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2024-04-12

anond:20240412132028

ジェームズ・ボンドの「007シリーズ

原作者はとっくに亡くなっているのに、終わる気配も無く、延々と新作が作り続けられている。

2024-03-31

さすがに007とか、スパイファミリーとかの創作スパイは行き過ぎとしても、第二次世界大戦冷戦下で活躍した女スパイの話とか読んでるとスパイって少なくとも自分感情や行動を律する冷静さは備えているものだと思ってた。

しか我が国日本スパイ認定されるのは河野太郎のような冷静さとは全く縁が無く、自分が出席する資料の押印すら確認できないお馬鹿さんや、外国人優遇政策SNS公言するような自分の真の目的を隠すこともできない阿呆野党議員ばかり。

本当の警戒すべきスパイは裏に隠れてるのかもしれないが、肝心の実働部隊がこの程度では、どんなに優秀なスパイでも祖国に誇れる結果を出すことはできないだろう。日本担当を任されたスパイには同情せざるを得ない。

2023-12-22

anond:20231222153925

人口密度が3,041.3/km2

これは日本都市だと

118位 愛知県 刈谷市 3,048.20

119位 埼玉県 狭山市 3,014.00

120奈良県 橿原市 3,007.61

この辺に近い

 

少なくとも大都会密度ではない

2023-11-27

007ダルマを呑んでいい

テレビでやってた「007は二度死ぬ」(日本舞台にした1966年ジェームスボン映画)を見ていた。

ボンドが優雅ウイスキーを愉しんでいるシーン。ところがテーブルに置かれている瓶はサントリーオールド、「ダルマ」だった。

歴代ボンドガールに劣るとも勝らない容貌を持つ妻と二人で「そこでダルマかよwww」と指さして笑った。

英国スパイが嗜むウイスキーとしてダルマを出すとは、いくらなんでも場違いに見えてしまったのだ。

よほどサントリーゴリ押しタイアップさせたのだろうが、主演のショーン・コネリー生粋スコットランド人だし、無粋だなあと思った。

だが。

今でこそダルマはかなり庶民的イメージウイスキーだけれど、どうも調べてみると、60年代当時はもっとグレードの高いイメージお酒だったようだ。

サントリー公式サイト オールドの歩み 60's~70's にはこうある。

“原酒100%ウイスキーであるサントリーオールドは、中元歳暮の時期を除いて店頭に並ぶことがないとさえいわれる高嶺の花でした。働く男たちの憧れの酒──1950年代から60年代にかけて、オールドは「出世してから飲む酒」の象徴だったのです。

高級品だった!

2023-11-03

声優チェンジオーバーもっと早期型に移行するか、定期形に移行するかするべきか?

非常に長寿国民アニメというものがある。

その声優の交代をいつどのように行うべきか?

現状、外から見ている限りではその声優御本人の意向というものが最大限に汲み取られているように感じられる。

しかし、それでいいのだろうか?

かに声優キャラクターに命を吹き込む職業でありそのキャラクターとは切っても切れない存在であると思う。

ただそれゆえに最早声優としての力量が危ぶまれるような状況でも、なかなか役を降りるという決断が出来難い状況も作り出しているように感じる。

ならば、もう少し国民アニメであればあるほど、定期的な声優の交代であるとかしていくべきなのではないだろうか?

とくに問題がなくてもある一定区切りだとかプロデュース判断声優を交代してしまうのだ。

例えば007永遠に同じ人が演じるわけではない。

それと同じだ。

10年やったら次の人と変わってもいいだろうし、そして一度変更になった人もまた戻ってきてもいい。

そういった柔軟性を持つことも大事ではないだろうか。

2023-10-30

演者世代交代が何度も行われている作品

ぱっと思いつくのは『007』のジェームズ・ボンド

日本だと何があるかな……

水戸黄門』あたりか

数十年シリーズが作られ続けている作品でないと何度も世代交代が発生しないからそんなに数は多くないのか

アニメだと『ルパン三世』……声優は実写俳優と比べて長く演じることができるから世代交代の間隔が長いのかもしれないな

日本作品に限らず世界全体でも何度も世代交代が発生するような長寿作品は多くないか

日記

2023-10-17

anond:20231016210953

世界ピンチに立ち上がるアメリカイギリスヒーロー!→ ・・・悪い犯罪者は許さない・・ → 個人実家のはす向かい事件に立ち向かえ

と「お話スケール」で並べると

007ミッションインポッシブルワイルドスピード後期 → ボーダーライン →ワイルドスピード無印

などと並べていくと事件スケール感においてイコライザーは小さい方だ。

世界中の核兵器自由に操れるキカイも恐ろしい性癖もつ生物兵器も出てこない。奪い合うのはカネで、悪者地元犯罪者集団(ヤクザ)で戦うのは極めてパーソナルな理由からだ。そこんところはリアルに寄せられている。

