はてなキーワード: 奇人とは
私はココイチが好きだ。
哲学のない必要最低限だけのカレー、雑な揚げ物、やる気のないドリンクメニューが好きだ。下世話な一杯飯屋なのに割高な値段設定で客の足切りをしているのが好きだ。そこには懸命に働く外国人店員を怒鳴りつけて悦に浸るクシャクシャスーツの禿も、インターネットを長時間見ただけで賢くなったとイキるコスパ・コスパと囀る哀れな卑しい人々もおらず、心穏やかに思う存分ジャンクなカレーと向き合うことができる。。。そんなココイチが好きだ。
ここで下賤な一杯飯屋と縁遠い紳士淑女の皆様方へ、あなた方には一生関係しないであろうココイチのオーダー手順を説明しようと思う。同志とアンチの諸君は読み飛ばせ。
ココイチはラーメン屋や牛丼屋じみた定食もやっているカレー屋とも違い食券システムを採用していない。ルーの種類、辛さ、飯の量、揚げすぎて凄く良く言えばクリスピーな各種揚げ物、チーズ・煮込みチキン・豚しゃぶなどルーに混ぜ込む系トッピング、この複雑怪奇なカスタマイズメニューを入店後の着席と同時に出される水のタイミングでオーダーするか、この迷宮を心行くまで彷徨い、とりあえずその出口にたどり着いたものとして、ある種の諦念と共に店員を呼びオーダーするかの2択となる。ちなみに私は迷宮派である。しかし即決派の蛮勇には憧れるものがある。
そうして決めた本日のオーダーは、チーズカレー2辛温玉トッピングだった。出てきたカレーを前にして、さてどのような割合でカレー・チーズを配合し、白い砂浜たる飯をいただくか、どのタイミングで干乾びた福神漬けのシャクシャクとした触感を加えるか、温玉はいつ割るべきかなどと愉悦の微笑みと共に熟考しているときにそれは起こった。
この煉獄一歩手前の楽園ではついぞ聞かない奇声が、穏やかな空間に響き渡ったのだ。
「入ってから1時間もたっている!オーダーも取りに来ないとはどういうことだ!!」
私と同じカウンターの、その端に座った男が怒りの声を上げていた。その男はカウンターを叩き、横板を蹴りつけて世の中の不平等すべてが我が身に降りかかったかの如く怒りを振りまいていた。
しかし、待ってほしい、ココイチでそれはおかしい。
その男の前には水が出ていた。そう、水が出されたときにオーダーを聞かれたはずだ。そこでオーダーしていないなら男を迷宮派と判断した店員は「お決まりになったらお呼びくださいね」と告げて静かに去っていたはずだ。そして1時間も迷宮を彷徨う本格派の男を、店員は急かす事なくその場にいる事を許してくれていたはずだ。仮に店員の呼び掛けを聞き逃していたとしても、なぜこの浅黒く愛嬌のないタイプの猪八戒のような風体の男は、1時間も無音のまま火に掛けられ続けた圧力釜のごとく不穏な怒りをその身の中で凝縮し、突如奇人如く炸裂させているのか。なぜ、なぜ。。。
私は急ぎカレーを掻き込むと店を出ようとした。レジは男の後ろを通らねばならなかった。哀れな店員たちはよほど急いでカレーを用意したらしく、すでに猪八戒の前には私と同じチーズカレーが出ており、豚のごとくカレーを啜り上げていた。その余りに浅ましい様を見たとき、私の中で説明のつかない激しい怒りが恐ろしい勢いで燃え上がった。もしその時、ココイチのいかれた固さの揚げ物を貫くフォークがこの手にあったなら、思いのままに黒豚じみた刈上げ頭に突き立てていたかもしれない。そんな己の中の怪物に慄いた私は会計を済ませ逃げるように店を去った。
さて昨今、凝縮された怒りを突如として炸裂させ、無辜の人々を脅かす可能性のある人物について、インターネット上の人格者と怪物と大多数のぼんやりした人々が、死すべきか、死ならざるべきかについて議論を交わしていたが、このお話の死ぬべき人々は誰なのか、そんな事を聞いてみたい夜だった。
ド田舎暮らしのかなり年上の人なんだが、子どもの頃は気付かず「よく喋る人だな」と思っていたくらいだった。
それが最近久々に会って「本当におかしな人だ」とやっと気付いた。
周りも「奇人だ」と口をそろえて言う。
その人の子どもたちも「大人になってからおかしなことに気付いた」「他人には一緒に暮らせない」と言うくらいだ。
