はてなキーワード: プロモーションとは
ミラベルを見てきた。面白かったし映像も良くできてる期待通りの作品で何もなければ良い意味で話題作になれてたと思います!!!何もなければ!!!!!
今のサジェストはポリコレ、ハフポストがやらかしてくれたおかげで眼鏡ヒロイン好きを敵に回してミラベルのサムネで大炎上。一連の騒動を見て一生見ねえよと誓った人間もたぶん少なくないはずだ。更にポリコレ大好きな方々にも目を付けられてしまい、新しいタイプのヒロインだから見てくれだのディズニーの最先端ヒロイン像だの変な宣伝のされ方をして更に「ポリコレに配慮しかしてないやべー作品」のレッテル貼り。キツい。悲しい。かくいう自分も見に行くまでやべー作品だと思ってて、ヴェノム見るついでに時間余んなきゃ見てなかった。だから特に言う資格はないんだけどさあ……。
ヒロインが新しい新しくないとかかわいいかわいくないは置いといてアナ雪とかみたいなプリンセス!かわいい!見たい!っていう強いファーストインパクトを女児に与えられるか?って言ったら難しいのでそれよりやや上の年齢層を巻き込まないとダメだったろうし内容もそんな感じだったけど、上の年齢層の間で最悪な印象しかないのでもうダメそうです。辛い。
別にプロモーションの失敗ではないわけだけど、こういう評判の失敗っていうか流行の失敗ってなんて呼んだらいいんだろうな。特に公式が大きいミスをしたわけでもなく内容に問題があったわけでもなく。こうやって波に乗り損ねて沈んでいっちゃった作品って実は結構あったりするんだろうか
当たり前だけど他のサービスのメールは押した瞬間に購読解除になるよ
送金とかそういうクリティカルじゃない機能にこれやるんだったらもう使いたくない
今は会社の給料振込先にしているけど、会社辞めたら口座解約する。絶対に解約する。絶対絶対解約する。俺はブチ切れたからな
特に何度も何度も同じ数列をスマホのちぃせぇ画面で操作繰り返させられたの最悪
こんな本があった。日本でも同じような本がいずれ出るのだろうか。
【内容紹介】
書名:ミレニアル世代よ、わかったよ!
帯:ピューリタニズム、被害者化、アイデンティティ政治、検閲……「ベビーブーマー」世代による、Woke世代の神話についての調査
説明:
文化大革命が進行中だ。今度は中国発ではなく、アメリカ発なのだが、中国の文化大革命と同様に大きな被害をもたらすものである。新たな紅衛兵は「社会正義の戦士」だ。ロレアル社は「白(blanc)」「美白(blanchissement)」という言葉をカタログから削除し、エヴィアン社はラマダン期間にプロモーションを行ったことについて謝罪した。レゴ社はBlack Lives Matterとの連帯を示すために、警察が登場する広告を削除した。Wokeが北米の大学に残存する民間伝承にすぎないと言っていられるだろうか?
文化大革命が進行中だ。アメリカの名誉ある大学の女性研究や黒人研究、クィア研究からこの革命は始まった。この革命が、民主党を有害な左傾化へとおいやる「アイデンティティ・ポリティクス」を生み出し、衰退しつつあるプロテスタント的土壌を置き換えた。民族間の分裂に沿って社会を分極化させ、アメリカを内戦の危機にさらしている。黒人と白人、女性と男性、同性愛者と異性愛者を対立させるこのやり口を、われわれの世俗的な共和国、フランスに輸入したいだろうか?
