はてなキーワード: ソーシャルとは
俺もそんなに若くはないが、おっさんほどズレてはないと思うから言わせてもらう。
(以下一部引用)
・知る限り中小の社長なんてもっと酷いよー。Apple製品、ソーシャル、医療福祉、海外 これだけ言っておけば何でも金になると思ってんだから。結局代理店か下請けに甘んじるし。自分でやるだけ良いんじゃないかなー
・これが意外とチャラいというかミーハーな方が成功したりするんだよな。というのも、起業とかイノベーションって結局のところ時代の波に乗って波を大きくすることであって、凪から波を起こすことじゃないから。
・若い人には視野の広さなんて求める必要ない気がするんですよねえ。視野が広い人は起業とかあまりしないんじゃないかなあ、と。
それを循環させるエコシステムを作ろうってのが最近よく言われてるスタートアップブームの本質なんだよ。
このエコシステムってのは、今まで自治体や政府がやってきたそれとは全然違うんだよおっさん。
おっさんの言うとおりに人、物、金、を動かすと自治体や政府が人月計算で専門学校やFラン大学上がりのエンジニアを糞みたいにこき使って自転車操業で金を稼ぐしょぼい受託起業に助成金配るのが関の山なんだよ。
それのどこがイノベーションなんだよ。
ネット回線とiPhone売り歩く営業代理店に新規の人材採用の助成金ばら撒いたってイノベーションは起きなかったんだよ。
確実に(一定の)マーケットがある市場ってのは、一定のであってそこに人、物、金を突っ込んでもしょうがないわけだよ。
学生が起業するならバイトの斡旋とか、家庭教師の斡旋とか、ネット回線売り歩いて成果報酬もらったりって、それが言いたいことではないだろ?
おっさんは家庭があって家のローンがあって毎月(一定の)固定費が必要なのかもしれないけど、若者にはそんな心配ねぇんだよ。
だから若者は限りなくセクシーで、ニーズがあるかないかも分かんねぇドメインで博打を張れる。それでいいじゃん。
それを応援してやっても誰も損はしないだろ。若者以外そこに博打は張らないんだから。
若者がセクシーでキャッチーなアイデアしか出せないのは、知識がないのと、どっちにしろリソースがないからだよ。
MacとiPhoneとWindowsとAndroidくらいしかねぇから、そのリソースでレバレッジをバリバリに効かせてんだろうよ。
今のSAPベンチャーもFacebookもGREEもmixiもそうやって生まれてきたんじゃないか。
おっさんの言うとおりにしたら、ソシャゲーとSNSはマーケット自体生まれなかったじゃねぇか。
でも糞みたいなアイデアが多いのは同意する。でも別にいいじゃん。
エコシステムはそういう糞みたいなアイデアをつまみ出して、そこに人、物、金が集まらないようにって意味でのフィルターも兼ねてるんだから。
半年1年すれば金も時間も気力も尽きてどうせ就職活動するからほっとけよ。
おっさんが推奨するような営業代理店も売るものがなくなったら勝手にランサーズに掲載されてる案件売り始めるだろうよ。
若年起業者の多くは、当然ながら平均的就活生程度にしか会社や産業や社会を知らない。
(この文章では「起業家」と呼ぶに値しない有象無象を「起業者」と呼ぶ)
流行りに乗っただけのチャラい企画が多い。モバイル、ソーシャル、コマース、ローカル、ゲーミフィケーション、スタンプ云々。
どんな価値を実現するのか、どんな問題を解決するのか、はっきりしない「事業」の企画。空疎なコンセプトだけが並んだ「事業」企画プレゼンテーション(ピッチ)。「事業」と呼ぶに値しない。
そんな起業者は「テレビCMやってる会社にだけエントリーする就活生」と同レベルだ。
いや、それ以下かもしれない。
そういう就活生だって、選考に落ちまくったあとでは、B2B企業に視野を広げてエントリーする。
君ら若年起業者はどうだ? 君らはB2B企業について何も知らないのではないだろうか。
君らはいっぱしの「起業家」気取りかもしれないが、選考に落ちまくる就活生以下だ。
世の中には「ぜんぜんセクシーじゃないけど確実にマーケットがある領域」があるのだが、君らはそれを知らない。
起業するなら、少しばかり調べてみたらどうかな。
さて、君が運よく事業機会を見つけたとする。(君の判断など当てにならないが)
そのうえで、君らは即戦力ではないのだから、起業に際して「社長」や「CEO」といった肩書きにこだわるのはナンセンスだ。
君らの取り柄は若さだけだ。無理が効く体力や、失敗しても許してもらえる特権だ。
だから、君らのやるべきことは、大きな事業機会を見つけて、その領域で経験を積んだ人と共に起業することだ。