でも「変人枠」で収まっている。
本人がどう感じているかは謎だが、なかなか人に迷惑をかけることをしている。
ちょっと書き出すと特定されてしまいそうなのでぼやかすが、お金にルーズだったり思想がおかしかったり人にものを強制させたり…。
だから周囲はその話の通じない変人と、どう会話しようか対話しようかと苦労したり呆れながら考えている。
なぜ分からないんだ?と怒る人もいる。
昔はそれでも回ってたんだけれど、歳をとるにつれて迷惑度が増している気がする…ボケかな…と皆が言う。
周囲の愚痴もどんどん増えていて、さぁこれからどうなるんだろうと遠巻きに見ているが
誰か病院に連れて行こうと思わないんだろうか…
一度その人が書いた文章を見たことがあるのだが、もはや日本語として成立していなかった。
これはどう考えても…だ。
しかし自分は助言できる場所に居ないし、老人になって本人や子供に伝えるのも気が引ける。
でも確実に、周りは楽になる。
事実数十年の親戚の知人一人だけに「どう見ても典型的なADHD、もしくはLDだ」と話したら、やっと腑に落ちたようだった。
カテゴライズが分かるだけで、そういうものなんだと受け止めやすいものがある。
幸い自分にはそれに気づけるくらいの知識はあったが、特に社会事情とか勉学に熱心では無い周囲の人たちは考えもしないようだ。
ただ聞くと小さな交通事故が多いらしい。本人も怪我をしている。
最近のニュースを見ていると、無理やりにでも運転免許証を取り上げたほうが良いと思うのだが…
はぁ、言えない。どうするかなぁ。
たった今、このイラストを見てある種の衝撃を受けたのだが、
なんと、弁当を食べている学生が全然嫌そうな顔をしていないのだ。
私は、辛そうな表情で昼を食べている様子が当然であると想像したのだが全く違うのだ。
一体これはどういうことなのか?
便所飯というと、私の認識としては、人間関係の困難が理由で便所の外で昼を食べられない人がやむを得ず便所で食べる、というものだが、仮にいらすとやさんも同じ認識だとすれば、この学生の表情は全くありえない。
そのような困難はあるべきではないし、あってもなんとかして克服しなければならない。私はそう考えていた。
だが、いらすとやさんはこう考えたのかもしれない。ほかではいろいろあるかも知れないが、安心して昼飯を食べられるところがここにあるのだから、今はいい。
いや、もしかしたらこの学生は、便所の外でも普通に昼飯が食える状況にあるのにわざわざ便所を選んだ、という奇人なのかも知れない。
うーん、それにしても、いらすとやさんの考えることは奥が深いと言うか人の生活や生き方に対する切り口、観察眼がすごいというか、その中にも優しさがあって、素晴らしいと思った。
タイトルが全てです。
おとなしく従おうと思います。
以下はただの感情を宥めるための吐き出しです。
疲れて頭が回らないので推敲などはしていません。
再読すらしていない書きっぱなしなので読みづらいです。
キチガイの勘違いや被害妄想がたくさん含まれているので真に受けないでください。
1.経過
父は素面のときは過保護なだけの良い父親でしたが、酒を飲むと意味もなく独り言で暴言を吐き、大きな音を立てて扉を閉めるような人でした。
また、私は発達障害者なので、私のコミュニケーション能力などに原因があったのかもしれません。
しかし、小学生の頃には担任に発達障害を疑われていたので、当時から難有りの子供だったのだと思います)
変わったところはある家庭ですが、毒親とか虐待とかまではいかない微妙なラインだと自己認識しています。
(※母に、子供は日本語が通じなくて怖いから幼少期はネグレクトしていたと近年告白されましたが、単にほったらかして一人で遊ばせていた程度のことだと捉えています。
私の世話は父が主にしていたようなうっすらとした記憶はあります)
(※家族親戚一同からは地元就職を暗に望まれていましたが、運良く東京配属に滑り込めました。)
就職直後は実家から解放された喜びもあり、調子が良かったのですが(躁転なので本当は良くない)、
生来の不安性や情緒不安定さ、発達障害などのためか、次第に生活や業務に困難を抱えるようになりました。
