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リード・ホフマン (Reid Hoffman) LinkedIn創業者、MITメディアラボ不服従賞の資金を提供
ネリ・オックスマン (Neri Oxman) MITメディアラボ教授、デザイナー
LinkedIn founder Reid Hoffman defended a former MIT official who accepted donations from Jeffrey Epstein (Business Insider, 9月8日)
According to Giridharadas, Hoffman wrote in a second email that Giridharadas was making the situation "all about you" by threatening to resign. In the end, Giridharadas resigned.
Giridharadasによると、ホフマンはメールに、作家でMITメディアラボ不服従賞審査員の Anand Giridharadasに向かって、「(エプスタインとの関係が明らかになって批判されている)この状況はすべてお前のせいだ」と書いて、MITメディアラボ不服従賞審査員を辞任するよう脅した。結果、Giridharadasは辞任した。
A meeting with Jeffrey Epstein led to a gift -- and, now regrets (The Boston Globe)
The MIT Media Lab’s schedule was cleared on a Saturday afternoon in October 2015. There was a special guest and potential donor visiting then-director Joi Ito’s office.
One by one, some of the highest profile professors at the Media Lab trooped in and presented their research, answered questions, and discussed their work with the prospective benefactor: Jeffrey Epstein.
2015年10月のある土曜日、メディアラボの予定は空けられていた。伊藤穣一所長(当時)のオフィスを、特別ゲストであり、資金提供者になるかもしれない人が訪問していた。MITメディアラボの優れた経歴の教授の数名が一人ずつ、将来の支援者ジェフリー・エプスタインに対して、自分の研究を紹介し、質問に答え、研究について議論した。
She discussed her research on how art, science, engineering, and design work together and brought small-scale models of her sculptures. Ito and another senior MIT professor were also present.
彼女(ネリ・オックスマン)は、どうやって芸術、科学、技術、デザインを一緒に機能させるかについて議論し、自分の作った小さいサイズの彫刻を持って行った。伊藤穣一所長ともう一人年長のMIT教授が同席していた。
The day was a success: Oxman’s lab, Mediated Matter, received $125,000 tied to Epstein over the years. And because MIT did not want the disgraced financier to use the gift to help rehabilitate his reputation, Oxman was told it would be kept confidential.
オックスマン研究室は複数年に渡ってエプスタインから合計125,000ドルを受け取った。そして、不祥事を起こした資金提供者が名声を取り戻すためにその資金を使うことをMITは望まないという理由で、オックスマンはこのことを秘密にするよう指示された。
“This is the first and only time I met Epstein,” Oxman said in a statement. “Joi assured me that Epstein was an approved donor who wished to devote his fortune to science and technology, in part to make amends for wrongs he committed earlier in his life.”
これがエプスタインに会った最初で最後です、とオックスマンは声明で言った。エプスタインは自分の人生で犯した過ちを償う一環として、自分の財産を科学技術に捧げたいと願う(MITにより)認められた寄付者だ、と伊藤所長が私に断言しました。
After the meeting, Oxman told the Globe, Ito twice asked her to write notes thanking Epstein for his contributions. She, along with other professors, were invited to dine with Epstein on several occasions, though she said she never attended. And in 2017, Ito requested that her design lab, which often produced donor gifts for the university, send a token of appreciation to Epstein: . . . She complied, and asked lab members to mail it to Epstein’s Manhattan address.
オックスマンによると、そのミーティングの後、寄付に感謝するエプスタイン宛のメモを書くよう、伊藤所長から2度求められた。他のMIT教授らとともに、エプスタインとの食事に招待されたが、参加したことはない、と本人は言っている。2017年、伊藤所長はオックスマン研究室にエプスタイン宛の返礼品(大学への寄付者への贈り物)を作るよう依頼した。(略)彼女は従い、研究室メンバーにエプスタイン宛に送るよう依頼した。
But she also told the graduate student “do not worry, we are *not* sponsored by him, per my direction,” according to the e-mail.
