はてなキーワード: プレイとは
黒い砂漠、リネージュ、AION、Blade&Soul、Ragnarok Online、Tree of Savior、LOST ARK、アーキエイジ、マビノギ、メイプルストーリー、テイルズウィーバー、ドラゴンネスト、アラド戦記、エルソード、サドンアタックなど
PUBGのBlueholeも元々はMMORPGのTERAとかヒットさせて成長した会社
近々でる大型っぽい韓国ゲームだとNight Crowsってやつがあるな
まあプレイ動画見た感じグラフィックが新し目のエンジンで良くなっただけでやってることはMMOらしい棒立ち感あるから流行んなそうだが
ちょもすとは、セガのアーケードゲーム三国志大戦を筆頭に様々なゲームで活躍するプレイヤーである。
イースみたいなプレイフィールを想像してたから、思いのほかストレスたまるゲームでびっくりしたわ
そういや武蔵伝もひどかったしスクウェアはアクションノウハウないんだよなって
いつでも攻撃はできるけどパワーゲージためないとまともにダメージ出ない=無双みたいに攻撃ボタン連打は通用しないってのはいいとして、
敵ののけぞりとかひるみのタイミングとかがすげーおかしいんだよなあ・・・
宿屋とまったときにテイルズのスキットみたいなのが見れるのはよかった
リメイクで唯一のいい要素じゃないんかこれ
あと声もいいっちゃいいか
でもなー・・・アクションがなあ・・・イースの爽快感に慣れてるとマジでストレスしかたまらない
なんつーかリングコマンドで即座にいろいろ切り替えてスピーディな戦闘ができるイメージあったから、すげー裏切られた気分だったわ
次どこいくかもまともにわからんし
なんつーかリメイクが下手すぎる
さんざんクソゲーって言われてるけどよくわかったわ
第4の壁によってそれらは真っ二つに区切られている。
「一度もゲームオーバーになることなく最終決戦まで生き延びる主人公たちの物語」
「何度もゲームオーバーになりながら、リトライを繰り返しながら成長するプレイヤーの物語」
もちろんこの二つを両立させることは出来る。
それはゲームオーバーと死を結びつけないことだったり、周回プレイさえも含めてキャラクターの設定に組み込んでしまうことがそれだ。
クリアと同時にセーブデータを消去したり、更にはセーブデータを消した事実さえゲームの中に組み込んでくる作品も出てきた。
それでも、新しいゲーム機やPCを購入すればプレイヤーは0から世界をスタート出来てしまう。
同時に、まだプレイしたことがないゲームのネタバレを知ってしまえば、0からゲームを始める機会は永遠に失われる。
「ゲームの物語」と「プレイヤーの物語」は絶対的に独立している。
それを打ち破ったのがMMOゲームの凄さであると語る人もいるが、たとえゲームの中の時計を止めることを不可能にしても、プレーヤーの物語をゲームの中に組み込もうとしても、結局それらはゲームであることから脱することはないと私は考えている。
ゲームがスポーツとしての側面を追求することでプレーヤーの物語をゲームの勝敗に引きずり込むことは出来ても、そこまで来ると今度はゲームの中におけるストーリーは形を失い、競技のための触媒でしかなくなるのではないか?
