はてなキーワード: ヘイトクライムとは
絵柄の可愛い板垣恵介から筆を折るべきだと糾弾されたことでおなじみの富田安紀子氏が今度はmacska氏にボコられていた。
天下の集英社作家である富田安紀子氏については皆様ご存知のこととは思うが一応説明する。ネトウヨ漫画家である。
絵柄こそ今風でないもののビーム辺りに載ってそうな雰囲気を醸し出しており、その筆力はバーぴぃ先生なんかとは一線を画している実力派である。
当然グレンデールでのSLAPP訴訟についても応援されているわけだ。
この訴訟に関して、現地の日系人が慰安婦像を理由に迫害を受けているという、よしこご謹製のデマがある。
以前からmacska氏はブログ等でこのデマを批判しており、今回twitterでも同様の呟きをしていたところ富田氏が絡んだのである。
富田氏の著作には祖先の戦争犯罪を理由に迫害を受けるヒロインが描かれている。
そしてなんやかんやあって、富田氏は上記のシーンについてフィクションである旨を改めて宣言させられたというのが顛末である。
macska氏は、「事実を基にしたフィクションという体で描いているんだろう、基にした事実を示せ」と迫ったのであるが、当然ないものは示せないのである。
そうすると、じゃあさとうふみや氏はどうなるんだという話になる。
エンゼルスのアレはさとうふみや氏の信念に基づく作品であり、氏もまったくの虚構を描いているとは考えていまい。
しかし実在の大川隆法はファイト出来なければCVも子安武人ではないのだから、あの漫画はまったく客観的に事実に基づいていないフィクションである。
だが、氏は、この作品の根拠を示せとは言われないのであるし、言われるべきでもでないのである。皆いろいろ察しているのである。
氏のネトウヨプロパガンダ漫画が事実に基づかないのは事実である。だが、それがどうしたという態度が我々には求められている。
さとう氏と違いこちらはヘイトクライムを誘発するのではないかという議論もあろうが、幸福の科学もまたダーウィンや佐々木小次郎に対して悪辣な批判を加えているのである。
http://anond.hatelabo.jp/20150111070135
を書いたものです。
mahomi4 全く的はずれすぎ。
というコメントがありまして、この人の見る当を得た見解ってのはどういうものなんだろうとブックマークをたどったところ、
http://blog.goo.ne.jp/iida-miki/e/0d68f604177d2bdeb387e20a5dc9afb0
という記事にたどり着きました。扱っている事実が同じなのに見解が正反対というのもなかなか面白いのですが、少々以上に気持ち悪いと感じたのも事実です。
その気持ち悪さを説明するのも手間がかかるのですが、やってみますと、
親がどの国出身でどんな宗教を持っていようがフランス国民として
平等に生きていけることになっている。とはいえ本当に違いがないか、
うまくいけば(理念上は)素晴らしいけど、そんなに簡単に
あり、地区ごとに生活環境もかなり違うので、移民の子として生まれ、
(今朝のLe Mondeにはシャルリーの絵に対して今でも怒っている
アンテグラシオンやライシテの実態について、その限界を認識しながらもルソーまでひもといて、全体的にはフランス万歳!とまとめている点です。ベルばらのオスカルでしょうか。
私がすごく気持ち悪いと言うのは、こういうことをフランス人が言うならまだわかるのです。マジョリティの側にはどうしても見えてこないものというものがあります。それは善悪の問題ではなくて立場の問題です。
有働出人みたいな人がそうでしょう。まあ、あの人の活動はそれなりに有意義な部分がありますが、あの人に代表されるような白人マイノリティは、有色人種の国、それも支配階級にはならない日本や韓国に来て、初めてマイノリティ性というものを味わうことになります。そうすると見るものさわるものすべてが刺々しく感じられる。
アメリカにいる時は警察官が黒人を狙い撃ちにしてもあまり気にもしていなかったような人が、職務質問を日本の警察官にされると激怒する。年間何十人と言うレベルで何とかバッシングで死者が出ているオーストラリアから来た人が、じろじろ見られるくらいで韓国はレイシストと騒ぎ立てる。
こういうことは日本では私たちがマジョリティだから言われて初めて気づくという面もあります。言われてもただ反発するだけということもあります。自らがマイノリティとなった時に、マジョリティである時の視線・態度をかえりみるにまでなれればいいのですが、残念ながら、女性に暴力を振るう黒人男性、同性愛者を差別する女性は珍しくありません。
