はてなキーワード: 土俵とは
アルセウスがSwitchのポケモンで最高の売り上げを記録するらしい
しかし自分はバサギリを倒すところで一旦やめて、そのあともドレディア討伐までは進むことができたが、やはり没入できなくて積みつつある
Twitterで友達のクリア報告や、RTで回ってくるプレイ動画やスクショの盛り上がりに対して、自分の冷めた目がなんだか置いてかれているようで悔しい
あくまで子供向けゲームなので30を過ぎた自分がハマらないのは実はもう自然なのかもしれないが、評価されているなりに楽しみたかったという思いが残る
以下自分なりにハマらなかった原因をまとめようと思う
今作はプロモーションの映像の段階から、BotWっぽい雰囲気が見てとれたのは誰しも感じたことだと思うし、その要素を期待する人も多かったのではと思う
実際にプレイしてみるとモーションのシステムなども流用しているのを感じる
しかし、BotWっぽさ?だけを比べると演出や探索要素の密度で大きく開きができてしまっているので初見で肩透かしを食らった
BotWはローンチながら上手いことハードの限界をこだわった演出などでカバーしていたのに対して、アルセウスのフィールドの見せ方にはお世辞にも上手いとはいえない
拠点となる街が一つで、ゲームがほぼ自然フィールドの中で行われるというデザインに対してこれは致命的だと思った
Switchというハードの限界はわかるが、アクションRPGという世界に飛び出すなら、ローンチのゲームに負けないほどには世界の見せ方にはもっとこだわってほしかったと思う
第二に、バトルがつまらない
今作の捕獲システムは以前のポケモンから一線を画すステルスアクションとなったが、肝心のバトルはほぼ変わらないポチポチバトルだ
フィールドやポケモンの捕獲がシームレスになったのに、バトルを挟むことでテンポが悪くなっている
ストーリーでのバトルがある程度つまらないゲームなのはずっと変わらないことなのだが、剣盾は大幅に進化してカメラワークなどで臨場感をうまく伝えていた
今作はバトルへの移行を中途半端にシームレスにしてプレイヤーを操作できるようにしたが故に、カメラワークがフリーになり、棒立ちのポケモンが技を繰り出しあうのをただ見るだけに劣化したと言わざるを得ない
ポケモンに対する捕獲orバトルというオペレーションの選び方が、バトルが相対的につまらな過ぎるので頑張ってステルス捕獲するという一辺倒なパターンになってしまい、結果的に捕獲のアクションにもすぐ飽きてしまうというシステムへの注力のバランスの悪さを感じた
ことに集約されている(しまっている)と思うのだが、肝心のポケモンたちには、生きているというより「配置」されているという印象を受けた
レンダリング負荷かからか、ポケモンのグラフィックも剣盾から落ちてなんだかのっぺりしているように感じる
残された観察・捕獲の楽しみの可能性についても、こだわって作り込まれているようには感じられず、最終的にはどこに没入すればいいのかわからないゲームになってしまった
まとめると
これらの要素をうまく隠蔽できてなかったのがハマらない要因なのかなと思った
今までのポケモンもポケモンであることに依存してたのはそうなのだが、圧倒的なポケモン本編の伝統を保っていたために、思い出もあってそれを感じることはなかった
今作はシステムやゲームデザインを大幅に変えて、新しい要素を追加したものの、それらの土俵ではゲーム全体として大きく遅れをとっている
ポケモンとしての進化以上に、ただのゲームとして見た時の粗やつまらなさが、ポケモンでは隠蔽できないほどに自分には目立ってしまった
この点で、自分にとってはポケモンらしさで全てをごまかせていた剣盾のほうがストレスなくプレイできたと感じる
ただ、やはり作品として圧倒的に評価されていて、SNSや YouTubeが盛り上がっているのを見ると、ポケモンの新作としては傑作であり、俺が新しいものを受け入れられなかったり他のゲームと比べてしまうのが良くないのだと思う(対象年齢もあってはない)
とはいえ次回作では、ただただポケモンというキャラを愛する人たちだけでなく、単純にゲームがしたい冒険がしたい人にもやりごたえを感じられるように改善して欲しいものである
「繊細な人」とも呼ばれるHSPがどのように考えて生きているか、一つのサンプルとして書き残したい。
