はてなキーワード: 芥川龍之介とは
[PDF]関東大震災と文豪 - 成蹊大学図書館の展示から -
http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/526/1/kokubun-47_56-86.pdf
ブコメ経由で知った論文だが、あまり目立ってなかったので引用しておく。「関東大震災朝鮮人虐殺」とは別に朝鮮人だけが殺害されたわけではなくて、「朝鮮人と間違われる」などして多くの日本人や中国人も殺害されていることは覚えておきたい。
僕は善良なる市民である。しかし僕の所見によれば、菊池寛はこの資格に乏しい。…菊池と雑談を交換してゐた。…その内に僕は大火の原因は○○○○○○○○さうだと云つた。すると菊池は眉を挙げながら、「嘘だよ、君」と一喝した。…しかし次手にもう一度、何でも○○○○はボルシェヴィツキの手先ださうだと云つた。菊池は今度も眉を挙げると、「嘘さ、君、そんなことは」と叱りつけた。…
再び僕の所見によれば、善良なる市民と云ふものはボルシェヴィツキと○○○○との陰謀の存在を信ずるものである。もし萬一信じられぬ場合は、少くとも信じてゐるらしい顔つきを装はねばならぬものである。けれども野蛮なる菊池寛は信じもしなければ信じる真似もしない。これは完全に善良なる市民の資格を放棄したと見るべきである。善良なる市民たると同時に勇敢なる自警団の一員たる僕は菊池の為に惜まざるを得ない。
(〇〇は言論統制の時代に伏字にされた「不逞朝鮮人」などの言葉。これはデマに踊らされた「善良なる市民」への芥川龍之介ならではの皮肉の文章)
××を持つて、合言葉を使ふなどと云ふことは、大正の世にあるまじき事と思つてゐたが、震災後四五日の間は、私も××を手にして、合言葉を使つて、警戒に当つた。
あの震災に関聯して、今思い出しても日本人として堪らない気持ちのするのは、各地に起った例の鮮人騒ぎである。…とにかく鮮人に対して、あの時日本人の行ったことは、これは何とも弁解のしようのない野蛮至極のものであった。ああ云う場合、この国の人間には、野蛮人の血が流れているのではないかという気がする。…
「そんな莫迦な話があるものか。鮮人が地震を予知していたわけではあるまいし、何処で勢揃いし、何処からやって来るというのだ。…そんなことは絶対に考えられないよ。僕はこれから寝るから、ほんとうに鮮人が来たら起こしてくれ。」…と云って、人々を安心させるために、畳の上にひっくり返ったら、実際に眠ってしまった。
井戸に毒を入れるとか、爆弾を投げるとかさまざまな浮説が聞こえてくる。こんな場末の町へまでも荒らして歩くためには一体何千キロの毒薬、何万キロの爆弾が入るであろうか、そういう目の子勘定だけからでもじぶんにはその話は信ぜられなかった。
アラララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。竹刀でも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて暴動を起こしたという筋書を疑う力もないから、空地の周囲の叫び声や、打ち合うもの音を、朝鮮人との戦いなのだ、と私は思っていた。…
私はこのときのことをおもい出すたびに、同じ長屋で親しくしていたひとりのおかみさんの言った言葉を同時におもい出す。…長屋のものが半壊のわが家のまわりに寄り合ったとき、ひとりが自分のゆうべの恐ろしかった経験を話し出した。話し手の彼女は、一晩中朝鮮人に追いかけられて逃げて歩いた、というのだ。それを聞いたとき、興行師のおかみさんは、利口にその話を訂正した。彼女はこう言ったのである。朝鮮人が暴動を起こしたなんていったって、ここは日本の土地なんだから、朝鮮人よりも日本人の数の方が多いにきまっている。
朝鮮人に追いかけられたとおもっていたのは、追われる朝鮮人のその前方にあんたがいたのだ。逃げて走る朝鮮人の前を、あんたは自分が追われるとおもって走っていたにすぎない、と。
私はこの訂正を聞いたとき、強いショックでうなずき、かねてのこの人への尊敬をいっそう強くした。…貧しい興行師のこの妻のような怜悧で正しい判断は、あの当時住民の多くは持ち得なかった。政府の流した蜚語は、大地震という自然の脅威におののいている住民の、異常な神経を煽った。
東京では朝鮮人が暴れ廻つてゐるといふやうな噂を聞く。が自分は信じなかつた。
松井田で、警官二三人に弥次馬十人余りで一人の朝鮮人を追ひかけるのを見た。
「殺した」直ぐ引返して来た一人が車窓の下でこんなにいつたが、余りに簡単すぎた。今もそれは半信半疑だ。…
丁度自分の前で、自転車で来た若者と刺子を着た若者とが落ち合ひ、二人は友達らしく立話を始めた。…
「―鮮人が裏へ廻つたてんで、直ぐ日本刀を持つて追ひかけると、それが鮮人でねえんだ」…「然しかう云ふ時でもなけりやあ、人間は殺せねえと思つたから、到頭やつちやつたよ」二人は笑つてゐる。