そしてそれを更にマジョリティの側が、見ろ見ろ、連中はこんなに野蛮だぞとはやしたてる。
あるドイツ人と話していた時、我が国は民主的でリベラルで、世界に冠たる我がドイツ、みたいな話になって笑ってしまったのですが、まあそれはその人個人の話なので、ドイツ人って全然変わっていないよねとは言わないでおきましょう。ただその人には人種差別はどこにでもあるけれど、東洋人がしつこくチンチョンチャンとまとわりつかれる国はドイツ以外ではそんなにはない、年間百人以上ヘイトクライムで殺されている国はそんなにはないということは「見えていない」のですね。
リベラルであると言うことが、他者を見下すこと、見ろ見ろ連中はこんなに野蛮だぞってなることが、リベラルがそのためのエクスキュースになることがあるのです。
リンク先の記事の何が気持ち悪いかと言えば、日本人で、パリに住んでいて、未だにシャルリー・エブドに怒っている中学生は新聞の記事でしか見たことがなくて、見えないゲットーに守られていてマジョリティのような顔をしている、それがすごく気持ち悪いのです。
国民戦線のルペンだって、アンテグラシオンは同化政策と言う意味で、ライシテはイスラムを強制的に同化せしめると言う意味で大賛成なのですからね。
歴史をひも解いて言うならば、フランス革命以後、フランスは確かにリベラルな原則を打ち立て、それを徹底してきた歴史があります。公平を期して言うならば、第一次世界大戦後、日本が列強に要求した人種平等の原則に英国とアメリカは反対しましたがフランスは賛成したと言うことも付け加えておきましょう。
しかし同時に、そのリベラルでライシテな共和国下においても、フランスもまた数々の非道をなしてきたことは忘れてはなりません。
フランスでは支配層の横の流動性が高く、文化人、メディア関係者が政界に横滑りすることも珍しくはありません。新聞人であったクレマンソーが第一次大戦期のフランスの首相であったように、エリート層は全体として支配階級を形成しています。ポール・デュシャンは二十世紀半ばのジャーナリストで、第四共和政期にアルジェリア行政官に就任して、監獄を視察しています。その時、アルジェ独立派の囚人たちの身体に、拷問の後があるのを見て首都に報告しています。その拷問の傷跡は、デュシャン自身の身体にもありました。ナチスに捕らわれていた時に拷問された跡です。
パリ解放の日の記録をサルトルが書き残しています。ルクレール将軍に率いられた自由フランス軍の入城をもってしてナチスのパリ占領は終わりを告げて、自由だ!自由だ!というはじけるような喜びを書いています。そうして成立した自由なフランス、ライシテなフランスの下でアルジェリアでは拷問が行われていたのです。
インドシナでのフランスの動きも決してほめられるようなものではありませんでした。フランス当局もいちまいかんで行われた人身売買はナチスから解放された人たちの手によってなされたものですし、フランスはインドシナ独立を抑えるため、アメリカに対して原爆の使用を執拗に求めています。これも、自由なるフランス、言論の自由なフランスの体制下でなされたことです。
私はいちいちフランスの過去の悪行をあげつらって、批判したいのではありません。フランスのリベラルな諸制度も国家制度の補完部分であるにすぎず、国家制度そのものを、相対化して批判するようにはなっていないということを言っているのです。フランスの内部にいるシャルリー・エブドは水の中にいるため水の重さを知りません。自分がネジであるに過ぎないことを理解できていないのです。それは結局、彼の中にマイノリティ性がないからであってマジョリティ側の暴力について無自覚であったからです。能力の問題ではありません。性格の問題です。
批判と言うものは嘲笑や侮辱にならぬよう、あるいはそうなっても構わないのは権力の側に対してのみ、その注意深さが必要です。風刺画というメディアは明らかに全方位になす批判の方法にはむいていません。
書泉グランデのtwitterにて在特会幹部の著作を紹介したところ、書泉にはレイシストがいるというRTが相次ぎ
当該ツイートを削除したそうである。この事件に関し、yahooのリアルタイムランキング上にはもう書泉では買わないだとか
抗議をしようだとかのツイートが溢れかえっている。
消されているためRTとして引用されている部分のみしか見られないのだが、そこにはこうある。
「新刊『大嫌韓時代』桜井誠(青林堂) 隣国が嫌いな方、なぜ嫌われているのか気になる方や、植民地支配、戦勝国気取り、
果たしてこの本を紹介することはレイシストだと呼ばれる行為でヘイトクライムだと講義されなければならないことなのだろうか。