一時期、プレッシャーの大きく、長時間労働を伴う業務に付いたこともあり、
それがとどめとなってか、
結果として最終的には重度の鬱状態に陥りました。
診断は双極性障害の2型です。
上手くコントロールできなくなりました。
復職と失敗を繰り返した結果、
現在は会社の方から1年以上の長期の休職命令がおりたところです。
2.実家の現状
私が上京する少し前に、母は精神疾患により長期の入院となりました。
なお、この時に初めて私は母が学生時代から精神を患っており、独身時代に入院歴もあったことを知りました。
それまではずっと、母に癇癪を起こさせるのは私がキチガイだからなのだと信じていました。
(※母の疾患に関する詳細は省きます)
父は、平時は非常に優秀且つ良き父親でしたが、先述した様に、些か酒癖が悪いです。
般若面のような顔をして暴言を吐く父と二人で食事をするのは、正直少ししんどかったです。
また、無自覚ながらも高圧的なところが有りました。
彼の過保護さは抑圧と表裏一体でした。
(部活で帰りが遅くなったからって、酔った父から数分間暴力を受けたこともありましたが、いつ思い出してもちょっとよく意味が分かりません)
(そもそも何故か私は部活動自体が禁じられていましたが、流れとゴリ押しで入部しました。部活動はとても楽しかったです)
我が家では、父>母>私という明確なヒエラルキーがありました。
(遅くなりましたが、私は一人っ子です)
ただし、ストレスの発散方向は、
父→母→私で固定されていたので、
直接父からストレスの発散としての不機嫌さを向けられたことは少ないです。
もっとも、父の不機嫌さを受けることにより母のヒステリーは悪化したため、
そのヒステリーを受ける私の精神的ダメージは結局増大するのですが。
また、父はもともと精神疾患者を迷惑がり、下に見ているところがありました。
(なんで母と結婚したんだ?)
私が帰省したとき、父は明らかに母に精神的DVを振るっていました。
正直ドン引きしましたが、当時の私にはそれを真剣に諌める元気はなく、
(そもそも、あの人たちと真面目に会話しようとすると、平静を保っていられなくて怖くて、迂闊に行動できませんでした。
この頃にはもう、彼らの顔を見たり声を聞くだけでつらく、真顔を取り繕うのも厳しかったです)
現在も母の病状は芳しくなく、父の酒癖やDVもそのままだと思います。
入社直前に起きた母の入院に伴う様々なトラブルに起因する、過去最悪の鬱転の反動です。
あの三ヶ月間の私は、道を歩いているだけで唐突に泣き出すような奇人でした。
3.懸念事項
下記は、私が戻らなければならないことを前提として記します。
もっとも、父がそういうあらすじを書いた以上、ヒエラルキー下位の私は逆らえないのですが。
まず、精神疾患者を下に見ており、なおかつ精神疾患者にうんざりしている父の元に精神疾患者の私が戻ることで、
父は私には甘いのですが、それでもいずれ我慢の限界は来るでしょう。
次に、母の入院によって、父のストレスの発散先が私になる可能性があります。
正直この数年の母の精神疾患は、母のストレスの発散先である私の不在に加え、父からのDVによって悪化しているのではないかと私は考えております。
しかし、私が実家に戻ることで、おそらく日常の細やかなストレス解消は私の役割となるでしょう。
ただでさえ日常生活も厳しいような状態の私が、父のストレス発散対象に選ばれることでどうなるのか、考えたくもありません。
療養は諦めて、修行と思って己を鍛えて克服するしかないでしょう。
再び家を出るにはなんとしてでも私の精神疾患を治さなくてはいけないため、
無理してでも治ってしまったら雨降って地固まるですね。
3つ目に、母と日常的に接触しなければならないことが挙げられます。
私は主に母のストレス解消の役割を担っていたため、父よりも母と接触するほうが情緒不安定になりやすいです。
また、私は自分を母と似たような人間であると考えているため、母を見ていると私を見ているようで非常におぞましい気持ちになり、自己嫌悪で居た堪れなくなります。
父と会う場合にはその場はとりあえず我慢して、その後自室やトイレなどに籠もってから涙を流して受け流しますが、