なのにCIAイタリアまで出張ってくるスケール感を出すために工夫がいくつかこらされているんだけど、

2023-10-07

なんで小3がフォーナイトしてるんだ?

と思ったらSwitchでもやれるんだね

自分も64で007やってたしなぁ

2023-03-31

代表的映画シリーズが2個以上ある俳優ってあんま多くないんだよな

追記

映画シリーズ」は元増田偏見により「3作以上続いている作品」とさせていただいております。また「代表的」は主観がかなり入りますがその映画と言えばこの俳優だよね、この俳優と言えばこの映画だよね、と一般的に想起されるものを主軸としております

 

一昔前まではシルベスター・スタローンの「ロッキー」「ランボー」くらいしかなかった。

最近キアヌ・リーヴスが「マトリックス」「ジョン・ウィック」でここに加わった。

 

トム・クルーズ代表シリーズ「MI」最近トップガンマーヴェリック」が出たが、

トップガンシリーズがトムのシリーズかというと疑問は残る。

ジャックリーチャーシリーズも2作までだし、ダークユニバース解散した。

 

ダニエル・クレイグは「007」は代表シリーズに入れていいだろうと思うが、

「ナイブズ・アウト」シリーズはまだ2作だが今後続いていけば候補に入るか。

 

ロバートダウニーJrは「アイアンマン」と「シャーロック・ホームズ」だが後者が2作まで。

 

ヴィン・ディーゼルは「ワイルドスピードシリーズは押しも押されもしない代表作だが

リディック」「XXX」は代表作としては押しが弱い。

 

ジェイソン・ステイサムは「トランスポーター」は確定として「エクスペンダブルズ」を入れれば当確

でもエクスペはどっちかっていうとスタローン映画だと思うんだよな。

 

シュワちゃんは「ターミネーター」で次点がなく、ブルース・ウィリスも「ダイハード」の次点がない。

 

なんかアクション俳優ばっかりだけど演技派の俳優ってあんま長くシリーズ化する作品の主役にならんイメージ

この俳優は2つ以上、並び立つくらいの代表シリーズがあるって俳優いる?

 

追記トラバブクマで指摘されたもの

ハリソン・フォードは「インディ・ジョーンズ」と「スターウォーズ」(とジャック・ライアンシリーズ)で当確

ウィルビンタスミスも「メンインブラック」と「バッドボーイズ」で当確

 

イアン・マッケランは「ハリーポッター」のイメージあるかなぁ……ちょっと脇役すぎない?

 

ジャッキー・チェンは「ポリスストーリー」と「ラッシュアワー」かなぁ。

〇〇拳、プロジェクト〇は実際はシリーズものではないような気はする。

 

エディ・マーフィーは「ビバリーヒルズコップ」はいいんだけど、

48時間」も「ナッティプロフェッサー」も「ドクタードリトル」も2作目までしか出てない。

 

48時間で思い出したけど

メル・ギブソンは「マッドマックス」「リーサルウェポン」で当確か?

 

邦画詳しくなくてスマン。でも邦画バンバン続編出すから代表シリーズ多いイメージあるな。

菅原文太の「仁義なき戦い」と「トラック野郎」はさすがの俺でも知ってた。

2023-02-09

スペクターサウンドを256倍楽しむ方法

 日本では'76年に、フィレス・レーベル作品がまとめて再発売されたことがありましたが、ボックス形式としては本邦初で、しかCDボックスとしては今回が世界初ということになります。また同時に、<ヒーズ・ア・レベル>という、関係者インタビューを中心にした本が白夜書房から発売されます。それを読みながらこのBOXを聞きますと512倍楽しく聞けることを保証します。