普遍主義的理想と1960年代の解放思想を擁護するベビーブーマーである著者ブリス・クチュリエが、ミレニアル世代に呼びかける。あなた方の過剰な繊細さ、被害意識を伴うナルシシズムは、あなたたち自身に対して検閲や禁止を課すことになるのではないですか、と。私たちベビーブーマー世代は、可能性の領域を広げたい。あなた方は逆に可能性の領域を狭めている。それはわれわれ全員の不利益になる……
【感想】
ちなみに、著者の属するベビーブーマーとは1946年から1964年ごろに生まれた世代と言われている。
Wikipediaによれば、著者は若い頃に毛沢東主義や社会主義に傾倒していたらしい。
60年代の観点からミレニアル世代を批判するというのが、日本とは文脈の違いがあるのかもしれない。
https://livre.fnac.com/a15552213/Brice-Couturier-Ok-Millennials
たまに家の近くで見かける平の猫がこの前エアコンの室外機の裏からこちらをじっと見てて、なんだか気味が悪いなぁと思ったら自分の後ろにノッポさんみたいな帽子を被った老紳士が無言で立ってて、事情を聞いたらパソコンの使い方を教えて欲しいとのことだった。この老紳士、平成の最初の頃は島根で中学校の校長をやってたんだけど、翌年に起こった戦争で校舎が全部焼けてしまって家も失い、今はYouTuberをやってるらしい。パソコン使えないのにYouTuber?スマホでもできなくもないけど...と詳しく聞いてみるとこの人YouTuberの意味を何か勘違いしてるっぽくて、実際は普通のラーメン屋の出前持ちだった。たぶんウーバーイーツかなんかと勘違いしてる。その日はそこで別れて、以降近所で見かけることもなかったんだけど、さっきTwitter見てたらその老紳士のプロモーションツイートがタイムラインに流れてきた。どういうアルゴリズムなんだろうね。
若者は萌え絵に拒否感がないだろうが、観光地の「風情」を楽しみに来た中高年は、観光地に萌え絵があると「落ち着かない」気分になる。
若者に人気だと説明されると、では自分のような年寄りがくる場所ではなかったんだと、もう二度と来ない方がいいのだろうとなる。
一方、若者は?
カップルや友達と出かけた観光先に萌え絵があることに「なんとも思わない」層は中高年より多いはず。
好感度があがる層はいるか? 居ないはずだ。居るなら、若者向け萌えキャラのTシャツやバッグがもっと売れているはずだ。
数は多くないだろうが、不快に感じる若者層もいる。中高年同様、「風情」を楽しみにする層だ。
それまで、その観光地をあまり知らず、萌えおこしをやっていると聞き、萌えキャラが好みなので行く人々だ。
パイの母数としても小さいので、一度きりの訪問では全くキャンペーンとして収支が合わない。
世の中には次々と違う萌えキャラが出てくる。リピーターになる可能性は低いのではないだろうか。
観光地の本質価値を訴求せず、本質価値とは違う周辺価値を訴求して新しい顧客層を獲得したとしても、本質価値に共感していた層を離脱させ、リピートしない新顧客層を増やすだけになる。
過去に官公庁で後援名義だしたり、公的機関として地方のプロモーションに携わってた立場でちょっと所感を述べたい。
温泉むすめは現在観光庁からだけ後援名義をもらっていて、民間の後援企業はすでに撤退している。
この観光庁の後援というのは、正直申請書さえ出してしまえば大体通るし、書式が決まっているので細かいキャラクターの設定などは申請時には説明しない。企画自体が社会通念上よくないだとか、思想が偏っているだとか、その催しで参加者から法外な金額を徴収しているだとか、そういうことがなければだいたい後援名義を出してしまう。なので、温泉むすめに観光庁が後援名義を出しているのは、観光庁が温泉むすめを積極的にどうこうしたいだとか、公的に相応しいと思っているとかそういうものでもない。後援する側からすれば、サポートには大した意味は持たないのだ。
この官公庁の後援がいまだに取れないのは、これが官公庁の後援プロジェクトの「Your Japan2020」のコンテンツとして登録されている経過を受けてだろう。現在の価値観をもって「過去の登録は今の時流に合わないので訂正します」というのは官公庁的にはなかなか難しい。あるいは、温泉むすめは2020年に後援を受けたものだが、役所は単年度ごとで整理をつけるので、過去の時点では炎上しなかったので遡って名義を外すほどではないと考えている可能性もある。
ただし、先述したとおり、申請時にはキャラクターの詳細設定などは見ていないので、現在の炎上を経て内容を確認したところ「そもそも後援する要件を満たしていない」ということになれば、遡って後援名義を外したり、プロジェクトの認定を外したりはあり得ると思う。そしてこの場合の判断基準は、「企画が社会通念上よくない」かどうかになると思う。