私が生きる上で常に考えているのは「なるべく死にたくならないように生きる」ということだ。普通の人ならなんでもないこと、例えば道端で知らない人同士が喧嘩しているのを見かけただけでもHSPは心に傷を負う。きっと理解してもらえない感情だと思う。
ましてや、自分に関わることであればいろんなものがクリティカルヒットだ。会議中の発言ひとつでも、誰かの地雷を踏み抜かないかビクビクしながら発言する。他人の不快な感情を読み取ってしまった時、汚泥を飲み込むように苦しくなるからだ。
そんなことを考えながらまともに働けるはずがない。平気なふりをしながら仕事後、休日、ベッドの上で動けなくなってまた次の日には無理やり体を起こすのだ。
きっと今の社会は私たちにとって優しい社会ではない。他人どころか自分が傷ついていることにも鈍感になって働き続けられる、その他の人間と同じ土俵にいたら壊れてしまう。
かといって、疲れないように何もしない人生、休み続ける人生も死にたくなるだろう。死にたくならないように生きるのは本当に難しいことなのだ。
きっと、わがままな人種だと思うだろう。客観的に見て自分でもそう思う。じゃあどうしたらいいんだろう。タフガイたちに使い捨てられる人生なんてごめんだが、そうしないと生活すらままならない社会が目の前にある。
SSDを買った、初めてのSSDでWindowsの立ち上がりの速さは20年前のXPあるいは2000を思い出すぐらいには早かった
それが一か月もしないうちに壊れた。SSDではよくある話らしい、噂は聞いてたしそこがネックで買い控えしてた。ただしじゃあ元あったHDDにWindowsを戻せばいいじゃないと思うかもしれないがそれのやり方がさっぱりわからない状態だ。パソコンは壊れてる情報源はスマホだけだ。仕事の合間を縫ってあーでもないこーでもないと数インチの画面とクソみたいな入力を駆使し頑張ってみたが結局元あるデータの復旧は無理そうだとあきらめ何度もトライしてダメだったけど試しにやってみた再インストールに成功までたどり着けたのが10日ぐらいかかったと思う。
Windowsのインストールに成功しようやく土俵に立てた。俺は絶対に負けないようやくたどり着いたスタートラインだ。俺は頭がいいので事前にパスワードは定期的にDVDに保存していた。しかしそれははるか昔の話で今ではすっかり油断していた。数年前のパスワードデータだがアマゾンのパスワードは入ってた、だが間違っていた。結局登録メールアドレスに確認の合言葉が送られ事なきを得たがいかんせんデータが古いのであれこれ四苦八苦はしている。ようやくアマゾンへログイン出来タイトルのアマゾンとのバトルが始まった。ここまで読んでへきへきしてる人が多いと思うがその100倍200倍の労力をこっちはすでに消費している。おのずとカスタマーチャットでは満足がいかずすぐに電話での取次を求めた。抑えに抑えたけど声はどうしても怒りに震える。相手は定番の若い女の子だ案の定向こうはメーカーへの問い合わせを求める。ここはまさに責任の擦り付け合いの場であるため最低限の権利だけは譲ってはいけない。それを獲得するまで電話を切ってはいけない。最低限の話は差し置いて当然の権利も譲ってはいけない。正直言ってここでは半分根負けに終わった。当然の権利は獲得出来なかった。最低限の権利(メーカーが納得いかない対応の場合また問い合わせさせてもらいます。ということを納得してもらった。)を獲得し、今に至る。今日は日曜なのでメーカー問い合わせは休み。明日バトル。
2022年2月5日22時。某TOHOシネマズ第一スクリーン。
一際広い劇場内に敷き詰められたシートの中心の一席、J-22。
そこに一人の男性が呆けた顔で座っていた。
いや、特徴的なのはその顔だけではない。その両手両足を乱暴に投げ出し、尻は座面からこぼれ落ちそうなほどずり下がり、首は赤子のように垂れ落ちる。だがかろうじて眼球だけは、正面のスクリーンを向いていた。
何を隠そう、俺である。
炎上必至の数々のマナー違反は許して欲しい、レイトショーだからか左右どころかその列には誰もいなかったのだから、誰にも迷惑はかけていないもん、と駄々をこねることも許して欲しい。それになにより、彼は普段はこんなことはしない。映画に限らず定められたマナーを守る善良な一市民なのだから。原因はただ一つ、目の前のスクリーンに映る映像だった。
クソつまんなかった。
本当にクソつまんなかったなあ。
まず、俺は以前、こんな文章を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20220204190811
