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2024-06-19

anond:20240619100214

頭悪い人か?

予算を削れば削るほど、まともな人が育たず

狂った意見を押し通したいというインセンティブがある人ばかり残っていくことくらい想像つくだろ

NHK党がなんであんな元気なのか少し考えろよ

過去一いけそうなサービスアイディアを思いついた

世の中にあんまない、完全一致はゼロ

ただ、倫理観のネジを一回外さなきゃならないのと

投げ銭の仕組み作らなきゃいけない

投げ銭ってどうやるんだっけ、資金移動業ではないよね、何かを購入するみたいにするんだっけ

チンポ騎士案内アカウントとか必要な気がしてきた

女性の味方のフリして実際には不倫やらセクハラやらレイプやらの常習、もしくは予備軍みたいなチンポ騎士多すぎだろ

思想的にヤベーだけなら放置も出来るけど、実害出てるようだとあんまり笑ってもいられなくなるというか

どこぞの女子大で発生してるようだし、ちゃん注意喚起なりしないと被害者どんどん生まれそう

別れた夫はなんであんなどうでもいいことを子供たちに怒鳴って怒ってたんだろな…って考えてた。

私がどうでもよくない?って言うとめちゃくちゃ怒ってたけど自分もそれやってるよね…とか。

なんか本人は筋が通ってるつもりなんだけど、側から見るとなんか言ってることおかしいのほんとに気づいてなかったのかな、客観的にも社会的にも頭のいい人なはずなのに…とか。

自分は躾のために嫌われ役をやるって勝手悲劇ヒーローやってたけど、子供たちに嫌われたことはこたえてた。

躾は怒鳴らなくても怒らなくてもできるよね…って言っても、子供動物と同じだからっていう持論は曲げなかったなー。

あと叱り方がすごく意地悪だった。あれはほんとにやだったな。

子供たちが何か失敗したりやらかしたりすると、考えられる中で1番意地悪な解釈して怒って、子供たちが無駄に傷ついてることも非難すると躾だからって言い張ってた。

それは嫌われるよ…って私はいつも思ってた。

最後は私もだいぶその意地悪な思考にやられてて、それも含めていろんなストレスちょっとおかしくなってた時は夫はもっと酷いこと思ってるに違いないって妄想が止まらなくなってた。

でも多分、本人はそんな酷いこと言ったんだって自覚はまったくないんだと思う。今でも。

自分は言い方が悪いことはあるけど、根本的に間違ったことは何ひとつ言っていないっていつも言ってた。まあその言い方の悪さにも限度はあるよね…

やっと落ち着いて今思うのは、あれは親御さんからそういう育てられ方をしたからなのかなとか。

自分も親御さんのこと嫌いなくせに、躾はあれが正しいって信じてたとかなんだろうか。

彼は結婚するとき、私がそういう意地悪を言わないところが人柄として好ましいって言ってたのに、自分子育てする番になってそれ忘れちゃったんだなあ…

あるいは彼は子供たちを私みたいな人間にはしたくなかったのか。

あれっその時点でもう私こそがすでに愛されてはなかったのか…?まあそれは考え過ぎか。

今は子供たちも私の実家で落ち着いて生活してる。

もう意地悪を言ったり怒鳴る家族はいいから、だいぶ穏やかになって姉妹喧嘩することも減った。

でも夫もほんとは誰よりも家族幸せを願ってたはずなのに、彼にはそれが最後までわからなかったのはとても気の毒に思う。

オナニーしたい

でもあんまりするといざという時に勃たないか

がまんがまん

メッチャおっぱいデカくて顔も可愛いJKいた。

歩くたびたゆんたゆんしてた。

あんなの電車乗ったら100%痴漢されるだろ。

可哀想に。

anond:20240618171858

ホップカードあんまりポイントまらんし窓口での換金で使い勝手悪いしなくても全然いいんだけど平和堂ありすぎてしょうがなく持ってる

苦情であれだけ怒鳴りつけて次の日普通に来る客

もう2度と来ないかあんだけ怒鳴ったんだよね?お前は恥とかプライド無いんか anond:20240618142127

性欲が無くなった

20代前半。わりと真面目な悩みなんだけど。

以前まで、寝る前に必ずオナヌしてた。

やらなきゃ落ち着かないし寝付けない。

毎日自分大丈夫か?」って心配になりながら10分〜20分くらい適当にやって、程よくイけたところで気付けば安眠って感じだった。

でも、2~3ヶ月前に興味本位で電動マッサージ器を買って、それを一回試してみてから信じられないほど性欲が無くなった。

当時は電マのエロ漫画に憧れてたので、「せや!イっても2分間休憩無しで電マを当て続けてみよう!」ってやってみたら、もう本当にめちゃくちゃ気持ちよくて、今まで経験したこといくらいイって、まじで気持ちよすぎた。すんごい満足した。レビュー付けるなら迷いなく星5。