将棋盤の上に広がっていた国盗りの物語は、プレーヤーの技術向上に伴いただの記号となる。
その昔、「物語が素晴らしい」と語られるゲームは「ゲームの中の物語」に対して送られる言葉だった。
だが、時代と共にそれは変化し、ナラティブの重要性が語られるようになる内に「プレーヤーの物語」こそが重視されるようになった。
たとえばSEKIROだ。
主人公では死の淵から蘇る設定こそあるが、ボスキャラクターに敗北したときは世界の時間そのものが巻き戻る。
第二形態になるまで痛めつけたはずの敵は無傷へと戻り、登場人物は同じ会話を何度も繰り返す。
「主人公の物語」は「ただ一度の敗北を除けば、不死の力により強敵を打ち破り続けた豪傑」であるが、プレイヤーは「何度も敗北しながら相手のモーションを盗み、時に攻略サイトや動画を覗いて対策を練り上げることにより遂に勝利した」という物語を歩んでいる。
そして、SEKIROで評価されている物語は、この後者、「プレーヤーの敗北と復讐の物語」である。
プレーヤーはコントローラーを通して画面上の何かをラジコンのように操作し、それによって何者かを演じる。
独裁政権の暴君であったり、愛らしいマスコットであったり、不気味な怪物、英雄たちの指揮官、様々なものに乗り移り成り代わる。
ゲームがまだ全くリアルでなかった頃、ゲームセンターや喫茶店でレバーを握っていたプレーヤー達が演じていたのは画面のキャラクターではなかった。
「難しいゲームをスイスイと攻略するゲーマー」という役を演じていた。
レトロな世界は人間の想像力を掻き立てはしたが、そこにある没入感には限界があり、プレーヤーと画面の中のキャラクターの間にある第4の壁の厚さは現代の比ではない。
そんな中、ゲーマーを名乗る者達は「ゲームというごっこ遊びを上手にこなす自分」を演じたくてコインを投入し続けたのである。
段々とゲームは映画のように物語を見せるものへと変化していき、プレーヤー側も「キャラクターの冒険を追体験する」という感覚を求めるように変化していく。
そのうちにゲーマーは観客となり、コントローラーを握る行為が本のページを捲るのに似通ったものとなっていく。
ゲームを薦めることはストーリーを追うための手段であり、それ自体は目的ではなくなっていった。
そんな時代が続くと今度は、「自由度」「選択の影響」といったものが重視されるようになった。
単に決められたフラグを順番にこなすだけの作業は、ごっこ遊びとしては退屈になってきたのだ。
選択がゲームの世界に影響を及ぼすことにより、その世界の構成要素としての没入感がより強まることが発見される。
だが、その時代も少しずつ陰りを見せ「結局はトゥルーエンドがある」だとか「何周もするのが面倒だ」とか「どうせ全部動画で見る」だとか、そういった体験が積み重なることで、自由な選択もまた単なるフラグ管理の確認作業へと認識が変化していったのである。
「自由な選択」や「選択の責任」といった要素が飽きられだした今、ごっこ遊びはどこへ行ったのか。
再び「ゲームを遊び倒しているゲーマーの自分」を演じる遊びへと帰ってきたのである。
トロフィーの獲得状況を見せ合ったり、考察を語り合ったり、配信で盛り上がったりと、プレーヤー同士の交流が盛んになることによりゲーセン時代の「ゲームやりまくりな俺凄くね?」の遊びがインターネット上で繰り広げられるようになった。
その中で伸びていったのが、「高難易度と成長しやすさを両立したゲーム」だ。
「遊びにくさと難しいを履き違えるな」という金言があるが、これを完璧に守りきり「遊びやすいが難しい」を完成させたゲームがこのジャンルだ。
一見理不尽なほど難しいが、プレーヤーが成長することによって確実に強くなれる丁寧な階段がその中に仕込まれているゲームである。
それの亜種として「入り組んだ設定があるが、情報を整理すれば読み解けるゲーム」も人気となっている。