上の文章をまとめると「この作品はおちゃらけパロディ映画だと嘘をつかない広報をしているため、シンゴジラやパシリムを期待して見に行き、その尺度で批判しているのはおかしいぞ!」と言うものなのだ。別に「みんながクソ映画って言ってるけど、絶対違うよ!」と言ってるわけではない。
あえてハッキリ言うが、映画を観た後でもこの感想は変わらなかった。シンゴジラやパシフィック・リムとはそもそも土俵が違うので、その点で批判するのはやっぱりおかしい。
が。
それはそれとして、明らかにモチーフ、パロディにしている「特撮」と言うものについてのリスペクトが感じられないとは強く思う。
感じられないどころか、コケにしているのでは、とも。
そりゃあ、怒る人もいるだろうな、と。
パシリム二作とシンゴジラと、ゴジラが光線で空を飛ぶシーン、ラドンもそうだそうだと言うシーン、シェーをするシーンだけ知っています。この知識の質で比較して語るのは不可能どころか怒られかねないので、その視点では今回何も言えない。
あ、あとゼンカイジャーの2021年の放送分は見てました。今年に入ってから終わるのが寂しくて見れてない。おわんないでくれ……頼む……。
話を戻して、「そりゃあ不満が噴出するだろうな」と言うところ以外にも俺の目には悪い点がかなり写った。
ただ、俺はこの映画に対して怒りは抱いていない。
先程貼ったリンクからの文章に書いた通り、俺はクソ映画を見るのが好きなためだ。
なので、クソ映画を見るぞと思いながらお金を払ってクソ映画だなあと思いながら見てクソ映画を観たぞと今に至るため、何も裏切られていないからだ。
さて、これから感想の主題、いい点と悪い点に分けて感想を言っていきたいと思う。
・いい点
「倒された怪獣をどうするか?」という点は「なるほど!面白いところに気がついたなあ」と膝を打つものがあった。既出かもしれないがそれは知らん。
・悪い点
要は他全部。
いやー、酷かったな。
セリフで説明しすぎて不自然になってるし、ギャグは好みはあれど全体的に下ネタで塗れていて、しかも俺は下ネタが嫌いなので聞くたびに不愉快な気持ちになった。画面も凡庸すぎて目が滑る。演出に関しても、「映画を良くするため」のものはほぼないようなもの。
挑戦的なことをしろとまでは言わないが、映画として形を作る最低限のものすぎて、きつい。
「今何をしているのか」が全くわからない。
「今は作戦が始まっているのか?」「今ピンチなのか?ひと段落してるのか?」「あいつ結局どうなったんだ?」「今は結局誰が味方で誰が敵なのか?」が、観ていて全くわからない。
例を挙げる。
【怪獣の死体を水で流して海に捨てる】という作戦が始まり、死体は巨大な水流によって流され始める。
↓
しかし、口へと流れ込んだ水が何かがどうにかなって(不明)、なんと腐敗ガスが怪獣の尻から出てしまった!オナラみたいに!
↓
↓
場面転換、主役たちは別の場所にて沈鬱な顔で別のことを話し出す。ここからさらに数分後、次の作戦の話し合いが始まっているのでどうやらアレは失敗扱いらしいとここでようやくわかる。
……ん?え?は?
作戦はどうなったの?成功したの?失敗したの?失敗したなら、なんで失敗したの?
水流によって死体は「動いた」のであれば成功であり、「死体がオナラした」からって失敗にはつながらない。しかもそれをギャグで茶化しているのでシリアスなシーンなのかもわからない。「少し流れたけどオナラが押し戻しちゃった」とかでもない。なにこれ?
これはこのシーンだけではなく、ずーっとこんな感じなのである。
シナリオの整合性が取れていないため理解できない上に、演出も最低限で目を引くところがない。セリフも説明ばっかりでつまらない。ギャグに関してもクドくて下品で不愉快。うんこチンコゲロチンゲセックス……それが一瞬出てきてクスッと笑わせてとっとと引っ込めてくれるならともかく、つまんないくせに場面が変わってもまだ言ってる。
――この映画に「飽きた」。
脳の処理が虚へ向かい、耳は音を聞き流す。
目の役割は「スクリーンを見る」から「光を見つめる」とタスクがぼんやりし始める。
飽きた。
飽きちゃった。
飽きちゃったでヤンス。
これはとんでもないことである。
信じられない。
今でも衝撃を受けている。
少なくとも楽しいエンタメ作品のテイで作られた映画を観ている俺の心境は、「三回サボった大学の講義に参加している時」と全く同じなのだ。講義ならスマホをいじれるだけまだマシだ。スマホいじるなカス学徒!