そんで今の話になるんだけど、ふと最近日課のオナヌをしてないな〜って思ったら、この電マを最後にやってないことに気付いた。

あんなに猿みたいに毎日毎日毎日いじってたのに、膝の裏から汗が落ちるくらいしてたのに、今は特段「やりたい!」っていうモチベーションがない。

この年でもう枯れてしまったのだろうか。。。どうすればあの時の情熱を取り戻せるのだろうか。。。


私の性欲は電マによって浄化されてしまった感じがする。南無。

もう5年付き合ってる彼女に「今実家で飼ってる犬が死ぬまで結婚は待って欲しい。私たちには外の世界があるけど、あの子には私たち家族が全てだから」と言われて俺の序列は犬以下かよと思ってたんだけど、この前彼女実家に顔出した時に(結婚挨拶ではない)彼女が老犬に向かって「あんたこの人誰か知らないでしょ?初めて会うもんねえ。私の大事な人だからお顔覚えてね」って言ってて、何故か犬もめちゃくちゃ嬉しそうで、もういくらでも待ちますって気持ちになった

anond:20240619000336

独身だけど遅漏だからあんセックスしたくないしいくら愛していてもおばさんとセックスしたくないし全然気持ちわからん

2024-06-18

待っていたよスクエニさん

ああ、思っててたぜ、3年間。

ドラクエ事業が、スクエニが真の償いを始める時を。

そもそもなぁ、DQ4〜8も、クロノトリガーも、11S発売から二類期最終日までに何でスイッチPS4XboxSteamにて出せなかったんだ?

どうしてスマホ依存続けてきたんだよ?

一時期は6つもスマホアプリ抱えるザマだったよ。

ダイの大冒険モンスターズ3もボリュームが想定未満になったのもスマホゲへのエネルギー分散が原因なんじゃねえのかよ?

今まであんたらのワガママに俺達は数年も振り回されてきたんだぞ、

スマホサービス開始しては1年も2年も持たずを何度も繰り返してそれで急にお金もっと必要だって?笑わせんじゃねえよ。

鳥山先生だけじゃねえよ。去年から今年の5月までにどれだけの著名人がHD2Dドラ3の正式披露目を見ることなく先立たれてきたか

TARAKOさんも、heathさんも、黒崎真音さんも、谷村新司さんも、KANさんも、

櫻井敦司さんも…

彼ら彼女らの霊前を廻って謝罪のお参りに行くとかも出来ないの?スクエニのお偉いさんたちは。

それにスマホゲ乱発とかこれらの事はみんな経営コンサルが決めたの?

コンサルパワハラするから逆らえなかったの?

から数年間ソシャゲ焼畑ドラクエ情報はぐらかし、ニンテンドースイッチオンラインへのバハムートラグーンルドラの秘宝追加のための任天堂との交渉出来なかったの?

コンサルから体罰受けるの怖くて?

コンサル陰謀論ドラクエ周りの事除いても、

何時になったらファイナルファンタジータクティクスゼノギアススイッチ等にてリマスター出来るの?

何時になったらさあ、スイッチオンラインスーファミにて

バハムートラグーンルドラの秘宝天地創造ミスティックアークガンハザード、FFUSAを追加するための任天堂との交渉に入れるの?

格式いから下手にサブスク化出来ないって?

は? バランワンダワールドバビロンフォール、ダイインフィニティトラッシュドラクエチャンピオンズなんて出して何が格式だよ、それぞれカプコン任天堂ウマ娘崩壊スターレイルブルーアーカイブかませ犬に終わったくせに!

株主もさあ、海外向け写実リッチ単発モノや新規ソシャゲの催促、それにビアンカフローラデボラデスピサロのどれ嫁にしたい?という質問してる場合じゃねえんだよ、危機感持った方がいいよ。

スクエニの現状が緊急事態条項クラスの事なのに。

anond:20240618231023

最近第二新卒市場があるからあんま困らないらしいっすよ。知らんけども。

anond:20240618224060

サッカーとかバスケかに比べてテンポ的に先の展開を考えながら楽しめるとこがある様に思えたかいいんじゃないかなって思って。

今日セトリあんまかなーとか思いの外あの曲いい!とかの発見野球のがよりわかりやすく分かるかなと。

昨日まで良かったのに今日全然じゃんとか感じられるのがほぼ毎日あると思うと楽しみ増えていいなって

anond:20240618223020

トヨタ東京拠点作りまくってるぞ。

任天堂はまあ業界構造的に不安定だしあんまり拡大する気がないんだろ。ポケモン分社化してたりするからそれで充分という判断だろう。

ファナック宗教からしょうがない。

浜松ホトニクスも若干宗教入ってるのかもしれないが、マーケットが限られていて拡大し続けるって感じでもないんじゃないかな。売上は伸びてるけど研究開発費100億くらいしか掛けてないし、たぶんやることはっきりしててトップ層を採用しなくても充分やれるということなんかもな。

麦茶作りにうんざりするって愚痴言ったら夫に笑われたので(あんなの大した手間じゃない的な)じゃゴミ出し代わるからお茶作りかわってと言った。

 

半月も経ってないけど音を上げたわ。

作っても作ってもすぐなくなる><

なくなってても教えてくれない><(私は教えてるよ。何も言わないのは子供達)

なくなってたら責められる><

誰もねぎらってくれない><

だってさ。

 