(汽車内で足を踏んだ踏まないの騒ぎが始まって)
喧嘩はしばらく続いていた。すると在郷軍人らしい方が、…突然座席へ突っ立ち上がった。
「諸君、こいつは鮮人だぞ。太い奴だ。こんな所へもぐり込んでやがって」…
…時どき脅えきったその男の声が聞こえた。しかも相手がおろおろすればするほど、みんなの疑いを増し興奮を烈しくするばかりだった。(その男は次の駅で引きずりおろされ)物凄いほど鉄拳の雨を浴びた。
私は思わず窓から首を出してこう叫んだ。側にいた二三の人もやはり同じようなことを怒鳴った。…こうして人の雪崩にもまれながら改札口の彼方にきえて行ったその日本人の後姿をいまだに忘れる事はできない。私には、一箇月ほどたった後に埼玉県下に於ける虐殺事件が公表された時、あの男も一緒に殺されたとしか思えなかった。そして無防御の少数者を多数の武器と力で得々として虐殺した勇敢にして忠実なる「大和魂」に対して、否、それまでにしなければ承知のできないほど無条件に興奮したがる「大和魂」に対して、心からの侮蔑と憎悪とを感じないわけにいかなかった。ことに、その蒙昧と卑劣と無節制とに対して。
急いで東京へ帰らうとして、先ず護身用のピストルを買つた。それを何かに包んで、ルツクザツクの奥深く納めた。…
学生の目には、車中の誰も彼もが○○に見えた。学生は車中の総ての人に荷物の検査を迫つた。
耕作君の袋の中にはピストルがある。…若し、それを見られたら、自分は殺されると思つた。
耕作君は終に立ち上がつて演説した。(荷物検査をするなら陸軍の出張所に行くように説得し、みんなの賛成を得る。)
耕作君はほつとした。
「実際、もうお終ひかと思つた」と、耕作君は幾度も言つた。
(震災の2日後に平沢が警察に連行され、その翌日、著者が石油と薪を運ぶ巡査と会った時の回想)
「石油と薪を積んで何処へ行くのです。」
「殺した人間を焼きに行くのだよ。」…
「昨夜は人殺しで徹夜までさせられちゃった。三百二十人も殺した。外国人が亀戸管内に視察に来るので、今日急いで焼いてしまうのだよ。」
「皆鮮人ですか。」
(そこで、著者はその死体のある場所を教えてもらい、そこへ向かう。)
自分は一眼見てその凄惨な有様に度肝をぬかれてしまった。自分の目はどす黒い血の色や、灰色の死人の顔を見て、一時にくらむような気がした。涙が出て仕方がなかった。…
「全体どういふ理由で自分はこんな目に…あんまり幸福でありすぎたからだらうか…然し自分の生活はそれほど幸福ではなかつた筈である…」
(同房の男は好きなもの一つ食べずに貯めこんだお金を火事場泥棒と間違えられて取り上げられてしまった。)
「あゝ口惜しい…。ほんとに好きなドラ焼き一つ喰はず辛抱したんだ。浅草から逃げて来る時も五銭の西瓜一切喰べるのをこらへて来たんだ。あゝ口惜しい…」彼はわんわん泣き叫んだ。
(そして、取り調べのないまま 4 日目を迎える。)
私は処女厨ではないし、処女に価値は特に感じない。が、あまりにもこの手の議論はレッテル貼りに終始してしまうように思える。そして、私もかつては異なる人種に対する偏見を持っていた一人であった。そういった過去の自分を戒める意味でも、今の自分の考えを整理する意味でも、ここに一つ落書きを書いておく。
さて、処女厨ないし処女信仰に対する批判で有名なのは芥川龍之介の「侏儒の言葉」にある「処女崇拝」の節であろう。ここに一部引用する。(全文は自分で検索して読んでくれ。)
はじめ私はこれに納得してしまった。これとは少し違うが私も同じような価値観を持っているからだ。しかしながらどうだろう。なにをもってして「零細なる知識」であろうか。あるいは、そもそも「率直なる感情」と「知識」とはそんな簡単に分けることができるのであろうか。
例えば、性別を逆にして高収入(この基準も人それぞれだが)の男性としか結婚したくない女性に対して、
なんて批判も成り立ちそうだ。これも極端な話になるが、いくら好きとはいえ「36歳職歴なし」とかなんかはきつい人も多いんじゃないのか。私だってさすがに浮気しまくる女性とかは勘弁だ。
では、「卒直なる感情よりも零細なる知識を重んずる」彼ら彼女らは、ある種の歪んだ心理の持ち主であろうか。
シカのメスも同じである。彼女らは闘争に勝利したオスのシカとセックスするのだ。そしてこれは彼女らの本能なのだ。
処女厨たちの崇拝もヒトという種の多様性の一部ではないのか。つまり、肌が黄色かったり、白かったり、黒かったりすることと同じではなかろうか。なにをもって「零細なる知識」とし、どのように感情に影響するかは人それぞれじゃないのか。