母と会う場合にはそこまでの我慢もできず、その場で発作を起こしてしまうこともありました。
(なんで理由もないのに涙が止まらなくなるんでしょうか。正直、止めたくても止まってくれなくて非常に不便です)
あとなんか他にも色々あった気がするけど忘れました。
雑多なところで言えば
・今の主治医とかかりつけ薬局を信頼しているため、転院に不安がある
などがあります。
全体的に、今の私には言う権利もないような我儘ばかりですね。
ここまで書き殴ったら少し気分が晴れました。
先程、父と2時間くらい会話した結果、
5時間くらい泣いたり過呼吸したりを繰り返して収集がつかなかったので、
文章に吐き出せて良かったです。
肉体は疲れ果てました。
パニック発作がここまで悪化してるとは思わなかったので、今までこの症状に関して主治医に相談したことはありません。
流石にこの状態では色々と怖いので、主治医に頓服の精神安定剤など服用できないか聞いてみたいと思います。
主治医には実家に帰ること自体、避けたほうが懸命だと言われましたが……。
お金がないのは仕方がない。
カウンセリングとかで解決しないかな、と思って提案してみましたが、
・カウンセリングできる病状ではない
・傷を掘り起こすことで悪化する
のでやんわりと断られました。詰んでる。
実は以前に2回、父との通話中に我慢できずに泣いたことがありますが、
父は、私が父を恋しくて泣いてると勘違いしてくれたので丸く納まりました。
私は父が怖いです。
しばらく前に、母の蔵書の目立つところに
『「子供を殺してください」 という親たち』
が置かれていましたが、これが母によるなにかの意思表示、嫌味でないことを願うばかりです。
余談ですが、この話の最大の被害者は父です。
娘もどうなるか分からないと言うこの状況は流石に申し訳ないです。
私の将来の夢は、
解放されたあとはできる限り人に迷惑をかけないように一人で老いて死ぬことでしたが、
それも果たせそうにありません。
(ここで書かなくても良い父の身体のことを書くのは、
最後に。
初めて生活が少し楽しくなりました。
初めて泣かない日ができました。
挨拶をしてもしなくてもランダムで罵倒されることがないのは、とても快適でした。
残業帰りに近所のコンビニで買って歩きながら齧ったカロリーメイトも、美味しかったです。
東京、趣味に関するショップやイベント、コミュニティが豊富だし、
社会に馴染めない変わり者にも寛容なコミュニティが多く、居心地が良かったです。
私の様子を見ておすすめの心療内科をこっそり教えてくれるような友人、地元で巡り合うのは難しかったでしょう。
もしも今地元で、あるいは実家で息苦しい人がいて、万が一この部分だけでも読むことがあったら、
家を出る、都会に出るという選択肢があることに気づいてほしいです。
手遅れになってからでは遅いので、一刻も早く決断してください。
都会、楽しいです。
主旨も何もないメチャクチャな駄文を吐いてしまって申し訳ありません。
以上、乱文失礼いたしました。
追記(1223-1910)
誤解を産んでしまったならごめんなさい。
証明する方法がないのですが、黙っておくのも申し訳ないので、一応宣言だけしておきます。
彼氏や旦那がどうこうと言う文章をかけるような想像力はありません。
コテコテのニコ厨だから高尚なはてなーには合わないかもしれない
特徴:毎日のようにクソゲー実況を上げてる頭おかしい人、学生だと信じてる
https://www.nicovideo.jp/tag/moco78
https://www.nicovideo.jp/mylist/56763778
https://www.nicovideo.jp/mylist/20629603
なお嫌いな人は嫌いな模様
特徴:VR彼女って手だけが見えてる状態なんだけど、手の動きと移動だけで感情を表現するのすごい。爆笑した
https://www.nicovideo.jp/mylist/58739453
特徴:ずっとスケボーゲームばっかりやってた人、いやスケボーゲームはやってたけどスケボーはしてなかったような?