交代前に私が言ってあなたが鼻で笑ったことだよね、と言ったらへこんでた。

やっぱり代わってと言われたけど断った。これから夏だけどよろしくー。

anond:20240618221543

途中で切れた。長いと切れるんだな。知らなかった。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援必要特性について見過ごされたまま、強いストレスを肉体と精神の両方に受けることになったこと。

また、発達特性が仇となり、ストレスを軽減するための人間関係を作れず孤立したこと

これらの要因により精神的な限界に達した時、受けた負荷が強いパニックの形で噴出してしまい、結局はそれが水泳挫折する原因になったということ。

その後も必要ケアが十分には受けられなかったこと。

また、子ども当人(つまり、私)が、その負荷をむやみに強いられたと感じ、母親への不信を深め、その感情に向き合って修復する機会がないまま、成人後に関係破綻させてしまたこと。

そして、これらの感情的な傷付きに至る経緯とは別に特性について適切なケアトレーニングを受ける機会を得られなかったこと。

これらのことが、社会に出てから仕事への意欲が薄いこと、将来への展望を描けないこと、社交場面における不安などに影響し、また自分特性を扱う上での経験不足がストレスによる不眠、日中の眠気などに繋がり、上記不安拍車をかける結果となった可能性はあるのではないか、と私は思う。

そして、冒頭の「あなた言葉感情説明しない」という指摘もまた、やはり『嫌だ』『つらい』という訴えを繰り返し退けられ練習強要された経験から自分のつらさを他人に訴えてケアしてもらうことを諦めてしまい、直視せずに蓋をすることが常態化している精神状態にある、そのために精神的な問題を抱え込みやすくなっている、と説明できるかもしれない。

また、休職前に孤立無援と感じられる状況にふたたび置かれたことで、水泳パニックを起こしたときのように、強いパニックをおそらくまた起こし(あいまいな書き方なのはあんまり覚えていないので)会社に行くことができなくなっている。

これが当時のトラウマのいわゆる『再演』にあたる可能性はあるかな、と少し思う。

とはいえである

両親は私を愛しすぎるほど愛してくれており(少し連絡が取れないだけで着信を100件超えて入れるのが常態化していた程度には)、特に金銭の面では一般的な親の倍以上に私に支援をしてくれたことは事実である

上記事実をもって、私をまだ幸運なほうと思う人もいるだろうし、就活のくだりなんか、特に甘ったれていると思う人間も多いだろう。

ただ、3歳〜16歳ごろの人格形成期+思春期に、チームメイト精神的にまったく連帯できない状態スパルタ式の暴力的な教練を日がな毎日受けるという負荷は、おそらく定型発達の人間でも耐えられる人は限られるのではないか、という気もする。

そういう負荷に発達特性のある子どもが挑む場合には、おそらく精神的なケア定型発達の子ども以上に必要重要なことだったのだろうと思われる。

私がそういう子どもであったことが親の不運で、特性由来のストレスに対する適切なケア社会トレーニングの機会が得られなかったことが私の不運である

正直なところ。

母は小学校高学年くらいの段階で、私を発達障害者だと疑ってはいた。ネットの普及し始めた当時、私の持つASD的な特性の一部分はアスペルガーと呼ばれていたが、そのことについて母が情報収集していたことを覚えている。

しかしそれは、障害を受容した上で、適切な支援に繋げるという結果にはならなかった。

ちょうどそのくらいの時期に平成不況がやってきたのだ。私の特性を考え、進学先に私立中学を視野に入れていた母の計画は、完全にそれどころではなくなってしまった。父の会社にもリストラの波がやってきたのだ。

タイミングの悪いことに、私が水泳の過度のストレスからチックに陥った時、ちょうど母は不況への恐れからパートを始めたばかりの頃だった。私の『病気』の原因について、母は周囲からの責めを一人で負うしかなかった。父の両親との二世帯同居の家で、専業主婦の母は孤立した養育者だった。

結論から言うと父はリストラを免れ、我が家経済危機回避されたのだが、その頃には私の私立進学計画はとっくに頓挫していた。母が「結果で黙らせなさい」と言うようなことを口にし始めたのも、この頃だったかもしれない。

父親はというと、やはり私の親で発達的な特性が強く、自分の興味のあることしかやりたがらないタイプだった。養育者として、社会的な範を示すとか、発達的な特性とどう付き合っていくかとか、そうした問題についてまったく頼りになる人ではなかった。

悪い人ではない。悪気のある人でもない。一流企業にまじめに勤め、高収入であり、私に関わる多額の費用を全部賄ってくれた人である。そしてそれが、おそらく自身でも困りごとをたくさん抱えていたであろう身で父にできた、私への精一杯の愛情だったろうと思う。

母もまた、母の出来ることを最大限にしてくれた。母は、思春期の私の苛烈で発達のアンバランス性格(受けていたストレスを考えると、おそらくそうなるしかなかった)に何度も振り回されて、傷付き、それでも最大限考慮した上で、「あなたは結果で黙らせなさい」と言うしかなかったのだと思う。

これは私がどう生き、どう傷つき、現在どう困っているかにまつわる記録ではあるが、同時に単に毒親から被虐待についての記録としてはなるべく書きたくはないと思っている。充分悪者に書いただろう、と思えるような筆致だったかもしれないので、ここに補足しておく。私は難しい子供で、両親は常に一方的加害者ではなく、私を支援してくれようとした。私たちはお互い感情的な対立を何度も経験し、お互いに何度も傷付き、それを乗り越えてきた。その過程でいくつか間違いがあり、一度関係破綻してしまったが、それでもまだ、この先に和解可能性がないわけではない。

