はてなキーワード: ヘビー級とは
>つまり増田が言いたいのは、お金で勝ったのはロスチャイルドのみ、あとは全員負けってこと?
そうだよ
ロスチャイルド家が生まれたときからヘビー級ボクサーの体型なのに
下々がコロポックルで汗水たらしてボクササイズやって粋がってるのが資本主義経済
ちなみにロスチャイルドならいくらでも筋肉量増やせるしコロポックルに減量を強制させれます
>それとも、そんなことはないので世の中お金じゃないぞっていいたいわけか?
ロスチャイルド家以外はお金で上位に食い込めないんだから途中でお金を追いかけるのをやめてスピリチュアルに逃げる
莫大な富を持っている個人資産家が寿命を前にして愛とか慈善活動に目覚めるのは
よく「おいさき短いのに金持ってても意味が無い」っていうけど
それを解決して永遠に子々孫々が裕福なままにしたのがロスチャイルド家
だからちゃんと答えはあるけど1代では到底無理だし
その子とはよく一緒に下校していたんだけど、ある日の下校中に彼女が
俺が人が来たらすぐに言えるような形で見張りに立ち、彼女は草葉の陰で用を足した。
その日以来、何故か彼女は下校中に催すことが多くなり、
最初は彼女が完全に見えない場所で背中を向けて見張っていた俺に
最終的にはしゃがんで用を足す彼女の目の前で、向かい合わせで見張るスタイルになっていた。
要は完全に丸見えスタイルである。小学生の性癖なんて、そういった知識がない分、
いつどんなものが目覚めるのか予想もつかない。今思えばアレは彼女に芽生えた特殊な性癖だったんだろう。
その後俺は小5の終わりに転校をし、その後彼女とは一切会うことはなかった。
そんな中、わずかに親交を続けていた当時の男友達数人と久々に飲む機会があり、
幹事はその男友達の内の1人が請負い、旧友に手当たり次第に連絡を取っていくことに。
当然「誰がくる」という情報は流しているもんだから、俺が来ることも連絡内容には入ってる。
俺は心の隅で(あの子今何してるのかな。とてつもない変態になっていたらどうしよう……)などと考えつつ、
(まぁ普通はそんなヘビー級の黒歴史を知っているヤツがいるなら顔を出さないか)と高を括っていた。
ところが同窓会の2週間ほど前、幹事が送ってきた出欠名簿の彼女の名前に「○」が付いていたのである。
これには流石に驚いたが、30手前になって昔のことを掘り起こす程俺も野暮ではないので、
当日はそのことに一切触れずに、普通に楽しもうと思っていた。
同窓会当日。
会社員は休みの土曜日だが、サービス業に従事している連中もおり、
会場の居酒屋に徐々に人が集まってくる感じで同窓会はスタートした。
俺はとりあえず在学中に仲が良かった連中と座り、昔話に花を咲かせていた。
暫くしてトイレに立つと、入り口あたりでキョロキョロしている同い年くらいの女性がいた。
「あの、もしかして○○さんですか?」と声を掛けると、彼女も「あ!?××君!?」とすぐに俺だと気付いた。
彼女は仕事帰りなのか、黒ジャケットに白のスラックスといった感じで、
ショートカットがとてもよく似合う、所謂「カワイイ系」の女性になっていた。
「今は銀行で受付業務をしてるんだ」彼女はハキハキした笑顔でそういった。
いつの間にか隣同士に座り、気が付けば思い出話を肴に、結構な数のグラスを空けた。
(この調子だとあのことを完全に覚えていないか、もしくは俺が覚えていないと思っているな……)
正直少し残念に思った俺もいたが、まぁそれはそれで、と楽しく過ごしていた。
暫くすると幹事が「そろそろ店を出なければいけないので、
2次会行ける人はカラオケに行きましょう」と言い、その場はお開きになった。
俺は少し離れたところに住んでいるのでここいらで帰ろうと考えた。
するとおしっ子が酔いのせいで赤くなった顔で、
「もう少し××と話がしたい。2次会行こう?」と俺のシャツ裾を引っ張った。
正直に言おう。この時点で俺は(今晩は『宿泊費』という出費がかかるな)と確信した。
カラオケに移動する。人数が多かったので、2部屋に分かれた。
おしっ子は女性陣に引っ張られて別の部屋に行きそうになったが、
「××と話がしたい!」と勢いでこっちの部屋に来た。
もう一度正直に言おう。この時点で俺は(今晩の為に今からは水を飲もう)と決めた。
俺とおしっ子も時々歌いながら話をしていた。内容は居酒屋での話から更に進み、男女の内容になっていった。
おしっ子は2年前に彼氏と別れて以来、ずっと独り身だと言った。
「俺もそんな感じで独りなんだよねー」と言うと突然彼女が俺の太ももに手を置いた。
(キタかッ!)と思うと、彼女は俺の耳元で「ゴメン。ちょっとトイレ。どいて」と言って、部屋を出た。
拍子抜けしながらも俺もタバコを吸おうと思い、彼女の後に続いて部屋の外に出た(部屋は禁煙)。
そこに向かっていると、トイレの前で立っているおしっ子がいた。
「どうした?」と声を掛けると、
「うちらのグループじゃないけど、吐いてる女の子と介抱の子がいて、中に入れない」とのこと。
「別の階のに行けばいいじゃん」と提案すると、彼女は「そっか(笑)酔ってて考えが回らなかった」と言い
「じゃあ付いてきてよ」とまた俺のシャツの裾を引っ張った。
(あれれ!?まさかこれは……)と思っていると、彼女は明らかにお酒のせいではない程顔を赤くして、
「そう言えば昔もこんなことあったね…」と言いながら俺の手を握ると、
「今でもまだ見張っててくれるの?」下を向いたままそう言った。
鯱
イルカの仲間では最大の種.
世界中に存在するし,サメよりも肉食のくせに人間を襲う例はかなり少ない.
頭がトラで体が魚.背中には何重ものトゲを持つ.尾ひれは常に空を向く.
地中海でも見られる.
二人の人間がボクシンググローブなどを拳に装着せずに素手で対戦する。
19世紀のイギリスではじめてボクシングの競技にグローブ着用などを義務づけた.
ounce
ジョン・ローレンス・サリバン.
耳噛み事件などが有名.
テクス・メクス料理の一つ.
一般的にはメキシコ風のアメリカ料理を表す際に使われる言葉である。
など
1609m
4の2乗と3の2乗と覚えればいいのだろうか.
