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はてなキーワード: 芥川龍之介とは

2018-10-07

音楽教室

黒タートルのカラヤンの指揮する姿の写真があって

中学卒業時になんとかそれを先生に話て記念に貰えないか

直談判してた美術部の面子

先生お気に入りだったとかで、譲ってもらえなかったけど

気持ちわかる。

今も音楽教室に貼ってあるんだろうか。

現実男子よりカラヤンとか、若いころのリストとか

芥川龍之介とか夏目漱石とかそういうのが、まず素敵ってなってたなぁ。

高校とき国語教師

教科書羅生門のってたやんか

んであごに手そえてる芥川龍之介写真もあったやん

あれがめっちゃかっこいい~ってマジで言ってた

2018-06-27

anond:20180627235246

屠殺される牛だって悲惨ものさ。


でも、そんなことばっかり考えていたら

芥川龍之介みたいに自殺ちゃうぜ。

2018-06-21

二次創作が悪いというけど

中島敦とか芥川龍之介二次創作作家とか非難されない

なぜなのか

他に権利者がいないように見える、当時はファンが多かったので許容、批判する原作ファンが少数派

なんかオープンアクセス財の悲劇と絡めて色々書けそう

から……情報は独占することが難しいから容易にオープンアクセス財になってしま

すると法律によって権利規定してやらなければならない

みたいな?

2018-06-04

anond:20180604223609

まあ、ぶっちゃけ古典よりも、いまのラノベの方が一億倍面白やろ..

芥川龍之介にしても、シェークスピアにしても...


それでも古典かにブランドがある。

ワイらは本当の価値を見抜くことができないんや。


理解されないのは、しんどいと思うんごね..

2018-02-14

性欲はあるけど恋愛感情が分からない

昨日から急にどこかにカテゴライズされないと!という不安に襲われているのでだらだらと調べているんだけど、

性欲はあるけど恋愛感情が(分から)ない人のことは何て言うんだろう?

わたしは人が好きで、

この好きってのはなんていうかな……うまく言えないけど、人のかわいそうなところとか人間臭いところとかを見ると同情したり胸がぎゅっとなって

あ~好き!!!!!!!!!ってなる

と、同時に人にひどいことをしたい衝動がずっとだらだらと渦巻いていて、

このひどいことっていうのは自分じゃうまく言えないんだけど

例えば暴力だったり、言葉で傷つけたり、性的なことを一方的にしたり

そのあとに抱きしめてごめんねごめんねって言いながら甘やかしてあげて

それからまたひどいことをしたい

こういう支配欲とか加虐欲、暴力衝動が性欲に絡まって複雑に肥大した感情性別年齢問わず、もう言ってしまえば「人」というジャンル(人以外も対象ではあるけどややこしくなるから今回はナシで)に抱いている

多分、幼い頃から

わたしはずっとこの性欲のようなもの恋愛感情だと思い込んでいて、

だって芥川龍之介も「恋愛はただ性欲の詩的表現をうけたものである」って書いてるらしいし(前後の分脈を知らずにこの言葉だけを受け取るのはダメかもしれないけど)

でもこれってもしかして恋じゃないな……って少し前に気付いた

気付いたというか、そういう話を唯一するクラスメイト男子にそう言われて、あっそうかも……と納得した

性欲と性交欲を分けなきゃダメってよく聞くし、

わたしは性欲はあるけど性交欲は全くない

わたしの性欲は一方的で、必ずしも直接的な性が絡んでるわけでもなくて、なんというか……子どもの癇癪がそのまま大人になってちょっとめんどくさいオプションが付いて残りました、みたいな?

まとめるのが下手過ぎて自分が嫌になってきた……

恋愛はしてみたい……でもセックスしたくないし人前で何かを曝したくない

それに恋愛感情がほんとによくわかんない

人を支配したいって恋愛感情なの?

仮に恋愛感情だとしてもそれを不特定多数に持ってる時点で何もできなくない?

アセクじゃないんだよね……アセクって性欲ないんだよね……?