それぞれの人間がそれぞれに苦しんだ結果、私の今日につながっているのである

・これから

これを書いているいま、これからどうなるのか私にはわからない。これらの生い立ちから私が受けた傷を癒せるかもしれないし、そうではないかもしれない。困りごとを軽減してなんとか社会で上手くやっていけるかもしれないし、どうにもならないかもしれない。

ただ、良くなってほしいという希望を持って先生たちは治療に当たってくれているし、希望は捨てるべきではない。そう思うので自分恥部を曝け出す覚悟でこれを書いた。一種の『底尽き』を気力で前に持ってきた、というやつかもしれない。

ただ、強いトラウマを抱えた発達障害当事者予後は正直あんまり良くなさそうだなぁ、とは、当事者たちの声をインターネットで拾ってみて思わなくもない。

・これからどうしたい?

社会復帰がどうなるにせよ、実家にだけは帰りたくない。

ただ、復帰できないとこれが現実に起こりうることが現状最大の懸念である

プリントアウトして病院池添謙一

当然、持っていく予定である

プラダリアの取捨だれかおせーて。

カウンセリング先生も「感情説明しない」と言っただけで、そこまでドバーッといきなり半生にまつわる自己開示が出てくると思ってないんじゃない?

それはそう。

カウンセリングにはこの記録を持っていこうとは思うが、どの程度まで自己開示すべきなのか、いまが適切なタイミングなのか、そのあたりをきちんと確認しながらやっていこうと思う。

少なくとも、これを書き下せたことで、私の中では問題解決へ向けて、整理と準備がついたと思っている。

・おまえが誰かわかった

べつにわかってもいっかと思って書いている。とくに失うものはない。

何かしらの連絡手段で私とつながっていて、内容でなんとなく察した人は、「もしかしてこれお前?読んだよ」とメッセージくれると嬉しいよ。困窮者だ!金ヅルにしよう!と思って寄ってこられるとちょっと悲しい。というか休職人間に金はない。

やあ。まだ生きていますよ、私。あなたはどう?

・本当のトラウマもっと混沌としたもので、こんなに整然と説明できるものではないのでは。ストーリーをがっつり作りこんで、無意識に本当に触れられたくないことから逃げている可能性はないか

自分言語理解比較的高い特性を持っているので、書くことによって自分をメスで捌くように腑分けして、人前に晒すという自傷行動に割と慣れているし、やはり言葉によって自分説明できるとなんとなく落ち着くタイプである。その助けもあってなんとか書き切れたが、それでも書き切るのにかなり涙を流したので、この記録には多大な精神的労力を必要とした。文字通り血を流しながら書いたと言っていい。

その上で、超フラットに、予断を挟まず言えば、その可能性はないとは言えない。私のような人間レトリックを使うのがうまい。そのレトリックの中にいつでも逃げ場を作り出せてしまうので、「可能性がない」と言い切るのはフェアではない。自分でも気づいていない可能性がある。

発達障害水泳平成不況リーマンショック、30代

・これは何か

私の半生を占める水泳と、それがその後の人生に及ぼした影響について整理するために書いた記録である

なお、当時は強いストレス下に置かれていたため、詳細を思い出せなくてぼんやりしている部分もある。

・なぜこれを書いているか

私は現在休職状態にあり、ADHDの診断を受けたところである

精神科に通いつつ、投薬とカウンセリング治療をおこなっている。

そしてカウンセリングを受けつつある今、自分がいまこうなっていることの底にはあまりに苦しかった水泳記憶があり、それを直視することは避けては通れない道ではないかと思ったからだ。

(先生に直接「直視しろ」と言われたわけではない。ただ、「あなた言葉あなた感情をひとことも説明しませんでしたね」、と言われ、その原因を自分で考えていたら、勝手にそこに行き着いたという話である)

正直に言えばそこに目を向けるのはめちゃくちゃ嫌で、前回のカウンセリングを受けてから2週間くらいメソメソメソメソメスティーソ泣いていたのだが、友達と遊んで少し息抜きをしたらちょっとした気づきと癒やしがあり、なんとか気力を振り絞れそうなので書いてみた。

水泳のこと

3歳から高校2年まで水泳をやっていた。

早いうちに才能を見出され、小学校1年か2年くらいでヘッドハンティングのような形で選手育成クラスに移った。

当時、肉体にすごく負荷を掛ける練習方法流行っていた時代だったから、シンプルに肉体的につらかった。スパルタが主流で、体罰は当たり前だった。

楽をしようものならコーチにも怒鳴られ叩かれ全員の前で吊し上げられた。そこまでは周りのみんなと条件は変わらないのだが、私の場合母親ほとんど毎日練習を見にきていて(それほどに熱心な親は他にはいなかった)、仮にコーチに怒られなくても、母親の目から見て私のパフォーマンスが悪ければ、そのことを帰りの車の中で詰められる日々だった。

