2021-11-19

温泉むすめ論争」で錯綜しまくる論点(一部)まとめ

仁藤夢乃氏の告発からはじまった日本版ゲーマゲート論争のような様相を呈している「温泉むすめ論争」。

まりに飛び火していてまとめきれないところもあるけれど、自分の整理のためにも一部論点抜粋しておく。

  

キャラクター設定について

温泉むすめは、性犯罪スカートめくり夜這い)を一般的に触れる可能性のあるキャラクター設定に取り入れている

性差別内包したキャラクター設定は、一般的に触れる可能性のあるキャラクターの設定として適切ではない

性犯罪内包したキャラクター設定は、性差別であり、性的搾取である

性犯罪内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実性的搾取問題性犯罪を引き起こす原因となる

性犯罪内包したキャラクター設定は、性差別であり、現実性的搾取問題性犯罪を引き起こす原因と主張するには、統計的根拠必要である

性犯罪内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業施設では同じ性犯罪が発生する可能性が高い

性犯罪内包したキャラクター設定のあるキャラクターを、プロモーションとして活用した場合、その企業施設は、性犯罪性的搾取問題肯定的である

未成年みえキャラクター飲酒をほのめかす設定があることは、設定が神や人外であっても、見た人に未成年飲酒問題ないととらえる認知の歪みを生じさせる

 

萌え絵という表現について

萌え絵は、性差別表現である

萌え絵は、性差別表現なので、一般に目にする場所に出すことは適切ではない

萌え絵は、性差別表現ではないが、一般に目にする場所に出すことは適切ではない

萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実性的搾取問題性犯罪を引き起こす原因となる

萌え絵は、性差別表現であるので、それを見ることは現実性的搾取問題性犯罪を引き起こす原因となると主張するには、統計的根拠必要である

萌え絵を好む人間は、性犯罪に走る可能性が高く、性犯罪者予備軍である

萌え絵を好む、許せる女性は、性差別を内在化させており、性差別肯定している加害者である

 

コンテンツ構造について

特定性別統一されたキャラクター群において、ステータスのついたキャラクターを選べるというコンテンツ構造は、性差別である

 

公的機関スタンスについて

公的機関が、萌え絵キャンペーン採用すること、後援することは、性搾取肯定していることと同義である

 

●その他の論点

外国人外国出身キャラ日本語をしゃべる際に語尾に「デス」をつけるのは、差別的表現である

制服現実性的アイコンとみなされているので、その認知を強化するものから萌え絵として描くべきではない

制服現実性的アイコンとみなされているので、その認知を強化するものから萌え絵として、一般的に触れる可能性のある場所には不適切である

普段温泉に行っていない人間は、温泉プロモーション施策に口出しをする立場にはない

・R18作品制作したことのある作家は、一般的に触れる可能性のある場所での表現では、名義を変えなければならない

非実在キャラクターは、誰も差別しておらず、誰も搾取していない

ホームページYouTubeでの発言は、誰にでも目に触れるものであるから公共空間ゾーニングされていない)と捉えて問題ない

差別的表現に触れた人間は、理性に関係なく差別的思想内包化させ、差別的な行動をとるようになる

他人創作物を「こんなもの」と呼ぶことはクリエイターへの侮辱行為である

萌え絵を含む一般に目に触れることのあるキャンペーンがなくなることは、性差別性搾取問題解決につながる

制作者本人たちとの議論よりも先に、Twitter過激言葉告発することは、世論を動かすには仕方なく、適切なプロセスである

 

■おわりに

個人的な本件へのスタンスこちらの通り。

 

時代の変化もあるし、これからも続けていくなら設定は変えて正解。

少しでも温泉観光地に貢献していると現地の方が感じているのであれば素晴らしいコンテンツ

温泉むすめを「こんなもの」と呼ぶのはクリエイターに失礼な最低な話し方。

萌え絵自体現実人間人権侵害していないので、性差別でも性的搾取でもない。

萌え絵公共的な場所での消費が、現実性差別問題引き起こしていたり、認知の歪みを与えるという言説は根拠に乏しく反対。

ただし、萌え絵公共的な場所で消費されることに、女性自身が自分日常さらされている「性的にみられる」という嫌悪感と地続きだと感じること自体はあるだろうし、否定できるものではない。その線引きは個人で違うので、主語を「女性」として自分基準社会基準にしようとするのはあまり乱暴

温泉むすめは問題ないと思うが、性差別性的搾取問題とは別として、公共の場で非常に露出の高い女性表象は、必ずしも適切だとは思わない。

表現の適切さは、そもそも一足飛びに社会的な構造問題に結びつけて議論できるものではなく、その場その場で是々非々検討必要

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