相撲で横綱・白鵬が猫だましで勝ったのに対し批判がなされた件に関して、ブコメがたくさんついてるけど、イマイチ相撲に誤解がありそうなコメが多かったんで、なぜ批判されてるか簡単に解説。
そもそも、相撲は西洋発祥のスポーツと根本的に異なることがある。
それは相撲がルールに意図的にグレーゾーンを残してることだ。今回の「猫だまし」やよく批判にあがる「立ち会いの変化」はどちらも奇襲戦法なんで、このグレーゾーンに属する。
じゃあ何でグレーゾーンを残しているかというと、その理由の一つに、相撲が番付制を採用していることがあげられる。「番付」って言ってよくわからない人は、要するに一番から順に力士にランキングがついてるんだと思ってくれればいい。
で、相撲を実際に見てみればわかることだが、番付が低い力士が番付の高い力士に勝つのはなかなか難しい。
だから番付が低い力士への「救済措置」として、自分より番付が高い力士と戦う場合に限りグレーゾーンに踏み込むことが暗黙に認められている。
逆に番付の高い力士が低い力士に対して「救済措置」であるグレーゾーンの戦略を取るのは批判される。とくに今回は横綱・白鵬。最強のチャンピオンが格下相手に「弱者への救済措置」の技を使ったようなものだ。だから批判されたのだ。
一方、猫だましで有名な舞の海は、チャンピオン(横綱)ではなく、しかも小柄な力士だった。だから猫だましをしても批判を浴びず、むしろ賞賛されたのだ。
こういう話をすると「他の格闘技、例えばボクシングではルールにグレーゾーンを残してないのになんで相撲だけグレーゾーンを残すんだよ」という反論がくるかもしれないが、それはボクシングは階級制を導入して極端な戦力差のある戦いを排除してるからである。
相撲の場合はボクシングでいうライト級の選手がヘビー級の選手と同じ土俵で戦うので、弱い側の選手にこの手の救済措置が必要になるわけだ。なのに今回はその救済措置を強い側が使ってしまったのだ。
最後に。横綱・白鵬は歴史に名を残すほどの最強の力士だ。しかし最近は全勝を逃すことが多いなど、やや弱体化したことは前々から指摘されていて、先場所は遂に休場した。
こうした事への焦りが今回の猫だましに繋がったんだと思うけど、一ファンとしては晩節を汚すことなく全力で戦い、それで無理になったら栄光のうちに勇退してほしいものだ。
保守派は疑っている。
何故か。
例えるなら、日本はヘビー級の絶対王者であるアメリカにボロ負けして以来、
ひたすらトレーニングとスパーリングのみを繰り返し、試合は一切していないボクサーのようなものだ。
そのブランクはなんと70年にもなる。
これでは果たして試合に出た時に、ちゃんと動けるのかと不安を抱くもの当然だ。
無論、保守派は自衛隊の背広組、制服組ともに知己を得ているだろうし、信頼してはいるだろう。
だがそれでも…、という思いは拭い去れない。
あわよくば、戦闘に巻き込まれて自衛隊が実戦経験を積むことを目論んでいる。
果たして自衛隊は人を殺せるのか、引き金を引けるのかどうかを確かめたがっている。
憲法九条や野党の手前、積極的に戦闘に参加させるわけにはいかないので、
それなりの言い訳を拵えつつ、危険度をじわじわと高めていっている。
発火点はいつ、どこになるのか。
誰にも分からない。
でもそれは隔離なんかじゃなく、経済的な結果はちゃんと出るから、絶対にそれらの社会は大きな影響力を持つようになる。それこそが発展だと思うな。
スポーツとかで、女子ゴルフとか女子バレーとか、ちゃんと分けてやってるけど、ショービジネスとしての収益はちゃんと一定数確保できるわけだから、ひとつの商売として成り立つ。ショースポーツにおける結果というのはスポーツ能力の絶対値ではなくショービジネスとしての収益だからな。
女性社員を入れて役職者にしてどうこうっていうのは、男性のスポーツチームに女性を入れるようなものだ。女性だけでやらせればおもしろいコンテンツ、商品が生み出せるんだよ。
男女の平等性の第2段階というのは、第1段階の失敗を踏まえてるものだと昔高校で習った。
それは、ボクシングの階級別にチャンピオンがいるように、男性の1位と女性の1位を同じように1位として賞賛することだと。例えばボクシングだと、直接対決ならそりゃ軽量級よりヘビー級が勝つだろうが、軽量級同士を争わせると、ヘビー級にはないおもしろさが生まれるんだよ。すばやさとか技術とか。だから軽量級同士の試合もちゃんとショービジネスとして成立する。
経済学部生でもないのに、学部教養でかじった程度の経済学の知識で書いてしまいました。
間違っていることも多いと思います。ごめんなさい。
さらっと書いてるけど、好きで調べたりしている人以外には、こういうのがとてもわかりにくいと思う。
自分自身がそうだったからだ。だから簡単に説明してみようと思う。
この証明書を裏付けるのは金の価値。みんなが、「金は高価だ」と思っていて、食べ物や服や家具や機械とか、あるいはおねーさんと酒のんでおしゃべりする権利とかと交換してもいいと考えている。でも、金そのものを持ち歩くのはいろいろと面倒だしあぶない(財布の中に入れておくとすり減ったりする)から、金庫屋が金を預かり、かわりに「金と交換できる券」発行している。それをみんなが金の代わりに使っている。
これはむずかしい。
なんでかというと、この場合の紙の券は、なにか具体的なモノと交換できる証明書ではないから。
とすると、それは一体なんなのか?簡単化した単純な例で考えてみる。
まず登場するのは、超できる男として有名な出来山さん。この出来山さんがお店を出すことになった。お店を出すには仕入れが必要になる。しかし、裸一貫の出来山さん、仕入品の代わりに提供できるものがまだない。そこで、出来山さんは業者の人にこう言う。「この店がうまくいったら、色をつけてお礼するから、まずは仕入品を納入して欲しい」。仕入れ業者の人は「出来山さんは超できる奴。多分、出来山さんのお店は繁盛するに違いない。まだなにもない出来山さんだけど、そこに納入すれば、後々いい商売になるだろう」と考える。そこで、仕入れ業者は、まず出来山さんのお店に品を納入する。出来山さんは、お店の将来の売上から、仕入れ業者に色をつけて返す約束をする。