君は肩書きこそ「共同創業者」や「COO」になるかもしれないが、その時点での君らはアルバイトと大差ない。
君らは即戦力ではないが、創業したばかりの会社に山積する雑用をこなすことはできる。それが君らにとっての「OJT」だ。それによって君らは仕事を覚えるのだ。
いいね!の数で満たされるのは現実世界で埋めれない弱い弱い人の心。
LINEやGoogle+で繰り広げられる人の陰口や晒し上げ。
毎日ウィンドウの中に流れてくる、心に響かない言葉と何の意味も無い情報達。
こんな異常な場所にいてはいけないと全てのアカウントを消したら
まるで自分が死んだかの様に扱われて、心が殺される事が怖い。
ソーシャルで満たされる弱い心の繋がりなんて何の意味も持たない。
そんな風に感じるのは自分だけなのかな。
僕は、現実世界でもネット世界でも特定の誰かと仲良くなりたいという気持ちがあまりない。
特定の誰かと仲良くなると疲れるからだ。僕は、自分をすぐ見失う。
僕の人付き合いというものは、相手を不快にしないために、最大限に自分が不快になることだ。
悲しいことに、僕は聖人ではないので、自分の不快度がキャパオーバーした瞬間に関係が崩れる。
ならば独りでいればよいのだが、完全な孤独にいるのも無理なんだろう。
僕は日々色んなことを考えるし、色んなものを見つけてそれをどこかに表現したい。
誰かの泣きごとはききたくないけど、僕の泣きごとはきいてほしい。かまってちゃん。うざい。なのである。
かまってちゃんより性質が悪いのは、かまってちゃんと違って、かまってくれる人を作ろうともしないことである。
少し?弁護するならば、僕が誰かの泣きごとをきけないのは、僕にはそれがコストが高すぎるからだ。
泣いてる子がいると、僕も一緒に全力で、あたふたして疲れてしまう。そして、いつか僕も一緒に泣きだす。
精神的に幼稚なのだ。その未成熟な精神が、さらに人付き合いを避ける原因になり、このような人付き合いになってしまった。
本人は、頑張ってるつもりだから、いたいたしい。
こういう僕が確立された理由には、僕の成長過程でいくらでも思い当たるフシがあるが、それを今思い直したところで
僕にはそれをやり直す機会など無いので、もっとも前向きな答えは、今の僕のまま生きる方法を探すことだ。
僕はインターネット上でいくつかの自分の居場所を見つけている。
僕が好きな2ちゃんは、あるお題に対して、みんなで自分らしい表現する場所だった。
自分らしいというのは結構曲者で、相対的な自分らしさを表現をするために、もっとも自分らしくない表現をしてしまうことも多々ある。
2ちゃんねるは、ある意味で本音であり、ある意味でもっとも本音じゃないことが書かれている。
でも、2ちゃんねるも少しずつ変わった。みんなの表現を探す場所へとゆるやかに変化していった。
たくさんの人の考えが並ぶようになったのに、表現の数はかなり減ってしまった。
2ちゃんねるのなかでも「みんなの表現」をとことん嫌う場所がいくつか残っていて、
僕はその場所に片足を突っ込んでいるが、昔ほど積極的ではなくなった。
もう一つは、はてなブックマークだ。
僕がはてなブックマークを使いだしたのは、単純に暇潰しだ。
ネットの話題がそれなりに集まる場所。当初は、ブクマコメントなんて気にもしていなかった。
でも今は記事よりコメントを良く読んでいる気がする。
そこには彼らの「自分らしい表現」が並んでいて僕が「自分らしい表現」が出来る場所だから。
緩やかな繋がりのまま、その表現を評価する機能さえも揃ってる。
その風は「自分らしい表現」より「彼」をはてなブックマークに求めていた。
「自分らしい表現」というのは、その上位構造で達成されているのだ。
その風にとってのはてブは、下位構造に位置するもので、悪く言えば出涸らしだ。
もちろん、その使い方も間違っていない。だから、その風の言い分は全く間違っていない。
ソーシャルブックマークの目的は「URLの整理と共有」である。
そのページが料理のレシピなら[料理]タグや[レシピ]タグを付け、
内容に補足があればそれをコメントに書く。
そうすれば、忘れた頃にその記事を読みたいと思っても、簡単に探し出すことができる。
誰かが料理のレシピを知りたいと思ったら[料理]タグや[レシピ]タグを、
ゲームの攻略方法を知りたいと思ったら[ゲーム]タグや[攻略]タグを、
小説の書評を読みたいと思ったら[小説]タグや[書評]タグを検索すればいい。
そうやって蓄積された情報を利用すれば、
同じ趣味のユーザー同士を紐付けて記事をリコメンドしたり(お気に入り)、
ブックマークしたユーザー数を集計してランキングを作ったり(ホッテントリ)、
