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2023-11-19

[] そのはっぴゃくごじゅういち

レセップーッス

 

日曜作業お疲れ様です。

本日は国際男性デー、世界トイレの日日本においては農協記念日鉄道電化の日、一茶忌、いい塾の日、緑のおばさんの日となっております

トイレって大事ですよ。

排泄をするということが大事ですからね。

その際に色々な不手際があると排泄も満足に行えませんからね。

最近なんか特に寒くなったりして、そのせいでヒートショックも発生しかねませんから、部屋間を移動する時の寒暖差には気を付けましょうね。

いやぁ、注意すべきことが多くて書き甲斐がありますね。

問題は筆が遅いことだけです。

 

ということで本日は【提出物よいか】でいきたいと思います

提出物よいか!提出物ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

男女論、自分の性が優位に立ちたいのか、変な理屈こな過ぎなんだよな

×若い男と結婚する男への批判は女の嫉妬

⚪︎年甲斐もないおっさんキモい

×年下と結婚するのは自分に自信がないから、同年代相手にされないか

⚪︎おばさんは皺が目立つし年下の方が魅力的

×処女厨は他の男と比べられたくないか

⚪︎他人ちんこが触れた女が生理的に無理

全部、本能的なものなんだから相手を貶めて優位に立とうとして変な理屈こねるなよな。他にこのパターン何がある?

2023-11-17

40代最終盤の独男だけど、15年ぶりに女性と付き合うことになった

相手さんは5歳下。

15年くらい前の仕事の知り合い。当時は向こうはアラサー、俺は30代中盤。

7〜8年前にSNSで再会し、年1〜2回、当時の仕事仲間も交えて飲みに行くうちに、仲良くなった感じ。

仕事では優秀でクールビューティー系の女性なんだけど、2人で一緒に居る時は、お互いに年甲斐もなく甘々でイチャイチャしている。

古くからの知り合いだから、昔話が出来て楽しい

スープが美味しかったのでパスタ作った増田スマタックスパでのタッ香椎緒がプース(回文

おはようございます

ぶんぶんチョッパータマネギ4玉分をやっつけて野菜スープにしたお話はしていないと思うので改めてするんだけど、

そのね、

野菜スープ

メンバータマネギトマト水煮、ヒヨコ豆、ニンジン

そんなレッツスターティングメンバー食材でワイワイと賑やかに野菜スープを作ったのね。

まあ私が懸念した肉っ気がない野菜だしつまらないスープになるかと思って、

シンデレラお姉様に意地悪されている様を再現する寸劇のときに食べる貧しいけれど栄養いっぱいのスープを食べるシーンで絶対出てくるぐらい逆に栄養満載いっぱいのスープだと思って、

お腹が空いたらそば湯代わりに飲むべきものだと思っていたのよね。

そんで一晩か二晩

まあ作ったのが一昨日来やがれでお馴染みの一昨日だったので、

味が馴染んできたのよね。

そんで痛まないように朝温め直して出掛けるんだけど。

それがもう超絶良い香りを漂わせて、

例えやすく例えることができる食材世界中で探してくるとすれば、

あのパスタソースでお馴染みのミートソースとほぼ同等の香りなのよね。

ビックリすることに肉の一切を入れていないにもかかわらず

ミート感!

まさにジャストミート!肉の気配も充分感じるの。

多分ヒヨコ豆が良い仕事しているのよ!

そうあの鑑定団の人の中島誠之助さんが言うように良い仕事してますね!ってニッコリして言いそうなぐらい、

まるでその見た目はミートソース

そんでまさか味は?って思ったけど

結構ミートソースに近いのよね。

豆良い仕事してるわ!

まさにジャストミートよ!