苦戦した強敵を軽々と倒し、まだクリアしてないプレーヤーが苦戦しているのを高みの見物をするゲームと、何回な設定について考察サイトで議論を重ねたり盗み見て理解し、それに初めて触れたプレーヤーに「いずれ分かるさ」と上から目線をかますゲーム、コントローラーを握っている間の難易度こそ違うが、そこの性質は良く似ている。
「やり込んだプレーヤーが自分の成長(成功)を感じることが出来る」という点だ。
ゲーム内外にプレーヤーの成長(成功)の物語が散りばめられており、その成長(成功)を「つい最近始めたばかりで苦戦しているプレーヤー」との比較によって実感できるようになっている。
人は、昨日よりも優れた自分になりたいという願望がある。
現代人気のゲームは、その願望を実現したかのような気持ちにさせてくれる機能があるゲームだと言えるだろう。
カルトな人気を誇るゲームを「ものすごい体験をした」と持ち上げるプレイヤーの中にある心理も、「物凄い体験をした自分」と「その体験をまだしてない自分」を比べて、成長や成功の感覚を、自分の物語として味わっているのである。
・アラサー女
・だいたいどこいっても美人扱いされる 顔が、というよりもスタイルがいいから雰囲気でそうジャッジされてる感じはする
自分のオナニーのための文章なので、自分名義のブログも持ってるんだけど匿名で投げる。
「男女の友情」というのは古今東西再三議題にされてはいて、自分としては成立する、と思っていた。以下の条件があれば尚のこと成立しやすい
・同じコミュニティに属しており、そもそも恋愛対象ではない土俵で出会っている
・どちらか、もしくは両方に恋人がいることを知っている、など
というわけで少ないながらもわたしは数人男友達がいる。社会人と言うこともあって、会う頻度はそれぞれ多くても月1,下手したら年1とか。正直それぐらいの方が維持はしやすいのかなあとも思っている。
ところで最近自分の人間関係で、どこにも放り込みづらい関係性の人が現れた。
ひとまず男友達である。セックスしていない。デートというかサシで遊んだことは何度かある、というか共通の友だちゼロ。家にも来た(泊まってない)、けど旅行には行った。しかも二泊、同じ部屋(ベッドは違う)。
初めて会った時は、別に、タイプだなとは思わなかった。むしろ、もっと背が高かったらタイプだったな、とやや失礼寄りの感想を内心抱いていたような気さえする。出会ったのはほぼ偶然。そもそも彼は自分より6歳年下だった。それでも話したら気があったし趣味も似通っていたので、初対面ですぐ仲良くなった。
怪しいなと思ったのは2回目。なんか初回は思わなかったのに、案外この人顔きれいだなって思ってしまった。とはいえ別にタイプではない…けど、これからも仲良くできたらいいことよなあ、と思ってたら、3回目は向こうから遊びに誘ってくれたので展示見に行ったりごはん食べたりした。3回目で、(あ~大学の同期として出会ってたらこの人とつきあってたかもなあ)と思ったけど、本人に伝えるのもはばかられてやめた。今思えば辞めておいてよかったマジで。
4回目である。4回目にいきなり2泊3日の旅行である。誘ったのはわたしだがそのときは日帰りのつもりだった。どうせなら、と行き先を遠方にかえて泊まりにしたのは向こうだった。
部屋を予約したのはわたしで、勝手におなじ部屋をダブルでとった。それについては何も言われなかった。というのも女友だちと二人で旅行に行ったことがこれまでもある、とのことだった。くやしい、と正直思ったが、わたしだって付き合っていない男の人と旅行したことが一回ある(エッチしてない)ので、ふーんと受け流しておいた。まあ私と違って向こうは学生なので、そういうこともまああるだろうな、と思った。わたしの学生生活にそんな楽しいことはなかったけどな!!!