カテゴライズされた新着記事をニュースサイトのように扱ったりもできる(ソーシャルニュース)。
それがソーシャルブックマークであり、はてなブックマークである。
ここでいう「普通」というのは正社員の人材市場で価値があり結婚して子どもも作れる社会や親の期待値に応えられる能力を持った人の事
資本主義の社会では金を稼ぐのに不要な個性は企業にとっていらない
「気配り」「見た目」「そこで仕事をするのに最低限の知的能力」「意思疎通能力」「やる気」すら取り揃えられない「歯車」にもなれない人の世界もある
それが「普通」とそうでない人とのハザマ
「消費者」としての価値や他の事で社会に貢献という奇麗事言っても始まらない
他の才能に特化していれば不利なのも覆せる人もいるけど
「普通」未満の「知的能力」しかない人はどこかに雇われなければ生きていきにくい
一人で稼いでてもより大きな組織化された資本が表れれば負けやすい
「普通」でも磨り減って「歯車」としての価値が無くなれば見向きもされなくなる
この手の人達は「ポジティブ教」「自己啓発」「情報商材」でご飯食べている人のいいカモになりやすい
「ネット言論で有名人になりたい」「まとめサイトつくってアフィでご飯食べて生きたい」「ソーシャルなつながりをビジネスに生かしたい」
将来の「夢」や「希望」を持たずに生きるために経験値を溜める為にこつこつ働くしかない そして人材市場で価値が無くなったら年金貰える前に飢え死に
それが「私」の未来予想図 「夢」「希望」「ポジティブ」それは「普通」以上の知的能力を持っている人達だけが持てる特権
見た目どころか考える能力にすら大いに欠けている人達が 普段は「普通」の人達から見向きもされない透明な背景としての存在が行き場が無くてたむろっているのがSNS
「普通」の人達はどこかに雇われて社会に必要とされている人達は 「普通」でない人達の「絶望」が邪魔っけで「ネガティブ」すら見たくなくてネットからすら汚い醜い
モノすら消したりたくてたまらない そういう感情は「穢れ」だから
でもそういう人たちには「SNS」しか生き場所が無い 現実に戻っても「普通」の社会には参加できない「使い捨て」もしくは「使い捨てにもなれない」
雇われて稼いだお金から生活費引いて貯蓄引いて「今日自由に使えるお金は数百円かあ 正月のおせちやお年玉の為にお昼は自宅から持っていく海苔おにぎりの
お弁当だけですまそう」と考えていると頭の良い人達が奇麗事いっているの見るととても嫌な気分になる
「やればできる」(その言葉の裏には本当はその人にそんな知的能力は無いことがわかっているのに「ネガティブ」を取り上げて「ポジティブ」を押し付けるポジティブマッチョ)
今ある手持ちの能力のパラメータこつこつ経験値貯めて伸ばして食いつないでいくしかない できなきゃ寄る辺も無い人は飢え死にするだけ
ふと思ったんだけど、結婚とかなんだのとか、そういう、極簡単な一般的な話が跳ねる様になって来たことや
擁護するきれいなことばっかり言うブクマとかが増えてきたけど、
なんか、mixiに一般人が大量に流れこんできた頃を思い出す。
mixiって、最初始まった時、ホントに他の人からの紹介制で一部のちょっとギークっぽい人とか、
その頃に教えてもらって入ったけど、閉じた世界で何が楽しいのかが、正直よく分からなかった。
でも、話題は何らかの事柄に関する深い話で、興味があるモノについては結構色んな深い情報が行き交ったりして面白かった部分もあった。
久しぶりに開いて見ると、なんかキモイ話題ばっか。お前らのそんな私生活別に聞きたくねーよ、的な。
先に始めて居ただけに、なんか乗り遅れ感もあり、特に自分から発信することはほとんど無かった。
日記とかを自分でも書いてみたけど、反応あればまあ、それなりに嬉しいけど、
でも、人のを見てそれに反応する意味がよくわからず、結局自分も人のに反応したくもないんだから
自分で書いてるのも他人が見て同じように思うだけじゃね?とか思い出し、自分からは発信しなくなる
全く同じことがFacebookでも起こった。Facebookに登録したのはまだ日本語版が無い頃。
なんか外国のサイトかなんかで登録する必要があって入った覚えがあるけど、
mixiと同じようなもんだな、と言う感じで、最初から興味を持てず。
それから数年して、いきなり知り合いからフレンド申請が沢山来るようになった。
いつの間に皆始めてたんだ、というくらい、見たら端から端からやっている。(ホント、あれ、誰が仕掛けたんだろう?mixiから奪って利益ある人ってどのあたりの人?電通がなんか利権持ってるの?)