 では、時代を追って解説していきます

テディー・ベアーズ

 1958年17才にして彼は”スター”でした。この後ポップス歴史を彩ることになるクリスタルズロネッツキャロル・キングバリーマンビーチ・ボーイズビートルズの誰よりも先に<NO.1ヒット>を持っていた!、このことが良くも悪くもスペクターのその後の人生を決定づけたと思いますポップス史上、#1ヒットを星の数ほど作り続けたリーバー&ストラーや、ジョージマーチンも、自らの#1ヒットはなく、このことが彼を単に<プロデューサー>の範疇では捉えられない最大の理由です。<彼を知ることは、彼を愛することだ>というデビュー曲の<彼>は、もちろんスペクター本人の意味で、そこには強引さ、傲慢さも感じられますが、実はそれが力強くもあり、<スターの要素>そのものだともいえます。彼の仕事ぶりを評して、全てを自分一色に染めてしまう、という批判をよく聞きますが、これはことの本質理解してい居ない人の発言です。かれは<裏方>ではなく<スター>なのです!それを、アーティストの持ち味を引き出すのがプロデューサー仕事だ、という常識的意味で彼を捉えようとするから批判的になるのです。彼こそが<スター>で、誰が歌おうか演奏しようが、他の人は全て脇役なのです。単に映画監督と言う視点ヒッチコックを捉えるとおもしろ解釈は生まれない、というのにも似ています。(誰が主演でもヒッチの映画になります黒沢さんもそうですね。)

 デビューアルバムTEDDY BEARS SING」のB-1「I DON'T NEED YOU ANYMORE」の<ステレオバージョン>はナントリードボーカル女の子の声が左で、真ん中がフィルコーラスしかも、ところどころリードボーカルの3倍くらいの大きさでコーラスが<邪魔をする>といってもいいほどの前代未聞のバランス!です。

 デビューからしてこうなのですから自己主張とかワガママなどという、なまやさしいことではないのです。

SCHOOLもの

 のちにブラックミュージックにのめり込んでいった彼ですが、スタートは白人ポップスでした。まずは自らのヴォーカリストギターリスト、および作曲家としての才能を試すところからはじめた、というところでしょうか。'50年代後半は、まだ黒人音楽一般的ではありませんでしたが、若者の間では熱狂的な指示を得ていました。スペクターもいろいろな黒人アーティストを聞いていたようですが、こと自分デビューに関しては、世間的に穏便な方法をとったところなど<奇[...]

 また'50年代中期には「暴力教室」をはじめ「HIGHSCHOOL CONFIDENTIAL」など<怒れる若者>をテーマにした映画が続々と作られ、その代表としてJ・ディーンが登場し、代表作が「理由なき反抗」-REBEL WITHOUT A CAUSE -でした。このように、当時の若者キーワードの一つは<REBEL>であり、「乱暴者」のマーロン・ブランドのような皮ジャン、サングラスバイクというスタイル流行しました。

 彼のでデビューソングはたしかに<学園もの>でしたが、それまでの、例えばドリス・デイの「先生お気に入り」調のホンワカしたものではなく、女の子自分の想いを直接的、また積極的に<ナゼわかってくれないの?>と切々と歌い上げるというのは冬至若者フィーリングにピッタシきたようです。実はこの手法スペクター特有の<ソフィスティケーションの中の直接性>というもので、彼を理会する上で大事ことなのです。

ガレージサウンド

 ある程度、あるいはそれ以上の音楽素養がなければミュージシャン作曲家になれなかったジャズと違って、ギター1本あればだれでもロックンローラーになれる、というのがロック時代でした。子供技術を会得して成長し、大人の仲間入りをするのがジャズだとすると、ロックは、子供子供のままで音楽ができるというのが特徴でした。ヒョットしたらオレにもなれるかもしれないと、多くのシロウトがわれもわれもと参加したことが、音楽単純化拍車をかけました。ジャズ豊満でふくよか、とすると、R&Rは骨と皮だけといえましょう。ジャズ大人音楽で、背景はナイトクラブ女性お酒が似合いましたが、子供音楽として誕生したR&Rの背景に一番ピッタリだったのはナント、<ガレージ>でした。