から急遽試しにパスタ茹でてみてそれをパスタソースとして食べたら真っ当な美味しいパスタ食卓に並ぶママーのパスタを茹でた甲斐があったってわけなのよ。

例えるなら大貧民負けてマジ切れそれ見てパスタ作ったおまえを彷彿させる感じもして、

湘南乃風さんの純恋歌のあの歌を全部下の句を「おいしいパスタ作ったおまえ」に変えても成立するぐらいなレヴェルよ。

結構今まで作ってきた自炊で一番これは美味しい!って私史上一番に思ったぐらいなのよ。

今まで自分料理してもそんな目が飛び出るぐらいな、

もちろん実際には目玉は飛び出てもないし流した涙もアメリカンクラッカーみたいにはなってないけど

そのぐらい目が飛び出るぐらいな美味しさにはなったことなかったので、

そしてまた自分で作る料理って調味料とか適当なので、

再現出来ないってのもあって奇跡的に美味しいのが出来ても再現出来なかったのよね。

でもそのぐらい印象的な美味しさのパスタソースになったわ!

最初スープのつもりで作ったつもりだったんだけど、

やっぱりヒヨコ豆もしか

タマネギトマトも良い味出す役割の良い仕事してんのよ。

インド行ったとき家庭料理を招かれた際にインド女将さんがパパッとカレー作ってくれて食べさせてもらったんだけど、

もう日本で言うお味噌汁を作るぐらい簡単手際で、

スパイスはもちろんだけど、

やっぱりそのベースとなるスパイスを入れる前のベースの基本の土台となる元の支えは

タマネギトマトがそこにあったのよ!

なるー!って思ったわ。

なるー!って言うのはなるほどー!って言うときの私の秋の祭典中の秋の季語なので、

しか使えない言葉から言いまくりまくりすてぃーのなるー!ってわけなのよ。

あんま夜中にパスタ茹でるって食べたら罪悪感になるからやったことないけど、

それをも越えるぐらいの美味しさを感じさせるパスタを茹でたい!って自分で思っちゃうほど湘南乃風

そのパスタソースはキマっていたのよ。

タマネギ4個分のみじん切りは偉大だわ!

結局洋食の旨味のぎゅーうって詰まったのはなにあれ?タマネギなの?って思うぐらいよ。

しかも!しかもよ!

私が毎日ログインボーナス頑張って1日1勝しなくちゃ!でお馴染みのスプラトゥーン3もこの2日やんないぐらいの衝撃的な美味しさだってことは理解して欲しいわ。

ログインボーナスもらえなくてもゲームしなくても良いぐらいの美味しさ!

れいさら反則だけど

鶏肉焼いたの投入したら旨味がまたぎゅーっと爆発する美味しさのものになるのかしら!?ってドキドキとワクワクが止まらないのよ。

鶏だけどぎゅーって言うのは別に牛とは掛けてないんだからねっ!

今回のレシィピは簡単からと言うか、

具材だけなので再現性高いと思うので、

割烹着を着た小保方さんみたいに泣きながらスタップ細胞はあります!って言わないぐらい再現が出来そうなのよ!

これスープ平らげたら

今度はちゃん割烹着を着て

また再現出来るようにまた作ろうと思うわ!

結局味の決め手はちゃんと着て作るための割烹着よ!

そして言うの!

タマネギトマトスープで豆を入れたら肉っ気はあります!ってね。

私も無いものをある!って言いたい年頃なのよ!

でも本当に豆だけなのに肉っ気を感じるのは本当なんだからね!

うふふ。


今日朝ご飯

チキンサンドしました。

これお気に入り朝のパワーの源ね。

最近よく陳列されているので、

目についちゃうのでついつい買っちゃうわ!

美味しさ炸裂よ!

デトックスウォーター

炭酸レモンウォーラーに追いレモン果汁を入れようかと思ったけど、

ホッツ緑茶ウォーラーの季節でもあるけど、

急須出すの面倒くさかったので、

ホッツ白湯ストレートウォーラーソルティープラムを入れて

まり梅干し入り白湯って感じかしら。

朝温めて身体をぽかぽかにしましょう!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2023-11-14