同じ映画で例えるならば「2001年宇宙の旅」を観てる時とおんなじなのだ。音も場面も数倍賑やかなのに、おんなじぐらい退屈になっちゃった。
画面を見る気が失せ、後どのくらいで終わるのかを気にし始め、普段なら絶対興味ない窓枠の掃除の手順を思い返していた。
そしてやがて、俺が「捕まえたアルセウス、畑作業させたらギャップで可愛い気もするなあ。農作業に従事してたまに顔を見せるとこっちを観てニコッと一鳴きして挨拶するアルセウス……うーん、可愛いかも」とおおよそ1400円払って映画を観ている最中とは思えない、毒にも薬にもならなければ益体もないことを考えていると、ヒロインが叫んだ。ヒロインが叫んだらクライマックスの合図だ。意識が久しぶりに作品に向かう。
山田涼介が光の巨人になって怪獣の死体を抱えて飛んでいき、エンドロール。
俺の意識は再び虚に沈む。「いや、畑仕事はパルキアもいいかもしれない。水タイプだし」
俺はふと、なんで反響に対する文章を書いて、「三木聡が映画作ったんだぞ!」って言ったんだっけなどと考える。
「あ、そうだ。俺俺だ」
かつて「俺俺」と言う映画があった。星野智幸の同タイトルの小説を原作にしたそれを、俺は原作をいたく気に入り、映画の存在を知って借りたのだ。観た記憶はあるけれど、内容が思い出せない。ただ、ハッキリと思い出せるのは「この映画、何やってるのかわかんないし退屈でつまんない」と言う感想のみ。おんなじじゃねえか、なつかしいな、俺はクスリと笑う。この時映画が始まってから初めて笑った。
劇場が、明るくなった。
いやー、クソつまんなかったな。
ただ、多くの人からの批判を見る、「山田涼介が光の巨人になる」については反感はない。
序盤から「デウスエクスマキナ」と言うワードと「主人公の謎」はちゃんと敷かれていたので違和感はないし、過去の特撮物のヒーローを「デウスエクスマキナ」というものと定義した点はなるほどと思った。「最初からそれをやれ」とも実は思わない。「デウスエクスマキナ」は物語が収集つかなくなって初めて登場する物だから。
だけど、俺がこの映画について興味を惹かれた「この死体、どうする?」というテーマにおいて、やれることをやらずに終わらせた。というのはハッキリマイナスだ。
仮にこの映画がシンゴジラだったなら、「ゴジラを倒したけど、行き場を失ったゴジラの内部のエネルギーが爆発するーっ!」というところでデウスエクスマキナが登場するなら、それは好意的に観れる。
けどこの作品は死体のガス抜きをしただけで発動している。死体の処理の完了まではほど遠い。やれることはまだある、もっと散らかせる。ゴジラの例えを使えば在来線爆弾が当たったくらいのところだ。
これは擁護もできないマイナスだ。作り手側の事情を見せられることほど白けることはない。
総評としては、「映画を構成するすべてが下手くそであり、シナリオのテーマを書き切ることもなければ、そもそも意識や目を引くものが出されることなく、途中で飽きた」となる。
ギャグに関してはかなり個人的なものなので分けるが、「面白くないどころか不愉快だった」となる。
これにて、俺の感想は終わりだ。
俺はネットにおける「叩いていいものだから叩く」みたいな風潮が大嫌いなので、今後この映画についてどうこういうことはないと思う。別に怒りを抱いたわけでもないので。
それに関して、少し思うところがある。
実写版デビルマンが現れてから十数年、この作品のタイトルを出して何かを表現することがとても多くなった。
俺としては、それに強い反感を抱いている。
もし、まだお時間があるとするならば、別に投稿したものも読んでほしい。
では。
バイビ〜。
【余談】
なんて可愛いんだガハハと思っていたら、全く同じことをしている人がバズっていた。
クソが……!
https://japanese.engadget.com/apple-privacy-measure-cost-facebook-10billion-053028417.html
ATTがなぜアプリ限定なのかといえば、アプリの方がユーザーのアクティビティを正確に追跡できるからだろう
GoogleはGoogleでFLoCとかTopicsを開発しているが、これはユーザーのアクティビティを正確に追跡できない(かつ、これまで以上に追跡できなくなる将来が見えている)から研究されているわけであってな
土俵の違いによる待遇の違いを優遇と称するのならば、お前も同じ土俵に移動すればいいのではないか?