句点をすごく嫌う人が改行いっぱいの増田を書いていたのをちょっと前に読んだけれども果たして句点の代わりに改行を使うというのは如何なものかとも思ったしもしかするとかくかくした漢字仮名交じりの文章に丸という有機的な図形が挿入されるのが嫌なのかもしれないと思いながら、ラーメンを食べたりうどんを食べたりパスタを食べたり麺類ばかり食べて居住地の関係から麺類がとても生活に入り込んでいるなとかオナニーしたところで何も得るところはないけれど得るところがない分その虚無を欲しているのだなどといわゆる賢者モードで考えたり益のない生活を送ってきたのだけれど、この文章「けれど」多すぎじゃね?と思ってじゃあ一文でまとめようとせずにうまいこと書くか「が」を使って表現の重複を避けるかするのがまあ一番いいと思って、そういえば芥川龍之介は読点の前に「て」が来るのが嫌いだと評論で言っていたなと思い出したり、思うことはまとまらず思いは思うままに外側に流れ出していきそれを係留する術もないままにいわゆる由無し事をそこはかとなく書き綴ってみるのだけれど、ああ、また「けれど」だ、そもそも増田が初めてでありここにこういうことを書くのはいいことなのだろうかと逡巡しながら投稿することにする。バイバイ。
今年もそろそろ終わる。
俺は来年40歳になる。10年前に何してたっけ?どんなことがあったけ?20年前は?
思い出そうとしてみたが、覚えていることはあまりなかった。
そこで大好きなウィキペディアを開いてみたら、おもしろかった。
西暦をたたけばその年に起こった出来事や流行ったものごと、世相がまとめられている。
すげえな。
「おっ」とか「へー」とか「なにそれ」と思った出来事で100年を振り返ってみる。
2014年の10年前と2015年の10年前。
1614年と1615年までさかのぼれば、それぞれ大阪冬の陣と夏の陣までいけるのだが、400年はけっこうしんどい。
とりあえず100年。
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・自衛隊イラク派遣の陸上自衛隊本隊第一陣がイラクのサマワに入る
・関西電力美浜原子力発電所(福井県)で蒸気漏れ事故が発生、作業員5人が死亡
・アテネ五輪(柔道の野村忠宏選手が五輪3大会連続で金メダル獲得)
・「新潟県中越地震」死者68名
2005年(平成17年)
・中部国際空港が開港
・アンゲラ・メルケルがドイツ首相に就任
・1年を通じて1899年以来初めて死亡数が出生数を上回る
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1994年(平成6年)
・関西国際空港が開港
・オリックスのイチローが史上初の1シーズン200本安打を記録
1995年(平成7年)
・警視庁の国松孝治長官狙撃事件(重傷)
・オウム真理教総本部前で村井秀夫幹部が刺殺される
・『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始
・俺ハタチになる/この年はテレビばかり見ていた気がする。
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・中曽根首相が首相として戦後初の靖国神社参拝
1985年(昭和60年)
・東京都に新両国国技館が完成、横綱・北の湖が引退
・NTT(電電公社)とJTT(日本たばこ産業)が民営企業として発足
・豊田商事の詐欺事件についてマスコミが取材中、報道陣の前で永野一男会長が暴漢2人に刺殺される
・フジテレビで夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』が放送開始
・たこ八郎が水死
・阪神タイガースが日本シリーズで、西武ライオンズを破り4勝2敗で日本一
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1974年(昭和49年)
・永谷園が「あさげ」を発売
・日本赤軍がオランダ・ハーグにあるフランス大使館を占拠(ハーグ事件)
・ウォーターゲート事件でニクソン米大統領辞任
1975年(昭和50年)
・まるか食品が「ペヤングソースやきそば」を発売
・山陽新幹線博多まで開通
・広島東洋カープが初優勝
・イギリス保守党の党首にマーガレット・サッチャー選出
・沖縄国際海洋博覧会開幕
・俺が生まれた
……俺と同い年の人たち
・アンジェリーナ・ジョリー(女優)
・上原浩治(野球選手)
・高橋由伸(野球選手)
・俺(商店街で鮮魚店を経営)
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・本田技研工業が「S600」を発売
・日本人の海外観光渡航自由化。ただし年1度、所持金500USドルまでの制限付き
・東海道新幹線開業
・坂本九『明日があるさ』がヒット
1965年(昭和40年)
・淀橋浄水場廃止
・中国で文化大革命が始まる
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1954年(昭和29年)
