「夏休み」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 夏休みとは

2018-07-13

夏休み終わったら死ぬ気持ちで過ごす

今年の大学夏休み夏休み終わったら死ぬという気持ちで過ごしてみようと思う。

死ぬ前にやっておきたいことをやって貯まってるお金も全部使っていいことにする。

ビビりな性格から将来の事とか考えて稼いだお金をなかなか使えず、いつも必要以上にケチケチしてしまうからいい試みのような気がする。

金を使わずに楽しむ方法をいろいろ知っているんだけど金を気兼ねなく使って楽しむこともやりたい。

たとえば散歩するだけなら金はかからいか散歩をよくするんだけど近所を散歩するのはいい加減飽きてきた。

夏休み電車賃ケチらず電車に乗って知らない街を散歩しに行きたい。

あと、読みたい本があるんだけど図書館にあるから買わなくていいかなと思ったんだけど図書館に行くのが面倒で結局読んでないのでAmazonで買いたい。積ん読したい。

あとは時間を気にしないで無駄なことしたい。目的地を決めずに延々と自転車をこぎ続けるとか。

どうせ死ぬので将来のことを気にする必要はないか時間を気にせず無駄時間を消費することができるとおもう。

時間を全く気にしないで遊べたのは塾に通い始める前、小学校低学年までだったからもう一度あの感覚を味わいたいんだ。

2018-07-12

夏休みの予定

近隣で働いている同業者たちの集まりに参加してきた。自分が一番新参者なので、グループ解決しないといけない課題も「○○さん(私)は分からないよね。」と断言されて何の文句も言えない。

それはさておき、いろいろな課題について話し合ったあと、これから来る夏休みについての話題になった。うちの職場で大部分を占める別職種の人々は、普段は凄まじい勢いで働いているが、夏休みになると途端に虚脱して休みモードになってしまうらしい。

うちの職場から一番ご近所の人々に聞いてみたところ、夏休みトップもNo.2もすっかり弛緩してしまい、ハンコもシステムを開くのに必要ICカード同業者たちに預けて休んでしまうそうだ。

うちのトップは非常にきっちりした人で、頼んだことは確実にやってくれる代わり、No.2にすらハンコを勝手に押させたりしない。長期の海外旅行にでも行くならNo.2に預けるかも知れないが、どうなることやら。私の仕事は二人にハンコをもらったり、システムで決裁してもらわないと進まない。トップかNo.2が休むときは出勤する方が二人分のハンコとICカードを持ってほしい。

それにしても「忙しいときと暇な時期がはっきりしていて、休める時期はいっぱい休めるよ」と言われて期待して異動してきたのに、結局何だかんだと出勤する羽目になりそうなのはなんなんだ。海外旅行二週間とか行ってみたいのに、今予約しているのは3泊5日のツアーだ。しかも最終日の朝には成田に着いているという…。

同僚の非常勤の人には「とりあえず一年やってみてからね」と言われているし、それが正しいんだろうけど、全然希望していなかった人事異動で、唯一期待していたことをぶち壊されるのが悲しい。

今どき夏休みに遊んでる小学生とかおらんやろ

知らんけど

東北夏休み短い問題に今更気づいてしまった

自分宮城出身だが

宮城 夏休み 31日間

東京 夏休み 43日間

https://jpnculture.net/natsuyasumi/

宮城 冬休み 17日間

東京 冬休み 17日間

https://jpnculture.net/fuyuyasumi/

なんだよ、これ!

おかしくね?

なぁ、おかしくね!?

子供の頃から薄々勘付いてはいたんだよ、、、

とっくに2学期始まってるのに、めざましテレビ軽部さんが「学生のみなさんは今日から新学期ですね!」って言ってたしさぁ。。。

でも、東北はその分冬休みが長いんでしょ?

そう思っていた、、、そう思っていたのになんだよこれ(涙)

もう30過ぎたけど、今更理不尽に震えるわ。

2018-07-10

金を金持ちが独占している状態は良くないと思う

私がそう言いますので皆さんは「か~~っ所得の再分配も知らない小学生が来るとかもう夏休みかよ~~~」と愚痴ってください。

はい年中夏休み増田くん早かった

2018-07-09

俺が本当のアベ陰謀論を書く

どうしてアベ政権はこうも続くのか?

よく言われる言説が、「積極的自民党支持人間はいないが、他党が弱すぎる」だ。言い換えると「自民党から変わってほしいけど、自民党以外がヤバすぎて他の選択肢がない」ということだ。

しかしこれこそがアベ内閣が長く続く理由、恐ろしいプロパガンダの正体なのだ

以下にその理由を述べる!