出来山さんは、その仕入品を使って自分の商品を魅力的なものにするために色々な努力をする。そして、商品の売上から、仕入れ業者に、前借りしたものよりも多くを返す。そうすると、仕入れ業者は「出来山さんと商売しているとこっちも儲かるな」ということになって、もっと大きな商売をさせるために、仕入れ品をもっと納入するようになったりする。
さて、ここで、出来山さんを日本政府(あるいは中央政府)、仕入れ業者を日本銀行(あるいは中央銀行)と考えてみる。
出来山さん(日本政府)の商品というのは日本経済そのもので、出来山さんの手にする売上は日本経済からくるアガリ(税金)だ。仕入れ業者は、出来山さんの商品(日本経済)が魅力的(活発で生産的)だと見込んで、紙幣を「発行」して出来山さんに貸しつける。つまり、相手がリターン(利子)を返してくれるだろうという「信用」によって紙幣=マネーが生まれる(creating money)。だから、不換紙幣のマネーというのは、兌換紙幣のマネーと違って、モノとは交換できないけれども、より大きなリターンを返してくれるだろうという信用を形にした「信用紙幣」ということになる。
普通、通貨は国単位、経済体単位で流通している。例えば、日本なら1万円券や1千円券の日本銀行券、あるいは、造幣局が発行する100円硬貨なんかが流通しているし、アメリカならドル紙幣が流通している。だから、この信用紙幣の「信用」は何に対する信用なのかというと、その通貨が流通している経済体そのものが活発で成長する、あるいは(すくなくとも規模を維持して)その他の経済体に対して影響力を持つことへの信用だ。例えば、「(日本円を使ってモノを交換している)日本経済がドボンしないだろう」とか「日本円で買える日本の商品が欲しい」とみんなが思っている(日本経済を信用している)限り、日本円はその価値を保つ。
日本円が日本経済の信用を元手にしているということは、逆に言うと、「日本経済はもうダメや!」とか「日本に欲しい物なんかあらへん!」みたいにみんなが思い始める(信用を失う)と、日本円の価値が暴落して流通できなくなってしまう(ハイパーインフレで紙幣が紙くず)。そうすると、日本なのに、みんな日本円を使わなくなってしまい、米ドルなどの外国通貨が流通するようになったりする。そうなったケースが、アルゼンチンなど。
至極単純化したけれども、不換紙幣=信用紙幣、の仕組みは大雑把に言ってこういう感じのものだ。
日本銀行は、自分で紙幣を発行していろんな人に貸し付けている。日本政府はその中のひとりだ。
だから、なにも、日本政府だけが日本銀行が発行するマネーを市中(日本経済)に流しこむパイプ役なわけではない。そこには色々複雑な仕組みがある(らしい)。例えば、日本銀行は、自分が発行したマネーで不動産なんかにも投資したりする。つまり、直接、市中にマネーをぶっこむこともできる。でも、それはあまり勧められることではないとされている。なぜなら、自由にマネーを発行できる日本銀行は、理屈の上では、市中の商品をいくらでも買いあげることが出来る。すると、どんなジャンクな品物や詐欺まがいの商品でも、日本銀行に売りつければ商売になってしまうことになる。ジャンクな品物や詐欺まがいの商品が売れる経済というのは、まったく健康的じゃない。言い方は悪いけれど、そんなのは闇経済と同じことだ。
「日本銀行がなんでも買ってくれるから、適当な商品使ってぼろ儲けしてやれ」「日本銀行がなんとかしてくれるから、いくらでも借金してやれ」なんていうのが、いわゆる「モラルハザード」というやつだ。
少し話がずれたけれど、ここで、わかりやすくするために、日本政府の借金は全部日本銀行が引き受けているとしてしまおう。その額およそ1000兆円。そして、日本政府は借金を返したら、再借金はしないと仮定してみる。すると、どうなるか?
日本経済には、すでに発行済の日本銀行券=マネーが出回っている。そこから日本政府はアガリ(税金)をとり、そこから日本銀行に借金を返して、借用書(国債証書)を取り戻す。つまり、日本政府が日本銀行に借金返済しきってしまうということは、日本経済から1000兆円のマネーを吸い上げて、日本銀行に収めてしまうということになる。マネーはみんなの交換を活発にするものだから(物々交換は、自分の欲しい物と相手の欲しい物がうまく噛み合わないと成立しなかったり、いろいろと面倒くさいのだ)、マネーが減った分だけ、みんなの交換は不活発になる。交換が不活発になるということは、在庫が余ってしまったり、あるいは欲しい物が手に入らなかったりするということだ。
マネーがないと交換が不活発になるということを、また簡単化した例で考えてみよう。あなたはお腹が減っていて、定食屋に入りたい。マネーがないのだから、あなたは、例えば皿洗いなんかの仕事と定食を交換して欲しいけれど、皿洗いの仕事をする人はたくさんいて、定食屋の洗い場ではすでに定食目当ての人が働いていたりする。あなたは機械を直すのが得意だから機械を直しましょうと定食屋のオヤジに言うのだが、定食屋には壊れた機械がない。だから、やっぱり定食を食べられない。
ここにマネーがあったとするとどうなるか。あなたは機械を直して欲しい人を探して、その人の機械を直してあげるかわりにマネーをもらう。そのマネーをもって、定食屋に行き、定食とマネーを交換してもらう。機械を直して欲しい人、お腹の減ったあなた、マネーが欲しい定食屋のオヤジ、と3人ともハッピーになれる。つまり、在庫が余る(あなたの機械を直す能力が活かされない)ことや、欲しい物が手に入らない(あなたが定食を食べられない)ということがなくなる。さらには、それぞれが得意なことをすることで、とても効率よく仕事ができるし、みんなが効率よく欲しい物を手に入れることができる。つまり、それぞれの能力が最大限生かす機会が生まれるということにもなるのだ。マネーすごいぜ!