この紹介文を読む限り「朝鮮人を皆殺しにしろ、だとかゴキブリ以下の劣等民族だ」などというようなことが書かれてているというよりは
多かれ少なかれのバイアスがかかってはいようが著者はなぜ韓国が嫌いなのか、あるいは日本人が韓国を嫌いになりうる理由があるのか
ところが、反ヘイトクライムを声高にネット上で語る意識の高い方々には、これがヘイトクライムに相当しこの出版物を紹介することは
レイシストの所業であると断言する。そして書泉やその親会社のアニメイト(?!)に抗議しようなどと息巻いているのである。
私は極力客観的にこの事件を見ているつもりであるが、これは反ヘイトクライムなどではなく自分の気に入らない意見の封殺であろうと思う。
例えばtwitterで「このような社会的に不適な書物はおおっぴらに宣伝するべきではないだろう」というような物があった。
ではその社会的に不適か否かは誰が決定するのか?日本政府がこの書物はよし、この書物は駄目というようなリストを作成すると発表した場合
これはもうほとんど検閲の一歩手前である。しかしこの反ヘイトクライムを主張する方々にとっては諸外国、特に韓国を批判する書物を
社会的に不適と指定するか、あるいは出版の禁止をしたところでそれに喝采を送りそうな予感がある。
この方々は書店は自分たち基準で社会的に適切な書籍以外は売ってほしくないのだろう。思想、表現の自由など反ヘイトというわかりやすい
服を切り裂いたり子どもの心に傷をつけている人種差別者は刑務所送りにし
東京・国立市の市議会はヘイトスピーチと呼ばれる民族差別的な言動など、人種や社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を国に対して求める意見書を可決し、今週中に、安倍総理大臣などに宛てて提出することにしています。
国連の人種差別撤廃委員会は先月29日、日本で在日韓国・朝鮮人らに対するヘイトスピーチがデモやインターネットを通じて広がっていることに懸念を示し、法律の整備を進めてヘイトスピーチを規制するよう日本政府に勧告しました。
これを受けて、東京・国立市の市議会に議員から、ヘイトスピーチなど人種や社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を国に対して求める意見書案が提出され、今月19日に開かれた本会議での採決の結果、賛成多数で可決されました。
意見書では、人種差別撤廃委員会が「弱者がヘイトスピーチから身を守る権利」を再認識するよう指摘しているなどとして、委員会の勧告を誠実に受け止めるよう求めています。
意見書を提出した1人の上村和子議員は「国は法整備をすることで差別に反対する姿勢を国内外に示すべきだ」と話しています。
国立市議会では、この意見書を今週中に安倍総理大臣や松島法務大臣などに宛てて郵送で提出することにしています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140922/k10014779901000.html
http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/gikai/index.html
議員提出第13号議案 ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書案 (PDF形式:7.1KB)
2014年 9月12日
提出者 上村 和子
〃 小川宏美
〃 藤田貴裕
〃 生方裕一
〃 重松朋宏
賛成者 石塚 陽一
〃 尾張美也子
〃 前田節子
〃 望月健一
〃 稗田美菜子
〃 小口俊明
議案の提出について
議員提出第 13 号議案
ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書(案)
上記の議案を次のとおり、地方自治法第99条及び会議規則第13条の規定により提出します。
ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する法整備を求める意見書(案)
国連人種差別撤廃委員会は8月29 日、日本政府に対して、ヘイトスピーチ(憎悪表現)問題に「毅然(きぜん)と対処」し、法律で規制するよう勧告する「最終見解」を公表しました。
日本が1995 年に加入した「人種差別撤廃条約」では、参加国で差別が行われていないか、一定の期間を置きながら、国連の人権差別撤廃委員会が審査してきました。