ヤベーやつを演じる自称反アベ集団

「アベが指示した人工地震」「オウムサリン事件真相隠蔽したアベ」「災害を祝うように酒盛りをするアベ内閣

自称反アベの発言違和感を覚える者は少なくないだろう。そう、どれもこれも論理性の欠片もないこじつけばかりなのだ

このような小学校夏休み読書感想文でも書かないような支離滅裂文章は、日本で9年間の義務教育を修了している常人ならばタイピングの途中で正気を取り戻し、手を止める。しか自称反アベは惜しみもなく毎日のように妄想を垂れ流している。これは悪夢なのか?戦後教育の敗北なのか?

否!いずれも否である

常人ならば書かない」「それでも反アベは書いている」「よって反アベは常人ではないヤベーやつ」というアベ政権が仕掛けた三段論法あなたは嵌っている!これはまともな思考能力がある者ならば誰でも嵌まるように仕向けられた罠なのだ

まりこういうことである

(1) 「安倍政権はだめだ。他政権に変わらなければ」

(2) 「しかし反アベの意見がヤバすぎる。こいつら常人とは思えない」

(3) 「安倍政権じゃなくなると、こんなヤバイ思考しかできない奴らが支持する政党当選するかも」

(4) 「現状維持でいいや」

こうして「反安倍」になりそうな人を「安倍支持」に維持することができた。

安倍政権を維持させるには、安倍の支持者を作る必要はない。「反・反安倍」を作れば良いのだ。

安倍の積極支持者を作るには公明正大清廉潔白政治を行う必要があるが、「反・反安倍」を作るにはTwitternoteでヤベー妄想を垂れ流すだけで良い。こちらの方が断然コスパが良いし楽だ。

他党に潜む自民党スパイ

ヤバイ妄言をするのは安倍政権に雇われた暇な一般人だけなのか?

否!断じてである

他党に所属する国会議員もヤベー妄言を垂れ流す奴はいる。実はそういうやつらは自民党から派遣された、反自民党を演じるスパイだったのだ。

国会クイズ大会を開くのも、一年モリカケ問題に取り組むのも、議員秘書給与詐欺事件有罪判決を受けても議員を続けられるのも、全ては自民党から派遣され、自民党の指示のもと動いているスパイ活動からなのだ

クイズ大会を開いて時間を稼げば自民党に不利な話題を出さずに済む。

成果の出せない院生のように一年モリカケ問題に取り組めば、他党の議員無為時間に巻き込める。

スキャンダルを起こしても議員を続けている人間が党にいれば、その党は信用を失う。

すべては自民党が仕組んだ罠なのだ

暗号化されたカタカナ語

いつからだろうか。安倍のことをアベ、森友学園加計学園問題のことをモリカケと呼ぶようになったのは。

疑問に思う人も多いだろう。なぜカタカナ表記するのかを。

これは暗号なのだ自民党スパイ同士でどれがスパイ活動なのかがわかるよう、スパイ活動に関わるものカタカナ表記するのだ。

たとえば以下の例を見てほしい。

A「今日もアベは辞職せず。いつになったら責任を取るのか。疑惑モリカケ問題真相が暴かれる日は近い」

B「なぜ安倍首相は災害時に外遊をするのか。外遊が外せない用事でも災害対策本部を設置してからでは駄目だったのか。」

AとB、どちらがスパイでどちらが一般人発言かは、もうおかわりであろう。もちろんAがスパイで、Bが一般人である

Aは安倍のことをアベと呼んでいる。これによりスパイは「ああ、スパイ活動発言だな」と理解できるし、一般人は「また反アベがなんか言ってるよ」となる。

対してBは安倍のことを漢字表記している。これによりスパイ発言でないことが明白なので、スパイはこの人に対してクソリプを飛ばすことができる。

スパイ「その通り。アベは人工地震の件も含めて説明責任を果たすべき」

B「そんなことは言ってません」

こうしてBは「反・反安倍」になる。Bにとって仮想敵は「安倍派」と「反アベ派」の2派であるため、見かけの構造上「自分以外は全て敵」となりその精神負担は大きい。そのような人が最終的につくのはより理性的な方であるので、つまり安倍指示側であり現状維持となる。

理性的安倍批判スパイの格好の的となる。理性的な反安倍派は反アベと一緒にされたくないので自身の主張に補足を入れる必要がある。そのせいでどっちつかずの主張になりがちであり、時間も余計に奪われ安倍政権批判疲弊する。疲弊した論者はついぞ、反安倍活動を諦めてしまうという寸法である

おわりに

以上が恐ろしいアベ政権自民党)のプロパガンダの正体である

ここまで読んだあなた荒唐無稽な話だと笑っただろうか。もしそうならば平和ボケしていると言わざるを得ない。

高度な情報戦は既に始まっているのだ!