行き帰りは車で母親に送迎してもらっていたが、車の助手席に乗り込むと母親の「今日練習について」の裁判が始まるので、毎日まるで犯罪を犯して法廷に立たされるみたいだった。キツい負荷の練習をこなしてやっと家に帰れるのに、すこしも安らいだ気分になれなかった。

でも、私は無理にでもやらせればやらせただけ、負荷をかければかけただけ、結果が出せてしまタイプ人間だった。

父親も叔母もスポーツ学生時代成功した経験があって、家系としても肉体的に優秀だったのだと思う。

それが母親成功体験になってしまい、尻を叩けば叩いただけ結果が出るという思い込みを強化したふしがおそらくあるんじゃないかと思う。

長期休みに入るたび、朝夕2回の練習では足りないと別のプールに連れて行かれ泳がされた。この習慣は我が家では「こそ練」と呼ばれていた。

ただでさえキツい練習をしてるので嫌だったが、嫌がれば母親から「速くなりたくないの?」と頷くまで詰められる。

こうやって追い込めば追い込むほど結果が出たので、母はどんどんエスカレートしていった。

極め付けはようやく出来始めた友人関係破壊されたことだった。

中学に上がると、小学生選手育成クラスから中学クラスに上がって、ここがジュニア女子選手としては一番上のクラスだった。その上に、高校生の男子さらにその上澄みだけが入る、一番練習ハードクラスがあった。

いま振り返ってみると、私はかなり発達障害的な特性のはっきり出た子どもであり、周りと関わるのがかなり下手だった。だから、キツい練習を何年も毎日一緒にこなしてきたというのにチームメイト連帯感を育めなくて、ずっと浮いていた。浮いているのに才能だけあったから、周りからすると目障りな子どもだっただろうと思う。選手育成クラスというだけあってそこそこ実力主義ではあるので、幸運にもいじめられこそしなかったが(あるいは特性上あまり他人に興味がなく嫌がらせに鈍感だっただけかもしれない)、やっぱり浮いていた。私は人生を通してずっと普通になりたい、と漠然と願ってきたが、その願いはこういう環境のなかで醸成されてきたように思う。

(ちなみに、当時どのくらい浮いていたかというと、なんか男子たちが私に話しかけるのを何かの罰ゲーム一種として扱っているな、と気づいたことがある程度には浮いていた)

けれど、ここで話の合う友達ができたことで、この一瞬だけ練習に行くのが楽しかった時期があった。

私はもともと才能があったので、中学生のクラスを受け持っていたコーチにも期待されていたし、たくさん話を聞いてもらえて、私自身もコーチのことを頼れる大人だと思っていたし、期待に応えたいと思っていた。信頼関係を築ける大人との出会いがここであった。だから、このクラスちゃんと私の記録は伸びていた。

だけど母はその伸びでは満足できなかった。

母にはいわゆる白雪姫の母コンプレックスみたいなものがあって、私が楽しそうにしていると不安になる性質だった。不安を感じやすく、その解消のために誰をどれだけ振り回しても良いと考える傾向があった。

私が楽しんで練習に行き始めた時、母は不満だった。私が苦しんでいないから、きっと負荷が足りないのだと考え、「娘の才能が無駄に消費されている!」と強く不安を感じたのだろうと思う。これでは速くなれない、と母は考えた。

そして、「上のクラスに上がりたいと言いなさい」と母は私に強要した。

私はかなり嫌がった。もともとジュニア女子が入れる中で一番上のクラスではあったし、せっかく話の合う友達ができたのに、その子たちと話せなくなってしまうことも嫌だった。先生の期待を裏切ってしまうことにもなる。すごく抵抗があったことは覚えている。

母は私に、「あん肥溜めみたいなクラスにいたら、あなたダメになってしまう」と言った。

嫌だった。泣いて抵抗した気がする。あまり覚えていない。でも、最終的には「上がりたい」と言わされた。コーチはショックを受けていたと思う。でも最終的には上のクラスコーチに頼んでくれて、私の(母の)要求は通った。

中学1年の女子高校生の男子クラスに入れられて泳ぐことになった。毎日階段をまともに降りられないくらいの筋肉痛になった。まわりはひと回り年の違う高校生の男子しかいないので、友達と話せる機会は減った。肉体の負荷は上がるのに、心の支えは何もなくなり、ただ苦しかったしつらかった。

私が苦しんだので、母の不安は解消された。

そして、精神とはうらはらに、私の肉体はそれに応えた。

実際に大幅に記録が伸びた。一緒に泳いでいた高校生の男子より私は上のタイムを叩き出し、彼らにもよく頑張ったと認められた。中2のころにはジュニアオリンピックで決勝に残り、関東中学で優勝し、全国でも10本の指には入った。国体にも県代表で選出された。県で私より速い選手はいなくて、私がベストを出せばその度に大会新記録、県の新記録だった。母はこのことについて、自分が尻を叩かなければ結果が出せなかったはずなので、自分の手柄だと考えた。

注意して欲しいのは、これらの成果を私自身もまた喜んでいたこである。才能や能力があると見做されることは、特性持ちの人間にとっては他人から受けるマイナス感情を弾く盾にもなる。母の手柄は、私を絞り上げ、苦しめて作り上げられたものであるが、同時に私を守るものでもあった。