https://www.nicovideo.jp/mylist/31820711
特徴:細かさがエグい 赤血球可愛かった
https://www.nicovideo.jp/mylist/32568226
特徴:The Witnessのゲーム実況。いわゆる「風景パズル」。俺には絶対クリアできる気がしない
特徴:封神演義原作の解説。想像より面白い。新作アニメで心をやられた模様
https://www.nicovideo.jp/mylist/59893972
この人何代目だろう? 4代目くらい?
https://www.nicovideo.jp/watch/sm33661708
特徴:人に勧めるたぐいのものではない
特徴:こんな動画あげるんだから詳しいんだろうと思ったら素人でわろた、しかし人は成長するよな
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/56298874
特徴:後発だと思ったたけど、もう何年目になる?毎週アップしててすごいなあ
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/55555326
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/57100985
特徴:内容も面白いんだけど、ゲーム愛が視聴者勢に伝わって団体戦開くまでに至るの好き
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/53531839
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/60647001
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/61268777
特徴:芸人さすがだわ
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/59235130
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/53602572
特徴:最近新しいのでた
ttps://www.nicovideo.jp/mylist/37157029
URLが多すぎたのか
Vtuber、MMD、ゲーム実況、MAD、単発、ミームなど入れてないのでだいぶ少なく感じる
まず、前提として抽象的な言葉は語られる文脈によって様々な意味を持つことを理解しなければなりません。
そして件の「自分がある」「個性的だ」これもここでいう抽象的な言葉です。
増田さんはカップルがけんかしているところに遭遇したのですね。
女性は一般に自分を力強く導いてくれる男性を好む傾向がありますから、この場合の「自分がある」とは、
さしずめ「優柔不断でなく、彼女が何かを判断することなくすべて決めてくれる」といったところでしょうか。
優柔不断(単に親切なのかもしれませんが...)な彼を咎めるのは、自分で判断するのが面倒だからでしょう。
なお、すべて決めてくれると言っても、何でもかんでも決めればよいのではなく、彼女が満足するとうな
判断を求められていることは明らかです。
ついでに申しますと、個性的というのは「切った爪を瓶に入れて保存している人」「バナナの皮に笑顔を描く人」
のように出現頻度の低い奇人をいうわけではなく、自慢できるような趣味を持っている人のことです。
ここでいう「自慢できる」というのは、本人が誰かに自慢するのではありません。
個性的な人物の知り合いが、別の知り合いに「俺のダチがさ~」と自慢するのです。醜い限りですね。
もちろん文脈によって様々な意味を持つのですが、「個性的」という言葉は本人よりもむしろ周りの人間を
思いつくままにいい加減なことを並べ立ててみましたが、いかがでしょうか。
真剣に思い悩んでいるのでしたら、信頼できる人物に相談することをお勧めします。