(エプスタインに返礼品を送るよう指示されて、その関係を問題視した)研究室の学生に、「心配しないで。私たちはエプスタインから資金提供は受けていない。私の指示に従って」とメールで伝えた。
1.国際NGO「オックスファム」の発表によると、世界で最も裕福な8人が保有する資産は、世界の人口のうち下から半分にあたる約36億人が保有する資産とほぼ同じとのこと。この上位8人のうち、いずれか3名を述べよ。
3.かつて通信業界で問題になり、最近は流通業界でも問題とされる、サービスの最終工程で発生する問題を○○問題という。
4.仮想通貨に採用せれている中核技術で、分散型台帳とも呼ばれる技術を何と呼ぶか。
6.インテル創業者の一人が唱えた「半導体の集積率は18か月で2倍になる」という法則を何と言うか?
7.近年アメリカで評価された思想で、今の自分に意識を向けて、現実を受け入れていく研修を何と言うか。
8.ファイブアイズと呼ばれる諜報にかんする取り決めを結んでいる国として、アメリカ、イギリス以外の3カ国を答えよ。
9.技術的特異点と呼ばれる、人工知能が人間の能力を超えることで生まれる事象を指す言葉は?
金融系システム会社の研修で一般常識問題として出題された問題で、趣旨は得点の問題では無く、自分の業界に関わるキーワードを主体的に取り入れてますか?という気づきに使うものだったんだけど、正直、これが常識かよと心でモヤモヤしてる。はてなー的には全問正解当たり前?
ちなみに自分は6問せ正解だった
以下のウェブサイトをみてほしい。
202.45.166.123
202.45.167.69
202.45.167.87
一方で、IPアドレスがいずれも同じ貸サーバー会社のものであること、
いずれもWordPressで作成されていることから、同一の作成者が作った
1匹見たら30匹。
では、どこにリンクしているのか。
日本経済大学だけあったりする。
少子化により激しい学生獲得競争が起きているとは知っていたが、
そう思いたい気持ちがなくもない。
いったい誰がこんな・・・。
学費数百万をつぎこんで劣悪な教育環境にいるのではないかと心配になり、
どうやら、2014年に「大学の法的基準に達していない」と判定されているが、
改善に取り組んでいるらしい。改善しようとする姿勢はすばらしい。
http://www.jue.ac.jp/news/index.html?id=28901
中国人、ベトナム人、ネパール人らの留学生が日本人よりも多い、
国際的な(アジアンテイストただよう)キャンパスになっているらしい。
現地のブローカーに札束わたせば多少は留学生を引っ張ってこれる時代ではあるが、
それでも数千人規模というのはめったに無い。
http://www.studyjapan.jp/ja/schools/detail/R14201
オックスブリッジ大学の学寮(カレッジ)での短期間研修プログラムを
Times Higher Educationの世界大学ランキングが今年も出て、東大がアジアの大学トップから陥落した。他の大学も軒並みランキングを下げている。文部科学省は、今後10年間で世界大学ランキングトップ100に我が国の大学10校以上を目指すという目標を掲げて、スーパーグローバル大学創成支援プログラムなどを行ってきた。思惑と完全に逆の結果が出て、明日からいろいろと議論のあることだろう。
しかし、大学内部では、この結果にむしろ安堵している向きもじつは多いのではないかと推察する。
国が大学をいじろうとすると、ろくなことにならないという、大学内部の人々の見解が、外部からの評価によってはっきりと示されたからである。学位を持たない政治家、文部官僚、コンサルティング会社の従業員が作ったエクセルファイルとパワーポイントのスライドが生み出したものは、国外の大学評価者からゴミとみなされてしまったわけである。
ともあれ、今回のランキングでトップ10に入った大学と東大ではとうてい比較にならないということは、教育内容のみならず、キャンパス環境においてもそうであることも記憶しておいてよい。キャンパス環境は研究のパフォーマンスに影響を及ぼすからだ。東大のキャンパス、とくに本郷キャンパスとその周辺環境は劣悪である。