そういうわけで、必ずしも、国の借金を減らせばそれでいいというわけではない。それは、日本経済の中に流通するマネーを減らしてしまう=交換が不活発になってしまう→日本経済の信用がなくなってしまう、ということにもつながりかねないからだ。
もちろん、「日本政府は、もう借金の利子を払うこともできない」といった具合に日本国債の信用が失くなってしまうと、これはこれでまた大変なことになる。なぜかというと、そうなれば日本国債を買う人がいなくなってしまうからだ。日本国債を買う人がいなくなってしまうと、日本政府の予算が減ってしまう。つまり、公的サービスが減ってしまう。警官や検察や裁判官が減ると、治安が悪くなって、インチキ詐欺師が蔓延り、経済の健全性が失われてしまうかもしれない。そうすれば、日本経済がダメ経済になってしまって大混乱、交換が不活発になってみんなが貧しくなってしまうかもしれない。あるいは、小中高の学校や大学の運営ができなくなって、将来のビル・ゲイツやスティーブ・ジョブスやマーク・ザッカーバーグになりかねない若い人達が、ただの非正規雇用ワープアになってしまうかもしれない。これも、日本経済にとって大きな痛手になる。
つまり、まず第一には日本経済が元気なことが大事だし、第二には「日本経済は元気だな!」とみんなに思ってもらうことが大事だし、第三には「日本経済は元気ないな」と思われないことが大事だ。国の借金は、こういうことのバランスを考慮しながら、考えることが必要なのだと思う。
じゃあ、そのバランスはどうやれば取れるの?ということになるのだが、それが簡単に分かることなら、経済学者の議論なんかは存在しないんだろう。
おわり。
わたしが、経済学の講義で学んだことは、「アニマルスピリッツ」を持った方が未来は明るい(らしい)ということです。
簡単に言うと、みんなが「やってみりゃいーじゃーん」(楽観的)で「やってやろーじゃーん」(能動的)で「なんか、よくなるかんじじゃねー」(希望的)な方が、雰囲気=景気は明るい。そして、楽観的で能動的であるためには「(ダメだったとしても)そのうちなんとかなるだろう!」というやつも必要なのだと。
お金が出回っていることはとても有用なことだから、お金を稼ぐことはむしろいいことです。自分にとってだけじゃなく、みんなにとってもいいこと。でも、稼いだお金を貯めこんで使わない守銭奴のような人はお金を回さない人だから悪い人です。自分ばっかり稼ぎすぎて、他の人に稼がせなさ過ぎるのも悪いこと。それはまるで、ヘビー級のボクサーが、モスキート級に混ざってチャンピオンになっても、全然つまらないのと同じ。そんな気がしました。
みんなが気持ちよくお金を稼げて、気前よくお金を使えるような経済や社会にするにはどうすればいいのかを考えることが、当面のわたしの課題です。
思い出したり、話そうとするだけで当時の感情が甦るもの、というのは誰しもあると思うのだけど、私のそういうものの1つに「2010年のピーター・アーツ」がある。
アーツは、K-1に最初期から参戦して、94年、95年、98年と3度世界一になったキックボクサーだ。
なかでも98年のK-1GP、3試合連続ハイキックでの1ラウンドKOは「20世紀最強の暴君」という二つ名に相応しい圧勝劇だった。
アーツは70年生まれだから、その頃はちょうど20代半ば。全盛期、ということになるんだろう。
そして当時中学生だった僕は、周りの男の子と同じように、その眩い存在感に憧憬の眼差しを向けていた。
空手出身の選手たちの華麗なそれとは違う、あの、大木を力づくでなぎ倒すようなハイキックは、中学生に「ああ、この人が世界一強いんだ」と思わせるには十分な説得力を持っていた。
そんな絶対的な力を誇ったアーツも翌年以降は優勝から遠ざかり、2000年代以降は若い選手の台頭もあって徐々にその存在感は薄れていく。
格闘技も一時の隆盛は終わり、年末に誰もが見る、という状況はあっという間になくなっていった。
そして2010年、アーツは40歳だった。彼はまだリングに立っていた。
試合前のPVでも40歳の誕生日ケーキを頬張る場面とともに「もう若い頃のようにはトレーニングできないよ」と話すシーンが流れるような、
優勝を争うファイターというよりは、完全な「往年のスター」扱い。
それでもファン投票で席を与えられたベスト16からなんとか勝ち上がり、準決勝にまで駒を進めていた。
212cmの長身から打ち下ろす角度のある攻撃を武器に、05年、06年、07年、09年と世界一になったディフェンディングチャンピオン。
05年の参戦以来、K-1GPでは一度も負けたことがないという無敵の絶対王者。
試合前の正直な思いは「どちらが勝つか」というものではなく「アーツはどこまでシュルトに抗えるか」というぐらいのものだったと思う。
「なんとか最後まで立っていて欲しい」とも思っていたような気がする。
それほどシュルトは強かったし、アーツの全盛期は既に過ぎ去ってかなりの時間が経過していた。
試合が始まっても、やっぱり展開は一方的だった。
アーツも192cmと大きい方だが、それでも212cmのシュルトとの身長差は20cmある。
全ての攻撃が上から非情に降り注ぎ、アーツの攻撃は腕や肩に阻まれてうまく当たらない。
何度もふらつき、目の上から流血しながら、それでもアーツは懸命に前に出続けた。
アーツの突進をいなしながら、シュルトは笑っているように見えた。
とでも言いたげな表情は完全に余裕で、あまりにも憎らしく、そして試合の行方についての見通しはどこまでも絶望的だった。
一方的だった試合の流れが変わったのは、2Rの終盤。
本来は端正なフォームのアーツが、のめるように、のしかかるようにして放つ、やぶれかぶれと紙一重の攻撃が何度かシュルトを捉え始めていた。
それでも、インターバルでコーナーに帰ってきたアーツは全身がボロボロで、シュルトの顔には傷一つなかった。
映像を見返すとシュルトの表情には明らかな困惑の色が浮かんでいるのだけど、当時はその時点でもまだまったくアーツの勝利を信じることができずにいた。
「できれば最後までこのまま行って欲しいけど、さすがにそれは難しいんじゃないか」
でも最後のラウンドが始まると、リング上の景色は一変していた。
アーツの鬼気迫る攻撃に押され、シュルトがクリンチに逃げることしかできない。
振り回すように放つアーツのパンチが顔を捉え、キックは脇腹にめり込んだ。
有効なダメージは通っていない。それでも、シュルトは完全に気圧されていた。
防戦一方のでシュルトに消極的姿勢で減点が与えられた後もアーツの攻勢は止まず、そのまま3分間が過ぎた。
僕は「倒してくれ」と願うよりも「反撃しないでくれ」と祈っていたような気がする。
そして終了のゴングが鳴った瞬間、アーツは勝利を確信して両手を突き上げた。
目の上から流れる血をタオルで押さえるアーツと、無傷のシュルト。
それでもどちらが勝者かは、2人の表情が何よりも雄弁に物語っていた。
2-0の判定で勝利したアーツの、控え室へ戻る足取りは、全てを使い果たし歩くのも精一杯なほどに重たく見えた。
その後行われた決勝戦は、1RでKO負け。
覚えているのは、巨大な、絶対的な強さを誇るチャンピオンを、40歳のアーツが圧倒していたあの数分間だけだ。
僕は今でもこの光景を思い出すたびに涙が出そうになるし、あの瞬間のアーツは世界一格好よかったと思っている。
最後の相手はアーツが初めて世界一になった時と同じ、24歳の若者。去年のヘビー級トーナメントチャンピオンだ。