キャラクター設定を見た所感だが、スカートめくりや夜這いについては個人的には好ましくないが、それだけでは後援は外れないかな、と思っている。ただ、「高等学校に通う少女が飲酒をして、それがポジティブな意味を持っている」というところは社会通念上よくないので、この部分が引っかかるかな、と感じた。彼女たちは神様で年齢の概念が人間とは違うため高校生でも未成年ではないし、そもそも高校はいつ入ってもいいので成人してから高校生になった人が飲酒するのもままあると思う。ただ、イラストの温泉むすめたちは皆制服姿の少女の姿をしていて、「大人びた雰囲気」「子供のように見える」などの形容詞がついていたので、何も知らない人が見ると一般的な16〜18歳の高校生と混同する可能性が高い。もしも過去に遡るなら、そこが争点になるのではないか。
公的なプロモーションはどうしても不特定多数が見るためにプロモーション対象のセグメントを絞りきれない。例えば「このアニメとのコラボは若い男性向けの企画で、この界隈の文脈ではこの絵や設定はおかしくないです」と整理しても、「でも子供を持つ母親が嫌がったら?」「お年寄りが不快に思ったら?」という明後日の方向からの一言があれば、大事をとって引っ込めたりしてしまう(千葉のVtuberの件が最たる例かと思う)。
個人的には、官公庁のプロモーションとアニメ、萌え系は相性がいいと思っている。ゆるキャラを作っても当たらないが、アニメ系なら一定の顧客がつく。プロモーションは見てもらう、知ってもらう、遊びに来てもらうが目的なので、訴求力が強いに越したことはない。ただ、それと同時に、官公庁はその性質上、上記のような明後日の方向からのツッコミにも耐えられないので、コラボする時には気をつけることがかなり多くなる。アニメなどが官公庁とコラボする時に露出が減るだとか、武器(銃剣など)を持たなくなるのはそのいい例だ。
長々と話したが何が言いたいかというと、官公庁で後援名義を出していた側からすると、温泉むすめは公的な存在になるにはちょっと危なっかしいと感じた、ということだ。プロモーションとしては一定の成果も出してそうなので、官公庁の後援はとらず、民間のプロジェクトだったらよかったなあと思う。今後温泉むすめから観光庁の後援名義が外れたり、都市の公認が外れたとしてもしても、それは別に炎上したからではないし、いわんやフェミニストがどうこうということではない。ただ、公的なものとして存在するにはツッコミが入りそうだから大事をとって下げました、というだけ。こうした不幸な事故が起きないよう、こういう企画をする方におかれては、官公庁コラボの場合は多方向からのツッコミが入らないかどうか検討を重ねてほしい。これはお願いベースですが。
仁藤夢乃氏の告発からはじまった日本版ゲーマゲート論争のような様相を呈している「温泉むすめ論争」。
あまりに飛び火していてまとめきれないところもあるけれど、自分の整理のためにも一部論点を抜粋しておく。
●キャラクター設定について
・温泉むすめは、性犯罪(スカートめくりや夜這い)を一般的に触れる可能性のあるキャラクター設定に取り入れている
・性差別を内包したキャラクター設定は、一般的に触れる可能性のあるキャラクターの設定として適切ではない
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、性的搾取である
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となる
・性犯罪を内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因と主張するには、統計的根拠が必要である
・性犯罪を内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業や施設では同じ性犯罪が発生する可能性が高い
・性犯罪を内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業や施設は、性犯罪や性的搾取問題に肯定的である
・未成年にみえるキャラクターが飲酒をほのめかす設定があることは、設定が神や人外であっても、見た人に未成年飲酒を問題ないととらえる認知の歪みを生じさせる
・萌え絵は、性差別表現なので、一般に目にする場所に出すことは適切ではない
・萌え絵は、性差別表現ではないが、一般に目にする場所に出すことは適切ではない
・萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となる
・萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実の性的搾取問題や性犯罪を引き起こす原因となると主張するには、統計的根拠が必要である
・萌え絵を好む人間は、性犯罪に走る可能性が高く、性犯罪者予備軍である
・萌え絵を好む、許せる女性は、性差別を内在化させており、性差別を肯定している加害者である
・特定の性別で統一されたキャラクター群において、ステータスのついたキャラクターを選べるというコンテンツ構造は、性差別的である
・公的機関が、萌え絵をキャンペーンに採用すること、後援することは、性搾取を肯定していることと同義である
●その他の論点
・外国人、外国出身キャラが日本語をしゃべる際に語尾に「デス」をつけるのは、差別的表現である
・制服は現実で性的なアイコンとみなされているので、その認知を強化するものだから萌え絵として描くべきではない
・制服は現実で性的なアイコンとみなされているので、その認知を強化するものだから萌え絵として、一般的に触れる可能性のある場所には不適切である
・普段温泉に行っていない人間は、温泉のプロモーション施策に口出しをする立場にはない
・R18作品を制作したことのある作家は、一般的に触れる可能性のある場所での表現では、名義を変えなければならない
・非実在のキャラクターは、誰も差別しておらず、誰も搾取していない
・ホームページやYouTubeでの発言は、誰にでも目に触れるものであるから、公共空間(ゾーニングされていない)と捉えて問題ない
・差別的表現に触れた人間は、理性に関係なく差別的な思想を内包化させ、差別的な行動をとるようになる
・他人の創作物を「こんなもの」と呼ぶことはクリエイターへの侮辱的行為である
・萌え絵を含む一般に目に触れることのあるキャンペーンがなくなることは、性差別や性搾取の問題解決につながる
・制作者本人たちとの議論よりも先に、Twitterで過激な言葉で告発することは、世論を動かすには仕方なく、適切なプロセスである
■おわりに
時代の変化もあるし、これからも続けていくなら設定は変えて正解。
少しでも温泉観光地に貢献していると現地の方が感じているのであれば素晴らしいコンテンツ。
温泉むすめを「こんなもの」と呼ぶのはクリエイターに失礼な最低な話し方。
萌え絵自体は現実の人間の人権を侵害していないので、性差別でも性的搾取でもない。
萌え絵の公共的な場所での消費が、現実の性差別の問題を引き起こしていたり、認知の歪みを与えるという言説は根拠に乏しく反対。
ただし、萌え絵が公共的な場所で消費されることに、女性自身が自分が日常さらされている「性的にみられる」という嫌悪感と地続きだと感じること自体はあるだろうし、否定できるものではない。その線引きは個人で違うので、主語を「女性」として自分の基準を社会の基準にしようとするのはあまりに乱暴。
温泉むすめは問題ないと思うが、性差別や性的搾取の問題とは別として、公共の場で非常に露出の高い女性表象は、必ずしも適切だとは思わない。
表現の適切さは、そもそも一足飛びに社会的な構造問題に結びつけて議論できるものではなく、その場その場で是々非々の検討が必要。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211119084159
数々の反応頂けてありがとうございます
掻い摘んでレスするよ
表現の話ではなくて老若男女向けのプロモーションで「女子高生をそういう風に扱う社会」でいいのかって話じゃん 建前だけでも「高校生は性的対象として扱いません」という体は保たれててほしいよ
あれが老若男女向けのプロモーションとは思えないけど、唯一、法に触れてしまう部分は私も引っかかったので、そこの指摘は良かったと思うし、公式も速攻で修正したね
ただそう思いつつも、表現の話として避けて通れないのも事実だと思った
フィクションのキャラ設定にそれは犯罪だろと突っ込んで修正させたのだから
フィクション中で起きるのが殺人なら「それはダメ」って共通認識があるけど、セクハラや性犯罪は「別に問題じゃない、むしろ喜ぶ人もいる」と認識する人がまだ多く、その幻想(心理学用語で投影)を強化してしまうんよ
って言う統計なり、裏付けるデータがちゃんとした形で欲しいし、そのセクハラや性犯罪について「問題じゃない」とか思ってしまう人はそれが創作の影響なのかどうか、そう言うのも欲しいね。
あとその言い分だと認識する人が減ってきたら描写しても良い感じなの?その判断は誰が
私は萌えとされる絵や、性的描写とされた絵が万人に明確な形で実際の犯罪へ影響力があり害悪だと示されるなら法で規制したら良いと思ってる