「情報」免許なしで教える公立高校の教員 全国で1100人超 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220202/k10013461891000.html
BIFF 平成17年教員免許の取得課程や採用制度についてのWG議事録。10ページ目くらいで現行制度の効果測定の有無を問われて異常な発言し始める文科省の方々。。https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/summary050712_01.pdf
d0id0i BIFF氏の参照した文部科学省の議事録、正直すごすぎて震えた。日本の教育制度ってこれで運用しているのか...
いや、なんでその議事録で文科省の方がおかしいということになるの…
同じ世界に生きてるようで、本当に見えてる世界が違うんだなあ。
単にあんたら、前川氏が嫌いだから何もかも揚げ足を取ろうとしてるんじゃない…?
議事録が話題になった当初は、前川氏に言いがかりをつけているワーキンググループの方がよほどおかしいと指摘されてたよ。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に - Not-So-News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
bottomzlife いや、これどう読んでも「教員の適格性」というものを"科学的に"定義できていないWG側がおかしいだろ。そりゃ官僚も定義を示せとキレるわ。大阪の「校長民間化」とおなじ当時の流れでしょ?結果大失敗してるんだが
is11045 これは今の加計問題と同じで、小泉竹中の規制改革の旗竿に乗っかって内閣府が文科省の制度改革に踏み込んできたので、前川としてはその議論の土俵自体をひっくり返そうとした訳で、背景まで見て論評すべき。
masgaram このやり取りだけだと文科省がまともで、委員が曖昧な要求をしてるようにしか見えない。全員同じ制度で教員になるなら、効果的かどうかは現状のその制度だけのデータからは分らないだろ、理性で考えろよ
abtendon 全文の要約。「俺が薬を出してやる」「どこか悪いんですか?」「どこが悪いか決めてやる、データ出せ」「なんのデータですか」「それはお前が決めることだろ!」「??」「地方自治法のエビデンスを出せ!」「??」
egory_cat 現行制度で特に問題がないのなら、現行制度のままでいいに決まってるだろ。「いや違う、問題がある」と言うのなら何が問題なのか挙げてみろと言われるだけ。
HarYos この文章を読む限りWGも文科省をやり込めるのが目的で、具体的に改革しようという気はサラサラないように見える。データだしてよ、何を出すかはそっちで決めてよ、じゃあ。もっと文脈を見ると色々あるのか?
yas-mal 福井氏の言う「効果測定」の意味がさっぱりわからない。新しいものを導入したときに効果を見るのが効果測定だよね?…現行制度の「効果測定」って何?何との差分を見ろと言ってるの?
son_toku 現行制度のエビデンス出せっておかしいでしょ。今の制度に決まったのはきまった当時のオーソライズがあるんだから。何もかもエビデンス(特に数値的エビデンス)によって決められるなら何も苦労はない。
siomaruko 流し読んだが前川氏の対応は至極まっとう、WGこそ論理的科学的に物言えば?て印象。12年前て安倍が愛国心だの美しい国だの過激な性教育がどうだのとわけわからん愛国電波発しながら教育現場に圧力かけだした頃だっけ
aramaaaa まるで冷静な学者に詰め寄られる官僚みたいな扱いだが、福井って言うのは元建設官僚、安念は弁護士で二人とも教育はまったく素人。こんな連中が教員免許制度改革をぶち上げてたのも恥ずかしいばかり。
kyoto117 「養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なもの」とは?それを文科側で考えて提示せよってエスパーかよ。別にできんことはないと思うが、そんな暇ねえし、そのままにしたらやらされる。辛い。
snobbishinsomniac 今の教育制度は戦後の教育改革に端を発するのに歴史的文脈もわきまえない素人とは話が通じないというだけ。世の中のあらゆる資格についてエヴィデンスを求めるのか。/役所の職務の正当性は法令で担保されてる。
kyo_ju 福井秀夫とか最近だと八田達夫とから辺のまともな理屈が通じない幼児的全能感に溢れた連中相手に毅然と応戦して偉いとしか言えんが。
udon-muscle そうは言っても世の中の制度が全部根拠があってやってるわけじゃないからなー。前川さんだってそんな事俺に聞かれても知らんとしか言えないだろう
sfken 教員免許制度をなくした場合の影響というエビデンスなんてどこかにあるものなんだろうか?ポル・ポト政権とかか?専門家の教育の取止めというドラスティックな案出すならそっちこそ根拠必要なのは当然では。
youkass912 ワーキンググループとか諮問会議の類は、素人がそれまでの経緯を知らずに結論ありきで詰問するので、官僚としては抵抗するだろう。この会話の是非も、委員らの「導き出したい結論」によるのでは?