・日本の高度経済成長期が始まったとされる年
・NHKが大阪と名古屋でテレビジョン放送開始
・ニッポン放送開局
・琉球放送(RBC)開局
・遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が米国の水爆実験によって発生した多量の放射性降下物を浴びる
・洞爺丸事故
・加藤芳郎の4コマ漫画『まっぴら君』が毎日新聞夕刊で連載開始→2001年終了
1955年(昭和30年)
・武田薬品工業が総合感冒薬「ベンザ」を発売。
・ワルシャワ条約機構結成、冷戦激化
・広辞苑初版発行(岩波書店)
・後楽園遊園地が完成
・自由民主党と日本社会党の二大政党制(55年体制)が始まる→1993年崩壊
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1944年(昭和19年)
・全国の新聞で夕刊が廃止
・日本軍がインパール作戦を開始
・連合軍によるパリの解放
・東海道沖で東南海地震発生/マグニチュード7.9、死者・行方不明者1,223人、建物全壊36520件
1945年(昭和20年)
・ 2月 4日 ヤルタ会談(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)
・ 2月14日 近衛文麿が昭和天皇に早期和平を提案(近衛上奏文)
・ 6月13日 大田実司令官が「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電した後自決
・ 6月23日 沖縄守備軍司令官牛島満が摩文仁司令部で自決/実質的な戦闘終結
・ 8月 6日 広島市へ原子爆弾投下
・ 8月 9日 ソ連軍が満州へ侵攻して対日参戦開始
・ 8月 9日 長崎市へ原子爆弾投下
・ 8月10日 御前会議(ポツダム宣言の受諾の可否について)
・ 8月27日 占領軍向け特殊慰安施設の第1号開業(小町園、東京大森)
・ 9月 2日 東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で、重光葵・梅津美治郎らが降伏文書調印(第二次世界大戦終結)
・ 9月25日 外国人記者2名が昭和天皇にインタビューを行う
・10月19日 駅名の表記が左書きに統一される
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1934年(昭和9年)
・日比谷映画劇場開場
・忠犬ハチ公銅像除幕式
・満鉄が大連―新京間で「特急あじあ号」の運転を開始
・東北地方で冷害が発生、凶作被害甚大
1935年(昭和10年)
・築地市場開場
・フランス人民戦線結成
・天理教本部が脱税で捜索
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1924年(大正13年)
・皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)ご成婚
・日本でメートル法が採用
・阪神甲子園球場完成
・トーマス・マン『魔の山』
1925年(大正14年)
・イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
・日ソ基本条約締結(日本はソ連を承認)
・治安維持法公布
・朝鮮総督府庁舎完成
・上海で五・三〇事件
・広東に国民政府が成立
・鈴木商店(後の味の素)設立
・芦ノ湖にブラックバスが放流
・娯楽雑誌『キング』創刊
……これ読んだ若い頃、スーパーのおさかなコーナーで働いてた。
まな板の上にレモン置いて帰ろうかと思ったな。
なつかしい。
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1914年(大正3年)
・孫文らが東京で中華革命党を結成
・サラエヴォ事件→オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに最後通牒
・『少年倶楽部』創刊
1915年(大正4年)
・第一次世界大戦:ドイツ海軍がイギリス周辺を交戦海域に指定して、Uボートによる無制限潜水艦戦が開始される
・サマセット・モーム『人間の絆』
・芥川龍之介『羅生門』
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数字と固有名詞と記憶と今がごっちゃになって、ちょっと気持ちいい。
自分がさかなクンと同い年なのは知っていたが、ぺヤングとも同い年とは知らなかった。
それと昭和、長いな。
明日も朝早いし、そろそろ寝る。
たしか芥川龍之介氏だったでしょうか、恋とは性欲の文学的表現だと言っていたのは。