東大の出身者であり、ランキングでトップ10に入った大学のうち、4校を実際に訪れた人間の見解として読んでほしい。いわゆる出羽守である。
本郷キャンパスで学生時代を過ごしたことのある人ならば、独特の「居場所がない感じ」を覚えたことがあるのではないだろうか。たくさんの建物があるはずなのに、授業の合間に本を読んだり、軽く休んだり友達と喋ったりしようとするときに、行くところの選択肢が極端に少ない。キャンパス内に「隙間」的な場所がないのだ。
東大本郷は息苦しい。キャンパス敷地内の建ぺい率が高すぎるのだ。敷地の隙間を埋めるようにして、企業からお金をもらってはビルを建てつづけているうちに、場所がなくなってしまった。かつて東大出版会があった建物は近いうちに壊され、緑地になろうとしているが、これはキャンパス内の建ぺい率が高すぎるため、アリバイのようにして何もない場所を残しておく必要があるためだ。
スペースがあるところすべてに建物を立てるのが合理的だという発想は、大きな子供の考え方である。人間の深い欲求を見ていないからである。敷地にめいっぱい高層ビルを立てた環境の中で、知的能力を極限まで働かせて競うという状況に、人は耐えることができない。「隙間」が必要なのだ。検索すれば、本郷の高層ビルから学生が飛び降りて死んでいることがわかるだろう。
本郷キャンパス内に居場所がないならば、大学の外でゆっくりしようと思っても、なかなか難しい。昔ならいざしらず、本郷はもはや学生街ではなくなっているからだ。
本郷は老人と若いファミリー層の街である。文京区がそのようなまちづくりをしようとしているのである。文京区では25平方メートルより狭いワンルームマンションは新しく作ってはいけないように、条例で決まっている(http://www.j-cast.com/2008/08/05024411.html?p=all)。東大周辺で昔から不動産業を営んでいる人に直接聞いた話によると、規制が敷かれる以前につくられた狭小物件の家賃は、バブル時代の水準で高止まりしている。あまりお金のない東大生にとって、本郷周辺で手頃な部屋を見つけるのはとても難しい。このため、多くの東大生はベッドタウンから通勤してくるサラリーマンのようにして、朝、本郷キャンパスへやってくる。
こうした住宅事情は、本郷界隈のビジネスにも影響を及ぼしている。この10年の間に本郷通りで増えたものといえば、高層マンション、ラーメン屋、カレー屋、中華料理屋、小型スーパーである。飲食店は、主にサラリーマン層の需要を当て込み、食べたらすぐに出て行かなくてはならない高回転率型のビジネスが増えた。あまりお金をかけずにゆっくり本でも読もうとすれば、ドトール、スタバ、サンマルクカフェといった選択肢になろうか。この他にも本郷通ではまだ個人経営の喫茶店が健闘しているが、いかんせん価格帯が高く、老朽化が進んでいるため居心地に問題があるように思う。
北米や英国の大きな大学は、町と大学の境目がないことが多い。両者が融合して美しい町並みを作っている。これが東大本郷との最大の違いである(いわゆるオックスブリッジは、旧市街と伝統的なカレッジ周辺の家賃は高いが、その辺に住まずとも、とりあえず身を隠せるところがそこそこある)。文京区は東大周辺の学生を追い出し、高く売れそうな高層マンションの建設ばかり許している。そのような場所に住む人は、税金を払ってくれるからだ。友達の部屋にちょっと寄り、周辺でご飯を食べてコーヒーを飲みながら話をして、歩いて大学に行ける環境から生まれるものと、そうでない環境から生まれるものは、やはりちがう。
このような議論には、はてなーお得意の、さまざまな「もう一つの視点」からの批判があろうし、そうあってしかるべきだが、東大が本気で研究の生産性を、しかもお金をあまりかけずに上げたいのならば、まちづくりの段階から周辺の人々と協議して、もっと学生が定着しやすい空間を創りだしたほうがよいのではないだろうかと思わざるをえない。
歳を取ると、若さで誤魔化せていた着こなしが通用しなくなるというのはあるね。
本当に似合うスタイル、似合わないスタイルがハッキリしてくるんだよね。