t_massann 教員免許の試験の効果があるかないかを本当に議論しようと思ったら、免許を持たない人に教員になってもらって比較しないといけないんじゃないかな?これで前川さんがおかしいということになるの?
rauman-men 「自動車免許取っても事故や違反する人がいるじゃないですか。運転免許って意味あるんですか?何を根拠にこの制度を信じてるんですか?エビデンス示してください!」ってぐらいの難癖。
p_r_party いやーこれ分かる!前川氏の気持ち分かる!「まだ問題があるかもしれない。障害が無い根拠を示せ」と言い続けるバカSIerの元請けと同じ。エビデンス出せ、だけしか言えなくて、何処が問題か推論さえ言えないバカど
chopin14 WG側の「学業における単位取得が教員の適格性とどう関係するのか?」という問いは馬鹿だ。教員はまずもって学業を教えるのが仕事なので学業の知識は必要条件(十分条件ではないが)。それは成績=単位で図るのは合理的。
filinion 教員養成課程を改善しよう、ならまだわかるが、「今の免許制度は全然無意味!意味があるなら証拠を出せ!」って…。無免許教師と対照実験でもやるの? 運転免許や医師免許に置き換えたら、無茶な話だとわかるはず。
blacksorcery 現状、教員免許を持たない教師のデータがないのに、教員免許の効果を示すエビデンスを出せってのは無理難題。他国に比べてとか、もう少し疑問に対しての根拠がなければ議論にならない
kaerudayo こういうのが、印象操作って奴かい。で、改革で学力が上がったり、現場の疲弊感は下がったり、国民の満足度は上がったのか?
tenchikometen 議論を知らないと、こういう論評になるかな。基本、現状を変える、疑義を挟むほうが、まずは説明責任を負うのに。「現在の教員養成・免許制度が、教員としての適格性をどのように保証しているのか」無理な質問
world3 前川氏は何も間違っていない。文科省も規制改革会議も同じ国の機関なのだから、規制改革会議が「お客様」的な立ち位置で文科省に一方的に立証責任を押し付けるのは筋違い。
white_rose いちゃもん付けにつきあわされて大変だなとしか思えないのだけど、ブコメ見ると党派性でここまで目が曇るのかと
設定する目標の値によってかけられるコストの幅とか変わるだろうし、金だけじゃなくて時間もかかるし、馬に関して言えば成熟するまでの期間世話するコストがあるわけだから「どうでもいい馬100x100から生まれた100頭」を育てるよりは「優秀な馬2x2から生まれた2頭」の方が期待値が高いんじゃないの。血統書があれば、育てた馬がより高く売れたりするとかあるし。
【スペック】
・30前半
・180cm/68kgの標準体型
・ブサメン
・髪質が剛毛で縮れ毛でマジモンのチン毛を頭から生やしてる
【本篇】
学生時代のあだ名は「大仏」「スチールウール」「チン毛」「堅焼そば」「アフロ」「キモヲタ」と散々だった。すべて髪型に由来するあだ名だ。
一度坊主にしたらあだ名が「旧日本兵」になって野球部に円陣組まされた上に坊主でも天パだとわかる縮れ具合で「ボパ(坊主で天パ)」とか呼ばれ、坊主で行くアプローチはあきらめた。
小学生のころは明るい生徒だったが、中学生になり髪質が驚異的な縮れ具合を発揮すると、思春期の容姿に過敏な同級生たちは真っ先に俺をスケープゴートにした。
俺は神様がチャンスをくれてもう中学生にもう一度戻れたら俺の事を馬鹿にした同級生たちを二度と笑えないぐらいに半殺しにする自信がある。それぐらい散々な扱いを受けた。
今は恨んでないが、あの当時に戻れたら許せる自信が、正直ない。
上記のようなスペックの俺だが、オシャレなパーマをかけてると思われることが多い。
「やっぱり天パは髪質を活かした髪型にするのが一番良いんだよ」としたり顔で思ったお前、ぶっ殺すぞ。