でも僕は1998年と、2010年と、そして2013年のピーター・アーツを見られたことを幸せに思うし、あの、勇気に溢れた数分間を忘れることは絶対にないんだろうと、今はそんな風に思っている。
魂を構成する「人格」というのは積み重ねてきたデータの塊にすぎない
だからターゲットの魂を削ろうとしてその人の好きな物自我やルーツの拠り所としている物をdisられると
魂は消耗する 鰹節削っていったら最後には何もなくなってしまうようにね
陰湿な人達はネット外でもそれを分かっていて顔を合わせる度にじわじわdisって人格削ってくる
そんな人達からは逃げるか避けるか他に視点を向けさせるしかない
魂の持つデータのすべてをコンテンツや他人の魂に飢えた人達に捧げたら、その人の魂は補給しない限り回復しない
その回復方法というのがまああれなんだ 長く泳ぎ続ける為には息継ぎが要るってことね
息継ぎの方法は防御力に直接関わってくるのでナイショ
でもなあ経験値の浅い子達がネットのヘビー級王者に初心者狩りで魂すり潰されてる現状は不味いなあ
ほんとは自我がまだ固まってない未成年がネット触れるのは反対だけど企業も金稼がないといけないし仕方ないんだろうね
思索おまけ1
実名をもじった「童謡」がファーストネームを根源に「お前はこんな名前だからこのような死に方をする」と囃し立てる呪歌に変容した件についてその構造を
云々まで考えたところで辞めた
思索おまけ2 鍵付き非公開にしても優秀なポータルサイトの検索結果は検索ワードで拾ってしまうので私はついのアカウントに鍵付けるのを諦めている
「終わらないで欲しいものが実はもう終わりつつあること」に気付きながらも、なおもダンスを踊ること。だがしかし、それがけっして希望や未来に繋がりはしないこと、一方では完全に分かってしまってもいて、だからそこには明らかに一種のメランコリーが隠されているのだが、では「終わりつつある」が、遂に「終わってしまった」に変わり、そのことをもはや認めざるを得ないのだとしたら、一体どうしたらいいのだろうか?
「当時、彼の書く歌詞や曲の世界は、あまりにも楽観的で表層的だと揶揄されたりもしたが、そこに同時に苦悩と諦念と、それでもなおそれらに何とかして撃ち勝とうとする「強い気持ち」を見出せなければ、彼のことをわかったことにはならないだろう。阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件が起こった年に「さよならなんて云えないよ」と「痛快ウキウキ通り」を発表する人間の、何ともいえない複雑さに気付けなければ。」
去年末あたりから、小沢健二を頻繁に聴いている。一言でいえばハマってしまったのだ。いや、というよりも心酔してしまった、といったほうが正確かもしれない。僕の生活を傍から誰かが覗いてみればおそらく気持ち悪がることだろう。とにかくここ最近は毎日小沢健二漬けだ。自分の生活が、人生が、小沢健二に溢れている。ここには些かの誇張も比喩もない……。
なぜ小沢健二なのか。無論彼の音楽が素晴らしいからで、それは後追いで彼の音楽を知った者としては「今現在聴いても」というような注がどうしても付随するが、事実彼の音楽は全然古びていないし、それどころかむしろいまのほうが当時より一層重要性を帯びているとすら感じられるから、なのか……。そう断言したい気持ちもあるのだけど、自分でもよくわからないというのが率直なところだ。ここでいう当時とは彼の活動が全盛を極めた90年代半ばを指すが、その後彼はメディアから急速に姿を消し、CDのリリースも絶え絶えになる。これは周知の事実。では小沢健二とはいったい何者だったのか/なのか。もちろん彼を過去形で語るのは正しくないし、絶対に間違っているとすら思うけれど、とりあえず90年代の彼の音楽家としての活動とその意義などはひとまず暫定的に総括されて然るべき問題だろうと強く思う。小沢健二はそれぐらい大きな存在だと思うし、その大きに比べると彼は「まだまだ語りきられていない」と思われるのだ。
小沢健二の音楽をリアルタイムではじめて聴いたのは、たぶん「ラブリー」だったと思うし、それ以外はほとんど記憶がない。というのはその当時(94年頃)の僕はまだ小学生で音楽そのものにあまり興味もなかったし、もしあったとしても彼の曲の良さを感受することは出来なかっただろう、おそらくは。そして物心ついた時には彼はすでに音楽の場から遠のいていた。何れにせよ今まで聞き逃してきたわけだ。といっても今までに何度かニアミスはあった。物心ついてそれなりに音楽を嗜むようになり、そのなかには渋谷系と称される音楽もいくつかあり、とりわけ渋谷系と称されるジャンルにおいて小沢健二は中心的な存在だった(はずだ)。だけど、それでもなぜか意識して小沢健二を聴くことはなかった。なぜだろう、とふと考える。というのも、つい最近まで彼のことを意識して考えたことすらほとんどなかったので自分でもよくわからないのだけど、ひとつ思い当たるふしがあるとすれば、それはやはり当時耳にはさんだ「ラブリー」の印象が大きかったからなのだと思う。もちろん、「嫌い」といえるほど彼の音楽やメディアでの振る舞いを見ていたわけではないけれど、それでもやっぱり「ラブリー」のあの底抜けに明るい(今でこそ違う表現ができるのだけど)感じをリアルタイムでは軽薄なものとして受け止めた気がするのだ(いまでも彼の音楽をそういうものとして受け止めている人たちが大勢いる)。だからなんとなく避けてきたというか、ちゃんと聴かなかったのだと思う。そんな僕が小沢健二を意識し、興味を持ったのは、彼が所謂反グローバリズム運動に関わっている(らしい)と聞いたからだった。だからはじめは音楽とは関係ない。いやあんなポップな歌を歌っていた人がそんな活動をしてるんだ、という意外性によるものだから、関係はあるのだけど(そういえばセリーヌに興味を持ったのも彼がべらぼうな反ユダヤ主義者(らしい)と聞いたからだったのだ)。
そんなこんなである日何気なくyoutubeで「ある光」を聴いた。そして一瞬にして胸を打ちぬかれた……。真摯、としか形容することができなかった。そこにあるのはなんの修辞もアイロニーもなく、ただひたすらに真摯で敬虔な歌だったからだ(それゆえになかなか危険な曲だと思う)。そして続けざまに聴いた「ラブリー」で嗚咽した。この「ラブリー」という曲の持つヘビー級の重さに僕は小沢健二という存在が理解できたような気がした。一見とてもポップで底抜けに明るいこの曲のいったいどこがどう重いのか。彼の音楽は多くの人たちから「多幸感溢れる音楽」云々と形容されてきたのだけど、それは正しくない。正確にはこうだ。小沢健二の音楽は多幸症である……。多幸症。そう、これはある種の症状であり、とりわけ「ラブリー」に顕著に見られる明るさは明らかに病的である、と。「ラブリー」にはそういった趣を感じるのだ。小沢健二の音楽を聴くことは、すなわち完全なる多幸症を生きることを含意するといってもいい。
日本でFacebookは流行らないと言われていた。(実際には利用者数は増加し続けている訳でその懸念はどうだったのかというところに疑問を感じたりもするのだが)流行らないと思われていた理由に実名主義が日本で受けないというものがある。実際、Facebook上にはニックネームらしい人物の多数登録されているので実名主義が完全に浸透したというわけではなさそうである。
経歴に対する考え方が日本とアメリカでは決定的に異なっている。どう異なっているのか?