それなりに高頻度で会ったり電話したりしていたこともあって、旅行が決まってからの1か月間、なんというか疑似恋愛感がすごかった。彼のSNSをこっそりさがしだして遡って読んだりした。なんとなく、容姿や中身に関して、広義ではわたしのことがタイプっぽいなあと邪推してニヤニヤしたりした。
結果から言えば別に3日間何もあやしいことは起こっていない。わたしに魔が差して手をさわったりしたくらい(エッチな感じじゃなくて、青森に旅行行ったから手をさわって「つめた」と言ったくらいですよ?)。拒まれなかったしいやそうなそぶりもなかったけれど、ふと思った。
わたしが、下心を一切感じていない男友達にもし同じことをされたら、メチャクチャ気持ち悪いぞ……ということ。
もちろん男女の差はあるとして、も。
普段、季節に一度くらいで遊ぶ男友達たちには、なんかチャンスがあればやってもいい、とすら思っていない。家に泊めたこともないではないけどそれは彼らが学生だったからで(仕事の関係で、アラサーなのにわたしには大学生の友だちが男女問わず多い)、ベッドは使わせずに、というかそもそも彼らは自分からカーペットやソファに横たわっていた。もし彼らが冗談っぽく「添い寝していい?」とかいってきたらメチャクチャ萎える。おとなだから気まずくさせない・お笑いにしてにごすくらいの技術はあるとしても、かなりそいつへの信頼度は失せる。さしでは少なくとも遊ばないかもしれないし、家は出禁にするだろう。
かつ、もし彼らとさしで旅行するとしたら……うーん……いや、旅行したくもないかも。私個人がどうとかじゃなくて、どうしても女とふたりっきりで泊る=なんらかのエロいことの可能性、という方程式が男の人の頭をよぎるのはしょうがないことだ(わたしだってメチャクチャ考える)。旅行をしよう!と提案したら確実にそれがよぎること自体、なんとなく、いやなのだ。
けどくだんの男友達と旅行した時はそう思わなかった。何かあったら寝てもべつにいいけどお、と私が下心満載の目つきで見ているからだ。ああ。
男友達ってなんなんだ?
わたしは……彼と違ってあまたの失敗があって、アラサーに至る。
男友達だったしタイプでもなかったのに、性欲に流されて自分で誘ってエッチして、セフレっぽい扱いをされてショックで縁切った、とか。流れでエッチして友だちだったのに彼氏彼女になったもののうまくいかなくて別れて、とか。セックスしたせいで、一生もんかと思っていた人間関係があえなくぶちぎれたことなんて、まあまあの回数を経験してきた。
しかし彼はどうやら誰かと付き合った経験がないみたいだ。告白されたことはあるっぽいけどうまく扱えなくて断ったことなら、ある、っぽい。ぽいぽいうるさくてごめんだけど、こっちは多少下心があるもんだからあまり根掘り葉掘り聞くと自分が傷つきそうだったし、好きなのかな?とか疑われるのも少し恥ずかしかったので、憶測をつなぎあわせている。
「恋愛に興味ない?」と訊くと「ないわけではないし人を好きになったこともあるし、彼女いる人の話聞いて、いいなーとか楽しそうだなーとか思うけど、そこまで強い関心とか執着を人にもてない」とのことだった。言いたくなかったら言わなくていいけど、と前置きしたうえで「リビドーはあるの?」と無神経にたずねたら「あるよ。でも近くの人に向けよう、とか生身の人に対して向けることはない。なんか抵抗があるな」とのことで、車中でひそかに興奮した。わたしはかなりいい大人で、しかも女性なのに、実態は童貞の中学生みたいなやつで本当に申し訳ない。
その時初めて、付き合ってる人いるの? ときかれた。いままで一度も聞かれなかった。「いないよ」とこたえたけど、もう少し意図を深堀してもよかった(いたらどう思う? とジャブうってみる、とか)。けど、好意がばれるのが恥ずかしくて言えなかった(童貞マインドすぎる)。
「夢を叶えるために、願掛けをしてる。渥美清が禁煙してとらさんの役をつかんだ話があるでしょう、わたしもやめたの」