だけど、恐ろしいほどやはり私生活発信。全く興味ない。
恐らく、こういう状態になってから始めた人ってのは、最初から「いいね」を皆にするもんだとか、そういうルールを知らないなりに覚えたりしてくんだろうけど、
逆にそれより随分前からやってると、いまさらいいねとかしないし、と。
mixiでも同じような感じ。
さらに、Twitterについて。Twitterってその昔、有名人が発信するためのものだとばっかり思ってた。
まだ、ブログとかなら分かるけど、短い文章を一般人が流して何が面白いのか、と。
実際、初期の頃は有名人が流すようなのが多く取り上げられてて、それらを追うのが楽しいだけだった。
そのうち、ググると意味不明な短文にひっっかかることが多くなってきて、twitterを馬鹿な一般人がくそみたいな内容を発信することで
何も意味のないtwitterのページが検索で引っかかるように。物凄くイライラする。最近は、さらにユーザー数が増えた割に検索に引っかからなくなってきたから、googleが結構頑張ってる感があってすごい。
で、これも、気付いたら周りが普通にやっていた。
自分は最初にアカウント作ったけど、人を追うだけ。自分で発信することなんてなかった。
だから、いまさら周りの人間が発信してたとしても発信する気にならない。
んで、ブログなんかも同じ。流石にブログを回り全部がやってるわけじゃないけど、
増え方として、ふつーの人が沢山始めてる感じがある。
別に昔やってた人が優れてる人とか飛び抜けてるギークだとか言うつもりはないけど、でも、ブログ書こう、ってなったらちょっと身構えてやるようなもんだったわけだ。
でも、それがなくなってきたから、かたっぱしから何も考えずにやってるような人が増えてくる。
こうなるともう、その界隈に意味のあるものが非常に稀になり、その存在意義に疑問を覚える。
mixiが一般に広がってキモイコメントをお互い交わすようになって来た様なフェーズ感を今、はてなに強く感じる。
で、また一つ思い出した。Second Lifeってあったよね。
あれもはっきり言ってfacebookとかそういうのと同じような匂いを感じてて、一時期流行り始めて、
遂には電通とかも本格的にナニカやらかし始めたから、結構大きなインフラになるのかとおもいきやいつの間にか消えてる。ま、今もあるっちゃあるけど。
結構な金が動いてたりしたんだけど、あのへん、土地とかやってた人、今どうなってるんだろう?逃げた人もいると思うけど、
高値掴んで失敗してる人もたくさんいると思うんだけど、あまり話を聞かない。
それでもう一個思い出したけどBitCoin。これは今最高潮な感じ。ただ、分からん。今がまだ始まったばかりなのか、もう頂点なのか。
ただ、上の様子から見るに、Second Lifeは恐らく馬鹿には敷居が高すぎたから廃れたんだと思う。
そう思うと、BitCoinなんかは敷居がとても高い。まあ、流石に上のソーシャル系とは全く違うものなんで一概には比べられないけど、
どちらかと言うと、どこかで終わる気がする。
他にそういったたぐいのものって今、他にあるかな?沢山ありすぎて分からんというのがホントのとこだけど。
うん、後半完全にぶれたな。
http://b.hatena.ne.jp/entry/hotentry.hatenablog.jp/entry/2013/11/05/182712
はてなが身内によるブクマを禁止してるどころか、ソーシャルとしての可能性にかけてみた。なのは当たり前なんですよ。
お前らの記事が単純に
つ ま ら な い か ら
に帰結するんですね。
もはやダブルスタンダードどころじゃない。
俺らは仲間内でも面白い記事ブクマするけど、お前らは仲間内だと糞記事ブクマするからやめろ。
このジャイアンスタイルは、本質的に間違ってない。というか、君らも心当たりあるから謝罪とかしちゃったね。
というより、自称情強のはてばかブックマーカーが日夜戦い続けてる普遍性という「理不尽な空気」そのものなのよ。
ブラックの恩恵を受けながら、ブラックを批判する。そういうダブスタこそブックマーカーの本質なんだよね。
理論が間違ってるなら、誰かに責任なすりつけて批判とか出来るから。はてなというアーキテクチャのせいとか。
なに村人に謝罪回りしてるの?