高校生オーストラリアへ行くとき

男子高校生です。僕は夏休みの9日間オーストラリアブリスベン海外研修へ行ってきます。(ホームステイです)

今のところ楽しみにしていることは、日本で買ったヘインズの赤ラベルを現地で開封して着る、ことくらいで、あとは特に楽しみがありません。

ブリスベン旅行経験があったり、ホームステイ経験があったりする方に、楽しいことや準備しておくと良いことなどを教えていただきたいです。

もう夏じゃん

夏休み何するか決めた?

2018-07-08

夏休み9連休

しかしやることは1日ぶんしか決まっていない。

どうする残りの8日間!

調べたけど東京面白そうなイベントも無いし、どうせ暑くて汗ダラダラになるのはわかってる。

うーん。困った。

そうめんは氷に入れると美味しくなくなる

今朝の所さんの目がテン!で、そうめん氷水に入れると「締まって」と美味しくなると思ってる人がいるけど、そういう効果はまったくなくて逆に水を吸って美味しくなくなると言っていた。

そうめん盛るときは、水をしっかり切ったほうがいいとか。

地元温泉施設で、夏休みになると流しそうめんをやっていて、子供のころは家族で食いに行ってたけどあれは雰囲気だけで逆にまずくなる行為だったのか。

まあ、楽しかたからいいけど。

高1でイラストサイトを畳んだ時の話

中学1年生の頃に創作サイトを開設した。

当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。

幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単ゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。

当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。

ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。

中学の頃の僕は絵の部活には入っていなかった。

しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。

しか漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。

高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。

部誌に描くマンガネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオ漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。

最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。

母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。

家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。

その日の朝に、父親逮捕されたと聞かされた。

援助交際だった。いわく相手未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。

いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。

もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。

結局、幸いにして(?)、事件のもの地方紙三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。

父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月トップ絵は更新できなかった。

イラストサイトの方では、自分個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙三面報道された事件容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたかからない)。

にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネット自分晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分サイト運営などできようか?

そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。

しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。

サイトを閉じた後に一人Skype心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトバックアップを取らずにジオシティーズアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。

貧困本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。

三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネット活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。

pixiv登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。

大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。

もうおしまいだと思った。

おしまいになってから五年が経った。

高1のころからそろそろ10年が経つ。

今は絵を描く仕事ではないが、やりたい仕事にはついた。

創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。

あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。

きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。

創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。

しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。

幸福人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃん意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃん存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。

自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事きっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。

そのことだけが悔しくてたまらない。

anond:20180706063655

なんとなくそうめんって夏休みの昼食に自分で作って食べるものイメージある。

こういう人は夏休みの昼食何食べてたんだろう。専業主婦のお母さんが作ってくれてたのかな。

2018-07-07

anond:20180707020402

東京で何するの?

夏休みなんて

生粋江戸っ子さんはいそうだけど

地方からの元気な若い上京組が夏休み帰省で、奇抜な格好の人とか変な人なんてかなり減ってる時期でつまんなくない?

コミケのお客さんはまた毛色が違うし。

夏休み+有給東京に遊びに行きたいが、

どうせクソ暑くて、どこに行っても汗ダラダラになるのがわかっていて辛い

2018-07-06

再放送で有名になったアニメ

放送より再放送を見た人のほうが多そうなアニメ

機動戦士ガンダム……本放送時に熱狂的なファンはいたのは確かだろうが、やはり評判を聞いて再放送を見た人のほうが多いのでは

あさりちゃん怪物くん……本放送よりも夏休み再放送で見た人のほうがずっと多そう

カウボーイビバップ……そもそも放送では完結しなかったか残当

このへんが代表例だと思うけど、ほかにもある?