今回の「最終見解」は、日本への審査の総括として 、同委員会が8月29 日に採択したものです。 最終見解は、日本のヘイトスピーチの状況にも言及しており、特に在日韓国・朝鮮人 (コリアン)への人種差別的デモ・集会をする団体によるヘイトスピーチの蔓延や、政治家・公人によるヘイトスピーチが報告されたことや、メディアでのヘイトスピーチの広がりなどについて、懸念が表明されています。さらに、そうした行為が適切 に捜査・起訴されていないことも、懸念点だとしています。
こうした懸念状況に対して、最終見解は、ヘイトスピーチを規制するための措置が、抗議する権利を奪う口実になってはならないと指摘するとともに、「弱者がヘイトスピーチやヘイトクライムから身を守る権利」を再認識するよう指摘しました。
そして、人種及び社会的マイノリティーへの差別的な表明や差別的暴力に断固として取り組むことや、メディアのヘイトスピーチと闘うため適切な手段をとること、そうした行為に責任のある個人・団体を訴追したり、ヘイトスピーチをする政治家・公人に制裁を科すことなどを、政府に勧告しています。
一刻も早く人種差別撤廃委員会の31項目の勧告を誠実に受けとめ、ヘイトスピーチを含む人種及び社会的マイノリティーへの差別を禁止する新たな法整備がなされることを、国立市議会として強く求めます。
以上、地方自治法第99条の規定により意見書を提出するものである。
2014 年 9月 日
http://b.hatena.ne.jp/entry/mainichi.jp/select/news/20140812k0000m030129000c.html
のブコメを見ていてあまりの同姓愛差別の多さに吐き気がするのでかっとなって書く。
「場所をわきまえてほしい」の意味が同性愛のことなのか、キス自体のことなのか。ブラジルが公共の場でキスする文化なら同性愛差別になる。日本なら、すき家で子供の前でイチャイチャして店員挑発すんなよ案件
お国柄的にパブリックな場での男女のキスがokならば、同性カップルであることは理由になってはいかんだろうな。ただ、セクシュアリティがなんであれ、メシ喰う場所で食欲以外の欲を解放すなよとは思う。
“店員から「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と注意された。隣の席にいた家族連れが「嫌な気などまったくしなかったが」と応じたため、2人は再びキス。” 同性愛関係ないだろ
同性愛者団体は「異性愛であっても人前でやるのは良くない」くらいの声明だしとかないと、無法者集団みたいなイメージ持たれたりしないか
殴るのは問題だが、これが男女であっても食事するところでキスされるのは不快だな。皆が食事をしているところで、口の粘膜と唾液をぐちょぐちょと接触させるな。
なぜかディープキスを想定してる人が多い模様∥挑発するみたいな態度は良くないけど、店員側に同性愛嫌悪がなかったとは言えないと思うなあ
キスすることの是非がどうあれ、殴った時点で殴ったほうが悪くて殴られた方は悪くない、ということになっているのでな。
傷害は論外として、これがヘテロのバカップルだったら加害者は注意していたのか否か気になる。ブラジルでは牛丼屋でキスするような光景がごく一般的なのかどうかも
ファミリー向けのお店で「キスしてた」から憤慨したのか、それとも「同性愛カップルがキスしていた」から憤慨したのか、どっちなんだろう。殴ったのくだりは議論のノイズになるので省略。
少なくともこの記事を読んだ限りではゲイ差別を疑わせる要素は微塵もない。日本だって注意するでしょ。同性同士だろうが異性同士だろうが、店の中でそんなことやられちゃさ……問題は暴力を振るったって点だけ。
殴った方が絶対的に悪いしおそらく同性愛への差別心もあるとは思うが、注意の根拠に使った他の客に賛同されなかった上にこれみよがしにもう一回やられたのが主因だろ。DQNはメンツが潰されると切れる。
家族連れ自体気にしないと言ってるし、それ以前に暴力自体論外。店員に酌量の余地無し。ただ軽いキスならいいけど、公な場での性的行為みたいな露骨で激しいキスとかは同性愛異性愛問わず慎むべきと思う。下品だ。
どんなキスだったかわからないので、「家族向けの店なので控えろ」という注意に値するかどうかはわからないが、殴るってゆーのは確実に家族向けの店にそぐわない対応。
ゲイ擁護が多いけどもしかしたら本当に店員の良識だったかもしれないじゃん。異性愛者のキスでも止めてたかもしれない。もちろん殴るのはいけないが擁護されてる法律を盾にこれ見よがしに繰り返す事はないじゃないか
TPOをわきまえていない同姓愛者男女のカップルが牛丼屋でキスしたぐらいで殴られると思うか?