いや、違うんだよね。
君らは、本来はてななんてどうでもいいと思ってる。
はてなを動かす人達のアホくさい宣伝を「利用」しようとしただけ。
それを「利用」したら、なぜかほかのユーザーに叩かれた。
理不尽だ。でも、よい。だって。君らの目的は、はてなじゃない。
ともだちの空気読んではてぶを利用しようとして怒られたら
ともだちの空気読んではてぶに謝罪する。
一番慰めてくるのは、アクセスログの人数なんですけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20131105233601
えー。過去どれだけのサービスが生まれては消えていったと思ってるの?
mixiは現在進行形で瀕死の状態を晒してるけど、あれが栄えてたのだってほんの数年前の話だぜ。
Facebookすらも離脱する奴が増えて、数年後にはどうなってるか全く見えないだろ。
何の間違いか、はてなはしぶとく生き残ってるけど、ちょっと前のブログ全盛期と現在では参加してる奴の熱量も違うだろう。
ネットでサービスを継続して使った経験が少しでもあるなら、サービスがどこまでも拡大していくなんて話が妄想だって事はわかるだろ。
わかりやすい例として検索エンジンを上げてみます。検索エンジンと言えば、Google、Yahoo!、Bing、日本はこの3つでほとんど全てのシェアを占めるでしょう。
検索エンジンはサービスです。サービスの世界にあるのは利便性とコストパフォーマンスだけです。かなりはっきりと優劣がついてしまいます。
インフラは増田の言うように利便性とコスパが勝負なので、そこに乗っかるサービスを提供していく事でユーザーを誘い込む。
サービスを使うユーザーが増えると、さらにインフラのシェアが伸びる。
アイテム課金ゲームはサービスです。検索エンジンと同じでサービスの良さが勝敗を分けます。
スケールメリットを追求し最高のコストパフォーマンスで達成感を販売するサービスだけが生き残るビジネスです。
これも違うと思う。
ゲームはあくまでコンテンツで、ソーシャルは集客要素にすぎない。
今の課金ゲームはコンテンツが貧弱過ぎてサービス的なものに頼らざるを得なかっただけで、今後はコンテンツが重視されると思う。
事実、スマホの課金ゲームにも3D化やリッチコンテンツ化の流れは来ていて、開発費の高騰はコンシューマーと同じ道を歩もうとしてる。
スケールメリットを追求したアイテム課金ゲームはどんなものになるでしょうか。
スケールメリットのためにはなによりもまず利用者の数です。俺は前の記事でも言ってましたがソシャゲは人口です。人口が全てです。
任天堂の倒し方を知ってるくせに、自分で倒れかけてるGREEを見ても同じ事が言えるのかと。
アレだけ人口を集めたモバグリも、そこに乗っかったSAPも好調だったのはここ3年ぐらいだったじゃん。
キャラクターは老若男女が受け入れられる無難なキャラクターに、ゲームのルールもとにかく無難に、
ゲームの難易度も無難に(誰がどんなプレイの仕方で遊んでもあまり変わり映えしないように)、とにかく無難でありがちな要素で固めつつ、
クオリティは圧倒的に高く、ゲーム画面はとても見やすく、ルールはとにかくわかりやすく、サーバーとの通信はとても高速で快適に、
これって、コンシューマーの現状でもあるよね。
大衆向けに作ったらコンテンツは結局、こういう方向になるって事なんじゃないの?
この先は失笑ものの妄想だらけなのでコメントする気すら起きんけど、一つ言わせてもらうと、
ユ ー ザ ー を 馬 鹿 に す る な 。
仮に増田の言うような状況が発生したとして、その1年後にはこんな記事がニュースになってるだろう
一握りのサービスで満足し続ける程、ユーザーは馬鹿じゃないし我慢強くもない。
こっちでも書いたけどさ。
http://anond.hatelabo.jp/20131105161350
もういい加減、課金ゲームをコンシューマーゲームと比較するのやめようぜ。
過去を懐かしんで現状を否定するのはやめて、新しいプラットフォームでどうやったらユーザーを楽しませるかだけ考えようぜ。
コナミやセガやバンナム、スクエニ、カプコンといった大手は、課金ゲームでの収益化を模索している。
ゲーム業界なりの成功方程式が見えたら豊富なゲーム資産を武器にコンテンツを投入してくるだろう。
ガンホーはパズドラでボーナスステージだけど、脱パズドラ後のスマッシュヒットを作れる体制が作れるかが鍵。
コロプラも同様だが、ライト向け路線でいくのか、リッチ化でゲーム屋に挑むのかはわからん。
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-2759.html
そもそも、ゲームを楽しみたいと思うユーザーが集まってて、金を落としてくれているところが「ゲーム業界」だろ。
昔のゲーム業界を懐かしみ、現状のソシャゲに文句言ってる奴らを馬鹿呼ばわりして腐す気持ちは解る。でも、それって昔っからあった事だろ?