寂しい、悲しい

私が嫁に行く前の家には、父が居て弟がいて

言葉は少なくても同じ番組を見て同じ料理を食べていた。

夏休みになれば明日はどこに行こうかと楽しみでそんな毎日はもう戻って来ない。

家にはもう母しかおらず父は別の人と暮らしていて弟も戻ってこない。

あの理想郷は、私が夫と再現する以外に方法はなく、他の人は容易くそれをやってのけるが

両親の不和経験した自分に、そんな未来想像することは出来なかった。

かい何気ない日々だったなあと思うと頬を涙が流れて行く。

愛されたいだとか、周囲に人がいて欲しいという願いはいつ頃叶うのだろうか。

2018-07-05

恋愛は少なくともメンヘラとは両立できなかった話

 本文をうっかり読んでしまうのは時間無駄なのでいくらか前置きで警告をしておく。

 これは一人のクソ女の自分語りだ。

 多分恋愛をしている人にもメンヘラをやっている人にも響かないと思うので、ノンフィクション小説好きな人とかが読んで哀れむなり蔑むなりネタにするなりしてくれたらいいと思う。

 文章にすると落ち着くたちなので、一回字に起こして整理したかっただけだ。

 特に意見アドバイスを期待してはいないけれど、私が想像も出来なかったような現実を打開する魔法があるなら教えて欲しい。

 そうじゃないなら今はほうれん草を沢山使うレシピくらいしか知りたいことはない。

 石を投げたりして気持ち良くなるなら好きにこの文章の私を罵ってくれて良い。もし肯定したいとか共感したとか優しい言葉を掛けたいとか思ったら、それは上手く受け取れないので胸に仕舞うか何かしておいて欲しい。言って満足するなら言って満足して欲しい。

 それから、ぼかしたりフェイクを入れてはいるけれど一応念のため。私の彼氏さん。あなたがこれをもし読んでいたら、私にいい加減愛想を尽かして下さい。メールもしなくていいし、顔も合わせなくていいです。ここにはあまり書いてないけどあなたはすてきな人なので、きっと可愛くて気立てが良くて知的趣味の合う恋人や奥さんがそのうち出来ると思います。私抜きで幸せになって下さい。でも今までありがとう

 さて、数えてないけど多分これ五千字くらいある本文。

 私には彼氏がいる。中学生の頃男女混ざった仲良しグループに居た同士だったが、彼は当時テンプレ中二病クソ女であった私に親切だった。私はいわゆる愛情に飢えたメンヘラであり、被虐待児でもあったので親切な彼を好きになった。

 親に無理矢理突っ込まれ進学塾、殴られたくないから沢山勉強して、私が目指した志望高校は彼と同じ学校だった。志望理由は、当時不良やヤンキーが苦手だったのでそれでもやって行けそうな校風であることと、私のやりたい部活の成績が良かったこと。通える範囲で目指せる偏差値勝手に割り出されたその高校を志望していると自分に言い聞かせるために、彼と一緒に高校に通えるかもしれないことを考えていた。彼は頭が良かった。彼の頭が良いところにも好感を持っていた。

 結果として高校受験は失敗だった。兄弟が多い我が家は長子の私の滑り止めを用意出来なかった。模試きれいな紙に印刷された合格する確率が70%まで落ち込んだ。挑戦は許されず漫画のように家庭の都合で通いやすくそれなりの偏差値の親が決めた高校受験して合格した。

 妥協のご褒美に私は携帯電話を買い与えられた。猿のように熱中した。友達とひっきりなしにメールをするのが楽しかった。そんな携帯中毒に付き合ってくれたのが彼だった。

 彼は愚痴をうんうん聴いてくれた。肌寒い日にはコートをかけてくれて、雨の日は傘を差して家まで送ってくれた。

 彼は誰にでもそうする人間だ。

 そういう人間を私は好きだと思った。

 高校一年の夏、好意を伝えた。彼はいわゆる恋愛恋愛した面倒は嫌だけど、と前置きした上で私と付き合う返事をくれた。友達にも家族にも内緒だった。私はおおっぴらに恋愛満喫して盛大に恋心に振り回される友人たちのようになりたかったが、その夢は絶たれたと言ってもいい。

 彼は時折、家族が留守にしている放課後休日、私を自宅に呼んだ。彼の家は急な坂の向こうにあり、私は暑い日も寒い日も自転車こいで彼の呼び出しに応じた。二人でカーペットの床に並んで座って、他愛もない話をするのはとても楽しかった。彼はキスがしたいと言ったので応じた。こんなもんか、と思った。彼は私の胸や下半身に触れたがった。胸は触らせたが、下半身他人に触られるのは嫌だったので精一杯かわいこぶって断っていた。

 彼が満足そうで良かった。私にかわいいとか偉いとか頭が良いとか言ってくれるのは彼だけだったからだ。

 たまにデートなるものもした。彼は共通の友人にばれたら面倒だから地元ではないところで待ち合わせて、博物館などに行った。博物館が好きなので楽しかったが、多分一人でいても楽しかったとは思う。彼は理系なので解説をしてくれて、知らないことを知れたのは楽しかった。