恋愛感情がないのがアロマンティックらしいけど

性欲ある人間がアロマンティックって言っていいのかな?ていうかアロマンティックって性的指向じゃないもんな

う~~~んダメ!!!!!!!!!

馬鹿なこと考えてないで勉強してくれ受験生

2018-02-06

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

小説一部の人しか書けないか否か

初めてはてな匿名ダイアリーを書くので読みにくいかもしれませんが、ご容赦を。

最近よく見聞きする言説の一つが「小説は誰にでも書けるわけじゃない」という物です。私自身の感覚としてそれって本当かな、というものがありこんな文章を書きます

私は小説を書きます

上手くはないですし、評価をされていると言うこともありません。

感想もあまりほとんどもらいませんし、もらっても批評未満の意見が多いです。

たまにもらう感想で心がほっこりし、自分欲求を満たすために小説を書いています

そんな人が思うのは「小説ってやっぱり誰にでも書けるよね」です。

卑下しているわけではありませんし、貶め炎上することが目的でもありません。

ですがどうしても「誰にでも書けるよ」と思ってしまうのです。

ある人は毎日空想します。そして「あ、これは面白いな」と思えば140文字でも500文字でも1000文字でも書きます

もっと言うなら、ノートの端に「○○が●●と△△する。きっとかわいい」などと書きます

ここまでで察しのいい人は「そういうことか」と解ってもらえるかもしれません。そうでない方にも、解ってもらいたいので私は続きを書きます

私が言いたいのは「どんなに短文でも、どんなに体裁が整っていなくても、一文、単語の羅列であってもそれは小説だよ」ということです。

空想をして、ひいては感じたことを何かに書き付けたその時、人は小説家になるのです。

多くの人は「小説って書けないよ」と言います。でもその「小説」は川端康成だったり芥川龍之介だったり清少納言だったりする、後の世であろうと通用する作品を指して言っているのだと思います

もしくは、自分の心に残っている作品を指しているのだと思います

素晴らしいことです。

でも、それだけが小説でしょうか?

他人の心には残らないかもしれないけど、自分の心には色濃く残る文章って誰しも持っているのだと思います

それは単純に「夕日がきれいだった」「おいしかった」でいいのです。

その裏にある、自分がその時感じた心の動きを思い出せるなら、小説なんて「○○が●●と△△する。きっとかわいい」でいいのだと思います

人は「それは小説じゃない、ただの感想」と言うかもしれません。

ですが私は、ただ自然と「おいしかった」と書くことは、心のままに「かわいい」「格好いい」と書くことは、それだけで小説家になる行為のものなのだと思います

絵に関しても詳しくはありませんが、同じなのかもしれないな、とも思います

ここからはすこしだけ踏み込みます

誰かが何かを書いた時、絶対馬鹿にしてはいけないと思います

それは委縮してしまうからです。

委縮してしまうと色々なことを考えても、表現することが出来なくなってしまうからです。

ですが、明らかに間違っているのだとしたら「間違っているよ」と言うことはあるかもしれません。

ここでも、やっぱり馬鹿にすることは駄目だと思います

間違いは正すべきものです。そして、馬鹿にしてはいけないものでもあるのです。


よくわからない人向け、もしくは私の文章が下手だった場合の、要点を書いておきます

ジャンル場所わず世に小説はいっぱいあるよ、それを指して「小説が書けない」は違うと思うよ。

他人の心を動かすだけが小説じゃないと思うよ。

自分の心を動かしたものを残すのも小説だよ。

その時の文章はどんなに稚拙でも構わないよ。

どんな者でも馬鹿にだけはしちゃだめだよ。

2018-01-06

anond:20180106010422

読み取りだけじゃなく筆者の主張方法の特徴は?とかこの展開の仕方でどんな効果が生まれている?起承転結で分けるとしたらどう分ける?そもそもこれは起承転結なのか?みたいなのも出てまっせ