俺が何をしているかというと、まず全体に縮毛矯正をかけている。
全体に縮毛矯正をかけてからヘアアイロンで癖をつけてパーマをかけてる風にしているのだ。
ヘアアイロンで熱加工するのは天パのままでも出来るじゃん。と思ったお前、直毛だな?俺にはわかる。
俺はアドスト、ヘアビューロン、といった高級アイロンを使ってきた(後者は詐欺みたいなゴミ商品だったので口コミ鵜呑みにして間違っても買わないように)が、やはりヘアアイロンで作ったストレートは湿度に弱い。
天パに一度アイロンかけてまっすぐにしてから癖付けをする手もあり、施術直後はうまく行くが、湿度等でアイロンが取れてくると髪質が明後日の方向にうねりだし結果見るも無残な髪型になる。
しかし、縮毛矯正をかけた上からヘアアイロンで癖をつけると、湿度でアイロンがとれてもゆるく癖が残り自然な形になる。
縮毛矯正がまっすぐになりすぎると悩んでいる天パ男子たちにはこのアプローチをおすすめした。
「自分の髪質を活かした髪型」という言葉は呪いだと思う。中には活かせる髪質の人間もいるが(毛束感のある天パ)すべての人間はそうじゃない。俺もそうだ。
矯正ヘビーユーザーになると「縮毛矯正をすると遺伝子に逆らってるような抵抗感」が出てくる人間がいる。俺もそうだった。
しかし、俺たちに天パにとって縮毛矯正というのは「半永久的な寝ぐせ直し」のようなものだ。
俺は悪い頭で必死に勉強して地方公務員になったが、上司に「寝ぐせぐらい治してこい」と言われたのを機に心がへし折れたことがあった。最終的に俺は公務員を辞めた。この感覚は俺たちのような重度の天パにしかわからない感覚だと思う。俺たちは素の髪型でいると社会に拒絶されるのだ。
人間は中身が大事というが、見た目がまもとじゃないと中身を見てもらえる土俵にも立てない。
俺と同レベルの天パたちよ、生きてると大変なことばかりだけれど、お互いなんとかやっていきましょう。
吉田秋生とか大島弓子とか田村由美とか羅川真里茂とか新井理恵とか岩本ナオとか好きで読み漁ってるけど、少年漫画に比べて少女漫画はつまらんとか言われても「ほーん(完)」で終わる話じゃん……、楽しいから楽しい物読んでんじゃないのか、噛みつく必要性あんのか、同じ土俵に立つ意味がよくわかんないよぉ……ふえぇぇ……。
大晦日にこんな意味不明で来年の運気が下がりそうな話はどんな場所を選んでも言えないけど、もういい加減しんどいので増田なら誰かがそんな人もいるのか程度に笑ってくれるかもと思って全て本音で書いてみる。タイトルの通り、なんともひどい話だと思う。それでも興味があれば、いろいろな人がいるなという感じで見てもらえればと思う。増田を見るのは好きだけど、初めて投稿するので何か不手際があったら申し訳ない。
長くなってしまったが本題に入る。自分は若手芸能人のリアコ(ガチ恋と言ったりもするが、芸能人等に本気で恋してる人のこと)なんだけど、その人に世界に羽ばたいてもらいたい、夢を全て叶えてほしい、と思う反面、なかなかうまくいかずに飛躍できずにいる姿を見るとホッとする。アンチに対して疑問はあるものの、ふとアンチコメが目に入ると安心する。芸能人にリアコの時点で理解に苦しむ人もいるだろうに、さらにややこしいことこの上ない。
タイトルの通りだけど、正確に言うと不幸になってもらいたいわけじゃなく、積極的に大成功を収めてもらいたいわけじゃない、という感じ。とにかく今は、推しが意外とブレイクをしないので、なんとか精神を保って応援(もはや応援なのかわからないけど頑張れという気持ちはある)している。最近は、この前始まったらしい何かの撮影の情報公開が怖い。主演映画なんてやろうものなら、鬱になってしまう。周りが、情報解禁楽しみ!と言っていて、そうやって純粋に楽しめたらなと羨ましい。