同姓愛者であるだけで殴られる対象になってしまう恐怖を想像してもらいたい。
同姓愛関係なく単なる暴行とか、リア充非リア充であるという話に持って行って同姓愛者への差別を語らないみなさん、差別意識高いですね!
これは本文にも書いてありますがブラジル文化的に全く問題ないはずです。
キスにかみついている人たちは「ここは家族向けの店だ。場所をわきまえてほしい」と言っている店員と同類とみられてしまうことは考えなかったのか?
店員と同じに見られても、強い多数派なので気楽なんでしょうね。
ブラジルでは牛丼屋でキスするのが普通なのか。嫌だな。/頑固なラーメン屋で「うちは私語、ケータイ、キスは禁止なんだ。悪いね。」みたいな感じか。
なんですき家の前でやったの。ファミリー向けのところで"キスをする"という行為に対して怒ったなら理解出来なくもないけど、これは同性愛者だから問題なのか…?難しい。
キスなんてしたくなったらどこでもするだろう。
日本で、道ばたで男女がキスしてるのを見たことある人は多いと思いますが、同姓がキスしてるのを見たことある人はかなり少ないですよね?
法律で性的指向を差別する行為に刑事罰が科せられているブラジルでさえ殴られる。
日本ではそもそも同姓カップルが公の場でキスするほど認められておらず、普通にキスすることさえできないひどい現状ではないでしょうか。
今この時期に、「すき家」(のブラジルの店舗)で起きたからこそ記事になった案件。現地資本のチェーン店で起きたのなら絶対記事にはならないだろう。
これは回文になる!と考えはじめたら先を越された件/「非モテに配慮しやがれ!」と店員が本音をいえたらまた結論は違ったろうに(カッテニキメツケルンジャナイヨ/まブラジルでキス禁止といって聞く人がいるとは
店員が「ホモは嫌いだ」と本音をいってたらまた結論は違っていたでしょうね
このニュースさー、1海外では公共の場でキスしたくらいで批判されない、2この店員はキスにではなく同性愛に嫌悪感を感じている、3だから問題になってる、この三点を説明しないと日本人にはよくわからんだろ?
1も2も3もわかっていて「どうなんだろ?」と書いてしまうぐらい差別意識が根についている日本人がおおいんじゃないですかね...
「単に自分がゲイを嫌っているだけなのに、そうは言わず「家族連れの客に迷惑だろ」と言い換えている」 …私はそうは読み取れませんでしたが、なぜそう考えたのでしょう?
って書いている人もいるし
性的嗜好では。
辞書ぐらいひいてください。
手を出した方が負けの世の中なんです 。
手を出す差別主義は最低の人間ですが手を出さなくても差別主義者は最低の人間です。
「カップルが飯屋でキスしだしたので店員が『ご家族もいるんで』と注意したら居合わせた家族連れが別にいいとか言うわカップルまたキスするわで店員涙目でカップルを殴打」って話に同性愛とすき家をまぶしたニュース
同性愛者に関してはきらい家のようです
ヘイトクライムをちゃかすのも最低です。
きもちわるい
なんだ男か
もし女だったらどうだというのか、同姓愛差別というより女性軽視でサイテーです。
何もいうことはないですが絶対にリアルで関わりたくない。
暴力はいかんが営業妨害を公然として問題がないと思う方もどうかと思う / ブラジル:すき家に同性愛者抗議…キスした客、店員が殴る
同意見です。ブコメでとぼけてる人たちもゲイは嫌いだと公に言えばいいんじゃないのか?