 麻雀同様4人(あるいは3人)いればすぐにできたのがR&Rの特徴でしたが、ニュー・ヨークのようにせまいところで大声を上げれば、お母さんに怒鳴られるだけですからストリートへ出るわけです。50'sのDoo Wapブームの背景は街角ストリート・コーナーが似合ったわけです。

 それにくらべて土地の広大な中西部西海岸は車がなければ不便なので、当選、どこの家にもガレージがあり、ここが若者の格好の練習場所となりました(蛇足ですが、今の日本ロックサウンドの背景は<貸しスタジオ>--密室--ではないでしょうか?)。さて、楽器感覚でどうにか弾けますが、作曲というのは簡単そうでもやはり多少の音楽素養必要です。しかし、若者の、なんでもいいからR&Rをやりたい!という想いはこんなことではくじけません。骨と皮だけのロックを、さらに皮も捨てて骨だけにしたのです。それが<ギターインストゥルメンタル>でした。これは、楽器感覚的にかき鳴らすだけですから、とりあえずだれにでもできました。ジャズ単純化ロックとすれば、これはさらに、ロック単純化で、その極致であったわけです。

 これが<ガレージサウンド>の正体でしたが、この時代呼応するかのように、新しく生まれ現象がありました。それは、録音機が少しずつ普及し始め、ガレージ居間などでの<ホームレコーディング>が行われるようになったことです。そして、デモテープのような、ある意味では乱暴

チャートに登場するようになり、まさに音楽大衆化が、内容だけではなく、音質までにも及んだのです(エルビスバディ・ホリーデビュー曲地方の、オヤジさんが社長、オカミさん専務、というような町工場風のスタジオで録音したものです)。

 それまでの録音は、演奏者と録音技師ガラスを隔てて別々の仕事場でした。技師演奏者にマイクの使い方を指導することはあっても、演奏者の方が技師に注文をつけるというケースはめったにありませんでした。しかし、ホームレコーディング特有の、機械いじりの好きな少年の思い付きや、また機材不足からひねりだした斬新な工夫は、新しいサウンド母体となるのです。

 スペクターは、テディー・ベアーズの録音の時からスタジオ内と調整室を行ったり来たりして、録音技師を困らせていたようですから、コダワリの姿勢最初からのようです(口述しますが、後年よくいわれるワグナー好きやソウルミュージックの追求というのは、スターありがちな<後付け>である、と私は考えています)。

 このホームレコーディングが、実は<スペクターサウンド>の根幹なのです!<BACK TO MONO>の意味もこのことなので、一つのかたまり大人数、熱気、乱雑の中の整理、複雑の単純化、そして<ホーム>、これが彼の求めたものでした。かたまりは<MONO>、大人数はミュージシャンの数、熱は<ハルブレインドラム>、整理は<J・ニッチェアレンジ>、単純化は<L・レビンミックス>、そしてホームは<西海岸>、これがスペクターサウンドの中味の分析ですが、詳しくはこれも後述します。

インストマニア

 この当時のロックンロール少年と同じく、スペクターギター少年でした。本名フィル・ハーヴェイとしてインストレコードも発表しています。また'58、'59年はインストロックの当たり年で、チャンプ栖の「TEQUILA!」が#1になったり、B・ホリーのインスト版ともいえるファイヤーボールズ、リンクレイ、そしてジョニーハリケーンズサント&ジョニーサンディー・ネルソン(「TO KNOW HIM~」のドラムデビュー前の彼です)、そして極め付きはギターインスト王者、デュアン・エディーの登場でした。

 日本ではなぜか、ほとんど評価されませんでしたが、ギターリストとして一番の人気とヒットのあった人で、そのサウンドユニークさとポップ・シーンへの影響は大きいものがありました。またイギリスでの人気は特に異常で、'60年の人気投票では1位でした(すごい!)。近年リバイバル・ヒットした「PETER GUN」などは後の<007シリーズ>や<バットマン>のもとになったともいえますし、日本では未公開の映画「BECAUSE THEY'RE YOUNG」のテーマは、彼の"トワンギー・ギター"と流麗なストリングスとのコンビネーションは、すぐアル・カイオラが取り入れて「荒野の7人」となって登場、西部劇インストテーマの基本形となりました。また「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のジョージマーチン楽団の「リンゴテーマ」も、まさにD・エディーのマネジャープロデューサーレスター・シルで、テディー・ベアーズの録音の際、隣のスタジオ仕事をしていて知り合ったといわれ、この人と出会ってなければ<スペクターサウンド>はこの世に存在しなかったといえるほど重大な出会いでした。