「何を」
「恋愛」
よって21歳から今に至るまで誰とも付き合っていないし寝てもいない、と告げた。うそつけよ!!って感じだが、彼は信じたみたいだった。夢を追っている、というのは本当だし努力の実態を彼も把握しているので、わたしが夢追いガチ勢というのが功を奏した。あと彼本人が幼く、経験がないから、そんなの無謀だ!とは思わなかったのかもしれない。
なぜ恋愛を禁じている、と口走ったかと言えば、当然、自分が彼に手を出すのを今後禁ずるためである。彼も「じゃ、この人おれのことそういう目で見てないってことね あんし~ん これからも旅行仲間としてよろしくね★」と思ってくれるだろう。だから外から見ればわたしたちは、トリックの山田と上田みたいなナイス男女コンビになれる……こんなに作為まみれの裏側なのに……。
これはオナニー文章なので、起床転結もマルッと無視して、今まで彼が吐いた思わせぶりな台詞及び行動を列挙したい。しかし彼は若干アロマっぽいので、わたしがいいように解釈しているだけ、という可能性が非常に高い。
「(ラーメンを食べて笑顔になった私を見て)ずっと笑顔でいてほしいわ」痒すぎる。
「(素顔で写真に写るのを恥ずかしがった私を見て)そのままでいいよ」なんだそれ
列挙するのこっぱすかしいのでやめるけど、行動で言えば、写真撮られた時にものすごい近距離に立って髪の毛をなおしてくれたり(スマホじゃなくて一眼でとるガチのやつ)、そもそも家に来てベッドで「ねむてえ」と寝転んだり(一応許可はとった)、船で移動した時にせっまいベンチで、向かいにもベンチあったのに、ふたりでならんで仮眠とったり(これが一番わたし的に青春ポイント高かった。よっかかる、みたいなあざといことはしてないけど腕がコート越しに面でひっついてるような感じ)、枚挙にいとまはない。
……はあ。
しかも旅行がおわったかと思ったら、次はわたしが転勤もかねて半年東京にいることになったのだが、東京に遊びに行きたいから1週間くらい泊めてくれと打診があった。客用布団はある、けど、これ、わたしが下心を向けていない友だちから言われたら、かなりいやだな。向こうにも下心なかったとしても、というかなんなら女の子だとしても1週間他人と同居ってきついよ。なんなら彼氏でもいやだ。3日で出て行ってほしい。
……でも下心を向けている、未セク異性友人だったら「ずっといていいよお★」って思ってしまうの、なんなんだ。自分がスケベすぎるだけなのか。もちろんセックスする気はないが、ないけど、あー、いつかやっちゃうんじゃねえか、と自分を疑い続けている。
これは異性の友人ではなくオナニーのおかずとしてしかその人をみてないんじゃないの、と言われたらぐうの音も出ない。疑似恋愛プレイの駒にしか思ってない、と言われたら、そうかもしれない、でも話してるだけで楽しいんだよな。それは本当に。でももし性別同性だったらこんなふうにはならなかったことも気づいている。
自分が大人で相手が経験のない学生、っていうのもあっていまだけはこういう稀有な関係で居られる。はたから見たらクソ気持ち悪いことこのうえないかもしれん。ので匿名で投稿。
なんか童貞みたいなネーミングだからプレイしてないんだけど、League of legendsと何が違う?
私旅に出ていたの。
なので2日間お風呂は入れなくて、
ずーっと肌痒かったのが
解消された感ありありで今日はお送りしたく、
いち早くこのことを増田で書かなくっちゃ!ってことで急いで電子端末の前に座っている今日この頃なのね。
いままで、
お湯の温度が熱すぎたのかしら?
毎日洗いすぎていたのかしら?って
考えるとそれが原因か分からないけれど、
ピッタッと痒みが治まったのよ!
ムヒが丘に痒みをとめて、
思わぬ旅の効能ね!
あながち旅に出ていくのも悪くないなーって。
お風呂は入れなかったけど。
でね、
な!なんと『ゼルダ無双厄災の黙示録』買ってしまっちゃったわ!