開発者はそういう奴らを華麗に無視しつつ、いつだって金を払ってくるユーザーに向けてゲームを作ってきたじゃん。
文句言うマニアを馬鹿呼ばわりしてるけど、何を今更って感じなんだよ。
そもそも、ゲームをどこでどんな機種で遊ぶかは数年単位で変化してる。
パソコンからアーケード、ファミコン、スーファミ、プレステ、PS2、DS、携帯、スマホへとユーザーが移ってきたように。
プラットフォームが変わる度に保守勢力は新しいシステムに文句を言い続けてるけど、
結局今じゃゲームはテレビにつなぐものじゃなくポケットに入れて持ち歩くものになった。
PS3ユーザーがファミコンに戻らないように、スマホユーザーは据え置き機には戻らない。
ファミコンから続いた30年の据え置き機王朝は、新興の携帯機勢に譲り渡された。
新しい王を讃えよう。新大陸でゲームを繁栄させ新たな地平を目指そう。
今、我らが歩いている道こそが王道だ。
ゲーセンで自分が選んだゲームに100円払った時代があり、次にゲームを買う時代が来た。
パッケージと口コミと雑誌記事を信じて1つのゲームに数千円を払う博打の時代が暫く続き、高騰するゲーム価格にライト層が逃げ出していった。
逃げた層は携帯に移り、それなりに暇をつぶせて満足していた。
そしてスマホが登場し、リッチなゲームが遊べるようになり、ゲーセン時代のように気に入ったゲームにだけ課金する時代になった。
さらに素晴らしい事に、昔はお金を払うまでどんなゲームか分からなかったものが、無料で遊べるようになり、ユーザーが本当に納得して払えるようになった(射幸性の問題はあるけど)。
今までだってユーザーはゲームに金は払ってきたけど、この新しい課金のシステムでは、少なくとも金を払ってクソを掴まされる危険は減った。
開発者も、クソゲーだと知ってて発売し、やっぱり売れないで、ファミ通で3点とかついて、ユーザー騙した気分になって、有名どころと比較して卑屈になってた時代は終わった。
「嫌なら遊ぶな」
「払いたくなきゃ払わなければいい」
「つまらなければお代は頂きません」
売れたかどうかは別にしても、少なくともクソゲーに金を払わせる欺瞞は解消された。
これは誇っていい事だと思う。
ゲーム開発者は、自分の作品の出来について嘘をつかなくて済むようになり、誇りを取り戻した。
ユーザーは納得して金を払えるようになった。
開発者とユーザーの正しい関係が、スマホゲームによって、ようやく構築された。
俺は、少なくとも今の現状は、開発者にもユーザーにも好ましい方向に動いてると思うよ。
だって好きな時に、好きなゲームで金を払わなくても遊べて、気が向いたら好きな金額だけ課金すればいいんだもん。
ゲームを遊ぶ場所も時間も払う金額も自由にできる時代がやってくるだなんて、昔のゲーマーに言ったら泣いて喜ぶと思うぜ?
こんなに理想的な環境なのに、据え置き業界がダメだからってだけでゲームがオワコンだなんて言って欲しくない。
むしろゲーム業界は「全ての携帯ユーザー」という超幅広い層にリーチする、夢の時代に突入した。
ゲーミフィケーションなるバズワードも出てきて、ビジネスの世界にも浸透しつつある。
とりあえず、馬鹿って言うなと。
死人に鞭打つのは止めろと。
島国がDisってるような、限界集落に住む奴らの愚痴にはbotに「貴重なご意見ありがとうございます」のテンプレでも返させとけばいい。
あそこにビジネスチャンスは無い。
今のゲーム市場は、新しいスマホを手に入れ、どうやってこの端末を活用して元を取ろうか躍起になってる暇人達の手の中にある。
で、やっとこタイトルに戻るんだけど。
俺には島国が言ってる「俺は開発者として現状に満足していない」も、ユーザーの「俺の求めるゲームはこれじゃない」も、どっちも時計が止まってるようにしか見えないんだよなぁ。
開発「それは俺の作りたいゲームじゃない!」
営業「オンライン対戦だ!」
開発「つかしょぼいだろ。10FPSとか無理。当然それは俺の作りたいゲームじゃない!」
開発「操作スティック無いとか最悪!(DSは許すけど)。あとそれは俺の作りたいゲームじゃない!」
ユーザー「ミニゲームばかりで飽きた。タッチ操作やりづれーし、もっとリッチにしろ。あと俺のやりたい新機軸のゲームを作れ!」
何この無限ループ。
お前らいつまでやってるんだよと。
本当に時計を進めるべきなのは、現状のゲーム業界を否定している奴ら全員なんじゃねーの?って思う訳で。
今いるところが最前線なんだと認めることが、時計を進めるって事で。
時計の針が正常な位置にあって、さらにその先を模索するのが業界の中の人のお仕事なんじゃないの?って思う訳で。
いいかい?
大事なので2度言いました。
はい、分かったら解散。
1)インターフェイスが会話っぽくて短文でもOK
-電話番号で登録?