歳の差婚はさあ

歳下がバイタリティ溢れて色んなとこ遊び行ったり

やりたいこといっぱいあったり性欲だって旺盛な時期が続くのにさあ

歳上が45歳あたりから性欲も元気もしょぼくれて歳下についてこれないつまんない奴になるんだから

憧れではあるんだろうけど甲斐性ないと歳下が可哀想

既婚者なら分かると思う

既婚歴ない奴と童貞には理解できないと思うけど

anond:20231114145207

小柳ルミ子大澄賢也が36と23でオバさんが年甲斐もなくヒモ結婚したみたいな感じではあったね

今のモテる男の核心が1レスにまとまってるじゃねーかw

からオモロいもんを見ちまった。

答えは簡単女と男性格性差なんて無いから。

男女平等理念を(せめて建前だけでも)曲げないでほしい、ただそれだけ。

https://anond.hatelabo.jp/20231114100430

建前だけでも、ってのがポイントなんだよな。

今の時代モテる男はレディファーストみたいなあからさまな不平等はしない。

あくま男女平等標榜し、相手性別で態度を変えたりはしない。

男女平等にすべきだから」みたいな、仕方なく従ってます、に見える態度も取らん。

ごくごく当たり前に、普通に男女の差異無視する………かのように見せる。

しかし裏では、女に優しくする。

優しくされてることに気づかせないスマートさ。

女の前で、男女平等の建前をどれだけ 美しく & ほころびなく 実現して見せるか。

これが現代の男に求められてる甲斐性なんだよ。

anond:20231114085328

それくらいの甲斐性があるなら自分でやれゴミムシめ

2023-11-13

ホットクックでラゲーライスもどき

桉田優子さん、cookpad chisuke3さん参照

金針菜を切干大根代用しているため、あくまでも"もどき"

バラ肉300gそのまま+塩10gバラ肉かぶる量の水

煮物 まぜない 1時間

堪え切れるならスープに浸ったまま一晩置く、ラード取りやす

水面から肉が顔を出さぬように

木耳15gはたっぷりの水で 6時間かけ戻しておく

ラード(脂)を取り除き八角1/2かけを投入

スープそのまま使用、肉は大きめカット

再度煮物 まぜない 1時間

一度肉とスープを皿へ避難させ

10分戻した20gの切干大根+米油少量

炒め 5分

玉ねぎ個も牛丼よりやや太めのくし切りにしておく

切干大根バラ肉スープおたま4杯分+醤油大さじ2+塩小さじ1/4

煮物 混ぜない 15分

軽く中身を混ぜて木耳玉ねぎ醤油大さじ1追加

煮物 混ぜない 20

気になるなら途中一時停止しスープ足して混ぜながら

玉ねぎに火が通ったらOK

水分多ければ煮詰めキー

・本物は未食だが好きな味。

本物の写真を見たところバラ肉はほぐれているようだったのでカットをかなり大きくして最後混ぜてほぐした。

・が、実際バラ肉の茹では一気に済ませてよさそう。

カットなし スープ 混ぜない 2時間

途中で八角投入するとか?

切干大根木耳玉ねぎと同じタイミングに投入したほうがよいかも。

煮物 混ぜありで仕上げがベターか?