あなたは結果で他人を黙らせなさい」というのが、母の持論だった。母は私のために、心を鬼にして私を苦しめていたはずである。叩けば結果が出ることがわかっていたのだから

この頃から試合合宿遠征先に行くと、夜中にこっそり抜け出して、当て所もなく歩き回るようになった。特に裏道や暗い道を選んで歩いた。いま考えると、間接的な自傷だったと思う。酷い目に遭いたかった。私という価値が一気になくなってしまうくらい、誰かに酷い目に遭わされたかった。母が守る『私』という価値と、それに伴う苦しみが分かちがたく結びついていたために、母の目の届かないところで地味な自傷行為に走っていたのだと思う。

体に傷を残すようなことはできなかった。そんなことをした日に母を襲う衝撃と、その衝撃の余波を受ける自分のことを考えたら、とてもではないが無理だった。

しかし、こういう無理は続かないものである。ほどなくして精神的に破綻して、泳げなくなった。中3の秋ごろだったように思う。喘息悪化させ、負荷のキツい練習から逃げ、最後は何か喚き散らして家に帰り、そこからしばらく練習に行けなくなったように思う。詳細は覚えていない。

だけど、そこで辞めるには水泳は私の人生で大き過ぎた。人生の大半を占める一大事業に等しかった。だからそこから高校2年の夏まで、通うスクールを変えて足掻きブランクを取り戻し、記録は少し伸びたし、インターハイにも出た。

ただ、大学受験に切り替えるならこの辺りがタイムリミットだった。結局、わたしはここで引退して受験に切り替えた。水泳のために自分学力よりかなり下の高校に行ったので、辞めてから予備校漬けになった。

受験勉強は圧倒的に楽だった。体の負荷も消えたし、学業自分特性から見ても結果の出しやすい分野だった。あまりにも結果が出やすくて、母も不安にはならなかった。躓きや苦しみも多少はあったが、水泳で受けたそれとは比べ物にならなかった。この時期、私と家族はかなり明るく過ごした。

大学には簡単合格した。願書を出した大学ほぼ全てに受かった。

とにかく家を出たかったので、その名目が立つ大学を選び進学した。

ここから水泳を辞めた後の話に入る。

友達が作れない、学業に身が入らない問題が出る大学1年目

ひとり暮らしをはじめて、やっと手に入れた自由を楽しんだ。でも1年目、ぜんぜん他人との関わり方がわからず、友達が作れなかった。小中高と水泳にかまけていて、相変わらず発達特性的な部分で学校でも浮いていたし、そもそも自分偏差値より随分下の学校に行った(水泳にはリレーメンバーの都合がある)ため、頭の程度が均されている環境でほかの人間と接して友達になる機会がまったくなかったのだ。県大会で何度も優勝し、実家に腐るほどトロフィーがあっても、友達の作り方がわからなかった。この時点で、私の能力は社交性に比して随分歪だったと言えると思う。

ひたすら学校と家を行き来して、家ではゲームばかりやっていた。

1年の後半の方になってようやく所謂オタクサークルに入って、対人能力に似たような問題を抱えた人たちに出会い、それでやっと少し友達ができた。ここから就職活動が始まるまでは、楽しく過ごせていたと思う。彼氏もできた。

とはいえ、あまり成績は良くなかった。勉強したいと思って進学したはずなのに勉強に向かう気力が湧かなかった。どころか、水泳を辞めたことが傷になっていて、「どうせ最後には全部台無しにする、水泳だってあれほどつらい思いをして人生を捧げてきたのにそうやってダメにした」と囁く声が頭から離れなくて、あまり集中できなかった。

漠然と、卒業したら死のうかな、と思っていた。

就活ができない問題が出る大学3年生

学業もそんな感じだったので、いざ3年になってもぜんぜん就職活動を進められなかった。というか授業もギリギリラインだった。

振り返ると、つらい思いをして思春期を生き延びた先に、ようやく手に入れたご褒美としての『自由』がたった4年で終わることに全然納得が行っていなかったんだという気がする。他の人たちは将来を考える精神の準備ができていたのに、私には何もできていなかった。こんな人生の先に、また何十年も続く苦痛が待っていると思って、絶望感があった。

就職留年

このあたりのことはぼんやりしているが、就職活動が出来なさすぎて就職留年した。ちょうどリーマンショック東日本大震災の影響があった時期で、特に女子就活は周りを見渡しても厳しかった。なので就職留年という言い訳は通った。

でも、留年したのに就活全然ちゃんとできていなくて、とうとう親が乗り込んできた。希望する企業の傾向は決まっていたので、母親マイナビリクナビエントリーする企業を選んでくれて、エントリーシートや履歴書に書く志望動機などの文章としてこちらで考えたら、それを母が手書きで代筆してくれたりして、こんな大学生はおそらく他にいないなと思うほど過剰にサポートしてもらった結果、なんとか書類選考が通るようになり、面接を受けたりと就職活動らしいものを進めることができた。