3)画像添付が簡単
4)友人間の掲示板替り?友人の友人と出会える?(この辺は仕組みがよく分からない)
こんなところ?
要は「操作簡単」てのが一番受けてるのかな。
メンバー登録が面倒だったり送信先が簡単に登録できないのは、手もみ洗いで洗濯していたのを自動洗濯機にしたとか、その手の利便性とはまったく意味が違うと思う。
関係ないけどゲームだってとにかく画面を擦るだけの操作が流行してるしね。
面倒な操作や知識をブラックボックス化するという意味では、新手の技術革新と言えるんじゃないだろうか。
オリジナルの画像作成&添付だって自力でなんとかすればどうにかなるもんだけど、それを簡単にしただけに留まらず複製された印刷もできないクオリティの画像にお金払わせるって、すごい商売だなぁと感心する。
なんでコミュニケーションに絵文字だとかスタンプがここまで重要視されるのかって話はかなり複雑そうなんで割愛。
UIはiOSのメッセージアプリみたいで機能的にもほぼ代替可能だけど、なぜメッセージアプリでなくLINEなのか。
異なるOS間でも利用可能とかアドレス帳とID検索で送信先特定簡単とかその辺だけではちょっと理由が弱い。
たぶん、メッセージアプリは微妙なところで致命的にユーザーフレンドリーでないのがダメなんだと思う。
SNSとiCloud送信の何が違うのかとか、iCloud登録の手順が微妙に面倒とか。もしかして、そうゆう面倒さのせいで「iPhoneのメッセージアプリで違うキャリアにスタンプ送ると有料だよ」なんて思われてるのかもしれない。
ネタ画像を自分で探して保存・添付するのも面倒だろうし、セリフ付きの画像用意するなんてなるととてつもなくハードル上がるに違いない。
ぱっと見シンプルでなんか簡単そうだなーと思わせといて、肝心なところで知識がないと使えないってのは、海外のWebサービスでままあることのような気がする。
ともかく「小難しい話は抜きにして簡単に誰でもすぐに使えること」すべからくここに行き着くのが、ソーシャル系に限らずECでさえも今の日本で流行るための必須要件なんだろう。
正直個人的には、LINEのようなWebサービスがここまで流行るようなものなのか、流行るだけでなくリリースする会社が上場しちゃったり株価にすごい値ついたりとか、そうゆう状況には甚だ疑問なんですけど、お役所さん方面も、LINE流行による未成年の風紀の乱れが〜とかSNS規制が〜云々騒ぐなら、まずはその辺、きちんと教育するようにすればいいだけじゃないんですかね。
規制したって、そうゆう需要があるならまた別のが出てくるだけでしょ。
なんで需要があるのかって言えば、端末とネット使うのに必要な教育が足りていないだけ(あとコミュニケーション方面の何か?)。
ほんとになんとかしたいと思うなら、足りない代替物(情報・知識)を供給すれば需要が衰えるんでないのかな。
それをなんで規制の方向に向ってしまうのか、LINEが流行ることより、まったくもって理解不能な今日この頃です。
あと、親がまともに使えないのに流行ってるからって理由だけで子どもにiPod touchとかスマートフォン買い与えるのはほんとやめたほうがいいと思う。
それを聞くと酷く悲しい気持ちになる。
もちろんそれは俺が一人だから、土日に同期と遊んだことなんて一度もないから、同じ場所に半年も住んでいるのに。
仕事上の関係は友達同士のそれとは違うんだから気にすんな、みたいな意見はあるよ。
もちろんそれは俺もそう思う。
っていうか実際その思いが同期との密接な関わりを阻害してる。
利害関係者と仲良くなんて出来るはずないだろう。
ただでさえ俺は所属している組織の悪口を言いたがるタチなんだから。
そんな感じでどんどん孤立している気がする。
LINEとかいうソーシャル的なものの極地を使って俺の知らない間にどんどん進んでく。
まあそりゃそうなんだけどそれが出来れば苦労しない。
無論何もしない。
知らない。
ただ早く世界滅んでくれとは思ってる。
なんのために俺は生きているんだろうか。
mixiの各種サービスをスマホに最適化したアプリ3本を提供 - コミュニティ、メッセージ、日記ランキングアプリ - « 株式会社ミクシィ
SNSとしてのmixiの集客力、内部トラフィックが失われていく中で、
mixi内の機能やサービスのスピンオフ系スマホアプリを立て続けにリリースしてきているわけですが、
「mixiコミュニティ」がWeb検索対象に - ITmedia ニュース
そうなると、外部トラフィックの獲得というわけでは、FacebookやTwitterからのソーシャルトラフィックの獲得を狙っていくのも
自然な流れなのかな、と思う訳です。
ということで、mixiがFacebookやTwitterとガッツリ連携したサービスを何かやったりする未来