タバコなんかはわかりやすかったね。ただ嫌とかじゃなく、人体への影響として発癌性がある、しかも副流煙により他者への害をも及ぼす。そりゃ規制されるよってね
色んなコメント読んでて、それこそ萌えが好きだから擁護するとかそう言う話じゃなく、同じ部分でもやもやしてる人は多いんだなと思った
そして、そこへの明確な回答が出てこないなとも。あったらすっきりしてるからね
私はただ表現規制と言う視点で今回の批判に詰めの甘さを感じて、その穴を埋めたいだけなんだよ
ちなみに性犯罪の刑罰は被害に対して軽すぎると思うし、性犯罪者は去勢したら良いと思ってるくらいです
全国の温泉客がキャラを目にする以上「公式サイトに見に行かないといけない」点で公共性を免れるというのはちょっと無理あると思う。というかこの件はほぼすべて文脈の問題では
以前萌え絵が燃えた時は街中のふと目につくような場所にあるのは相応しくないとか言う主張があったよね。それを気にした程度のものです
わざわざネットに行かないと見れないプロフィールに公共性はあるのかと言う疑問だったけど、これもやっぱり意見割れるね
知らなかったと言う意見も少なくなかったし、5年目にして火の目を見てるのはその証左とも言えるかも
私は街中で目についたものについて気になったら検索する事もあるけど、そこまでPRからネットに飛ぶことはない
少なくとも街中のその辺にポスターと一緒に文面が貼られててふと目に入ってしまうよりは公共性は格段に落ちると思う
またPRなのにわざわざ未成年者表記で問題のある文章を載せてたのは問題と言うのは上に書いた通りごもっともと承知してます
既存作品とのコラボはその作品の性格含めてコラボが適当か判断するのが責任、PR目的でキャラ作るならその世界観やキャラ設定だってPRする側の責任でしょ。そしてPR対象はフィクションではないわけで。
温泉むすめは間違いなく萌えなフィクション作品が好きな層へ向けたものだと思うよ
そして同時に、家族向けは家族向け、女性向けは女性向け、カップル向けはカップル向け、それぞれPRに打って出てると思うよ
温泉むすめが老若男女対象の唯一のPRならそりゃ違うだろうけど、そんなアホな事はしてないと信じたい
物語において悪徳を与えられたキャラクターには作劇上に「報い」が設定されることが普通でそれを以てして作者は表現の公正を担保するが、単発のキャラではそれが難しい。設定は書いて終わりじゃない。使わないと
確かに設定だけのキャラクターと、そこから成長する話では違うかもしれない
温泉むすめも物語が付けばそれはそれで流行って良いPR目指せるのかと思ったけど、多分深夜アニメらしい深夜アニメにしかならないな
すみません。色々と意見を目にしてレスしながら考えて、自分なりの落とし所が見つかりました
単にフィクションの表現としては、実際に犯罪を起こさなければどんなフィクションであれその存在自体は是としてる
もちろん然るべきゾーニングもあっての上で
でもPRとして公共の場に出すものは、公の下として公序良俗に従うと言うのが妥当な言葉かなと思った
思想や表現は多様すぎるから公序良俗のラインが曖昧でぶつかる事はあるかも知れないけど
今回フィクションのキャラ設定を外圧で変えた正当な理由としては腑に落ちた感じです
結局何じゃそりゃみたいな。基本に立ち返っただけみたいな、腑に落ちる言葉探しとなりましたが
"物語において悪徳を与えられたキャラクターには作劇上に「報い」が設定されることが普通でそれを以てして作者は表現の公正を担保する" よくわからん概念が。悪役が悪役のまま大成したら表現が不公正? 謎
創作では悪が悪のまま終えると言う話もありそれはOKだと思うけれど、PRと言う公的な場で仕事をするキャラクターにおいては公序良俗に従うのが道理と言う点を踏まえると、それに反する設定を付けられていたら、物語があればその点を克服しPRにも足る人物になり得るけど、物語がなければその余地がないから設定だけでは不適切になってしまう、と
あくまで自分の納得のいく道筋が立ったと言う話で腑に落ちました
表現に人権侵害を助長する要素がないか、犯罪容認になり得ないかという視点がオタクは壊滅的に欠落している。創作物の内容と現実は地続きだよ。
よくあるけど乱暴すぎる雑な主張だと思う
オタクコンテンツに限らず古今東西無数にあるものを上げてオタクと言う属性に文句つけるのはただの差別でしょう
だから、現実では犯せないことも創作で発散されてるかもしれないよね。その考慮は?
創作においても断固として異常な嗜好は許さないと言うのであればそれは新たな生きづらさや差別を生むよ
例えば自分の子供がそうした嗜好を持つ人間だったとしたら、そう言う嗜好だから仕方ないと子供の人生諦められるか?