 シルはこの時すでにスペクタープロデューサー向きであることを見抜き、早速契約を結び、最初に買った曲のタイトルナント「BE MY GIRL!」。

 スペクターについては、まわりにいた人に才能があったので、本人にそう才能があったわけではない、という人もいますが、これは間違いです。確かにまわりにいた人々は有能でした。しかし、彼はプロデューサーとして一番重要な要素である<何をやりたいのか>ということが明確にありました。それは前にも述べましたがいろいろな意味での<直接性>というテーマを持っていたことです。これはもちろんR&Rのイディオム佐野元春調)ですが、荒々しいサウンドの中の直接性より、スペクターポップスに折り込んだ直接性の方がより<暴力的>ですらありました。

 例えば、R&Rの時代になって<BE>という動詞で始まるビッグ・ヒットは「BE MY BABY」が第1号です(BE CAREFUL~などの慣用句を除く)。簡単なようですが、作る側にまわってみると、これが簡単に言い切れるものではないのです。まさにこれをスパッと言い切れるのが<スター>なのです。「TO KNOW HIM~」の断定と「BE」の命令。このシェイクスピア調の、時代がかったともいえる口調が、逆に新味を呼んだのではないでしょうか。この大時代的で、且つ直接的な手法は「I WANT TO HOLD YOUR HAND」(ユーモアの点ではJ&Pの方が数段上ですネ!)に共通したものを感じます

 シルと契約直後、スペクターはD・エディのセッション見学しています。さっそく実地訓練をさせようというシルの計らいで、時は'59年の4月の後半でした。この年のエディーの最大のヒットは6月に発売された「FORTY MILES OF BAD ROAD」(9位)で、この曲はナントベースドラムだけをイントロでフィーチャーした、ポップス史上初のヒット曲>なのです。さて、ベースドラムイントロといえば「BE MY BABY」ですが、この2曲の因果関係についての疑問を、10年ほど前の<ニュー・ミュージック・マガジン>で発表したことがありましたが、時期的にはこの推論が成り立つようです。が、モチロン、その因果については全く憶測の域は出ておりません。

 エディーのスタジオは1トラックテープレコーダーが1台しかないという粗末な設備ながら、そのエコーを駆使してのサウンド作りは、特に録音にはうるさかった若き日のスペクターには刺激的な体験だったと思われます。トワンギー・サウンド秘密であった水道管やドラム缶をエコー使用するという一風変わった手法は(そのためシルは何10個もドラム缶を買い、しかも一番響きのいい缶を探したといいますスペクターが興味を持たなかったはずはありません。

 そのような多彩な録音技術を駆使していた人は、D・エディー・サウンド製作者<リー・ヘイズルウッド>でした(エンジニアはエディー・ブラケット)。ヘイズルウッドといえばナンシー・シナトラとのデュエットアストロノーツの「太陽の彼方に」の作者として日本ではおなじみですが、エディーのプロデューサーとして最初評価された人なのです。

中したスペクターは、一瞬たりともヘイズルウッドの背後から離れなかった>と発言しています

憧れのリーバー&ストラー

 その後シルは、スペクタープロデューサーにすべく、今度はニュー・ヨークリーバー&ストラーのもとへ送り込みました。’60年代代表的なコンビレノンマッカートニーとすれば、’50年代リーバー&ストラー時代で、ロックビジネスを目指す人々にとっての目標でした。スペクター学校の先輩でもあった彼らのデビューに一役買っていたのが、これまたレスター・シルでした。シルがマネージャーをしていたコースターズをきっかけに、ドリフターズ、そしてエルビスへの曲提供プロデュースを行い、初のR&Rにおける独立プロデューサーとしての地位確立したのがこの二人なのです。

 スペクターにとって、このニュー・ヨークでの修行時代の最大の収穫はベン・E・キングヒット曲「SPANISH HARLEM」をJ・リーバーと共作できたことでしょう。これはR&Rビジネスへの切符を手に入れた、つまり、お墨付をもらったということ......って、最大の自信となったことは疑う余地はあり.....