 いわゆる中学生ぐらいのいじましいお付き合いは高校三年生になるまで続いた。

部活大会模試で顔を合わせたら、こっそり示し合わせて抜け出して会って話したりしていた。

 関係が、と言うよりも私が変わったのは高校三年生の秋頃だっただろうか。

 私は学校へ行けなくなったというより、身体が動かなくなった。

 鬱を発症していたと知るのは年明けに通院をはじめてからだ。高校卒業も危うくなった。彼のメール無視し続けた。友人たちのラインブロックした。手首を切った。酔い止めを何箱も一気に飲んだりした。苦しかった。とにかく早く死にたかったが、癇癪を起こすと椅子を投げてくる母親から兄弟を守らなければならなかったので死ねなかった。

 音信不通を続け、両親の説得も不登校支援センター保健室も諦め、私は精神科に通院することになった。

 高校三年生の一月、私はセンター試験どころか学校へも行かず精神科に通った。薬が効き始めるまでが地獄のように長かった。向精神薬睡眠薬がなんとか効力を発揮する雰囲気を醸しはじめた頃には、卒業はほぼ絶望的だった。

 私は主治医から診断書をぶん取り、校長などのお偉方と交渉を重ね、補講を組んでもらうことでなんとか、卒業から数日はずれが生じるものの年度内に卒業出来ることになった。周りの大人は私の想像はるかに超えて優しかった。同情し、時には私の身の上話に涙ぐんでくれた。そんなことで悩んでいたなんて知らなかった、と口々に言った。進学校だったので不登校前例が無かったのが幸いした。先生方は私一人のために会議室卒業式をやってくれた。

 さて、話を恋愛に戻そう。私はなんとか卒業証書をぶん取り、彼は第一志望の難関大学合格していた。サイゼリアで久し振りに会って彼は「元気そうで良かった」と言った。

 私は全くもって元気では無かった。

 恋愛どころじゃない、何度も死にかけた。

 人に説明する元気もあまり無かったので、かなり端折って私はことの顛末説明した。ずたずたの腕を見せて「メンヘラと付き合うとろくなことがないって言うから、別れるなら今だと思うよ」と彼に提案した。彼は「それは別れる理由にはならない」と言った。

 そういうことでお付き合いは継続されることになった。

 彼は大学入学した。私はそれを祝福した。彼が受験勉強を頑張っていたのを知っていた。とても尊敬している。

 私はといえば、自分を殺そうとする自分に耐え、病状を必死家族説明し、ひたすら精神科に通った。

 彼は以前と変わらず家族が留守の合間に私を家に呼んだ。私は行かなかった。外に出る元気も無かったし、当日朝「今日家誰もいないよ」と言われても動き出す頃には翌日の昼間だ。

 彼はサークルが忙しかった。理系から男ばかりで可愛い子いないよ、と言っていた。

 私達はあまり会わなくなった。

 彼は学業を、私は治療を、お互い頑張っていた。

 彼は私が死んだら悲しむだろう。優しくて弱い人だから自殺だけはしてはいけないと自分に言い聞かせた。

 色々なことがあった。

 死なないために意識を失うことが必要だった。私は酒浸りになり、睡眠薬はどんどん強いものに変わった。早朝起きて、Amazonで買ったウォッカを水で割り、それで頓服を服用して眠り、昼過ぎに起き出して母に罵倒されながら(これは10年来の日課だ)食事をとり、薬を飲んでまた眠った。眠れない夜は頓服を酒で服用した。そうすれば眠れる。眠っている間は死にたくならないので楽だった。

 私某居酒屋で酒を飲みすぎて意識を失い救急車に乗った。倒れたはずみに骨折もしていたのでそれを治療するため更に入院した。入院中は母に罵倒されず三食昼寝付きだったので手術の痛みを差し引いてもお釣りが来るくらい快適だった。

 退院してからはまた酒を飲んで眠るだけの生活をした。

 そんな状況を医者は許さず、私は精神科閉鎖病棟入院することになった。彼は見舞いに来たがったが、私は断った。誰にも会いたく無かった。自分自身と二人きりになりたかった。何もかもに疲れ果てていた。