面接が苦手すぎて苦戦はしたが、なんとか内定をもらった。たた、周りがちゃんとこなせていることも自分にはろくすっぽできないとわかって情けなかった。

卒論が出せなくて2度目の留年

このあたりもぼんやりしている。夏くらいに内定が決まって、そこからしか全然ゼミに行かなかった。いや、たぶん特性的に並行してふたつのことができないので、就活中はゼミにも授業にも行けていなかった気がする。内定が決まった後、バイトしろと言われてしていて、必要な授業の出席とバイトくらいはしていたが、ゼミに出てないので卒論が当たり前に書けなかった。英米文学専攻なので卒論英語で書く必要があった。ぼんやり決めたテーマがあるくらいしかなくて、そのまま冬になった。ちょっと書こうとしたけれど当たり前に書けなくて、でもそれを就活を熱心にサポートしてくれた親には言えなくて、卒論提出の日に失踪した。1〜2週間家に戻らず、銀行口座の金が尽きたら死のうかなくらいの気持ちでいた。漠然と死のうと思っていたし、その時が来たのかと思っていた。

結局親に口座の金を引き上げられて、無様にも死ねずに戻った。怒られ、殴られ、彼氏にも心配をかけまくり、色々あったとは思うのだが、この辺りの記憶ぼんやりしている。

ひとり暮らしの家を引き払い、実家カンヅメになって母親監視のもと卒論を書いた。足りない単位のための授業とバイト以外の外出はさせないくらいの感じだったと思う。

ひとり暮らしの家を引き払った時、この時も家がゴミ屋敷になっていたので、ゲーム依存病気だと親に疑われたが、ゲームは単なる逃避行動で、やれない環境であればあっさり辞められた。振り返ってみれば、何らかの支援の網に引っ掛かっておくタイミングがここだったような気がする。ただ、スポーツで結果を出し、世間的には良い大学に行ったような人間が、ゲーム依存なんかで病院に罹るのは外聞が悪い、という意識がなんとなく家族全員にあったのか、結局ここでは必要だったであろう支援とつながることはできなかった。

この環境でなんとか卒論を書いて卒業した。就職は結局バイト先に拾ってもらうかたちになった。

新社会人として

もう一度実家を出てひとり暮らしをはじめた。

働き始めるととにかく眠かった。ひたすら眠かったことを覚えている。仕事でも会議でも寝てしまい、怒られて、怒られたあとは体が一時的闘争反応というか覚醒状態になるので、それで過集中を起こし仕事を進めてなんとか巻き返す、みたいな感じだったと思う。昼に寝てしまうので夜は眠れなかった。その悪循環で昼にまた意識を失った。

本当は病院に行くべきだったと思うが、家に帰るとその気力もなかった。家の電球が切れて、ほとんど暗闇だったのにも関わらずその家を引っ越すまで電球を変えられなかった。1年以上真っ暗闇で生活した。歯が折れて激痛でも病院に行けなかった。ぎっくり腰でも行かなかった。ゴミ屋敷はここでも生産された。

この時期私は相当な困難を抱えていた気がするけれど、同時にどこか安心しているような部分があった。自分価値がこうやって毀損されていくことに対する「ざまーみろ」という気持ちがあった。ちょうどこの頃、母親と完全に連絡を遮断して、実家と絶縁状態になった。直接のきっかけはなんだったか覚えていない。ただ、自分価値ボロボロと溢れ落ち、人生ダメになっていくことについて、母親への不健全復讐欲求が満たされるように感じていたのは覚えている。

この状態を5年くらい続けて、3つくらいの現場経験した。就職先は人売りのSESだった。

コロナ禍でリモートワークが開始する

これは自分にとって大きな転換点だった。寝ているところを他人に見られないのでストレスが大幅に減り、なんとか自分が起きていられる時間帯に仕事を進め、眠りたい時は寝ていることができた。とても褒められた就業態度とは言えないが、それほど能力的なハードルが高い客先でなかった幸運もあって、なんとか巻き返しが効いた。この時期が一番平穏だったように思う。この現場自分にとって一番長く続いたし、終わり方も案件ごと終了ということで円満だった。

この現場が4年くらいで終わり、本社に戻ることになる。

本社に戻る。眠気の問題ふたたび

リモートワークが終わり片道40分くらいの通勤生活が数年ぶりにスタートする。10年近く戻っていなかった本社に知った顔はほとんどなく、コミュニケーションが得意そうな子たちの若い顔が並ぶ。すでにこの時点でうまくやっていけるか不安ではあった。

自社開発の案件アサインされるも、やはり眠気の問題が復活し、怒られる。仕事客先常駐とは違い、粒度の粗い仕事を上手いことやっておいてというような感じで振られるため、勝手全然からず、先の見通しが立たない。作業をうまくこなせず、進捗が出せない。学歴スポーツの成績だけ見れば能力はあるはずだと思われているので、サボっていると見做される。寝てるよね?なんでコミット全然出ないの?

