが、その中身は日本とアメリカで違う。
※あくまでネタです
外食産業大手のワタミフードサービス(本社:東京都大田区 東証一部上場)は
4日、太平洋戦争中に歌われた「月月火水木金金」を社歌として採用したと
同社ホームページ上に掲載されているwebマガジンで発表した。
「月月火水木金金」は休日返上で働くことを歌った歌で、戦時中のラジオなどでヒット曲として流された。
「社歌なんてものにコストを掛ける必要は無い」として既存の曲からの選定となることが決まり、
「勇気のしるし」(”24時間戦えますか”のフレーズで有名)と「月月火水木金金」の2曲が候補として挙げたところ、
渡邊社長が「”戦えますか”ではダメだ。戦えるのが当然だと思うようにならないといけない」として決定した。
同社長はこの選定について「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる。
たっぷり休んで、結果的に会社が傾いて人員整理するのでは意味がない。休みたいなら会社を辞めれば良い」
「仕事に命をかけていたら、休もうという発想にはならない。週に7日働くのが当たり前だと思って初めて1人前だ」
とコメントを寄せた。
俺的分類はこんなかんじだ。
コストパフォーマンスを原価/値段とするならば、コストパフォーマンスは高め。
面と向かって「出ろ」とは言われないが、基本的に食べたら帰れ的な空気。
いわゆる飲食店の基本の型。
回転率がいい都市部ほどメニュー数を絞り専門店化すると同時に、薄利多売型となる傾向。
アルコールをだせばバーになる。
やはり回転率がいい都市部ほどメニュー数を絞り専門店化すると同時に、薄利多売型となる傾向。
席はボックス席や個室、半個室。
長居しても構わない空間とサービス、それに加えて種類も質も高い食事も提供しつつ、値段は抑える、つまるところ外食産業で一番激務となる。
その代表格だといわれているってところが問題のなのに、
「我が社は他の飲食業の平均よりもブラック度はわずかに低い、だからブラック企業ではない」って。
「飲食業界という性質上、仕方がない部分もある」って、別に飲食業界が今の形態でなくちゃならない理由なんかないんだぞ。
全部の外食産業が抜け駆けすることなく、全店舗、一日7時間の開店時間で、週に二日は休日でも問題なかろう。
その結果市場規模は縮小するかもしれないが、それは縮小ではなく適正規模になるだけだ。しかも人間は必ず何かを食べるわけだから、別のところにお金は流れる。そこでは雇用が増えるわけだからトータルでは何も代わらない。