右の人は左のやつらは感情的だと言い、左の人は右の奴らは感情的だと言うけれど、
実際は表面的に出てくる議論なんてみんな感情的なのかもしれないなぁと思った。
いやこう、人って自分の気質や感情にあった意見を見つけると、それを論理的に肯定する意見を探し求めるけど、
「俺は相手陣営の意見も知っているからあいつらが感情的だと言うことを知ってる」
と思いこんでしまいやすいというか。
「学校教育のせいで左派だったが、よく調べた結果右派になりました」
って人は、大体気質的には右派だったのに、教育時間の規制から表面的にのみ左派(ゆえに感情的であることが多い)
の意見の環境に囲まれて、漠然とそれを肯定せざるをえなかったが、自分の感覚に合った理論に巡り会って
「俺は目覚めた!! あいつらは感情的だ!!」
と思ってる感じなんだと思う。
逆に保守的な家庭に生まれて、当然家族間の会話なので表面的なレベルでしかない右派の意見に囲まれ、
漠然とそれを肯定せざるを得ない生き方をしていた、気質的には左派の人が、ネットとかで自分の感覚を肯定する論理を探し当てて、
「俺は目覚めた!! あいつらは感情的だ!!」
てなったりね。
ただ、どちらか一方のみが感情的になりやすいジャンルってのはあるなぁ、と思う。
環境系の議題とかだと、左の人は感情的になりやすいなぁ、と思う。
右の人が懇切丁寧に、その生き物は増えすぎてむしろ環境を悪化させているから駆逐した方が良い、と説明しても、
原発は滅多に事故を起こさないし、放射性廃棄物もきちんとした手続きで廃棄すれば、環境を悪化させない、とかって説明したところでききゃーしない。
逆に刑罰系の議題だと、右の人は感情的になりやすいなぁ、と思う。
いくら左の人が、統計的に厳罰化に防犯効果はなく、検挙率を上げなければならない、と説明しても、
国際情勢で有利に立ち回るにはマジョリティである死刑制度廃止陣営についた方が得策だ、と述べてもききゃーしない。
右派は外国というのは、いつ攻めてくるか分からない存在だという危機感を前提にしているので感情的だし、
左派はいつ軍隊が暴走して自国民に牙を剥いたり、徴兵を強制して勝手に戦争したりするんじゃないかという危機感を前提にして感情的。
そもそも土地に根ざさない二次産業、三次産業や金融取引が経済を回している昨今、
他国に貿易や援助要請するより他国の土地を手に入れた方が得策になる事態というのは滅多にない物だし、
シビリアンコントロールの手段が発達している今、軍隊の暴走もよほどのことがない限り起こらないもので、どちら政策次第で防げなくはないものだ。
でもどちらもかつて何度も起こった危機に対する恐怖がベースになっているものだから「万が一が起こったら洒落じゃすまないだろ!!」となる。
面白いのは性犯罪やヘイトクライムで、一般的な刑罰に対しては右派が犯人に厳しく、左派が犯人に優しいのに対し、この問題だけは逆転する。