 入院生活幸福だった。

 看護師さんは優しい。変な人が沢山いるけどそれぞれが自分のことで精一杯だから誰も干渉してこない。

 母の罵倒が無いなら、現実逃避するためのスマートフォンは要らなかったので無くても困らなかった。

 少しの本、ポータブルCDプレイヤーと何枚かのCD。それだけで完結した生活は確実に私の心を癒した。

 これが人生の正解だと思った。誰も、何も要らない、天国だと思った。

 あらかじめ定めていた期間が過ぎ、私は退院した。

 閉鎖病棟入院したことがあるレッテル付きの私は母から罵倒が少しは薄まったと感じた。もう死にたくならないために一人で十分だった。

 そして同い年の彼が大学二年生になると同時に、私は大学一年生になった。

 母が勝手に推薦入学に出願して受験料も払い込んでいた。仕方がないので面接に行ったら大学に受かった。入学した。

 彼はおめでとうと言ってくれた。

 新調したスーツきれいなキャンパス、好きな学問、新しい友達

 私はまともな人間に戻れるかもしれないと期待した。

 アルバイトもはじめた。友達徹夜で飲み明かしたりした。

 しかし、ゴールデンウィークが明けた頃には既に私はくたびれていた。夏休みが明けて、大学へも行かなくなった。アルバイトはクビになった。

 主治医からストップがかかり、休学する事になった。

 私はただ家で時間を潰し、母の(以前よりはマシな)罵倒に耐え、薬を飲み生活していた。もう死のうと思っていた。

 大学で新たな人間関係を築いた彼は、私の死を受け入れるキャパがあると思った。

 そういえば私は彼とセックスしていなかった。

 呼ばれても家に行かない、共通の友人たちと遊ぶ以外では会わない、そんな恋人であったから、私はなんだか彼に申し訳が無かった。

 セックスすることでそれを清算できると思った。

 セックスする前に私は酒を飲んだ。

 薬の副作用で性欲は無く、彼とキスしても気持ち悪いと思ったからだ。

 彼が取ったホテルで私は彼と昼間からセックスした。

 こんなもんか、と思った。

 彼は別にセックスたからといってこれまでより優しくなる訳でも冷たくなる訳でも無かった。

 その日私からやや強引に誘い、夕食を食べながら話をした。私は彼と話がしたかたからだ。彼と話すのは楽しかった。

 それが数ヶ月前のこと。

 それ以降、私は彼と一度も顔を合わせていない。

 なんだかひどく億劫で、気の許せる女友達しか話したくない。

 精神科に通い続けて、自傷行為をやめられた。アルコール中毒も治った。睡眠規則的になった。

 兄弟が進学と同時に一人暮らしを始めた。もう自分の身を自分で守ってくれる。

私の生きる価値は無くなった。

 ある夜母が癇癪を起こして私に出て行けと怒鳴り、私を家から蹴り出そうとした。

 終電が無かったので私はははに頭を下げて「一泊止めてください、明日出て行きます」と言ってその場をおさめた。

 翌朝、私は最小限の荷物だけを持って逃げるように家を出て、何度か遊びに行っては掃除をしてやったりしていた兄弟一人暮らしをしている家に転がり込んだ。

 それから紆余曲折あり、結局兄弟仕送りで私は生活している。兄弟大学に行き、私は自分兄弟の二人分の家事をしている。おそらく幸せなのだろう。私が欲しかった暮らしは手に入ったのだろう。

 もう死んじゃおっかな。くたびれた。もう何も要らない。

 今死んだら同居している兄弟がショックを受けるだろうから、死んでないだけ。

 彼と連絡を取っていない。

 これが自然消滅と言うのならそうなのかもしれない。

 私は多分もう駄目だ。大学は妹宅から距離的に通えないので中退する。アルバイトでせめて食い扶持を稼ぐのが目標だが、達成出来るのはいつになるやら。

 こういう駄目な人間恋愛などしても彼に何の得も無いだろう。

 だから自然消滅であってもさよならを言っておきたい。

 もう恋愛感情がどういうものなのか思い出せないのだ。

 自分異性愛者ではないのかもしれないとも思ったが、同性も好きにならないのでたんに今恋愛をしたくないだけだと思う・

 彼は人間としてすてきだから好きだけれど、セックスはしたいと思わない。それじゃあ社会的地位の高い彼にぶら下がりたいだけの厄介メンヘラだ。しかセックスさせてくれないときた。そんなクズになってまで恋愛かいフィールドに立っていたくない。情けないし申し訳ない。

 友達に戻って彼と飲みに行きたい。手を繋がないで一緒に博物館に行きたい。一緒に食事がしたい。でも今は会いたくない。

 さよならを言うために約束を取り付けようと思って、彼が通う大学夏休みの期間を調べている。

 でも何だか会うのも連絡するのも嫌になってきた。

 こうやってぐずぐずしたまま、付き合い始めてこの夏で四年。嫌だ。

 生活が忙しくて、朝起きて夜寝るのが精一杯で、恋愛なんかやってる場合じゃない。

 そろそろ死んじゃおうと思っている。

 メンヘラはよく人生を虚無虚無言うけど例に漏れず私もやはり虚無を感じている。

 恋愛には向いてなかった。

 多分健康でいることが出来なくなった段階で恋愛なんかやめにしておけばよかったのに、彼の優しさでそれは人工的に延命措置を受け続けている。

 罪悪感はそれだけで健康を害するから排除しなければ、と、病気治療する上で判断出来る。だからさっさと別れようってメールを打てば良いのだ。

 参ったなあ。

 