木耳時間をかけて戻した甲斐があった。倍入れたい。

・実物は甘めと感想を述べている人がいたので、次は醤油を減らしてみる

太めの針生姜白菜甘酢漬け、ザーサイでいただいた。

早めにリトライ

2023-11-12

家族と過ごすの疲れた

身バレ防ぐためにフェイク入れて書く。

・俺…会社員独身一人暮らし

・兄…介護必要身体障がい者身の回りのことは一応自分でできる。既婚だが嫁が逃げてほぼシングルファザー

兄の嫁が逃げた頃から、兄の病気が悪くなる。このままほっとくと命が危ないくらい。

母親父親が車で2時間くらいの場所に住んでいて、孫(兄の子ども)の世話や兄の世話をしにくるが、喧嘩が絶えない。

俺は平日は仕事結構激務)なため、週末のどちらかは兄の家に顔を出すが、特に兄と父親しょっちゅう喧嘩してる。

どういう理由喧嘩するかは身バレするから詳しく書かないが、お互い「こっちは大変なのに」と思っていて、両親は「こんなに世話しているのに感謝しない」と言ってる。

俺は兄の言い分も両親の言い分もわかるから、とりあえず両方の話を聞いて仲を取り持つが、正直疲れる。

両親にも兄にも世話になったし好きだが、喧嘩するのは止めて仲良くしてほしい。でも自分には根本的に解決するだけの力がない。

毎日毎日自分の不甲斐なさに落ち込んでしまう。

そして、どうして自分家族特に兄だけ)が不幸に見舞われるのだろうかと思ってしまう。

せめて家族の仲が良ければ、兄の病気がなければ、兄の嫁が出て行かなければ、兄が結婚せずせめて一人だったら、と思う。

兄が独身なら、子どもの世話するために両親もしょっちゅう来なくてもよかっただろうに。

そう思ったって、過去は変えられないけど。

多分、自分は来週も兄のところへ顔を出す。その時にせめて兄の話を聞いて、両親に電話して話を聞いて、それくらいしかできないけど、とりあえず自分のできることをこれからもやろうと思う。

井上陽水自己嫌悪いいよね

一番の歌詞でもう一気に引き込まれた。

歌詞の感じからしめくらの男って「馬鹿な男」みたいなニュアンスなんだろうね。

(ggったら文字理解できないこと・物事筋道本質をわきまえないことって出てくるし)

自覚があって多分いつも人からも言われてんだろうな、馬鹿な男が似顔絵を通して自分と向き合っちゃって

ポツリと「似てる」なんて漏らしちゃう

そうすると自分の不甲斐なさとかやるせなさみたいなもの吹き出してきて涙が溢れる。

っていう情景がもうありありと思い浮かぶよ。

二番の歌詞も切なくて、

つきそう子供はたじろぎもせず、だよ。

子供に支えられるくらいの体重に落ち込んじゃってんだろうな、もう限界って感じが伝わってきて悲しいよ。

こんな歌詞を見てると曲名の「自己嫌悪」ってよくもまぁこんな綺麗にネーミングしたなって思うよねホント

なのにメロディは穏やかでなんならほんのり明るい感じでさ、元気だしてねみたいな雰囲気が伝わってきてすごく胸にくる。

こんな曲ばっか入ってんだからそりゃ氷の世界は売れるよな。すげえよ井上陽水って。

寝れなくてついこんなこと書いちゃったよ。

2023-11-08

結婚式の友人代表挨拶って誰に向かって話しているの?

こんど結婚式で友人代表スピーチをすることになったのだけど、この挨拶スタンスがわからない。

新婦とは面識がなく、私に挨拶を頼んだ新郎もゆるく長い付き合いなのであまり情緒的なことは言えない。

なので、はじめは新婦側の関係者新郎のことを紹介するようなつもりで内容を考えていたのだが、ネットで例文を探るとそういう体裁のものはあまりなく、友人として新郎/新婦に直接語りかけるようなものが多いようだ。

自分が列席者の立場だとすると、友達うしの内輪な内容で盛り上がられるよりも新郎新婦の人柄を知れた方が有益で聞き甲斐があると思うが、

自分自身は結婚式をしたい気持ちが1ミリもわからないクチなので、結婚式のもの価値見出している人たちがその演出の一部としての"友人代表スピーチ"にどんな形のものを所望しているのかが全く想像もできない。

有識者意見をお聞かせいただけないだろうか。

anond:20231108183057

そんなん、AV女優やって政治家科学者投資家になったヤツ、世界的なアーティストタレントになったヤツ(マンドンナ、ガガ、蒼井そらとか)もいるとか言うのと変わらんぞ

こういう人らは別に性を売らないでも、他の方法でも成功したでしょうよ

 

先進国で性を売るを是とするのはまともじゃないので、アホに性や若さを売ればいいを覚えさせて職業スキル積む機会を奪う連中はすべて腹を切って滅ぶべし

若い頃に楽して稼いじゃったからだぞ。風俗だけじゃなくて水商売も同じ

 

水商売接客が出来るなら、同性の同僚はともかく(フツーにキャスト同士で揉めてるし)

異性の同僚や上司なんて転がし放題よ

実際、それで、IT経験バツイチ子持ちアラサー↑で、

転がしまくって初アサインでフルリモートかつ残業ゼロ仕事を勝ち取った人おったよ

 