どうせ買うなら今でしょ!って今でしょ!ってもう林先生も言わないぐらい使い古された感じがするけれど、
私はその勢いで買っちゃったのよ。
でもまだ本編の『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』をクリア出来ずじまいでいる、
あと写し絵が1枚攻略出来なくって困っているところに
もうこうなったらユッキーナばりに事務所総出でハイラル城に攻め込む?って思っているところなのよ。
私が必死こいてこきまくってこきまくって塗りまくって勝ち巻くってホラ貝回収しまくっても勝てないフェスのチームだったけれどいまやもう参加しても戦わない方が優勝できる1位になれる山脈に向かってヤッホー!って叫ぶのよ。
今の時期だけだけど。
今はそのゼルダが忙しいので、
あとどうして何を揃えたらハイラル城にユッキーナばりに事務所総出で攻め込めるか?って想像するのよねー。
防具を最強にマックスに妖精のおねえさんたちに強化してもらうのもなんか微妙にアイテムが足りなかったり、
どのポーチを増やしたらいいのかも、
貴重なアイテムを消費するので考えようよね。
でも私の気力は満タンになったことをここで表明したいことがあって
がんばりゲージがマックスの3周になりました!
もうこれ以上がんばりゲージはマックスなのであなたは気力に満ちています!って言われちゃったわ!
でもその旅の途中にちょっと100年前に戻って
そう、
ゼルダ無双ね。
ちょっとだけやったの。
45分だけ!
それが私と私のお約束!
まだ見ぬ本編の薄暗い城内の暗いマックスのハイラル城に攻め込むクライマックスを迎えられていないので
ゼルダ無双をやってみたの。
そしたら出だし最初の仲間に
それで泣きそうになったわ!
ヤバい!
一旦ここで私のゼルダの気持ちを止めておかなくちゃ!ってことで
リンク強いじゃん!いきなり!
もうさ、
今でこそハートはエース級に出てこないでお馴染まないぐらいハートは私15個とかあるけど
いまだにブレスオブザワイルドでは雑魚敵とは戦いたくないものね。
増田ーソードはどの地に刺さっているのかさえも増田界隈ではなんの噂も立たないし、
快適アクションなので、
操作は素早い感じがして快適よね。
それで戸惑うことはないわ。
インパが出てきただけで泣いちゃいそうなのに、
他の四神獣の仲間も出てきてきたらたぶん絶対私なくなく泣く自信あるもん。
でもさ、
想像だと100年前の戦いで皆敗れちゃったんでしょ?
それも謎を解き明かしたいぐらいの世界だわ。
そんで何の話しだったっけ?
そうそう
身体の乾燥による痒みがピタッと止まった高校の校歌を斉唱した!って話しよね。
よく分からないけど、
でも一旦旅は止めてあるので、
うふふ。
お腹空いてるけど、
それよりも軽めの
満たされる~。
いよいよなんか電気ポットも運用少なくなって来た感じもするけれど、
まあホッツ白湯ストレートウォーラー作りには欠かせないわよね。
夜沸かして置いておけば飲み頃保温温度になる60℃になってるので、
ちょうどいい温度なのよね。
いい感じよ。
暖かくなってきても電気ポット習慣は続けて行けたらなーって思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
○ご飯
朝:ポロイチ醤油。おじや。昼:ばかうけ。アルフォート。夜:豚肉おじや。ネギ。間食:ばかうけ。アルフォート。
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、おやすみー。
携帯電話専用ゲームとして発売されていたADVのニンテンドースイッチ移植版。
美女を自認する編集の木戸いづみが、担当作家で事件に首を突っ込みたがる鏡月正宗を作家業に専念させるために、事件の捜査をする。
現場の捜査と関係者の聞き込みをした後、真実を推理する流れだ。