各個人の人生全てを判断しようとする。
各個人の成功歴を判断しようとする。
と私は考えている。つまりアメリカにおける経歴の考え方は、ある特定の個人がある行動を達成させるだけの能力があったのか、また現在その能力を有しているのかという判断指標であると私は思うわけである。
ここではその例を一つあげようと思う。「マイクタイソン」と「江夏豊」を比較してみる。
この二人を同列で並べるのは少し馬鹿げているかもしれないが、共に覚せい剤経験者でありその国のスポーツ分野において多大なる貢献をした人物という点では変わらない。
耳噛み事件
翌年6月28日に行われた再戦では、ホリフィールドのWBA世界ヘビー級王座に挑戦するが、耳噛み事件(雑誌等で世紀の噛み付きとも称された)を起こし、2回の耳噛みにより3R終了時に失格負けとなった。この反則行為により、試合後はリング上で大混乱となり、一年間のライセンス停止処分を受けた。
1999年に復帰するも、年に1試合程度と試合間隔が極端に開くようになる。2002年6月8日にレノックス・ルイスの持つWBC、IBF、IBO世界ヘビー級王座に挑戦。結果は8RKO負け。2003年6月、暴行容疑で再度逮捕。
2004年4月15日、K-1の試合出場契約を結ぶ。日本国内でのプロモート契約であるが、薬物犯罪者という理由で日本に入国できなかったため、実現は不可能であった。2004年7月30日、復帰戦となるノンタイトルマッチで1ラウンド中盤で膝の靭帯断裂。その怪我が響き、ダニー・ウィリアムズに4ラウンドKO負け。2004年12月、器物損壊容疑で逮捕。
波乱に満ちた生活
2006年12月29日、自動車でナイトクラブから帰宅する途中にパトカーと遭遇。衝突しかけた折りに取り調べを受けた際、飲酒運転およびコカイン使用所持(再犯)が発覚したことにより逮捕された。2007年11月19日、禁固1日と執行猶予3年の判決。
2008年5月16日、ジェームズ・トバック監督によるドキュメンタリー“Tyson”が第61回カンヌ国際映画祭のある視点部門で上映された。同日行われた記者会見では、タイソン本人が作品の題材となった自らの人生について語った。
2009年6月6日、ラスベガスで3度目の結婚式を挙げた[4]。11月12日、ロサンゼルス国際空港で自分と家族の写真を撮ろうとしたカメラマンともみ合いになり暴行をした疑いで逮捕されたが、その後証拠不十分のため不起訴処分となった。
国際ボクシング殿堂
2011年6月12日、ボクシングを志してからの目標でもあった国際ボクシング殿堂への殿堂入りを果たす。
WWE殿堂
ライセンス停止中の1998年3月29日、アメリカのプロレス団体WWEの『レッスルマニアXIV』のメインイベントにて特別レフェリーを務めた経緯から、2012年3月31日にWWE殿堂に迎えられた。
1993年3月3日、覚醒剤所持の現行犯で、覚せい剤取締法違反により逮捕される。覚醒剤の所持量が多かったため、初犯ながら懲役2年4ヶ月の実刑判決を受け静岡刑務所に服役、名球会からも退会した(これについては自主退会とも、金田正一会長による除名とも言われている。現在は復帰)。1995年4月27日に仮釈放され、出所後は野球解説者・評論家に復帰した。
なし
一時の気の迷いで薬物に手を出し、自ら指導者の道を断ってしまったことを悔やむ声は多い。また現在の選定方式で江夏が選ばれる事はもう無いが、野球殿堂入りを熱望するプロ野球関係者も多い。
とあるように野球殿堂入りを望む人間も多い。にも関わらず殿堂入りを果たしていない。世界記録であるシーズン401奪三振、最優秀救援投手5回、オールスター9連続奪三振、ノーヒットノーラン達成。功績から考えれば殿堂入りをすべきものである。これがアメリカ社会であったならばマイクタイソン同様に殿堂入りしているだろうと私は考えている。マイクタイソンはその悪歴を有しながら殿堂入りを果たしている。これは彼のその分野における功績のみが評価されたものだと言ってもいい。必要なことは成功、実現したという経歴であって決して悪歴ではない。しかし、日本に至ってはそうはならない。一度でも道を踏み外せばどれだけの実績を持っていても社会的に評価されなくなってしまう。そのことを表しているいい例だと私は思っている。
これは私の希望である。実名主義の浸透の鍵を握るのは経歴に対する考え方にあると私は思っている。一つの汚点によってその後の人生全ての功績が無駄になるのが今の日本だ。だからこそ実名を避け匿名を利用する人が多いと思うのである。経歴において必要なことは過去の失敗や悪行ではない。これから成そうとしていることが成功可能かどうかにある。あって欲しいというのが私の意見だ。Facebookに望むこと。それは実名主義の浸透によって今の日本の経歴に対する考え方を一掃して欲しいと思うのである。仮に日本でFaceBookの実名主義が浸透する時には、経歴に対する考え方は変わっているであろう。失敗しても立ち直れる世界。何らかの理由により犯罪者となった者が更生することのできる社会。それを私は望むのであり、Facebook上での偽名利用は止むを得ないのではないのかと思う。。
不倫騒動でフジテレビの情報番組降板を余儀なくされた山本モナさん。
不倫騒動のさ中、北京オリンピックでは北京よりスポーツキャスターとして活躍されている渡辺和洋アナウンサー。
その渡辺和洋アナウンサーの今回の不倫紀行についてまとめたいと思います。
http://ex24.2ch.net/test/read.cgi/ana/1217750297/
4 名前:名無しがお伝えします[] 投稿日:2008/08/03(日) 17:11:16 ID:v6ykbda30
982 可愛い奥様 sage 2008/07/31(木) 04:16:59 ID:0lK9XhMb0
週刊朝日より抜粋
「キスをして服を脱がせてから、いざ愛し合おうとしたところ、カズはおもむろに
自分の携帯で彼女の写真を撮り始めたそうです。Aも酔っていたから了承した
ン出賞。カズは『目線こっちでお願いしま??す』などといいながら動画も撮影した。
体を重ねてからも撮ったが、動画を確認しては『やっぱブレるなぁ』と残念そうだったとか」
実は飲み会のときからAさんはカズやスタッフから「東京であるイベントの
オーディションがあるから、そのときは東京においでよ」といわれていた。
さすがに社交辞令と受け止めていたが、カズからこんなメールが届き始めた。
〈本当に東京に来る気はあるの?〉〈まずスタッフの人にちゃんと電話を入れて。