その意味不明な感情は、どういうわけで来るものなのか、自分で考えてみるんだけど、多分、リアコだから、と言うのが答えな気がする。え、リアコなら幸せを願うものじゃないの?と思うかもしれないが、リアコだから、相手がどんどん遠くの存在になるのがつらいのだと思う。
ただ、やっぱり一般的なリアコは幸せを願っているものなのだろうか?話を聞くと、どうやら自分のリアコのタイプは、巷のリアコとは異なるところがいくつかあるっぽい。
いや、自分みたいなタイプもいるのかもしれないが今のところ聞いたことない。自分もこのタイプだ!と言う人がいたらむしろ色々話してみたいので、書いておく。
私のリアコのタイプは、"結婚かそれ以外か"。結婚されれば一巻の終わり、結婚以外ならなんら問題ない。婚姻届に名前を書いたもん勝ち。私のゴールもここ。うっかり婚姻届にサインして入籍してくれないかな〜と思う。(だからなのか、不思議な話だけど付き合う妄想とかはしない)
そんなんだから同担拒否の気持ちは全くない。現場で誰かがファンサをもらってても構わない。だって結婚に関係ないし。まぁファンサされて結婚なんてことになるならそれは困るけど(そんなことはない)。
イベントに全通したいという気持ちもない。別に全通しても結婚できるわけじゃないから。グッズ等にもお金はほとんど使わない。むしろ、ファンサもらっても舞台に通っても雑誌を買っても何しても、それはファンである、ということをより一層突きつけられる、という感覚が強い。それはきつい。もちろんファンとしてはお金落とした方がいいとは思いつつ。
というか、世界一好きだからこそ、全くそのコンテンツに触れたくないというのもある。感情が振り回されすぎてしんどい。リアコが、イベントに全通しないと気が済まない、自分の知らない推しがいるのが嫌だ、と言ってるのをみてタフネスと思った。
SNSのアカウントはブロックしてるし、ミュートワードに入れてる。でもやっぱり好きな男だから、ふとした時に見に行っちゃって、それで病む。今もTikTokでファンの女が作ったキュンとするシーン集みたいなの見て意識朦朧とした。世界一好きな男が「俺のことだけ見てろよ」て画面越しに言ってくる。あなたは私のことを見てないのになぁと、本気で落ち込むから救えない。でも、そんな自傷行為がやめられない。どこかで心を痛めつけまくって、ふとふっきれるんじゃないかという感覚があるからかもしれない。今のところ傷を抉られるだけだけど、そのうち屈強なリアコハートになるのだろうか。
好きすぎるのに、向こうは自分のことを全く知らないというのは、つらい。この、どうしようもない感。やっぱりイベントに行けるリアコはすごいなと思う。それでも、自分も10回くらいは行ったことあるけど、肉眼で確認できるところに存在してるぶん、実際こんなに距離があるんだなと実感して、毎回私ここで何してるんだろうと思ってしまう始末。
芸能人に恋してると言うより、たまたま好きになった男が芸能人だったから困る。だいぶ話が逸れてしまったが、結局、手に入りそうもない男が、さらに手に入らなくなってしまうことが嫌で現状のままから遠くに行って欲しくないということなのだろうか。もはや結婚が遠のく云々は抜きにして、とにかく遠くに行ってほしくないという感覚に違い気がする。やっぱり違う世界の人間だなと実感したくない。そもそも、付き合って手を繋いだり、ハグをしたいという気持ちはそこまで考えたことがなく、ただひたすらに結婚したいというのも、対等にありたいという気持ちの表れなのかもしれない。同じ土俵に立ちたい、世界一好きな男と同じところにいたい。ここでふと、自分は、世界一好きな男自身になりたいんじゃないかと思った。推しの成功が喜べないのも、自分の現状との開きがつらいからなのかもしれない。なんとなく合点がいった気がするけど、そんなややこしいことがあるか……。
ところで最後まで読んでくれた人はいるのだろうか?思いついたまま書いた文を読んでくださって、ありがとうございます。