自分はキャメルのライダースに赤茶チェックのネルシャツにブーツカットにレザースニーカーとか、リッチでハード目のアイテムは得意だけど、パステルトーンの無地オックスに前ボタンカーデにチノパンにドレスシューズみたいな、ソフトで穏やかで緩めなコーデは歳を追うごとに似合わなくなってきた。
「服なんて何着ても一緒、結局顔だろ顔」
高い服着たブサイクと、安い服着たイケメンの画像が2ちゃんねるにあったけど、この手のことを言う人はほぼ間違いなくダサい人だと思います。
そう見えるのは、服を見る目がボヤけてるからです。
ド近眼の人がちょっと離れて人を見ると、白いシャツを着ているなとか、青いジーンズを履いているなとか、服を漠然としか認識できないのとまるっきり一緒で、ダサい人はそれがバンドオブアウトサイダーズの3万円する白のオックスフォードシャツであろうと、2000円のユニクロの同じシャツであろうと、値札を見るまで違いがわかりません。同じ白いシャツと思ってるのです。
だからか、ダサい人はメニューの多い安っぽいファミレスみたいに、いろんな服に手を出しがちです。一杯のおいしいコーヒーを飲むよりも、ドリンクバーで不味いいろんなジュースを飲む方が嬉しいんでしょう。
例えば変な形のシャツだとか、変わった色のジーンズとか、そういうキワモノを選んでから色の合わせ方がわからないとか、コーディネートを考えるのが面倒だとか方向性の間違った悩みを持ちます。
違います。
例えば一番ベーシックな白のオックスフォードのボタンダウンシャツでも、安いとこではユニクロ、無印、5000円~1万前後ではJクルー、バギー、各セレクトショップオリジナル、ポロラルフローレン、1万5000円~ではギャンバート、ニューイングランドシャツ、ギットマン、インディビ、RRL、3万円前後ではメゾンキツネ、バンドオブアウトサイダーズ、ギャルソンシャツと多種多様です。上にあげたものは全て余計なデザインのされていない、ただの白シャツです。ですが、それぞれ生地の質感だったり、襟の形だったり、着たときのサイズバランスだったりが少しずつ違ってきます。
この中から、一番自分に似合うものを探すのが、おしゃれをするということです。決して10色のオックスフォードシャツを集めることではないです。(オックスフォード地でベーシックと言えるのは、白、ライトブルー、あとせいぜい薄いピンクの三色)
もっと言うと、同じインディビの白オックスでもフィットが3種類、生地も3種類あります。でもより自分にピッタリのものが欲しいという人が結構いて、個人向けのカスタムオーダーもやってたりします。
これらの同じ服を何種類も着て、自分に一番しっくりくるものを見つけて、それを長いこと着続け、ダメになったらまた買いなおす、これの繰り返しです。(余裕があれば、買える時に同じものを何着も買っといた方が賢い)
ジーンズやチノパン、革靴、ジャケットなんかの他の服も全て一緒です。よりベーシックでより自分に似合うものを探す。
その後はコーディネートなんて別に考えなくても良いんです。
白Tシャツの上に白シャツ、ジーンズに茶色の革靴だったら、せいぜい袖はまくるかまくらないかとか、ジーンズの裾を折り返す幅、回数とかそんなぐらいです。
服に回すお金がない、興味がないという人だったら上の格好で全身ユニクロでも構いません。おしゃれに興味はないけど、特別ダサくもない人にはなれます。
そんなわけで、しまむらは絶対にやめましょう。
4/15追記(編集できることに気づいたので、返信っぽいのを載せておきます。)
「ダサいんじゃなくてオシャレなんて興味ないだけ。何上から目線で言ってるの? キモー」
オシャレに興味がないことをダサいことの言い訳にする人はやっぱりダサいです。オシャレしてもモテるようにならない、だからオシャレなんて意味がないって言うのなら、あなたは物事を下半身でしか価値判断できないってことじゃないですか。そんな人生絶望するしかないです。そもそもオシャレ=モテることじゃないんです。オシャレ=モテだと思っている人は、ダサいです。オシャレに興味がない人でも、ダサい人とダサくない人がいるんです。