そうしたことまで考えることが多様性、共生の世界だと思ってるよ
囲碁漫画読んで囲碁始めたり、サッカー漫画読んでサッカー選手になるのに、エロだけ現実に影響しないというのはなあ。大学生男子の半数が創作物のポルノから性知識得てる統計
問題とされる箇所で言うならば色んな犯罪描写がある中で性犯罪だけ敷居が低くて影響されるからダメと言う部分を比較しなきゃいけないんじゃないの?
公的な場においては公序良俗に従うと言うのは私としてはとてもフラットに納得できた線引きだ
これで納得するということは過去にAV出演した方がプロモーションに採用されるのはダメってことにも納得できるということにもなる気がするし連中は実際いちゃもんつけて来るぞ。普通に差別の理屈だよ
いちゃもんつけてくる人は付けてくるだろうけどそれはただの職業差別だし、そんな理屈に私は納得してないよ
我見です。
ある程度一般化されて行政でも扱われだした割には、その歴史を知るものから忌み嫌われてる感覚がある。
オタクと思われたくないのと、萌え絵の歴史からそれがセクハラになるのではと恐れるから。
少年少女から萌え絵アニメ絵に親しんだ若者たちは、私の知る限りでは男女とも強い違和感を持ってないようなんですよ。男女で萌えやアニメの話を楽しそうにしてるからね。
で、萌え絵ってエロと親和性高いのはその歴史からしゃーないと思うんだけど、
頬を赤らめたり露出の高い服を着させてみたり、エロい性格設定してみたり。
昔は温泉のプロモーションっつったら女性モデルがバスタオル巻いて谷間放り出してお湯に浸かるとか
ふつーに朝や夕方のTV番組でもやってたけど、それだけだと取りこぼしてしまう層に向けたマーケティングになるんかな。
よー考えたら、ガワだけ変えてやってることは変わらんよな。
広告に水着が使われづらくなったのは、あれは弾圧によって一つの市場、表現、仕事、働き口が潰された事例だ。
「小人プロレスが倫理的非難で潰されて小人症の稼ぎ先がなくなった」は信憑性が怪しいし古い話だから検証も難しくなっている。
だが、広告に水着が使えなくなったのはここ二十年に私たちの目の前で行われた弾圧だ。
確かに社会や思想はそのように動いたが、その動きが正しかったことは保証されていない。
だから「水着広告もなくなったんだし、他の性的魅力を生かしたプロモーションや仕事も公開範囲を狭めるのが妥当」なんてのは全然正当性がない。
水着が減ってよかったと思ってる人からしたら、運動成果であり倫理進歩なんだろう。
だが私から見れば、アメリカ人がネイティブアメリカンを殺したり改宗を迫ったこと、倭人がアイヌを殺し差別したのと同じくくりだ。
今ではそれらの行為はおおむね過去の過ちとして反省対象となっていて、輝かしき運動成果として扱われることはほぼない。
なのに、フェミニストなどが水着広告界を潰したことを疑いなく世の中の進歩であり実績であり「価値観のアップデート」などと呼んでいるのは、死体の山の上で快哉を上げているようでグロテスクに見える。
水着広告を潰したことや、今後性的表現が許される場を狭めていこうとしていることが、果たして先住民虐殺のような過ちとなるか奴隷解放のような偉業となるかは長い時間が経たないとわからないだろう。(なんならその二つも千年後には評価が逆転しているかもしれない)
だが少なくとも、自分達がしているのは絶対に奴隷解放的な正義の行いだと疑わず、反対者を悪だとかアップデートできていない愚か者だとか断じるのは止めるべきだ。
SDGsとメディア上で連呼されても活動内容のイメージがまず伝わっていないので、大多数の国際政治に対して特に関心を関心を払っていない人たちからは胡散臭くみられてスルーされているというのが現状かなと。なんとなくだがSDGsという言葉をそのまま直で輸入してるのが普及を妨げているのではないかと。せめてわかりやすい和訳を造って広めるぐらいのひと手間をかけることはできなかったのか。SDGsそのものより日本地域でのプロモーションの手際の悪さが問題であって、SDGs自体がどうこう以前の段階で活動が頓挫してしまっているのではないか。
正直、スタートダッシュで転んでるのに、自分が転んでることにすら気づかないまま「ゴールするぞー!」と叫び続けてる残念な空振り感が漂っていてつらい。