けどまぁ秒でやめたよね、給与が安い&やり甲斐がないか

 

やり甲斐スキルアップやある程度の給与求めるなら、英語が出来るんだし、

◯◯やった方がいいとかXXやった方がいいって言ったけど、

子どもいるから家にストレス持ち帰りたくないとか言ってやらないよね

 

苦労する=スキルアップ出来る ではないので、無駄な苦労はしない方がいいが、

かといって若さや性を売って簡単に金を稼げるは覚えさせてはいけない

後の就業に大きな影響与えるし、年取ったら水商売風俗給与安いし自尊心傷つくぞ

 

https://anond.hatelabo.jp/20230621065710#

2023-10-28

彼女とやって楽しかたこ

もつ鍋

 2人前で1500円くらいする冷凍もつ鍋が、ドラッグストアコスモスで売られている。これ誰が買うんだよと思ってたんだけど、ネットで調べたら評判が良かったので、エイヤと買ってみて、彼女とやった。

 IHコンロをわざわざリビングの机に移して、加熱しながらの鍋をやった。

 美味しかった。美味しかったし、楽だった。材料順次投入するだけで、かなり本格的なもつ鍋ができた。でも途中で(うまいけど)モツ食うのキツい!ってなって、キャベツ豆腐を狙って食い、「ほら、モツだよ…食べな……」と、親切めかしてモツを食わせあう一幕があった。

防波堤唐揚げ

 食品センターなる謎の店があって、海鮮が充実してるとのことだったので2人で行ってみた。

 うっすら床が湿っていて、やや薄暗く、陳列はなんとなく乱雑な印象だったが、それでいて客は多かったので逆にいい店なのだろうと感じられた。

 刺身の盛り合わせと唐揚げを買った。季節は冬で、歩くのがあまり苦ではなかったから、少し歩いて近くの海まで行った。

 防波堤の先まで行って、適当腰掛けて、食べやすそうな唐揚げを食べた。うっすら暖かくて、なかなかいい味だった。陸の方を振り返ると、犬の散歩をしているおじさんなんかがいた。

・川を渡る

 初デートで近所の山に登ったあと、同じく近所の川に行った。

 かなり川幅が広くて、河川敷も整備されているタイプの、都市的な川だった。

 川に詳しくないので、目的はよく分からないんだけど、飛び石みたいなコンクリートブロックが川幅ぶん×5列くらい敷いてあって、渡ろうと思えば渡れそうだったし、特に渡るなとも書いてなかったから、2人で渡った。

 児童公園なんかの、本当に子供が渡ることを想定した飛び石とは違って、そこそこ距離もあるし、落ちたら浅いとはいえマジの川だったので、俺はけっこうビビって、おっかなびっくりゆっくり渡っていた。その間に彼女はピョンピョン跳んでいって、けっこう先から俺の方を振り返った。そのとき笑顔がすげえ可愛いくて、俺はこの人と付き合ってよかったなあと思った。

 彼女は対岸まで飛び石を渡ったが、俺はビビって途中でやめた。

科学館で回転

 科学館に行ったら、遠心力体験コーナーみたいなのがあった。

 公園かにある回転遊具の小規模版という感じで、筒につかまって地面を蹴るとガンガン回れて、その間に足を突き出したりして、回転速度の変化を楽しんでください、という趣旨だった。

 最初は土日に行ったので子供がずっと遊んでいて、彼女は「あれやりたいなー…」と言っていたが、空きそうな気配がないので諦めて帰った。

 平日にリベンジして、子供どころかほかの客自体がまばらな状態で、彼女は存分に回っていた。よかったねえ…と思った。

・砂風呂

 指宿に繰り出して砂風呂に入った。

 ノーパン浴衣を着て外を歩くフェーズがあって結構キドキしたりしつつ、本題の砂風呂にたどり着いた。

 砂をかけられ、おお重い重い、これが砂風呂かあ!などと思い始めたところで、後ろから声が聞こえてきた。

「お前さあ、ホント動かないよね。人に動かせるなよ。いい加減にしろよ、本当」

はい…」

「さっきも全然砂かけてなかったじゃん」

 砂風呂従業員が後輩への説教を始めていた!