 ま.... ドリフターズの「THERE GOES MY BABY」...にストリングスをフィーチャーする手法を....ことも<スペクターサウンド>への引金になったと、私は思います。その手法プロデュースしたジーン・ピットニーの「EVERY BREATH I TAKE」は、全くドリフターズ調でしたが、すでに<スペクターサウンド>は出来上がっていた、ともいえる、本家を凌ぐ作品でした。<ゴフィン&キング>との最初作品でしたが、この日のセッションにはリーバー&ストラーをはじめ、B・バカラック、B・マン&C・ウェイル、アルド出版社代表のD・カーシュナーら、そうそうたる顔ぶれが集まったといいます。そしてこの作品が、ここに集まった全ての人にスペクターの印象を強く与えることとなり、一緒の仕事が始まるわけです。特にこの曲で印象深いのはドラムフレーズですが、G・ゴフィンの証言によれば、フィルドラマーゲイリーチェスターに指示をして、それが実に的確だった、ということです。

 この修行時代にすでに、J・ニッチェやH・ブレインがいなくても、これだけのものを作っていたことは見落とせません。スペクターサウンドを作ったのはやはり彼なのです。

 この曲は残念ながら大ヒットにはなりませんでしたが、来たるべき<スペクター時代>の幕開けを飾るにふさわしい素晴らしい曲でした。

 また、この頃、レスター・シルとリー・ヘイズルウッドは共同活動を解消、スペクターは新たなパートナー、いわば後釜としてシルと関係を結び、それが二人の頭文字を合わせた<PHIL+LES>の誕生となりました(シルとヘイズルウッドのレーベル名は二人の息子の頭文字から<GREG+MARK>というものでした)。

ガールグループ

 '60年代初めにシュレルズがキャロル・キングの名作<WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW

....きっかけに、ガール Permalink | 記事への反応(0) | 09:24

2022-09-13

anond:20220913131408

007スペクターのブロフェルドとか超絶舐めプしてやられとるやんけ!

2022-08-30

現代イラストレーターは、必ず滅びる

mimicなるものが、今Twitterで物議を醸している。タイムラインに浮上するくらいにツイートされていると言うことだ。その中で一つ唸ったツイートがあった。「果たして二次創作パロディの形で書いたり自身エゴを満たすのに何の違いがある」とのツイートだ。全員が全員、イラストレーター全員が二次創作で私腹を肥やしたりエゴを満たす訳ではないだろう。中には姉なるもののような、正に理想の姉を描く素晴らしいぽち先生や単純なラブコメでは説明できない、男女間の性に根差した秀逸なラブコメを描く西沢5㎜先生や、最高に素晴らしい関係を独特で流麗なイラストで描くmatch先生のように、少し思い出しただけでもざっと列挙出来る神クリエーターがいるのは承知している。

が、印象論で語るがコミケコミックブースでは一次創作ではなく、二次創作で溢れているように見受けた。性質上有志による有志の為の、とまさに趣味性をコミケ全面に押し出している訳だが実際は金をやり取りして、要は商品として作品を扱っている。純然なマーケットである印刷代の為との反論の向きはあるだろうが、私はなぜ二次創作電子配信では無料放出しない、と反論する。別の言い方をすれば、他人の褌で相撲を取るような連中の集まりだと言える。

二次絵ではない戦艦に関する考察本、或いはマイナー民俗学を扱ったような、実にオリジナルしか言えないものは本趣旨から完全に外れるのでここでは扱わない。

要はこの問題は、言うまでもないだろうが生活の糧を失いかねない人々の叫びだ。この生活の糧とはイラスト、及びそこから出る利益である

が、これは私の完全なる愚痴になるがAV新法が制定されたときイラストレーターは声を上げなかった。それは何故か。自分に降りかかる火の粉が無かったからだ。法律が縛るが故生活の糧を失いかねない人々に声を上げなかった者、その一部が今度は法律が見逃すが故に生活の糧を失いかねない状況に陥っている。世界から目を背け、自分世界に籠ったが故に危機を察知出来なかった者の末路だ。