僕のあなたに対する感情を表すならまさにそれに近いわけです。もっともその本質は性欲ではないので安心してください。
少し僕の話をします。
僕はその、みかけ一丁前な自意識が出来あがっていく頃、具体的には中学生の頃なんですけど、自分のことを一人ぼっちだと思っていました。物質的にではなく、精神的にです。
生活には余裕がありました。勉強も運動も苦手ではなかったので、特に不自由はしませんでした。僕のことを好きだと言ってくれる子もいたくらいです。
コツコツ勉強をするのは嫌いでした。部活動は何度も理由をつけてサボっていました。にもかかわらずそれなりの結果を出せていました。
しかし努力の結果ではないので充実感もなく、自分がそれが得意だと思ったことはありませんでした。
まさに砂上の楼閣ですね。高校に入ってこの町を出たらただの凡人なんだろうと思っていました。
にもかかわらず、当然ながら周囲はそういった心情を汲んではくれませんでした。
教員は受験のことで熱心に近付いてきたし、部活では地元の高校に連れていかれて練習させられました。
学校というシステムにおける立場があがればあがるほど、周りの人間とは線が引かれ、僕は同じ立場の人間を得られないまま、
ひとりぼっちだと思い、どんどん殻に閉じこもっていきました。
まぁそんなに珍しいことでもないと思うのですが、もともとの自意識過剰な性格に加え、環境的なことも相まって、あの頃の僕は特別歪んでいたのでしょう。
毎日寝る前に、真っ暗な自分の部屋でスタンドライトをつけ、カッターナイフでHBの鉛筆を削っていました。
一度その最中に母親が部屋に入ってきたことがあり、彼女は心配したようでした。当時の僕はそんな心配もうっとおしいと思っていました。
鉛筆を削っていると少しだけ満たされるような気分でした。鉛筆削りで削ったものと遜色のないものが出来ると何故か嬉しかったのを覚えています。
それを終えて眠りにつく。それだけのことでバランスをとっていたのだから我ながら忍耐強いと思います。
これは非常によく出来た映画です。僕はこの映画が一番のお気に入りな訳なのですが、漂うウェルメイド感から、そういった趣向と勘違いされることが多いです。
まぁ違うといってもさらっと説明出来るモノでもないんですけれど。
この映画どういうものかというと、時間をさかのぼる能力を手に入れた主人公が自分と他人の人生をより良くすべく奮闘する物語です。
主人公のエヴァンは人生を良くする為に過去に戻り失敗を清算していく、しかし直ったはずの世界にはほんの小さなほころびがあり、
それらを全て修正しようと何度も過去に戻るうちに事態はどんどん悪くなっていく。
神のごとき能力を手に入れた青年が神の真似ごとをするのだが上手くいかない。そして青年が最後に辿り着いた選択とは。
この映画を観た時に感じたのは映画って凄いという感情でした。それ以上は言葉に出来ません。ごめんなさい。
僕には主人公のエヴァンの気持ちが痛いほどわかったし、周りに振り回されて、苦悩する主人公の中にその時の閉じこもっていた僕がいた気がしました。
ラストシーン、恋人を救うために過去に戻り恋人との関係を絶ち、関係をなかったことにする。
そして離れ離れに暮らしていた主人公が都会の人ごみの中で成長した恋人らしき人物とすれ違う。
今思い返してみると何にそんなに感動したのかわからないくらいベタなのですが。その時の僕にとっては確かに自分のことを言っているように思えたし、
それが恐らくエールに聴こえたのでしょう。詳しくは想像しか出来ませんが。
しかしながらなんだかその頃からと色々上手くいくようになった気がしたのです。まぁそれは結果論かもしれないですけど。
それからはさほど悩むことなく過ごすことが出来ました。田舎から出て新しい友人と出会い。今は東京で暮らしています。
相変わらず映画は大好きで、こねくり回して楽しんでいます。大学では自分で映画も撮ったりもしました。
僕にとって映画というのはそれくらい大事なものになったのです。
まぁ勿論歳をくってくると、悩んだ時に映画をみても何も解決しないことはわかってくる訳ですが。
これまでも問題を解決してきたのは自分の力だし、誰かの力を借りたりも大いにしています。
無くなっても生きていけなくもない気もしますが、それは気のせいで、やはり映画がない生活は考えられません。
と、長くなりましたがここいらでようやく本題に移りたいと思います。
なんと形容するのかは非常に悩むところですが、恋というのが一番近いと思います。
実際に映画を撮ってみてわかることはかなり多く、自分たちが如何に上質なコンテンツになれてしまっているか、
出来不出来に関わらず自分のつくったものにはそれなりの愛着がわくこともわかりました。
そして何より楽しかったのです。
映画を山ほどみたし、映画についてなら一日中喋っていられます。
ただ少しだけ引っかかることがあります。それはいつまでたっても完璧な映画に出会えないことです。