 はじめ、社員旅行とか部活合宿か何かで来た客同士がやり合ってんのかと思い、こんなアクティティ中に説教すんなや!と思ったが、やってるのは砂風呂従業員だった。

 気まず!全部聞こえてんぞ!と思った。首だけ動かして隣の彼女に目をやったら、まっすぐな目で虚空を見つめていた。

植物園

 電車で行きにくい場所にある植物園に行った。バス停から1キロ前後距離があったんだけど、その道がほとんど直線で、広い道路で、中央分離帯兼植栽みたいなものも充実しており、歩き甲斐のある道だった。

 植物園自体1980年代とか90年代とかそのあたりの、なにか大きな国際イベントを期に整備されたものらしく、大きくて古びていた。

 遠目に目立つ塔状の構造物があったので、入園してから近くに寄ってみたら、かつては展望台だったけど今はやってません、と言う旨の張り紙がしてあった。停止した自動ドアガラスの向こうには人気のない薄暗い受付がうっすら見えていて、それと同時に自分たちの姿もガラスに反射していた。その情景をなぜかよく覚えているんだけど、なぜかはよく分からない。

・どうぶつタワーバトル

 どうぶつタワーバトルを彼女に勧めたら、ゲームをやらない彼女にしては珍しくハマってくれた。

 最初経験の差で俺が勝ちまくっていて、なんなら少し手を抜いたりもしていたんだど、最近では全くの互角か、彼女のほうが強いくらいだ。センスがあるんだと思う。

2023-10-25

anond:20231025123205

実家に居た頃、近所のメスの野良猫は、盲目の子を産んでしま遺伝子を持っていたらしく、

発情期がくるたびに妊娠して、出産して、しばらくは甲斐甲斐しく世話をするんだけど、

まれてくる子はほとんど盲目なので、子離れする時期がくると世話をしなくなり、

自力でエサを探して食べることができず死んでしまい、あちこち遺体が残されるという、

ホラー世界があった。

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-24

anond:20231024183242

女は甲斐性がないので、キラキラしてない職には就こうとしないんですよ。

2023-10-23

anond:20231023142012

昨日から薄い本大好きマンが来てて数年かかって増田にひろめた甲斐があるけどそれはそれで厚い同人誌を知らんのかといいたくなる横

再録本かさばるけど書き下ろしついてるからつい買っちゃうんよね

anond:20231023115226

本の置き場の解決法って

あたりが定番だけど、

電子書籍はなんか知らんけど嫌で、

つの本棚に入れたいということは離れた倉庫に置くのもダメということで、

端末の値段にすらブーブー文句言ってる弱者男性に広い家に住める甲斐性があるわけもないので、

じゃあ解決法なんて無いじゃん。

解決不能ワガママを喚き散らし、何とかアドバイスを捻り出してくれた人を罵る奴が、能無しじゃなくて何なんだ。

2023-10-22

anond:20231022191805

え、貧困肥満の相関について、原因ぜんぶ分かってるの? すごいね

もう文章ひとつひとつが全て頭悪くて本当に見事だわ

東京コンプを拗らせてるってことは東京に出てこれるほどの頭の良さも甲斐性すらもなかったってことがよく分かる

2023-10-20

anond:20231020113835

昭和佐藤さんちの旦那さん、ボーナス○○万円で今度ハワイ旅行行くんですって」

令和「佐藤さんちの旦那さん、こどもの保育園送り迎えも夕食作りも全部やってくれるですって」

女が男に甲斐性を期待するのは何も変わってない。

2023-10-19

anond:20231019011653

哲学美術歴史的な積み重ねがあるから普通に学問として学び甲斐があるぞ

実際に大学能動的に学んでる人がどれだけいるかは別問題やが

料理だって、きちんと歴史研究して論ずる人が出続ければ、何十年後かにはしっかり学問として成り立つぞ

そこで学んでも料理がうまくなるわけではないだろうけど

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