ここで私は富野由悠季言葉を思い出す。漫画業界は、漫画しか興味がない者の集まりです、と。拡大解釈するが、ただの絵を漫画とするならストーリー性を持たせられない者が今回の被害者、となる。遅かれ早かれストーリーテラーそのものAI計算機に淘汰されるかも知れないが、これも本趣旨ではないので放置する。

私自身はイラストで食っている人間ではないが、各方面から集中砲火を受けることだろうと覚悟して敢えて言う。「予期出来なかったにせよ、AI如きに取って替わられる仕事を選んだのが悪い」と。また富野由悠季言葉引用するが、エンジニアとは元来作ったもの未来どう影響を与えるか、とかは一切考えない人間の集まりで、その最たる例が車でありFacebookでありTiktokでありTwitterであるのだろう。それが偶々イラストに波及しただけの話だ。

更に言うならば、かなり大きく乱暴に括った上で語れば、イラストとは情報である。線が複雑に絡み合って視覚情報に訴える、そのことこそがざっくりと言って情報のものだ。そもそも情報自体一種お布施文化なのである。元々が消費者側のチップにより生活をする、昔で言えば観阿弥世阿弥構造であろう。或いは新しい作品であれば犬王に近い。言ってしまえばチップ生活を営むもの現代クリエーターなのである

梅棹忠夫先生言葉で語るのならば、農業工業と二つの時代代替され、到来した精神産業時代が今なのである。そしてここからは私の言葉になるが、恐らく精神産業は次の産業に移り変わらねばならない。もう既にデザイン時代は終わったか、終わりが目の前にまで来ている。

イラストを単体で考えた上、頭の中で完結する可能性が極めて高い商品と言える。人間が見、脳に億のイラストを放り込み感覚器官で入出力を繰り返した結果生まれ確立されたもの楽器演奏DAW関係に似ている。私は無知であるのでDAWが出てから食いっぱぐれたスタジオミュージシャンがどれだけいるか知らないが、それでもあらゆるデジタルエフェクトが開発され、果てはDAWで完結したホームレコーディング作品グラミー賞を取り、そのアーティスト007主題歌を歌う現代でも、スタジオミュージシャンからDAW音楽シーン破壊した、或いは食いっぱぐれたなんて訴えるのは寡聞故か聞かない。

それでも音楽が今も、昔の勢いこそ削がれたが存在するのはオリジナリティ以上に、アイデア重要視されるからだろう。今もyoutubeを覗けば昨日アップロードされたばかりの二重の意味で新鮮な音楽に巡り合えることもあるのだから

問題そもそもない。デジタル恩恵に与り生活の糧を得てきたイラスト、画風なんて人間模倣できるものを売り物にした産業構造、それに乗っかったイラストレーターがいるだけの事だろう。その産業構造の中で生じたmicmicなる癌細胞産業全体の破壊に掛かっているだけのことだろう。もう次の産業モデルを考えねばならない時代が来ている。

私は予言する。micmicが我々の声で死滅させられたにしても、十年以内にまた、今度は別の強敵となってもしかしたらストーリーテラーでさえも呑み込む強度に成長して広義のコミック文化破壊しに来る。それよりも少し遠い未来その流れはもしかしたらアニメーションにまで来てしまうのかも知れない。個人の解剖が、趣味性格の傾向さえも分析される進んだ未来、個々人向けにカスタマイズされた娯楽を一つ一つ出力する未来が必ず来る。そこでは現代我が物顔でマーケット荒らしまわるディズニーでさえも、単なる人間による珍しいスタジオの一つとして扱われる。特定個人が最もドーパミンの出るシーンを映すことに特化した、娯楽に特化したAIが確実に出現する。無論、マーベルDC太刀打ち出来ない。

それを前提とした上で、漸く本題だ。以上は前置きである。ここまで読んでくれた読者諸君に敬意と心から謝意を表明する。そしてここから先は、与太話がたんなる一つのアイデアだと思って読んでもらいたい。私には才がないから、実現する力はない。これに触発された、いるか解らない若い君に実現の道を切り開いて欲しい。私にはその時間が割けないので。