好きな映画を十本挙げろと言われればできますが、僕がほんとうにみたい映画には未だ出会えずにいます。
このことが僕が映画に恋をしている由縁なのです。
少女の恋がおおよそ世界に存在しない王子様を所望するように、僕もまた世界にあるはずもない完全な映画を求めているのです。
そして恐らくそれは一生叶うことはないでしょう。エヴァンが再開した彼女に声をかけなかったこと、それは恐らくこんな気持ちだったのでしょう。今は今なりに分かる気がします。
触れてしまうことで壊れてしまう幻想、自分が彼女と関わりない人生を送ること、その決断に価値はなかったのかもしれない。
エヴァンはあの時、声をかけないことで無意識に自分の幻想を守っていたのだと思います。
僕もまた、完璧な映画を探すことで、自分を守っているのかもしれません。至上の目的を持つことで自制を失わないように。
少し前、某動画サイトを眺めていると、こんな文言を発見しました。
僕は一も二もなく反応していました。
僕は脚本担当を申し出ました。当事者は僕より一回り上のおじさんで、一発当てる気まんまんといった感じでした。
作業は辛かったですが、やはり楽しかったです。
寝るのも忘れて書きました。
出来あがったものはこれ以上ないほどの出来だと思いました。
完成したその瞬間、ほんの少しだけ、あの時の夢のしっぽがみえた気がしたのです。
僕はその時ようやくあの時のバタフライエフェクトを超えることが出来るかもしれないと、本当にそう思うことが出来たのです。
まぁ色々あって結局僕の脚本は採用されることはありませんでした。残念ですが仕方ないことです。
しかし何よりも、物語を創るということだけでも映画と関われると気づいたことはこれ以上ない幸いでした。
いつか僕に映画を撮れる新しい友達が出来たらこの脚本を読んでもらいたいなと思います。
しかしながら実は脚本を書いたことよりもその過程の方がその実、発見に満ちていました。
その脚本は書き始めるまでがとてつもない難産でした。おじさんから縛りを貰ったのはありがたかったのですが、考えれば考えるほどその縛りがネックになっていきました。
そして、もうどうしようもなくなった時、僕はごく冷静に、極めて自然におじさんのことに思いをはせてみました。
脚本も書けないくせに、映画を撮りたいと抜かすいい歳のおじさんは自尊心にまみれ非常に滑稽でしたが、それと同時に何故か悲哀や、尊厳、意地を感じました。
僕はおじさんと会話を重ね、モノを尋ね、そのことを参考に本を書きました。
脚本が出来あがる頃には、僕の中で既におじさんと僕は良きパートナーになっていました。
まぁ、さっきも言ったように、結局おじさんのクズとしか言えない本性を目の当たりにしてしまうのだけどそれはまた別の話です。現実って厳しいですね。
これでどこまで行けるか。あの時、僕は恥ずかしながら、確かに自分のつくる脚本に恋をしていました。
それは以前のように憧れるだけのものではなく、目の前のこの物語と横に並んで一緒に歩いていく、そんな淡い想いだったのだと思います。
唯一ノイズがあるとすれば、それがおっさんのことについて書かれていることです。
しかしながら、その気持ちは僕の中で憧れを経て、それ自体を愛し、期待し、守るもの、そして明日を与えてくれるものへと変わっていきました。
こんなことを書くのも気味が悪いと思いますが、僕はあなたが恋している相手に心当たりがあるのです。
映画に映っているのはいつでも人間です。姿形、人がつくったモノ、人を囲むモノ、人の心、映画の、いやあらゆる表現の中に人間と関係のないモノはありません。
どうして日々新しい映画が生まれてくるのか。それはまだ人間が未知で、支配出来ないモノだからではないでしょうか。
それらを愛し、それらに期待し、それらを守る為に映画は今日も撮られているのだと思います。
芥川が、ほとんど死の直前まで書いていた文章の中に映画のシナリオがあったといいます。
日々募る絶望の中、彼は映画をみて何を思っていたのでしょうか。
僕は映画のことしか知らないし、それもたかが知れています。(文学も少しかじっていますが)しかしながら現代、生活と映画は近しいモノだと思っています。
僕は芥川の書いたラブレターは文学だと思っています。なぜならあれを読むといつも涙が出てくるからです。それでは説明になってませんでしょうか。
僕たちはかつて例をみないくらい幸いだと思います。共に歩くものに確固たる自分をのせることが必然として出来るからです。
僕は映画に飽きないでしょう。あなたが人間に恋していても、きっちりそれごと抱える覚悟です。
僕とあなたは違いますが、少なくともあなたの憧れているものの一部です。
だからこんなことを言うのは変かもしれないけど、あなたのことが大好きです。
優しいところが好きです。
冷たいところが好きです。
怖いところが好きです。
笑わせてくれるところが好きです。