僕からもお願いしとくから〉〈呼ぶと旅費がかかるけど、スタッフにはちゃんと
頼んどいた。こないだAと結ばれなかったので、ぜひ呼んでほしい。そしたら
僕も頑張れるから」と〉
さらに、スタッフから日帰りするように厳命されていたAさんに、カズはわざわざ
都内の宿泊プランをインターネットで調べ、集めて送ってきたというのだ。
「フジ側のスタッフから『飛行機代しか出さない』と言われ、彼女も支持に従って
日帰りするつもりだった。でも、日が近づくにつれてカズのメールが増え、数日
前には会社から電話してきて『プラン見た?残りの部屋が少ないから早く予約
して!』という勢い。だったら自分で取ればいいのに、Aも強い押しに負けて都内で
5泊3万円のカップルプランを申し込んだ。そのわりには『俺は貧乏だからカネは
出せない』とも言われたそうです。」
その後、ふたりきりで会えたのは、5月に入ってからのこと。朝の番組を終えてた
カズが仕事を抜け出し、宿泊プランで押さえた念願のホテルまでやってきた。
カズは靴下を脱いでリラックス。ときおり仕事の電話に応じながらも、再び携帯で
Aさんの写真を撮りまくった。
「『手を振ってみて』とか『回ってみて』と指示して、全身をなめ回すように撮った
そうです。ひと通り写真を撮り終えたあとにエッチもしたらしいけど、その最中も
『あ、容量がいっぱいだ』と言ってデータ整理することもあったそうです。
5 名前:名無しがお伝えします[] 投稿日:2008/08/03(日) 17:13:55 ID:v6ykbda30
983 可愛い奥様 sage 2008/07/31(木) 04:17:25 ID:0lK9XhMb0
「衣装、持ってきてる?」
カズに頼まれて持ってきた仕事の衣装に、Aさんは別室で着替えた。リビングに
戻ると、カズはすでにパンツ一丁で携帯を構えて待っていたという。すっかり恒例
となった撮影会に入り、さまざまな角度から写真や動画を撮る。「いいねぇ」の
かけ声とともに指示を出し、足を上げさせて下から撮ったり、ベッドの上で雌ヒョウ
のポーズを撮らせたりする。「ひとしきり撮影してから、この日もエッチをしたそうです。
それまで使わなかった避妊具をこの日は何故か持ってきていた。(中略)
自分が満足した後は余韻を楽しむことなくシャワーを浴び、『部屋がきれいだった』
と喜んで帰ってたそうです。」
カズはさらに「Aなら東京でやっていける」などと上京することをけしかけ、ついには
Aさんをその気にさせてしまった。Aさんは仕事を探すために7月上旬に上京した。
ところが、仕事の相談で訪ねた友人から、カズが同時期に別の女の子を熱心に
口説いていたことを知らされてしまったのだ。
「カズは、やはり局のイベントで知り合った別の子にも、毎日のようにメールを
送って食事やホテルに誘い、『彼氏と別れるのを10年は待つ』などと本気モードで
口説いたそうなんです。その女の子にもフジテレビのスタッフが『カズが君を
気に入っている』などと耳打ちしていた。つまり、周囲のスタッフがまったく同じ
手口で、組織的にカズの相手となる女を口説いているようなんです、それを知って
Aは、カズを頼りに上京したのに、自分のような立場の女性が何人もいるのでは
ないかと悩み、すっかり落ち込んでしまったのです」
カズは「結婚するなら顔だよ。一生顔合わせるから、性格じゃなくて顔。生活習慣は
後で合わせられるから」などと話し、合コンの席となると、「エッチは本命の人よりも
遊びの方が燃える」と語ることもあるという。
6 名前:名無しがお伝えします[] 投稿日:2008/08/03(日) 17:16:17 ID:v6ykbda30
77 :名無しさん@恐縮です :2008/07/30(水) 03:14:58 ID:d2E0cxYb0
>>63
>Aさんが携帯の内容を確認すると、自分以外のプレイ動画(約4名分)を確認
>Aさんとカズ揉める
>(恐らく激怒したAさんがマスコミにリーク)
>
>らしいwwwbyミヤネ屋
>81 :名無しさん@恐縮です :2008/07/30(水) 03:17:17 ID:dLkfjHb3O
>>77
>他に4人もいたってことは、一回限りかもしれないが5人と不倫してたってことになるのか…
>それは知らなかった
http://jp.youtube.com/watch?v=wwUqlSqn8p0
http://jp.youtube.com/watch?v=plVKUMikvZ4
15 名前:名無しがお伝えします[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 17:57:27 ID:yLKrUTcN0
950 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2008/07/31(木) 00:45:08 ID:T3U5gkD/0
>>935
想像つくねぇ
好き勝手できて気も金も使わない女がほしかったんだろうね
よっぽど馬鹿にしてないと6千円のホテル代も出さないなんてあり得ないよ
高めの美人じゃないはずだよw
乗っかる女も馬鹿だけど立場利用して仲間内で女はめ込む下衆男には虫唾が走るわw
週間朝日読んだけどこういう手口は常習だろうね
以下抜粋
・その日の晩、Aさんはフジテレビの制作スタッフらから飲みに誘われた。カズも一緒だった。Aさんはスタッフに促されてカズの隣に座り、
「カズが君を気に入ってるぞ」と何度か耳打ちされた。
・Aさんは制作スタッフから、「カズが呼んだから君は東京に来れたんだぞ。今夜は必ずキメろよな」と言われ、 カズから受け取ったという数通のメールを見せられた。
確かに「Aを呼んで欲しい」という内容だったという。
これって女の子にその気がなかったら完全にパワハラ・セクハラじゃん。
最低だよ。
しかも
・イベント期間の3泊分のホテル代は、スタッフに領収証を手渡したものの、いまだに払ってもらえてないという。
ちょっと馬鹿にしすぎたね。さっさと降板すればいいのに
20 名前:【関連スレ】[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:02:55 ID:A/WwySPp0
http://yoshino-nagisa.iza.ne.jp/blog/entry/558775/
「ラウンドガールコンテスト」が行われました。
まず、1名ずつ私服で登場。その後は、お台場学園内でもここだけの水着審査です!