どうぞ今日も一日お元気で。
特別頭がいいわけでもなく、特別運動が出来るわけでもなく、特別性格がいいわけでもなく、特別手先が器用なわけでもなく、特別秀でた特技があるわけでもなく、常に劣等感に苛まれていた。
みんなが出来ることの同じレベルに立つには10回やらないといけなく、私が10回やっている間にみんなはドンドンマスターして更に差が開く。そしてその差を埋めるために練習するのも面倒でやらない、だからドンドン差が開く。
私の無能レベルに教師、同級生、味方になるはずの親もさじを投げた結果私は奇人として生きてきた。
ある日テレビを見ていると発達障害にスポットを当てている番組がやっていた。普段ならザッピングするはずなんだがなぜか見てしまった。(当てはまる・・・)そう思ってからの行動は速かった。
結論から言うと私は発達障害者だった。安心した。人間じゃないからみんなと同じレベルに立てないんだ。そう思った。
今は諦めの境地で生きている。とは言え発達障害者に関するニュースがあればいち早く取り入れている。最近だと鼻から吸引するとコミュニケーション能力が向上するというニュースがあったのをみんな知っているだろうか。
私は人間にはなれなかった。妖怪人間ベムのあのセリフ「早く人間になりたい」は私のような発達障害者にぴったりな言葉ではないだろうか。
人間にすらなれてなかったのかもしれない。
こんなこと書いてることが周りにばれたら奇人扱いされる。
でも、もうだめなんだ。恋人なんてできなかったし友達もいつの間にかいなかった。
それは作ろうと努力しなければできないんだろう?
もうダメだ。これは、うつによる視野狭窄なんだろうか。なんで幸せのために努力しないといけないんだ。ただ漫然と生きてるだけでなんでこんなに悲しくなるんだ。一思いに殺してくれ。
誰にも愛されなくていい。親を含めた全ての人間からの記憶から外れて死なせてくれ。何で死ぬことに恐怖なんて覚えなきゃいけないんだ。こんなのもう無理だ。
どうしたらいいかわからない。この前、夢で居酒屋で友達なのかなんなのかよくわからない人間と何でもない笑い話をしながらふとした拍子に嗚咽を出しがら号泣してしまったところで夢から目覚めた自分も泣いていた。もうダメだ。もうダメだ。早く楽になりたい。マイナスの人生でプラスを目指すより、永遠のゼロの方がいいじゃないか。
できそこないの遺伝子が死ぬくらい許してくれよ。安楽死させてくれよ。自分の死体を発見して処理する人が可哀想だからなるべく迷惑かからずに死ぬ本人も楽に死ねる方法を教えてくれ。もう無理だ。これ以上続けたくない。
奇人ってほどでもないだろ。
ニュースで今日9/1は子どもの自殺が一番多いと言っていたので
中学ほぼ不登校でも今は人並みの生活を送っている弟の話を書こうと思う。
アトピーといじめと人間不信で入学早々不登校になった弟は不登校児のステレオタイプでテレビゲーム三昧の日々を過ごしていた。
親はひどく心配していたが、俺は同じ中学校を卒業した身として中学時代は授業中はコミック回し読み、休み時間はTCG(遊戯王やガンガンヴァーサス)しか
してなかったから不登校でも大丈夫だと強弁した。そしたら親から弟の不登校対策を任されることになってしまった。
当時大学生の俺は不登校児に対する対応など何も知らなかったので、取り合えずコミュニケーション大事だよねってことで弟と一緒にゲームをすることにした。
弟とは不登校前からよく格ゲー(鉄拳やGG)の対戦で兄の威厳を示していたが、弟の24時間やり込みの前あっという間に負け越すようになってしまった。
そして俺の負け越しが当たり前になったある日、俺は腹が立って「ゲームばっかやってんじゃねーぞ」とゲームをやりながら弟を罵倒した。
ならどうしろとと言う話になって、まずは余りにもゲーム中心の生活で不健康だったので俺のロードワークや親父のゴルフ練習に付き合わせるようにした。
すると弟のアトピーが幾分改善した。アトピーが改善したお陰で外出に前向きになって週末にラーメン食いに行ったり、電気街にでかけるようになった。