普通の人は誰ひとりとして人生を変えるために服なんて選んでません。服は社会生活を送る上で、毎日必ず着なきゃいけないものだから仕方なく選んでるんです。たとえ興味がなくても「選ばない」という選択肢はとれません。唯一、メタな解釈で「選ばない」という選択肢にあたるのが、ベーシックな服だけを着るということです。
「 ダウト。安いものでもコーディネートしてオシャレに見せるのがオシャレ」
違います。前時代的な服ヲタに多いけど、コーディネートに特別な才能が必要だと思っている人は、間違いなくダサいです。コーディネートは、料理の塩加減みたいなものです。味付けでリカバーしなきゃいけないのは、使ってる素材がおかしいからです。まずマトモな素材を使うことです。その上で素材の味をより引き出す最高の味付けを考えるのは、上級者だけで十分です。普通レベルの人には関係ありません。あなたみたいな服に興味がない人ならなおさらです。あとユニクロと無印は安くてもアリですが、H&MとZARAはなしです。GUに半額で同じことやられてます。
違います。色も選ばなくていいんです。シャツなら白、ジーンズなら青、チノパンならベージュ、カーゴパンツならオリーブドラブ、スウェットなら霜降りグレー、ブレザーなら紺、というようにベーシックな服にはオリジナルな色があります。それだけ着てればいいんです。
「繊細な感覚はどうやって身につけるのかが書かれてない」
書いてます。同じものを何種類も着て経験を積むことだけです。料亭の味噌汁とだしの素の味噌汁、違いがわかるようになるには何度も飲み比べるしかないでしょう。お金がなくて料亭にいけない、もしくは何度飲んでもわからない味覚音痴なら、それはどうにもなりません。黙ってユニクロを着ましょう。
「オシャレは結局顔だ、の画像に対して答えられていない」
あの画像を作った人は性格が悪いです。イケメン白人の横に、ヤバめの服オタと脱ヲタビギン君を並べてどれがいいかってそんなの決まってます。
あの画像の左の2人は、小木“POGGY”基史と八木沢店長にすべきです。まあイケメン白人が一番モテるのは一緒です。
「セレクトショップの店員にコーディネートしてもらうのが一番」
大学を出たかもわからないようなショップ店員にどうしてもアドバイスを請いたいのなら、あたまに「来年も置いてあるものだけで」と付けてください。
。
(気になったところだけメモ)
→統合したばかりのスペインの国力を強化し、国境を挟んで緊張関係にあったフランスと対抗するために、ハプスブルク家に近づいた。フェルナンドとイサベルは生んだ子供のうち2人をハプスブルク家の人と結婚させた。その子供の1人がヨーロッパのかなりの領土を支配したカルロス1世(カール5世)だった。スペインは思いがけぬ形でハプスブルク帝国もいただくことになった。
→多民族、多文化、多言語、他宗教国家だったスペイン(4分の1はスペイン語が話せなかった。ユダヤ人社会。またイスラム系住民はまだ底辺労働力として居残っていた)。毎日開かれる王の諮問会議。報告書、稟議書などの大量の文書。数千人の役人が働いていた。スペインの大学は役人養成機関として発展し、16世紀始めに11あったカスティーリャの大学はその後の100年で33にも増えた。イギリスはそれと比べると官僚制を発展させず、大学の数も19世紀にいたるまでオックスブリッジの2つだけだった。
→銀塊をリャマの背に乗せて港近くまで運び、そこから小舟に移して北上、パナマを縦断するためにまたラバに載せ替えて陸上移動、大西洋からやってきた、トレジャーフリートと呼ばれる船団に載せてスペインに向かう。季節、季節風も加味してこうした計画を周到に用意する。信じられないほど高度なオペレーション能力が必要とされる。
→16世紀を通じて西ヨーロッパの物価は平均して5倍に高騰。スペインがヨーロッパにもたらした銀が原因とされているが、違うとされている。原因は王室の貨幣悪鋳・公債発行。そして人口がこの時急速に増えたものだから食料価格が高騰したことが原因。
印刷術
→金属活版印刷は1450年にドイツで発明。そこから1476年にイングランドに導入。カスティーリャには1473年に導入。わずか20年で違う国にまで技術が伝播した。この技術移転のスピードはほとんど現在と引けをとらないのではないか。