これはあるのかな、、と思う今日この頃でした。
自分の研究室ではアニメを見る人間が多い。アニメといっても深夜アニメである。自分は深夜アニメ自体は見るのだが、もともと視聴頻度が高くないので、話しについていけない。
その他にも麻雀とかパズドラとかもう、うんざり。ほんとに面白くてやってんのかよ?はっきり言って他人に置いてけぼり食らいたくないからやってるだけなんじゃないかと。
結局他人に合わせることが小さい頃から当たり前になってる人間ばかりだから何かをやるにしてもそれが自発的なものかどうかと関係なく他人と話題を合わせるために何かをやるっていうのが当たり前になってて違和感を感じることすら無いのだろうな。要するにただのコミュニケーションツールでしかない。
時代が違えばディスコに通ったりとか、ヒッピーみたいなことをやってたような、時代の流行に流されやすいミーハータイプの人間が「アニメ見てるわー。俺ってオタクwww」とかやっているのである。所詮本質的にアニメに興味があるわけではなく、所詮コミュニケーションツールとして目をつけたにすぎないのである。
そういう連中と付き合うには、前提として、流行りの話題に敏感であることが必須となる。その対象はかつてはドラマだとか、ゴールデンのTV番組だとか音楽だとかだったのが、今ではソーシャルゲーやアニメに移りつつあるのである。アニメにせよ、ソシャゲーにせよ、どんなサブカルにせよ、娯楽が義務になったらこれほどつまらんこともないし、衰退する。他人と合わせるために自分の趣味や娯楽を合わせるのは本末転倒だ。休日まで人付き合いさせられてる気分になる。
アニメを見るのが当たり前の風潮を作るのはやめよう。ミーハー連中は普通のテレビ番組でも見てて下さい。楽しいことはアニメ以外にもいっぱいあるでしょ?コミュニケーションツールが欲しいならアニメ以外のものでやれ。見るのは勝手だが、押し付けるな。
自分みたいな内向的で中途半端にオタク気質の人間はアニメは好きだが、積極的にいろいろなアニメを見たりはしないのである。本当に今の風潮は迷惑極まりない。アニメは結局アングラでひっそりと、気楽に、クローズドにやってるくらいがちょうどいいのである。まあ、もう無理だろうが。
主にTwitterやFacebookなど、SNSにおける炎上などのインシデントが後を絶たない原因については、いろいろ考察がなされているところだし、まあどれが正しいとも正しくないとも証明することは難しいと思うので、どれも「一理ある」程度で受け止めているところです。
でも、最大の原因はおそらく「SNSユーザーの絶対数が増加したこと」なのでしょうね。
元々人間は、SNSなどがなくてもリアルの人間関係を築いてきたわけですが、SNSはその上にソーシャルの人間関係をかぶせてきただけ、言い換えれば、リアルとソーシャルという2つのレイヤーの人間関係がある、というイメージでとらえています。実際は交わりがあるわけですが、まああくまでイメージということで。
個人の視点で見れば、リアルのみの人間関係よりも、SNSを使うようになると人間関係が「広がる」イメージになるわけですが、例えば日本人全体で見ると、SNSがあろうがなかろうが分母は変わらないわけで、レイヤーが2つになって変化するのは「広がり」ではなく「濃密さ」ではないかと考えるわけです。
何かで読んだのですけど、「知り合いの知り合い」という言い回しが界隈で聞こえたりするわけですが、「知り合いの知り合いの知り合いの知り合い」とたどっていくと、ほぼ全ての日本人は4人目で明石家さんまさんに到達できる、という説があるそうですね。一瞬「そんなことないだろう」と思ってしまうのですが、よく考えてみると4人目だとかなり楽々到達してしまうように思います。非常に雑な計算ですが、知り合いが平均100人しかいないと考えても、4人目になるとのべ1億人になるわけです。知り合いが100人いないって、よほどの子どもか仙人でもない限りいないと思うわけです。
例えば私自身で考えると、どうやら私は3人目で明石家さんまさんに到達できるようです。つまり、私をハブにして、私の知り合いは全て4人目で明石家さんまさんに到達できることになりますね。
「知り合い」も人間関係には違いないですから、これはいかに個人の人間関係というものが無意識に広がっているものなのかということを逆説的に考えた面白い説ではないかと思います。
ソーシャルで人間関係が濃密になるということは、明石家さんまさんに到達できる平均人数が4人目から3人目に近づいていくことなのかもしれません。
伝言ゲームも、4人ぐらいならあっという間に到達してしまいます。SNSの発言の広がり方がイメージできない人たちが、インシデントを引き起こしているのであろうことは言うまでもありませんよね。