2013-11-11

繋がりを求めないでもやっていけるソーシャルサービスが好き

僕は、現実世界でもネット世界でも特定の誰かと仲良くなりたいという気持ちがあまりない。

特定の誰かと仲良くなると疲れるからだ。僕は、自分をすぐ見失う。

僕の人付き合いというものは、相手を不快にしないために、最大限に自分不快になることだ。

悲しいことに、僕は聖人ではないので、自分不快度がキャパオーバーした瞬間に関係が崩れる。

ならば独りでいればよいのだが、完全な孤独にいるのも無理なんだろう。

僕は日々色んなことを考えるし、色んなものを見つけてそれをどこかに表現したい。

客観的分析すれば、僕は甘えてるのだ。

誰かの泣きごとはききたくないけど、僕の泣きごとはきいてほしい。かまってちゃん。うざい。なのである

かまってちゃんより性質が悪いのは、かまってちゃんと違って、かまってくれる人を作ろうともしないことである

少し?弁護するならば、僕が誰かの泣きごとをきけないのは、僕にはそれがコストが高すぎるからだ。

泣いてる子がいると、僕も一緒に全力で、あたふたして疲れてしまう。そして、いつか僕も一緒に泣きだす。

精神的に幼稚なのだ。その未成熟精神が、さらに人付き合いを避ける原因になり、このような人付き合いになってしまった。

本人は、頑張ってるつもりだから、いたいたしい。

こういう僕が確立された理由には、僕の成長過程でいくらでも思い当たるフシがあるが、それを今思い直したところで

僕にはそれをやり直す機会など無いので、もっとも前向きな答えは、今の僕のまま生きる方法を探すことだ。

僕はインターネット上でいくつかの自分の居場所を見つけている。


ひとつは、匿名掲示板サービスだ。いわゆる2ちゃんねるだ。

僕が好きな2ちゃんは、あるお題に対して、みんなで自分らしい表現する場所だった。

自分らしいというのは結構曲者で、相対的自分らしさ表現をするために、もっと自分らしくない表現をしてしまうことも多々ある。

2ちゃんねるは、ある意味本音であり、ある意味もっと本音じゃないことが書かれている。

でも、2ちゃんねるも少しずつ変わった。みんなの表現を探す場所へとゆるやかに変化していった。

自分らしい表現」は異物として排除されることが増えた。

たくさんの人の考えが並ぶようになったのに、表現の数はかなり減ってしまった。

2ちゃんねるのなかでも「みんなの表現」をとことん嫌う場所がいくつか残っていて、

僕はその場所に片足を突っ込んでいるが、昔ほど積極的ではなくなった。

もう一つは、はてなブックマークだ。

僕がはてなブックマークを使いだしたのは、単純に暇潰しだ。

ネットの話題がそれなりに集まる場所。当初は、ブクマコメントなんて気にもしていなかった。

でも今は記事よりコメントを良く読んでいる気がする。

そこには彼らの「自分らしい表現」が並んでいて僕が「自分らしい表現」が出来る場所から

緩やかな繋がりのまま、その表現を評価する機能さえも揃ってる。


最近はてなブックマーク新しい風が吹いている。

その風は「自分らしい表現」より「彼」をはてなブックマークに求めていた。

自分らしい表現」というのは、その上位構造で達成されているのだ。

その風にとってのはてブは、下位構造に位置するもので、悪く言えば出涸らしだ。

もちろん、その使い方も間違っていない。だから、その風の言い分は全く間違っていない。

でも、僕はわがままから思ってしまう。

「彼」を求める場所は、他にもいくらでもあるではないか

ここは、人間としての出来そこないのこんな僕らにとって「自分らしい表現」を出来る数少ない場所なんだと。

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