茶化してる人たちも「同姓愛関係ない」と話をすり替えようとしてい人たちにも今後一切関わりたくないです。
はーすっきりした。
『生野区連続通り魔事件』の削除について 該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。 経緯 ①(初版作成) ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰 ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理者Triglav(ノート/履歴/ログ)氏により削除 ⑤(復帰強行) ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護 ⑦Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下 ②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり、特筆性無しでコミュニティでコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。 本件につきまして皆様のご意見、果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC) コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC) コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC) コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています。結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC) コメント 各依頼について、 ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。 ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初の削除依頼で意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見の合意が出来てないという理由。 ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております、意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。 ⑥はGFDL違反が絡む案件。 ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。 現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュースか最近の出来事止まりということです』。 ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると 削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) 分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC) コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipediaは多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC) コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者を平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。 もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC) 仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC) 『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。 元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。 自分は削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものであると解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます(特に資料が新聞・ニュース止まりで特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC) すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています。管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC) 特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意のレベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC) コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティのコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティのコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディアは多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまいます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティのコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティのコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティのコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC) コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) 返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見は説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きます。しかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC) あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティのコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりはコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC) コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています。特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見が散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見とかぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC) コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものでしょうが、コミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティのコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えます。しかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティのコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反の論理な意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC) コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC) コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティのコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC) コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり
はてブで
【画像集】新宿で外国人排斥に反対する大規模抗議デモ「差別撤廃東京大行進」開催!現場の様子 - NAVER まとめ
ってエントリが上がってきてたんだけど、何か違和感があった。差別。うん、良くないよね。でも素直に参加し難い感じ。
この落ち着かない感じを確認したかったので、じっくり見てみた。
写真がたくさん貼られているんだけれど、例えばこれ。
Twitter / SANNGATUUSAGINO: 「ヘイトクライムのない社会を 民族教育権を保障しよう。
まあ、朝鮮系の方々が参加しているのは他の写真からもはっきりわかるので良いとして、問題は次。
Twitter / tomotkg: antifa http://t.co/coDtnMV4X1
とか
の写真にある赤と黒の旗。
知らない旗だけど、なんかたくさんある。
意味がわからなかったので調べてみたんだけど、無政府主義+共産主義の旗らしい(無政府主義旗)。
……え~と、東京大行進のプラカード自体も共産主義風だったけれど、正直「なんか雰囲気出したかったのかな?」くらいに思ってた。
すみません。ガチで共産主義の方々でしたか。しかも無政府主義って。
「私たちは日本政府に人種差別撤廃条約を誠実に履行するよう求めます。」と公式HPには書いてあるけど、本心では政府自体を消滅させたい方が参加されているようですね。
いや、別にどんな思想を持っていても良いと思いますよ。私もマルクスの本とか面白いと思うし。
でもね、「差別反対!」と言って人を集めながら、そのデモで政府転覆+赤化の旗を掲げるのはフェアじゃないでしょ。
日本の政府転覆とか赤化を目指すなら、素直にそう言えば良いのに。
さらに言うと赤化すら建前で、本心は「華夷秩序の中に組み込まれて一緒に中国になろうよ!」ってことなんでしょうけれど。
差別反対のつもりで参加したら、実は国家転覆を企む団体だった……なんて冗談にもなりませんよ。みなさんもお気をつけくださいね。
んーまああくまでも自分個人としての考え方なんで。
親も所詮は人間だし、ホモレズやだとか障害者ヤダとか不細工ヤダとか馬鹿ヤダとかニートヤダとか、差別問題に関わらず子供にこうあってほしいってエゴを持つのはしょうがないと思うんだよね。
そのエゴにかなう生き方を子供に押し付けたり、そのエゴや差別感情を親心だなんだと言ってさも正しいもののように刷り込むような真似がクソなのであってさ。
上みたいな男性のゲイのたとえで書くと、自分は1と4と6と7と8は許せる。2と3と5の親はクソだと思う(3と5は明確な虐待親だがイスラム圏みたいなヘイトクライム全盛でもない国で2みたいなことを抜かす卑怯な親は個人的に大嫌いだ)。9が出来るのは理想だけど、そこまで出来なくても別に構わないし、4と6と8ができたら充分に立派な親だと思っている。
なんか、女性専用車両の話題になるとなぜか一般車両に乗る男性の方が「隔離されてる」という言い方をする人が多いけど、実際は隔離されてるのは女性専用車両に乗ってる女性の方じゃない?(女性専用車両ってせいぜい各車両に1両しかないでしょ)
女性は痴漢犯罪の多発のせいで安全に電車に乗る権利(基本的人権)が日常的に侵害されている(日常的に通勤通学に電車を利用している3大都市圏の20代-40代女性の10%が過去1年に被害を受けているという警視庁の調査結果がある)わけだけど、安全に乗車したいなら専用車両に隔離されろ(そうじゃないと安全は保障しない)っていう施策でしょう。
フェミの人は女性も安全に電車に乗れる(というより痴漢は電車だけで発生する訳じゃないので女性が性犯罪に遭わず安心して移動できる)権利を得られることを求めてるけど、求めてるのは警備体制の強化とか痴漢犯罪をたいしたことないものとして容認する社会的意識の改革とかで、女性専用車両の存在は他に代替案がとれないのならやむを得ず容認的な立場でしょう。
今増田に書かれてるゲイの人の怒りって例えばゲイの人が公共スペースをハッテン場として使っていたら(主にヘテロな人たちから)ヘイトクライムの対象になるからといって公共スペースのほんの一部にゲイの人専用スペースが作られるようなものだけれど、それに対してビアンな女性たちが「ゲイ専用スペースからビアンも排除されるのはビアンへの差別だ」と怒るようなものなんだけど、そういうの読んだらどう思う?