電気街通いが日常化し、いつしか部屋に自作PCが出来上がっていた。自作PCで弟が何をしていたかと言えばもちろんゲームだ(CODやHALO)
振り出しに戻ってしまったように見えたが、ゲームで知り合ったフレンドとチャットしたりクランを組んで出撃している様を見ていると
家族以外とのコミュニティに属して楽しくやってんなと妙に安心してしまった。
そんなこんなで進路を決める段階になって内申点ゼロの弟は私立を受けるしかなかったが、普通の高校行っても合わないだろうって
話になって、不登校児や転校生を積極的に受けいれている単位制の学校に進学することになった。
弟曰くこの学校は奇人変人の集まりだったそうだが弟の肌には合ったらしい。陰キャ高校生として3年過ごした。
また進路を決める段階になって、弟の性格上就職で苦労するのが目に見えていたので工学部への進学をすすめた。
弟は情報系に興味があったようだが、俺のリーマンショック後の就活の実体験を語ったらあっさり工学部への進学を決めた。
大学では緩めの研究室に入って教授のコネで速攻就活を終わらせる要領の良さを見せた。
弟は今では飲み会が多いと嘆きながら、とあるメーカーの技術職として働いている。中学時代のゴルフ練習のおかげで接待ゴルフ要員として重宝されているらしい。
休みの日には高校時代の奇人変な友人とツーリングしたりアイドルライブに行ったりと、学生時代の友達付き合いも続いているようだ。
お盆に実家で顔を合わせたのでひさびさに格ゲー(鉄拳7)をやったら当然のごとく負け越してしまったが、楽しかった。
弟もたくましくなったもんだ。
夢とは私にとって、多くの子どもたちが考えるのと同じように、「将来の職業」の事と同義だ。
決して採用される事が難しい職業ではなかったが、自分のあまり高くはない基礎能力を鑑みても、採用された事は本当に運が良かったと思う。
というのも、私は高校を人並みに卒業することができなかったし、紆余曲折を経て入学した、世間的にあまり優秀とは言い難い大学を卒業するのもやっとの事だったからだ。
そんな私も晴れて人並みの肩書きと所得を得られるようになったわけだが、夢を叶えた今、(ありがちな言い方になってしまうが)何を目的に生きていけば良いのだろう。
叶えた夢、つまり仕事については、最初こそ持ち前の発達障害を遺憾なく発揮してしまうことで奇人扱いされ、周囲の眼差しに耐え切れず退職を考えたものだが、数年経った今では自分の起こしそうなミスを予測・予防を心掛けて行動することで不自由なく遂行できるようになっている。不満も不安も苦痛も無い。
大学時代も大学卒業後も、働く事を諦めていた自分にとって、「働く」ことは初めての経験だったし、しかもそれが夢としていた職業だったのでひどく不安ではあったが、今思えばそれなりに適性はあったようで、安心している。
夢といっても、なれると思っていたわけではない。
上で書いたように、私は働く事を諦めていた。働こうとも、働ける能力があるとも思っていなかった。
しかしながら23か4の当時、現実的に将来を考えなければならない時期に来ており、このまま諦め続けていれば間違いなく社会から断絶されていくし、1日、1年経つごとに社会復帰が困難になるのは明らかだった。
それに加えて、いわゆる就職活動もせず家でごろごろしている姿を両親に見せ続けるのも、いささか両親が不憫に思えてきてしまったので、とりあえず夢の会社を受けてみたら、採用されてしまったのだ。
なので叶えたという言い方は相応しくないかもしれないが、とにかく私はもう「将来なんになろうかな」と悩まなくてよくなった。
これは自分にとって革命的だった。小中高大と「将来」の事を考えるだけで、私は憂鬱になったものだが、もうそんな事で二度と悩まなくてもよくなったのだから。
しかしその先は?
働くようになっても、働いている以外の時間は働く前となんの変わりも無い。
以前と違うのは金銭面で余裕が出来た程度だろう。