まれて初めて教育委員会とやらに電話をしてみた。

と言っても先生告発するためとかではなく

中学校教育方針というか指導要領的なことを確認するために。

 

今年から中学の体育の先生が♂→♀に変わり

プール生理見学は減点、そのままだと内申下がるから嫌なら夏休みに補習受けろ』

と言われたらしく、女子の反感を買いまくったそう。

かくいう娘(中3)も昨日から生理が始まりガッツリあてはまる事態に…

 

去年までの♂先生レポート提出でOKだったので

女の敵はやっぱり女か…と変なことで感心してしまった。

 

ていうか、中3に内申下がるからとか脅しかよ!!

 

で、それを聞いた母としては

病気ケガならともかく自分でどうすることもできないそれこそ生理現象なのに女子だけ減点とか有り得なくね?」

と思ったので、一応裏を取っておこうと思い教育委員会電話して聞いてみた。

 

結果

「教委的にはそういう指導はしてない、学校というか先生方針ではないか

とのことだった。

ふーむ…

 

ということで、この後とりあえず担任電話して

(いきなり校長とか行かない方がいいという教委のアドバイスに従い)

事の次第を確かめる予定。

 

モンペだと思われるかもしれんが(こんなことで)

納得いかないことにはやっぱり声を上げなくてはイカンのじゃないかね?

と思う母でしたが、検索すると意外とそういう指導しているところが多いのに驚く。

 

生理つってサボるつがいからじゃね?」

っていう意見もあって実際そういう子もいるだろうけど(←実際いるらしい)

じゃあそうじゃない証明するためにその場でパンツの中身見せてやれば納得すんですか?

とか

股間血まみれで授業参加して同級生ドン引きさせてもいいですか?

かいろいろ考えたけどどれも現実的じゃないので

ひとまず冷静になって頭冷やしてから学校電話します。

 

2018-07-04

花嫁派遣行ってくる

大学夏休み間中2回参加してくる。

ウエディングドレス着るの初めてだ。

2018-07-02

趣味の一環としてのダジャレ翻訳

趣味の一環として翻訳していて3大困ること、2つはこれまでに書いてきた「日本語にその語彙のない言葉」「現地で有名だが日本ではそれほどでもない固有名詞」なわけだが、もう一つが表題のものだ。とはいえこれはダジャレに限った話ではない一般的言葉遊びも含まれる。

夏休みハートはドキドキ!」という映画がある。既に10年前の映画だ。残念ながら前回書いたような全セリフ字幕収録なんてことはしてくれないDVDが発売されているのだが、とある日本女優が出演していることもあり、是非とも日本語字幕付きで見たいということで野良英語字幕から翻訳を試みたのだが、これが意外と困難を極めた。

先達はありがたいもので、その苦労が書かれている文章がある。「夏休みハートはドキドキ!」という映画野良字幕(だと思う)をつけた人がその苦労話を書いたページがある。もう既に元のページは失われていて、Internet Archiveしか残っていないのだけど、以下がそれだ。

タイ映画 ピットタームヤイ フアジャイワーウン 「夏休み ハートはドキドキ!」 ปิดเทอมใหญ่ หัวใจว้าวุ่น Hormones

この人も字幕他所に公開しなかったようだが、苦労話を書かれているだけでも参考になるのはありがたい。

คำผวน(カムプアン)は日本でも地味に流行たことがある。これを知っている人はそこそこの年寄りだと思うが「スネークマンショー」の「ジャッキー大山」が「こなさん、みんばんは」という形で多用していた。今、念のために調べてみたところ、スプーリズムというらしい。こなさんみんばんは、みたいに意味の通らない言葉なら、通じるかどうかは別として日本語字幕でも再現可能なのだが、苦労話にもある「パンディー犬」(パンダ熊のคำผวน)や、自分をさして「猿」とするようなคำผวนはどうにかして訳さないといけない。前者はしょうがないので言葉をそのままカタカナ書きして意味をカッコ書きで付け加えた。問題後者だ。