みなさん緊張しながらも、
審査員の過激な質問(審査員の一人、渡辺アナが耳フェチだとカミングアウト!?)にも
そして見事選ばれたのは、4月27日にヘビー級、一般女子でラウンドガールを
務めてくれた高橋純子さん、福岡からエントリーの森田真由さん。
さらに、今回は特別賞として"大村筋肉賞"に藤井まりおさんが選ばれました。
3人は5月4,5,6日に行われる全国決勝大会でラウンドガールとして
会場を大いに盛り上げてくれることでしょう!
http://yoshino-nagisa.iza.ne.jp/images/user/20080429/251629.jpg
2008/4/29(火・祝) GO-1 ラウンドガールコンテスト by 江頭ひなた
http://www.fujitv.co.jp/go-1/html/nikki_0429.html
22 名前:>>20 >>21 の名前欄は”削除”[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 18:05:47 ID:9EHRV4QI0
【メール内容】
「オレは上げチン。有名になって夢をかなえた人もいる」
「カズ教に入れば、空も飛べるよ」
「今度、君を縛って、おもちゃで弄りたい。いかせたい」
「最後に飲んでほしい。オレも君をいかせるから」
「君はあげちんパワーがついてる。これからどんどん上昇だぞ」
http://news.livedoor.com/article/detail/3752074/>
http://anond.hatelabo.jp/20070425021728
いやね、秋山瑞人の『猫の地球儀』を面白がれるSF好きの人だったら、古橋秀之の『ブラックロッド』に始まる〈ケイオス・ヘキサ三部作〉をオススメすれば「ライトノベルはじまったな」状態になるのはわかっているんだけど、でもなんかいいかげん増田で古橋布教するのも飽きたというか、業界(?)内評価高まり過ぎでいいかげん長年に渡る古橋ファンの俺でも尻がむずがゆいというか、「ライトノベル=SFの植民地」という大森望と早川書房にばかり都合のいい史観をセカイにまた広めてしまうのもどうかというか。そんなこんなの小理屈をこねてツンデレしてヘビー級ライトノベルを進めてしまう俺なのだった。べっ、別にライトノベル読んで欲しいなんて思ってないんだからねっ!
ライト級ライトノベル(桜庭一樹とヤマグチノボルの中間)なライトノベルって、改めて考え出すとタイトルが出てこないもんだなぁ。
ああ、そうだ賀東招二の「フルメタル・パニック」シリーズ(長篇の方)とかがライト級ライトノベルかも。
フェザーライトノベル欲しい!と書いたワタクシにヘビー級をのっかりしてまで勧めてしまう増田どもが僕は大好きです。でもたまにはライトライトノベルぐらいなのも思い出して勧めてみてあげてください……!
ちなみに今は桜庭一樹をもう少し読んでみようかと思ってる。
あと漱石のリズムがいいってのは良く分かるなあ。とりあえず最大でも損害は読み終えた時に「やっぱ騙された!」と叫ぶぐらいの程度なので、是非とも突撃してみては。今回のラノベ突撃で身を持って理解したよ、「なんだよこの刷り込みラヴ女! ウザいんじゃ!」という沸々とした気持ちに耐えながらも読み進めれば、結論がどうでても「実は良かった」「やっぱ苦しいじゃねーか畜生と実体験で言える権利」の最低どちらかが得られるのは悪くない。
それに多分漱石は俺の突撃よりは楽だよ。本当に多分。
長年に渡ってヘビー級に君臨するタイソンばりの帝王であるところの『撲殺天使ドクロちゃん』
「激突カンフーファイター」
「超妹大戦シスマゲドン1,2」
http://anond.hatelabo.jp/20070424223734 みたいな薦め方はナシじゃねーかなあ。
あれは、作品を読むのはダルいけどライトノベル関係で企画書を書きたいサラリーマンのアンチョコ用、もしくはそれなりにライトノベルを読んでる人の脳内整理用の本だというのが、何度か読み返しての俺の印象。「大変だ」といいつつ http://anond.hatelabo.jp/20070424222549 こんだけちゃきちゃきと楽しんで読めている人に今更薦める本じゃないんじゃないかと思ったよ。
……ところで、もしまだライトノベル読む心の余裕があるんだったら、長年に渡ってヘビー級に君臨するタイソンばりの帝王であるところの『撲殺天使ドクロちゃん』を読んでみません? 元エントリのお方。
何を読んだのかを書くんだ!(anond:20070424113931)と言われてしまったのでちょっと晒してみよう。
anond:20070424113931で名前が出てた人も一部読んだよ! ちなみに読んだ順。
総評:やっぱり「フライライトノベル」と「ヘビーライトノベル」は、例えばレーベルとかで分類して欲しい! でも先の人が「ライト」と書いてた谷川流の小説に読み辛さを感じたり、所詮は好みでもあるのかなとも。あとやっぱりイラスト恥ずかしい。カバーは掛けてるけど挿絵はビビる。電車の隣の人もビビる。
ちなみに普段の読書傾向は幅広くSFや海外サスペンス、軽く西洋系歴史物、ミステリーは古典、といった感じの男性がお届けしました。