30分もかからないボリュームなこともあり、物語やミステリというよりは、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズの領域で評価した方が良いかもしれない。
主人公木戸いづみの奇妙な言動や、シリーズを通して出演している容疑者の滑稽な挙動などコメディとしてクスッと来る場面はそれなりにあって、独特の味になっている。
肝心の謎解きパートはこのボリュームなら仕方ないとはいえ、流石に議論の余地が残る大雑把なもの。
ミステリと、脱出ゲームなどにおける”謎解き”やクイズとの大きな差はまさにここで、唯一無二の絶対の真実なんてものの絶対性の保証されなさから、ミステリは議論を尽くす、即ち謎解きに費やす文量こそが最大の魅力だと思うが、本作はまあクイズ寄りだろう。
ジャンルを包括した何か大きなことをどうこう言うような規模の作品ではないが、自分の好みが謎を解く過程の議論にあることを再確認できた。
勿論、好みの大小に過ぎずこれはこれで嫌いではなく、プレイ中は楽しく遊んでいた。
自我を電脳空間にアップロードできたとして、なんか首にマトリックスみたいな線つっこんで、目をつむって、アップロードが完了するまで待ってたとしよう。
目を開けたらどうなる?椅子に座って首に線を突っ込まれたままPCのモニターを眺めているのか?モニターの向こうには「俺」がいて成功したとはしゃいでいる。
もしくはモニターの向こうから椅子にだらりと座ってぴくりとも動かない自分の身体を眺めているのだろうか。あるいは自分の身体は動いている。「俺」が絶望の表情でモニターを覗き込んでいるのをモニターの向こうから眺めるのだろうか
俺はシミュレーション仮説を宗教として信じていて、死んだら「上」の世界で目が覚めると思っている。「死」が唯一のログアウトの方法だと仮定している。
「上」の世界にもさらに上があるかと思われるが、じゃあどこが一番上なんだと言うと、不老不死が達成された社会が一番上になる。逆説的にこの世界で不老不死が達成されたらここが一番上ってことだ。だって不老不死実装したらログアウトできないじゃん。
逆に、上の世界では不老不死が達成されてしまっていて時間も有り余っているので、ワンプレイ80年の大して面白くもないゲームに没頭しているのだろうと考えると納得感がある
とはいえ、俺が想定しているのはゲームのように「上」の世界から干渉されているシミュレーション(つまりプレイヤーである「上」の世界の彼がこの世界に没入することで干渉している)を想定しているのであって、実は干渉してない箱庭のような鑑賞型シミュレーションである可能性もある。
そうだったとして、あまりそれを考慮する必要は感じない。この世界がシミュレーションではないオリジナルだろうと鑑賞型シミュレーションだろうと死んだら無だとしか思えない。もはやそれはどっちだっていい。なので宗教としては干渉型シミュレーションを信じている
「上」の世界の彼は人間の形をしているのかどうかも不明。ニンゲンとかいうキモカワ生物になれるシミュレーションゲームなのかもしれない。
不老不死の彼は暇にかまけて今まで散々色々なニンゲンの人生を歩んできたのだろう。大谷翔平みたいなのとか。もしくはもっと別のキモカワ生物とか。そういうのに飽きて一般的なニンゲンの俺の人生をプレイし始めた。
俺が死んだあと彼の記憶の中に一定期間は留まるだろう。とはいえ彼は大谷翔平のような人生ばかりを記憶して、きまぐれに遊んだ俺の人生なぞすぐに忘却するはずだ。その時が俺と言う存在が本当に消失する瞬間となるんだろう
34歳年収700万底辺派遣社員ぼく、働いてるせいでパルワールドをまだ40時間しかプレイできてない
SNSではもう150時間やってラスボス倒した、図鑑コンプしたとか200時間遊んでパルの厳選完了した人とか沢山いるのに
ぼくは第2のジムリーダーすら倒せてないよ😨
07:00 起床
08:00 始業、株価をチェックした後はSNSで対立煽りして遊ぶ
12:00 昼飯
13:00 スマホで漫画を読んだりパルワールドのイラストを収集したりする