泣かせてくれるところが好きです。
以上、あなたに恋する男からの言葉です。返事はくださらなくて結構です。ただ微笑みかけてくれればとてもうれしいです。それではまた。
予は常に確信す、大正の流俗、芸術を知らず、無邪気なる彼等の常談を大真面目に随喜し渇仰するの時、まづ噴飯に堪へざるものは彼等両人に外ならざるを。
そのためには噴飯の資になることも快く甘じて受けたく思ひます。
竹竿を振り廻す男よ、君の噴飯すべき行動の中に、泪や感慨の裏打ちを暗示してはならない。
みな出鱈目だ。昆布だしの取り方はもちろん、煮だしの取り方を知らない。だから、用いる分量なども当てずっ法だ。これで料理経済を語るなどは噴飯ものである。
が、こんな空想は、空想だけに終るのだつたら、別に事新しいものではなく、ある種の宗教はそれぞれの病気をなにかしら道徳の欠如にもとづくといふ、噴飯に値するコヂつけで俗耳を迷はせてゐる。
どれも「(笑ってしまうくらいに)愚かだ、滑稽だ、馬鹿馬鹿しい」みたいなニュアンスで、純粋に「おもしろい」「おかしい」という感じではない。
これが「噴飯す(ふきだす)」になるとまた変わるけど。
グループAの各文章を著作した作家をグループBから選択して番号を記入せよ
(配点各1点)
グループA-1 [ ]
おまえは、いま、人間の屑、ということになっているのだぞ。知らないのか。
グループA-2 [ ]
「おいおい、冗談もいい加減にしろ」と、私もしまいにはたまらなくなって、言った。
「人間が、蛙や膃肭獣じゃあるまいし、水に棲めるかってんだ。サアサア、早いところ本物をだしてくれ」
グループA-3 [ ]
愛の為に? 文学青年じみたお世辞は好い加減にしろ。僕は唯情事に躓いただけだ。
グループA-4 [ ]
「白ばっくれるのもいい加減にしろよ。」
「あら、どちらが白ばっくれてるかしら?」
「君の方さ。」
「御自分じゃあないの。人の手を握ったりなんかして……。」
「だからそのことを云ってるんだよ。」
「私大嫌い、あんなでれでれした真似は!」
グループB
作家の文章の特徴など、この試験問題の正答の出し方を教えてください。
(鉛筆コロガシはしない方向で)
最近暇なので、ブックオフとかで安く買えそうな所謂古典的名著?的なものを
色々読んでみようかと思った。
なんとなく興味が湧いたやつをピックアップしていった。
適当につらつら書くので、参考にするなりツッコミを入れるなり好きにしてくれ。
あと他にもこれ読んでおけみたいなのがあったら教えて欲しい。
正直ありきたりのラインナップで面白みが無いと言うことは先に言っておく。
一部、古典でも名著でも何でも無いやつが混じっているが、
これはまあ適当にAmazon眺めてたら目に入って気にはなっていたので追加した。
それを買ってみようかなと思う。
全部読み終わるのにどれくらいかかるだろうなー
人気のある映画でありながら、同時に「見たけどよく分からなかった」という感想が多い。
ホッテントリにもなった岡田斗司夫の解説(http://blog.freeex.jp/archives/51395088.html)を私なりに要約(ややネタバレあり)するなら、
その内容は「戦争をはじめとした外界の醜い現実には興味を持たず、飛行機のような美しい世界を追い求めた人の物語」、
という事になるのだろうけど、そこまで読み取れずに「よく分からなかった」となってしまう。
(敬称略。私自身も説明されて、はじめて「ああ、確かにそういう話だ」と思った。)
こんな感じで視聴者にあまり理解されない作品になってしまった理由について、自分なりに考えてみた。
それを説明する為に、まず、私がこの映画を見たときに思った不満について述べる。
(後述するように、実はこの不満が、映画が理解されない理由と直結する。)
その不満とは、技術系の研究者の映画であるにもかかわらず、研究者がうまく描けていない事だ。
私は技術系の研究職を生業としているのだが、そんな職業であるためか、この映画を見て、
いかにも技術に詳しくない素人が想像したリアリティの無い研究者像が描かれていると
思ってしまったのだ。
そう思ったシーンはいくつもあるのだが、特に気になったのが、サバの骨から飛行機に関するアイデアを思いつくシーンだ。
このシーンで気になった点はいくつかあった。
例えばサバの骨の曲線がどんな数式で表されるのか分からなけりゃ飛行機の設計に生かせるはずないんじゃないかとか、
飛行機に関して膨大な知識と経験を持つはずの主人公がいまさらサバの骨くらいで何かを思いつくのは考えにくいとか。
(例えて言うなら、小学生のちょっとした一言で大学受験の数学の難問が解けてしまったような荒唐無稽さを感じたのだ。
ちなみにニュートンのリンゴも事実かどうかかなり微妙らしい。)
しかしこのシーンでもっとも気になったのは、(技術系)研究者が描けていない事だ。