→同じ羊毛生産を主力産業にしていて、フランドルへの原料供給国だった。イングランドはロンドンの独占商人組合が一手にそれを集め、アントワープに出荷。カスティーリャでもおなじような独占組合が羊毛の生産・出荷を支配。北部の内陸都市ブルゴスに集積、フランドルに出荷していた。
→アメリカから得た富を装飾や豪遊につかったというのは誤解。むしろ、絶えず起こっていた戦争(オスマン帝国との戦争、フランスとの継続的な戦争、宗教改革の勢力、独立を目指す北イタリア、ネーデルラントの勢力などなど)への出費のせいだった。
アルマダの経緯
→同じ新宗教国家として、イギリスのエリザベス1世はネーデルラントの独立紛争に介入。7000人の兵を送る。1588年、スペイン王フェリペ2世は英国作戦を計画。大量の兵力を送り込み、ロンドンを一気に制圧する予定。当時のスペインは領土も富の綿でも大国。小国イギリスに勝ち目なし、と当時の銀行家たちは踏んでいたが、まさかの敗戦。
オランダ発展の経緯
→16世紀半ばから新教によるオランダ独立運動が始まって30年。南部アントワープがスペインの焼き討ち→北部アムステルダムに大量の人口移動、資本と商業もここに集約。スペインの劣勢も追い風となりこの地の発展が促された。貿易国家として栄えた上、アントワープ以来の繊維産業も追随を許さない。
→海洋商業国家のオランダを潰す目的で制定したクロムウェルの航海条例(1651年)→翌年から20年に渡る断続的な戦争。→1672年にはルイ14世が陸・海で攻撃、オランダはパニックに陥り経済も壊滅的打撃。数々の緊張が続く中、オランダはイギリス侵攻を計画する。1688年、500隻の船、2万人の陸軍兵を伴ってオラニエ公ウィレムがロンドン上陸。イギリス国王の座に収まった。これが、名誉革命のもうひとつの側面である。
原著は1981年。もう絶版なのでアマゾンで購入。川北稔先生が、「イギリス近代史講義」のなかで、イギリス衰退に関する代表的な議論として紹介していたので。
本の主張は単純。イギリスの産業衰退は文化的にビルトインされてたってこと。「世界の工場」として華やかなりし頃だった1851年のロンドン万国博覧会のときすでに、反産業の気風が高まっていたということ。騒々しくなく、あくせくせず、保守的で、物質的利益を追求せず、汗をながさない。そんな「ジェントルマン的な精神」が英国の産業を破壊したっていう議論。
英国企業の経営者達は、「重役協会」にみられるような経営管理という世俗的な役割から超然としたグループを形成し、変化への対応や、利益の追求を嫌い、政治的、社会的活動などの非事業的な分野へいれこむのが美徳とされた。産業界への社会的地位は低いままで、オックスブリッジに見られる一流大学では産業界で「使える」ような応用的な知識は蔑まれ、優秀な人材は全然集まらなかった。これは、製造業の役員の名刺にはほとんど必ずドクターとついているドイツや、職人的技巧が敬われる日本と比べると、まさに20世紀英国では他のどの国よりも、産業界での経歴が低く評価されたのである。
本書では、このジェントルマン的精神のせいで衰退した英国産業についても多く触れている。経営陣が保守的だったために、ドイツのIGファルベンや、アメリカのデュポンに完全に敗れた、プランナ=モンド社(ICIの前身)。経営者が政治の世界にいれこんだために、オランダのロイヤル・ダッチにに会社を買収されてしまった英国のシェル石油など。そんな中で、唯一金融業だけが繁栄を続けたのは、そこが実際の生産とは一歩離れた場所にあり、世俗的な空間とは一歩はなれた「きれいな」空間で優雅にビジネスができるからであり、ジェントルマン的な精神と親和性が高かったのである。
本書の問題点はあげようと思えばたくさんある。「衰退」へ向かった歴史的流れを説明するはずなのに、やたら20世紀後半の「現代的な」資料ばかりが目についてしまうこと。引用の仕方がけっこうかなり怪しいこと(ケインズが金儲けを否定していた、と言う箇所とか)。本当に英国の反産業主義が他のどこよりも根強かったと言えるのか(大量生産に批判的なエートスは震源地のアメリカでも当時見られた)。そもそも文化決定論って自体、星占いと同じようにイエスともノーとも言えるわけで。