年次だけは無駄に高いので直属の上司もおらず、まともな相談先もなく、周りの子たちは若くてこんなことを相談できる相手ではなく、結果誰にもうまく頼れずにひたすら信頼を失い続け、頼みの綱だった週1回のリモートワークも許可を取り消される。

社長から新卒みたいなことを注意させないでくれる?」と言われる。怒られて、闘争反応になった勢いで、なんとかメンタルクリニックの予約を取った。

そうやって通院治療を開始したのが、2023年10月ごろ。

日中の眠気、夜の不眠、集中困難、ゴミ屋敷などの問題が主訴。

これらの問題は通院治療を開始したところでたちどころに解消するようなものでもないので、年末年始休みを挟んだ後、ボツボツ休みが増え、雪崩れ込むように職場に行けなくなって休職開始。

心理検査(WAIS-Ⅳ)の結果、言語理解ワーキングメモリ・処理速度の間で有意差50を超えた。言語理解・知覚推理凸、ワーキングメモリ・処理速度凹のタイプだった。

この結果と、現在社会生活が送れていない実態をもって、5月ごろにADHDと診断された。

現在は、投薬治療カウンセリングを受けている。

・総括

概観してみると、今の私を状態説明する要点は、下記のようなものであると考えられる。

特性を持って生まれ子どもが、いわゆる体育会系世界に入れられ、なまじ才能があったがために、支援 Permalink | 記事への反応(21) | 22:15

あんまりにも体調もメンタルもアレなせいで悪寒が止まらないままデスクにしがみついて仕事してた時期があって

今でも仕事してると突然寒気が止まんなくなってめちゃくちゃ具合悪くなることがある

すごい辛いんだけどこれいつか治んのかな…

夫婦別姓あんま進まないのって

もしかして自民党支持基盤って

わりかし公益財団法人全日本仏教会とか日本仏教はまるっと全部自民党支持って感じするので

夫婦別姓になったらみんな墓とか檀家かめんどくさくてやめちゃいそうだし収入なくなっちゃうから

そういうののロビー活動で後回しになってるんじゃないかって思ってる。

まあ仏教関係者日本国民の何%かはしらんけど

彼らも生活があるので突然そうなったら困るし

今、準備期間なのかなとか。

そうやって徐々に業界をしぼめてくのペット業界とかもそうだし、

行政は急に法律でガッてやる前に、それで食いはぐれそうな人たちが他の職とか活路を探す猶予期間を作ったりすんのかなって。

かにそれで法律ができたばっかりに失業者が大量に出るの困るし。

から問題にはなってるしやってますよっていうテイではいるけどアナウンスだけでゆっくりなのかなとか。

別に夫婦別姓にならなくても人は死なないし、そしたらそれで煽りを食らう当事者生活のほうが優先だよなとか。しらんけど。

都知事選愚痴

都知事選が近づいてきてイライラしているのでちょっと愚痴

まあ一番悪いのはNHK党だろうな。

もともとイメージが悪いのはあえて語るまでもないだろう。多分俺よりはてなーのほうが詳しい。自分性格をふまえると、主観的には悪に近い存在だ。

そいつらの立候補者が多すぎる。候補者として最初から眼中にないとはいえ、本当に視界に入らないわけではない。

視界に入れたくなくても嫌でもポスターとかで目にする。

こっちはあんたらに構わないからそっちもかかわらないでほしいと思うのに話を聞かずにグイグイ来る感じ。これは間違いなくうざい。

そもそも都知事になる気がまるでないのが明らかのもムカつく。

俺は東京まれ東京育ちだ。

政治に興味はないが、それでも都政が自分生活にとって大事もの、あるいはいままでの自分の成長に大きく関わってきたものだってことくらいはわかる。

なので一応、毎回の選挙にも真剣に取り組んではいる。

ところがなんだ?俺は真面目なのになんでお前らはふざけてるんだ?舐めてんのか?あん

政見放送時間も取られるからニュースもろくに見れない。日曜討論も荒らされる。

んでもって似たようなことをやっている泡沫候補ども。個性があるんだかないんだかわからない。どうせ東京都のこと考えてないからみんな一緒に見える。

ここまで書いてようやくわかった。要するに不快広告だ。

あいつらは要するに宣伝のために選挙活動してるんだろう。広告と一緒だ。そうだ不快広告だ。

その広告の内容は、マニフェストにしてもポスターにしても演説にしても、いずれも不愉快だが、いずれも東京にいる以上目にしないわけにはいかない。

それでもって不愉快である報告をしてクレームを入れる方法は俺にはない。いや現行の法律だと誰にもないのか?

閉じるボタンもないしページバックもできないから離れられない。移動の妨げにもなるし、音もうるさいし。まあまだ街頭の活動はしてないか未遂だけど。

看板も、視界に入るうざさは別としていつも邪魔にならないよう立ててくれてはいるけど今回はどうなんだ?こんなにあるけどどこまで配慮してくれるんだ?

邪魔されて、逃げようとする行為邪魔されて、自分時間ばかりが取られる。

あー不愉快

だけど吐き出してちょっとスッキリした。ありがとう増田

具体的にセックス気持ちよかった話あんまないよな

経験談とかだいたいやる前のシチュエーションが良かったみたいなのばっかで腰使いがうますぎて2回抜いたみたいな話まず聞かないからつまらん。

anond:20240618190907

個人的には安倍さんより好きだよ岸田さん

安倍さんの強い言葉で外部に敵を作って支持者の団結を高めるってやり方あんまりきじゃなかったんだよね

ただそここそが岸田さんが保守から嫌われている最たる理由なのでなんともしがたいところ

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