そもそも後者は何のคำผวนなのか。答えは別ページに用意されていたらしいのだが、さすがにアーカイブにも残されていない。本人がトホホ、といいながら訳した言葉を信じて、"ลิงจั๊กๆ"(リンチクチャク)は"รักจริงๆ"(ラックチンチン)のคำผวนであろうとあたりをつけた。日本人はどうしても"チンチン"に反応してしまうのだが、"จริง"(チン)で本当に、"ๆ"(その繰り返し)で内容を強調するので、"จริงๆ"は「すごく」と言った意味になる。決して男性器とは関係がない。

そこまではいいとして「本当に愛している」をどうダジャレで訳せば「サル」が絡むようになるのか。3日断続的に悩んだ挙げ句、「愛ささる」という方言混じりのくだらないダジャレになった。他にいい訳があればご提案いただきたい。ちなみに野良英語字幕でこの辺どうしていたかというと、まるっきり無視されていた。คำผวนを利用したダジャレナゾナゾもあったが、คำผวนは無視され、ビールを用いたナゾナゾ勝手に変換されていた。そんなのでいいのかどうかは自分にもわからない。

คำผวน以外にも言葉遊びはある。別の「I fine thank you... love you」という映画には英語空耳的なダジャレが多用されていた。奇しくもこの映画にも「夏休み ハートはドキドキ!」にも出演していた、とある日本女優が出演しているのだが、だから言葉遊びがあるのかと言われれば偶然の一致だろうと思う。

具体的にはGuysがกราย(クライ、口語的にはガイ、近くで)に聞こえると言うので「I'm good. And I'm glad to meet you, guys?」が「私はコック ガス台では魚を近火で焼きます」という意味文章でのダジャレに変換されていた。見てわかるかどうかはわからないが、全部ダジャレ変換しているわけではなく、脚韻的に最後の部分だけダジャレ変換しているだけだし、goodがcookに聞こえるというのは日本語でも流用できるのだが、guysはどうダジャレ訳すればいいのだろうか。一応やってはみたのだが、あまりにひどすぎてここには書けない。勘弁していただきたい。

2018-07-01

日本の夏はクソ

ほんとクソ

しか夏休み欧米より少ないというクソ

7月から10月まで休みしろ

anond:20180630181900

…これね? 女子から意見だと仮定して、簡単理解するには、こう考えるといいと思う。


「性行為を売り買いするのが良い事」になった社会はどうなっていくか。


 金を持ってる男子はいいことづくめだけど、実は困るのは女子なんだよ。

だってさ、みんなやった方がいいなら、知性とか体力とか技術を鍛えてもムダじゃん。性的魅力と性交渉技術だけの方がいいじゃん。そうなると女性の魅力って金額とほぼ同じになっていくんだよ。後は性交渉の為のコミュ力トークとか身のこなし、ダンスなんかも?)くらいで、整形するのもお金いるからどんどん女性価値お金になっていくんだよ。人間じゃなくて商品になっていくわけ。

 もっと言うと、女の価値セックスだけになってく。

お婆ちゃんになったらどうするか、早い内に技術や魅力を磨くには何歳からがいいのか、色々あるけど売春がいい事なんだったら、できないのは悪い事でしょ?

 ……本当にそうなった方がいいのかなぁ、って思うんだけど、どう? 若い子は夏休みも近いから、ゆっくり考えてみるといいと思うよ?

//

 反応が多くてびっくり。

楽だなんて書いてないし、みんなやりたがるとも思ってなかったけど、「売春が良い事になった社会」の想像がだいぶ人よって違うんだね。

 スポーツ選手がそれ以外の自分価値を作るのが大変なように、女性努力しても結局は「幾らの値段が付くか」で決まっちゃうんじゃないかなって思ったんだけど。

スポーツみたいに参加するかどうかの自由は少ないし、結婚意味なくなっちゃうし、安い値段の人はそれで評価されないから他の能力を磨く、って見られるようにならない?

 性行為をする人はお金を掛けずにやる意味がないみたいにならない? 売り買いするのがいい事なのに、どうして無料でする人が出てくるの?

そうなったら自分の値段をみんな上げようとするし、結局はそれだけで判断される社会になるよね? って思ったんだけど。

 ……違うかなぁ。

2018-06-30

定期を少し先の駅まで買ってみた

勤務地より少し先の繁華街まで

1か月の定期代は170円高かったが

まあ使うだろう、と

今日出かけるので170円の元は取れるかな

けど逆に1か月に2度3度あるほどの機会ではなく

言うほどメリットがあるわけでもない

来月は夏休みもあるから定期は買わない

再来月は元の買い方に戻すかな

その先は勤務地すら曖昧

2018-06-29

夏休みの日程決まった!

飛行機取って今年は帰省するぜ!

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん