はてなキーワード: 単語とは
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「あと数年でその時代が来る」「私立大学の定員割れを考えるともう来た」とかそんな言説もあった。
なのに2032年って遅くない?って思ってWikipedia調べだけど、やっぱり後数年程度での話だった。
2024年入試時までに日本の大学への入学希望者総数が入学定員総数を下回る状況を迎えるとされる状況を指す言葉で、日本の文部科学省[2]もこの単語を用いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A8%E5%85%A5%E6%99%82%E4%BB%A3
https://anond.hatelabo.jp/20220813020838
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220813020838
この増田とブコメで王道ですねはバカにされている・されていないで意見が分かれているけど、
ことジャンプ漫画においては王道に安易だとかミーハーだとかそういうネガティブな意味はあんまりないと思う。
週刊ジャンプにおける王道漫画って王道ファンタジーバトル漫画のことであって、それ以外のジャンルは人気作であっても王道とは言われない。
この場合の王道は「正統派の」とか「ジャンプの歴代看板作品の系譜に連なる」くらいの意味合いで使われていて、「安易な、簡単な」という意味で使われてるのはあまり見ない。
王道って単語を新連載や賞受賞作の煽りや紹介に編集が使ったりもするし、バクマンなんかでも王道vs邪道という対立軸で違和感なく受け入れられていたし、
感想スレなんかでも王道だけどつまらないと言われることはあっても、王道だからつまらないと言われることはあんまりない。(王道でいいよねと褒めることは当然ある。)
呪術廻戦は間違いなくジャンプの王道漫画の系譜なので、往年のジャンプ読者がジャンプらしい漫画で面白いですよねって意味で王道ということは普通にあると思う。
考えてみるとジャンプにおける王道って思いのほかハイコンテクストなので、元増田が本来の別の意味に捉えてしまっても仕方ないけど、
二週間前から勉強したが、単位を複数個も落とした自分は、勉強量ではなく自分の記憶力が悪いんじゃないかと思うようになった
ここに所感を書く
頭の中で、覚えたいものの羅列を順番通りにストーリーに仕立て、そのお話ごと覚えることで、ものをまとめて記憶する技法
→覚えたい単語が5つだけならいいが、十個も二十個もとなるとイメージを留めるのに頭がパンクする
→「りんご」や「自転車」はすぐにイメージできるが、「ピロカルピン塩酸塩」や「NSAIDs」なんかイメージもストーリーも浮かばない
→ストーリーは自分が経験したことではないので長く頭には残らない
事前に自分が決めていた『場所』に新たにおぼえたいものが存在するというイメージを作ることで順番を覚える技法
→資格試験や定期試験に応用すると50や100の場所が必要になるので新しい場所を探すのが面倒くさい、そんな暇があるなら普通に覚えた方が速い
2桁あるいは3桁の数字から、人・行動・対象への変換表を覚え、数字に対応するイメージを組み合わせて1つのイメージを作り出して記憶する技法
→いや当たり前か。変換表なんか1秒で忘れるわ
→自分の体の部位は、動かなくても分かるので場所法よりは楽。でもやっぱり場所が尽きる。
→ケト原性アミノ酸とかカルバモイルリン酸シンターゼをどう歌にしろっちゅうねん
そう、記憶法はクソ
それが一番早い
これが分かっただけでも増田的には収穫だったという話
Twitterはとにかく哲学、社会学的な思考や思想の発信に向かないし、その上それを続けていると頭がバカになってくる。
まともな哲学書とかを読むとわかるが、100字以内に収まる文章があったとして、
その文章に使われている単語一つ一つをどのような意図や文脈、意味で使っているのかをグダグダと書いていかないといけない。
例えばマルクス・ガブリエル「なぜ世界は存在しないのか」などは
「世界という概念はこの世の全ての属性を包括した概念だけど、一元的な全てを包括する概念としての世界というものは意味として成立し得ないよ。世界というのはいっぱいあるよ。」
ということを、日本語訳で356ページかけて喋っている。
この356ページを必死こいて理解してやっと、どういう文脈で世界が存在しないとかいう意味不明な事をこのドイツ人のあんちゃんが言い始めたのかということが共有できるのだ。
それぐらいやらないと所謂「作者の気持ち」はわからないとも言える。
ところが文字制限があると、どうしても文章を短くしなければならなくなる。
文章が短くされる事象を考える上で大事な点は、「どこを削るのか」ではなく、「何を残すか」だ。
残されるのはほぼ間違いなく主張になる。
主張が残りがちというのは、例えばカレーが米と合うということをどうしても伝えたくて
「日本式のカレーは辛さの中にもたまねぎの甘さがあって味も濃いから米と相性がいい。」
という文章を考えたけれどもどうしても短くしなければならない場合、
「カレーは米と相性がいい。」とするのが妥当だろうという話だ。
「カレーにはたまねぎの甘さがある。」だと「で?」となってしまう。理由だけでは何が言いたいのかさっぱりになってしまうし、自分としても言いたいことはこれではない。
農協のポスターになら使えそうな文章だが、言いたいことは米と合うという話なので全く適当ではない。
そうやってトリミングしていった文章は最終的に理由が薄くて主張から主張に八艘飛びする文章、
そう、Twitterでよく見るあの押し付けがましいうるせえ~文章になる。
そうなると読み手は間の文脈を自分の価値観で埋めるしかなくなる。
例えばカレーはインドカレーしか知らない人が、「カレーは米と相性がいい。」という文章を見た時、
「日本式」という補足がトリミングされているので日本式カレーという文脈で考えることが出来ず、「いや、ナンとも合うけど何言ってんだこいつは。バカか?」となりかねない。
カレーの例えだとバカバカしさが際立つが、思想や社会問題の場になってくると「これぐらい知ってるだろ…」みたいな丸投げが読み手にも書き手にも発生するので、
それは「文字制限に収めるために省略した部分を、そのうち書き手が考えなくなってくる」
という事だ。これが「バカになる」という部分になる。
さっきも述べたように文章をトリミングする際は理由や具体例が削られやすい。
そこを書かずに、論理的な構築が文章の中で完結していない文章を書くというのは実は危険な行為になる。
自分の中で「完璧に筋が通っている」と思っていても、言語化すると意外にスカスカだったり矛盾があったりすることが多い。
しかし、文字制限があるとそこを「書かなくても良い」という風になり、次第にそこの言語化自体が省略され始める。
そうでなくても、書いているうちに「あれ文字数足んねえな」と駆け足で結論を書き始める場合もありうる。
なんとなーく見覚えがあるだろうが、「前半と後半で全然違う主題になっているようなツイート」というのはこのように成立しうると言える。
こうなるともはや思考は肝心の検討すべき部分が言語化されていないフワフワの状態で終わってしまう。
「いやリプライにつなげたりメモを画像化すりゃいいじゃん」という反論もあるだろうが、Twitterは短い文章のほうがウケる。
つまり、回ってくる文章は長いものではなく短いものばかりになるのだ。
こうなるとまず作者の気持ちすら読み解けない文章から議論がスタートすることになるし、
ウケるということは共感されやすいということでもあるので、最初は長く文章を書いていても徐々に短いほうが良いのかなみたいな誘惑が読み手にも発生する。
長文がウケないわけではないが、打率の差がある。
そしてそもそも長文自体もTwitterに毒されていた場合は、「ただ論拠に乏しい長い主張」になり得る。
彼らは僕たちの街を水底に見つけた!
これ歌の後のほうでも一切言及がない(たぶん)意味不明フレーズなんだけど、詩的ですげー好き 過去形なのがいい どういう意味なんだ
ハイハイ、って感じの内容なんだけど、実際読めるっていう文脈では全然なく、強がりで言っているというところまでなんとなく伝わってくるのがイイ
「部屋に君のものがいくつかほったらかしで、どうしたらいいかわかんないや」
やや投げやりな感じな歌い方とあいまって、なぜ「どうしたらいいかわからない」のかは、長く付き合ってそれなりに繋がりのあった恋人との関係が、急になくなってしまったからだというのが、歌い出しだけでわかってしまう!
何言ってんの?
ティモシーって歌で、1秒の前奏もなく、いきなりティモシーと歌い出す これに勝る歌い出しはないよ
さすらいって歌でさすらおう!って歌い出すのマジで性格がいい感じがする
Extrañarは恋しがる的な意味で、「これは恋しがることについてのメロディ」的な歌い出しなんすけど、まさにそのmelodía de extrañarが曲名なのがいい
人生はときにあまりに邪悪だから、僕たちはその純粋さに気づけないことがある!
いいフレーズすぎる
こういう、人生を悪くいいながら良くもいうようなフレーズってすげえ好きなんすよ
これが歌い出しにくるのがまたいい
「君に言いたかったことがたくさんあるんだけど、どこから始めていいかわからない」
内容自体はまあフツーなんだけど、何がいいって、俺でも意味がわかる程度の文法・語彙だってところ!
厳密にいうとvolevoの時制の意味は微妙にわかんないんだけど、でも大意はわかる!
〜したい、言う、たくさんの、こと、でも、〜ない、〜から、どこ、始める
イタリア語の響きってかなり好きなんだけど、なんせ分からんので、たまにわかると嬉しい
「今日ぼくは宣言する、人生とはただ奪うことであり与えることではないと、イングランドはぼくのものだ、ぼくを養う義務がある」
「むかし彼女がいたんだ、あるいは彼女に僕がいたというべきか」
ノルウェイの森だという意識を持って聴くと歌い出しからキモい感じがしてかなり良い
or should I sayの精神は大切にしていきたい
「いなくなった犬をさがしているんだ」
曲名がEl Perro、ザ・犬で、歌い出しがこれで、ずっと君が必要なんだって歌って、最後は「どこにいるんだい、友よ…」を連呼して終わる
歌い出しから一貫してるのがいい
「たぶんそう」
tal vezは多分、asíは「そう・こう・そうやって・こうやって」あたりを全部担当する謎の単語
ということは、maybe so 的な感じで、メチャクチャ訳しにくい
切ないメロディで、セクシーな男がtal vez así と歌い出す なにがasí なのかは不明
「眠りの手」部分の意味が全然わからないんだけど、それがいいんですよね
でも、ね!むり!のて!って切って歌い出すのは本当に気持ち良すぎる
「海を越えてはるか遠くから、エリトリアの乙女がやってきた、彼女が僕に向けたのはまっすぐな心と目、その目は戦争で半盲だった」
このフレーズのどこが好きって、最後のhalf blinded in the warの付け足し方なんすよ
彼女が僕に目を向けた、つった直後にその目に重い修飾をつけてくるのが渋すぎる
「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」「語源となったのは『真夏の夜の淫夢』」*引用元1
という増田に対して
というツッコミが入り、このコメントは累計58のスターを獲得した。
という文章であった(蟹工船の中でガバガバが使われているのこの一文のみ)。
これは布などのこわばりを意味する意味でのガバガバであり、増田の指摘するグダグダ(ガバマンからの派生だと思われるのでどちらかというとユルユルだと思うが)という意味ではない。
manamanaba 蟹工船、青空文庫にあったから検索してみたけど"垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ"なのでこれはまた違う意味と思う
versatile 「寝る前に、漁夫達は垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツを脱いで、ストーヴの上に広げた。囲んでいるもの達が、炬燵のように」蟹工船から抜粋 https://www.aozora.gr.jp/cards/000156/files/1465_16805.html
mag-x まず蟹工船は「こわばっている」の意味だから別系統。肛門を含め「ゆるい」が淫夢以前から存在したのも間違いない。ただ「判定がガバガバ」のような「雑・杜撰」の意味が淫夢以前にあったかどうかは議論の余地あり。
a1dog 意味の全く違う蟹工船からの引用は反論にならないだろ。昔からあったはずだと言いながら用例が一つも見つかっていないのなら増田のほうが正しいんだろうな
この発言をしたこととそれが伸びてしまったことは書き手の日本語力及びはてなーの確認能力の低さを浮き彫りにしている。
具体的には以下の
1 「ガバガバという言葉にグダグダという意味が生まれたのはここ10年のこと」
2 「垢でスルメのようにガバガバになったメリヤスやネルのシャツ」
のどちからの文章、もしくは両方が理解できなかった、ないしは他人の発言を鵜呑みにしてソースを確認しなかったことによりそれは生まれている。
まず考えられるのが1の文章を「ガバガバという言葉が(グダグダという意味を持って)生まれたのはここ10年のこと」と解釈した可能性である。
これは「に」という接続詞と「が」という接続詞の意味を知らなかった可能性を指している。
次に考えられるのが2の文章を「垢でスルメのようにグダグダになったメリヤスやネルのシャツ」と解釈した可能性である。
垢(作中の描写はないが潮の影響もあるだろう)でスルメのようになるというのは硬い状態、オノマトペで言えばカピカピやゴワゴワに近い。
グダグダをクタクタと勘違いしたにしても、スルメのカチカチなイメージとは結びつかない。
つまりこの文章の意味におけるガバガバをグダグダと結びつけるには文章の意味を理解していなければ出来ないのだ。
今回、多くのブクマカがこの間違いを指摘してくれている。
ソースを示したブコメに対しては54のスターが入り、ガバ指摘の58にも迫る数となっている。
だがコレを持って「はてなは自浄作用があって素晴らしい」で終わりにしてはいけない。
次からはこのような頭の悪い発言をしない、そしてそんな発言に対してスターを安易に付けないことが大事なのだ。
そのためには「ソースの確認が自力でもできる発言は出来るだけソースを確認。ソースをまともに掲示しない発言は無視」という癖をつけるべきだ。
これはなにも発言者の心をサイコメトリーできる超能力者でなければ出来ないようなことではない。
小学校で習った日本語をちゃんと理解すれば出来ることであり、小学生にだって出来ることだ。
こんなことを言われるのは恥ずかしいことなんだぞ。
ここまで頭が悪いやつにどう教えたら良いのか俺は分からんから勉強のやり方については誰かブログにでも書いてホッテントリにしとけ。
わかったな?
なにが違うんだろう。
女同士の友情だと思ってたのが百合になってしまったときに対して男の友情がBLになったときのノイズ感は5倍ぐらいの強さがある。
なんでなんだろう。
全然分からんなりに考えると、女の友情は最初から複雑な関係性を持ってるけど、男の友情はシンプルで馬鹿っぽいというイメージがあるのか。
物語で描かれる男の友情にライバル関係が強く描かれがちなのも大きいか?
女同士でライバル関係だとエースをねらえ・ガラスの仮面辺りだけど、あれでお互いに意識してる理由に性欲が混ざってきたら一部の性欲モンスター以外にとっては急激につまらない作品になるだろうな。
つまり、百合とBLの違いではなく最初に存在した友情のあり方の違い?
女の友情は最初から恋愛に近い側面があって、男の友情は恋愛とは程遠いということか。
うーむ仮説の域を出ないな。
まあ尻の穴にチンコ突っ込んでウンコ漏らしながらセックスしているイメージが最悪ってのはあるんだろうな。
でもそれいったら女がバイブ付きパンツ履いてるのもキャライメージ崩れるしなあ……。
!_?
百合やGLはバイブ付きペニス付けないパターンもあるが、BLの場合はアナルにチンコを入れるパターンが確定しているという違いがある!
つまりBLでも薔薇でもない「ケツ穴にウンコまみれチンチンを出し入れしない男性同士の恋愛関係」を表現する単語が存在すればイメージが大きく変わるんだ!
いやーゆーて女同士が乳首弄り合ってるのと男同士で乳首いじり合ってるのだとやっぱ違うっすわ。
うん。
まあやっぱ根本的な所で男のネコが気持ち悪いってのがデカイんやな。
いやゆーて兜合わせもキモイわ、貝合せもキモいっちゃキモいな。
じゃあ駄目じゃん。
あーあれだ。
女はイってもAVみたいにそうそう潮吹いたりせんから面目が保ててる。
この違いだわ。
ごめんなにいってるかわからない
2022-08-06
この前、飲みの席で同僚と某アニメの話になったんだ。
熱が入って矢継ぎ早に話してて、隣に居た女の子から「何言ってたか全然分からなかった」と言われた。
そこで思ったんだけど、このときの「分からない」って、専門用語的な単語のことだと思うんだ。
そのアニメを見てないと分からないという意味では専門用語的なものだと思うし、実際に見たことがないと分からないし。
でだ、たとえば全然フランス語を知らない人が、知らないフランス語の単語を言われたら何言ってるか全然分からないでしょ?
そのときの「分からない」と、言葉は聞き取れるけど言葉の意味が「分からない」。
個人的には実はそれほど違いがないんじゃないかと思っていて、普通に考えれば全然違うように思える。
だって一方は言葉を聞き取れてて、もう一方は言葉の意味どころか言葉自体を聞き取れていないんだから。
でもどっちにしろ言葉の意味が分かっていないことは同じで、本質的には同じなんじゃないかと思う。
たとえばプログラムなんかで記述が間違ってるとPCはその意味が分からないから反応しない。
意味が分かっているならニアミス的な記述ミスは「あ、これって○○を入力しようとしたんだな」と判別して修正するだろうから。
同様に、ある言語のものに違う言語を使えば当然プログラムは(それ単体では)動かない。
よって言葉自体を聞き取れていても「意味が分からない」となると、実際にはその言葉を聞き取れずに「分からない」ことと状態としてはほとんど一緒なんじゃないかって思う。
自分は淫夢を1ミリも見たことないので、何が語録か全く分からない。いくつか淫夢由来であると知っているフレーズもあるが、知らずに使っているものもあるかも知れない。
ネット空間におけるミームや流行語は、調べてみると思わぬルーツのものがたくさんある。
元ネタを知らずに大衆に定着してしまうことも多々あるし、その際には本来の意味が失われていることも。
2ちゃんねる由来の言葉がめぐりめぐって女子高生に流行ったというのもその例だろう。
そのような状況を踏まえた上で、淫夢由来の言葉が使われないようにするのは現実的には困難に思える。
ニュアンスが変わってしまった言葉も狩る必要があるのかその妥当性を考えないといけないし、
そもそもどれが語録か分からない人間もいるので、禁止用語リストを作って周知する必要もあるだろう。
このブクマでは淫夢が対象に挙げられているが、他の言葉の由来にだって、本来何かに対して否定的だったり差別的だったりしたものもあるだろう。そういったものを許さないという観点に立つならば、世のあらゆる単語に対して語源を精査した上で使うべきということになるのではないか。そんなコストは到底負えないだろう。
不快に思う人が現在誰もいない言葉ならばいいとか、既に定着しているものに関しては問題ない、というのであれば、淫夢語録もいずれ時が経てば廃れていくか、由来を離れてフレーズそのものが独立したものとして定着していくだろう。文脈やニュアンスも変わっていくかも知れない。大元を知らない傍目の人間からは、いまその過度期にあるように見える。
はてなーの質の低下がいよいよ来る所まで来てるんですよね。
誤読に継ぐ誤読、文盲を繰り返すことへの慣れ、単語だけをピッキングして自分のしたい話に繋げるために文脈無視し続ける人達。
まず最初にあるのは「俺は凄い」「故に他の奴は馬鹿」「でもどうしても勝てないやつは褒めよう」「褒めるってことは俺の仲間と認めるということ」「つまり俺は凄いから凄い奴は仲間と認める」「俺が仲間と認めた界隈を馬鹿にするな」「俺は凄いということを否定するな」「俺が俺が凄いと認識するためにもっと褒めろ」「俺の凄さを証明するものはお前らの称賛だ」といった無根拠でありながら肥大化しそれでいて常に不安に怯えている他者依存性の高い自己肯定感から来る党派性。
これに凝り固まってしまうともう世の中にある物事を「自分が凄いとアピールするために利用する」「相対的に上に立つために踏みつける」といった目でしか見れなくなる。
そしてそれを繰り返し続ける界隈から受けたフィードバックによりそれを当たり前と感じるようになる。
「文章は読むものではなく単語をピックアップして自分語りかマウンティングをするもの」という認識を当たり前と思い込んだエコーチェンバーの行き着く先は誰もが文章を読めないインターネットだ。
そこにはもう秩序もなく倫理もなく知性もない。
俺はもういい加減限界を感じた。
ツイッターならばTLの構築で日本語の読める人間を集めることが出来る。
これ以上「日本語を読む必要なんてない。単語だけピックアップすればいい」の風潮に晒され続けてはいけないと本能が告げている。
文章の読み方が分からない癖に思い込みで喚き散らすような老人になる前に「文章の読み方なんて忘れても良い」と認識し始めている脳を覚ましておきたい。
この年になって0から読み方を学べる自信がない以上は、今覚えてるものを「不要なもの」として手放さないようにするしかないのだから。