なるほど。

論理の展開させ方は見るんだ。

でも、今は皆、結論から話せって言うんだ。

世知辛いね。はっ、なぜか芥川龍之介の『トロッコ』が脳内を横切ってい……

2017-12-21

金さん銀さんって

芥川龍之介と同い年なのか……

[]羅生門効果

ひとつ事件についての関係者たちの証言がそれぞれ異なる心理効果のこと。黒澤明監督映画羅生門』に由来する。

その映画羅生門』は、芥川龍之介の同名小説羅生門』よりは、同じく芥川の『藪の中』を原作としており、同じ意味で「(真実は)藪の中」などとも言う。

2017-12-01

小説を読まずに文章力アップさせたい

文章能力をアップしたい。

ここやネット投稿したとき文章自体についてのコメントではなくて本文内容そのものコメントがもらいたい。

とりあえず本を読もうと思った。そしてそれは20年くらい続けている。

私は年間100冊~300冊は本を読んでいるが内訳はだいたいアイドル写真集だ。

本を読めば文章がうまくなったり、頭良くなったりするんじゃなかったのか?

100冊の内訳は

70~90冊が写真集

残りの30~10冊が「入門○○」的なもの

小説は5年に1冊くらい

文章が下手な人は小説を高確率で読んでいないのか?

ちなみに上手に文章を書く方法的な本は過去に20冊くらいは読んでいるつもり。(年1冊程度)

小説を読みたくない理由は、話自体に全く興味が持てないから。

ここ最近で読む気になった小説は以下で団地妻メイドの話くらいしか全部読めていない

宗教経典ストーリー仕立てになってたか小説にしておく)

団地妻の話

メイドの出てくる話

IQ86(とても読みやすくて三分の一くらいは読んだが全く続きが気にならずに読む気になれない)

ノルウェーの森(上に同じ)

サルトルの本(哲学書らしいが小説仕立てになっていて全く面白く感じなかった)

私はどうして小説を読み進められないのだろう

他の本(写真集折り紙の本)は難なく読破してきた。

面白い小説を知らないからというアドバイスが欲しい気もするが、これだけは読んでおけという小説ドラマアニメ・・・

なぜか全く見続けられない。

我慢してみることはできるがアイドル折り紙の本を読んでいるようなわくわく楽しいなという新鮮な感覚には至れずその結果二度と見るかというループにはまってしま現在に至る。

小説好きな人芥川龍之介が好きで興味があってマニアなのか?だから読み終わるのか?

それとも文章を読むのが好きすぎて文章だったら誰の書いた文章でもいいのか?

全く知らない言語で書かれた同じ量の一冊を一字一句眺めている方が楽かもしれない。

2017-10-10

映画アウトレイジ 最終章』が公開されたので映画羅生門』の豆知識を書く。

なんでアウトレイジ羅生門かっていうと、羅生門アメリカリメイクタイトルアウトレイジからだ。これ豆な。

羅生門原作って、芥川龍之介の『羅生門』じゃなくて同じく芥川の『藪の中』、これも豆。

2017-09-11

anond:20170911181638

あれのコッテリは山口貴由作家性だし、コンセプト的にも「古典の小話から話を膨らませる」というものなんだから、それを指して「漫画が」という主語を使うのはなあ。やってることは芥川龍之介中島敦に近いでしょ。

2017-09-02

https://anond.hatelabo.jp/20170901232952

芥川龍之介文章青空文庫で読める

芥川龍之介 大正十二年九月一日の大震に際して

http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3762_27361.html

 

 

朝鮮人虐殺否定派は、芥川龍之介文章から皮肉を読み取れず、「芥川菊池寛に嘘つきと言われたか自殺した」という説を立てている。

それについて関東大震災朝鮮人虐殺研究本「9月東京路上で」を出した著者が批判している。先行して書かれたブログ記事で読める。

 

9月東京路上で: 【いわんや殺戮を喜ぶなどは  文学者の見た朝鮮人虐殺芥川龍之介

http://tokyo1923-2013.blogspot.jp/2013/09/blog-post_29.html

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺 -- 芥川龍之介には執着するが志賀直哉無視する朝鮮人虐殺否定本 - 読む・考える・書く

http://vergil.hateblo.jp/entry/2015/03/29/204525

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