ただひとつ、現代に生きる日本人として、今日的なレッスンをあげるとするならば、衰退の色が見えはじめた時の英国政府・産業界がとった行動である。本書では、国内での過当(と言われた)競争を排除すれば雇用も減らず産業競争力は強くなると考えていた当時の英国の事例を紹介している。1890年代に始まった英国の企業合同や、30年代の市場配分協定など。結局、当時民間で行われた合併の波も、経済全体に利益をもたらすことはほとんどなかった。逆に、それは英国の保守的気風に棹を指し、産業界を革新からますます遠ざけ、産業衰退にさらなる拍車をかけることになったのである。
たとえば「階層」や「階級」のある社会では、物心ついてすぐに「自分は彼、彼女のような人生は決して手に入らない」と分かる。そしてその時点で一定の職業や生活については諦めざるを得ない。
べつに人生全部を諦めて絶望する必要はない。しかし一定の年齢で、たとえばイギリスやフランスに生まれていれば小学校の終わりくらいで、「自分にはオックスブリッジやグランゼコールに言って、エリートキャリアを手に入れて、高給が約束された職業を得るのは無理だ」とわかる。
韓国みたいに財閥や富豪の家族が結構いる貧富の格差が激しい国も同じでしょ。インドでも法律で禁止されているとはいえ、国内で生きる限りカーストはまだ大きく影響していそう。中国だって同じ上海に生まれた子供でも、上海の戸籍があるかどうかで人生は大きく分かれている。
でも日本だと、小学校や中学校のクラスの中で、「○○君には可能な人生だろうが、俺には無縁だな」と思うことって少ないんじゃないかな。子供の貧困率は15%前後らしいから、反対に言えば85%は人生において何かを諦めたりはしていない。
「階層」や「階級」のある社会では、物心ついてすぐに「自分は彼、彼女のような人生は決して手に入らない」と分かるのだが、ある時期にさしかかるとレールの切り替えは一応できる。今回はそんな他愛のないお話をどうぞ。
賢い大人が私の周りで「諦観」を勧めてきた。いはく、「早々と諦めなさい」ということである。
しかし諦めるにはきっかけがいる。文章を書くことが好きだった私は通算二度の「諦観」を得る。一つは就職をすればネットで文章を晒せるよと言う「諦観」であり、もう一つは就職が難しいなら文章で食べればいいじゃない――という一つ目の「諦観」である(こちらはお世辞にもいいとはいえないと思う)。このように「諦観」や「諦め」とはきっかけがなければ手放せない。バスケットボールの選手になりたかった人が今では小学校のコーチを行っているというのも一つの「諦観」ではないだろうか?
賢い大人というのは「諦観」の手順を教えてくる。愚かな大人は「諦めなさい」という。私の周りにはおおよそ二種類いたように思う。賢くても打開策が何であるか教えられない人もいた。その中で「文筆」や「作曲」や「絵描き」の三つは何も「職業」に直結する必要はないなあと思うのが「諦め」である。結局、どんな大人たちも素早く選択肢を広げられるように、「夢の代替手段」を説いていたように思う。そのために「勉強しなさい。資格を取りなさい」などなどなど。
**でなければならない、という人はしばしば視野狭窄に陥っている。確かに、高収入を得られる人々も限られている。しかしながら、高収入を得られないからといって低学歴に甘んじてしまうのは選択肢を狭める結果にしかならない。要するに、お勉強はした方がいいわけであるし、活動もやった方がいいし、訓練も積むべきである。それらの資産をある程度蓄えた段階で次のステップに「高収入は無理だけれど、やりたいことをカバーできる選択肢を模索する」ということは十二分に可能である。常に、第二希望、第三希望を用意するために「早めに諦めた方がいい」というのは納得出来る。夢を諦めるのはそれらの希望が増えたという時期のことだろう。金銭を重視するか、中身を重視するか、人間を重視するかによって早々に初期希望から乗り換えなさいと言うことか。無理だと分かって打ちひしがれたときに対処しては遅い。
……やってみたけれど、中身はこんなところだと思う。無駄に大人の言葉を長くした感じ。
私用と大して変わらないのはお許し下さい。この程度の能力しか有さないので精進します。