14:00 チームミーティングなど(参加するだけで発言は一切しない)
18:50 日報を書く
19:00 残業終了
19:30 帰宅
24:00 寝る
ラスアス2ことThe Last of Us Part IIはゲームを実際にプレイすると当時さらされた批判はだいたいデマだとわかるゲームだった
そして愚かなゲーマーによるデマにさらされながらも重要なメッセージを世界に届けたゲーム というブランディングでGOTYを受賞した
ゲームの中だけ見ればそこには暴力批判と反戦と協調のメッセージしかない。しかし前作ファンやキャラに愛着ある人間がひたすらイラつくように作られており
正しくない批判、暴走、ファンの暴徒化を生み出す作りをしていた。
そしてこの暴徒化した連中にもまけなかった制作者たちが、愚かな連中を退けたゲームという物語をつくった
いっぽうイスラエルはパレスチナとの境で平和フェスを行うことでハマスによるテロを誘発した
この平和フェスも、イベントの中だけを見ればそこには平和への祈り、協調へのメッセージしかない。しかしパレスチナから見れば、心理を刺激し暴徒化し冷静さを失わせ、相手の怒りを醸成する為のものだった
そして野蛮なハマスには屈しないイスラエルが対テロの為に戦争をするという物語をつくった
どちらの例もターゲットになった相手側はこのイラつきや怒りを正当化できない、対象である作品にもイベントの中にも平和、反戦、協調しかないからだ。
そして限界までイラついた側は手元にあった正しさをもたない武器をとる、その武器はポリコレ批判だったりテロだったりする。仕掛ける側はターゲットが完璧に間違った手段を手にとるまでこれを続ける。
暴走を引き起こす段階までいけば、あとは西側の正義を内面化できてる人たちが、論理的に擁護してくれる
その暴走した連中のやり方は実際だれの目にも野蛮で的外れでおかしいからだ
この正しくないバカ共に対しては加害したり冷笑しても正当化されるから、みんな嬉々としてこの役をひきうけ楽しむ
この加害のボーナスチケット配布を待ちわびる進歩派ユーザーと、潰したいターゲットがいる仕掛ける側。両者の共存による力でGOTYもとれるし虐殺もできる
ラスアス2は傑作だ。でもそれは反戦と協調のメッセージをもったゲームだからという理由では全くない
イスラエルが実際に使うことになったこの、平和と協調をつかって相手を暴走させるやりかたを使えば、人々の暴走をひきおこし勝てるということをゲーム業界という場で先に実演し、
この勝ち方で、GOTY受賞からHBOドラマ化まで商業的にスケールすることを証明した後に、そのスケールの対象が虐殺数になったとしても誰も止めることができないという現実が後からおいついた。
「あの当時の技術力」とか「あの当時の時代背景」とか一切考えてないコメントばかりで、はてなーって本当に想像力や理解力がミリもないなと呆れてしまった。
今の時代にFF7をやっても「ポリゴンすぎてワロタwww」としかならんだろう。
「FF7の場合はリメイクがあるからそれをやればいいだけ」と思ってるのなら、これまた想像力の低さが馬脚を現したと言えてしまうな。
FF7の世界観はあの時代だから響いたということが理解できていないのだから。
近未来や隕石衝突に対してのイメージが現代とは違うということが分かってない。
FF6からの流れ、ムービーに対しての印象、それらが全然変わってくる。
FF7をリメイクで始めて遊んだというプレイヤーのうち、その直前にFF6をやっていたのはどれぐらいだ?
全然だろう。
そして、リメイクでやるFF7に感じるのは「PS時代と比べて凄い」のはずだ。
それは、リアルタイムFF7が見せた技術力の進歩とはまた別の進歩なんだよ!
別物なんだ。
明らかに別物だ。
「記憶を消してもう一度やりたい」というのが、「今の感性や事情でこのゲームをやってみたい」なら話は変わる。
子供の頃、難しすぎて攻略情報に頼りまくってプレイしたゲームを、自分の手でクリアしてみたいとかならな。
想像力がないんだよ。