研究者が本当になにか重要な事を思いついたのなら、突然場の雰囲気や目つきがガラリと変わるだろう。
さすがにその場で研究のためにサバの骨をいじくり倒したりはしないかもしれないが、
少なくとも心の中ではそうしたいと思っている事を隠しきれないはずだ。
だって思いついたばかりの感覚的なアイデアをその場で言語化できるかたちに落とし込まなければ、
あとで考え直したときに感覚が失われてアイデアが何だったか分からなくなってしまう危険があるから。
だから本音を言うと、私はこのシーンを見て、本当に飛行機を作りたいと思ってるのか?と感じてしまった。
さて、本論に入ろう。なぜ「風立ちぬ」はあまり理解されなかったのか。
岡田斗司夫の解説が正しいとすれば、この映画は芥川龍之介の「地獄変」や映画「アマデウス」の宮崎駿版だという事になる。
しかし「地獄変」や「アマデウス」に対しては「分からない」という声はあまり聞かれないのに、
なぜか。それは前述の研究者が描けていない事と関係しているのだと思うのだ。
「地獄変」や「アマデウス」は、小説家や映画監督という「芸術家」が「芸術家」を描いたものだ。
だから鬼気迫るシーンや天才故の生き辛さが印象的な形で活写される。
しかし宮崎駿は軍用機を見る方のマニアではあっても軍用機を作る研究者ではない。
もちろん、ただ技術系研究者を活写すればよいだけなら、簡単にできる。
例えば先ほどのサバのシーンで、周囲に目もくれずサバの骨をいじりつづけ、「おいおい君大丈夫か?」と
周囲に言われてしまう、なんてのを付け加えればいい。
しかしそれをやってしまうと、ほとんどギャグになってしまい、作品の雰囲気をぶち壊してしまう。
つまり、宮崎駿は作品の雰囲気と研究者を活写する事を両立できなかったのではないか?
岡田斗司夫によれば本作の主人公=宮崎駿であるが、なら素直に芸術家を主人公にすれば良かったのに、(軍用機を描きたいから)そうしなかった。
結果として研究者でない宮崎駿が雰囲気を壊さずに研究者を描くという相当困難な作業が必要になった。
だから本作の主題であるはずの「周囲を無視して飛行機を追い求める」という部分が説得力をもって描けず、
結果として「分からない」という感想のでる物語になってしまったのではないかと思うのだ。
追記:
「風立ちぬ」が理解されないのは「物語」がないからじゃないかという、とても的確なトラバがついた。
*いろいろな経緯を経て羅生門の感想文を800次でまとまることになった。せっかく書いたんだから公開しようと思って。
この小説は「下人」の我欲と良心の間で揺れ動く心を、豊か語彙の写実的な情景描写で描いています。この小説のテーマは、人間が犯罪を起こす心理です。
「下人」は、数日前に解雇されて収入も帰る家もなくなり、餓死しそうになっています。餓死しないためには、盗人になるしかありませんが、彼は道徳を破る勇気がありませんでした。そして彼は、生活のために死体から髪の毛を抜く「老婆」に出会い、一旦は死体あさりをする「老婆」を、正義の心から憎みます。しかし、「老婆」を捕まえると徐々に彼は彼女を見下すようになり、最終的に彼女の言い訳を聞いて、「盗人にならなければ餓死してしまう」という現実を受け止め、盗人となることを決心し、彼女の着物を奪いました。
初め盗人になる勇気がなかった下人が、最後はなぜ引剥ぎをしたのでしょうか。その原因は、彼が老婆の主張の矛盾に気づいたからです。下人への言い訳の中で、初め老婆は髪を抜いた死体の生前の犯罪を非難します。しかし同時に、自分のした死体あさりを「餓死しないために必要な行為」だとして正当化します。この矛盾の原因は「自分の生存のためなら犯罪も仕方ない」という身勝手な考え方です。下人は老婆の言い訳の主張の矛盾に気づき、彼女の考え方に従えば自分の犯罪を正当化できると考えたのです。結局下人は、死体から髪を抜いていた老婆を軽蔑していたのに、自分も同じ立場になってしまいました。この下人も、いつかは老婆と同じように犯罪の対象になるでしょう。筆者はこのことを、下人が夜の闇に消え、行方不明になるという表現で、さらに犯罪が繰り返されることを暗示しています。
パワハラも体罰も行為ではなく、状況判断だと思うんだけど? - とある青二才の斜方前進
http://tm2501.hatenablog.com/entry/2013/06/14/120456
この記事への反応
https://www.twitter.com/blackcat009/status/346067582438240256
ホント馬鹿だね。じゃ、アンタは他の人が食う為にアンタを殺したりアンタから盗んでいいのかってことだ。モノには限度や常識がある?その線引きをするのが「法」なんだが?
青二才の返答
https://www.twitter.com/tm2501/status/346082244391235584