右の人は左のやつらは感情的だと言い、左の人は右の奴らは感情的だと言うけれど、
実際は表面的に出てくる議論なんてみんな感情的なのかもしれないなぁと思った。
いやこう、人って自分の気質や感情にあった意見を見つけると、それを論理的に肯定する意見を探し求めるけど、
「俺は相手陣営の意見も知っているからあいつらが感情的だと言うことを知ってる」
と思いこんでしまいやすいというか。
「学校教育のせいで左派だったが、よく調べた結果右派になりました」
って人は、大体気質的には右派だったのに、教育時間の規制から表面的にのみ左派(ゆえに感情的であることが多い)
の意見の環境に囲まれて、漠然とそれを肯定せざるをえなかったが、自分の感覚に合った理論に巡り会って
「俺は目覚めた!! あいつらは感情的だ!!」
と思ってる感じなんだと思う。
逆に保守的な家庭に生まれて、当然家族間の会話なので表面的なレベルでしかない右派の意見に囲まれ、
漠然とそれを肯定せざるを得ない生き方をしていた、気質的には左派の人が、ネットとかで自分の感覚を肯定する論理を探し当てて、
「俺は目覚めた!! あいつらは感情的だ!!」
てなったりね。
ただ、どちらか一方のみが感情的になりやすいジャンルってのはあるなぁ、と思う。
環境系の議題とかだと、左の人は感情的になりやすいなぁ、と思う。
右の人が懇切丁寧に、その生き物は増えすぎてむしろ環境を悪化させているから駆逐した方が良い、と説明しても、
原発は滅多に事故を起こさないし、放射性廃棄物もきちんとした手続きで廃棄すれば、環境を悪化させない、とかって説明したところでききゃーしない。
逆に刑罰系の議題だと、右の人は感情的になりやすいなぁ、と思う。
いくら左の人が、統計的に厳罰化に防犯効果はなく、検挙率を上げなければならない、と説明しても、
国際情勢で有利に立ち回るにはマジョリティである死刑制度廃止陣営についた方が得策だ、と述べてもききゃーしない。
右派は外国というのは、いつ攻めてくるか分からない存在だという危機感を前提にしているので感情的だし、
左派はいつ軍隊が暴走して自国民に牙を剥いたり、徴兵を強制して勝手に戦争したりするんじゃないかという危機感を前提にして感情的。
そもそも土地に根ざさない二次産業、三次産業や金融取引が経済を回している昨今、
他国に貿易や援助要請するより他国の土地を手に入れた方が得策になる事態というのは滅多にない物だし、
シビリアンコントロールの手段が発達している今、軍隊の暴走もよほどのことがない限り起こらないもので、どちら政策次第で防げなくはないものだ。
でもどちらもかつて何度も起こった危機に対する恐怖がベースになっているものだから「万が一が起こったら洒落じゃすまないだろ!!」となる。
面白いのは性犯罪やヘイトクライムで、一般的な刑罰に対しては右派が犯人に厳しく、左派が犯人に優しいのに対し、この問題だけは逆転する。
京都朝鮮第一初級学校(京都市南区)で今月4日、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の旗を持った男性約10人が抗議行動と称して校門に押しかけ、拡声器を使って「スパイの子ども」などと騒いでいたことが18日、分かった。
校内には近隣の朝鮮学校も含めた児童約170人がいた。学校側は、偏見や差別感情が理由の「憎悪犯罪(ヘイトクライム)」だと反発。週明けにも威力業務妨害などの容疑で京都府警に告訴する。
集まったのは在特会関西支部メンバーら。校門前にある京都市管理の公園に学校がサッカーゴールや朝礼台などを置いていたため、在特会の桜井誠会長は「不法占拠したことへの抗議」と説明している。
学校が撮影した映像では、数人が朝礼台を正門まで運び「門を開けろ」と要求。学校関係者が「ここは学校です」と制止すると「こんなものは学校ではない」「朝鮮学校を日本からたたき出せ」などと拡声器で叫んだ。
2009/12/18 22:23 【共同通信】
日本の「民度」に関して言うなら、ヘイトクライムがまず存在しない時点で十分高いと思う。
この辺ははてサの一部で話題になってたヘイトスピーチ規制論争にも関連してくるけど、正直日本では「必要がない」と思う。
欧米では「黒人は殺せ」「イスラム教徒は殺せ」「同性愛者は殺せ」「中絶賛成の医師は殺せ」
という人々による殺人事件が実際に起こっていて、だからこそヘイトスピーチ規制が必要になってくる。
日本でその手の「在日を排除しろ」という団体の構成員が「あいつ個人に特に恨みがあるわけではない。在日朝鮮人だから殺しただけだ」
とかいう事件が起こってるわけじゃないし、そういう(追い出せ、はともかく殺せという意見が)
十分な数に受け入れられる余地も見あたらないと俺は思ってる。
(在特会だって「日本において外国人は日本人(日本国籍所持者)とは別に扱われるべき」「在日朝鮮人は他の外国人と同様に扱われるべき」と主張してるだけで、別に「在日は皆殺しにせよ」と会として運動してるわけではないし)
痴漢にまつわる議論を追っていて、どうも一口に痴漢といっても加害者像にかなりの幅があるんではないだろうか、と感じた。
ちょっとした思いつき程度ではあるけれども、痴漢のパターンから加害者像を想像/分類してみた。
1.「出来心」
「服の上から撫でる、さする」「傘でつつく」「満員電車で密着」「覗く」
「むしゃくしゃしてやった。今は反省している。」
一般的に痴漢と聞いて想像されるパターン。痴漢被害の実態を啓蒙することで相当防げる範囲じゃないかと。
2.「酔っ払い」
「からむ」「抱きつく」「卑猥な言動(売春を持ちかける等)」
酔っていることがほとんど顔に表れない人も結構いる。個人的には酒は免許制にすべきだと思う。
3.「知的障害者」
「比較的空いている車内にもかかわらず体を密着させる」「周囲の視線を全く気にしない」
知的障害を持つ人の性欲は社会的な認知が進んでいないと聞く。難しいね。。。
4.「常習者」
「通りすがりに胸を叩く」「下着にまで手を伸ばす」
場数を踏んでいる為、行動に躊躇が無い。痴漢被害の大部分を占めているんではないだろうか。警察に捕まるまで止めることはたぶん無い。
5.「倒錯」
「使用済みコンドームを投げつける」「同じ被害者、似通った服装や体形の人物ばかり狙う」
どちらかというとストーカーに近い?被害者へのダメージ大。他の痴漢とは違って自己完結せず被害者の反応を窺っている場合もあるか。
6.「ヘイトクライム」
「民族的な特徴のある服をナイフで切る」「同じグループ、階層(と加害者が考えるもの)の人間を狙う」
「痴漢」と分類されている中にも、こういった動機のものも含まれているんではないだろうか。
「男性性」ってカテゴライズが大きすぎることが議論が錯綜する原因のような気がしたので、対象を切り分けることでなんか見えてこんかな、と期待したのでありました。考慮の一助になれば幸いです。