例えばArtist Shareと言うものがある。クラファンのアーティスト版と言ったところか。そう言うものを作ればよい。そこでは中抜きを極力排して、要はコミケオンライン版のように運営にかける費用は抑え、出来るだけイラストレーター漫画家に支払われる額を大きくする。Boothやfantiaのように、単なる消費者-クリエーター関係を越えて、youtube投げ銭のように金持ち消費者は好きなクリエーターに幾らでも投げ銭が出来る、その代わりに審査を厳しく、micmicのような精神産業破壊AI会社と密に連携し、売られた作品を一度AI人間かどちらでも構わないが審査解析を行い、過去他人作品AIに掛けて描かれていないかを厳密に判断するシステムを作る。人間の描いた作品のみを取り扱う、それを可能にするシステムを構築する。可能ならば、有志達が本気ならばそこに参画したクリエーター保証する為に、歴史から引用すればメディチ家のようにそのシステム消費者全員、それは全世界さえも包括する億単位に達するか解らんが多くのスポンサーを受け入れる。その為に出来るだけ多くの言語圏に届けるために翻訳陣を用意する。勿論、ここでAIGoogle翻訳のような機能を使ってはならない。我々の優位性が失われるし、各文化圏に最適化される必要があり、それは恐らく未だAIでは実現出来ないだろうからだ。まさかエロ漫画のようなオホ声が例えばイスラム圏に最適化されるライブラリは未だAIにはない筈だ。人間の生きた脳で翻訳必要だ。

エロフォーカスし過ぎた。エロだけではない、例えば今なろうが流行しているらしいが、そのテキストさえも、要はイラストストーリー、果ては音楽も包括した組織理想ではあるが、果たしてその組織が正常に作用してくれるかは私の頭では想像できない。要は作品として一から終いまで完結出来るだけのシステムを整える必要がある。

この、Micmicのような精神産業破壊AIは、法律倫理で縛れるものではないことを前提としなければならない。幸いAV新法のように、今回は法律が縛るのではなく、むしろ縛るものがない。そこを利用し、利益を齎すシステムを作る必要がある。

だが陥ってはならない罠がある。最近で言えば確かネトフリが振るわない番組製作途中で打ち切った、なんて報道があった。それはプロ観点からである欧米道徳である利益重視である。それはクリエーターが下すべき判断であって、マネージメントの側から判断してはならぬのである

現代は高度に断片化され過ぎた。あらゆる音楽で言うところのレーベルが乱立している。集英社だけでも四つ以上はある。私の幼少では考えられぬことだった。

とは言え、現代では資本が全てなのが痛いところだ。暗号資産のように、純粋資本とは言い難いものベースにするわけにもいかない。何しろクリエータ生活が掛かっている故に、浮ついた貨幣を用いてはならぬので。

先に述べたシステムを生かすのならば、ある程度の出版社の力が必要となる。が、決してコミケオンライン版と直接に結び付けてはならない。幾ら有志とは言え、ある程度以上となれば確実に企業としての体が求められるし、資金調達が出来なくなる。そうと言っても、本体利益重視の団体と結び付けては、組織としての気風が崩壊する。それ故下位組織か、いっそ別組織で結びついた方がよい。

何よりも絶対にしなければならぬのが、出版社優位のシステムには絶対にしてはならぬことだ。私は出版業界は知らないが、組織化された集団は必ず利益の下に腐敗することを知っている。もう、出版社は腐敗していると言ってよい。が、彼らの力が最終的に必要になるのも現実だ。

それは考えねばならぬこであるが、現時点では解を得られない。君たち、読むか解らないが若者の頭で、考え出して欲しい。

些か理想に走った青写真であるのは認める。が、私が何よりも言いたのは、積極的自衛手段を編み出さねばならない、と言うことだ。出来てしまったのは仕方ないし、事実この世界自動化効率化の下進んでいっている。それに抗うのは無理だ。第二第三の者が来る。それに対抗するには流れを利用する。幸い現代資本主義が揺らいでいる。既存資本構造が正解とは限らない。使える手段は全部使え、自ら生存の為に。それが君らの世代では可能なはずだ。嘆き悲しむのは誰にでも出来る。質で来るなら量で抗え、君らにはそれだけの頭数がいる筈だ。私は知恵が足りぬので出来ず残念だが、君らでも知恵が無ければ最悪大学先生を使え、使えるものは親でも大学教授でもなんでも使え。

最後に、君らにエールを送りたい。是非とも、生き延びてくれ。

補足説明はするつもりだから、君らの意見を聞きたい

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